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『Li-tweet』2013秋号 創作合評その2

 

 

 

緑川:そろそろ始めますか

 

イコ:はい、よろしくお願いします

 

日居月諸:お願いします

 

緑川:今回は、詩と句集が3つのうち2つを占めてますが、時間配分はどうしましょ? イコさんの句集と、ふかまちさんの詩が30分……短いですかね

 

イコ:お任せします

 

緑川:るさんの詩と6さんの小説を45分、目安ということで、異議なければスタートします

 

る:私の詩、少なくていいです

 

緑川40分くらい? >るさん

 

る:30分でいいですよ

 

緑川:はい。では、いきますか

 

 

 

 

 

句集「夜食」:イコ

 

 

 

緑川:まずはイコさんの句集「夜食」ですが、感想をご準備の方は、随時書き込みされて下さい。そのうち論点も絞られてくるかと思いますので、どうぞ!

 

 

 

カヅヤ:すみません、俳句やっぱりよく分かんないっす!! 絵は浮かぶ。それはすごく巧みだなあと思う。でも、面白いかと言われると、分からん!となる。分からない理由は、書き手の気持ちに乗ることができないから。で、これは多分、自分の

 

好み、相性の問題だと思う。共感できない。

 

「俳句は感情を書かないものだ」というセオリーは知っているのですが、私は感情を描かない句であっても、そこから著者の滲みでる感情を想像して読むのが好きなのです

 

 

 

例えば、ゴスロリの女の子の超かわいいしぐさを描いた俳句があるとして、それを読めば私は「作者、萌え死んでるww 文字で平静装ってるけど本音めっちゃ漏れてるからwww」ってなる。それは、私と作者が同じアンテナを持っているから、作者がアンテナに何を受信して、どう受け取ったかというのが分かる

 

 

 

そもそも俳句ってそういうものじゃないのかもしれないのですが、私の読み方は「書き手に共感できるか否か」の比重が大きすぎて……

 

上手いんだろうな、器用なんだろうな、というのは感じたのですが、「好み」で言えば「乗れませんでした!」というのが、正直なところです。短歌はわりとすんなり読めるのですが

 

 

 

短歌だと、「著者の視点」を踏まえた上での内容を受けることができるのだけど、俳句だと短すぎて、それができないのかな?

 

 

 

日居月諸:「遊ぶ子の声どこへやら油照り」

 

意図をどうとでも取れる句だと思うけれど、素直に油照りにげんなりしている句と取りたい

 

暑い日は本当に音が聞こえてきそうな感覚があるから、子供の声さえかきけしてしまう、というところがよく表れている

 

 

 

「尻先を振り立て死ぬる雀蜂」

 

これは志賀直哉の「城の崎にて」を思い出しました。速度を上手く活かしている句だと思う

 

 

 

緑川:正直なところ、俳句は評価の仕方が分からないです

 

 

 

小野寺:個人的にイコさんに感想を云いましたが読み返してもあまり感

    想は変わらず、俳句というのはやはり勉強しないと論ずるのは

    難しいんかなと思います。この中で好きな句は、「尻先を振り

    立て死ぬる雀蜂」です

 

 

 

る:吉本隆明の俳句の話を読んだことがあるのですが、俳句って抽象+具象みたいなのが主流って言ってて、なるほどなーと思ったことがあるのですが、これらの句はひとつひとつ具体的でどのように感じ入ればいいのかちょっと分からないってのが本音です

 

 

 

緑川:ただ今作で言えば、「「ふるさとの」と「印刷の」、「月光の」は情景が伝わってきたと思います。観察と、表現の境目とはなかなか難しいものだなと感じました

 

「城の崎にて」は私も連想しました

 

 

 

小野寺:俳句というジャンルはわからないのですがイコさんの句は巧み

    だとは思うのですが。というのは大学の後輩で俳人がいてその

    人よりもイコさんの句のほうが良いような気はしました

 

      それは前にイコさんにスカイプでお伝えしました

 

 

 

ふかまち:絵が浮かんだのは「月光の泳いで行くや瓦波」だけで他はよ

     く分からなくて、俳句って良くも悪くもそれっぽくかけば、

     まあそれっぽくなるものの量産だと思うので、クリティカル

     ヒットは難しいかなと

 

 

 

緑川:「待つ人の」の句が、私はよく分からなかったんですけど、分 

    かった人いますか?

 

 

 

カヅヤ:誰か待ってる人が立ってる ← それ見てる著者だと思いまし
    た。そのまんま!

 

 

 

緑川:例えば、バス停で立ってる人を見てる作者みたいな情景ですかね

 

    「団扇」ってことで、暑い夏が表現されているとか

 

 

 

日居月諸:「待つ人」は他人なんじゃないかな。そして待ち人を見つめているから作者もまた暇を持て余した待ち人。だからこそ、揺らぐ団扇の柄さえ見つめてしまう

 

 

 

緑川:ふむふむ。では、順番に次の句

 

    「遊ぶ子」の句は、じりじりと暑く、だけどしんと静まっている町

   の情景かと。暑さの前に沈黙してる町みたいな……、暑さの中

   に、か

 

 

 

日居月諸:油照りの日は大抵住宅街は静かですね。でもなぜか耳の奥が

     焦げ付いているように、何かしらの音が聞こえてくるような

     感じがある

 

 

 

緑川:うんうん

 

 

 

カヅヤ:暑過ぎてお外出られない、or出ちゃいけません状態の町を想像

    しました。蝉の声すら少なそう

 

 

 

緑川:そういう風景って見たことあるような気がしますね

 

    「かなかなや」は如何でしょう?

 

    私は、もうひと押し欲しい感じがしましたけど。ちょっと、そのま

   まっぽい感じかな。見たまんまというか

 

「蚊に巻かれ」は夕方ですかね、ちょっとユーモラスな感じが面

白い

 

 

 

日居月諸:ただこれに限らず全体的に散文的ですね。ここがこうなって

     こう、といった論理が組み立てられている気がする

 

 

 

緑川:散文的……飛躍が少ないってことですかね。想像力よりも、観察が勝っている感じ?

