日時:6月16日
ホスト: 小野寺
弓返り/小山内豊 21:00~22:00
良寛さまと鰈/緑川 22:00~23:00
ほろほろ鳥/小野寺 23:00~24:00
離れ、交わる/牧村拓 24:00~25:00
参加者: 小野寺、イコ、牧村拓、小山内、6 、KOUSAKU Abe
文章参加:神崎、カヅヤ
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小野寺: では時間になりましたのでツイッター文芸部6月号の合評会を始めさせていただきます
KOUSAKU Abe: はい!
小野寺: では小山内豊「弓返り」です
小野寺: 感想のある方は貼り付けましょう
牧村拓: 構成・文章を見ると綺麗にまとまっていて、ある種お手本じみた作品。
ただテーマについて目線が弱いと感じる。
通り一遍のテーマをなぞってしまっていて、そこが惜しい。
籾山の最後の語りの部分をもっと強めることができたのではないか。
イコぴょん: 弓返り/小山内豊
【率直に】
・好き。
・面白く読めた。
【評価の視点】
①文章:硬質だが不必要な読みづらさはなく、読者のことをよく考えている。
②描写:人間を一筆ごとに、丁寧に書き分ける。
【改善点】
①構成:ラストシーンが性急に過ぎる。前半を削り、後半を膨らましては。
②人物:視点人物である木藤は、あいまいな観察者でなく、もっと話に食い込ませるべきである。
③テーマ:二元論に落ち着いたように見える。籾山や五十川の行動の裏にあるものをもっと描くべきだ。そこに本当の「尊さと卑しさ」が潜むはずである。
小野寺:
非常に興味深く読めた。弓の飛んでいくさまなど迫力があるし、書き込みが相当になされていて一読して言わんとするところはわかる。思想ではないが道のようなものが作品に横溢している。自分も英会話に通っていてその道に通じた人もいれば不純な動機からかなりのレベルに達している人も知っている。けれどサークルと言う世界では不純さはサークルを破壊してしまう。道場はただ強ければいいというものではないという戒めが強く現れていると思った。
ただ課題点もある。短い作品だから仕方ないけれども道場の描写や衣装の細かい描写ももっと欲しかった。また賭弓の具体例も挙げてもいいと思う。
籾山と木藤の内面は描いていて五十川は描かないという点に若干の疑似三人称の苦しさがみえる。この作品ではこうするより仕方ないのだろうか。やや違和感がある。
KOUSAKU Abe: ストーリーテリングがとても整然としていて、文章も丁寧で、とても読みやすかったです。
話も、ディテールが効いていて、ふくらみがありました。人物も描けていますしね。
お手本的な作品かとは思いました。
小野寺: あと神崎さんカヅヤさんからいただいているのをはります
KOUSAKU Abe: 但し細かなところが演出的すぎる気もしました。いえ、それは演出的で良かったと言う点が少し強すぎたかなというくらいです。
小野寺: 神崎さん弓返り 小山内 豊
弓道のうまい五十川が、実は賭弓をしていた。因果応報か五十川は健康を害する。自分の知らない世界のことが載っている為、少し調べながら、読む。武道という、尊いものも、金銭が絡むと一気に卑しくなる。しかし、範士の籾山は人のなりをよく知っているのかそれを知っていながら見逃していた。結局籾山も、何か抱えているのではないかと思わせるような終わり方である。一貫して、何かを抱えていることが軸にあって頭に入りやすかった。
イコぴょん: 強弓を打つ五十川と、病気に冒された五十川の対比など、過度に演出的でしたね。
KOUSAKU Abe: そうですそうです>イコぴょんさん
小野寺: カヅヤさん「弓返り」は読み切れませんでした…。
KOUSAKU Abe: 上手い反面型にはまっていた感は否めませんでした。ですから、話が少し静かすぎたなとは思います。
小野寺: ではフリートークにはいっていいですか
KOUSAKU Abe: お願いします
牧村拓: ううん、まとまっているという感覚が短所でもあるというか、そういう感じはしましたね
牧村拓: もう少し何かしら逸脱した描写があると、アクセントになったかもしれない
KOUSAKU Abe: ええ、そうですね。20枚という限界ですかね。。。
小野寺: 今回の特集は20枚という縛りを小山内さん自身が設定したのでこれ以上書くのは難しく思います
牧村拓: 僕としては籾山の最後の語りをもっと重くしてもいいと思う
KOUSAKU Abe: そうですね。そして語りを長くすることで、直截的な表現を避けることは求められるかもしれません。
イコぴょん: 20枚でどこまでできるか、ってところでいえば、ずいぶん頑張っていたように思いますが、作品単体として見ると、ずいぶん物足りないです。もっと長くすれば、もっと生きるのに、残念な感が強いです。>20枚
牧村拓: そういう感想を抱かせるってのは特集記事としては成功じゃないですか?
小野寺: 牧村さん、籾山に語りにくくさせているのは木藤目線があるからではないのでしょうか?
牧村拓: 木藤の目線といいますと、もう少し詳しくお願いします
イコぴょん: 今回の特集は、全体として、「もっと長くしてほしい」という思いでいっぱいでした。特集とはいえ、読者はひとつの作品として見るのですから、制約がなければ(もしくは緩ければ)、読者に対して、もっといい作品が提示できたのではないかと、残念な思いです。>牧村さん
小野寺: 木藤は籾山にも五十川にもあこがれる役回りでそういう視線があると籾山からの感想は書きにくいと思うのです
KOUSAKU Abe: なるほど。そう言われればそうかとも思います。あまりどちらにも思い入れしていない感じはありますね、敢えて言えば軽率というか。
牧村拓: ああ、そうなると確かに。しかし言い換えれば僕が感じたのはイコさんと同様に「後半が性急すぎる」という感覚ですね。だからその点を再構築してほしい
イコぴょん: 『「人は変わるものなんです。苦しいことを吐き出せたら、なおさら見えてくるものがあるでしょう。僕はそれを期待したいですね」 』
最後の語りとは、これですね。この言葉は、籾山の背景を想像させて然るべきなのですが、まだ弱いです。
KOUSAKU Abe: >イコぴょんさん 凄く、判ります。
KOUSAKU Abe: どうしてその言葉が出てきたのかが明確になれば、同じ言葉でも説得力というか、印象が全く異なりますね。
牧村拓: 特にその弱さがほかの面が強いだけでに目立ってしまっていた
小野寺: 籾山もまた何かを潜り抜けて現在の境地に達したということでしょうか
牧村拓: それは恐らくそうでしょうね >小野寺さん
イコぴょん: そうですよね、籾山がその位置に立っている背景が、あるはずなのです。それを想像させた方が、絶対に面白い。>安部さん、小野寺さん
小野寺: 短編では無理でしょう
小野寺: 私は道場や道着の描写が欲しかったですよ
牧村拓: そうです、そこがこの特集の枠組みに抗いきれなかった点でそうか
KOUSAKU Abe: 20枚では限界はありますが、仄めかすことは大事だと思います。むしろ広がりを持たせきれなければ短編の利点が無いと思います。
イコぴょん: 今のままだと、後半は、神崎さんの言う、「因果応報」ということになりかねないのです。籾山が善、やせた五十川が、悪人のように見えてしまう。そのような二元論的解釈は、作者ののぞむところなのだろうか。
KOUSAKU Abe: もちろん、この作品には広がりはありますが、もう少し輪郭が欲しいわけです。でなければ、見逃してしまいそうです。
牧村拓: そうですね、テーマについての視線が浅いというのは、僕が感じた一番の問題点です
KOUSAKU Abe: それは、あまり作品に利点がありませんね >イコぴょんさん >牧村さん
同意です
小野寺: ただ、感想でも言いましたが社会人サークルのリアルさってありますよ
イコぴょん: 安部さんのおっしゃる通り、仄めかす、という点はやはり重要だと思いますね。「行間を読ませる」作品になってほしいのです。
牧村拓: たとえばたった一文、異物感のある文章を用いて籾山についてほのめかすこともできるのではないかと >阿部さん
KOUSAKU Abe: 社会人サークルのリアルさを判らない僕は、別段違う世界とは思いませんでした。学生のサークルとの差異を感じませんでしたね。 >小野寺さん
小野寺: 社会人サークルは他人の過去を詮索しないようなものがある
牧村拓: ああ、それはありますね >小野寺さん けれどだとすればそれは機構の失敗ではないかな
KOUSAKU Abe: その有るべき過去を仄めかさないから見逃されて、結局そのリアルさが描けなかったんじゃないでしょうか。 >小野寺さん
イコぴょん: ふーむ、なるほど。脱線になるかもしれませんが、少し詳しく聞いてみたいです。>小野寺さん
小野寺: ただ現在何をやってるかには視線を向けるみたいな
KOUSAKU Abe: 出来ると思います。 >牧村さん
小野寺: 現在、賭弓という行為は許さないみたいな
小野寺: つきあいが社会人サークルでは全人格的なものではないんです
小野寺: そして、五十川の病気もある程度は織り込み済みなんですね
KOUSAKU Abe: 確かに。織り込み済み、そうだと思います。 >小野寺さん
小野寺: ゴルフやってていきなり死ぬ人はけっこういるし。
