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■「Li-tweet」(創刊号)第三回合評会  

   

  1月4日22:00~

 

 小説部門3:ホスト 芦尾カヅヤ

 対象作品 「夏の終わりに」緑川さん 「羽」芦尾カヅヤ

 参加者:カヅヤ 、緑川、小野寺、とーい、うさぎ、安部、あんな、6

 

カヅヤ: みなさん揃いましたね。

では、時間になりましたので、はじめたいと思います。

今日の流れは、

2250まで緑川さん作品の合評→5、10分休憩→220050芦尾作品合評

という感じでいこうと思います。

 

●「夏の終わりに」緑川

 

カヅヤ: ではまず、各自、「夏の終わりに」の感想をお願いします。

緑川: お願いします

小野寺: 了解です

カヅヤ: 「もちろん、他の仲間と~」

すごく、エロイです。

「罪悪感が~」のあたりまで、エロイなあエロイなあ…!とどきどきしながら読んでいたら、「彼女」のあたりはすっかり引き込まれて、ドキドキしながら読んでしまいました。

「食べることに似ているのかもしれない」

…ッ…!なんですかこのエロスは!なんなんですかもう!

(また他作品の引用でアレなんですが)一条ゆかりの漫画の中に「美人がものを食べるところってエロイよなぁ…」というモノローグがあるのですが、それを思い出して、「食べる≒エロイ」という構図が頭の中にできあがりました。

人の食べる姿って、楽しくも見えるし、エロくも見えるし、それこそ生理的に受け付けない、というものもある。ここまで読んで最初のシーンを思い出し、「食べる」という行為の多面性と、それの「恋愛および性行為」の類似性などを考えて、ゾクゾクしました。

安部: 虫の感覚に沿って書こうとする意図は、ひとまず成功しているようです。

だが、機械的主観に終始していて、

今一つ小説的想像の飛躍が見られなかったです。

虫だから当然かもしれませんが、やはり読む人間に

感じさせるトリックは必要だったのではないでしょうか。

理解しているのに、物語の内実に触れられない。

そのため、今一つ読者に想像させられない。

日記を読んでいる感覚に近いと言えば近いかもしれないです。

日常感覚がどっちかって言うと強いです。

だから翻せば、

食べないことというテーマを扱いながら、

あまりそちらについて考えることができなかった印象があります。

とはいえ、食べる感覚を忘れるという、欲求の欠如が、

特有の空虚感を生んで、且つ日常に溶け込ませるているのは

いいとおもいます。

塩梅のとりかたって難しいですね。

うさぎ: 非常に読みやすく一つ一つの描写が丁寧で読者としては非常に楽しかったです。

ただ、主人公の虫が何なのかわからないで読み終えてしまったことです。

自分の読みが浅いのかもしれないですが、この一点が解消されずに消化不良でした。

小野寺: 緑川さん「夏の終わりに」

文章的には端整であり苦も無く読めるのだけれども後半部分は前半に比較するとやや密度が薄まっていると思います。「意識を持った昆虫」という設定自体に入り込めない。共感できないという思いが終わりまで続きました。

お そらくは語り手が「自由にならない」という境地を虫に託しているようにも思うのですが…特定の彼女とは眼が合うというだけで選択されるけれども他には何か 魅力的な要素はないのでしょうか。昆虫の意識ならば同じような肢体ではなくそれぞれの個体を見分ける能力もあっていいのではないかなと思いました。

とーい: 緑川さんの才能を思わず考えずにはいられなかった。

虫の描写か、あるいは恋愛が遺伝子レベルで持つ本質を描くことか?

ちがう、自分にとってなによりも魅力的だったのは、緑川さんの描く恋愛の青春、甘酸っぱい汗をほとばしらせながら進行していく甘く、透明で、お洒落で、奔放で、光の粒子を目一杯まとった恋愛そのもの。

自分はこの作品に、緑川さんの恋愛小説家としての才能を感じずにはいられませんでした。

あんな: (す いません、今日用事が長引いて感想まとめられず……)短くなっちゃいますが、冒頭から引き込まれました。独特の世界観に魅了されました。しかし後半にいく に従ってどこか客観的に読んでしまう自分がいました。虫の視点になって最後まで読みたかったです。しかし、奇妙な営み、ダンス、食べること、など興味を惹 かれるモチーフ、テーマが多かったように思うし、それをきちんと短い中に表現できてると思った。

カヅヤ: ありがとうございます。それでは、フリートークにうつりたいと思います。

カヅヤ: 描写の巧みさに肯定的な意見が多い半面、もう一歩踏み込んだものを求める感想も多いですね。

とーい: もう一歩踏み込むというのは、具体的にどのような感じになりますか??

