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小説 「The new day」6/ エッセイ「子供の頃には」Pさん/詩「 ディスタンスのミズ他」misty/詩「詩3編」る

 

 

The new day 6 22枚の合評をはじめます。感想を用意しているかたは貼り付けおねがいします。

 

ふかまち: The new day 6 22

の合評をはじめます。感想を用意しているかたは貼り付けおねがいします。

 

日居月諸: 感想に困る作品でした。シーンとシーンの連なりらしきものは薄く、単純にシーンだけが独立して存在している。言葉に関しても一本通るようなものはなく、どう読めばいいのかわからない。それでいて、ただ単に目の前にあるものを眺めろ、といった訴求力めいたものもない。全て印象論にならざるをえないくらい、どの部分を引用して語ればいいか、わからないです。

 

: ありがとうございます。他のお二人は?ひと言でも。

 

小野寺: 正直、よくわからないというしか書けないです。印象としてはルーセルの「アフリカの印象」に近いかなとも思うけれど、まだルーセルの方がわかりやすいかもしれない。とにかくひとつひとつの章段が短く書き足りていないように思う。それから一文の展開が早いので読者がついていけない。この点ルーセルは丁寧に説明している。しかも本作はほとんど説明に終始している感があり、作者の訴えたいことも見えにくい、かろうじて一番はじめの章段は多少は興味が持てたものの、それとて、書き出しだからということになるかもしれない。いわば書き出しの連続でありそれらのつながりもほとんどないという作品であって、やはりなんらかのストーリー性はほしいと思った。ただ目指すところがちがうと言われればそれまでなので、あまり押し付けはしないけれども。

 

ふかまち: 全体を見るとわからなくなってしまう作品でした。ひとつひとつをみていくと自分の好みのものがあったりして楽しめました。

「三つ折りの時間」はどこか稲垣足穂の一千一秒物語のような空気が漂っているなと思いました。だけどその他の章(と言っていいのでしょうか)はまた違う空気を漂わせているので、他の二人のように感想を言うのが難しくて、ひとつひとつの章に感想を述べる、といった感じになってしまうだろうなと思いました。

 

緑川: 申し訳ないです。私もよく分かりませんでした。カフカの掌編を少し思い出しましたが、各章に共通するような要素も見いだせず、作品解釈の補助線のようなものも探してみたのですが、やはり分からない。

 

緑川: なんらかの試みだろうなとは思いましたが

 

ふかまち: 日居さんが「シーンとシーンの連なりらしきものは薄く」と言っていますが6さんは連なりみたいなものは意識していたんですか?(野暮ったい質問ですみません。。)

 

: あまり意識できてなかったです。何となくあたまに浮かぶことをそのまま書いてました。

 

: わりと自分自身は楽しんで書けたかな(笑)

 

: ルーセルのように詳細に書くという視点は大事ですね。もっと描写にちからを入れればよかった。

 

小野寺: ルーセルでもわからないですけどね

 

: 詳細に書くことによって逆にわからないですね。

 

日居月諸: 身も蓋もなく云えば、異郷趣味以上のものは感じられなかったです。趣味だけで、他は何にもない。強いてあげるなら、「○脈拍」はまだ面白かった。ただ、やっぱりそれが面白いと感じるのは人間の心理を書いたリアリズムだからこそであって、そこが書かれていなければやはり通俗的なものは出ないんだろうな、とも思いました。

 

: なるほど…脈拍が一番自分のなかでは良くないと思っていたんだけど。

 

日居月諸: そのあたりは完全に好みでしょう。ただ、好みの問題で済ませてしまったらダメだとはおもうんですけど。執筆に当たっても、批評に当たっても。

 

: そうですね。異郷趣味から、出なければならないですね。もうちょっと真剣に書くことを意識します。

 

日居月諸: 感想を書くなら全面的に小説世界にのめりこまなければならない。ただ、のめりこむための通路が用意されていないな、と思った。この人はこの小説を書く事で何を読ませたいんだろうな、と思った。

 

: 何を読ませたいんだろう。。自分でも分からないなぁ。

 

日居月諸: いや、別に異郷趣味でもいいんですけどね。ただ、異郷にのめりこむまでに至らないと、訴求力めいたものは出ないんじゃないかと。ところどころそれらしき言葉は出てくるんだけど、あっさりとシークエンスが代わるから、肩透かしを食らう。実は、作者ものめりこんでないんじゃないか、現実と空想のかけ橋を作りきれてないんじゃないか、だから読者も分からないんじゃないか、そんな感じです