 

 

 

カヅヤ:ああ、まさに……! 絵はすごく浮かぶんですよね。描写的。それはすごいと思

 

 

 

日居月諸:叙述をしている感じですね。まぁ、俳句は大抵そういうもの

     かもしれないけれ

 

 

 

カヅヤ:でも、私はその絵から、感情だったり想像だったりを広げられ

    なくて……

 

 

 

緑川:感情はたしかに少ないかな・・・この句集。著者の激情とか憂愁とか、そういう類の句集とは違うかな

 

「ふるさとの」は、実際、お盆に帰省した作者の実家が古い田舎

の一軒家だとか、たしかに情景は目に浮かぶ。こういう雰囲気好

きですけどね

 

 

 

カヅヤ:もちろん、最初の感想にも描いた通り、俳句って「感情は書かずに情景を描くもの」なんだけれど…その情景が読者から何かを引き出してくれるようなのが、自分は好きで。もしかしたら著者には何がしか、強い感情があって、だからこそ書いたのかもしれない、けれど

 

 

 

緑川:うん。そういう強い感情とかいう印象はないかな。それよりも、平凡な日常を愛   おしむ(ちょっと言い過ぎ?)というか、足元の確かな淡々とした日常、という句集ということなのかも。だから地味な印象ですし

 

 

 

イコ 抜き差しならないもの、自分にとって切実なものが、ないんだと思

   います

 

 

 

緑川:まあ、でもこれも一つの生き方の形かと

 

 

 

イコ:はい、毎日を見つめ直すような気持ちで俳句を作っています

 

 

 

小野寺:抜き差しならないものが必要なんでしょうかね

 

 

 

イコ:それが必要、という読者もおられるでしょう

 

 

 

日居月諸:さっき散文的といったけれど、散文は基本的に達意を重視す

     るものですね。詩句はその逆で、多少理解されないところが

     あっても良い物だとは思う。その代わり、そこで描かれてい   

     るものはくっきりとしているのが条件ではないでしょうか

 

 

 

カヅヤ: >必要  自分は完全に好みのレベルで話しております……

 

 

 

イコ:カヅヤさん、ごめんなさい。カヅヤさんに向けた言葉では……

 

 

 

カヅヤ:あ、違います違います。自分はそういうスタンスだよ、という話です。そうは受け取ってないです

 

 

 

緑川:さて、そろそろ時間ですけど。言い足りない方、どうぞ!

 

 

 

イコ:よかった。すみませんでした>カヅヤさん

 

 

 

カヅヤ:こちらこそ言葉足らずで申し訳ないです!

 

 

 

緑川:では、5分ほど休憩入りますか

 

イコ: ありがとうございます。自分はそのまま続けていただいても

 

緑川: もうご意見ないですかね……。では、次、8:48(中途半端)より、るさんの詩の合評に移ります。放課後(?)や、別の機会に作者さんに感想を伝えるのはもちろん推奨します

 

イコ: 緑川さん、丁寧に進めて下さってありがとうございます

 

緑川: いえ、至りませんで……

 

イコ: とんでもないです。みなさんのご意見をいただけて嬉しいです

 

 

 

 

 

詩「詩3篇」(る)

 

 

 

緑川:では、次始めますね。るさんの詩、まずは皆さん、フリーで感想

   をお願いします

 

 

 

カヅヤ:すみません、「ワイパー」という単語から「中上健次の小説に陰茎でワイパーごっこやるシーンがあったな……」と思ってしまったせいで脳内がひどいことになりました。本当に申し訳ありません

 

 

 

また連想感想で申し訳ないんですが、「羽」のモデルになった「天使突抜一丁目」の歌に、「お前の頭に穴があいて そこから虹が溢れだして」っていうフレーズがあって、チェルシーのくだりでそれ思い出しました

 

 

 

チェルシーって、なんかとろとろしてるくせにキラキラしてますよね

 

詩全体のイメージとか、感想とかは、全然うまくつかめていないんですが、色んなものが頭をチカチカよぎって、それが、とても綺麗でした

 

 

 

ところで3篇てのは、ワイパー、蝸牛、はんどん の三本です

よ……ね……?

 

 

 

緑川:だと思いましたけど、私も

 

 

 

小野寺:カヅヤさん! 面白すぎる

 

 

 

緑川:もう一個はボーナストラックと書かれてますので

 

 

 

カヅヤあ:そっか、ボーナストラックってそのままボーナストラックな

   んですね!

 

 

 

る:よろしくおねがいします

 

 

 

日居月諸:こう言ってしまうと何だけど、素直な詩だと思いました。情景もしっかり浮かび上がってくるし、単語のチョイスも上手く定型から外れている。それから、全体的にほがらかでチャーミングですね。「痛み」だとか、「引き金」だとか、そういった剣呑な言葉も出てくるのだけど、それをイメージではなく単なる言葉として消化出来ていると思う

 

 

 

イコ:好きか嫌いかで話します

 

読み終わった後に重たいもの、得体のしれないものが、どすん、とうずくまって意識から離れてくれないような表現が好きです。そういう意味で、るさんの詩はとても軽妙で、脳みそのはるか上を、すごいスピードで駆け抜けていってしまうのです。自分の意識には、なかなかうずくまってくれません。自分が好きになれないのは、決して、るさんのせいではありません。言葉を操作することにかけては、るさんはどんどん巧みになっておられると思います

 

 

 

るさんの詩の、よい読者にはなれそうにもありませんが、蝸牛の詩にカシューナッツが比喩として登場するところだけは、ぴんときました

 

 

 

ふかまち:「はんどん」が一番面白かったです、意味もなく面白いものってあるけれどそれだなって、逆にそのほかのは意味もなくつまらないというか、でもあざといなって思うからつまらないのには意味はあるのかな、はんどんは面白かったです

 

 

 

小野寺:「はんどん」は私、意味わかりますね。これ生活臭がかなりあります。深刻な状況だなあと

 

 

 

日居月諸:「はんどん」は良い詩ですね。言葉を上手く使って深刻な状況を深刻だと思わないようにしている節が垣間見えて、結構な効果を挙げていると思う

 

 

 

