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第1回作品紹介

 

 

 

 

新年1発目のツイッター文芸部のイベントということで終始穏やかな中で盛り上がることができました。

 

第1回作品紹介は1月15日にもはや定番となるSkypeのグループチャットを使われて実施されました。

 

 

紹介者が好きな作品を紹介することで、部員同士がこれまで知らなかった世界観の作品を知ることができて見解も広がる会でした。

 

 

各著者に確認を取り、紹介者の意向をくみ取りながらまとめました。

見やすさや分かりやすさを考慮しつつ雰囲気を損なわないように載せてみたので、良かったらご覧ください。
(もちろん、作品を紹介しておりますのでネタバレしています)

 

 

 

紹介者・および紹介した作品と著者(紹介された順番)

 

・プミシール 「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグ
・イコ    「夏の流れ」丸山健二
・緋雪    「永遠の詩シリーズ5 石垣りん」石垣りん
・だいぽむ  「花のノートルダム」ジャン・ジュネ

 

参加者 プミシール・イコ・緋雪・だいぽむ(計4人)

 

 

 

◆【Skypeログ】

カットしている部分もありますが、こちらから各作品のログに飛べますので、
見て雰囲気を感じてください。Skypeでの話の雰囲気も感じて頂きたいので作品の話によって、あまり綺麗ではない話も出てきますので、不快に感じた方はそのまま真っすぐスルーなさってください。

 

こちらから飛べます。

 


作品紹介


「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグ  紹介者プミシール

レジュメはこちら

 

 

プイグはアルゼンチンの作家だが、紹介作品の「蜘蛛女のキス」はラテンアメリカ文学の特徴のひとつである土俗的な面のない小説である。


技巧的な手法で小説を描き、内容ともマッチしていてスマートな印象。
この小説は冒頭部分の対話文を始めとし、大部分が二人の人物の会話で構成されている。

 

会話だけで物語を進めていく(地の文=描写、がない)ことにもメリットがあると紹介者は語る。


まず、物語の明確な語り手がいなくなる。それは読者と各登場人物それぞれとの距離を等しくする(優劣を消す)意味合いをもつ。読者の視点が特定の人物に偏らないで、読み進めることができる。


また、描写がないことで読む流れを止めない点も挙げられる。描写が省かれることによって、読者に対して物語がストレートに伝わってくる。
そして、語り手がいない場合には、読者は登場人物の会話を、盗み聞きするような感じを受けることになる。

ここで、参加者から小説内の会話は説明的すぎないか、本来の会話は(盗み聞きをする者にとっては)もっと不親切であるとの意見が出る。


紹介者は、その通りだが、指摘された部分はただの会話場面ではなく、牢屋で一人の囚人がもう一人の囚人に対し説明をしている場面なのだと答える。
囚人である二人の主人公は

 

①モリーナは37歳。ホモの男性。少年への性的いたずらで8年の懲役。映画が大好き。
②バレンティン26歳。男性。政府転覆を狙う過激派のメンバー。政治犯
である。

 

夜も満足に眠れないような過酷な状況の牢屋の中で、①モリーナは②バレンティンに好きな映画の話を説明する。小説はこの展開で映画の話が6本続いていく。
語り手がいない台詞だけの展開が、映画を思わせる小説、と紹介者は語る。

紹介者は、小説内での映画の語られ方の特徴を挙げる。


①ロマンティックなモリーナは生き生きと映画を語る。それに対し
②バレンティンは現実的で映画の行動を心理学的に例える


など、二人の映画の内容に対しての対話が登場人物の心情・環境とシンクロする。また、本文に太字で表わされる部分がある。
その部分は登場人物が自分の脳内で映画を思い出しているところを表していて、心理描写の代わりに書かれている。

 

 

紹介者は更に作品の特徴を述べる。

小説には台詞以外の文章も混在している。
会話の文章の上に「看守」「被告人」とあり、会話が簡素で冷たく続いていく、映画の脚本のように書かれた部分。囚人同士のパーソナルな会話と対照的なオフィシャルな会話。


会話の相手が違う人物なら、話したときの「あたたかみ」が人によって違うことも人間らしさと言えるだろう。そのあたたかみの「差」をつけるためにこのような形式を用いたのだろうと紹介者は言う。

また、小説内にはある被告人を見張っている警官の提出したレポートという形式の長い文章が出てくる。
この部分が冷徹に書かれている理由は、文章への過度なカタルシスを避けるためと紹介者は語る。

 

 

更に小説内には、様々な台詞の部分の何箇所かに※(注)がある。
後ろのページに注の説明があるが、読むのと読まないのとでは小説の印象が変化する可能性がある。

この台詞だけの小説は、様々な文章をコラージュすることにより豊かな小説世界を作りだしている。映画的であるが、更に小説的な小説であると紹介者は言葉をしめている。

 

紹介者は引用文を用いながら説明したが、各引用部分の先には、それぞれ非常に重要な部分が書かれている、と意味深に紹介者は答えた。
そして、実際に手に取ってほしいという作者の意思を述べた。

 

 

変化を楽しむことができるように、さまざまな角度から読める小説の内容は手に取った貴方が確かめてみるのも悪くないだろう。

 

 


「夏の流れ」丸山健二  紹介者イコ

レジュメはこちら 

 

芥川賞を23歳0か月で受賞した丸山健二。


著者の作品の多くは求龍堂より近年復刊されている。紹介者は初期作品を高く評価している。


第56回の芥川賞の選評を見ると、若さを買っている意見が多い。その反面、青年作家にしては冒険が少ないということも言われている。
しかし紹介者は、この作品には文学な言葉の連なりや問題提起がある。そして問題を深めるためのテクニックがあると述べる。


