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◆8月合評会②

 日時:8月26日(日)21時~

 場所:skypeチャット

 ホスト:小山内 豊

 内容:夏の予感:小山内 豊

    氷片:イコぴょん

    悪ふざけ:Rain坊 

  参加者:小野寺、神崎、小山内、6(文章)

 

 

小山内 豊: 八月二十六日合評会
小山内 豊: スケジュール 21:00『夏の予感』小山内、21:45『氷片』イコぴょん、22:30『悪ふざけ』Rain坊

小山内 豊: 九時になりましたので始めさせていただきたい。
小野寺: どうぞ
小山内 豊: では、初っ端は拙作『夏の予感』です。
小山内 豊: 預かっている感想はありません。

小野寺: では6さんから預かってるのを張ります
小野寺: [2012年8月25日 0:03] 6:
<<< 夏の予感
 端正な文章と適切な描写力に巧さを感じました。
 最後の「礫が敷き詰められた地面」の風景はこの小説が何か

 <場所>を問題にしていたこととリンクして悪夢のような印象をあたえて、

 終わり方としてはかっこよかったです。
 社会のことを小説がきちんと捉えて、それを小説のなかに取り込んでいるのが

 すごいとおもいました。自分にはそういうことがなかなかできないので

 その部分が引っ掛かりました。
 またネットの使い方もクドさがなくて、自然な感じで使われていました。
 もう少し長さがあってもいいなぁと思ったことと

 「夏」について踏み込めているのかが疑問でした。

小野寺: では私の感想
小野寺: 小山内さん『夏の予感』
 捉えにくい話だと思った。冒頭の雨水が発生する様は興味深いのであるが、
 そこから青年の妄念に至る様子はそれが妄念とわかると

 二度目の肩すかしをくった気分になる。
 短い作品では、興味がそがれる。
 三人称は内面にとどまったまま東京に行くという願望を実現させるわけでない主人公を

 描写するのに適切な手法であるのか疑問がある。

 主人公は父親の介護に疲れているのか終盤に 悪夢のような荒涼とした土地で

 傷つき苦しんでいるが、 それが描写の丹念さのわりには伝わりにくい気がした。

神崎: 感想
 うまい。と思わせるものがある。東京の地を憧れる主人公と、

 東京の生活に疲れたかのような姉。
 この対比が良いと感じた。私はこの作品ほどではないが、田舎から都会に出てる身なので、
 姉の気も主人公の気も理解できる。
小野寺: 私はあまり共感できなかったのですが、それは東京に行きたいという気持ちが

 希薄だからかなあ
小山内 豊: お話の中心は、東京への憧れと、姉弟関係を描くということでした。

 夏は、たんにその季節というだけ^^;
神崎: 些末な点ですが姉は4年生ですか
小野寺: もちろん、上手な部類に属すると思うのですが、

 さらに印象を効果的にするにはと考えてやや辛口に感想を述べてみました
小山内 豊: 高三です>神崎さん
小野寺: え、そうなんですか
小野寺: 大学生と思っていました
神崎: うーん。高3と感じさせるものが自分には見当たりませんでした

 読み込みの浅さあるいは尺の短さによるものかもしれませんが。
小山内 豊: 先生や学校をだすことで、そういった設定をにおわせたのですが、

 触れ方が軽かったでしょうか…
神崎: 言われてみれば、教授と表現していないし。と感じます。
小野寺: 土砂崩れの危険性と言うのは亮司の取り越し苦労なんですね
小山内 豊: 若い人のぼんやりとした不安を、妄想や予感として書いてみました。
小野寺: 可能性としてはいつでも起きうるんですね
神崎: はい。それはよくかけていると思います。

 もし今乗っている電車が脱線したら。などと考えるのと似ていると思います。
小野寺: ちょっと私には肩すかし感がありました
神崎: 肩すかしですか。

小山内 豊: かなり実験的でした。きことわの読書会を見て(私は読んでいません)、

 回想や、夢以外に、主観を一人の人物にしたまま視点を変えられるかな、と考えました。
小山内 豊: それが、お話の密度を下げたかもしれません。
小野寺: そうなんですか
小野寺: きことわ、は、参考になります
小野寺: いま、朝吹さんの「流跡」を読んでいますがきことわ以上にぶっ飛んでいて面白いです
神崎: きことわは読んでいませんが、作品との比較してどうののでしょうか
小野寺: きことわは恐ろしく洗練されていまして、ぎこちなさがないです
小山内 豊: ^^;
小野寺: 夢とか妄想の部分が、小説のいまここの部分と区別ないんです
小野寺: ツイ文の過去作もそうですが夢パート現実パートに分けられてしまいますが

