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『Li-tweet』2013秋号 創作合評その3

日時 2013年11月10日(日)20時~

ホスト  小野寺

 

 

小野寺: 第三回創作合評会会場

小野寺: 一作品45分ほどで行います

 

小野寺: 小説「言葉遊び」:Rain坊(6枚)

小野寺: では始めたいと思います

小野寺: この作品に感想を用意されている方は貼り付けてください

カヅヤ: なにこれすごい!すごい!!!

ポエトリーリーディングの分野で「あ段の詩」という、あ段しか使わない詩があったんですが、それと同じくらい感動しました褒めてます)

もともと掲示板とかにある「縦書き」などの技巧が大好きなので、すごいすごいと思いながら読みました。文庫判と内容変えている点も素晴らしいです。

うさぎ: 校正を担当していて、一読した時は何が五十音なんだろうと思いました。二回目に気づいて「これはすごい」って思いでしばらく興奮してました。タイトル通りに言葉で遊んでいる感じがしてよかったです。内容ではなく方法でやられたって思いました。

ただ、これは後日談ですが「いろは」で遊んでるTweet見た時には、そっちがあったんだとおもいました。

小野寺: ひとことで言うと非常に感想のしにくい作品です。言葉遊びの、作者の意図したことが私にはよくわかりません。出来としてはそれほど悪くはないのかもしれませんが、どうもなじめませんでした。

カヅヤ: いろはツイート…!?気付いてなかった。ログありますかね…。

Rain坊♪: いろはツイート?

カヅヤ: (ちなみに「あ段の詩」はこれです朗読)→ 「あ段の詩」-池上宣久 - YouTube http://p.tl/bydZ  何言ってるか分からないけど、全文あ段しか使ってない詩。)

うさぎ: 五十音じゃなくて、「いろはにほへと〜」の全部を使って文章を作るハッシュタグがあるんです。

カヅヤ: なるほどです。

イコ: とても楽しく読めました。作者も書いてて楽しかったんじゃないかと思います。

なるほど、俳句の17音縛りを楽しんでいる身としてこの作品を読み、考えさせられるのは、時間や制限字数、この小説で言うと行頭五十音のような「縛り」を自らに課すことで、作者の脳みそがフル回転するのではないかということです。

安部 こんばんは

安部 ご無沙汰しておりました

小野寺 この見慣れない名前は安部さんです

安部 そうです。わかりにくくてすみません

小野寺: ではまだ感想を書かれていない方もよろしくお願いします

小野寺: 日居さん、安部さんどうでしょう?

カヅヤ: 準備してた方はみんな書ききったかな?

日居月諸: 私はこの種の作品はどうにも。あくまで遊びであるからには評価のしようもないとしかいいようがありません。

安部 Rain坊さんの「言葉遊び」ですね。

まず作品そのものについてよりも、文庫版に従って書き直したという、その作業に対する廉直さに感心させられました。

それから、行頭が五十音に従い、物語が進行していくというものは、構想としては面白そうであり、大変なんでしょうが、その大変さに見合う効果が、小説そのものに付与されるかどうかは、判断しかねます。

日居月諸: 規則を外れる遊び、仮に他の言葉で戯れ、とでもいってみますが、戯れなら規則と比較して評価が出来る。他と比較の出来ない、規則も何もない遊びは、ちょっと言葉に困る。鬼ごっこやかくれんぼを評価せよと言われているようなものなので。それらの遊びは良く出来ているし楽しいし、遊んでいる当人達に口を差し挟みようもない。

安部 物語それ自体は、この規則の中で書かれなければならなかったのか、という疑問に対して、遊び、と言い切っている以上、それらは愚問にふされ、通常の物語を普通には語らないところに面白味はあるのかもしれません。これは、文体練習なみに習作を重ねるともっと面白くなるかもしれません。

小野寺: 私は国文科ではじめに「いろはかるた」について図書館でいろいろ調べ物を若い頃にしていたことがありますが確かにそのころは面白く思いましたが、それが何故かは今となってはわかりません。ただそういったものに興味を抱く年齢はあるのかもしれないかなと思いました。年を経るとせちがらくなりこころに余裕がなくなるのかもしれません

小野寺: ふかまちさん

小野寺: 感想をお願いします

小野寺: 感想はおおかた出揃ったようなので作者に尋ねたいこと、また作者から皆さんに訊いてみたいことがあればおっしゃってください

カヅヤ: じゃ、思うままに。日居さんたちの感想を読んで思ったことを。

カヅヤ: いろはうたって、うた自体もいいし、そこに入ってる暗号(?)も意味が深いですよね。

カヅヤ: そういう深みがあったら、「小説」としても楽しめたのかな、と思いました。

カヅヤ: 縦書き日記なんかでも、「日記本文ではいいこといってるのに、頭文字では真逆のこと言ってる」みたいな、意味合いの面白さ。

小野寺: 暗号性ってあるようですね

カヅヤ: 試みはすごく面白いし、自分は大好きなのですが、もっと「意味」の面、「内容」の面でも面白いものが作れたら素敵だなと思いました。

 

<<< 縦書き日記なんかでも、「日記本文ではいいこといってるのに、頭文字では真逆のこと言ってる」みたいな、意味合いの面白さ。これ分かります。本文が本心かと思わせて、縦書きで煙に巻く、みたいな。

カヅヤ: (マキシマムザホルモンがそんなことやってたんですが、ご存知でしょうか・・・ウフフ)

うさぎ: (なんて曲?)

イコ: (そうなんだ、ホルモンは言葉遊びしてるよなあ)

カヅヤ: (曲ではないですが詳細はこちら→新曲動画公開までの一連まとめ|★ミミカジルスタッフブログ★ http://p.tl/elkD

小野寺: 「いろはかるた」も「京の夢、大阪の夢」はかなりの難問で江戸時代から様々な考証がなされてきました。ヤフー知恵袋では簡単に結論つけちゃってますが。

カヅヤ: およ、いろはかるたもそんな話あったんですね。

小野寺: たしかにレインボーさんも暗号めいた部分も欲しかったなあ

 カヅヤ: 内容面もあったほうが、ウケる層は増えるのかなーという感じはします。

でも実際問題、「一見普通の小説に見せかけて、行頭を五十音にする」って、難易度がめちゃくちゃ高いので、その難易度で小説を仕上げたことに脱帽です。

小野寺: レインボーさんとしては何かみなさんにこれは訊きたいってことはありますか?