イコぴょん: 五十川の病気については、読んでいるときは気にせずとも、後で分かるような伏線があってもよかったのではないでしょうか。
牧村拓: それをやってしまうといよいよテーマに対しての姿勢が直接的すぎるかな、と感じます
小山内 豊: (戻りました。すみません。)
小野寺: あ、小山内さん登場
イコぴょん: こんばんは。
KOUSAKU Abe: こんばんは
牧村拓: こんばんはー
イコぴょん: たしかに、20枚では、作為が目立ってしまうかもしれませんね。自分も書いてから、要らないかな、と考えました>牧村さん
KOUSAKU Abe: 伏線は良くないと思います。突発的だからまだ作者が読者を解放していると思います。
イコぴょん: うん、たしかにそうかもしれません。>安部さん
小野寺: この作品は社会人という設定しかないですよね。妻がいるとか子供がいるとか、そういうことは関係ない。
小野寺: 弓が基準なんです
牧村拓: 社会人という要素を意図的に抽出して弓に向かわせている
牧村拓: こういう手法は、僕は好きですね
KOUSAKU Abe: (あとで話したいのですが、この最後の一射は賭けられていたんですかね)
イコぴょん: 視点人物、木藤の、弓を求めた動機につながりますね
牧村拓: この文脈で言うならば賭けられていてはならないと思いますね
イコぴょん: (あ、それ注目していませんでした。解釈が分かれそうですね。おもしろい>安部さん)
小野寺: 賭弓の説明はもう少し欲しかった
牧村拓: であるなら、弓についての描写がもっと欲しかったと感じる
小野寺: 逆にいえば弓を通じて社会人とは何かという問いかけもあると思います
KOUSAKU Abe: 僕は実は弓道をやっていたことがあるので、そこらへんの困難さは意識しなかったのですが、確かにもっと描写してもいいかもしれません。 >牧村さん>小野寺さん
もちろん賭けの説明は(大凡は想像できるけど)欲しかったです。やったこと無いので(笑)
イコぴょん: 賭弓は、言葉と、封筒の受け渡しだけで、読者としては、知りたい気持ちもありますが、これ以上は必要なかったと思います。あの受け渡しのシーンの、前後の脈絡のない感じが、木藤をより第三者的にさせて、「分からない」世界という印象を強くさせ、効果的だったかと思います。
KOUSAKU Abe: それは有るように思います。弓は合理的ではないですからね。勿論様式的に合理化されているのですが、それはそれ。やはり籾山にあるような精神的な成熟は求められます。>小野寺さん
牧村拓: 賭け弓について言うなら、=卑しさっていうのがどうも受け入れがたい
小野寺: ただ木藤が視点人物なら籾山の内面を描き過ぎに思えます。イコさん。
イコぴょん: そうですね、そういうイメージの定着があることで、単純な二元論に話が回収されていくのがもったいない。>牧村さん
KOUSAKU Abe: 視点が少し交雑しているようですね。
牧村拓: 籾山についての描写は五十川との比較もあって、僕はそれほど違和感ありませんでした
イコぴょん: 賭弓が卑しい、というのを、ひっくり返してほしいのです>テーマ
KOUSAKU Abe: その通りです。 >イコぴょんさん >牧村さん
そもそもまだ若気のある人物が「卑しさ」と結びつけられるのは解せない。
イコぴょん: 籾山については、違和感はそれほどなかった。ただ五十川だけが突放して書かれていることに、違和感があります。>小野寺さん
牧村拓: それが木藤の立ち位置を明確にしているのではないかという気もします
小野寺: 籾山から見れば賭弓は卑しさの極致なんでそう簡単にはひっくりかえらないでしょう
KOUSAKU Abe主人公はどちらかといえば籾山に傾いてますからね。 >イコぴょんさん
KOUSAKU Abe: 弓というのは、射ると返るのですよね。
KOUSAKU Abe: これにひっかけてますね。テーマを。籾山の語りにしても。ただ、賭けはどうなのかわかりませんが。。。>小野寺さん
小野寺: なるほど。牧村さん
牧村拓: ああ、そう思えばいい書き方だったかもしれない
イコぴょん: タイトルについて、もう少しうかがいたいです。>安部さん
KOUSAKU Abe: 弓は本文中にも有ったと思いますが、射ると弦の位置が「手の内」の中で滑って反るのです。
小野寺: まさかとは思うけど作者は因果応報までは思っていないと思う
牧村拓: 因果応報までいっちゃうと邪推みたいですね
イコぴょん: 木藤という人物は、最初に少し背景が語られただけで、あとは単なる視点なのです。彼の考え方に説得力がない。
KOUSAKU Abe: そして重い弓を「会(大凡8秒が良いとされています)」まで引いているのは結構な苦しみです。そしてそれを放ち、射る、と弦は返る。そして、最後五十川は当てましたよね。これがキーですね。
小野寺: 昔、弓をやったことあるけど完璧に忘れている
牧村拓: 五十川自身が、返ったということになるのかな
イコぴょん: ただお話を転がすためだけの人物、ということでいいのだろうか? 正直なところ、そういう考え方は、あまりしたくないです。>木藤
KOUSAKU Abe: 一見そのような構図は見えますが、たしかにそれにしては、最後作者は読者を解放してますもんね。>小野寺さん
イコぴょん: くわしい説明、ありがたいです>安部さん
牧村拓: 非常に小説的な考え方ですね。
KOUSAKU Abe: でも主人公ってどっちつかずで、そういう視点にも合うような人物ですよね。 >イコぴょんさん
イコぴょん: 因果応報は邪推、なのかもしれないけれど、これは、そう邪推されかねない作品だと思うのです>牧村さん
牧村拓: そこの線引きは難しいのでは。読み手を信頼したい
イコぴょん: 作者はみな読み手を信頼したいものです。しかし、裏切られるのです。
KOUSAKU Abe: 裏切られるでしょうねー。
小野寺: お手本という言葉がいくつか見えましたが、それは主に文章的なものでしょうか?
イコぴょん: 善悪二元論に終始することを、単に「邪推」と言って、退けるには、この作品は弱いのです。
牧村拓: 僕としては主に構成の面で使いました
KOUSAKU Abe: 祭の露払いに用いられていた弓というのも引っかかっていました。
牧村拓: ではどうすれば強くなったのか、考える余地はある
KOUSAKU Abe: 文章ですね。
イコぴょん: うん、そこは、さっきまで出てきた「仄めかす」というのが改善点になるのかな、と思うのです。>どうすれば強くなったか
小野寺: 私も文章はかなり書きこまれていて好感を持ちました
イコぴょん: 文章は、書き込みがよくされていましたね。後半以外は。
KOUSAKU Abe: 書きムラですかね、意図ですかね。
イコぴょん: 20枚に間に合わなかったんだと思います
小野寺: では、そろそろお時間です
KOUSAKU Abe: はい。
小野寺: 作者の小山内さん、ひと言
小野寺: よろしいでしょうか
小山内 豊: ありがとうございました。とても参考になりました。
小山内 豊: かなりのところ、意図したとおりに読んでいただいたように思います。それが最近の課題でしたのでうれしかったです。
小山内 豊: お話の筋も大事ですが、余韻というのをいつも気にして書いています。その余韻ってのが、人物の立ちいち、運命的なものをぼやかすので、そのバランスを今後も鍛錬したいと改めて思ったしだいです。
イコぴょん: なるほど。
小野寺: どうもありがとうございました
小野寺: では55分より緑川作品に移りたいと思います
イコぴょん: はーい
KOUSAKU Abe: 作品ありがとうございました、小山内さん
小山内 豊: おねがいします。
小山内 豊: え、なんでしょう?>安部さん
小野寺: いやあ、弓返りは籾山、五十川というのがリアル友人ですごい偶然ですね
イコぴょん: 小山内作品は丁寧に作られているので、いつも読んでいて気持ちがいいです。
小山内 豊: まさか、弓道経験者がいるとは思いませんでした。
KOUSAKU Abe: いえ、今回の作品、読んで面白かったから、ありがとうございましたってことです >小山内さん
小山内 豊: なるべくかわった苗字を選んでいるんですけどね!>小野寺さん
小山内 豊: 丁寧に読んでいただいて、とてもうれしかったです。私がお礼を言いたい>安部さん
イコぴょん: 小説を背負う名前のつけ方がいいですね。いそうだけど、ちょっと変わっている。
KOUSAKU Abe: いえいえ。見当はずれな読みでがっかりさせることが無くてよかったです >小山内さん
小野寺: では、緑川「良寛さまと鰈」
小野寺: よろしくお願いします
イコぴょん: 良寛さまと鰈/緑川
【率直に】
・好きではない。
・面白く読めなかった。
【評価の視点】
①文章:淀みがなく読みやすい。いわゆる「良い子」である男の子の様子、清潔感がかえって皮肉となって出ている。
②描写:表現に作者特有のものがない。
【改善点】
①冒頭:ツカミが弱い。読者が興味をもてるような、強烈なイメージはないだろうか。
②枚数:規定上限は20枚である。あと11枚を使ってイメージを定着させるべきだ。現時点では書き足りない。
③テーマ:良寛さまと「僕」のかかわりに説得力をもたせるべきである。これでは読者は納得しないだろう。
小山内 豊: やや物足りなかった。
