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『Li-tweet』2013秋号 創作合評その1

2013年10月27日()『Li-tweet(秋号) 合評会

参加者:日居、Rain坊、小野寺、カヅヤ、る、6、小野寺那仁

 

る(shiroyama: では作者の権限で以下の様にタイムスケジュールしたいと思います。詩「マーシャル諸島を目指そうよ」:る&深街ゆか 20

詩「手」:加津也 45

小説「天使のはしご」:Rain坊(63枚) 45

小説「終日杳かに相同じ」:日居月諸(56枚) 45

る(shiroyama: 無理なされないように>6さん

: どうも。マーシャルは20分でいいんですか。

る(shiroyama: 枚数的に妥当かなと思いました。

: なるほど。。みなさんはいらっしゃいますか。

Rain坊♪: こんばんは、Rain坊います

る(shiroyama: いらっしゃる方は反応お願いします。

日居月諸: こんばんは

: こんばんは。他の方は参加されないのかな…

る(shiroyama: 公式アカウントで宣伝しておきました。とりあえず『Li-tweet』秋号、第一回合評会を開始させていただきます。ホストは6さんに代わりましてわたしが務めさせていただきます。

: すいません、お願いします。

る(shiroyama: タイムスケジュールは

詩「マーシャル諸島を目指そうよ」:る&深街ゆか 20

詩「手」:加津也 45

小説「天使のはしご」:Rain坊(63枚) 45

小説「終日杳かに相同じ」:日居月諸(56枚) 45

でやっていこうと思います。

: では「マーシャル諸島~」から話して行きましょう!

る(shiroyama: それでは

詩「マーシャル諸島を目指そうよ」:る&深街ゆか

事前に文章を用意されている方はよろしくお願いします。

その他でも、どうぞご自由にご発言ください。

日居月諸: 柔らかな印象を受ける裏で色彩が効果的に使われている詩だと思う。

全編を通して「白」が使われ続け、対比されやすい「赤」、シャクナゲにはピンクの種類もある。

白と赤が出会いピンクになる、という仕掛けがもう少し使われていたら、

柔らかさの中に潜む、対照的な印象を盛り込むことが出来たのではないか。

: 最初は読みにくい詩だと思っていたんですが、全体的に物語仕立てで面白く読めました。難点として、魅力的な言葉あるいはひっかかる言葉、耳慣れない言葉が多い分どれに焦点をあてて読めばいいのかとまどった感はあります。「一番白い言葉」がもう少し引き立つように他の言葉のトーンはもう少し抑え気味でもよかったのかと思います。

る(shiroyama: ありがとうございます>お二人 Rain坊さんも率直な感想でよいので言葉にしていただけると嬉しいです。

: 「踝にとまるモノトーンのひかり、翻して」…白―赤の対比ではじまって、一瞬ここで単色になるのが映像的には美しくハッとしました。

日居月諸: 一読した限りでは、まだマーシャル諸島の観光パンフレットを読んだくらいの印象しか覚えませんでした。美しい情景や、他の詩句とつながりの取れない独立したシーンがあるだけで。抽象的な言葉にはなるけれど、肉感的なシーンや、詩句同士のつながりがもっとうまく取れていれば良い詩になると思う。

Rain坊♪: ゆるやかに流れる詩だというのが最初でした。その場にいて思ったことをそのまま述べているような、そんな感じです。終わりの三行が妙に印象的でした。なんだか言葉の繋がりが悪く、その余韻が残るのか全体の話を把握しづらいと感じました。少し同じ言葉を使い過ぎな気がしてくどさも感じました。

日居月諸: たとえば落花生は大抵二つ詰まってますね。それが出会いと別れのシーンとつながりあえば、と考えてしまいます。

る(shiroyama: 繋がりというのはわたし自身あまりよくないと思いました、連詩なのでそこらへん相手の意図を汲みながら書けていたらな、と。

カヅヤ: ぶったぎり感想投下失礼します。作者と合評会メンバーにお聞きしたい。

「舌べろ」って普通言わないよね普通言わない言葉を敢えて詩に使ってるんだよね、それとも普通に使う言葉ですかどっちですか……。

ラッカセイは、うちの祖母が父の幼い頃栽培していたというので、自作と重ね合わせて読んでしまいました。

私は花を見たことはないんですが、白いんですね。

最初のニ行のリズムが好きで、その繰り返しが素敵でした。

る(shiroyama: (マーシャル諸島で落花生の栽培が行われてるというのはもちろん嘘です、花の色も違います、もちろんマーシャル語のくだりも嘘です。)

