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創作合評(2月)

小山内 豊: それではおそろいのようですので始めさせていただきます。
小山内 豊: 本日の予定としては、投稿された創作二作を各一時間ずつ
特集「エッセイ競作」に寄せられた三作を九時から、
『路地への迷宮』『もう二度と帰らない音』
『A.H.マズローの自己実現理論について』の順に討論していきたいと思います。
小山内 豊: 掲載順でないのは作者さんの時間の都合に合わせさせていただいてます
小山内 豊: それでは早速、常磐さんの「俺の世界」から意見を交わしていきたいと思います。
小山内 豊: 中学三年生の俺は後輩の喫煙事件で部活動を禁止された。
進路相談が始まるが、なにもかもすっきりしない。納得がいかない。
担任の瀧中にうっぷんをぶつけてやろうとするも、思いのほか器用な奴で
返り討ちにあってしまう。
あとから聞けば、自分も俺ぐらいの頃に担任を殴ったんだという。何でそんな話をしやがる!
中途半端な俺に、部屋に張った二枚のポスターのスター選手がまぶしい。
家庭訪問じゃ母親と瀧中とで、俺の失敗をさぞかし笑うことだろう、
そう思っていたのだが、選手がドリブルするポスターなんて貼っているので安心した
なんてぬかしやがる……。

小山内 豊: まずは私からなのですが、この作品は大人・社会との出会いというものが色濃くかかれていえるんじゃないかと思いましたがいかがでしょうか。
大羽 左膳: 俺は中学生はこういうのとこういうのとじゃないっていう認識なのかなとだけ思いました。社会というか自分自分自分自分っていうのに無自覚な
大羽 左膳: (しばらく黙ります
annaendo: 個人的には前回の作品と作風や設定がかぶってしまう感がありました。
F.Hilbert: 「社会」というほど大きいものには、まだぶち当たってないような感じがしました。
小野寺: 自分としては中学生って不安なんだけど各個の成長がバラバラに思うので自分は違うけれどもこういう人もいるのかなという感じです
神崎: 勝手な読み方もやや入りますがこの時期ってのはいろんなことに興味を持ち始め同時に既成の物否定したがる一種の中二病の時期ですね。それで、
小野寺: 大羽さんあんなさんの意見も同感です
小山内 豊: 瀧中と俺とが使い分けられているあたりに、対比の意図というのが読めるかなと>大羽さん
神崎: 自分のやりたいことを見失っている感覚を受けました。
大羽 左膳: やりたいことなんてみつからなくてふつうなのにおれってなんか違うの?みたいな痛々しさが

小山内 豊: 『劣情に惑う剣』ですね。狭い視野ながらあれも勢いのある作品でした>あんなさん
annaendo: そうですね、常磐さんの作品は勢いがあっていい意味で読者を巻き込む力があると思う
annaendo: しかし殴り合いの場面など前回と通じる場面がいくつかあったように思った
小山内 豊: 暴力を取り入れる作品は職業作家の作品にも多いですね
神崎: 作品に勢いをもたせれるような気がします
イコ: 暴力を取り入れると派手になりますからね
小山内 豊: 大人である瀧中の背後に、かつての不良が入っていった社会があるんじゃないかと>フランツさん
小山内 豊: 暴力はアクションシーンの演出だけでしょうか?

小野寺: けれども瀧中がそれほど憎しみを買うようにも思えないキャラだから主人公が空回りしているようにも感じる
小山内 豊: ああ、それは感じました。
annaendo: 教師に殴りかかるという設定が、ん?と一瞬思いました
小野寺: 甘えているのでしょうか
小山内 豊: 甘えもあると思います。暴力という中学三年生のもつ手段が、空回りしているとも。
神崎: 今だとすぐ警察沙汰にすることもありますからね>あんなさん

イコ: どうしても小野寺さんの前回の作品とダブるんだよな
小野寺: そうすかね、イコさん
annaendo: 今の時代だとあまりなさそうですね>神崎さん
小山内 豊: 『いざ起てよ戦人よ』ですね
イコ: そうです。その合評のときに、今の子は、暴力に訴えないで、もっと陰湿にやるよねっていう話になったのを思い出したんすよ
大羽 左膳: そうかなあ
大羽 左膳: 陰湿かなあ
annaendo: そういう話しましたね
小野寺: 大学を出てすぐに先公になって、三年生を受け持っているような所謂エリートっていう奴だ
神崎: しましたね。
小野寺: この部分、イコさんのことかと思った
神崎: そのエリートに対しての反感もあるね少なからずは
大羽 左膳: 成功しやがってこのやろう的な
小野寺: そんなこと中学生が思うだろうか!
イコ: 成功に対する、「停滞」の自覚が、描かれてないですよ
大羽 左膳: 俺は成功してんなって思ってたんですけど、あれ
イコ: この主人公は、なんか「むしゃくしゃ」してるだけ。ハンドボールが活動停止になったってだけで、どうしてこうも「むしゃくしゃ」するんだろう、っていう、その根元の部分が、描かれてないように思った。
大羽 左膳: ああ
神崎: 「停滞」ならば部活の停止や本やゲームといった娯楽さえこなせない現状もあるのかなと思いましたが、それってちがうかな。勉学について書かれてないのは不自然だ。
annaendo: 盛り込まれてるエピソードが全部視野狭いんですよね。中学生だからしかたないと思うけど大人が読むと説得力に欠ける
小野寺: イコさん、俺もそう感じました。根本はバスケも喫煙も先生もあまり関係ない、じゃあなんなんだと。