テーマから考えると品行方正を尊さ、俗さを卑しさにもってきている。両者の是とするところがそのまま人間らしさにつながらない場合がある、という意味合だと思う。お話の筋はぶれもなく文章にも瑕疵はなかったが、話の深みがなくテーマの消化が浅いのではないか。親と子供の立場をそれぞれ小説としてあつかう、つまり状況に応じて行動や発言をさせることで、より深く浮き彫りにしていくところが欲しかった。
牧村拓: 空き地についてもっと掘り下げてほしいと思った。
テーマについてもそうだが、全体的にアイロニカルな視線を感じる。
それが作品を通して効いていて読んでいて楽しい。
最後の良寛さまのエピソードについてどう捉えるかでも
受け取り方が大きく変わる余地のあるものだと思う。
KOUSAKU Abe: ちょっと何とも言えない作品でした。
小野寺:
他の緑川作品と比較すると若干文章がありふれていてそして奇妙だ。まず「良寛」という善人以外の何物でもない不思議なキャラクターと主人公が私にはダブる。そもそも良寛って何が偉人なんだろうか?そういった疑問を裏打ちするようなありふれた情景が展開するがどうやら「僕」は良寛レベルまで善人であろうと欲しているようだ。この論理性はいったい一時の「かぶれ」なのか或いは父親の心配するような新興宗教への傾斜の萌芽なのかは少し興味深い。こういう特殊な人物の内面を描いた小説は私は大好きである。緑川さんは以前よりも一般性から特殊性に突き進んでいるような気がしてならない。もっと先を読みたく思いました。
KOUSAKU Abe: 申し訳ないのですが、余りに何とも言えませんでした。。。
小山内 豊: 先を読みたくなる、肉付けして欲しいというのは皆さん共通の感想ですね。私もそう思いましたけど。
小野寺: 他の方のも張ります
カヅヤ:
<<< 良寛さまと鰈
全体の感想
鰈を蝶と読み間違えましたごめんなさい。
個人的な好みで、「親のエゴ」というものが大嫌いで、そのため、それを取り上げる作品は大好きです。両親に苛々しながら、楽しく読ませていただきました。
上野千鶴子の人生相談コラムを思い出しました。
「娘に対して不満と不安が。生徒会長もこなし、勉強もできるのだが、趣味といえばインターネットで絵を書いたり…不健全だ。
もっと音楽や映画なんかにも興味を持てばいいのに。自分の若い頃は~」と話す相談者に、上野千鶴子が上「あなた、娘に自分の趣味を押し付けたいだけじゃないですか。成績優秀で熱中できる趣味もあって何が問題が?あなたが子どもなんですね」と一刀両断。
この両親が大手小町か何かに相談してぼろっくそに叩かれたらすごく気持ちいいだろうなと思いました。が、そこまでやらかす親でもないんだろう…と思い、じたばた。
気になった点
「優等生の僕が行くと、皆は歓迎してくれるだろう」という文が引っかかりました。男の子って、自分たちのグループの中に違う子が入りこむことを良しとするだろうか?と。実際に歓迎されるなら、「ぼく」の溶け込み能力はものすごい。
でも、現実と僕の認識が食い違っているとしたら。
この文が「ぼく」の自意識の肥大化を示している文だとしたら、「ぼく」もいつか鼻を折られるのだろうか、それとも鰈になるのだろうか。
引っかかった一文から、そんなことを考えさせられました。
神崎:
<<< 良寛様と鰈 緑川
この作品は、優等生過ぎて一種気持ち悪い子供の話だ。よいこのなろうとする努力は確実に表れ板面も何もしない子ではあるが、この年の子供のように外で遊ぶみんなと遊ぶということはない。その代わりに本を読む。その一方普通の子供らしく少し下品な食べ方をし、そのうえで服を汚して見せる。普通の子供のようにふるまうため。しかし、子供は大人びているのかそれとも周りを軽蔑しているのか普通の子供らしくはない。この子供は尊さの皮をかぶった、下種な人間に思えた。鰈になってしまうというのを信じるくらいには純真にあるべきかもしれない。
小野寺: では、フリートークにします
小山内 豊: 状況説明で終わっていて、話が展開していない、ということなんだと思います。
KOUSAKU Abe: 子供は純真であるが故に、尊くも下種ですが、それが「不純」である子供の気持ち悪さをもってして尊くも、下種という枠組みがあったと思うのですが、わりと判りやす過ぎて……
小野寺: 展開してないですねー
KOUSAKU Abe: 小山内さん 凄く判ります。直截的で、なんだか、、、って感じでした。
イコぴょん: 皆さん、わりと好意的なのが意外です。
今回の作品は、厳しいことを言ってしまうと、論外でした。
この状態で話を提出したこと自体、驚きます。
小山内 豊: 両親はあまり個性がないですが、こどもは神童ですから、もっと動かせたはず。読者としてもそれを期待してしまいます。緑川さんがかけるということを知っているだけに。
イコぴょん: そうですそうです、緑川さんはもっと書けるんですよ。だから、余計に厳しいことを言いたくなる。>小山内さん
小山内 豊: きびいしですね^^
小山内 豊: うんうん。それはそのとおりなんですけど。
KOUSAKU Abe: 犬神博士の主人公くらい暴れてもいいかもしれません。あるいは悪童日記。ですが、まあ、都会住まいの平凡な子供なんですよね、これが。
小山内 豊: とても器用な子供です。親の心を知ることができないだけで。
小野寺: これホラー漫画で実は吸血鬼が化けている子供っていうノリだと思う
小山内 豊: そ、そうかな。
KOUSAKU Abe: 都会の中での適応という事は、都会的に在ると言う事になりますが、それは一種「自閉的」で雑然として、不純。
KOUSAKU Abe: 器用ですけれどね。
小野寺: でも良寛次第では今後面白くなる可能性もあると思う
KOUSAKU Abe: 独白と会話の調子も違うんですよね。
イコぴょん: 良寛次第ですね、たしかに>小野寺さん
小野寺: 良寛はどういう意味なのか?
小山内 豊: 不純ととらえることはできますね。両親にこびているわけですから。でもまぁそこは子供らしさを感じられる部分でもあります。
KOUSAKU Abe: その通りだと思います。 >小山内さん
小山内 豊: そういう「僕」が良寛につうじているのでしょうか…
牧村拓: 良寛に対しての子どもの目線をどう感じるかで読みがわかれるかな
小山内 豊: 私は接点を感じなかった。
KOUSAKU Abe: 僕もです。 >小山内さん
小野寺: それがまた良寛って毬とかくれんぼくらいしかイメージできない人なんで困る
イコぴょん: 良寛がどんな人といわれているのかっていうのも、もっと説明してもいいんじゃないかな
小山内 豊: 『良寛さま』と括弧つきで出てきますが、調べて、ってかんじですね。かくれんぼくらいなのは私も同じでしたが、ウィキは見ました。
小野寺: みましたが、やっぱり毬とかくれんぼでした
小野寺: 鰈をみていたって緑川さんの創作かなあ
KOUSAKU Abe: なんだか、裏があるかと思うほど、(表面的な?)意図はありありとしてしまって。。。
「良寛」は謎ですが。
小山内 豊: 温和で学がそれなりにあり、それでも格式ばらず、民衆に分け入っていく、そういう人と、「僕」に接点をもたせたということでしょうか。
KOUSAKU Abe: ただ、主人公は鰈になりたかったんじゃないでしょうか。
小野寺: そういうところから私は宗教的な匂いを嗅いだんです
小山内 豊: 鰈にどういう姿を見るか、ちょっと共通の認識がもてるか怪しく思います。
イコぴょん: http://www.fruits.ne.jp/~k-style/ryoukan1.html
ありました。創作ではないようです。
イコぴょん: 『良寛が七歳前後の頃、父親に叱られた時、顔を伏せながら上目づかいに父親を見上げました。父親は「父や母をにらむ者は鰈(カレイ)になってしまうぞ(越後地方の言い伝え)」と言って叱りました。
その後、良寛は家を出たまま夕方になっても帰ってきません。家中の者が探し回ったところ、良寛は海岸の波に洗われる岩場の上で発見されました。
家人が「そんなところで何をしているのか」と聞くと、良寛は「僕はまだカレイになっていないけど、いつカレイなってしまうのだろう」のように答えたと伝わっています。』
KOUSAKU Abe: 民衆に分け入っていく、っていうほど使命的なものは感じられませんでした。
小野寺: 面白いですね。イコさん
小山内 豊: >この逸話は極端なほど嘘がつけず、他の人も嘘はつかないと信じる良寛をよく表していると言えるでしょう。
>人の言葉を信じ、疑うことが出来ない良寛は生涯その子供の時の素直さを持ち続けていたのです。
小山内 豊: これと「僕」がつうじるのかな…
小野寺: 18世紀にしては現代的な子供だ
小山内 豊: 皮肉の効いた話しになってくる気がしますが。
KOUSAKU Abe: 平凡な優等生が、浮くのが厭で分け入っていく内に、優等生ですらなくなるというのは良くあることです。そして、その時を待ってるとでも言うようなあざとさ。
イコぴょん: 皮肉っぽいですよね>小山内さん
小山内 豊: 良寛が自己実現できていたのに「僕」はうわべだけの人間になっていくという>イコさん
小山内 豊: しかし、それが作者の意図したところなのか。
小野寺: この少年が成長して新興宗教を始めるみたいになったら面白い作品になる