Rain坊♪: どの段階で行頭が五十音になっているかに気付いたのかを聞きたいです

カヅヤ: タイトルや宣伝文から、なにか仕掛けがあるんだろうと読む前から推測→数行読んで、内容面ではなく形式になにかあると思って探す→気付く

イコ: 「てめーは僕を~」

のあたりでした。それまでは、言葉遊びってどのあたりが言葉遊びなんだろう、と探しながら読んでいましたが、もやもやしていました。分かって、思わず冒頭からもう一度読み直しました。

小野寺: サブタイトルと一行目でわかりました

Rain坊♪: あと、文庫版と雑誌版では若干内容が異なるのですがどちらがよかったですか?

小野寺: 文庫版を推します

小野寺: 苦労されてたと思う

イコ: どちらも読みましたが、比較できるほど違いを把握できておらずすみません。どちらもなめらかでしたよ。

カヅヤ: うーん…特にどちらが、というのはないかもです。

ルールにのっとって小説の形式になっているっていうことの比重が大きかったので

それぞれに合わせたという誠実さに感動しました。

Rain坊♪: わかりました。ありがとうございます

小野寺: いろいろご無理を言いましてもうしわけない

小野寺: 文庫版もフォーマットを合わせれば同じ文章でいけたのですが記事作成者の私がやりかたがよくわからないのでレインボーさんに「本文を変えてください」とお願いしていたのでした

カヅヤ: なんと!!そうだったんですね…!

カヅヤ: あらためてお疲れ様でしたー。>Rain坊さん

小野寺: それでは他に何かありませんか

小野寺: なければ次作に移りたいと思います

小野寺: よろしいでしょうか

 

小説「意思のゆくえ」:小野寺 那仁(17枚)

小野寺: 感想を貼り付けお願いします

カヅヤ: ごめんなさいよく分からなかったです…。スミマセン、相性が悪いのか何なのか、小野寺さんの青春シリーズは、何を書こうとしているのか分からないです…。

小堺の喋りが妙にリアルで好きでした。

なので、他の方の感想や小野寺さんの意図をうかがったうえで、また改めて感想を述べていきたいと思います。

うさぎ: サークルと球技大会のパートの関係性がよくわからなかったです。あと、枚数にしては登場人物が多すぎるてわかんないキャラを掴めなかったです。

個人的には、自分の書いた脚本を「シナリオ」という私がナルシストな感じがして好きになれなかったです

小野寺: すみません、カヅヤさん

ふかまち: >「三十歳まで生きられる気がしないよ」千草が言うがその前の言葉は聞き取れなかった。

冒頭のこの言葉にどきっとしたあ(いい意味で)ので主人公と千草ちゃんの物語が展開されるかなと思ったのですが、後半になると千草ちゃんの影は薄れてしまったので、あれれと思いました。けれど題名は意思のゆくえなので主人公の感情が爆発していてもいいのかなー、なんておもったり、他の人の意見も聞きたいなと思いました。

カヅヤ: 謝ることでは…!!

小野寺: ふかまちさん→まったくおっしゃるとおり!

: 説明の省かれた文章に妙な緊張感があったように思います。世界観を把握することもまだできていないのですが、雰囲気がありました。型破りな小説と言うのは好きなのですが、きちんとおさえるべきポイントはおさえるべきかなと思います。この小説は変っていると思うのですが変っていることにとどまってしまっているのかなと思いました。

安部: なんというか、高校生か、それくらいの年ごろの男女が、野球をしながらも、稀薄な雰囲気に包まれているというのが印象的で、それは淡々と語られていることによるのかもしれませんが、野球と言うスポーツとこの稀薄さには何か関係があるのかもしれないと思いました。構成は良かったと思います。

ふかまち: 小堺のキャラいいですね

Rain坊♪: 急に野球が始まったな、と。説明が少ないので読者によっては想像で色んな方向へと転がりそうだと感じました。だからこれからサークルについていろいろあるのかなと思っていたら野球になるその繋がりがよく分からないと自分は思いました。でも、野球の話のところは丁寧に書かれていて人間関係がちらりと見えて面白かったです。ところどころ唐突感があるのがひっかかりました

日居月諸: 本人には大体お伝えしましたが、基本的に小野寺さんの小説は明晰な意識によって成り立っています。主人公は状況を把握するのに長けているし、登場人物が放つセリフの意図も明白。しかし、何もかも明晰な意識によって成り立っているにもかかわらず(だから、というべきか)、彼らは困難な状況を解決できません。なぜなら、目の前にある停滞している状況を彼らの明晰な意識が裏付けしてしまうから、助長してしまうから。

その点で、「意思のゆくえ」とはそれぞれの明晰なる意識がぶつかりあうあまり、お互いがお互いを阻んでしまって、本当の意思は結局行方知れずになってしまうことの謂いでしょう。

イコ: 「三十歳まで生きられる気がしないよ」という大事な一文目をどこにも結びつけることができずに、そのまま興味を失ってしまいました。

冒頭からたくさんの人物が登場しますが、何度読んでも人間の立ち位置が把握できません。書かれなければならないことが書かれず、不必要なことばかりが書かれているように思いました。

小野寺那仁青春シリーズの中で最も自分と波長が合わなかったということだと思います。

緑川: こんばんは! とりあえずログ追います

: 小野寺さんの小説を読む時、ある人物に説明が省かれていることが多くて、関係なども明かされないまま当然のように書かれる。小野寺さんはよく実人生のことを描くと言うから、それは小野寺さんにとって説明するべきことではないのだと語り手が思っているのかもしれない。もちろん作者=語り手ではないから、以上のような意見は意味がないかもしれないけどそのスタンスを小野寺さんはずっと取られているように思います。そしてそのスタンスはまちがっていないと思うし、応援をしたいと思うんだけどイコさんがおっしゃるように必要でないものというのが描かれる瞬間があって、そのときに読者として何度か混乱したことはあります。

小野寺: こんばんは

: だけど小野寺那仁という書き手は…

: その混乱と闘うことに、何と言うかおおげさなことばかもしれないけど運命があるような

: 気がするような、しないような(笑)

 

: 僕はこの小説が好きです。

安部しかしその場合不必要なものと言うのはなんなのでしょうね。むしろ必要のなかに不必要を溶かし流されている状態が、語り手でない人物の意識ですよね。まあ、一般的な意識。

: そうかもしれません。そしてそれは停滞を起こしてしまうと思うんですね。でもその停滞がある意味ひとつの魅力になったりもするような気がするんです。

安部: ただ日居さんの述べておられることと相違がある気がしますが、どうでしょう。

カヅヤ: (青転さん誘ってみたけどどうだろう)