カヅヤ: あれ、違うんだ…!!(衝撃

: この詩が持つ考えかたや方向性は好きなのですが、情報を詩句の中に入れ過ぎている個所があると思う。情報をよりわけて効果的なものだけにしぼるべきだったかもしれない。情報の合間合間にやはり情景みたいなものを指し込んで、読むうえでの緩急をつけてほしかった。夕方の寂しい情景が描かれた後に「白い言葉」の意味を放り込めば、よかったのかなぁと思いました。キラーフレーズ?を投げか書ける前に読者がある程度、言葉を吸収しやすくなるようなしかけ、スポンジ的な状態をつくっておいてから、一言、かっこいいのを銃弾のように打ち込んでほしかったのかもしれない。

る(shiroyama: (すみません、そのへんはわたしがでっちあげました。)たしかに物語として回収できていないというのがありましたね、効果的に言葉を使えなかったというか。>6さん

: 舌べろは日本語としてあるみたいですよ。校正した時に調べたら、出てきました。

カヅヤ: 日本語であるのは知ってるんですが、一般的に使うかどうかと私は生物の授業で、「聞き間違えを避けるために」「あえて」「舌べろ」という表現を使う以外で聞いたことがないのです。ただ、他の土地では使うのかなと。

カヅヤ: あ、詩の内容とはほとんど関係ない、言葉への好奇心です…

る(shiroyama: あ、舌べろ、って言葉に関してはわたしは普段つかう言葉でした。

カヅヤ: あ、そうだったんですね。了解です!土地柄なのかな、人によるのかな?

る(shiroyama: 土地柄かもしれませんね。じゃぁそろそろインターバルを2,3分おいて、次の作品へ以降したいと思います。皆様どうもありがとうございました。

ちなみに整形前は

 

「マーシャル諸島を目指そうよ」

 

この右手がラリックであなたの舌べろがラダックであるように絡み付いたら

その赤いのと赤いのが例えば蝦夷ペンギンの背の輪郭に寄り添いながら

滑り落ちる赤いのと赤いので赤いのよ、と、いわば朝焼けなのよ、と、逆に

夕日? お尻にできた赤いくちづけの痕みたいにシリアスな靴を履いているから

 

あなたはでたらめな英単語を吐き出して外人さんとステップを踏む

赤いくちづけが紫のくちづけになっても、知らないのよ、見ないのよ

無かったみたいな顔していればいいのよ、まあるい地球儀の上のホクロ

マーシャル語で愛してるって言ったって、くちづけの痕はそのまま

世界の一パーセントの人らにもわかってもらえない、蝦夷ペンギンにも

 

ピーナッツの栽培が盛んなんです

落花生ともいいますね

マーシャルピーナッツの花は世界のどんな花よりも白くて

マーシャル語で白いって言う時、落花生と言うんです

ちなみに、ですが。

長年連れ添った伴侶と死に別れるときにも

なぜだか、白い

って言うんです

なぜだかは知らないんですがね

 

知らないままでいいんじゃないでしょうかね

マーシャル諸島で生まれて

マーシャル諸島で死ぬあたしらは

落花生、の一言をもらって

地球上のホクロのホクロになるだけの

マーシャル諸島人なんでね

 

あいりーんらぷらぷ

落花生という意味です

マーシャルで一番白い言葉

 

こんな詩形でした。

Rain坊♪: ふとした疑問なんですがなんでマーシャル諸島だったんですか?

る(shiroyama: 深街と通話していて、わたしが途中でうんこしに行ったんですが、トイレに世界地図が貼ってありまして、それで、マーシャル諸島を見つけて、連詩することになりました。

カヅヤ: すみません、整形前をみるまで、あいりーん~ が、ラッカセイを指す語として書かれていることに気付いてなかった阿呆がここに……。

日居月諸: (……こっちのほうがいいんじゃない?)