小山内 豊: そもそも良寛と「僕」はスタートラインから違う気もします。
KOUSAKU Abe: マニュアルという言葉がありますが、マニュアルが変わったら変わってしまうような子供という事でしょうかね。習った道徳、親のしつけ、いろいろ在りますが、そうしたマニュアルを、マニュアルとでしか理解できない主人公。。。
KOUSAKU Abe: ええ、違うと思います >小山内さん
小野寺: 良寛はマニュアルかあ
小山内 豊: そういういみでは「僕」が『良寛さま』を愛読書にしていて、というところがまたアイロニーを効かしていることになってくる。
イコぴょん: この両親の考え方を、作者は冷笑していると思うけれど、同時に「僕」のやり方も、結局うわべであり、皮肉である。このむなしさ、かなしさを表現したかったのではないかなあ。
小山内 豊: でもなんというか、そういう意図があったとしても、弱いですね。脈絡が。かなしさ、か…
イコぴょん: 良寛と「僕」を同一視することは、ちょっと読者にはできませんね。
イコぴょん: 逆に良寛を読む僕が良寛から離れている、という点を強調した方がずっといい。
KOUSAKU Abe: うーん、どちらも作者とは距離を感じます、そして読者とも。
小山内 豊: そうですね。>イコさん
イコぴょん: 今までの例でいくと、緑川さんは基本的に、人物に没入しない書き方をするんですが、今回は、まだしも子どもに寄り添っているのではないかと思いました。
小山内 豊: ただ、それだったら冒頭近くで良寛の生き様にあこがれるという一文がほしかった。
イコぴょん: 良寛がほとんど効いてこないのがやはり問題ですね
KOUSAKU Abe: なるほどなるほど。
小山内 豊: >僕は良い子だ。この自覚だけが、かろうじて僕を支えた。 こういうところが、良寛ではない「僕」を意図しているのかもしれませんね。うんうん、なんだかすっきりしてきました。
KOUSAKU Abe: 確かに。
イコぴょん: わざとだめな子を装ってるとこがありますよね。あのシーンは、どういう意図があったのでしょうか。
KOUSAKU Abe: 良い子の演技ですかね。年相応な感じの。
イコぴょん: ケーキをぼろぼろ崩したり、足をばたばたさせたり
KOUSAKU Abe: 少し幼すぎる気もしますが。
イコぴょん: あそこになぜあれを入れたのか、ちょっとわかんなくて。子どもらしさを演出して、母親を安心させるため?
KOUSAKU Abe: 今一つ判らないのですよね。気を引くという意図かもしれませんね。そう言えば良寛も虐げられながらも、結局みんなを海岸まで呼び寄せたわけですしね。
[2012/06/16 22:29:44] イコぴょん: なるほど、良寛的なテクニック……なのかな>安部さん
KOUSAKU Abe: と思っちゃいましたね。今ですけれど(笑) >イコぴょんさん
小野寺: そうとうに良寛を読み込んでいますね
小山内 豊: わからないですね。完全に意図的にやっていますが、初読では親を喜ばせるためと思いましたが、その狡猾さは「僕」のかんがえる良寛像からはなれて行く気もします。
イコぴょん: そうなんですよ、「僕は良い子だ」と言っておいて、紅茶をこぼす。母親が、それで喜ぶことを知っていて、やっているなら、「良い子だ」ということに、「実は違うんじゃないか?」というような葛藤を以前に一文でも挟むべきかと。
小山内 豊: こどもだから、それが相反するものだと考え至らず、感覚的に試したとも解釈できそうです。どちらにしろ、ケアがたりないかな。上野千鶴子じゃないけど。
イコぴょん: ふむふむ、感覚的に試した、か。
でもこの子ども、感覚を、操っている感じですよね……。
小野寺: でも親が子供の演技に気が付かないって自分の経験から云うとリアリティないなあと思いますね
KOUSAKU Abe: 感覚的。離人感はありますよね。でも結構統合されている。
イコぴょん: やっぱり、書き込みによって、ひとつひとつのシーンを有機的に統合させてほしいのと、良寛さまを読者に納得させてほしい。それを改善点として要求したいです。
小山内 豊: どちらにしろ、この場面をそこまで意識して書いたと考えるのは、全体のBはランスからみてちぐはぐだと思います。統合というか、脈絡を丁寧に追っていくことが欲しい。
イコぴょん: 丁寧さがほしい、同意であります
KOUSAKU Abe: ただ、突き放すことで
KOUSAKU Abe: 一見整っている(僕は整っているとは思いました)ものを読者に信頼させない、整っているのは、つまり、「何もない」ところを隠しているのではないか、という感じを喚起させているのかもしれません。
KOUSAKU Abe: うまくカモフラージュして、文中からは容易に読み取れない、裏の意図があることを、感じさせたかったのかもしれません。
小山内 豊: そういう手法はありますね。
KOUSAKU Abe: ええ、なんか、僕は少なくともこの作品の距離感がいまいちなじめず、何とも言えない作品だと思いました。
小山内 豊: 個人的には、そうやってぼやかしても、物語の筋は読み取れる、という前提が必要だと思う。
KOUSAKU Abe: 筋があれば、、、という前提すらはずしているかもしれません。。。『良寛さま』は何時も読んでる愛読書なのか、今、偶々読んでいる作品なのかも解りませんでした。
小野寺: ではそろそろ時間ですのでまとめたいですね
イコぴょん: 幼い「僕」が語り手である以上、脈絡を壊すのも意図的なのかもしれませんね
KOUSAKU Abe: もちろん、そういう前提は必要だと思います。 >小山内さん
小山内 豊: なによりもまず、話が動かない間に終わってしまったことが残念。そして、子供視点ということで、解釈の余地が大きくなりすぎてしまい、筋がぼやけた。という感じでしょうか。
イコぴょん: そうだとするとあやしい作品だな。けれどそこから何かを読みとりたくなるだけの魅力に欠ける。言ってしまえば身も蓋もないけれど、枚数を重ねた方が絶対にいいと思います。
小山内 豊: イコさんは、登場人物の子供に脈絡ないこと話したりさせる手法、やってますよね。
小山内 豊: いつかまねしようと思っているんですけど。
イコぴょん: ww
イコぴょん: かれらだけが分かる脈絡、ですね
小山内 豊: ふむ…
イコぴょん: 登場人物と作者、登場人物と読者に距離を取りたいときによく使うな。主人公の疎外感もあらわせたり。いろんな意図で使える
KOUSAKU Abe: これだけぼけているのに、出て来る単語が、なんだか紋切で、、良くわからなかったです。
小山内 豊: 現代的な構図であったし、良寛をもちこんでくる冒険はいいと思いました。
KOUSAKU Abe: 「良寛」は良いと思いました。でも、現代的というのが、「現代的」なんですよね。。。括弧つきの。。
小野寺: それでは、そろそろ終わりたいと思います
KOUSAKU Abe: はい
小野寺: では
小山内 豊: うんうん。
小野寺: 貼ってください
イコぴょん: あ、ほろほろ鳥ですね
小山内 豊: 解釈の難しい作品だ。家族で出かけた日を切り取って描いている。そこにテーマがどのように絡んできているか考えると、傷痍軍人の件。国のため戦争に出て負傷した人たちが、父親の言によると働く意欲がなく乞食となっていることになる。父親の暴露による、尊さから卑しさへの転化が書かれている。しかし、このエピソードはお話に占める割合が小さい。他の部分に目を向けたとき、この作品がどのような話であるのかちょっとつかみにくい。筋にとらわれすぎないところが魅力ともいえる。
小野寺: 私は自作だからなし
イコぴょん: ほろほろ鳥/小野寺那仁
【率直に】
・好き。
・面白く読んだ。
【評価の視点】
①文章:小野寺文体とでも呼ぶべき、破格の文章である。整っていないがある種のリズムがある。
②テーマ:「わからないだろう。辞書で調べてみろ!」と若い読者に突きつける父親の皮肉な言葉。考えさせられる。
【改善点】
①人物:母親と慎二の人物があと一歩伝わらない。細かいニュアンスを、受け取れるように書き込んでほしい。
②枚数:規定上限は20枚である。あと7枚を使って、さらに伏線を積み上げるべきだ。
KOUSAKU Abe: 「ほろほろ鳥」好きです。
イコぴょん: 改善点、と書きましたが、おおむねこのままでいいと思っています。それくらい評価させてもらっています。
KOUSAKU Abe: ディテールが、良かったです、引き立っていて。文章も結構すっきりしてますよね。展開は、まあ、読んでの如しって感じで。
神崎: さん感想
<<< ほろほろ鳥 小野寺 那仁
花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道、鳴いてくれるなほろほろどりよ
愛染かつらの主題歌となったらしい曲。私は映画も歌も知らなかった。
どうやら、こどもわかってないようだが夫妻は警官に追われているように思えた。しかし、時は戦後20年高度経済成長の消費こそ美徳の時代。子供はもの珍しいものを見る中、傷痍軍人という乞食をみる。かわいそうと思うが父親は乞食という。大人は明らかな軽蔑をもってそれを見る。明らかに乞食はいやしいが、どちらもいやしいのかもしれない。
KOUSAKU Abe: まとまらない感想ですが、まとまらないと思います。テーマに収束していく「型」を感じませんでした。