小野寺: みえるんですか

: 僕の言ったことは、まだ何となく感じていることで明確な根拠をのべられるようなものではないです。あまり自信のない意見に過ぎないです。

: 日居さんの意見をもっと詳しく訊いてみたいです。

安部 

<<< ただ日居さんの述べておられることと相違がある気がしますが、どうでしょう。いや、そんなに違いはないと思います。小野寺さんの登場人物は必要なことだらけの行動原理にもとづいて動いてるんです。その原理が、他者を思いやるというような、自分が生きる上では「不必要な」ことは切り捨ててしまう。ある程度自分の明晰な意識や意思を犠牲にしなければ、他人とは付き合えませんから。

日居月諸: だからこそ停滞を起こしてしまう、というわけで。

安部: なるほど、よかったです。

: こんばんは。

日居月諸: 青転さん、こんばんは

緑川: はじめまして、青転さん

ふかまち: こんばんは

: はじめまして、よろしくお願いいたします。

安部 はじめまして

: それぞれの作品の感想を用意しきれなかったので、

今回は傍観者として参加させていただこうと思います。

Rain坊♪: こんばんは、はじめまして

: 登場人物にとって必要な行動で、小説にとっては停滞を引き起こしてしまう不必要なものなんですよね。それが説得力を弱くしてしまうわけではなくて、別の説得力を呼ぶような気がします。

: こんばんわ、青転さん。

安部 とはいえ、不必要なもの、が日居さんのカッコつきと異なるのがきにはなりますが

小野寺: 青転さん認証してください

カヅヤ: (小野寺さんの作品批評中です。あれ途中参加でもログって読めましたっけ)

小野寺: 一応、最初からリストには参加してもらってます

小野寺: ありがとうございます

小野寺: っていうか自作を論じてもらってるのにすみません

日居月諸: カッコつきはあくまで語り手、および登場人物にとって、ということです。本当のところは、他人を思いやらないと人生生きていけないから(笑)

: 小野寺さんの作品の感想は書けたので、BBSに投稿しました。

http://twibun.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7964133

小野寺: おお、ありがとうございます

安部: うん。日居さんの不必要はわかるんです。ありがとうございます。しかし……

緑川: 書かれたいものをたくさんもってらっしゃるのだと思いますが、作者が

緑川: 作品世界を統御しきれていない印象です。

 : (つぶやきなので無視してください)「いや、俺も気にしてるよ」私は思いがけずにそう口にした。しかし雰囲気から発せられた言葉を人は黙殺する。小堺は匂いを嗅ぐように宗像の頬に顔を寄せた。

「どう? 出場する気あるの?」直立して固まった宗像はいつものように、そう、まったくいつもと変わらずはにかんだ。―ここのながれかっこいい。

緑川: 行き当たりばったり的な展開が多すぎて、自分がいったい何の話を読んでいるのか分からなくなります。ただ、この作風が試みとして如何かといえば自分には分かりませんが、もっと長く、延々とこのような展開で書かれていれば、すごいものができるのかも知れないです。

: 緑川さん、ほんとうにそうですね。

: これがずっと延々つづいたら恐怖!

安部: バルザックの風景描写みたいのものですね

安部: 怖いですよ、あれ

小野寺: 青転さん

小野寺: ここに貼りましょう

カヅヤ: (青転さんの感想がすっごい分かりやすかったです。自分のモヤモヤがちょっとすっきりした)

緑川: エピソードが少なく、それぞれ単発で終わっているので、これがもっと時間的な長さを備えた、登場人物たちの日常であればすごいのかも知れません。(読むのが辛そうですが)

小野寺: はります

小野寺: >小野寺那仁「意思のゆくえ」

 

 >「三十歳まで生きられる気がしないよ」千草が言うがその前の言葉は聞き取れなかった。寄り添う影のような志保が千草の隣りに座っていた。私はこっそりと千草から手紙を貰っていた。私の書いた作品を千草が主演で演じたものの評価はとても低かった。私は仲間たちと口論になったが誰も作品を書かないから仕方がない。私たちは解散することになった。私は反対した。存続を希望した。私がつくったサークルだ。千草は「どっちでもいいけどあたしはあんまり来ないよ」と言う。それは承知していた。病気のために学校に来るのも週に二三度だったのだから。志保は千草のためにノートを取っていた。

 

 冒頭に書かれている情報(と、そこから読み取れる意図)を整理する。

 

○「私」が書いた作品(シナリオ)を発端に、仲間たちと口論になった

○いろいろあってサークルが解散することになった

○「私」は「千草」から「手紙」をもらう関係にある(手紙の内容は不明)

○志保は「寄り添う影のような」と表現されるような女の子である

○千草は「三十歳まで生きられる気がしない」と思っている

○「私」がその前の台詞を聞き取れなかった

 →なぜか?

  ・千草はあえて「私」に聞き取れないよう台詞を小声で言ったから

 ・あるいは、「私」がぼーっとしていて聞きそびれたから

○千草は病弱で、あまり学校に来られない彼女のために、志保は代わりに(授業の)ノートを取っている

○千草のことを頻繁に書き出すことから、「私」は千草に何らかの執着を持っていると思われる

 

中学生の作文のような、小説とは思えない投げやりな文章で現在の状況が簡潔に説明され(「私たちは解散することになった。私は反対した。存続を希望した。私がつくったサークルだ」)、ところどころにとても中途半端な描写が挿入され(「寄り添う影のような志保が千草の隣りに座っていた」)、冒頭のセンテンスに続いて「千草」と「志保」と「志保の父親」と「私」と「藤堂」と「(サークルをやめた)池田」と「(誰も話したところを見たことがないという)宗像」がつぎつぎに登場する。サークルの部員だと思われる彼らがどういった場所で話しているのかすらもよくわからないまま、話は急に球技大会に切り替わる。小説ではなく、小説のベースとなる設定書きをそのまま読まされているような気分になった。

 

この時点でエンタメとしては失格でしょう。書くべきことと書かずにおくべきことの取捨選択、どういった順番で情報を提示するべきかの吟味がなされていないから、無用な混乱を招いている。端的に言えば、無駄なシークエンスが多すぎる。ほんらい書かれるべき段取りがすっ飛ばされてしまっており、段取りをすっ飛ばすならすっ飛ばすなりのやり方を探るべきなのに、それもおざなりにされている。これだけ短い作品にも関わらず、「志保の父親は何で登場したの?!」「結局手紙ってなんだったの?!」「千草と志保の関係をこんなに適当に処理するのなら最初から書く必要なかったんじゃないの?!」など、未消化な要素が山ほどある。

 