小野寺: エロスを前面に押し出そうと意図されたとは思わないですが、結果的に甘美な世界になってますね

緑川: たしかに、エロスを前面に出すという意図はなかったです

ただ、言われて気づいたというか

小野寺: 緑川さんの性格から察して

緑川: なるほど(^^; >小野寺さん

とーい: 緑川さんの意図というか、作品に込められた真意は失礼かもですが、聞いてみたいところです

小野寺: あーそうですね>とーいさん

緑川: 真意は、まあ、いろいろありますよ

真意というか、初期モチーフはいろいろ

とーい: 感想を読んでいると、あべさんとうさぎさん派

カヅヤさんととーいはどこかちかいものがありますね 

カヅヤ: 

☆気になった点

 物語の内実に触れられない

 食べないことというテーマを扱いながら、

 あまりそちらについて考えることができなかった印象がある

 何の虫なのか気になる

 後半に行くにつれて、密度が下がってくる

 後半に行くにつれて、客観的に読んでしまった

☆肯定意見

 エロイ

 描写がとても端正

 恋愛そのものの描写が素晴らしい

 虫の感覚に沿う描写、という点は成功しており、冒頭部分から世界観に引き込む力がある 

カヅヤ: ざっくりまとめてみました

安部: 日常感が気になりました。

カヅヤ: あべさんの言う日常感、というのは

カヅヤ: 日記を読んでいる感覚、と書かれていましたが、もう少し詳しくお聞きしてもいいですか

小野寺: 「もう一歩」「日常感」というのは物語性の少なさから出てくるのではないのでしょうか

カヅヤ: 物語性の少なさ、というのは、描写に終始していて展開らしい展開がない、ということでしょうか。

とーい: 物語性の少なさ、というのは読む方の求めるものによっても違うかもですね

安部: つ まり、主題を中心に話が巡るのではなく、全体の流れに主題が飛び石の如く現れる、という感覚です。日記って、その日の雑事、主にあったことを、能動的主観 (同時性)をもってかくのではなく、機械的主観(共起性)もって描くではないですか。描写のされ方が、日記のそれと近く、文体からかもされる雰囲気が日記 のようだったという事です。

とーい: あべさんが指摘されていますが、物語性を必要とするかたと、されないかたの両方がいる

小野寺: そうですね。展開もそうですがキャラがいまいちわからなかったです>カヅヤさん

安部: 物語性を求めてはいないですよ。

とーい: しつれいしました>あべさん

わたしは物語性は求めなかったです

カヅヤ: 自分は、かなり肯定的に読んでしまったので、物語性やテーマ性をもっと、とは感じなかったです。

あんな: 自分は展開、物語の必要性とかは感じなかった。けど、安部さんの意見には同意。淡々と書ききるよりももっと内面に入っていって描写した方がこの小説は成功すると思った。その技術があるのにもったいない、と思ってしまった。

安部: 物語性はあるのですが、その内実、物語の向こうにある「意味合い」とでも言うべきものが見えなかったという感じです。川はあるけど、川底が見えない、という感じです。

うさぎ: 自分も物語はあると思いますが、作者との共通のイメージが持てなかったのがありますね

カヅヤ: 美しい描写の中で、食べることや生殖といったテーマがちらちら現れるけれど、それを深めるに至っていない、と。

今ざっくりと「食べることや生殖」とまとめてしまったんですが、テーマや主題になりうる、深化できそうなものって、このあたりで合ってましたか。「いや俺的にはもっと違う主題が!」とかありますか。

小野寺: 感想でも書きましたが「自由」について感じました

自分の意思とは無関係な動物的な営み

カヅヤ: 「食、生殖、自由」

緑川: 主題は、書き終えてから気づくことが多いんですよ

とーい: 恋愛の残酷さ=生殖であり食であり

すべてが叶うことが悲劇になるという

究極の形ですよね

安部: この場合、僕が思ったのは「食べることや生殖」ってなんだろう、というより、それがない状態=空虚感が、テーマとなり得るようにも思います。

同時に、小野寺さんの言う事にも同意です。

それは欲求という動物的なものが、自由とどうかかわるか、

この場合、欲求を忘れている状態というのが、自由であるかどうかというのは、難しいですよね。EDの男は悩みます。ですが、この虫は空腹感があるのか?って僕は思いました。

緑川: 初期モチーフとしては、とりあえず「後食」をしない昆虫について書いてみたかっただけで

とーい: これは虫で描くことの利点

緑川: ちなみに、成虫になってからの昆虫の食事を「後食」っていいますけど

その、後食をしない昆虫って意外に種類多いです

交尾の為だけに生きるみたいな

カヅヤ: 虫にすることで、人間の恋愛のある側面をすごくうまく描きだしてるというのは、自分も感じました>とーいさん

小野寺: それは私も感じたのですけど>カヅヤさん

カヅヤ: かげろう、でしたっけ。食事する器官はなくて、胸まで卵で一杯で、成虫になったらすぐに死んでしまう、という…。

緑川: はい >カヅヤさん

日本にいるクワガタにも、後食をしないと思われる種がいます

カヅヤ: !>クワガタ

安部: とーいさんのいう悲劇性について着目すれば、自由と運命の対立項が浮かび上がります。虫は本質的に運命的な生き物でしょう。だから葛藤の無い悲劇、という面白い像が浮かび上がってきますね。

とーい: 葛藤のない悲劇、するどい!