山内 豊: テーマの消化という点では、納得いかないものがありました。
カヅヤさん感想
<<< ほろほろ鳥
全体
お父さんの造形が面白かったです。
ちょうど戦災孤児関連のエッセイを読んだ直後だったので、
軍人、未亡人の保証などの話は、実家にいたころ時々聞かされていたので、自分にとっても非常にリアルでした。
気になった点
電車が急に真っ暗になり、臨時ニュース…という流れを、現代の電車で想像してしまったため、「どんなサスペンスが!?」とはやとちりしてしまいました。三億円事件の話が時代を示していたんだと、三回目で気付きました…。他の人はもっと早く気付いたのでしょうか。読解力の問題だと自覚しながらも、もっとはっきり時代が分かる説明が欲しいと思いました。
慎二の感情描写がもっとあればと感じました。
「傷痍軍人が可哀相」という言葉という言葉が、本当に何気なく見えて。それが慎二のキャラなのかもしれないけれど、もっと「父さんはこういうけど、でもやっぱり不便だし辛いだろうし痛かっただろうし可哀相じゃないか!」というところまで突っ込むキャラでいて欲しかったです。その方が、父の見解VS慎二の感情 という構図ができて、それぞれの見解が映えるような気がしました。
KOUSAKU Abe: そうですね、僕が収束しないと感じたのを反せばそうなると思います。 >小山内さん
イコぴょん: 慎二は子どもだから、父と真っ向から対立する、というところまで、行きづらい人物なんですよね。それが話を難しくしている>カヅヤさんの感想を読んで
小野寺: では23:45くらいまでフリートークです
小山内 豊: お話という点ではそうした慎二の内面もきになるところですが、テーマ小説ですから、やはりその点を気にしてしまう。それで、この『ほろほろ鳥』を読んで、尊さ・卑しさが浮かび上がってくるかというと、こなかった。
KOUSAKU Abe: ゴリラショーに「あれだったらもう一回見ても良いな」という感想を抱いたのが、なぜか(理由なしに)印象に残りました。
イコぴょん: 傷痍軍人を名乗って寄付を募る人間たちに、「卑しさ」を感じている父親に、テーマに沿うものを感じました
KOUSAKU Abe: その反面あんまり内面を求めなくても面白い小説だと思いました。 >小山内さん
小山内 豊: 戦後の、わけあり家族の一日というはなしならば味わい深い。
イコぴょん: 軍人といえば、戦ってきたわけですから、「尊いもの」というような認識が、戦後はあった。
小山内 豊: それはそうなんだけど…>イコさん
イコぴょん: その尊さを利用して、戦後20年の今、金を得ようとする人物がいることに我慢がならない父親
イコぴょん: と、それが分からない、戦争未経験の息子
イコぴょん: 「辞書で調べてみろ」という言葉が、「戦争を経験していないお前には分からないだろう」という言葉に裏返ってくる。すばらしい。
KOUSAKU Abe: なるほどなるほど。
小山内 豊: そうした父子の断絶の部分を動物園での会話に落とし込んだということですか。
イコぴょん: 動物園の部分は、もう少し考えてみたいです
小山内 豊: 尊さと卑しさはテーマであって、モチーフではない、というのが気になります。
KOUSAKU Abe: 動物園に資生堂パーラーというのは戦後の記号って感じもしますね。
イコぴょん: うん、戦後らしいアイテムですね>動物園
KOUSAKU Abe: なるほど >小山内さん
小山内 豊: 尊卑を従えた傷痍軍人が出てきたらそれでいいとは言えないと思います。
KOUSAKU Abe: 厳密には分けられるとは思いませんが、言わんとすることは判る気もします。
イコぴょん: まだ戦争から解放されきらない、戦後の闇のようなものが見えます>頸の骨を折って~
[2012/06/16 23:11:28] KOUSAKU Abe: なんか結構「怖い」話がちりばめられながらも、戦後ということで違和感なく世界に融け込めてますよね。なんか、あんまり考えずに楽しみたいと思ってしまいました。
イコぴょん: ゴリラショーの華々しさによって、日本人は平和を感じた。けれども、ショーは不本意な形で終わりを迎える。父親は、飼育員が死んだということに、何かしらの不穏さを感じずにはいられないのではないでしょうか。「死」に敏感とでもいいましょうか。
小山内 豊: はい。戦後しばらくして復興が本格的になっているころの家族の一日としては、父親のキャラクターといい味わい深いです。
イコぴょん: はい、怖いんですよね。怖いといえば、「フラミンゴのように~」のくだりが最高にうまいと思います。>安部さん
KOUSAKU Abe: ホントです。 >小山内さん >イコぴょんさん
小山内 豊: 豪傑が巷にあふれていたころの荒々しくぞんざいな雰囲気が伝わってきますね。
KOUSAKU Abe: ええ、ゴリラと結びつきます。 警察に眼を付けられていると言うのは、少し含みがありますよね。でも、中身がなくても面白い。
小山内 豊: 母親も「強い女」いぜんのキャラクターですよね。
KOUSAKU Abe: なんか、只管不穏、胡散臭さが付きまとってる。戦後って感じ。
KOUSAKU Abe: そうですね、
KOUSAKU Abe: >小山内さん
イコぴょん: モチーフかー、この作品では、傷痍軍人というアイテムを「時代」の雰囲気まで拡大させることに成功しているし、父親自体も、警察に追われている(負のイメージを背負っている)から、尊さ、卑しさと、十分に結び付くと思うんですよね
小山内 豊: 時代をかんがえたなら、傷痍軍人に尊卑がつきまとうのはそのとおりなんだと思う。
小山内 豊: しかし、やはりそれはモチーフだと思う。
小野寺: 騙っておられるのが3人なので30分くらいでいいかもしれないですね
小山内 豊: 刺青の男とか机の上の古い銃とか、モチーフであっても、そのままではテーマではない。
小野寺: 語って
小野寺: かなり濃厚に思います
KOUSAKU Abe: 内面は煙に巻かれた感じがします。でも
KOUSAKU Abe: それがこの時代と言えばそうですよね。
小山内 豊: それはそうなんですよね>安部さん
イコぴょん: そのままなら確かにモチーフですが、これはそのままではないと思います。尊さと卑しさの価値転倒が起きていた時代なのです。
KOUSAKU Abe: 多分尊卑も、煙に巻かれ続けている。それは現代まで延長しています。主人公の受ける、父親からの投げやりな「胡散臭い」対応とか。
小山内 豊: 父親の話としてそうなっているわけですが、それがどうしても物足りないと思わせるのです。
イコぴょん: そうですね、現代まで通じるものがあると思います。
イコぴょん: たしかに、もっと父親の戦争経験者としての背景が描かれてもいいですね。
小山内 豊: 他のエピソードに比して、テーマ小説といえるかどうかという。
小山内 豊: 他が面白いだけに。
イコぴょん: 『明るかった混雑した車内は、急に真っ暗になった。』
関係ないけど、この一文目も、何気にうまいな……。
KOUSAKU Abe: テーマ小説として見るには、少し難しいのかも知れません。ですが、尊卑というのが常に胡散臭い者に限って考えられるもの、つまり自明のものには尊卑を考えないという思考の習慣を我々は持っていて、そうした思考の習慣(一つの価値観)の転換があった戦後、胡散臭くなってしまった尊卑はそのまま現代まで延びていて、「胡散臭い」と尊卑が切り離せないという視点からすれば、テーマをしっかり捉えているような。
小山内 豊: 尊卑に対する距離感の原点ということですね。
小山内 豊: それは面白い。
KOUSAKU Abe: 尊卑は二項対立で捉えられるものではありますが、煙に巻かれた感はありますよね、いつも、その価値判断の二項対立って。
そうだと思います。 >小山内さん
小山内 豊: なるほど。
小山内 豊: それが意図したところだとすると、かなりざっくばらんな筋立てにおもいますが、それは三人称にこだわったからそうなのかもしれない。うーむ…
イコぴょん: 原点、というか、それがよくあらわれた時代なんだと。
KOUSAKU Abe: そうですね。 >イコぴょんさん
小山内 豊: いやー、現代まで通じるとなると、時系列を考えて戦後の尊卑の原点ということになると思います。
KOUSAKU Abe: うーん、確かに。
小山内 豊: それを主張するならばですけど。
KOUSAKU Abe: 「点」というのは、どこでも原点になりうるという感じですかね。
イコぴょん: 戦後20年が原点、ではないと思います
小山内 豊: 後醍醐天皇とか言い出したらね…
イコぴょん: 胡散臭さ、価値転倒、でいえば、玉音放送以後、すでにあらわれていたものだと思う
KOUSAKU Abe: 尊卑の胡散臭さというのは、普遍的ですね。法なんてものがうまれた時点で。。。
小野寺: ええ、自分としてははじめ傷痍軍人を伏線とラストで出す予定だったのです
小野寺: それが伏線がないためにひとつのエピソードになってしまいました
小野寺: それから小山内さんの言われるように尊卑ではこの作品は卑しさしか念頭にないです
小野寺: というのは片方でもいいということだったので(笑)
KOUSAKU Abe: なるほど
小山内 豊: 卑しさしか、って指摘は他の方かな?