 文学的な観点から見ても、文章の強度も、内容も、おおよそ文学たりえているとは見えない。何かコンセプトがあるようにも見えない。小手先で即興的に書かれた小説だと思った。にも関わらず、自分はこの小説のいくつかのシーンをおもしろいと感じた。例えば、主人公のものの見方がなんとなく「変」であること(「変」であることに自覚があるのかないのかよくわからないところもおもしろい)。周囲の人間が宗像の制服のボタンを外しはじめる、その唐突さ(ユーモアがあって良かった)。上手く行っているかどうかは別として、これだけ短い小説にたくさんの登場人物を導入しようとする意欲は良いと思う。どれが重要な要素で、どれが重要でない要素なのか、ごった煮の状態になっている、その混乱した状態も、自分はおもしろいと思った。しかし「ごった煮」の状態は、小説を読む限り、単なる作者の技術と考えの不足が招いた結果だと思われる。そこが残念だと思った。

 イコ: 一人称「私」の歪んだ意識を延々とろくな説明もなしに読まされるっていうのは、確かに怖いもんですね。小野寺さんの場合は、なんか、でも、作者がそれに意識的だっていう感じがしないんですよね。青転さんも書いておられたけれど。だから野暮ったさを感じてしまう。

カヅヤ: >イコさん 同感です。青転さんの仰る「主人公の見方がなんとなく変」というのが、すごく分かる。(どのへんを、どのように「変」と感じているかは誤差があるとは思いますが)

カヅヤ: そしてそれを無意識にやられてしまうから… 小説としてそれはどうなんだろうと。

緑川: 意識的じゃないと私も思ったかな・・・、図らずも出てしまう小野寺節ですね

小野寺: 今回、感じたのは一人称の限界かなってことです

小野寺: もう一人称では書けないという意味で

カヅヤ: それが本当に、凡人には到達できないレベルに吹っ飛んでいたら、それはそれで無自覚でも面白そうなんですが。私の場合は、違和感の方が強く出てしまいます。

イコ: 同じく>違和感

日居月諸: 先程他人を思いやることは必要なことだと言いましたが、それは小説でも同じことです。語り手や視点人物だけでなく、他の登場人物にも目配りをしていないといけない。その点、作者(小野寺さん)は無視の一歩手前のラインで他の登場人物への目配りをしている(だから、野暮ったい)。

なぜそうするのか。意識的であるかどうかは別として、語り手の目線まで近づこうとしているからだと思います。基本的に小説は大上段から書くものだから気付かないけれど、我々は普段生きている時大上段から物を見ていないし、他者への目配りを忘れがちです。小野寺さんはきっと、そうした状態を書こうとしていると思う。

日居月諸: あくまで自己解釈ですが、こうした(意図せざる)意図は自覚したら危ういと思う。無自覚だからこそ、こういう語り手の生きている状態が書ける。

小野寺: ではそろそろ時間ですのでよろしいでしょうか

小野寺: いろいろ語っていただきありがとうございます

 安部: なるほど>日居さん

小野寺: 次作頑張ります

カヅヤ: 無自覚だから生きている、というのは、なるほどと思いました。(ただ、自分はやはり苦手ですん…)

イコ: 日居さんの言葉に、納得しました。

: 無自覚というのは、つまり日記に近いということですか?

日居月諸: まあ甘口に語りましたけれど、もっと文章の練磨は必要だと思います。あくまで私の解釈の枠組みに合わせて語っているので、私の意見は活きますが、だから小野寺さんの小説が活きるというわけではない(笑)

日居月諸: 日記より始終メモを取っている状態に近い、でしょうかね

安部: そういう体裁を前面に出すと効果的ですね。

安部: これはメモ書きだと、わかるように。

: 未来日記だねw>始終メモを取っている状態

 カヅヤ: 小説じゃなくなっちゃうけど、これ、「小野寺さん」という人が書いている、というのを前面に出したブログとかだったら、自分は違和感なく読めると思います。それはあべさん(安部)の言ってることに近いのかも。

: 自分もそう思いました>ブログとかだったら違和感なく読める

イコ: 作品によっては小野寺さんの歪んだ語りをおもろいと思うこともあるので、どうしても自分にとっては波長が合う、合わないの問題になってしまう。しかし多くの人にアピールする狙いをもった作品とするなら、小野寺さんの野暮ったさは、現時点ではブレーキになるのではないかと思う。

カヅヤ: 作品が、というより、筆者の目線の書き方として、ですね。小説としてはあやういし、自覚的にやるには、難しい視点。

日居月諸: あ、青転さん、この合評会は対外用のログに残すので、基本的にwのようなスラングは使わないで(笑)を使うようお願いします

: ああ、そうなんですか>スラング禁止

日居月諸: 止むなく出てしまう場合もありますし、注意を怠る場合もありますけど、それは後々変えるのでご安心ください

小野寺: 今回からそうなりました

カヅヤ: (顔文字とかも合評中はなしになってます。合評後の放課後雑談ではなんでもありです~)

: 了解しました>(顔文字とかも~

小野寺: では時間になりましたのでそろそろ次作に移りたいと思います

小野寺: よろしいでしょうか

 

小野寺: 小説「黒い秋の訪れに」:安部 孝作(34枚)

小野寺: 感想の貼り付けお願いします

カヅヤ: すみません、やっぱり今回もよく分かりませんでした…。

「見られているのか見ているのか~」、のくだりが、唐突すぎて、ついていけない…と最初思ったのですが、読み進めるにつれて「あ、主人公がだいぶキてるのか…」と納得。納得しつつも、キてる感じに入って行くことができず、(例えばドグラマグラとかだったら、アクの強さに異を唱えることもできなくて読み進めるし、南条あやの日記なんかは共感しながら読んでしまうのですが)静かに、主人公に対する心配を…「ああ、休息が必要なんだろうな…でもきっと休息を与えられても社会に適応できるタイプじゃないんだろうな…」という心配をしながら読んでしまいました。頑張って青少年、でも無理しないで青少年。多分読み方間違ってる…。

あと、誤字脱字や日本語の誤用っぽいところがちょいちょいあって、あれ?と思いました。あべさんらしくない…のか、意図的にやっている部分まで私が勝手に引っかかってしまっているのか。

カヅヤ: (自分は、本当に、申し訳ないくらいに、現代の純文学が読めないので…!文脈をちゃんと読めるようになりたいなぁとは日々思います…)

小野寺: 表現力や比喩などはそれなり整っていてよいと思うのですが物語ベースがやや俗なパターンやや俗な既視感のある登場人物でどうかなあと思わないでもないです。また作品の進め方も気になるところでいかにも小説らしく進行している気がしていて(自分が異常なのかもしれないが)ただ主人公との距離感はわりに取れていてこれまでの作品よりはかなり読みやすい。

: 雰囲気を出そうという意識が感じられて、その意図が上手く結び付いている部分もあると思いました。工場とか中華料理店とか。けれどこの小説の単色な世界が苦手で、安部さんのこれまでの色彩感が豊かな詩や小説を読んでいたので、そういった作品の方が自分は好きなんだなと感じました。