一方で、うさぎさんが虫である必要に触れられていたのも重要な視点かもですね

とーい: 本質的に運命的な生き物で、葛藤のない悲劇という表現はゾクゾクします

安部:ありがとうございます >とーいさん

あんな: 食べる、交尾する、死ぬ、というのが同等に書かれてる感じしました。

安部: 同意です >あんなさん

それはやっぱり運命的で、メタ的に価値の比較をできないからじゃないかなと。

未来を想像できない存在として、営みは平面的な滑り落ち、自動的な動き、という感じがします。

カヅヤ: 私は、読みながら「あー、食べるのも死ぬのも交尾するのも当たり前の営みなんだなー」と感じて、ぐらぐらしました。後ろ二つって、どうしても特別なものとして書いてしまいがちだから >あんなさん

あんな: そうですね、敢えて虫目線で書くことで書けたことだと思います

[安部さん一時離席]

カヅヤ: 運命や恋愛といった描写は、ゴショクのない虫を描くうちに生まれたテーマなのでしょうか>緑川さん

とーい: じぶんは、この作品はお洒落な女性ファッション誌などに掲載されていたら、きっと求められるとおもいました

そういういみで、読み手の求めるものによって、作品の価値が変わるようにおもったのです

緑川: そうですねえ、人間とは違う生態を持つ昆虫を主人公にすることで、何か描けるのではないかと思ったのが最初です >カヅヤさん

カヅヤ: 仰々しい(というと語弊があるかもしれませんが)テーマを求めない層に向けた作品として読むと、美しくて完成された作品だと読めるのかなと思いました>とーいさん

ありがとうございます>緑川さん

とーい: 一葉の映像にストーリーを想像するのがお好きな方と、ストーリーからストーリーを求めるかた。どちらがいいというわけではなく、好み、嗜好のちがいですよね>カヅヤさん

カヅヤ: では、この辺りでいったん締めようかと思いますが、何か言い足りないこと、言い忘れたことなどありましたら。

あ、作者への質問もあれば!

緑川: はい。別に隠したりはしないので

できるだけ、お答えします

カヅヤ: 個人的に、うさぎさんの「主人公は何の虫だったんだ」という感想が、すっごく気になりまして…。

緑川: 架空の種としか言いようがないです

カヅヤ: すごく映像的な作品だと思って読んでいたのに、自分の中で、主人公も彼女も、漠然とした、蝶みたいな生き物なんだけれど、ぼんやりしていました。

みなさん、どんなイメージで読まれてましたか?(個人的な興味です)

あんな: なんかブンブンいわせて戯れてる虫たまにいますよね

とーい: わたしはかぶととかクワガタのたぐいw

緑川: 羽根が華奢で飛翔力のあまりない種をイメージしていただければと

とーい: でも、さいごはカマキリっぽいのですよね

カヅヤ: あ、結構みんなイメージちがう…!蝶と蜻蛉のあいのこみたいな良く分からないのをイメージしてました。

たしかに>カマキリっぽい

うさぎ: 黒い感じの虫です

小野寺: カゲロウにしては何日も生きているような気がしました

カヅヤ: ありがとうございました>みなさん

緑川: 作者として、気になる点をお訊ねしてもよいでしょうか?

カヅヤ: はい、どうぞ!

緑川: ラストの部分、どう思われたでしょうか?