小野寺:でも意味がわかるから面白いというわけでもあまりなくて個人

    的にはワイパーが一番面白いかなって

 

 

 

ふかまち:(日居月諸と小野寺の発言を受けて)ああ、なるほど! こうやってみても面白いですね、うん

 

 

 

カヅヤ:「はんどん」、とっさに西原理恵子の「ぼくんち」とか、「おやすみプンプン」とかを思い出して、ぞわぞわしました。口調幼いのに、多分「わたし」はいい大人で、それがまたいい意味でアンバランスで、ぞわぞわする

 

 

 

緑川:この「はんどん」のアンコちゃんって誰なんでしょ?わりと切羽詰まった状況で、椎の森とか素朴なものが出てくるのは面白いと思いましたけど

 

 

 

カヅヤ:(絶対違うけど「アンコ椿」を連想した中上ファンがここに一

     匹……)

 

 

 

緑川:(「アンコ椿」だと都はるみを連想する世代もいるかもです >カヅヤさん)。あと、この語りの「わたし」は女性かな

 

 

 

カヅヤ:(あ、都はるみのアンコ椿でした。中上健次が大好きだったという…)。自分は男だと思って読んでました

 

 

 

緑川:語り手が自分の置かれている状況とかなり距離を置いているので、男の語り手が女性っぽくなってしまうのもありかもですね

 

 

 

る:小野寺さんが、生活臭があると仰られたのがつぼってしまった 笑。あ、もちろん嬉しい意味で

 

 

 

緑川:ところで、チャックベリーとか、この中で聴いてる人っているの

   かな

 

 

 

ふかまち:るさんに教えてもらって聞きました>緑川さん

 

 

 

緑川:チャックベリーぽいですかね、「ワイパー」は >ふかまちさん

 

 

 

ふかまち:ギターをそういう動きさせて演奏してる映像を見ましたよ、鶏の真似をチャックベリーがしていて……、えーっと忘れちゃったんですが

 

 

 

緑川:この作品で面白いと思った表現はここかな「極めて広大なはずの朝という空間でいつまでもいったりきたりしているってわけ」(引用)。これが、ワイパーと繋がるんでしょうけど、たしかに、広大な感じがします

 

それと、この作品では「聖なる」が、ひとつのキーワードなんでしょうけど、ぜんぶ……聖なる「みたいな」とか、聖なる「ものっぽい」とか書かれてますね

 

あ、間違えた。全部じゃなくて、詩の終盤に入って、聖なる真似

ごとはしないのか

 

 

 

えっと、あと、誰も触れられてないかな「蝸牛」って作品。こちらは如何でしょ?この「蝸牛」って、まずは三半規管ってことで良いのかな

 

 

 

カヅヤ:あ、なるほど…!?

 

 

 

緑川:狭い舞台で短い時間の枠の中で、だけど幻想的な部分も多い作品

   のような

 

 

 

る:んー、作者としては特に規定はしませんけど、そう読んでいただけ

  るとありがたいですね。(規定している)

 

 

 

カヅヤ:綺麗だなあ、という印象を受けました。静かで、でもやっぱりどこかキラキラしてる

 

 

 

緑川:先の「はんどん」が生活臭なら、こちらは生活感かな、わりとありふれた舞台。だけど、そこに幻想的な部分が随所に忍び込んでいる。「剥きだされた鼓膜に蝸牛が這い出したとき」(引用)とか、けっこう多いですよ、そんな箇所

 

 

 

小野寺:蝸牛を骰子に見立てるってギャンブラー感が漂ってます

 

 

 

カヅヤ:その発想はなかった>ギャンブラー

 

 

 

イコ:「散らばる」とか「転がる」とか「零れる」とか「這い出す」とか、下へ下へ向かう表現が多いですね。落下の瞬間が、残像になって、いくつもいくつもずれて重なっていく感じでした

 

 

 

緑川:ありふれた生活っていうのも、じつは結構ダイスを振ることの連続っていうこともありますからね。落下は、もしかすると、るさんがよく使われるモチーフかもしれないですね。なんか、他の作品でも拝見したことがあるような

 

 

 

ちょっと時間もあれなんですけど、あと「怪物くん」についても

少し触れませんか?

 

 

 

カヅヤ:怪物くんて、やっぱりあのアニメの「怪物くん」の連想ありき

    ですよね

 

 

 

緑川:ですよね。だけど、この作品とは関係ないのかな、やっぱり

 

 

 

る:あ、実はこの詩、題詠でして、タイトルは他の方が決めてそれに対

  してイメージを近付けるというか

 

 

 

カヅヤ:あ、なるほど

 

 

 

緑川:ふむふむ

 

 

 

怪物の住んでる沼地と、夢みたいな草原の対比がまず読み取れますが、葦の生えてるのは、やはり沼地でしょうか?

 

沼地と草原は、「同じ夜を眠れない」。相容れないようでも、沼地からの一条の風が、草原に吹いて、ってことで、違う次元で関わっている。そんなふうに、私には読めました

 

 

 

る:めちゃくちゃ親切に読んで下さって本当に嬉しいです >緑川さん

 

 

 

緑川:以前よりも、巧みになられてると思いますよ >るさん

 

さて、時間ちょっと過ぎちゃってますけど、他に発言したい方お

られますか?