 

小野寺: ただ、わからない作品は数々あるけれども時代性や歴史性の匂いのようなものはあると思います。その時代に生きたその人だからこそ書けたみたいな。そういう作品ならば私はその点は評価します。が、この作品にはあまり感じられない。

 

小野寺: もちろん、歴史性ゆえに拒絶される作品も当然あるわけですけど

 

小野寺: もうすでにかかれてしまっているという意味で、

 

小野寺: だからこの作品が生きるためには現代の社会もある程度は投影してほしいと思うんですよ

 

日居月諸: たとえ現実に生きていようと、人間は何かしらの形で、世界に対してよそよそしさを感じていると思うんです。それを埋めるために行動する。隔絶にも種類があって、それぞれに抱えている問題は違うのだけど、根本的なよそよそしさは同じだから、それを埋めるためのノウハウめいたものに共通性は生まれるんじゃないか。だから、人は空想的な物語であろうと、作者が空想と現実のギャップを考えてくれているのならば、読むに堪えるのではないか、そんなことを考えました。

 

小野寺: ああ、わかります

 

: もっと自分自身が作りだした世界にもぐり、しっかり構築せねばですね。あとは現実との差異、それは自分にとっては難しいことです。

 

小野寺: こまかく描写していけば自然にあらわれてくると思いますよ

 

: そうですね。自然に現れるか。なるほど。

 

ふかまち: この作品は歴史性とか時代性を匂わせるだけなんだけどだからといってここからバリバリ史実をねじ込めば成功するのかって言えばそうじゃなさそう、作品に流れる空気からはなんとなくだけど6さんの好むものとかこんな感じのものが書きたいんだろうっていうのが伝わってくるので

 

緑川: まあ、史実は別として

 

緑川: 描写について言えば、ちょっとお尋ねしたいことが

 

: 自分の世界をもっと突き詰めて考えます。色んなものに触れないとだなぁ。

 

緑川: >翼竜はとても大きく、トーマスが想像していたスケールをはるかにしのぐものだった

 

: 書きたいものっていうのは、何なのか、それも考えないと!

 

緑川: 他にもいろいろ、ずいぶんあっさりと書かれてるようで

 

緑川: 意図的でしょうか

 

: ショートショートを意識したのであっさり感はある程度意図的です。

 

緑川: 面白い表現もあるのですが、文章にもっと丁寧な感じは欲しいかなと、私は思いました。文章そのものに惹かれて、読み続ける場合もあるので

 

 

: そうです、丁寧さは確かになかった!性格が出てしまっていました。

 

エッセイ 子供の頃には Pさん 13枚の合評をはじめます。

 

ふかまち: 感想を用意してるかたは貼り付けお願いします

 

: 面白いエッセイでした。Pさんと保坂のエッセイの共通点を考えたりもしていました。散漫な態度をとっていても、集中力が宿っていたと思います。あと抽象的なことを物質的に考えるのが良かったです。

 

小野寺: この作品もわかりにくいと言えばわかりにくい作品だった。ただエッセイということで免れる一種の我儘がわかりにくさの原因と思いました。心情の吐露は「子供の頃には…」というのを並べたところ、それだけでもなんとなくはわかる。わかるんだけど…

 

緑川: 頭はあっても体が無い、というのが読了後の印象です。もともと、そういう作品なんですと言われれば、それまでですが。あと、これも個人的な感想になるのかも知れませんが、ラストの一行はいらないと思う。

 

日居月諸: 初めに集中力を最大限に発揮すれば一生の長さは変わるのではないか、という叙述があって、それを実践したエッセイなのか、と思います。過去をテープを巻きとるように掘り返すことで、時間を無効にさせ、全てを現在へと変えてしまう。ただ、完全に無効にできるわけではないから、堅固な過去があらわれる。感情が届かず、素っ気なくそびえたっているような過去が現れる。そういう構成かと思いました。

 

日居月諸: その点でプラスチックのバリが出てくるのは適切であって、どうしようもなく邪魔な対象なのだけど、取り除く事は出来ない。同様に少年期と現在には確かに隔絶があって、私は少年期をどうしようもなく邪魔な存在として捉えてしまうから、こういう読み方をしてしまうんでしょうけど、自分のものでありながら自分のものではない、見たくないのだけど見なければならない、そんな感情がよく伝わってきました。