カヅヤ: 苦手としか書かなかったけど、工場や中華料理屋の、荒んだような、蒙昧とした雰囲気はすごくよく出てて、そこは正直嫉妬しました。

イコ: 最後まで読めませんでした。読んでいる間、何が起こっているのか、何が表現されているのかを読みとれず、以前だったら合わないものでもなんとか読みとろうとする意欲をもっていましたが、今回はできなかった。自分の熱のなさを実感させられる小説でした。

小野寺: 今回のはわかりやすいですよ

Rain坊♪: 主人公があまりみえてこなかったかなぁと。文の出来は高く、描写や表現の仕方は勉強になるなと思って読んでいました。工場を舞台に、出てくる登場人物も違和感なく、そういう人っていうイメージを抱くことが出来ました。ゆえに主人公の個性?というか考え?みたいなものがあまりみえてこなくて、他人事というか、どこか遠くの方から傍観しているような印象を持ちました。

日居月諸: 今回はいつも以上に難物を相手にしている気分を覚えました。いくつかの物語を掛け合わせて小説を作ろうとしているのは読み取れましたが、そこに文章が絡み合って行かない。多彩な文章を心がけようとしているのは伝わりますが、一本調子な部分も垣間見られて、それが物語と物語を色分けすることにつながらず、区分けがくっきりとしていかない。歯車にまきこまれたり刃にまきこまれたり、そういった切迫感を表すことには成功しているけれど、他の場面(工場や中華店)の気だるさは出せていないと思います。

ふかまち: 工員と詩人、昆虫と土星、これってあまり見ない組み合わせなんだけど上手いな、なんというか好きだな、と、思わせてくれる世界観でした。安部君の書く小説は全体的に青白くて不健康な青年が、見ている世界を淡々と読者に知らせてくれている感じ(青年期特有の文学文学した文章で)だからその青年が消えた作品が読んでみたいなと思った

緑川: 主人公が何者なのか、どういう出来事があって、この小説自体どういうお話しなのか分からないまま拝読しましたが、正直なところ、面白さが見出せませんでした。主人公が何者で、どういうお話しなのかなど、分からなくてもよいのかも知れませんが、それを読ませるには、かなりの力量が必要かと。

緑川: まあ、好みは分かれるんだろうなと思いました。

日居月諸: たとえば店に入りこんできた蝉を追いだそうとするシーンがある。あれがカッチリとした文章で書かれているものだから、人物がギクシャクと動いているような印象を受けて、さながら操り人形の芸を見ている気分になる。逆に、だからこそ歯車に巻き込まれたり、真っ暗な工場に入りこんだりする、不気味なシーンは映えるのではないでしょうか

小野寺: 他のかた、感想ありませんか

うさぎ: (すいません、最後まで読めませんでした)

小野寺: 私は何度も夢や現実に於いて工場内で躓くというシーンが哲学的なモノを具象化しているようで好きでした。

小野寺: 生きにくさをテーマに置いているようにも感じました

: この小説をもっとよくするにはみなさん、どうすればいいと思われますか。

: さっきから考えていたのですが分からないです。

: 雰囲気はあり、文章も硬質で

: 魅力ある小説にすでにしてなっているのかもしれないけど

: もっと「何か」をこめるにはどうすればいいのか。

: 自分ならこうするというのが訊きたいです。

 カヅヤ: どうする、ということは言えないのですが、独りよがりな感じを強く受けました。(ただ現代小説全般に同様の感覚を受けるのでなんとも…)

: 現代文学に独りよがりなものを感じられると言うことでしょうか。

: どのような文脈でおっしゃっているのか分からないです。

小野寺: ちょっとサスペンスのような物語の進め方をアレゴリ―を配して夢魔的な雰囲気や情緒をもっと濃密にしてほしいです。

カヅヤ: この作品が、独りよがりに感じる。けど、同様の感覚はプロの作品からも受けることがあるので、それが欠点なのかどうかは判断がつかない。

: カヅヤさんがこの小説の最初の感想で現代文学がどうのといっておられたのも、自分としてはよく判りませんでした、他の部員の作品が現代文学的ではなくて特にこの作品が現代文学的だったと言うことなのでしょうか。

: 冒頭しか読めていないのですが、自分だったら全部書き直すだろうな、と思いました>自分ならこうするというのが訊きたいです

: 現代と昔の小説を比較した時には、昔の小説の方が独りよがり感が少ないということですか。

イコ: 『明暗の扉が開かれて覗き込もうとする、見えているものには見ることのゆるされぬ世界が足音を立てて――』

たとえばこういう言い回しが、いかにも「文学」しようとしている感じがあって、そういうものの排除されたところにこそ、「文学」が宿るのではないかとすら思ってしまうのです。すべて読めていない自分がこの語り方について述べるのは危険かもしれませんが。

:

 

<<< 冒頭しか読めていないのですが、自分だったら全部書き直すだろうな、と思いました>自分ならこうするというのが訊きたいです理由が聞きたいです

日居月諸: これが作品を解くキーだ、というようなものを出すくらいの色分けくらいはしたほうがいいですね。読ませどころというべきか。サスペンス的な要素はあるのだけれでも、それが工場や中華店のような日常に巻き込まれているし、あるいは幻想的な要素に巻き込まれている。

: 抑揚をつけるというのは確かに効果がありそうな気がします。

: 文章が「勘違い文学」的だと感じたからです>理由が聞きたいです

カヅヤ: >6さん 自分の好みの話です。自分は、現代の小説(そもそもあまり読んでいないので、イメージでしかないのですが)を読むことが苦手です。それと同系列の苦手意識を、あべさんの作品には感じることが多いのです。

自分にとっては、昔のものの方が独りよがりと感じることが少ないのですが、それは「自分の価値観に近いから」という点と「そもそも昔のものって、淘汰されてるから微妙なのって残ってないよね」という二点のせいかと。

[ :

 

<<< 文章が「勘違い文学」的だと感じたからです>理由が聞きたいですなるほどね

イコ: 詳しく聞いてみんと分からんですけど、青転さんの"勘違い文学"という言葉と、自分の使った"いかにも「文学」しようとしている"はニュアンスが似ている気がする。

: カヅヤさん、納得しました。受ける印象が似ているということですね。

イコ:

 

<<< そういうものの排除されたところにこそ、「文学」が宿るのではないかとすら思ってしまうのですここ、同意します。

カヅヤ: あ、いや、違うな、昨今の作品で読んでるのって、多分、雑誌のデビュー作などが多くて、それらと共通する「新人の人と共通する独りよがり感」を受けているのかも…? ううん、ちょっと自分でも整理できてないですね、すみません。