 

 

 

緑川:では次、9:35から、ふかまちさんの詩の合評に入ろうと思い   

   ます。それまで、ちょっと休憩しましょう

 

 

 

る:どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

詩「たべられたい」(ふかまち)

 

 

 

緑川:では、そろそろ始めましょうか

 

ふかまちさんの詩「たべられたい」ですが、やはり、まずはフ

リーでお願いします

 

 

 

カヅヤ:初校時にふかまちさんにお送りした感想のコピペになりますが

 

 「縛りつけられたら、告発するようなお父さんだから」の文が、すごく(決して悪い意味ではなく)ひっかかってきました

 

その前までで、「わたし」の少し幼い、それでいて毒のある……というか、ほの暗い「想像」といった雰囲気を感じていたのですが、「縛り付けられたら~」が、なんでか、私には急にリアルな、現実の何かを置かれたような感じがしてこの部分に、妙に目がいってしまいました。

 

 

 

あと、「名前がないだけで存在していた」って部分が、好きで

 

 

 

小野寺:特に後段ですが、そこはかとなく哀しみの漂う詩だと思いまし

    た。ふかまちさんの言葉の使い方が自分の波長にあってくるの

    で感情が伝わってきます

 

 

 

日居月諸:かなり言葉が剥き出しになっている詩だと思いました。剥き出しになっている言葉と、修辞的な言葉がマッチしていないから、より前者のえぐさが露わになってくる

 

 

 

小野寺:ああ日居さんの言われることもよく分かります

 

 

 

る:あ、小技を繰り返してるな、って小気味よく読むことができまし

  た。ただテーマは何度も書かれたことがあると思われることなの

  で、ちょっと工夫が欲しかったなと。あと改行詩になっている部分

  なんですが、散文詩の部分とのギャップがあまりなくて、そこらへ

  んはちょっと肩透かしかなぁとも

 

 

 

小野寺:前半はもう少しオブラートに包んだ方がいいかなあと思いまし

    た

 

 

 

日居月諸:ここまで剥き出しにしていいのかな、という感じはあります。筆者、もしくは「わたし」が望んでいるのは無に近い存在になることだと思うんですが、それ以上に怨念じみたものが残っているから、願望ともマッチしていない。

 

 

 

カヅヤ:あ、なるほど。そのせいかな、ところどころ、ガリッって来る

    文があって自分は、むしろそれが心地よく感じました……もと  

    もと直球の言葉が好きだからかもしれません

 

 

 

イコ:コントロールされていない印象を受けました。切実な何かがあるけれど、それをうまく伝えられるほど、この「語り手」は自分を見つめきれていない。だからどうしても言葉が先へ先へ走っていく。そういうものだと読めば、よくできているように思います。ですが、やはり好き嫌いで語ると、幼い語り手の奥にいる作者が、この作品と距離を取れていないように思えて、このごろの自分にはマッチしませんでした

 

 

 

緑川:分裂を繰り返す以前、名前が無いだけで存在していた存在、これらが希求されるものとしてあって、そこに近付くための方策が「食べられたい」、っていうことかなと読みました。ちょっと意味の取りづらいフレーズが散見されますので、そこはこの合評で読み解ければと思います。

 

 

 

る:あと「分裂をくりかえす以前の濃密な言葉で伝えられない」

 

これって詩の原点だよなぁ、と、深く沁みました

 

 

 

ふかまち:(るの発言引用)『テーマは何度もかかれたことがあると思われることなので、ちょっと工夫が欲しかった』

 

(小野寺の発言引用)『剥き出しになっている言葉と、修辞的な言葉がマッチしていないから前半はもう少しオブラートに包んだ方がいいかなあと思いました』

 

 

 

なるほどなあ、と思いました。まるで意識してなかったので。これからは気をつけたいなあと

 

 

 

緑川:小野寺さんの言われる「オブラートに包む」っていうのが、何を指しているのか、ちょっと私には分からないんですけど……

 

 

 

ふかまち:(イコの発言引用)『コントロールされていない印象を受けました。切実な何かがあるけれど、それをうまく伝えられるほど、この「語り手」は自分を見つめきれていない。だからどうしても言葉が先へ先へ走っていく。そういうものだと読めば、よくできているように思います。ですが、やはり好き嫌いで語ると、幼い語り手の奥にいる作者が、この作品と距離を取れていないように思えて、このごろの自分にはマッチしませんでした』

 

 

       えっと、これはちょっといただけないです。自分を見つめる  

      ために詩を書いてるわけじゃないので

 

 

 

イコ:「語り手」と「作者」は別物やと思って下さい

 

 

 

ふかまち:なるほど>イコさん

 

 

 

緑川:あと、ちょっと確認したいんですけど、そばにいるお父さんはじつは本当のお父さんで、天国にいるお父さんは、語り手の空想だと私は思ったんですけど、違うのかな

 

 

 

ふかまち:そうですね>緑川さん

 

 

 

る:たぶん「分裂」というテーマと「出生」というテーマをうまく結びつけたいのだろうな、という作者の意図を感じるのですが、深いところでまだ結びついていないようなむずむず感が。 せっかくいいフレーズがあるのにそれが核心になって読者に迫ってこないというか

 

 

 

小野寺:たとえば「にせもののお父さん」という言葉はもう少し別に言い換えられないかなとかいうことです >緑川さん

 

 

 

る:たぶんですが……、詩に「事実関係」はあまり関係ないかもしれませんね。それも読者に委ねられている、とわたしは思っています >緑川さん

 

 

 

緑川:ふむふむ >小野寺さん

 

 

 

日居月諸:詩の原点となっている分裂する前の状態と、詩を書くために必須な分裂しているしている後の(語彙が豊富な)状態というアンバランスなところもあるかな。分裂に分裂を繰り返したら0に近くなるという可能性もあるけれど

 

 

 

ふかまち:分裂はただ使ってみたくて使っただけです、ちょっと強い言葉だったかもしれないです >るさん

 

 

 

緑川:読者としては、どっちかに規定しないと読みを先に進められない

   ので >るさん

 

 

 

カヅヤ:にせもののお父さん、は、あまり違和感なかったです

 

というのも、「これは本当のお父さんやない…!!」っていう空想豊かな女の子の漫画を、りぼんで読んだことがあって

 

自分の中にある、そういう少女漫画的な下地に、前半部分がすんなり入り込んできたので、非常に女の子らしい、あああ、そういう空想あるよね! という感覚で読んでおりました

 

 

 

緑川:そうですね。空想豊かな女の子、って私もそう読みました >カ

   ヅヤさん

 

 

 

ふかまち:あ、にせもののお父さんって抵抗感あるんですね、でも微妙な家庭環境に育っちゃえばそうでもないかもしれないかなって勝手に思ってしまったのが悪かったのかも……

 

 

 

日居月諸:本物のお父さんと偽物のお父さんがいる状態は分裂している状態ですね。分裂している、偽物のはずの一方が言葉によって濃厚になれば本物と変わりなくなる。つまり言葉によって分裂を繰り返して差異がなくなって、区分けが無くなる。そんな地点を目指しているのかな