 

る(shiroyama: それでは、

詩「手」:加津也 45

の合評を開始させていただきたいと思います。

カヅヤ: よろしくおねがいします(ガクブル

る(shiroyama: (変に整合性を持たせようとしたのが裏目ったかもですね>日居さん)

カヅヤ: (ちょっと席を離れます)

日居月諸: とても良い。一編の詩の中で汚らわしさと美しさを始めとした

様々な諸価値は掛け離れているものではなく、連続性のあるものだということがよく描けている。

論理的に書かれているから散文詩というより小説として読めるけれど、

通常シーンが独立している小説と違って、

言葉が継ぎ目なく重なってくるから回想が流れ込んでくるような印象を受ける。

言葉だけでなく母や祖母と「私」の間にも継ぎ目がないし、

「私」の体験した出来事と「私」の間にも継ぎ目がない。

何もかも「私」に影響を与えているし、何もかも「私」は拒めない。

シーンがのしかかってくる、もしくは言葉がのしかかってくる、

そんな詩らしさが満ちている作品だと思った。

: カヅヤさんの描く世界と言うのはいつも技術以上の何かを孕んでいて、これを伝えようこのことを伝えたいというのが先にたっていて、それらは一般的な価値観から言えば美しいものとは離れている存在であるのにそれをカヅヤさんが文章にすることによって、美しいものに様変わりする造形に嫉妬します。

る(shiroyama: わたしは好きな作品でした、普段いわゆる「詩語」にまみれた作品を読んでいることが多いのですが、とてもストレートな表現が多く、まどろっこしい気持ちを抱かずに済みました。

全体として、とても音読を意識された作品なのかな? と思うことしきりでした、読点の打ち方など正規なやりかたではないでしょうが、勢いを感じて、作中主体の想いをうまく表現できているような気がします。

: そうしてできる繭の一本一本を紡いで織り上げたシルクの、マルイの下着売り場で「極上の肌触り」というポップに釣られて手を伸ばして値段見て手を引っ込める真っ赤なランジェリーのあの触り心地……このあたりのだささ!これを詩のなかにどうどうといれるかっこよさ!というのか何と言うのか真似できない。

: (そろそろ限界なので落ちます。みなさんご迷惑をおかけしてすいません。るさんありがとうです。ログ整理は僕がしておきますので。それでは・・・)

る(shiroyama: (6さんお大事に)

Rain坊♪: すごくいいと思います。分かりやすいし、情景が思い浮かびやすい。詩に対して(失礼ながら勝手に)思っていたとっつきにくさをまるで感じませんでした。また読んだもののすり抜けるようだとも思っていたのですがこれは残るものがある。

Rain坊♪: (あったかくしてお大事に>6さん)

日居月諸: (お大事に)

カヅヤ: (戻)(6さん、参加ありがとうございました。お大事にしてください)

日居月諸: カヅヤさんは小説を書く人として知っているから、散文に長けた人の詩だと思いました。けれど言葉の使い方も非常に上手いと思います。6さんの挙げられたダサい言葉がなぜ浮かないか。たぶんるさんの言う通り朗読して違和感のない並びだからすっと入ってくるんでしょうね。あくまで朗読するための文章だから詩からは浮かない。ほとんど無内容な、美しい言葉として詩に溶け込むことが出来ている

Rain坊♪: 詩をほとんど読んだことがない自分にとっては分からないのですが、こういう長いのも詩になるんでしょうか?

カヅヤ: なりますね。定義云々は私は分からないのですが、散文的なものを書く詩人さんは結構います。

小野寺那仁: こんばんは

日居月諸: (こんばんは)

る(shiroyama: (小野寺さん今晩は)

Rain坊♪: (こんばんは)

る(shiroyama: (現在カヅヤさんの作品の合評中です)

カヅヤ: 自分は、伊藤比呂美さんや、四元 康祐 さんあたりが、長文散文詩では好きです。

小野寺那仁: 一応、参加はできるようになりましたが(半ば強引に)まだ宴の途中なんです

カヅヤ: (おおおお、お疲れ様です…!)

小野寺那仁: 酔ってもいますのでまあ一応の参加で、すみません

日居月諸: この作品は詩として作り始めたんですか? それとも小説か何かからスイッチして作ったんですか?

カヅヤ: …難しい質問が…!作品にしようと思って書きだしたときは、「朗読用」でした。

ただ、中身の様々なイメージは、とくに媒体は定めない状態で、頭の中で温めたり、ノートに書きだしたりしていたものです。

だから、多分、数年前の小説の下書き(未完成)にも同じモチーフは見つかるし、この先同じモチーフが小説に出て来る可能性もあります。

日居月諸: ああ、いうなれば最初は音だとかイメージだけがあったんですね

カヅヤ: 多分、作り始めの直前に、朗読イベントか何かを見て、触発されて。

 

喫茶店で本を読んでいたら、「親指がぱっくり割れて」という、自分の手を差し出して音読するイメージが、ふと浮かんで、そこから温めていたイメージが形になって、繋がっていって

カヅヤ: 手帳に朗読用の文句を書きなぐり、家に帰ってから形にしていきました。(なので、去年の手帳には、呪いの書のようなページが見開き6ページぐらいあります…)←うそでした、見開き2頁+1頁でした