イコぴょん: 尊さも扱っていると感じたけれどw
小野寺: いえ特集のテーマに沿っていないという点で
小野寺: それはあまり自覚的ではないです
イコぴょん: 尊さも自覚的に扱っていた方が、幅が出ていいと思うなあ
小山内 豊: うんうん。私も感想では尊さから卑しさへの転化と書いています。慎二が傷痍軍人に尊さを見たというのはありますよね。
小野寺: でも傷痍軍人たちは紛れもなく詐欺的な人たちなんで(笑)
小山内 豊: それもそうなんだけども。
KOUSAKU Abe: そうですよね(笑)
小野寺: 年齢的に戦争に行っていた筈はないんです
小野寺: 父親は小学生だった
イコぴょん: 「尊ばれるべきだ」っていうイメージを利用する「卑しさ」ですよね
KOUSAKU Abe: アナクロニズムのようなグロテスクを傷痍軍人が象徴していますよね。
小野寺: そうですね。嫌がらせみたいなものです
小山内 豊: それが張子で、何にも受け止められない尊さでも、いちおうそうしたものは読めましたね。
小野寺: それにしてもみなさんの読みは驚くべきものがあります
KOUSAKU Abe: 戦後を舞台にした小説には「時代錯誤」ならぬ「時代錯綜」が描かれるべきですね。たしかに。そしてそれはやっぱりいまでもそうで(笑)
卑しさばかりが付きまとう時代ではあります。如何なる善も、偽善として唾棄されてしまいますからね。腹立たしいですが。
イコぴょん: 偽善かー、そうですよね。
KOUSAKU Abe: 圧倒的に卑しさの方から尊さが規定されていると思います。
小山内 豊: 経済的な意図の早熟的暴露というのもあります。昔は田中角栄みたいに、脚光を浴びていられる時間は長かった。いまは、すごく短い。
KOUSAKU Abe: そうですね。経済がここまで者を言うと、それしか目的がないかと思われます。本気でそれ以外の目的を持つと、「お前は気が変だな」って(笑) それこそ本物の傷痍軍人になってしまうわけです。
小野寺: まさに胡散臭さが描きたかったわけです
小山内 豊: うんうん、みんな厳しくて、マザー・テレサぐらい人生を投げ出さないと、誰も認めない。
KOUSAKU Abe: 小野寺さん、天晴れだったと思います。
小野寺: いえいえありがとうございます
イコぴょん: うん、二読して、この作品の魅力に気付きました。
小野寺: やっとツイ文で一矢報いましたか(笑)
小山内 豊: このおとうちゃんは魅力的なキャラクターですね!
KOUSAKU Abe: それにしても光化学スモッグが凄そうな小説でした(笑)
イコぴょん: そりゃあもう、報いたんじゃないでしょうかw
小野寺: カヅヤさんの子供が父と対立しないというのがなるほどと思いました
イコぴょん: ああ、なんか時代の空気をとらえてますよね、小野寺さんならでは。
小野寺: そうそうあのころ光化学スモッグひどかった。眼が痛くなりました。安部さん
小山内 豊: うんうん、私は戦後の時代なんてかけませんね。
イコぴょん: 小山内さん、とうちゃん、いいっすよね。かあちゃんももっと書いてほしいけど。
小山内 豊: とうちゃんってかんじですね^^
小野寺: 感じますか?
KOUSAKU Abe: 小山内さんが、現代的、且つ二項対立的にもとれる、ある種清らかな作品を書かれたのに対し、小野寺さんは戦後、その対立の胡散臭さを描いて、埃っぽい(良い意味でです)作品を書かれましたね。緑川さんは、距離感のある、しかしある種の重力によって、描いた不思議な作品だったと思います。簡単にまとめると。
イコぴょん: まとまったww
小野寺: まとめありがとうございます
KOUSAKU Abe: いえ、勝手にまとめてしまいました
小野寺: では、終了ですね
小野寺: お疲れ様でした
イコぴょん: あれ、牧村さんのは?
小野寺: 小山内さんなら書けますよ
小山内 豊: はい、次は牧村さんの「離れ、交わる」ですね。
小山内 豊: いや、江戸から昭和なかばまでは、いまからでは無理です。
小野寺: いえ、かなりいい線いってたなあ
小野寺: イコさんは何で戦後について語れるのか不思議だあ
イコぴょん: wwww
イコぴょん: 印象すよ印象
イコぴょん: テキトーw
小野寺: それ以上に安部さんが不思議かも
イコぴょん: でもあれです、戦後文学好きだから、空気感は分かりますよ
KOUSAKU Abe: ああ。。そうですそうです。イコぴょんさんと一緒。
小山内 豊: 第二次世界大戦書いたかたがいたみたいですが、やっぱり「何で知りもしない奴が?」って言われてましたね。それだけ見たんですけど。
小山内 豊: あ、太平洋戦争か。
イコぴょん: 奥泉光は「石の来歴」で戦争書いてますけど、あれも想像だしな。うん、いいですよね、知らなくたって。
小野寺: 戦争は実は語れる人ってほとんどいないはずですよね
小野寺: 戦闘したら死ぬから
小山内 豊: 知っているいないよりも、いまそれを持ち出す理由なのかな。なにかこう据えかねるのは。
イコぴょん: あー、なるほど。
KOUSAKU Abe: アゴタ・クリストフの作品は戦争を知っているからこそ書けますが、ひっくり返して、戦争中なのに戦争を知らない作品が書けそうだとも思いました。どこをどうひっくり返したのか判りませんが。
小山内 豊: 歴史小説といいかねる微妙な時期だし。
イコぴょん: 経験者からすれば、未経験者に語られたくない思いはあるんでしょうね、それこそ、この作品の父親のように。
小山内 豊: アゴタ・クリストフは戯曲だけ持っているんですよね。んで、twitterでは黙ってしまう^^
KOUSAKU Abe: ええ。それはあると思います。俺の気持ちは、俺の記憶ともにあるんだってね。
小野寺: いま、戦争について語る価値は実はあるんですよ
KOUSAKU Abe: 戯曲! また読んでみたいですね、まだクリストフは悪童日記しか読んでません。
KOUSAKU Abe: というのも!? >小野寺さん
小野寺: 実際に戦争に行った人は90代になって真実を語り始めているからです
KOUSAKU Abe: なるほど。
KOUSAKU Abe: 重荷を振り払った感じがしますね、時間に迫られて。
小野寺: ええ
イコぴょん: なるほどー
イコぴょん: 南京大虐殺について語った映画があったなー、そういえば
小野寺: もう天皇が孫くらいになったら天皇制もどうでもいい
小山内 豊: うちの祖父はあまり語らないですね。空軍にいたというはなしだけど、疑ってしまうくらい何も言わない。
KOUSAKU Abe: 戦争に行った人に限らず、(こういうと申し訳ないけれども)死に際というのは、真実が出てきてしまいますね。それが、見えるべきものか、隠されているべきかはともかくとして。
神崎: (まだやってらっしゃるのかな?帰宅してシャワー浴びてきました)
小山内 豊: こんばんは!