 

 

 

小野寺:お父さんにはよく分からんよ

 

 

 

イコ:「お父さん」って言葉自体が嘘臭いものに感じられてきました。「わたし」のそばにいる、なんだかよく分からない存在について触れようとした詩なのかも、と思いました

 

 

 

ふかまち:お父さんて言葉がうそ臭いって(笑)

 

 

 

日居月諸:でもスタンスとしては軽んじて見てますね、お父さんを

 

 

 

カヅヤ:娘にとってのおとんなんてもともとそんな存在やないん(ry

 

 

 

日居月諸:将来的にそうなると考えると辛いところですね(笑)

 

 

 

カヅヤ:あ、「そんな存在」はイコさんの言葉にかかってます~

 

 

 

緑川:語り手が最初の方は女の子っていうか子供みたいで、後半はもっと年上な感じになってしまってて、もしかするとその辺りが曖昧なまま書かれてしまってるのかなと。だから、お父さんの存在も、「わたし」との関係が見えにくい、実体が薄い感じになっちゃったのかな

 

 

 

ふかまち:パチンコ屋に連れて行ってくれるお父さんだから >日居さ

     ん

 

 

 

イコ:お父さんはお父さんなんだけど、この詩の中で、お父さん、お父さん、お父さんって繰り返されればされるほど、ぼやけていくというか、疑わしくなっていくというか、嘘っぽくなっていくというか

 

 

 

カヅヤ:漂ってくる親子関係が、仲良しってわけではなくて

 

父親のほうは、パチ屋連れてったり動物園連れてったり、仲よくしてるつもりぽいけど、娘からすると、なんか怖いし臭いしでかいしゴツゴツしてるしおっかないし何考えてるかよくわかんないし、自分がこの人から半分命もらったのかと考えても母親ほどにはしっくりこないし、親子なにそれ? みたいな感じが

 

 

 

カヅヤ:だから、イコさんのいう「嘘っぽい」っていうのが、まさに女の子から見た父親なのかなーと思いました

 

 

 

イコ:カヅヤさんの言葉で、自分の印象が補足された感じがあります。

   なるほど

 

 

 

日居月諸:確かに本当に確かな物は名指ししないかもしれない。言葉が色んな文脈に置かれると意味が過剰になってしまって、手のつけようが無くなってしまいかねませんから。その点、繰り返されるとポジションが段々曖昧になっていくんでしょうね

 

 

 

カヅヤ:お酒飲んでるときいきなりどなり声上げたりして「わたし」はそれに対して意味もわからず怯えるんだろうなという親子関係

 

 

 

る:わたしが感じたのは生物の教科書に載っている卵割の図でした。「分裂をくりかえす以前の濃密な言葉で伝えられない」という一種の「未分化」への憧れ、それは言葉の問題でも主体の問題でもあると思うんですが

 

 

 

詩って、きれいな言葉で彩られて、さまざまな言葉で修辞されて、そんな過程を繰り返しながらも、なんというか「ほんとうのことば」って言ったらいいのかな、「言葉の雛型」とでもいえばいいのかな、 そういうものへの憧れってあると思うんですよ。 さきほどイコさんが仰っていたような、「どすん」とくる言葉とでもいうのかな

 

 

 

でも現代詩人ってそういうのやれない、ある人が言ってたんですが、わたしたちはもう誰も宮沢賢治にはなれないし、中原中也にもなれない。そういう意味での「未分化」への憧れ

 

 

 

そういうものを、「わたし」という言語主体が未分化なままの、「卵割の過程」の最初のところに載っているような状態への憧れ。けれどもわたしたちは「もうそうはなれない」というかなしみ。 そんなことを考えさせられました

 

 

 

ふかまち:なんというか、今までみてきた女の子ってお父さんがいい加減ならいい加減なほど、お父さんがお父さんがって愚痴ってお父さんって甘えて、それら自分の傷つついた部分を見てよーお父さん、みたいなファザコンが多いなって思って

 

 

 

緑川:るさんの発言で、坂口安吾の「文学のふるさと」というエッセイを思い出しました。

 

余談ですが

 

 

 

イコ:なるほど。なれないのか……。「詩の原点」っていうのがよく分からなかったんですけど、少し納得しました >るさん

 

 

 

緑川:さて、ではそろそろこの辺りにしようかと思いますが、まだ言い足りない方おられませんか?

 

 

 

ふかまち:ありがとうございました

 

カヅヤ:もう一言だけ!ふかまちさんのファザコン女子観に激しく共感。父離れしたいけどできなくて、それが後半に続いてるように感じました

 

ふかまち:ありがとー!

 

緑川:では、いったんこの辺りで。次は、10:20からということでよろしいですか?

 

イコ:はい

 

る:了解です

 

 

 

カヅヤ:(休憩中にもうちょい付け足せて下さい……)。るさんの感想を読んで「あ、そうだそのイメージもあった!」という便乗感想なんですが

 

 

 

ふかまち:わたしが感じたのは生物の教科書に載っている卵割の図でした……。るさんのこの文章すごくよかった!

 

 

 

カヅヤ:分裂→卵割ってのは、自分もぼやっと感じました。

 

前後に、「器官」「結ばれたい」とかあるので、完全に生殖器の方向でイメージして、父と娘の危うい距離感とか、その上で「精子と卵子まで戻ってしまいたい」っていう消失願望とかが見え隠れして

 

 

 

分裂前の細胞に戻ってなおかつ一つになる前の精子と卵子になりたい死にたいじゃなくて消えたい生まれたくなかった、みたいな、そしてそれを父の眼前でやってしまうという、認められたいと消えたいとがぐちゃぐちゃになってる感が、好きです。(以上です!オーバーすみません!)