「夏の流れ」は講談社文芸文庫版にして80ページほどの作品で、文体が歯切れよく、会話が多用されているため、読みやすいと感じる読者は多いはずである。

 

 

話題は作品の内容に入っていく。

 

あらすじ
登場人物で囚人の監視をしている刑務官である「私」。
3人目の子供がもうすぐ生まれる。
子供が生まれることもあって、臨時収入の出る死刑を担当したいとぼんやり思ったりする。
「私」はその後、何度目かの死刑を担当することになる。

 

あらすじは簡潔だが、この作品にはさまざまな要素が盛り込まれている。
会話が多いためリーダビリティが高く、世界観もくみ取りやすいはずである。題材は死刑制度を取り扱ったものとあって、重たいはずなのだが、「夏の流れ」というタイトルはそのようなことを想起させない。いかにも異質なものとして映る。

 


なぜこのようなタイトルになったのか。

 

作品導入部分で「私」は妻と会話する。

妻は新たな命を身ごもりながら、人間を殺した人間は人間じゃないと言う。殺人者が子供を手にかけたことが妻にそのような考え方をもたせた一因になっていると読める。また「私」はそれに対し「人間さ」と答える。問題提起がなされ、立場の違いが浮き彫りになる。しかし「私」は囚人を監視しながら、死刑をすることで得られる臨時収入のことを考えているのである。

 

 

ここから紹介者は参加者へ死刑制度への賛否を聞きながら、話を続ける。
そして小説を深くするためには、問いを立てながら、考えの違う人間を配置することが重要だと述べる。

死刑制度に対して異なる見解の刑務官が3人登場する。


①私 後の2人とは違う見解で複雑な人物。職務に対し肯定的。
②堀部 死刑を快楽的にとらえている。職務に対し肯定的。
③中川 入ったばかりの新人。職務に対し否定的。

 

著者は誰の意見にも偏らない。小説は流れるように進んでいく。
作品の中にも刑務官が「人間」か否かという問いに対しての答えは出てこない。
読者が思うままに解釈ができる。
読者は登場人物に自分を重ねても良いし、重ねなくても良い。
著者がすべき一つのことは、読者に解釈の間口を広げ、考えさせることであると紹介者は述べる。

 

 

更に「夏の流れ」では三者三様の考え方があるにも関わらずに三人称を採用しておらず、「一人称」で話が続く。平等な人物配置ではなく、複雑な考えをもつ「私」を主人公にすることで、考えることに繋げるという意図があると紹介者は語った。

 

 

名作と言われる作品は方法が作家の表現したいことと合致している。
80ページと少ないながらも重厚なテクニックが組み込まれた作品を貴方は読んでみたいと思わないだろうか。

 

 


「永遠の詩シリーズ5 石垣りん」石垣りん  紹介者緋雪

 

 

石垣りん。14歳の頃に銀行員として働き始める。


そんな彼女の詩には昭和の「日常」が溢れ出る
社会・世間を意識した詩が多いと指摘される中で、紹介者は「日常」を感じると語る。


日常を描いた作品は、心にもじんわりと直接届きやすい。

公衆浴場が19円に値上がりしたので、20円払うと1年お釣りをもらえるという何気ない日常。
だが、この金銭感覚こそ働いて学べるものである。

 


この時代には珍しく女性で定年まで働き、その中で詩集を出版していく。
銀行で働きながら出版された詩集の世界観は著者と同じ時代に生きていないのに、風景・雰囲気・臭いを懐かしく感じることができる。

 

社会・家族に縛られながらも真っすぐに自分の人生を歩む著者。
自分や誰かに対して送る一言、一行、一連、一遍。
人生を真っすぐに強く生きるというメッセージ性を探してほしい。
それは今の時代にも共通することだと紹介者は訴える。

 

 

ぜひ、貴方も手に取りこの詩集をご賞味あれ。

 

 


「花のノートルダム」ジャン・ジュネ  紹介者だいぽむ

 

 

ジュネは捨て子で幼い頃から泥棒を繰り返し、何度も施設に入れられては脱走する。
入った軍隊も脱走し、窃盗・男娼・麻薬などの犯罪を繰り返す。
フランスの作家だが、彼の文学の特徴は誰とも比較できずに異質で孤立している。
また、ジャン・コクトーや三島由紀夫が称賛している。

 

 

内容は懲役を受けた囚人が、独房の中でひたすら妄想し、小説をつづる小説である。囚人の主人公は、ひたすら悪に憧れる。
その象徴が新聞から凶悪犯の写真を切り抜いて集め、目の前にいると想像し男根をしゃぶりまくる・アナルセックスなどを妄想を繰り返していく。

 

 

その中で一人の凶悪犯を主人公として、小説を書き始めていく。
主人公の名前は「ディヴィーヌ」というおかま。
彼女(彼)の一生を檻の中で綴っていく。

 

ここで小説の特徴を紹介者は語る。
小説のところどころで、自分の作品なんだからと著者が小説内に介入をしてくる。
著者の妄想の男を登場人物として追加させ、ディヴィーヌの彼とかけおちする、
「あなた」と読者自身に話しかけるなどの筆者の妄想が小説内を駆け巡る作品。

 

 

最大の特徴はジュネの用いる比喩である。
「あなたって美人よね」と台詞があったあとに「おちんちんみたいに」と
全体500ページの8割が下ネタということをこの比喩があらわしている。

 

 

ホストを含めた参加者4人は下ネタ好きにものすごい表現力をつけさせると
このような作品になると感じることができた。

ただ、この作品から何を学ぶかは読んだ貴方にしか分からない最大の作品の謎かもしれない。