Rain坊♪: この作品は個人的に共感できる部分が多かったです

日居月諸: プロットは小説なんですよね。どのへんが、っていうと言いづらいんだけど、きっかけがあって、自分のルーツにつながって、っていう具合に、謎解きをするような構造がそう思わせるのかもしれない。でも言葉選びは歌に近くて、全体の印象は詩だという。良いとこどりをしてる

カヅヤ: ……!!? 手帳見直したら「手(詩バージョン)」て書いてあったので、多分、小説として書きあぐねていたものが、詩にしたらしっくりきた、というかんじのようです。なので、日居さんのご指摘は大当たりです……!

る(shiroyama: 好きな作品ではあったんですけど、全体として物語の内側に入っていけないような疎外感を少し感じました、わたしが男だからかもしれませんね、きれい・きたない、という対比にそれほど拘りを感じていないせいかもしれません。でもそれは個人の好みかな、と思います。

もう一つ、朗読用の詩ということですが、全体として迫ってくるような勢いがあってとても好ましく思ったんですが、なんというか、表現一つ一つが解釈の枠の中で展開されているようで、詩的な冒険に欠けるような気がしました、フレーズ単位で、ですね。これも個人的な好みなんですが、詩ってそれ以上分解不可能な、素因数のような表現を持っていて欲しい、と思うんですね。そういう意味で、全体として、好ましく読めた反面、ハッとするフレーズに出会えなかったかな、というのが率直な印象です。

カヅヤ: Rain坊さん 

詩をあまり読んでない方にも共感してもらえるのは、すごく嬉しいです。

>るさん

 私自身が理屈っぽい、分かりやすい文章が好きなのが、文章にも出ていますね。自分も、詩の中のぎょっとするような表現は好きなので、自作にはそういった「詩的魅力」が乏しいなあと思います・・・。

カヅヤ: Rain坊さんの共感、というのは、何か自身の経験から共感できるところがあった、ということでしょうか。

Rain坊♪: そう、ですね。それに感じていることも実際に自分が思っていることに近かったりもします

カヅヤ: おお。それは、身内、祖父母などに対する目線がですか

Rain坊♪: そうです。どんぴしゃといってもいいぐらいです

る(shiroyama: それでは2,3分のインターバルをおいて次の作品に移りますので話題はそのまま、次の作品の準備をしてください

カヅヤ: あ、ありがとうございました!私は、自分でも似た境遇の話や詩を好んで読むところがあって、なので、明確な目的ではないけれど、似たことを思っている人に伝わったら嬉しいと思っていたのですごく、嬉しい感想でした。(表現が重複しすぎている…!言葉いびつですみません!)

小野寺那仁: 感想ですが全体として女性の歴史というものを上手くとらえているのではないかと思いました。

る(shiroyama: それでは次の作品

小説「天使のはしご」:Rain坊(63枚) 45

について、皆様お願いいたします。

小野寺那仁: あああ

カヅヤ: (小野寺さん、ありがとうございます!)

る(shiroyama: (あとでお時間作ろうかと思います>小野寺さん)

小野寺那仁: う、では掲示板にまとめて書こうかな

カヅヤ: ≫「私の書いた話は面白くないのです!これっぽっちも!!妄想であれほど輝いていたお話も、いざ書いてみるとどれもこれもちんけな話へと変貌を遂げるのです。」

もうやめて!私のライフはゼロよ!!

高野文子と大友さんが「漫画って、頭で考えてるときがいちばん面白いんだよ」って言ってたの思い出しました…。自分で書いてもホントそう思います。不思議ですよね。

 

おじいさんの独白から「天使なのだから」までのパートは、おじいさんがそんなに老人に見えない、という点を除けば、おじいさんに共感しながら、楽しく読むことができました。

物書きの性というか業というか…そういうのが、ありありと。「やめろよ俺が中二病なのは分かってるんだからそれをありていに書くなよ」とプルプルしながら読みました。

 

ただ、そこから先が、断片的というか、尻切れトンボというか……結局どうなったんだ!?という感覚が。

おじいさんの本にしても、「天使を書いた結果、読めないけど神々しい感じのものができた」のかな、と読み取ったのですが、その神々しさを友人の口で説明されてしまうと、味気ない感じがしてしまいました。