 

 

 

る:音楽にたとえると分かりやすいかもしれませんね。モーツァルトのように単純な和音で美しい、ただただ美しい旋律を奏でることって実は後世の音楽家で実現している人は本当に少ない。チャイコフスキーにしても、ベルリオーズにしても、美しいけどそれは、「原型」から分裂して生まれた不協和音という「修辞」の活用だったり、「変拍子」というレトリックだったりします

 

 

 

なんにせよ、「逃れ去ること」或いは「分裂すること」によって芸術というのは新たな表現を手にしてきている。残念ながらもう誰もモーツァルトにはなれないんですね。 そういう意味で「詩の原型」への憧れといいました>イコさん

 

(時間オーバーごめんなさい)

 

 

 

 

 

小説「アンファンテリブル」(6)

 

 

 

緑川:さて、それではさんの小説「アンファンテリブル」の合評に移り

   ましょう

 

こちらも、まずはフリーでどうぞ

 

 

 

ふかまち:丁寧につながれているなと思った、散文詩的でわたしの好みだった、だけど登場人物に奥行きが無いのが難でした

 

 

 

カヅヤ:誤字脱字誤用が多いです……が、これはあとで本人に送ろうと

    思います……。

 

オフレポ校正でも感じたんですが、日本語をもっと丁寧に……!!

 

 

 

話の中に上手く入れれば、そうは感じないと思うのですが、うまいこと入れなくて「荒唐無稽」という感覚が強く出てしまいました。以前の「童話特集」の作品と同じような、かみ合わない、はめ込めていない感じがすごくする

 

 

 

現実のファンタジーの入り混じった雰囲気は、紅の豚とか、魔女の宅急便とか、はたまた長野まゆみなんかを彷彿とするんだけれど、今一歩そこに辿りつけない感が

 

 

 

最後に「実際の土地とは違う」とあるけれど、その説明も違和感。明らかに実際と違うよね、という説得力も弱くて、かといって現実的でもない。リアリティ(現実に即す、という意味ではなく「それっぽさ」)が乏しい

 

 

 

細部に対する突っ込みは色々あるのですが、一旦保留でここま

でにします

 

 

 

緑川:以前と比べて肩の力が抜けてきたというか、読みやすくなりました。細かい章立てについては、私はこれもありだと思います。それぞれに余韻が感じられます。ただ地震以降から作品のテイストが違ってきたように思います。統一感ということから言えば今ひとつでした。タイトルが犬の名前ということですが、この犬がタイトルになり得るような存在には思えず、ラストの巨人(?)が、このタイトルに繋がるのかとも思いましたが、当初と意図が違ってきたのかもしれません。風や海、内気っぽい少年とちょっと変わった少女、異国への旅というモチーフは、いかにも6さんらしいかなと

 

 

 

あと、言葉の誤用については、カヅヤさんが送って下さるようなので、私は指摘しなくてもいいかな……

 

 

 

日居月諸:設定や描写が丁寧なのは良いのだけど、細部にこだわり過ぎて全体の統制が取れてない印象を覚えました。様々な断片を継ぎ合わせたような作品なのでハナから統制がないのは当然なのかもしれませんが、この作品がどこに向かっていくのか、そう言った原理的なものに欠けている。

 

 

 

カヅヤ:あ、拾いきれていないものもあると思うので、それぞれで指摘できたらと思います >緑川さん

 

 

 

イコ:みなさんがおっしゃるように、細部が丁寧に描かれていないこと、誤字・脱字がなかなかなくならないことにもどかしさを感じますが、今まで以上に、ひりひりするような「異国への憧れ」を感じ、作者のやりたいだろうことも伝わってきて、好きでした。挑戦的で、刺激を受けました

 

 

 

緑川:了解しました >カヅヤさん

 

 

 

イコ:最後の一文は、言い訳にとらえられかねないので、消した方がい  

   いと思います

 

 

 

カヅヤ:(日居月諸の発言を引用)『様々な断片を継ぎ合わせたような作品なのでハナから統制がないのは当然なのかもしれませんが、この作品がどこに向かっていくのか、そう言った原理的なものに欠けている』

 

 

 

日居さんのご指摘、同感です。書きたいモチーフはたくさんあったんだろうと思うのだけれど、テーマが「異国情緒」しか伝わって来なくて、物語としてのかたちが整っていないように感じました

 

 

 

小野寺:私はこの作品に入り込めたので非常に面白く感じました。現実逃避の癒しの作品かな。私自身現実逃避したいのかもしれません。だからみなさんの感想をみてちょっとびっくりしました。テーマ的には弱者に寄り添いたいみたいな気持ちは表現されているのではないでしょうか?

 

 

 

日居月諸:エキゾチック、ではなく、ごった煮、なんですよね(笑)

 

 

 

る:犬をタイトルにするのって、「カレーニンの微笑」というのが思い出深いです。もうどんな内容かなんて忘れてしまったけれども。私はそんなに引っかからずに物語り全体を見通せたかと思います。淡い色彩、けれどもどこか肉体的な描写、この両面がもう少しコントラストを得てくれると、もう少しのめりこむように読めたかもしれませんね、うーん、でもやりすぎると三文小説になってしまうのかなぁ、難しいところです。 私はさらっと読ませること自体、とても難しいことだと思うのでそこをかなり評価したいです

 

 

 

カヅヤ:(あと、Rain坊さんの小説のじいさんと、この話のおじいさんがダブって面白かったです。そういう偶然がすごく楽しい)

 

 

 

小野寺:(るの発言を受けて)そうですね。数枚もあるのに一気に読みましたからね。前回よりはこなれていると思いました

 

 

 

イコ:少女クロエの造形が不十分というか、なんでそんな少年にとって都合いい感じなの、と思ったりもしましたが、これをあくまでも「少年」の冒険譚ととらえて納得しました

 

 

 

最後に打ち上げられる烏賊は実は巨人で、冒険心をいまだもちつづけている(結婚もせず大人になりきれずにいる)二人には、巨人に見え続けている。けれど冒険を終えてしまった世の人には、「烏賊」にしか見えない

 

 

 

小野寺:イカはNHKで巨大イカが出てますからやや安直な気がしない

    でもない

 

 

 

カヅヤ:その発想はなかった >巨大イカ

 

 

 

小野寺:確かにエキゾチックなモノを並べると海外の旅行パンフレットみたいに楽しい気分にはなるんですよね。で、実際行ってみると苦労が多い

 

 

 

る:あ、でも、わたしも、最初の「弁当」とか「チョーク投げられた」でちょっと躓きかけましたけど、そこはなんとか堪えました

 

 

 

緑川:引っ越し業者を装った火事場泥棒が、わざわざ犬をさらっていく

   というのが謎

 

 

 

イコ:ちょくちょく日本の学校に舞台が移されてるように見えてしまっ  

   たのは困りました

 

 

 

カヅヤ:犬の伏線って結局どう回収されましたっけ……?