ごく稀にいるんですよ、幼虫が親の死骸を食べる昆虫って

あの、ちょっとグロい場面は、どうしても入れたかったので

入れたんですけど

どんなふうに伝わっているのかなと

うさぎ: 自分はそこで盛り上がった感じがして好きです。

緑川: この作品は、ああいう締めしか思い浮かばなかった

とーい: 実は、全体を通じて、グロさは感じなかったです

緑川: まあ、最初からそう設定していたというのはありますけど

あんな: もっとじわじわグロくしても良かったんじゃないでしょうか

緑川: なるほど、あんなさん

とーい: そして、恋愛の遺伝子レベルでの悲劇、宿命を描かれたと自分は感じていたので、最後はいいとおもいました

カヅヤ: あの終わり方好きです。私もグロイとは感じなくて、ちょっと謎かけっぽく終わるところが面白くて。

小野寺: 最期の箇所は昆虫の営みから逆に人間への問いかけの様にも思いました

生あるものは似通っているみたいな

とーい: 個人的には最終段落の「僕たちはこんなふうにして」の箇所を説明でなく、描写だったらなお良かったなとおもいます。余韻を感じさせるという意味では

ただ、これはわたしの個人的な要望というか、趣味です

緑川: ふむふむ >とーいさん

とーい: どうしてかというと、緑川さんの描写に潤いをとても感じていたので

緑川さんだったら、描写でおなじことを伝えられたのではとおもうわけで

小野寺: そうかもしれないですね>とーいさん

緑川: ありがとうございます >とーいさん

とーい: なので、個人的には恋愛小説家としての緑川さんの才能をものすごくかんじているのです

上から目線でスミマセン><

緑川: いえいえ(^^; >とーいさん

カヅヤ: あんなさんが「もっとじわじわグロく」とおっしゃって、とーいさんが「描写を」とおっしゃってますが、自分も、もっとラストシーンの描写が長くじっくりあったら個人的に嬉しい!(嗜好的な意味で)と思いました。

小野寺: ちなみに緑川さんの作品は何度も何度も推敲されてて特に描写面で成果が表れていると思います

カヅヤ: では、このあたりで締めようと思います。よろしいでしょうか。

緑川: はい

小野寺: はい

緑川: 皆さん、ありがとうございました

 [あんなさんは感想を貼ってログアウトしました]

 

 

●「羽」芦尾カヅヤ

 

カヅヤ: 後半戦いこうと思います。

感想貼り付けお願いします。

あんな: 「羽」芦尾カヅヤ

天使、羽、というモチーフをここまで細部に気をつけながら世界観を表現する力に圧倒された。カヅヤさんの小説はいつも細部に魅了されながら物語に没頭していく時間が楽しく、そして最後には、読んだ~という満足感があるので読みごたえ充分である。

こ の作品を読んでいる時、頭の中にコマ送りの映像のようなものが頻繁に浮かんできた。時にそれは父親の血肉を破って突き出してくる羽だったり残虐なイメージ が多かったのだけれど、その上にうっすらセピアっぽいフィルターをかけたような、そんな画だった。それはこの作品が持っている刹那のようなものなのだと思 う。最後の部分はカタルシスを感じたかったのだけど、いまいち今まで持続していた映像の連続が途切れてしまった。自分の読み方がそうさせたのか文章がそう させたのかはわからない。ので、再読します。

うさぎ: 僕が好きな世界観でした。ずっと浸っていたいようなそんな感じ。繊細な感じがする文章が大好きになりました。

色々なものを軽く書いていたのには、良し悪しがありました。

お話全体が非現実的な分描写やエピソードで膨らまして読みたかったところがあります。

だから、説明説明している感じのところが見受けられます。

(↑最初に出てくる羽を持つ人の歴史とか)

次回作も期待しています。

小野寺: 芦尾さん「羽」

最 初の設定…羽に関する部分がややわかりにくい。読み進めるとわかるけれども「イモかんのん」と「ヒナ」などの説明は徐々に明らかになってくるというのはど うなんだろうと思いました。時系列が前後していますがそれが魅力的になっているのだろうかという疑問があります。奇抜な着想は言うまでもなく面白く一気に 読ませる内容なんですが個人的に「イモかんのん」がもとで亡くなってしまう父親があまりに哀れに感じました。そしてリアルに描かれていて悲しいを通り過ぎ ている感がありました。そっちに引きずられてしまうともうひとつのエピソードである天使たちの話がやや褪せてしまうと思います。この対比はなんなのだろ う!と思ってしまいました。どこに気持ちを持っていこうかと言う不安定感を読者に与えるとも思います

とーい: 普遍的な人情、生きることのかなしさ、残酷を美しい童謡のように描かれていて、感動しました。

生きたことがないのに、60年台の昭和歌謡な景色が思わず目に浮かびます。

身悶えしながら、読みました。

ひとの認めたくないもの、見せたくないものを、カヅヤさんは裸で見せるから。

そして、ひとのかなしさに、やさしく寄り添う。

残酷のなかに絶望でなく希望を描くカヅヤさんのやさしさに、自分は深く感銘を受けました。

緑川: メインの場面(ロック喫茶)に、随所にカットバックで種々のエピソードが語られる。

この構成が面白いと思いました。ただ、もう少しメインの部分に力を入れられて、例えばナツが店に入る場面ですでに冬の描写があるとか、であればもっと良かったと思います。

「羽根」は才能の象徴? 才能はときに人を蝕み、あるいは開花させる。

捨てたつもりが、なおも人にまといつく。

二つの世界の整合性が今ひとつかなと思う。これがもっと極端に遠い外国同士の話なら頷けますが、羽根を受け入れる、受け入れないが地域によって極端に違いすぎるような気がします。