 

日居月諸: まあただ、あざとさはあるな、とは思います。作為的で、作者が過去を操った末のエッセイであるな、と。書き散らしたようでありながら、実は書き散らしていない。内側にはしっかりと構成的なものがあって、それを振りほどこうとしている身ぶりも、実は演技じゃないのか、とは読めてしまいます

 

ふかまち: 面白かったです。でもわたしが読んだことがあるエッセイって考えたり思ったことをつらつらと(たとえそうでないにしても)書き綴ってるって感じの文章が多かったなという気がするんですが、この作品はその逆でその考えにいたりたいがために考えているというような苦しい感じがした。

 

イコ: 「子供の頃には」は、はじめにHPの方を読んで、子供の「飛び飛び」の感覚が文面にあらわれるのがおもしろいと思いました。途中から意味が断ち切られて、次の話題にうつってしまう。でも、「子供の頃には」って言葉があるから、そんなわがままがとても説得力をもっているように見えました。

 

: 何となく分かります。逆算して書いてるってことか。

 

: なるほど繰り返される「子どもの頃には」は、上手く行ってた気がしますね。〉イコさん

 

P: (職場にいて参加出来なくなりましたが漠然と見てます)

 

イコ: が、その後で記事の方を読んで、意外と丁寧に描こうとしているぞ、と感じ、せっかくの暴力的なものが薄れてしまったように思いました。

 

イコ: しっかり描こうとしているように見えるけれど、カセットテープのくだりなど、読んでいてすっと頭に入ってこない。分かるように描くなら、もっと丁寧になめらかに記述してほしいと思いました。逆に、もっと子供っぽい、わがままさを発揮するなら、HPにデザインされたように、徹底的にぶちぶちと意味を切ってほしい。そのへんのアンバランスさが、もったいないように思いました。

 

: アンバランスなところが、このエッセイらしいかとも思います。Pさんの文章は、何か喉につっかえるものが多い気が…

 

イコ: そうですね、喉につっかえました。

 

: 一方でバランス感覚について考えるひとでもあるので、ひとつに偏ることもないと思います。あらゆる方向に偏ることを意識してる気がする。

 

イコ: つっかえること自体は、よく読ませる意図があっていいと思うんですけど、よく読んでも意味を納得する形ですくうことができないのが気になりました。

 

イコ: 1段落は納得できました。2段落冒頭の文章は、よく分かりませんでした。

 

イコ: 『ピタゴラス自身の生涯については幾説かあるが、広く見るとそれはピタゴラスが興した教団全体としての活動が主であり、その前に個人の力は霞む。』

これです。

 

: 個人ってことだろうか。

 

イコ: 子供の感覚で飛び飛びに語るような、そういう暴力性をおもしろいと思った自分でしたが、それはHPに並べられていたひとつひとつの文章には一応の安心感のようなものがあったからなんですね。ところがこうやってもう少し長く記述されると、どうも文章が悪い意味で洗練されていないような気がして不安になるんですね。

 

: 各作品のホームページでは「個人」

 

イコ: 引用間違えてすみませんでした。

 

イコ: 思考はどんどん流れて行っていいから、もう少しひとつひとつの文章に意味をきちんと汲みとれるような丁寧さが欲しいということです。

 

 Akila: (家に着いたところです。ROMらせて頂きます)

 

イコ: HPで感じられた構造的なおもしろさに身を委ねる楽しさが、話題から話題への距離が長くなることで薄くなり、そうなると今度はひとつひとつの内容に注目したくなるんですけど、その内容に、入りこみたくなるように描かれていないように思った。だから、なんかもったいなく思いました。

 

AYA: (こんばんは。あたしも今日はROMで…)

 

ふかまち: (あきらさんあやさんこんばんは!)