 

 

 

小野寺:手厳しいなあ。(苦笑)

 

 

 

カヅヤ:自分も、学校が日本に見える部分が多数

 

 

 

緑川:あぁ、それはわりと6さんの作品ではいつもありますね。異国なのに日本みたいな >イコさん

 

犬は、アイルランドで出会ったけど、よそよそしかったです >カヅヤさん。まあ、本物か分からないですけど

 

 

 

カヅヤ:犬…!! 先ほど省略した細部突っ込み。

 

地震に関する対応が非常に日本的な気が。

 

机の下に避難したり、携帯のニュース、という表現もちょっと疑問。携帯のニュースと書かれると、ガラケーの配信ニュースっぽいかな? スマホ主流のアメリカで、「携帯のニュース」っていう感覚があるのかな、と

 

 

 

あと、地震予知。とある人から、「日本の地震対策は世界的にみればガラパゴス化していて、予知というものを推し進めてるのは日本だけ」という話を聞いたことがある。アメリカで「地震予知」によって避難指示が出る、ということはあり得るのか

 

 

 

どうせ「現実とは違う」と割り切って書くのなら、もっとファンタジー仕立てにしてもよかったのでは

 

 

 

小野寺:そうするとよく分からないことは書かない方が無難ってことで

    すか?

 

 

 

カヅヤ:調べて書けばいいかと。

 

あとは、わからなくても「それっぽく」書くことはできるし可  

能だと思います

 

少なくとも自分には「それっぽく」は見えなかったです

 

 

 

イコ:6さんは主にインターネットを使って外国を調べており、実際に現地を訪れたわけではない。それを想像力で補おうとしているわけですが、ところどころ、補いきれてないように思うんです。だから読者に違和感を与えてしまう

 

 

 

この方向性を生かしていくなら、カヅヤさんのおっしゃるようにもっとファンタジーにするか、現地に行くか、資料に当たってもっと綿密な下調べをするか、しかないんじゃないでしょうか。インターネットはずいぶん広大な網の目になったとはいえ、それに依存して描くには、限界があるということなのかもしれません

 

 

 

小野寺:ファンタジーにするっていうのも難しいですね

 

 

 

イコ:実際の固有名詞を極力避けて、造語にするというのはどうかなと思っています。(一度さんに提案したけれど、却下された)>ファンタジー

 

 

 

小野寺:もうひとつ言えば場所が海外でなくてもこの作品は書けるかも

    しれないですね

 

 

 

緑川:まあ、「作品世界」を作るっていうのが難しいってことですか

   ね。時代小説にした

 

 

 

る:シラーは実際スイスに行ったこともないのに、ヴィルヘルムテルを書いて。それがスイスの国民的英雄になってしまうんですよね。ファンタジーの力って、「行ったことがない」からこそ生まれてくることもあると思うんですよ。そういう意味で、チャレンジし続けて欲しいなぁ、(かなり無責任ですね、自分)

 

 

 

カヅヤ:実際の資料にあたらなくても、アメリカを舞台にした、雰囲気のあるマンガなんかもたくさんありますよね。そういうものを参考に雰囲気作るということも可能かと思います

 

 

 

緑川:あぁ、そっか。マンガこそたくさんありますね。海外を舞台にし

   た作品

 

 

 

小野寺:ランボオは海を見ないのに酔いどれ船を書いたとか(ちょっと

    あやふやですが)

 

 

 

緑川:いくらでも上げられそう

 

 

 

イコ:海外を舞台にした漫画って、でも、けっこう調査されている印象があるんですが、どうなのかな。(浦沢とか)

 

 

 

カヅヤ:山口恵以子の『月下上海』は、未読なのですが、上海についての本を三年読みあさって、一度も上海に行かずに書いたとか……

 

 

 

小野寺:でも6さんがリアリズム小説を目差しているようには思えませ

    んが

 

 

 

カヅヤ:調査してる人もいますし、目指すのが「雰囲気を出す」ということであれば、それっぽいものを模倣するだけでも十分な気はします。

 

6さんの作品の方向性なら、史実や地理について突っ込まれるものでもないでしょうし。

 

 

 

緑川:作品世界を構築する力量を目指して欲しいと言うべきなのかな

 

 

 

る:リアリティから生まれてくる小説も、イデアから生まれてくる小説もどっちも好きです、今回少しだけ躓いてしまったのは、イデアの中にちょっとしたリアリティの侵入を見てしまったからなのかな。

 

 

 

カヅヤ:まさにソレです>緑川さん

 

 

 

イコ:(緑川の発言を引用)『作品世界を構築する力量を目指して欲しいと言うべきなのかな』これに尽きるんですけど、そのために、色々と書きたい場所の資料を読むことは、下地を作るために意味があるかなと思います。

 

 

 

緑川:(ちょっと古いけど)「風と木の詩」も「ポーの一族」も、ほんとにそうなのかどうかは別にして、それらしく読ませます。歴史だと「日出処の皇子」も

 

 

 

ところで、「ダブリンアース」って組織も謎のままというか、放りっぱなしで作品が終わっているような気がするんですけど。「ダブリンアース」と巨人、関係ないし

 

 

 

 

 

カヅヤ:作品世界という意味では、大島弓子なんかも、リアリティとは程遠いですが、「世界観」が出来上がってますよね。好き嫌いは別れると思うけれど、現実的な突っ込みはナンセンスだと思ってしまう

 

 

 

る:(大島弓子大好き、綿の国星の一巻の最初のページで鼻血出る、ポリバケツ開けられないところ……)

 

 

 

カヅヤ:引っ越し屋は風になったんや……。

 