ただ、お話の設定としては面白かった。それだけに惜しいかも。

ラストに至って、カヅヤさんの本領発揮なのかもしれない。設定の説明部分よりも筆が走ってます。

ナツのキャラについては、「中央分離帯」を拝読しているだけに、もっといけるかなと思いました。

カヅヤ: 預かった感想ではないのですが、6さんからは

・設定で読ませられるが、描写が弱い

・ラストのシーンは急な印象を受ける(軽々しく明るいものに近づきすぎている)

といった指摘を頂きました。

とーい: ほんとうに合評っておもしろい。読み手によって、全然感じ方がちがう

カヅヤ: 作者としては「すごく…納得です…!!」というご指摘がたくさんでプルプルしております。

小野寺: やっぱり、話が前後するのはちょっとマイナス要因なのではないのかなと思います

別にストレートな流れでいいのではないかと

カヅヤ: ありがとうございました>緑川さん

とーい: カヅヤさんに失礼かもですが、わたし、小川未明さんをおもわずイメージしてしまいました

自分は人間の業を美しく描かれたなあとおもっていますです

カヅヤ: 小野寺さんの指摘された、話が前後する点、他の方はどのようにとられましたか。緑川さんは構成については肯定的な

緑川: ただ、条件付きではあるんですよ

正直、私もちょっと分かりにくかったし

うさぎ: 構成としてはありだと思います。でも、昔と今の件がバランスを取ってほしいなぁと思います

緑川: それで、現在時間のナツがロック喫茶に入って、お酒を呑んで、ステージを見て

という辺りを、もっと柱として描かれれば良かったかなと

緑川: それと、カットバックの場面が入るときは、それに関連付けられた一文を置かれてから

説明をされる・・・、みたいな流れだと良かったかなと

小野寺: ああ、そうですね>緑川さん

カヅヤ: 現在と過去、という構造だけでなくて、過去話が現在に追いついてくる構成になっているから、余計に分かりにくいんですよね…それに加えて、他の人の過去話まで入ってくる

小野寺: ナツの内面から父の話を語り出すみたいな形でも良かったのでは。ロック喫茶で羽の少女に告白するという形でも

緑川: 試みとしては面白いと思いますよ >カヅヤさん

とーい: 最初、チョコレートの味がしたというのは、うまいです

これが、オレンジの味、文脈から飛ぶけれどドライな味とかだったら感動しなかった

カヅヤ: (ジントニックにしなくてよかったああああ!>とーいさん)

とーい: チョコレートの味というところで、はじめてでもお酒がナツをやさしく抱きしめ、ナツもまた身をゆだねていることがつたわるとおもいます

もちろん、チョコレートだけ読むと、チョコの意味はわかりません。読み進めると、チョコレートだな感じるのです(ジントニックはだめですよw

小野寺: 緑川さんが指摘されたように設定の苦しさはところどころ見え隠れします

大阪の通天閣を良く知らないっていうのはどうなんでしょう

小野寺: 「どしたん」→「どないしたん」とか

カヅヤ: (方言は、ホント、アレですね…指摘、感謝です…!)

設定の無茶に加えて、描写の足りなさ、書き込みの足りなさがあるので、余計に浮いて見える部分があるのでしょうね

(カ ヅヤ[後日追記]:通天閣は、生まれも育ちも関東の両親に「オープン時ってニュースになった?」と聞いたら「最近まで存在を知らんかった」と言われたの で、「名前だけ知ってる」という設定が「名前すら知らない」に変更されました…。通天閣の知名度…。自分は、名前だけ知ってたけどお城か何かかと思ってた クチでした)

小野寺: 良い作品だと思うんですがカヅヤさんには超辛口で感想言ってると思います(苦笑

とーい: どしたん、どないしたんは、自分気づかなかった

緑川: あんなさんが言われてるように、読み応えありました

とーい: 方言は言葉を知っている知っていないで気づくところがちがいますねえ

わたしも、とてもとても読み応えというか、小説であることの圧倒的な必然性をかんじました

読めてよかったな、とおもいました

カヅヤ: うさぎさんの「軽く書かれているのも良し悪し」というのや、小野寺さんの「父親哀れすぎる…」という指摘は、描写の少なさ、全体のざっくり感に繋がりますね。

とーい: 大体、文章の運び方がうまい。「黙り込んだまま、寒さに耐えるように、から、ないです、と言おうとしたが…ナツは首を小さく横に振る」これだけでも上手い

うさぎ: 死を書くとどうしても大きくなるのが、カヅヤさんの文章だとよくも悪くも取れるんですよね

とーい: わたしは一種の寓話として捉えてもいるので、これぐらいの描写でいいとおもいます

カヅヤ: 死の描写が、良く言えば「重くなり過ぎない」、悪く言えば「軽い」という感じでしょうか>うさぎさん

うさぎ: そうです。僕は軽い方に取りました。ただ、その分父親の死をドライな感じに受け取ってました。>カヅヤさん

小野寺: 変な話なんですが「ヒナ」は合法なんですよね。「イモかんのん」はまあおそらく人道的に許されないというか、そもそもどっちにしても人肉嗜食ではないかあと思ってしまいました

緑川: いや

ヒナの手羽料理は・・・(P3)

禁じられたって書かれてますよ

小野寺: ああ、そうか。非合法なんですね

カヅヤ: (ご指摘ありがとうございます、緑川さん)

緑川: しかし、あぁ、そっか

カニバリズムって視点、なんだか忘れてました

小野寺: でも食べている人もいるから

これって安部さんがさっき言ってたけど都市では人間がカニバリズム的になるみたいなことを言ってて面白いなあと思ったところです

カヅヤ: 人間がカニバリズム的?