日居月諸: 全部の文章を修辞で彩ろうとしていますね。修辞には様々な効果がありますけれど、ともかく文章の単調さに起伏をもたらす効果があります。そして、全部の文章を修辞で彩ってしまった場合、起伏だらけになってしまって、結局は単調になってしまう。そんな現象がこの作品では起きていると思います

: 描写も、上手いとは思えませんでした。

冒頭より。

 

>吊り掛けられた金属製の通路が、固い靴底に打ち鳴らされ、高い天井に音を反響させる。

 

「吊り掛けられた」というのはどういうことなのかよくわからないし、「固い靴底に打ち鳴らされ」も安易だし、「高い天井」というのも、なぜ「高い」という言葉が入るのかよくわかりませんでした。

: いや、どういった光景を書きたいのか、おおよその見当はつくのですが、

: あまりにも言葉の使い方が雑ではないかと。

イコ: その文章は、確かに突き放されました……。

工場によくある感じの、金属製の、吊られた通路みたいなものでしょうかね。(結局説明が難しいんだな)

カヅヤ: 描写関係で便乗します

 

「陽射しが影となす境」→ 「影となす」って、なんかおかしいような。

 

「ちょうど昼休みのベルが鳴った。このベルの音が、どの機械の発する振動音や軋み、打音に比べて大きい。これもまた蝉と同じく、生命の、その欲求の鳴らす音には違い」→”どの”ときたら”よりも”をつけないと変。

 

「緊張感が胸を撃った」→「打った」? 「○○感が胸を打つ」という表現には違和感。

 

「一分と同じ姿勢を維持し続けることが困難に思えた。」

 →「一分と」の「と」は、あとに否定語がつかないと不自然ではないだろうか。

カヅヤ: これはケアレスミスかな、と思ったのですが、回りくどい言い方をしないで、シンプルに書けば起こらないので、

カヅヤ: わざと小難しくしていることに、効果はあるのだろうかと…

 

<<< 全部の文章を修辞で彩ろうとしていますね。修辞には様々な効果がありますけれど、ともかく文章の単調さに起伏をもたらす効果があります。そして、全部の文章を修辞で彩ってしまった場合、起伏だらけになってしまって、結局は単調になってしまう。そんな現象がこの作品では起きていると思いますこの意見になるほど、と思いました。この単調さ、安部作品の特徴のように思います。

日居月諸: というか今回は校正がちょっと甘いな。誤字や文章ミスが多いです(私が言えた義理じゃない)

イコ: ただ、この単調さが、工場の暗い、機械のならんだ雰囲気をつくるのに貢献しているかもしれませんね。

小野寺: いえ、それがしたいのだったらもっと横光の機械ばりにやらないと

ふかまち: 機械のことはもうどうしようもないかと

: 日本語、難しい。精確に日本語を考え、使わなくては…。自分ももっと頑張らなくては…。

小野寺: ではそろそろ時間になりましたので

小野寺: 何か言い残したことありませんか?

ふかまち: ないです

小野寺: では次作品に移りますがよろしいでしょうか?

ふかまち: よろしいです

 

小野寺: 小説「ファイナルファンタジー」:うさぎ(52枚)

うさぎ: よろしくお願いします

小野寺: 感想貼り付けお願いします

ふかまち: 冒頭から私(主人公)は妻が不気味だと恐れているけれど読者に対して妻が不気味だと思わせるような描写や設定がなかったのでトンカツというアイテムが不思議に思えました。

数年ぶりのセックスなんて妻の不気味さを描く絶好のチャンスなんじゃないかなって思うんですが味気ない気がしました。全体的には話しの筋を追うことに重きをおいている感じで読みやすくて後味スッキリだけど、毒にも薬にもならないといったところでした。

 

ここがとっても素敵だなって思いました。個人的に。

>白いヨーグルトの真ん中に真っ赤で粒の残ったジャムがあった。私は少し吐き気をもよおした。生命を感じる色合いで今の精神状態だと食欲がそがれる気がした。

カヅヤ: 面白かったです。

自分、実録系のスレとか小町とか大好物で。そういうリアルさと読みやすさがあって、ワクテカしながら読み進められました。

マキちゃんみたいな話も結構あるあるで、悪い意味でないチープなリアリティが、すごいよかったです。

読み方確認なんですが、「絵が完成すると彼は、男をうまく真紀から引きはがした。その方法については何も知らない。しかし、もう絶対に見つからないようにしたらしい。

年末にあった彼は今までにない晴れやかな顔をしていた。彼は「合コンをしよう」と純粋無垢にいった。そのとき、私はまだ知らない。彼が人の道を踏み外したことを。」

の部分は、あえて謎を含ませている…?

時間軸がよくわからない。「その方法については何も知らない」→どの時点で?

「そのとき私はまだ知らない」→ということは、今は人の道を踏み外したことを知っている?

 

つまり、「引きはがした」ということは「殺した」ってことで、「その方法」というのは、「殺した方法やその後の処理」という意味で、手紙の中に「殺した」ということは書いてあった、ということでOK

 

細部について、突っ込みを入れさせてもらいます

ギャラリーで即売会って普通では? 私の認識が間違っているのか、主人公はそれを知らないから「なんてやつだ」と思ったのか、でも主人公も美大生ならそれはおかしいだろうし、うさぎさんが「ギャラリーでの即売会」をおかしなことだと思っているのか、ちょっと気になりました。

真紀と、友人の「彼」との会話が恐ろしくかみ合っていない感じがして、ちょっともやもや。

「バイトしてたの。サボリとはちがいます」 ボケなのかマジなのか、バイトだろうがサボリはサボリだろう、というツッコミがないのが気になりました。

「バイト忙しいの?」→ラッシュ云々じゃなくて、バイトのせいで暇がないのだろうか、という質問では。

「悪い人はいない」→屁理屈でも正当化でもなくただの戯言では…

 

彼は何枚ものキャンバスを無駄にしようが今描いている絵は完成させようと努めた。そう決めて彼は絵と対峙した。

 →ボツった絵って上塗りして使いませんか。私の記憶違いかな…。

完成した。あとはキャンパスに描くだけだった。→それ完成って言わないのでは。キャンパスに描いてからデッサンだの色だのなんだので格闘したのちの完成では。

友人が絵で食っている、っていうところが、すごく違和感。絵が売れる、という時点で名が売れてないと無理では? 画家になれなかったからイラストで食ってるけど本当は油絵書きたい、とかなら納得できるのですが。

自分の周りだけの話ですが、個展続けてる美大卒の人は、だいたい全然関係ないバイトしながら個展続けてる。芸人や劇団員と同じ。絵で食ってる時点で成功者ではないのかな、と。