 そういう区別が容易ではないんです
小野寺: きことわや流跡
小山内 豊: なるほど。
神崎: ふむ。
神崎: 夢パートに近いものがあると思うのが、姉と弟の、インターネット上の交流です。
小山内 豊: チャットは基本的にはハルとか電車男ででているので、

 そこからもう一歩というところでした。
小野寺: まあ、そうですね
小野寺: それにしても「弓返り」と比較するとかなりわかりにくい
小山内 豊: 「弓返り」はかちっとまとまった感はあったんですが、 古臭く、

 冒険が足りないかな、と。それはお話の内容とはかかわりのないことなんですけども。
小山内 豊: ということで、規定の時刻になりましたので、ここまでにします。


小山内 豊: つぎは『氷片』イコぴょんです。
小山内 豊: 預かっている感想はありません。
小野寺: では6さん
小野寺: [2012年8月25日 0:03] 6:
<<< 氷片
 詩としてではなく、短編小説を読んだような心地がする。
 詩的なみずみずしい表現ではじまりながら、夏と言う何かを媒介にした女の

 執念のようなものが感じられた。
 そして途中には排泄についてのイメージが連鎖していった。
 難点をいうと分かりにくい。もちろん詩にとって分かりやすさなどいらないと思うのだけど
 内容よりもその文章にまみれているときにどういうツボにヒットさせようとしているのかが

 分からなかった。
 統一性がなく、女の精神のゆらぎのようなものが中盤感じられて転調する詩というのを

 感じたのだけど、 それにしても不必要な言葉やイメージが多く

 何かをさえぎっているような気がする。
 彼女は氷を削っている。それはアイスピックという氷を削るのが役割でありながら、
 ときに推理小説の凶器にもなりえるものをつかって。
 彼女は何かの記憶に向かって執念的な作業を繰り返しているように思える。
 そして夏というあいまいな像を媒介にして、何かを呼び込もうとしている。
 そういう構図が一瞬見えたときには、面白く感じた。

 そして最後の一行に魅せられた部分もあった。

小山内 豊: 氷片
 詩と脚本を組み合わせた印象を受けた。
 詩の文章の後に、ト書き。ト書きの後に人物のセリフ。
 初夏の命のあふれるイメージと少女の季節を重ねている。
 それがベースになってはいるが、センテンスの一つ一つをみていくと、
 やや、脈絡がなく、賛歌といえばそうだが、イメージの羅列にも読める。
 センテンスごとに場面が飛躍しているせいか。
 向き合うことのない彼氏との関係が後半にでてくる。
 これは題材としては面白いと思う。
 そこに焦点をすえてひとつの作品に仕上げたら、
 ひとつの作品としてまとまるのではないか。

神崎: 詩なのか小説なのかよくわからない作品だった。

 それは今回の6さんの作品にも通じるものがあると思う。
小野寺: 最近のイコさんがテーマにしている人間関係?のようなものが

 詩にしても小説にしても自分には理解できずに苦しんでいます。

 この作品で召喚された言葉たちが自分の中ではつながらず、

 イメージも途切れがちで苦しみました。そうイメージが飛んでいるように思うんですね。
小山内 豊: イメージが飛んでいるように読めるというのは同感です。
神崎: イメージが飛んでるというか、自分にはよくわからなかったので、

 その点を僕は評価できていない。
小山内 豊: 詩か短編小説かというてんについて皆さん言及されていますが、

 自分の中の詩らしいもの、短編小説・散文らしいものと付き合わせたとき、

 どこが気になるでしょう。
小野寺: まず、冒頭のアイスピックをにぎりしめたとありますが、

 なんでにぎるではいけないのかわからない。
小野寺: ひとりの彼女。これもわからない。
小山内 豊: 言葉が足りないということかな。
小野寺: 自然な表現を嫌ってるのかなあ
小山内 豊: この場合は強調ですね。それはたしかに、文芸作品を創作するうえで、