小野寺: わたしもよくわからないのですが

安部さんが合評前に語っていました

カヅヤさんの作品とは無関係に

とーい: カヅヤさんのよさは、人情やひとが生きる上での業を描く物語を作るところだとおもいました

カニバリズムはこの作品の重要な要素なのでしょうか?

緑川: そうは感じなかったですね

とーい: 生きる上で父親を結果的に犠牲にする、それを肯定、加速させるためにカニバリズムが機能としてあるわけで

緑川: カニバリズムが前面に出るには、宗教性とか、ふつうの食事とは違う意味合いが入るので

あと、薬とか

この作品では、ふつうに高級食材として扱われているようにしか見えないです

とーい: 個人的には父親の犠牲によって生きること、その業に尊厳を持つこと、それがとても童話的というか読み手に大切なものを届けてくれるというか

小野寺: 重要な要素ではないのかもしれませんが、この作品の深みを増す要素だと思いました

とーい: たしかに、むしろ現代人にとっての「胎盤信仰」にちかい捉えかたですね>緑川さん

そういう意味で、高級食材とおもいました>緑川さん

緑川: ロック喫茶でどういう扱われ方をされているのか、あまり分からないんですけど

アングラな食べ物という位置づけなんでしょうか?

とーい: 幼いナツと父親の戯れもグッとくるし、

うさぎ: 自分は、父親の犠牲を軽くみた分ライトに読めました。見当違いかもしれないですけど、終わりから逆算的に考えた少女漫画のイメージが浮かびました。

とーい: イモかんのんというのも、いかにも西から生まれた雰囲気を感じさせていいなと

緑川: ですよね。幼いナツと父親のエピソード >とーいさん

小野寺: 私はイモかんのんに苦しむ父親がかなりリアリズムをもって描かれていると思いました

緑川: そこで、整合性の問題になるのかなと >小野寺さん

小野寺: やっぱりそっちの方の話なんじゃないかなという感想です

とーい: 自分もリアリズムをかんじました>小野寺さん

うさぎ: 少女漫画=線の細い人間の像

とーい: 少女漫画という視点はおもしろい!!

緑川: 二つの世界を生きちゃってるのかな、ナツは

とーい: 童話、寓話として捉えるなら、自分はもっと説明、描写は少なくてもいいぐらいにかんじました

うさぎ: ギタリストとナツのお話として読んだ感じです>とーいさん

とーい: かもですね>緑川さん

そこも大切なところとおもいました<ギタリストとナツ>うさぎさん

カヅヤ: >少女漫画!ホストそっちのけ作者意見なのですが、リアリズムな世界と、漫画っぽい世界が混在している、というのは、自分でも感じていて

今回は、ナツと彼の関係においては、90年代「りぼん」に読みふけっていた自分の素地が出ている…!と、再認識致しました…

ラストシーンのキラキラ感とかも

緑川: 90年代「りぼん」は、知らないかな)

(もっと前なら知ってます)

どうやれば、うまく繋がるんだろうというのは

小野寺: 60年代なら「りぼん」読んでました

緑川: 60年代!

私、まだ生まれてない・・・

この作品を拝読した最初から思ってましたが

ナツと、女とギタリストの関わり・・・

>彼はときどき声をかけ、気付けば顔なじみになっていた

うさぎ: (今、90代りぼんで思いだした、この作品ぽいの思い出した)

緑川: ここの辺りに、何かワンクッション置いて

何か印象的なエピソードとか

っていうのは、どうかなあと

カヅヤ: あんなさんの感想に、ラストで映像が途切れてしまった、とありましたが、他でも似たような指摘は結構もらっていて

とーい: 個人的にははごろも書房というネーミングが好きです

緑川: なんだか、いきなり馴染みになった感じなので

とーい: 個人的には、ラストには未来があって好きです

緑川: ラストの映像・・・う~ん、表現に重複が多いのかな

カヅヤ: ラストが「芦尾らしくない」という感想を6さんや、高校の同級生から頂いていたので、そのへんも、繋がりの悪さや整合性の問題につながるのだろうな、と思います。

