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創作合評(9月)資料

Twitter文芸部 レジュメ 2011.9.24 chemazaki(@makko0917)

 

■領土

Aの大学生の彼は、強い不快感を顕わにしている。他者と近すぎる不快感だ。いつか聞いた科学的な話で、人間には「パーソナルスペース」という物があると聞いた。友達でも腕を伸ばした範囲は必要だという。個人差もあるだろうが、許される範囲を超えると当然我々は警戒する。野生動物ではないので牙をむいたりはしないが、気持ちのどこかで警報がなる。満員電車ではアラームが鳴りっぱなしになる。

1の彼は、社会的な間合いに対して不満があるようだ。駅員は、駅員の経験から相手を分別して、社会的な地位を与え、応対を変える。そうして従わない相手には正義の名の下に攻撃する。社会の利に非常にかなっている。また、後半の汽車の中では(昔四国へ旅行に行ったとき、徳島の人々は電車と言わず汽車と言っていた)見知っていても、ある程度の「仲間」でない以上は関わらない。誰も教えないがこれも社会の基本だ。

Aの彼は人身事故の件で、他者との関わり方を改めようとしたように思える。赤の他人は、存在を警戒しながら黙殺するもの。領土を侵されながらも事故のないよう暮らすためのシステムに、そういうもんだ、と思っていけるかどうか。暗黙に行われる慣習に対して疑問を投げかける物語か。

 

■冬を迎えようとする土地にて

 秋の季節感や一日の時間が豊かに書かれていたのに好感を持った。

朝の章、昼の章、夕方の章、夜の章と分かれていて、昼の章だけ読んでいて違う感覚があった。それは、「書き手」の視線や感情が見えた部分だ。「耳を澄ませ」たり、「動揺」したりする者。ここに作品を読む上でのヒントがある気がする。

 この視線の持つ者は、空き地の中側から外を見ている。長屋が取り壊されたあとの空き地に、それも夜まで時間を過ごす者。長屋の住人たちに思いを馳せ、郷愁も抱いているようだ。もしかして、この書き手は猫なんじゃないだろうか。人への「人間は」という言葉づかいや、動植物への視点、空き地にじっとして動かず、辺りの音や変化を聴く姿勢。観察されているのは、自然と時間とそれに交わる人の営みだ。

 

プランテーション

「夢十夜」とは、つまりプランテーションの景色が一瞬の間に見た幻だったということだろうか。初め駅前通を歩いていてまた人の背中が見えるのでそうだと思う。

「人工的な密林」が永遠と続いているように感じる。抜け出せなくて焦る。歩き続けていくと見えたのは、墓地だった。

 人工的な密林は、人々の労働を主眼においた生活の比喩であるように思える。ずっと続く労働と生活。最後は墓地が広がる。抜け出せない。そんな幻を、町を歩きながら感じたのではないだろうか。