 過去に気にした覚えがあります。
小野寺: 第一聯は同語反復が多すぎますよ
小野寺: ちらちら、彼女、氷片、ちらばる、かがやくエトセトラ
神崎: 確かに多い。
神崎: これは先ほど「小山内さんが述べられた強調なのだろうけれどもいささかくどい
小山内 豊: 多いですね。これは小説的ではない作用があるとは思いますが。
小野寺: うまいとは思わないですね
小山内 豊: 小説的に読んでしまうと、くどいし、ちょっと読めない。
神崎: となると、詩として読むことになるのですね。
小野寺: 二連の「」も意味がよくわからない
小山内 豊: 舞台で、幕が上がると同時に状況を説明する人物、そういう手法に読めたな。
小野寺: ああ、それで感想内で言われていることがわかりました
小山内 豊: 映像とせりふの部分が交互に出ますから、舞台を連想するな、と。
神崎: なるほど。
小野寺: やっと少しわかってきた
小山内 豊: 作品の本質ではない気もしますけど^^;

神崎: 小山内さんは作品の本質をどこととりましたか。自分はよくわからなくて
小山内 豊: 期待も込めて、ですが、「向き合うことのない彼氏との関係」です。

 それにたいする彼女の苛立ち。
小野寺: 「」内は学園の出来事で過去のように思います
小山内 豊: そうかもしれません。特別な効果は感じませんが…
小野寺: 確かに向き合ってないですね
小山内 豊: れいによって、苛立ちだ! と指摘することになってしまうのだけど。
小野寺: 氷に当たっているわけですか
小山内 豊: うんうん。このやろっっていうかんじで。
神崎: うーん。やっぱりよくわからない。
小野寺: イコさんと年齢の近い神崎さんがわからないなら私はもっとわからないですよ
小野寺: (笑)
小山内 豊: 私の勝手な解釈では、まず舞台に男と女がいるんです。
 で、二人は高校時代か大学時代に恋愛したんです。男は女にほれていて、
 部活か何かでかっこつけたんでしょう。女はそれを覚えているんです。
 で、結婚したか、同棲したかで一緒に暮らしているのだけど、

 男のほうはパソコンの前に座っているばかりで、 女のほうを見ない。

 それでも女は、「私たち愛し合っている」という気持ちで、
 晩御飯とか、カクテルとか用意している。それが、実際は心が通じていないものだから、
 いらいらしてアイスブロックにアイスピックで八つ当たりしている……。
小山内 豊: パソコン云々は完全に妄想ですが。
小野寺: うーん。そのパソコンの向こうにはツイ文メンバーがいるわけですか
小山内 豊: まぁ、それはわかりません。
小野寺: それって私的ですね、かなり
小野寺: 普遍的なテーマを選択してほしい
小山内 豊: いやいや。極私的な解釈ですが……
小野寺: でも、その解釈は的を得ていると思います
神崎: うーん読者の読みに任せるというモノなのかな
小山内 豊: 全体として、捕らえにくいところが残る作品なのかもしれません。
小山内 豊: ということで、規定の時刻になりました。


小山内 豊: 最後の作品、『悪ふざけ』 Rain坊 を合評します。
神崎: はい。
小山内 豊: 預かっている感想はありません。
小山内 豊: 悪ふざけ
 作者の語りから、妄想の物語、それから「僕」視点の現在になる。
 意味合いとしては、学校の夏休みの補講を前に、
 妄想して時間をすごしているが、それにも飽きて寝ることにした、という話。
 ユーモアを狙った作品であれば、それなりに読者を引き込むアイデアが

 盛り込まれるはずだ。
 この作品に関しては、特別な工夫は見つけられず、ぜんたいとして手遊びの印象を受けた。
 それはタイトルから考えて作者の狙い通りなのだろう。
 悪ふざけをまともに論じることは、かえって興ざめなのだと思う。

小野寺: 6さんの感想
小野寺: 悪ふざけ
 まず幽白を思いだしたことだけは触れておきたい(笑)
 「作者が愉しんで書いたものが読者にとって面白いとは限らない」ということを

 一点強調して言いたい。
 筆がのっていて、ある種の過剰さも感じられるのだけど、やはり構成がむちゃくちゃで
 小説としてそのむちゃくちゃさが良い雰囲気をだしているかというと