小野寺: バンドのシーンをもっと細かな描写、ナツの心理もあまり出てこなかったように思いました

とーい: なるほど、カヅヤさんらしさか。自分は正直、この作品でのカヅヤさんしかしらないからな

緑川: 遡って読まれてみては。どれもお奨めですよ >とーいさん

小野寺: とーいさん「水面」あります。読んでみてください

とーい: ありがとうございます!>緑川さん、小野寺さん

緑川: ナツの心理・・・うーん、良く言えば、抑制が効いているということなんでしょうけど

もう少し、個性が見えてもいいかなと

カヅヤ: (高校の同級生には、否定的な感想ではないのですが「ヒナ手羽見てギャーってなって終わる方が芦尾らしいとは思った。ラスト明るかったから不思議だった」と指摘されました)

緑川: ストーリの骨組みとしては良いと思うんですよ

小野寺: 明るいのはいいと思いますよ

緑川: 父親が死んだ日に、美しいステージを見て

ナツが感情を揺さぶられる

カヅヤ: 彼、彼女のキャラと比べて、ナツの個性や外見、物の感じ方といったものがあまり出てこない。「死んだら悲しいし、ステージ見たら感動する」という、一般的な感情な動きに留まっている。

とーい: うーん、ナツの個性や外見、自分は必要としなかったです

緑川: まあ、どこまで書き込むかっていう問題はあるんですけどね

とーい: ものの感じ方は描写や行動でかんじられました

価値観も感じられました

それは多分ナツという名前のおかげでマリだったらちがったとおもう

カヅヤ: …たしかに「マリ」じゃないですね…!

小野寺: 古風な感じですね

とーい: 個人的な感じ方ですが、ナツはナツという情報だけだったから、ナツという感じがしたのです

カヅヤ: みなさん、ありがとうございました。

このあたりで締めようかと思いますが、皆様何かありますか。

じゃ、作者サイドから蛇足…。

ネタ元になったバンドの人から、「楽曲の中の○○って曲の愛称が「夏」っていうんですよ」と教えてもらって驚愕しました。

緑川: 曲の愛称? タイトルとは別に、あったりするんですね

とーい: 素敵!!>愛称が夏

カヅヤ: 長いタイトルの曲だったので、バンドメンバーの中ではそう呼んでたらしいです。自分はまったく知らず…。

個人的に、思いつきと勢いだけで、そいやっ!っと書いてしまって、多分100枚くらいで書かなきゃならないものを40枚ちょいに詰め込んでいるんだろうなあ…と感じていたので

緑川: あぁ、なるほど。詰め込みすぎ・・・

説明に走ってる箇所、多かったかな

カヅヤ: 皆様の指摘にはひたすら頷くばかりでした…。

緑川: それと、簡単に済ませちゃってる箇所とか

カヅヤ: ですね。心理描写よりも必要な情報の説明に走ってしまっていて

緑川: 短く済ますのであれば

>四日目、とうとう両眼が溶けて、ぽっかりと空いた眼窩から、二つの水晶体が転がり落ちた。彼は、それを後生大事に、背中の穴に入れて持っていると言う

この部分、必要なのかなとは思います

カヅヤ: あえてそういうザックリした話にしよう、と思っていた部分もあったのですが、ちょっとバランスが悪かった、と反省しております

緑川: たしかにラスト、重要なアイテムにはなるんですけど

何か他のもので代用できる気もしますし

ここまでくると、なんでもありの世界になりそうな気もします

[6さんがログインしました]

: お疲れ様です

非常に、パワーがこめられた作品というか、小さなところで課題はあるかもしれませんが基本的には傑作だと思っています。

とーい: わたしもぐっとくる作品とおもっています>6さん

カヅヤ: ありがとうございます>6さん

: 巧くてまとまっているよりも、粗削りでもカヅヤさんにしか書けないものがここに誕生したと思っています。

カヅヤ: 書きたいモチーフありきで書き始めた感がありありと出ております…>水晶体

緑川: 翼腫とは、また違う要素ですからね

小野寺: 水晶体は確かに唐突感はあった

カヅヤ: 長野まゆみや市川春子並みに何でもありの世界にしたかったけど思ってたよりリアリズムから足が離れてくれませんでした…。

とーい: 長野まゆみさん、なつい!!

カヅヤ: と、作者の反省が続いておりますが、この辺で、合評は締めさせていただきます!