KOUSAKU Abe: こんばんはー
イコぴょん: ここにきて神崎さんきたw
小野寺: では牧村さんいきます
KOUSAKU Abe: はい
小山内 豊: 尊さについて作者なりの文芸を試みている。ただし、それが読者として伝わってきたかといわれれば、そうでもない。根性焼きするのが儀式であり、それが彼女にとって昇華させられるもので、「僕」にはコストであるというその文脈がのみこめないのだ。全体的に、「僕」の語り口は落ち着いていて異常性も感じられず、彼女もあわてた様子はない(むしろ感動している)。二人がここに至った経緯がないことで、置いてきぼりにされているのかもしれない。
小野寺: •離れ、交わる
神崎: 今は牧村さんの作品ですか。ログ見ますね
イコぴょん: 離れ、交わる/牧村拓
【率直に】
・好きではない。
・面白く読めなかった。
【評価の視点】
①文章:統一感がある。作者のこだわりがうかがえる。
②テーマ:「尊さと卑しさ」が伝わらない。読者を想定していない。
③比喩:作品を詩的世界に押し上げる比喩がいくつか見られる。
【改善点】
①枚数:規定上限は20枚である。あと12枚を使って、さらにこのイメージの世界を積み重ねては。現時点では何もかもぼやけている。
②他者性:この作品には他者がいない。それ自体は良いのだが、ならば物語る登場人物自身を、読者にとって納得のできる「他者」にすべきではないか。
イコぴょん: そうです、4作品目>神崎さん
神崎:
<<< 離れ、交わる 牧村 拓
刺青的効果として、根性焼きのような行為をしているのか?うむ。よくわからない。しかし、紫煙で曇った、部屋を想像した。僕はこの作品について語る言葉を持ち合わせていません。
KOUSAKU Abe: 「性と聖」的なことも考えたが、それにしては、すこし浮遊感があり過ぎると言うか、曖昧というか、判りにくいと思いました。
KOUSAKU Abe: 両者の間にある暴力ということを含め
KOUSAKU Abe: 捧げると言う行為の意味というか。
小野寺:
女性との関係に於いて痕跡をとどめたいという一途な欲望の表現である。入れ墨という手法もあるかもしれないが作中人物は煙草を押し付けるという方法を選択する。心情としてわからなくもないがそれを受け入れるような女性ならばそこまでする必要があるのかとも思う。以前にスカイプでも話したがこの男女の背景も書くともっとずっと面白くなるのではないかと思う。ただ文章的にはわかりやすく読みやすく好感が持てた。
KOUSAKU Abe: ああ、男性的なナルシズムを感じたのはここに書いておきます。
カヅヤ:
<<< 「離れ、交わる」牧村さん
好きか嫌いかで言うと、苦手な作品でした。
いい悪いの判断はできないので、なぜ苦手なのか、を感想として書きます。(完全に好みの話です。)
自傷ネタ、傷ネタに対する抵抗はないのですが、なぜかこれは苦手。
おそらく、視点が「傷をつける側」の「男」にあるからかもしれません。
これが、「傷つけられる側の女」視点、あるいは「傷つけられる男」「傷つける女」といった視点だったら、すんなり読めたかも?と思いました。
男の理屈っぽさが苦手。
女の言葉の、空疎さが苦手。
でも逆に、男目線にすることで、女の真意は隠される。
女の台詞、「手向け」と言っているが、それは本心か? 本心は別にあって、腹の底では男の理屈を嘲笑っているんじゃないのか?と邪推してしまう。
それを「魅力」と読むこともできるのですが、男を介した女の像を読みながら、「お前そう言うけど女の本心わかんねーから!」という気持ちが上回ってしまい…。それはそれでいいのだろうとも頭では思うのですが!感覚的には、苦手でした。
KOUSAKU Abe: 芦尾さんの苦手の理由が判りますね
イコぴょん: 自分も感じました。>ナルシシズム
KOUSAKU Abe: どちらの視点ではなく、どちらの思惑かが一方的だったと思います。
小野寺: これ女性がぜんぜん描かれていないですね
イコぴょん: 妄想の世界の女性なんじゃないかと
KOUSAKU Abe: はっきり言いますと、童貞的。
小野寺: そう思うとさらにがっかりします
小野寺: 訂正24:40分
イコぴょん: 自分もこの作品は、好きじゃないなー。どこを楽しんで読めばいいのか分からない。楽しませる作品じゃないとしても、この人物に対して「説得力」を感じない。
小山内 豊: ちょっと、距離を置いて考えると、他人を傷つける行為を落ち着いて続ける主人公が、案外冷静でいるtことに、読者は反感をかんじて、否定的な見解を抱いてしまうのかもしれない。
KOUSAKU Abe: というか、女性が何も言わないところですかね。
イコぴょん: そうですね、気取っていて、反感をもたれやすい感じの主人公です
イコぴょん: それならそれでいいんだけども、引っかかりが見当たらないんだよなあ
小野寺: 文章としては悪くないから評価するんですけどね
小山内 豊: そういう「僕」をえがきだしたんだとして、わたしにはやはり脈絡の弱さ、散漫さが気になります。
イコぴょん: 小野寺さんが、分かりやすく読みやすかったと述べておられたけれども、後半、文章から離れていく自分がいました。
小山内 豊: 神話でも下敷きになっていればまだ理解できたんですけど。
小野寺: このメッセージは削除されました
KOUSAKU Abe: 僕は申し訳ないけれど、初めから何を言っているのか判らない文章でした。
小野寺: 一気に読めました
小野寺: 自分の中にマッキ―に共鳴する部分もあります
イコぴょん: たしかに神話があれば……というのは、るさんの「きれいな詩」を思い出します。あれも一種ナルシシズムな男性的妄想の話でしたが、神話を絡めていたので、読み解きの鍵、引っかかりはあったのです
小野寺: 女性憎悪みたいなものは感じませんでしたか?
KOUSAKU Abe: 憎悪というか。。。軽蔑
イコぴょん: でも牧村さんの作品に、神話を重ねるのも、なんか違う感じがするんですよね……かれはたとえば中上健次のような作家にはなりえないだろうし。
神崎: 根性焼きに遊女が思い人の刺青を入れることが思い至りました。自分の物にしたと言いうか、そんな体じゃ誰も相手しないからお前は俺のオナホだ。のような。
小山内 豊: 熊野集でしたっけ。ナルシズムと詩的な文体が読者置いてきぼり感を助長したのは間違いないですね。
KOUSAKU Abe: あと、温いです。文章の温度が温いです。
イコぴょん: 温い、というのは否定的文脈ですか?
KOUSAKU Abe: 「ぬるい」は、はい、否定的です
KOUSAKU Abe: 語られる内容も。。。ぬるいです。
小山内 豊: 女性のほうは感動してますけどね>神崎さん
神崎: だrからわけがわからない>小山内さん
イコぴょん: 文章も内容も、研ぎ澄まされたぬるさを、あらわしてほしいです
イコぴょん: 読者を、迷妄の温水に引きずり込んで浮上させないような、居心地の悪い作品にしてほしい
イコぴょん: 今のままじゃ、足をつける前に、出てしまう感じです
小山内 豊: それには視点となる人物を突き放して書く必要があると思うのですがいかがでしょう。詩性はせいげんされるけども。
イコぴょん: 客観的に見る、ということですね。大事だと思います
小山内 豊: はい。
*** イコぴょんが6を追加しました ***
小山内 豊: ナルシズムが客体化されていないのは、ちょっとハルキ的な臭さを感じてしまいます。
6: こんばんはー!
KOUSAKU Abe: 主人公は童貞かEDなんですかね。。。
ちょっと判らないですが。。。
春樹もEDなんですかね。。。
KOUSAKU Abe: こんばんはー
小山内 豊: こんばんは!
イコぴょん: ただこの作品では、そうせずとも、ひたすらこの人物の内面を描きまくる、ということができると思います。そうすれば自然とこの人物が、読者にとっての確立された「他者」になっていくのです。
KOUSAKU Abe: 内面を描こうとしているけど、内面の流れが描けていないと思います。
小山内 豊: 客体化しないで、私たちが感じたような根本的な反感を読者に持たせなくすることは可能でしょうか。
イコぴょん: 8枚では、もうまったく描けていないのです
イコぴょん: うーん、どうですかねー。この男の行動に、説得力が出れば。
KOUSAKU Abe: いわゆる草食系のチャラい学生が、オカマみたいな服装しているのと非常に被ります。
イコぴょん: なんでこの人気取ってるの? っていう
イコぴょん: そこが納得できれば、あるいは。
KOUSAKU Abe: わかります!>イコぴょんさん
小山内 豊: 人物の行動の意味をどうにかして説明したなら、それはもう客観視できているんだと思います。それならお話としてよめる気がしますね。
神崎: (春樹てきとはおもった)
KOUSAKU Abe: そうですね 確かに >小山内さん
KOUSAKU Abe: ナルシズムはしかし、根拠も説明もないのかもしれません。
そうなると、それはそれでよく描けているのかもしれません。あとは好悪の問題で。
イコぴょん: 客観視できていなくても、その書き手に、強い意思や人間があれば、それを文にあらわすのは可能だと思います。しかし、それは、ごく限られた少数なのです。
イコぴょん: そういう書き手の作品は、説明なんかしなくても、感性が、納得させる。
小山内 豊: そういう意見は理解できます。
KOUSAKU Abe: ただ、僕は皮膚が爛れる感じが、現実と融けて、ナルシズムの世界へ没頭する「女性」という側面もあるのかとも思いました。
KOUSAKU Abe: 判らないですけれど。
KOUSAKU Abe: ですから、そうなると、なにも理解し合えない男と女が、お互いすらも怯えている、という感じですか。うーん、ちょっと判りにくいですが、そういう「離れ、交わる」関係を維持しているのかなとも。
イコぴょん: くー、難しい作品だ
イコぴょん: とばかり言ってもいられないのでちょっと頑張ろう、よし。
小山内 豊: うーん。刹那的な時間を書き出している印象が強すぎて、側面をみることが難しいです。
KOUSAKU Abe: 冒頭に出て来る「なにか」というのは、es(無意識)って感じがしますね。この曖昧さと、「言わなさ」が、刹那的だよ、今じゃないよ、って言っている感じがします。
イコぴょん: 牧村さんは暗喩が好きですからね、煙草を押し付けることを、そのままとらえるのではなくて、何かの象徴ととらえるなら、理解の糸口は見えるだろう
KOUSAKU Abe:
<<< 現実と融けて、ナルシズムの世界へこれは感じますね。自分の世界がじんわりと溶けて行って、境界線があいまいになっている小説(?)だと思いました。
KOUSAKU Abe: 煙草を押し付けるのは「キス」ですよね。愛情表現というか。
イコぴょん: 愛するということは、人を傷つけるってことなんだ、という認識なんでしょうか
KOUSAKU Abe: だから内面的な感覚、あるいは内のもの(血とか)がよく書かれるのですかね。 >6さん
6: 牧村さんは(テキトーな思いつきだけど)他者が不在であることそのものをいつも描こうとしている気がするなぁ。「不在」という存在感みたいな。
イコぴょん: 『I』の文字が浮かび上がるのは、より象徴的だな。「私」という自我が君に押しつけられた痕跡かな
小山内 豊: すくなくとも所有のためという印象は受けなかったです。>イコさん
KOUSAKU Abe:
<<< だから内面的な感覚、あるいは内のもの(血とか)がよく書かれるのですかね。 >6さんそこんとこkwsk頼みます。ちょっとわからない・・・
イコぴょん: 不在という存在感……んー、わかるようなわからないような。詳しくお願いしたいです。
KOUSAKU Abe: つまり、現実と私が融け合うと言うのは、「外」が「内」に陥入してくるのと、「内」が「外」に流出する二つがあると思うのですが、
KOUSAKU Abe: 皮膚が爛れるのは、陥入、血が出るのは流出って感じで。
KOUSAKU Abe: だと思いました。
KOUSAKU Abe: そして内面の感覚も、外へ投影されてしまうのかなと。外の投影としての感覚ではなく。
6: いつも、彼女がここにいないこと嘆いているようなtweetをみていて。さらに言えば、この作品も彼女が目の前にいるようだけど、それらしさがまったく感じられない。ある男の一人語りを気がするんですよ。それを一貫していつもしているような気がしていて、「ここにいないこと」そのものをこのひとは描きたいのかなと考えました。>イコさん
6: なるほど血は境界線を侵し、にじませ、よごすものなのですね>あべさん
KOUSAKU Abe: 滲むと言うか、流れ出ちゃうんですよね。繋げるわけじゃなくて、移っちゃう。
イコぴょん: なるほど、よくわかりました。妄想独演会ですよね、牧村さんの文章。>6さん
6: 移っちゃうのかぁ>なるほど。
6: この小説の小説らしくないところってだれか話されましたか?