ちょっと話が戻ってしまいますが、資料と作品世界、という意味では、忍たま乱太郎なんかも素晴らしいかと…! 史実をめちゃくちゃ詳細に調べつくした上で、デフォルメした世界観を構築している。何を書けば「それっぽく」なって、何をタブーとするのかっていう感覚を磨くというか、うん(投げっ放し)

 

 

 

 

 

小野寺:つまり謎の部分が解けなくて、中途半端に放置されていて雰囲気を醸し出す道具に過ぎないということでしょうか

 

 

 

イコ:自分はこの小説を少年の勝手に描いた冒険譚として読んだので、ダブリンアースが消えようがなんだろうが、いいのかなって

 

    

 

少年の頭の中の妄想って、荒唐無稽だと思うんです。だから、こうあったらいいなっていう憧れのまま、好きなように展開して、好きなように終わって、いいのかと

 

 

 

緑川:あぁ、冒険譚って読んだのは私も同じです。火事場泥棒にあった後の場面でも、なんだか「選ばれし二人」みたいなことになってますし

 

 

 

イコ:そうそう、中途半端なボーイ・ミーツ・ガールですしね。途中スタンドバイミーっぽいのも、ああ、そういうのやりたいんだろうなっていう。地図が風に飛ばされるのも

 

 

 

緑川:やりたくてやった、書きたくて書いたって部分はたくさんありますね、この作品。そういう点は私も好きです

 

 

 

る:とまれ、「世界観」や、「作品世界」というものに皆さん着目されておりますよね。わたしは「資料を読む」ことも解決になり得ると思うし、「あくまで自分の世界観で完結させる」というのもひとつの解決だと思います。あ、後者は解決作ではないですけど、なんていうかな、最後の部分はやっぱり「憧れ」の力が、試されているんだと思います

 

 

 

イコ:6さんのことは、「巧み」とは思わないけれど、小説書きとして、「書きたいことを書くんだ」っていう情熱を、ものすごくもっている人のような気がするんです。そういうのって、うらやましいし、自分もそうありたい。(この主人公の少年と、6さんがダブる)

 

 

 

小野寺:物語り性が欠けているのかもしれませんね。主人公がよかれあしかれ成長するとか堕落するとかそういう変化はあまり感じない。昔こういうことがあったよねみたいなエピソードの集積のようにも感じます

 

 

 

イコ:うーん、たしかに。少年の冒険譚には「成長」が欲しい。

 

 

 

日居月諸:ミもフタもない事を言うと世界観構築も雰囲気創出の技巧も瑣末なことなんですよ。どれだけ自分の関心を見つめられるかどうか、何を書きたいかを見極めるかが大事であって、その点、この作品はまだ関心が散り散りになっているだけで、作者自身もそれがなんであるのか捉えきれてないとは思います

 

 

 

小野寺:「成長」って書くの難しいですよね。イコさん

 

 

 

日居月諸:見捨てられた犬、周りと少しズレている女の子、胡散臭い組織、フィクションから生まれた化け物、そういった意匠がちりばめられているのは良い。けれど、その根源には何かしらのものがあるはずで、まだ作者は根源を捉えきれていない

 

 

 

る:ニーチェの名台詞でそういうのありましたよね「ホメロスがあれほどまでも……」ってやつです >日居さん

 

 

 

イコ:「成長」には、作者にも、読者にも、人物を見守る、長い目が必要になりますね。(少年漫画を読んでいると、十巻、二十巻と巻が重ねられるなかで、血のにじむような努力の果てに主人公がたくましくなり、やがて昔の自分と違う自分が読者によって発見される、おおこんなに強くなって、と、保護者のような目になってしまい、涙腺がゆるむ……そういうの大好きです) >小野寺さん

 

 

 

カヅヤ:(私事ですが、リアルドイツではなく、ドイツっぽい話を書きたくて、ドイツ史から軍事板、宗教観まで読みあさっております…。それぐらいの関心の深さが、6さんにも欲しい! あるのかもしれないけど、まだ浅く感じてしまう!)

 

 

 

小野寺:おお「巨人の星」みたいだあ。泣けますね

 

 

 

カヅヤ:あ、イコさんの言うのもなんとなくわかります。連載漫画だと、世界観変わって行くものさえありますもんね。グルグルとか、RPG漫画だったのに、後半哲学入ってきた……

 

 

 

緑川:まあ、あれかな。6さんもいろいろ試行錯誤を繰り返されたり(手慣れたやり方をされてみたり)されてきてますけど、主人公なり舞台設定が嵌ったときには、もっと化けるかなと思います >日居さん

 

 

 

イコ:(グルグルは中盤あたりから、どんどん少年少女の微妙な感情を

   抉ってきましたね)

 

 

 

緑川:模索のしどころなのかと

 

 

 

カヅヤ:(グルグルは、人によって好きな巻が大きく異なりそうですよ

    ね。それもまた楽し)

 

 

 

イコ:(たしかに。自分は,6,7巻あたりが……ってすみません、スレ

   違い)

 

 

 

緑川:では、そろそろこの辺りでよろしいでしょうか?

 

 

 

ご発言、無いようですので締めさせて頂きます

 

 

 

る:どうもありがとうございました。皆様お疲れ様です

 

カヅヤ:お疲れ様でした

 

緑川:不慣れなホストで失礼しました。皆さん、お疲れ様でした

 

イコ:ありがとうございました。お疲れさまでした

 

緑川:それでは2次会に行かれる方はどうぞ

 

日居月諸:お疲れ様でした

 

緑川:私は、寝ます……

 

ふかまち:おつかれさまでした!

 

緑川:おやすみなさい!

 

イコ:緑川さん、楽しい時間をありがとうございました。おやすみなさい

 

カヅヤ:ホストお疲れ様でした!おやすみなさい。

 

る:緑川さんおやすみなさい。 わたしは2次会ホストやろっかな。(電話かけるだけだけど)参加する人?

 

イコ:もうしばらくオンラインでいますが、今回の参加は遠慮します

 

カヅヤ:自分はここで失礼します

 

る:残念、みなさん今日はお疲れですかね

 

では来週の合評会も出来れば皆様ご参加していただけると嬉しいです