若者とおじいさんの関係も、説明くさくなってしまっていて、もっと生き生きとした文章で読ませてほしかった。

最後の、天使のはしごが現れるシーンも唐突な感じがしてしまいました。

私がなにか、しかけを読み取れてないのかもしれないのですがががが…ひとまず、以上が一読した感想になります。

日居月諸: 視点変更をする必然性が見当たらない。というか、必然性を作り上げられていない。

老いた小説家と天使の会話から、葬列を見守る青年の回顧へと話が移り変わるけれど、

そこにつながりが見いだせない。小説家は夢が叶わず老醜を晒してまで天使にすがりつくところまで落ちぶれるけれど、

そうした要素は青年の視点には引き継がれず、ただただ懐古だけが重ねられていく。

かろうじて二つをつないでいるとおぼしきものは、小説家の持っていた本だけど、

その意匠もつながりを曖昧なままにとどめてしまっている。

バラバラなはずだったプロットがくっついてしまった印象を受けた。

 

る(shiroyama: 前の作品と比べて表現がとても巧みになっていることに目をひかれました。あまりひっかかる言葉もなくすんなり読めた印象です。

あと、天使の女の子がすごくかわいくて、下心満載のお爺さんとの会話がとても面白かったです。

作中主体が「俺」に移ってからも、特に落差なく、そのままのテンションで読めたのが、良かったです。さりげなく挿入された、煙草の描写とかとても上手だと思いました。

ラストシーンですが、天使にひっぱられて、天使のはしごを上っていく老人がまたいい味を出しているような気がしました。総じてこちらも好きな作品です。

緑川: (こんばんは、皆さん)

小野寺那仁: 安部さんもそうなんですが、Rain坊さんも二十歳という年齢を考慮するとなかなか才能のある人だという思いを禁じ得ません。

る(shiroyama: (緑川さんこんばんは)

日居月諸: (こんばんは)

小野寺那仁: こんばんは、です

Rain坊♪: (こんばんは)

緑川: 文章的は、ところどころ硬い表現もありますが、全体的に素直な文章が読みやすかったです。良いですね、こういうの。ただ、あえて欲を言えば、ここぞというところで読ませる(読み手を唸らせる)描写とかあれば良かったかと。

小野寺那仁: レインボーさんの作品傾向として作家メタ小説と美少女監禁譚が系列としてあると思うのですが、その二つがくっついたと思います。

日居月諸: 美少女監禁譚(笑)

緑川: 全体から受ける印象は、やっぱりラノベっぽいかな。天使と爺さんの下世話なやり取りあたりとか既視感があります(だから、いけないとは思いませんけど)。だから、そっち方面かなと思っていたら、素材的には純文っぽいところもありまして、これからもっと方向性が定まっていくのかなと。

小野寺那仁: で、この老人らしからぬ老人の内面描写が現実的ではないにしてもなんかやたらと巧い。

カヅヤ: 作家メタ、たしかに(笑) 前のエレベーターの作品も、内面描写大好きでした……。今回も、老人としてのリアリティとかは保留にして、一物書きとして共感しまくりました。

緑川: 余談ですけど、摩耶峰夫(パタリロの作者)が作中で「頭の中で考えているうちは、全部傑作なんだ」って言っていたのを思い出しました。たしか、投稿、落選を繰り返すアシスタントに言い聞かせていた場面だったと思う。

緑川: 素直に出ている感じがしますから、内面描写。内容というより表現のされ方に、変な屈折がないというか。

小野寺那仁: そうですね。無邪気に書いている感じがします。それが心地よく感じます

日居月諸: 以前Rain坊さんの作品に行きとどいた答案という感想を残した覚えがあるんですが、ちょっと今回もそんな感じを受けました。これを書いておけば間違いない、と言うものは描けている。ただ、その先がない。その先が何かと言われればちょっと迷うんですが

る(shiroyama: ただ、天使の女の子の性格はなんというか既存のテンプレの域を出ていなかったり、爺さんもまた、ちょっとありきたりな脱臼のさせ方かな、という印象は持ちました、「俺」に関しては、「俺」がいったいどういう人物なのかというのもなかなか判別しないところがあります、老人との関わりにおいて、もう少し深い関係を構築させておいても良かったのかもしれませんね。 ただ「典型的なもの」ってやっぱり面白いから典型になるのであって、そういう意味では楽しめたと思います。 もし可能でしたら、Rain坊さん自身が新たな「典型」を作り出すくらいの意気込みで、次回作書いていただきたいな、という印象をもちました。

カヅヤ: 私は、これまでの作品からは、わりと「まとまっている」感を受けていたのですが、今回の作品は、断片断片は面白いシーンややりとりが多いのですが、全体としてのまとまりのなさ、日居さんの指摘したような、接続の悪さや必然性などが気になりました。

カヅヤ: 逆に言えば、これまでよりも広げた作品を書こうとされたのかな?とも思ったり。

緑川: チャレンジングな試みだったんですかね、今回ような展開は

カヅヤ: ツイ文に上がってる過去作だけを見ると、今までは1ネタ1小説だったと思うんです。

緑川: 過去のエピソードが現在時間に割り込んでくるというのも、もしかして初めてかな

カヅヤ: 地の文や、作者の独白内で語らせることはあったけど、時間軸そのものを織り込むようなのは多分ないのかな?