イコぴょん: 話していませんね
6: なんか小説のように読めない気がするのですが、僕だけかな。。詩に近いような。。
イコぴょん: あ、詩的だというのは、自分の感想にも書きました
KOUSAKU Abe: ただ、詩としては読みたくない感じはします。あくまで小説として読みたいです。
6: ああ、そうなんだー、安部さんが小説として読みたいゆえんは聞いてもいいですか。
KOUSAKU Abe: 詩に近い、詩的、というのは判るんです。
KOUSAKU Abe: ですが、
KOUSAKU Abe: 何というか、イメージの転換と断絶が、明確じゃなくて曖昧で、散文的に読まないと寧ろ比喩が判りにくいって言うのもあって。
KOUSAKU Abe: 比喩が比喩としての世界を構築しないで、文脈における機能をのみ付与されているかなと思いました。
6: 比喩が比喩としてというのはそうですね。なんだか深くうなづけます。
6: この作品に置いて、なんだか僕の中ではやはり「曖昧さ」というものが
6: どうしても気になってしまいます。
KOUSAKU Abe: ええ、僕も気になります。
6: 僕は逆にこれを小説として読みたくないのかもしれない。
KOUSAKU Abe: なるほど
6: 僕の勝手なイメージなのですが、小説は既にある世界に自身が没入していく媒体であるようなきがするんですよ。
6: それに比して、詩の方は世界を自分で代わりに建てかえることができる。
小山内 豊: 近いイメージを持っています。
イコぴょん: 興味深いっす
小野寺: では40分になりましたのでそろそろまとめにしたいと思います
6: その何か未知のものへ向かってゆくような歩み(=小説性)を僕の中では感じられなかったのです。そして世界を代象(こんなことばはないけど)するような企みがあるような気がしていて
KOUSAKU Abe: 家の中から外の様子をび描写するのが詩で、家の外から中を覗くのが小説、という対立は、専ら在るかもしれません。
イコぴょん: おもしろい言い方だなあー
6: そのたとえも詳しく聴きたいところですが時間かな
小山内 豊: とはいえ詩性のない小説というのも読めたものではない。
6: そうでしょうか。。
KOUSAKU Abe: 6さんの言っていたことと大体当てはまるような気はしますね、今のたとえ >6さん
小山内 豊: どこか芸術といえる部分は必要だと考えます。
KOUSAKU Abe: そうですね、仰るとおりです、小山内さん
6: 芸術性に逃げちゃダメな気がするんです(僕の勝手な方針ですが)
イコぴょん: これこっから盛り上がる話題ですねw
KOUSAKU Abe: 二つの車輪ですかね、、、
小山内 豊: 芸術に染まりきっても読めたものではないです。バランスですね。
KOUSAKU Abe: 車輪の下には、そして世界が、、、なんて。
イコぴょん: 小説と詩、芸術、語りたいけど疲れた―ww
6: バランスたしかに大事!
小山内 豊: 同じくねむい……
小野寺: では牧村さんいったん終了にしませんか?
<<< ●「弓返り」について
余談からはじめよう。
小説には未知性と既知性がある。
この2つを使い大まかにわけてしまうと
① 既知のものを未知に描くこと
(普段見慣れたことが小説を通すことで、異様なふうに見える)
② 未知のものを未知に描くこと
(読者が知らない世界を、その世界特有の文法で描くこと)
③ 未知のものを既知に描くこと
(未知の世界を「千年後の世界も、恋や愛は大事」と言うような既知の感性で読めるもの)
④ 既知のものを既知に描くこと
(よく知っている世界を、ありふれた書き方で書くこと)
このうち、小説における成功例としてはほぼ①、②しかないだろう。
③、④は決して小説でなくてもできるし、むしろ映像や漫画の方が向いているのかもしれない。(ただし④を徹底して中原昌也の初期作品のように既知性を貫いた良作もあると思う)
そしてこの「弓返り」という作品は僕の中では③にあたる。
「歌合わせ」において鮮やかな筆つきを魅せてくれた作者の作品とは思えず断固として批判したいと思った。弓道部というある意味、特殊な場所を丹念に描きながら結局は人間関係の問題にこの作品が回収されていくくだりが何とも歯がゆかった。
細部の弓に関する知識は面白かった(やや衒学的なように見えるが)。弓を打つ場面も丁寧に描かれていて良かっただけに惜しい。
内容に引き寄せて言えばこの小説自身が木藤の弓の腕前に比例しているように見える。
前半なった緊張と気負いが、五十川の登場から両者がなくなり、変に生真面目な小説となってしまった。
「歌合わせ」においても、この作者は書く内容と書き方が相関するようなところがあった。しかしそれが今作においては、だめなところで相関しあっているような気がするのだ。
作者に問いたいこととしては、小説の魅力とは何かをもっと真剣に考えてほしいと思った。偉そうな意見かもしれないが、このような書き方をしていてこれを面白いというような人はまだまだ小説のさまざまな表情に気づけていない気がする。あまりにも一面的なところで勝負をしかけただけに思う。
小山内 豊: 作者としてお答えします。まず、6さんが問いたいとおっしゃっている「小説の魅力とは何かをもっと真剣に考えて欲しい」という点。これはワナビーでも文芸を志していたなら、意識しなければならないと思う。それを前提にお答えするのだけど、小説の魅力とは、という点については、私はいつも考えています。そのうえでいろいろ考えてこの作品も書きました。私の創作上の熱意というのは、文学のための文学を書くことにはないです。現代人の実存を書いて、その内容からちょっと自分とその周囲を「よく」したいというところにあります。そういう意味においては前作はお話の内容に比して、文体がおふざけに近かったと感じています。小説を書かない人、機会があれば、たとえば移動中にキヨスクで買った短編集などを詠むだけの人、そうした人に技巧的な文体、文学的な試みというのは無価値だと思います。新しかろうと文学的であろうとなんであろうと単に表現上の技巧に走っているというのは私の目指すところではありません。実存を問うて、自身を省察するような、心に踏み入っていける作品を書きたい。それは実は、同じように小説を書いている人にとっては、単に通俗なドラマで退屈な作品かもしれないです。6さんとは違うかもしれませんが、それが私の考える小説の魅力です。尊さと卑しさが渾然一体となっていて、病を得たなら昇華され神聖を獲得する、そんなイメージで書き出した『弓返り』は、そこまでの鋭さを籠められなかったわけですが、この作品を書いたことで学んだことは大きかったと思います。次の作品を読んでいただけると幸いです。6さんの次回作も期待しています。..
6: 真摯に解答していただき、ありがとうございます。そのお言葉が聞けて本当に良かったと思います。勇気を出して、お聞きした甲斐がありました。それに比して僕はずっと文学のための文学を志向してきたところがありましたが、そういうふうにはっきりとおっしゃってもらうことにより、僕自身も自分の道をしっかり歩いて行こうと言う気持ちが芽生えてきました。次回作、めっちゃ期待しています!