とーい: 学生のころ、耽美で透明感のある世界にドキドキしながら読みましたw

カヅヤ: 時間オーバーしちゃいましたが…。遅くまで、みなさんありがとうございました。

緑川: ありがとうございました

カヅヤ: あの世界観はすごいですよね>とーいさん

: ありがとうございました。

カヅヤ: 以下、放課後。

うさぎ: おつかれさまです

とーい: 長野さんしか描けない世界ですね!>カヅヤさん

[安部さんが戻りました]

カヅヤ: あ、あべさんお帰りなさい。

カヅヤ: もしよろしければ今からでも感想を…!(ホストでなく書き手として聞きたい…プルプル)

安部: ありがとうございます >カヅヤさん

そうですね、

ログも追ってたのですが、気になったのが一つ、

この小説においては、

天使というのを、ストレートに具現化して、

そこから滲ませんる意味というのを造り出しているようですが、

設定からして、天使の隠喩も天使像であるかのように思えます。

それだけでは、形而下で終始してしまっていそうで

本当に天使は単なる奇病になってしまいそうです。

これでは天使を利用する意味が伝わらないのではないかと思いました。

どうでしょう?天使の意味、カヅヤさん的には。

カヅヤ: 「天使の隠喩も天使像であるかのように」 すみません、この部分の意味がイマイチよく…

安部: すみません。天使は初め隠喩だと思ったのですが、天使は一般に連想される天使像をそのまま借りてきた印象があったと言う事です。

小野寺: なるほど

緑川: まあ、実際そうなのかなと

カヅヤ: ありがとうございました。

: 天使が何かを表象してなくて、天使そのものであってもいいんじゃないのかなーとは

おもうんだけど・・・

カヅヤ: すみません、ぶっちゃけ、そこまで考えてなかった、としか言えんとです…

: 「ベルリン・天使の詩」以来?、よく天使が何かを暗喩していることはあるのかもしれないけど・・・

とーい: 羽を持っているから天使なのかなと

小野寺: 九州のことばになってる…

カヅヤ: 特に、隠喩とか、そういうことはなく、発想としては、ただ「羽根生えたら面白そう」から始まって

安部: なるほど。分かりました。ありがとうございます。

小野寺: ガルシア・マルケスを想起しました

緑川: うん。たしかに面白そうですね

緑川: 羽根の生える話、書きたくなってきた

安部: エレンディラの中に、オイボレ天使が出てきますね。

小野寺: そう

カヅヤ: 書いていくうちに、「天使」というものが、美しいものである一方、病でしかない、という両義的なものになっていった、という感じでした。

小野寺: あれもあんまり意味はなかったですよね

緑川: ていうか、すでに自分も書いてたりして >「夏の終わりに」

安部: そうそう、この小説での天使の両義性が、形而下的で、天使っていうと形而上的な意味をもっているかな、ってつい思ってしまったのです。

うさぎ: 演劇の設定でそれありますよー。だから、僕は素直にそこで受け入れました>カヅヤさん

とーい: 美しいものである一方、病でしかない。なるほど。。

カヅヤ: およ、演劇でそういうのもあるんですね。

とーい: 神というか人知を超えたものは病という捉え方は重要なところですね

カヅヤ: 絵的なイメージは、「トライガン」に出て来るプラントっていう生き物がですね(ry

うさぎ: 嘘つきの男に奇病で羽根が生えて「天使」というあだ名で悪さする役がありました。

小野寺: へえ>うさぎさん

カヅヤ: 創刊号の、全部まとまった「記事」を読んでいたら、私と緑川さんの作品が並んでいて、「おおお、羽ものが続いてる!」と思ってちょっと順番に感動しました。

とーい: いま、トライガンの絵を見ましたが、たしかにのイメージはトライガン!

カヅヤ: なんと!>とーいさん 無意識に引き摺られてたのかもです。

とーい: のロックさがトライガンにぴったり

安部: うん、この作品を読んでいて、まずはじめにイメージがあるなとは思ったのです。

で、両義性も勿論読んでわかっていたのですが、とーいさんも触れてくれてますが、人智を越えた者としての飛翔が、この天使には感じられなかったのです。病という形而下での現れが残って。

緑川: あと、美と醜の対比っていう要素も似てるかなと、勝手に思ってたり

カヅヤ: あ、なるほどです>あべさん

その点は、意識していたわけではないのですが、「天使」を「人智を超えないところまで落したい貶めたい」と思っていた部分もあるかもしれないです。

安部: そうですね、なんかすごく病としての特質に執着した書き方するなとは思ってました。

とーい: 病としたのはカヅヤさんのやさしさかな、とおもいました

カヅヤ: この作品に限らず、神々しいものを貶める系の話が、好きなので…。飛べる子も、学生に撃たれてあっさり死んでしまうしで。

安部: いいと思います。

とーい: アブノーマルを治せるものとして捉えられているという意味で

安部: ただ落とすにしても、一度上がっている状況が必要と思います。

とーい: そして、治すための犠牲を肯定的に捉えられているという意味で

安部: あるいは、あがるか。落ちっぱなしって言うのも、それはそれで面白いのですが、なぜ落ちていなければならないかというところに、聖なるものの形而上的な意味があると思うんです。

最後に長々と引っ張ってすみません。

カヅヤ:みなさん、お疲れ様でした!