今回は、いろんなモチーフやいろんな人物を書いていたので、これまでの「まとまった掌編小説」とは違う感じを受けました。

る(shiroyama: ひとつのアイディアとして、「俺」と「老人」の関係を周囲の人たちと同じ、あるいは似ているものとして書かずに、「俺」だけは何故か、老人を物凄く嫌っていたりとか、あるいは物凄く慕っていたりとか、そんなふうな落差をつけると、作中主体が代わったあとの文章もメリハリというか、読者にわくわくさせる劇的な展開を用意できたような気がします。

カヅヤ: なるほどです。

私は、バラバラ感が気になってしまったので、もっとこう見せ場というか、主になるテーマやモチーフがあればいいなと思いました。

カヅヤ: るさんが「天使の女の子がすごく可愛い」って言っていますが、たしかに人物のキャラクターは魅力的で、ブレもないんですよね。

小野寺那仁: あ、誤植ありました

カヅヤ: だから、作り込み(具体的な指摘はできないんですが)や設定をもっと深くしていけば、それを形にすることは全然難しくはないんだろうなと思いました。 (誤植…今、自作でも見つけて直してしまいました…フフフ…)

小野寺那仁: 難をいえば設定を巧妙にするということは前半も後半もできているのですが、読者の読みたいものが「いまわの際の判読不能」というのではやや欲求不満が残ってしまうんですよね

カヅヤ: たしかに!何描いたんだろうって結構期待して読んでました!

カヅヤ: 「読めないのかよ!」って思った。

小野寺那仁: 期待感を裏切る。Rain坊さんの悪ふざけに収束されてしまうというもどかしさはあります。

る(shiroyama: そうですね、設定に深みが出れば、もっといいものになった気がします、Rain坊さんは今回とてもそつなく文章を書かれている印象を持ちましたので、確実に筆力は上がっているのだろうと思います。個人的な話なんですが、わたしなかなか小説がかけなくなっていたんですが、今回この作品を読ませていただいて、すごくやる気出ました。

る(shiroyama: 2,3分のインターバルを挟んでそろそろ次の作品に移りたいと思います、話題はそのままで、次の作品の準備をお願いします。

る(shiroyama: (言い残したことがある方は今のうちにね)

Rain坊♪: みなさま、貴重なご意見ありがとうざいました。参考にさせていただきます。ただ少女監禁譚はあらぬ誤解を呼びそうなのでできれば遠慮させてください()

小野寺那仁: ええ、るさんの言われるとおり私もRain坊さんの文章の流暢さにはショックを受け書く気がふつふつと沸いてきました。

カヅヤ: 起承転結っていう話なのかな。期待感を持ちながら読み進めていったけど、ヤマ部分がよくわからなかったので、空振りだったーという感覚がありました。ベタかもしれないですが、起承転結をカチっと作ってもいいのかも。

緑川: 試みを買います。今回のRain坊さんの作品

る(shiroyama: そうですね、あれ、いつのまにRain坊さんに負けてる・・・。  ってなってやる気でました 笑 >小野寺さん

る(shiroyama: それではそろそろ次の作品

小説「終日杳かに相同じ」:日居月諸(56枚) 45

について皆様よろしくお願いします。

緑川: (カズヤさんの作品、楳図かずおの『手』とか、中島みゆきの『傾斜」を思い出しました)

カヅヤ: 「終日~」

初校校正時にお送りしたものと同じものですが…↓

日居さんは、毎回、テーマとモチーフの組み合わせ方が絶妙だと思います。描くのが難しいテーマなのに、その輪郭を描き出せるモチーフ、場面、環境を設定できるのがすごい。

あと、私自身が書きたいと思っているテーマと日居さんが書いているテーマで、被っている部分がかなりあると勝手に感じているので、読みながら嫉妬を覚えることもしばしばです。