彼の手紙を読み終えたあとの、妻をいとしく思うシーンが、共感できず、よくわかりませんでした。

: 前半の流れがとにかく苦手だったのですが(展開的に)全体を通して、読みやすくきちんとした小説だなと思いました。会話の流れも上手いなぁと思いました。ポイントポイントでもっと情景描写や美しい文章を入れてほしいかなと思いました。なぜか現代短歌のようなポップで自由な感じの美しい文章がこの小説の中にあればいいなぁと思いました。だから全体は十分だと思うのでもっと細部にこだわりを作って欲しいです。

小野寺: 私が疲れていることは多少勤めている人ならわかるのであえて何度も書いてくれなくてもいいです。この作品はありきたりなことをありきたりに語っているだけにも思えて読みやすかったけどただそれだけじゃんみたいに思えてうさぎさんの今までの作品に比較すると悪い方向にこなれてしまったなと思いました。

イコ: 感想や問題だと思う部分は、うさぎさんにすでに詳しくお伝えしているんですけど、ここにすぐまとめられない(笑)

現時点でうさぎさんの最高傑作やと思います。冒頭数ページは、もう少し丁寧に書いたら、そのまま文芸誌に載っていてもいいと思ったくらい。後半は、うさぎ作品でいつも起こるズレが発生してきて、おもしろく感じられましたが、それは作者の意図と違うところで楽しんでいただけのようです。

ラストシーンは未消化だと思います。

Rain坊♪: 性行為がある小説は苦手なので、ちょっと身構えてしまいました。ですが、最後の件できれいにおちていて、それらが払しょくされました。美談が好きな者としてはいい話だなぁとほっこり。あと、ただ物語に流されるのではなく、その中で主人公が成長しているのがいいと思いました。大学から友人のの話が少し分かりにくい部分があり、それが残念でした。どうでもいいことですが、精をつける食べ物としてカツよりうなぎがそれっぽいなぁと考えてしまいました。

日居月諸: 不気味さは描けていると思ったけれど、整合性はない。整合性がなければ不気味さにつながるというわけではなくて、むしろきちんと整頓されているからこその不気味さというものもあります。

たとえば冒頭の妻がトンカツを作って、精力をつけさせ主人公と体を交えるシーン。あそこには定型に捉われた女性がいるし、彼女の意図を汲もうと事情を整理して、その通りになってしまう主人公がいる。ふつう人間は定型通りに捉われる存在ではないし、ある程度定型を踏まえていても、そこからズレていってしまう存在です。だから、定型通りに進んでしまうと、むしろ居心地の悪さを感じてしまう。

論理を組み立て、それが間違いなく起こってしまうことの不気味さが、画家の友人の過去にまでいたると不明瞭になっていく。特に画家の友人の手紙を読んで、主人公が妻の愛を取り戻していくシーン。あそこをアイロニーで描けば、この小説は冷徹さを増していたと思います。

緑川: 主人公の日常と彼の手紙という2つの要素が作品にあって、彼の手紙が主人公の生活に影響を与えるというのがこの作品のキモだとよみましたが、主人公の生活はもっと後景に置かれて、手紙で語られるエピソードを前面に押し出された方が効果的かと思いました。あと、手紙についてですが、これは私の語りではなくて、全部でなくてもよいので本当に手紙を作中に載せて頂いた方が良かったかと。倦怠気味の妻とのセックスが、ある出来事をきっかけに上手くいくようになるというは、類型といってよいかと思いますが、今回はこれで良いかと思います。

小野寺: 妻に対して求めるようになったのは想像力の回復ですね

小野寺: 緑川さんに痛く同意

小野寺: それをもっと日居さん言われるようにアイロニカルに書いてもらえばよかったのに

日居月諸: 手紙はもう少し上手く書けましたね。自由間接話法を使うなり

小野寺: これでは既視感バリバリの現実の痩せた模倣です

カヅヤ: すみません、これって、結局、友人は殺人をしてたってことですか…?

うさぎ: そうですね>カヅヤさん

緑川: 気付きませんでしたね

小野寺: なんとなくは

緑川: もっとそのことに、曖昧にでも良いので触れられても良かったのではないかと

カヅヤ: 他の方、どうでしたか。

 緑川: 文章自体がライトなので、そこには思い至らなかった

 緑川: それに

カヅヤ:

<<< 「絵が完成すると彼は、男をうまく真紀から引きはがした。その方法については何も知らない。しかし、もう絶対に見つからないようにしたらしい。

年末にあった彼は今までにない晴れやかな顔をしていた。彼は「合コンをしよう」と純粋無垢にいった。そのとき、私はまだ知らない。彼が人の道を踏み外したことを。」

の部分は、あえて謎を含ませている…?

時間軸がよくわからない。「その方法については何も知らない」→どの時点で?

「そのとき私はまだ知らない」→ということは、今は人の道を踏み外したことを知っている?

 

つまり、「引きはがした」ということは「殺した」ってことで、「その方法」というのは、「殺した方法やその後の処理」という意味で、手紙の中に「殺した」ということは書いてあった、ということでOK?作者の意図としては、これで合ってたのかな。

緑川: なぜ主人公がそのことを知り得たのか・・・手紙? だとしたら、なぜ彼がそんな重大なことを、あっさり手紙で「告白」したのか。ていうか、それを告白するほどの契機が、彼と主人公の間にあったのか

緑川: 疑問です

日居月諸: おおよそはわかるというか、それもまた定型から類推できるのではないかと思います。想い人を守るという思い込みで間違いを犯してしまうという定型から。だからこそ、読者が思い至るだろう、ということを逆手に取る方法もあったと思う

カヅヤ: うん。ちょっと手紙で告白するには重すぎるし、警察に言わないとも限らないし…時効って何年でしたっけ。仮に時効でも、ちょっと無理がある気が。

小野寺: 殺人と言うか喪失感は感じられた。そこのところは巧いと思いました

小野寺: 殺人とはっきりすると違和感は緑川さんのいうようにあります

小野寺: 時効はないです

緑川: 主人公が、手紙で告白を聞くのはまだ良いとして、それならそれで、先に主人公がそのことに疑念をもっているとか、聞いた後にどう思ったとか、衝撃を受けたとかのリアクションは欲しい(まあ、それで妻をいとおしく思うようになったというのはあると思います)。

カヅヤ: 手紙の中には書いてないなくて、「それっぽい事を書いてあったので、主人公が想像する」方が自然だったかなと思います。そちらの方が、ラストにもつながりやすいような。