 そうでもないと断言しておく。
 これを何かの原石のように大切にすることこそ、この作者の今後を断ってしまう気がするので
 真っ向からこのような小説ではいけない!と言いたい。
 いくつかの文章を読ませてもらって文章を書くこと自体は苦手じゃないと感じているので
 もっと全体を考えて小説を書いてほしいとおもう。
 ある種の会話のノリの良さや、物事を過剰に語るのは良いとおもったので
 然るべき方法でそれを活かして良い作品を書いてほしいとおもいます。

神崎: 感想としては、なんだろうああ、若いなと感じます。

 (自分のもそう感じられているのだろうか)
 妄想から現実に移していき最後におやすみなさいと終えるのはよいけれど。
 文章の緩急がどこか急すぎないかと思う。

小野寺: 作者は、夏を正面から取り上げようともがいていることはわかるが
 書くべきことが見当たらないような気がしてならない。

 青年期の倦怠感にとらわれているのだろうかと言う気がした。
 興味がもてることが見つかればいいのだけどと思う。
 あと気になったのはですます調とである調が入り混じっているのはどうかなという点
小山内 豊: みなさん厳しい評価ですね。
小野寺: 厳しいっすか
小山内 豊: Rain坊さんがこの作品を特集に出すにあたって、期するところがあるならば、

 厳しいと思います。
小野寺: 小山内さんも厳しいと思いますけど
小山内 豊: はい。酷評です。
小野寺: エンタメではこういう葛藤の作品もありなんですよね
小野寺: ちょっと、おやすみなさいにはがっかりした
小山内 豊: うーん、受け入れられる世界があるのだと思います。

 あくまで、私個人の感想です。
 よって、ぜんぜん読めていない可能性は大いにありますね。
小野寺: 少しは読んだことあります
神崎: これは、高校の生徒の日常であってそれ以上ではないのですね。

小野寺: 小説を書くというのは主体的な行為であり

 高校生は主体を奪われているということかな
小山内 豊: 高校生の主体がというようなことはなく、思いついたまま書き連ねたとしか

 読めないですね。
 主体を奪われているというのはどういうことなのでしょう。
神崎: 多分思いついたままだと思います。
小野寺: 受験や部活などで時間が取れなくて

 自分自身のモノの見方などを養う機会がなくなっているとか
小山内 豊: なるほど。そういうメタな解釈はかのうですね。
 そこに作者の意図があるのだとすれば、かなり不親切な表現だと思いますけど……
小野寺: この作品に即している意見じゃないですけど
小野寺: 作者の側に立てば物語不信のようなものもあるかもしれません
神崎: 物語不信ですか?というのは
小野寺: 普通に書かれた小説が嘘で塗り固められているように見えて仕方ないみたいな
小山内 豊: 物語り不信を創作発表の場で嘆かれても困りますけどね……。
小山内 豊: なにか作品を発表して読んでもらおうというのであれば、
 不信感を表現、というのはちょっといじけすぎです。そう解釈するのならば、ですが。
小野寺: はじめの小品、友人をカマで切って血の川をつくるというのを
 適当な物語をでっちあげると自ら言っているのでそう思ったのですが
小野寺: 要はテンプレートがまだできていないということなんだろうと思います
小山内 豊: 小野寺さんがおっしゃったような意図があるのだとすれば、

 それを文芸作品として昇華していくのは面白いと思います。

小山内 豊: [22:50] 小野寺:
 <<< 受験や部活などで時間が取れなくて自分自身のモノの見方などを養う機会が

   なくなっているとか
 この作品においてはこうしたものを素直に感じ取るのは難しいです。
神崎: 確かにそうですね補講に苦しむ姿しか見えない
小野寺: そういう主張はないと思います
小野寺: それは例を挙げたのであってこの作品に即した意見ではないです
小山内 豊: そうでしたか。なかなかおもしろい解釈でしたが……。
 見ようによってはそういった意図があるようにも読めますので。
小野寺: レインボーさんに訊いてみたい気もします
小山内 豊: というあたりで
小山内 豊: 規定時間になりました。
小野寺: そうですね
神崎: はい
小山内 豊: 言い残したことはないでしょうか。
小野寺: 大丈夫です
小山内 豊: では、これで合評を終わりにします。
小野寺: お疲れ様でした
神崎: お疲れ様です
小山内 豊: おつかれさまです。