老爺の話、職場の話、女の子、老爺……という、てんでんばらばらに見える人達、場面をつなぎ合わせて一つのものを描き出すっていう技法? は、自分があまり純文学を読まないせいもあるのか、とても新鮮です。

緑川: 古井由吉の『眉雨』とか、主人公の輪郭が曖昧なまま言葉というか文章だけが先へ先へと伸びていく。ちょっと私には書けない。すごいと思います。ただ、こういう作品を好む読者がどれくらいいるのかを考えると少々心もとない気もします。

小野寺那仁: もうこの作品の作者の誠実真摯な態度から感受性の質から純文学と言われる作品群の系譜の正統なる嫡子を感じざるを得ません。そしてこれまでよりも純度は高まり寄り道的な文章が今までよりも格段に少なくなっていると思います

Rain坊♪: 戦争体験の話は身近な感覚で読んでいました(長崎は原爆が落ちた日に学校に集まって黙祷、そして集会を開いて話を聞いていたり当時についての映像を見たりするので)。書くにはすごく苦労するであろうモチーフを選んだことを称賛したいです。これを言うと何様だよって感じですがよくぞ書いてくれたと思います

る(shiroyama: 流暢な表現、とても読みやすく好感をもてました。やはり基礎のしっかりしている方だな、と。それで今回は、今までのようなプロットありきでかかれた作品ではなく、主に内面や、思想的なことに言及していっている作品だという印象を持ちました。

聴力をめぐる、作中人物の思案が、腑に落ちるようでなかなか腑に落ちず、やきもきした印象を持ったのですが、それは悪い意味ではなく、再読したい、と思うようなそれでした。

震災や戦争、それらのことを描くことって物凄く超越的な目線を持っていないと成り立たない行為だと思いますが、そういう鼻持ちならなさ、というのはいっこうに感じず。逆にそういった「すっきり」とした視線というのが、今、現在に生きている読者であるわたしに関係していくのが、少し違和感といいますか、この言葉の出所はいったいどこだろう?という疑問を抱きました。

今回かなり怠惰な読者をしてしまったのであまり読めていないところも多々あると思うのですが、わたしはまた再読してみたいな、という感想を抱きましたので、作者の試みは成功しているのではないか、と思いました。

カヅヤ: あ、これも初校時にお伝えしたのですが

カヅヤ: 石牟礼道子さんの「天湖」が、聴覚を扱った話で。直前に「天湖」を読んだばかりだったので、立て続けにこれをよめたという偶然が、ちょっと嬉しかったです。

日居月諸: 今回は読者の事はほとんど考えず自分のためだけに書いたので、好評をいただけるのは意外でもあり有り難くもあり……。

小野寺那仁: 戦争による破壊も津波による破壊も被災者からみれば似通ってくるという認識は説得力があります。さらに聴力というひねりも入っているという

カヅヤ: 自分は、戦争も震災も工場も、「部外者」の立場で読んでいたのですが、説得力がありました。

小野寺那仁: そういう重層的な構造に文章が適合しているのが非常にいい点です

日居月諸: ただそれらの出来事って本来は独立しているものだと思うので、それを小説の中で重ねていくことの疑わしさはつきまとうでしょうけどね

日居月諸: >逆にそういった「すっきり」とした視線というのが、今、現在に生きている読者であるわたしに関係していくのが、少し違和感といいますか、この言葉の出所はいったいどこだろう?という疑問を抱きました。

日居月諸: るさんのこの感想は難点を言い当てていると思います

小野寺那仁: Rain坊さんがエンタメのテンプレートを上手く書いたとすれば日居さんは純文学のテンプレートを上手く書いているともいえるかもしれません

カヅヤ: テンプレ……なんでしょうか……。あまり純文学読まないので、新鮮な感じをうけておりました。

日居月諸: テンプレというか形式はほとんど古井由吉から引き継いだものなのでね(決定的にこれ、と言う作品はないですが)

小野寺那仁: 純文学はテンプレとは言わないか()リアルですから。いま、気が付きました。すみません。また小野寺名義で語っていなかった!