 

: 丁寧さを保ちながら、このエッセイが持つ散漫な集中力みたいなものがなくならずにあって欲しいです。

 

ふかまち: そうですね、うん

 

イコ: ですねー、試み自体はとても好きです。

 

ふかまち: 詩3編 るの合評に移りたいとおもいます

 

ふかまち: 感想を用意しているかたは貼り付けお願いします

 

日居月諸: 「小鹿を生む」については前に読ませてもらったことがあるので、おおむねの感想は一緒になると思うんですが、読み手に立ち止まる隙を与えず、一気にカタルシスにまで持っていく強引さが変わらず維持されていて、もしかしたら改稿によって増しているのかな、ともかくやはり好きな詩です。

 

日居月諸: 「あじさい泥棒」については、まだ死んでいない、のリフレインがセンテンスを重ねるごとに繰り返され、作中の言葉を繰り返すことになるのですが、暴力が垣間見える瞬間が捉えられていると思いました。フォルムによって(詩にそれがあるのかはわからないのですが)話者、視点人物の暴力性が仄見える、というのはあまり読んだことがなかったので、新鮮でした。

 

日居月諸: まだ死んでいない、のが蠅なのかミツバチなのか、それとも女なのか、そういうミステリックなものをかんじさせて、のみならず言葉の転がし方がうまいから、何度も読むに堪える詩です

 

ふかまち: 「あじさい泥棒」は最初読んだときはタイトルと内容がずいぶんかけ離れているようであじさい泥棒というよりは薔薇泥棒っぽいよねみたいなことを言った気がするのですが、何度かよんでいて、あじさいが咲く時期の部屋の中で男と女がじめじめと暮らしていてただ年老いていく姿は、枯れても散らないあじさいとよく似通っているなと思ったし、速度のある文章のあとで「、寝返りを打つ、あなた、と、わたくしは、確かに、減少している」このラストは素敵と思いました

 

日居月諸: 「つゆの日」については他の二つに比べてストレートすぎて面白味を感じませんでした。

 

: るさんの詩はやはり、過剰さが続いており、要所を光らせるためにトーンを抑えた文を入れてほしい。緩急をつけてほしいと思った。言葉も内容も、もう少し抑えたものを入れたほうがいい。僕は「つゆの日」が良かった。

 

緑川: 以前と比べてずいぶん良くなったと思います。独りよがりな感じや、言葉足らずなところがなくなってきました。綺麗さとグロテクスな部分が共存できてます。どれも楽しめました。

 

ふかまち: 「つゆの日」のやわらかさと「あじさい泥棒」の過剰さがうまく共存できたらおもしろだろうなって思います

 

緑川: あ、そこは、歌手とかのアルバムと同じで、違う傾向の作品がある意図のもとに並べられてるってことじゃないかなと >ふかまちさん

 

小野寺: 一読した時は面白いと感じました。三編とも。ただ「あじさい泥棒」に関しては同語反覆が多いなあと思い、自分は別の言葉で表現してほしいと思いました。場面が自然に浮かんでくるようで描写が巧みになっているのでは、言葉の使い方がいいのだろうかといろいろ考えました。

 

ふかまち: 「小鹿を生む」は面白い話だけれど女から小鹿がわらわらと生まれて光が氾濫する部分が言葉に頼りすぎているようにおもえたというか、イメージが湧かなかった。人間の女が小鹿を生む(一人や二人の話じゃない)なんていう場合はもっ奥行きがあって広々としたイメージを湧きたてるような文章を書いてほしいなっておもった。

 

ふかまち: A面B面みたいなことですね>緑川さん!

 

緑川: まあ、構成ですね、これも >ふかまちさん

 

緑川: ちょっと話は違いますけど、幼稚園の子が「ビーチボーイズじゃなくて・・・」なんてセリフを言うものだろうかと

 

ふかまち: お母さんが毎日聞いていたらそういうこともあるかもしれないです。

 

緑川: 幼稚園の子がいるお母さんくらいの年齢の女性が、毎日ビーチボーイズを聴くのかなと

 

緑川: まあ、きりがないかな、こういうことを言い出すと

 

ふかまち: 進行がちょっとあれで(下手で)すみません。感想言ってないかたいたらどうぞ。。

 

小野寺: 今のお母さんは聴きそうな気がしますよ

 

小野寺: どんな曲でも

 

: 「つゆの日」で、満天の星空ではなく、満開の星空って言ってるのは意図的なんだろうか。多分、意図的。

 

ふかまち: 満開の星空ってないですね

 

: あじさいのことに喩えているんでしょうね。

 

ふかまち: それか雨のことかなって思いました

 

: 振り向いたときにあじさいが満開だったって思った。

 

: 雨っていうのは?

 

ふかまち: 雨が降りそぼっている風景を星空に喩えたのかなって思いました。

 

ふかまち: でもあじさいのほうがピッタリ!

 

緑川: 意図的でしょうね。満開

 

ふかまち: 意図的ですね