小野寺: つまりは日常のワールドから外へは出られない息苦しさがあるんですよね

カヅヤ: あれ、逆に、警察に言えってことですかね

緑川: 言わないでしょうね

カヅヤ: ですよね…。「殺人しました」って告白されたら、自分だったら「え、これは俺にとどめ(通報)をさせってことなの!?」って考えそうで。

小野寺: 普通はそうですね

緑川: とどめを刺せ、っていう重みが、それより前の文章のどこにも感じられない

緑川: 私の見落としか

カヅヤ: 作者にもそういう意図はないのかな、と感じてしまいました。

緑川: むしろ主人公の側には、彼の行動に対する肯定感があるかな

小野寺: あまり考えて構築されてないんじゃないんですか

緑川: ん~、作者ご自身の意図はあっても、それが効果的に表現されているかどうかという問題かと思います

カヅヤ: 過去の作品を思い返すと、うさぎさんの作品は、ときどき「ふつう、ここでひっかかるんじゃないか?」という点がスルーされていることが多いと感じます。

それが意図的なのか、無意識なのか。無意識だとしたら、もっと意識を向けた方がいいのかなと。

: こういう定型的な物語をきちんと描くと言うのは難しいですね。感情の結果とか原因とかつきつめて考えるのとこんなにも難しいのか。何か自分の作品について言われているような気が今日は(他の作品でもそうでしたが)、何度もします。

: 感情って定型的に書かなくてはいけない場面もあるし、非定型でしかとらえられないような感情も小説だから描いていきたいところ。

: この小説の場合は、彼の手紙を読んで、妻への気持ちがまたつのったというのが、やや非定型な感情になるのかな。

緑川: ですね。>感情の結果とか原因云々、たしかに難しいし大変

: それを作者は描きたかったんだろうか。

: ある種の読ませどころとして。

カヅヤ: 読者が読んで「いやいや、それおかしいだろう」ってどこで躓くか意識することが大事かと。

もちろん、個人差の大きいものだったり、賛否の割れるものだったりは、仕方ないのですが。作者の意図に反して読者が躓いてしまうことは避けたいですね。

 : とゆうか、緑川さんとカヅヤさんのつっこみがストレートに的確にごりごり指摘しますね。自分はこういうものか~とあまり躓かないで読書することが多かったので、参考になりました。

: うさぎさんは読者に聞いてみたいこととかないですか。

うさぎ: ありがとうございます、大丈夫です。みなさんの話はすごくためになりました

 緑川: あと、友人の殺人話を聞いて、通報とか社会正義の為にどうこうするというのではなくて(そんなことは主人公は微塵も考えていない)、ただ、妻と性行為が上手くいったとか、そんな小さな私生活に影響を受けたというのが、現代の市民らしくて面白い

: 男子にとっては最後「救い」となるから、やはりまた結ばれていく方が好まれるのかもしれない。『海がきこえる』が批評家から褒められたのはある種の男の理想的な救いが最後までなかったから(特に原作)でした。この小説もラストを変えるだけでぐっと雰囲気が変りそうな感じはしますね。

カヅヤ: >緑川さん  あっ…! たしかに、そういう読み方もできますね。

: 二ヶ月後、妻の中に新しい生命が誕生したと妻がいった。―これは「妻の中に」をとった方がいいのかなと思いました。..

: 書かなくても分かるかなと。

 Rain坊♪: 妻がいった言葉とするなら「妻の中」じゃなくて「私の中」のほうがいいんですかね

: ない方が僕は好みかな>「私の中」

 緑川: 無い方ない方がいいかと、私も

 カヅヤ: ですね

 カヅヤ: 他の人はどうだろう?

: 他の意見も含めて、もっと色んな意見が聞きたいです。

小野寺: レインボーさんのように書きます

小野寺: 私なら

: 最後の一文だからめちゃこだわりたいところなんですよね。

: 他の話題とかも含めてどうでしょうか。

イコ: 『二ヶ月後、妻の中に新しい生命が誕生した。』

ではだめかな?

Rain坊♪: 自分のように書くとはどういうことですか?>小野寺さん

小野寺: え、さっき言われてた「私の中」に代えるということです

Rain坊♪: ああ、そういうことですか

: イコさん>それは、何となく好みじゃないです。いまのほうがいい。

: 「妻が言った」

イコ: 好みかあ(笑)

: この言葉が大事な気がする。

イコ: 「妻がいった」という言葉の重要性はどこにあるんかな、と思います。

: 妻が主体的に何かをしている感じがいいんです。

 カヅヤ: 私も妻が言ったほうが好きです(笑

 : 最初の妻の主体性と言うのは何か偽物感がある(友達に影響されてみたいな)でもいまは妊娠を知って一人の人間として自分からそれに気付き、それを告げる。自らの言葉で。それを旦那の言葉におきかえられた形で聞きたくないかなと・・・。

イコ: 二カ月後、妻は、新しい生命の誕生を私に告げた。

: 告げただと大げさすぎるんだよなぁ。

Rain坊♪: 距離感があるような気がします

 イコ::<<< 最初の妻の主体性と言うのは何か偽物感がある(友達に影響されてみたいな)でもいまは妊娠を知って一人の人間として自分からそれに気付き、それを告げる。自らの言葉で。それを旦那の言葉におきかえられた形で聞きたくないかなと・・・。たしかにそうですね。

 イコ: ようし、もう少し考えてみよう

イコ: 『二カ月後、妻はお腹に手を当てて、笑顔を見せた。』

: 嫌です(笑

イコ: 嫌がってばかりいないで6さんも考えなさい!(笑)

カヅヤ: 私の中にを抜くだけでいいような…

イコ: 『二カ月後、新しい生命が誕生したと妻がいった。』

 : 「妻の中に」を抜いた元の形でいいですよ。

 Rain坊♪: 二か月後、妻はカツを揚げながら、頬を赤らめて新しい生命が誕生したといった←すいません、悪ふざけです

イコ: 新しい生命って言い方が、自分はあんまり好きじゃないです。

カヅヤ: あとは好き嫌いの話にしかならんような…

イコ: ここは妻の主観語であってほしいんだけどな。ごめんなさい。もうやめます。

緑川: 新しい生命が誕生したなら、もうカツは必要ないかも・・・すいません、冗談です

日居月諸: 二ヶ月後、妻がヘソの辺りをさすって近づいてきた。

日居月諸: 露骨だね。

: 何か変な方向に来てしまった。小野寺さん何とかして。

Rain坊♪: ところで精つく食べ物でカツって有名どころですっけ? どっちかというとうなぎのイメージがあるのですが

日居月諸: うなぎはもう高いから・・・

小野寺: そろそろ時間ですのでこれで一旦終了にしたいと思います

カヅヤ: (内田春菊は、妊娠検査の棒を旦那の枕元においといたとかなんとか・・・)

ふかまち: ありがとうございました

 

うさぎ: みなさん、貴重な意見ありがとうございました