日居月諸: ワードの置き換え機能がありますから大丈夫ですよ。

る(shiroyama: ただ、先ほど、「再読したい」という旨申し上げましたが、緑川さんも仰るようにこの話に何か特異な点を見つけて、それをもう一度読みたい、と思ってくれる読者がほとんどか、と問われると少々心もとないというきもします。わたしも日居さんが書いたものだから、という理由が大半なのは認めざるを得ないところです。

一つとして、物語の時間軸がすんなりとしていないので、頭の中で再整理する必要がありますよね、そこで、「聴力」に関するエピソードがどのような有機的な繋がりを持って、作中主体に迫っていったのか、というのが少し判然としないような気もします。

もう一つとして、一つ一つのエピソードというものはとても練り込まれているものだろうとは感じるのですが、わたしの心の中にまさにこれだ、という形で嵌っていくものではありませんでした。それゆえに、一読しかしない読者の心を掴むことができるのか、と問われると少々心もとないです。作者が考えたことを読者との共有空間において間接的にではなく直接的に伝えるような工夫が必要なのではないかなとも思いました。

小野寺那仁: 私は、ボランティアと工場の青年とのやりとりをもっともっと書いていただきたい気持ちがあります。これはテーマとしてものすごいものがあると思うんです。これだけでもひとつの作品が書ける。

る(shiroyama: >小野寺さん

確かにこの小説は、ある程度まで描写をしたうえで後は読者に委ねる、という体裁をとっているようにも思えました。

日居月諸: つながりあうはずのない事どもがなぜつながりあうのか、その「なぜ」が語られてないのかもしれません

日居月諸: 具体例が並べられて一見つながりあうように見えるけれど、その奥にある原理めいたものは描かれてないんでしょうね

小野寺那仁: ああ、それは場合によっては書いてほしいですね。

日居月諸: ついでに深入りはしないんですよね、他人の話を聞いても。

緑川: 各エピソードが恣意的に取り上げられいてる感じがしました。作者主体というか・・・。で、読者は? というのは読んでいてありましたね。読んでいて、どこに連れて行かれるんだろう? みたいな

緑川: そういう作品が好きな方もおられるとは思うし、ひとつの試みかなという感想も持ちました。実際、作品として自立していると思いますし。

緑川: だから、どう評価すべきかは難しかったですね。私には

る(shiroyama: あまり小説に「劇的」なものを求めてしまうのは読者の怠慢かとも思うのですが、じっくり醸造された思考というのは時にドラマがなくても「劇的」であり得ることってありますよね。例えばニーチェのような「劇的」な思想家もいますし。そういう意味で、決してドラマを求めるわけではないのですが、これからじっくり純化していってほしいモチーフだな、と思いました。

緑川: まあ、そうですね。たとえば起伏に富んだストーリーとかをむやみに求めるつもりもないんですけど、うーん……、この方向性でもっと純化して欲しいと言うべきなのかな。

緑川: いや、こういうスタイルで書き続けて作品を成立させちゃうのも力量だと、そこは評価しています。さっきも言ったかな。

る(shiroyama: ある意味で、日居さんにとっての、ヌーヴォーロマンだったのかな、と思います。

日居月諸: この方向で純化していくならやがては読者ゼロの地点に行きつくしかないと思います。個人がよりあつまった末に、何かの拍子に転倒して、普遍性にいたる可能性もあるかもしれませんが。

る(shiroyama: (さてそろそろ合評会も終わりに近づいてきました、皆様言い残したことがあれば)

緑川: 読者ゼロも面白いんじゃないですかね、読者なんか無視して徹底して文章にこだわってみられるのも。突き抜けると、逆にたくさんの読者を惹きつけるかも

日居月諸: 仙人も基本的には信者ゼロですけど信奉されていますからね。解脱を目指してみます。

小野寺那仁: 全体は何が書いているのかよくわからない。でも部分的には感銘する。そういった方向でもいいかもしれませんね

る(shiroyama: それではこれにて、『Li-tweet』秋号、第一回合評会を終了させていただきます。

小野寺那仁: 何が→何を

日居月諸: お疲れ様でした

る(shiroyama: 皆様お疲れ様でした。

小野寺那仁: お疲れ様です

Rain坊♪: おつかれさまでした

緑川: お疲れ様でした(ぺこり

カヅヤ: お疲れ様でした

小野寺那仁: まあなんとか語れてほっとしています。ちょっと体調崩したかな。6さんと一緒。

日居月諸: 無理はなさらずに

る(shiroyama: あ、言い残したこととか、ログに残せないこととかを、これから通話で、とか考えていたんですが、参加される方いますか?

小野寺那仁: いいですよ

日居月諸:

カヅヤ: ノシ

小野寺那仁: ビールを飲み過ぎて腹が冷えてしまった

る(shiroyama: カヅヤさんのはさよならの合図・・・?

カヅヤ: 挙手です!

る(shiroyama: では通話かけるーーー!

 

 

カヅヤ: こちらはラム入りホットミルクティー入れてきましたぜ。ほかほか。