イコ: 瀧中先生も、もっと人生背負うべき。先を歩いている人間としての説得力に欠ける。常磐さんは会話に頼りすぎるからね。
小山内 豊: そうしたなかで瀧中の大人としての余裕を書くことができたあたりが、この作品の面白いところなんじゃないかと思ったりします>あんなさん
大羽 左膳: こんな中学生とか先生とかいるのぉ?とは思いました
annaendo: 大人としての余裕という部分では軽い感じがしたんですよね>小山内さん
イコ: 瀧中の余裕は感じられました。そこは面白かった。>小山内さん
イコ: でも「大人」っていうよりは、からかってるだけのような気が、まだしてしまうんだよな。

大羽 左膳: 余裕というより成功した優越感に感じてしまった
小山内 豊: 生徒を更正させる、指導する、という意味では軽かったかもしれませんが…
小野寺: 全体に不満の感情が続いているのは評価できると思うしある程度の感情のリアリティはあるのだけど「ないものねだり」にも似ていると思います
神崎: それだ優越感か
小山内 豊: [20:30] 大羽 左膳:
<<< 余裕というより成功した優越感に感じてしまった
この解釈は面白いですね。とたんに暗い話になる。
annaendo: 作者がどちらに持っていきたかったかわからないですが
イコ: 短絡的に、「余裕」とかって言葉にしなかったところは評価できると思います
小山内 豊: [20:30] イコ:
<<< でも「大人」っていうよりは、からかってるだけのような気が、まだしてしまうんだよな。
これも優越感のあらわれとしてでしょうか。
そうすると話の最後の場面はかなり暗澹たるものとしてとらえた読者が多かったのかな。

イコ: 大人と子供の対比になりきらないところが、おもしろいとこだと思います
イコ: 母親も、なーんか、大人っぽくないし。
大羽 左膳: たぶんママは水商売ではと思いました
神崎: うん母親は大きい子供までは言い過ぎだけど幼いね
小野寺: 最後の方では明らかに格差社会みたいなことになってますが、それを中学生が考えるかどうかは疑問です
大羽 左膳: 考えないのかなあ
神崎: 僕は考えていた学歴社会ってぐらいにあいまいなとらえ方でしたが。だから私の感覚ではそこは違和感なかった
イコ: 憧れちゃうけど、天の邪鬼な時期だから、素直に憧れられない、おれなんて、くそう、おれなんて・・・っていう感じかと思いました。
annaendo: 前進、といわれてなぜか泣く場面とかはそのように感じた>イコさん
大羽 左膳: みんな市ねって思う時期なんだろうなと
イコ: んだなーw
小山内 豊: ポスター引き裂いちゃいましたが、最後のシーンからみて、「俺」は立ち上がっていくのか、それともようやく模索が始まったのか解釈が分かれそうですね。
annaendo: 常磐さんの作品はいつもどこか「むしゃくしゃ」している。母親もそこまで悪い人じゃないけど、すごい嫌悪感丸出しだし。

イコ: 「この気持ちに名前がつけられない。」
でもこれが、いまいちよくわかんない。
主人公の分かっていない気持ちを、読者が分かるようにするのが、作者の仕事だと思うんだけどなあ。
小野寺: 客観視ができていないということですかね
イコ: いつもむしゃくしゃしてますねー。青年を主人公に据えると、そうなりやすいのかもしれないけど。
小山内 豊: いらだちと暴力とが創作の底流にあるんですね。
小山内 豊: というあたりで、少し早いですが
小山内 豊: このあたりでいかがでしょうか?
小山内 豊: では、また踏み込んだ意見がありましたら、合評終了後にお願いします。


小山内 豊: 二作目。
annaendo: りょうかいです!
小山内 豊: 『鳥島』 る
故郷の夢にむけて羽ばたく、渡り鳥。何かをつかみたい人、その原風景。
どこにもいけないと悟ってしまった鳥は死んでいき、人も夢を抱かなくなる。
大羽 左膳: ?
小山内 豊: 次作品の簡単な紹介です。ホストの独断で…
annaendo: 詩はいろんな解釈ができますよね
イコ: るさんの詩は、いつも解釈盛り上がるよなーw合評。
大羽 左膳: 単純に綺麗な悲しいロマンだなって
小山内 豊: ここは違うだろ的なご指摘からでも^^
大羽 左膳: あ、ぜんぶちがうと
緑川: 申し訳ありません。遅くなりました
小山内 豊: 私は初めの二つの場面がイメージできませんでした。
小山内 豊: こんばんは!>緑川さん
小野寺: こんばんは
神崎: こんばんわ
大羽 左膳: こんばんはー
イコ: こんばんはー
綺麗な悲しいロマン・・・だなー。
小山内 豊: ご教示願います>大羽さん
大羽 左膳: えっ
大羽 左膳: まず鳥
大羽 左膳: しかいない。人、いない。という点
大羽 左膳: で全部違うのではと
小野寺: 鳥が共食いするんでしょうか
小山内 豊: それはどうでしょうか。単に鳥のことをかいたのならば、この詩の意味ってなんなのか。やはりここは人間の姿を重ねて解釈するのが適当だと思います。
大羽 左膳: 細胞が何かに反応して自殺に見えた他殺で死ぬのかしらん
大羽 左膳: じゃあ俺パスー
小野寺: 私も人を重ねているように思いました
小山内 豊: あくまで個人的な意見ですので、ぜひ別の切り口をお願いします>大羽さん

annaendo: なんかよくわからんが絶望的な詩だなぁ、という印象
annaendo: 立ち上がってくるイメージが孤独
大羽 左膳: 絶望的絶望的
大羽 左膳: 鳥だけが登場してる。これは俺の意見。で、
大羽 左膳: それを書いてる人とか読んでる人がなんかなあ・・・って思う感じ
神崎: 考えりゃ考えるほどわけわからなくなる。人は舞台裏にいるけれどいつのまにか死んでるように感じた
イコ: えっと、歌詞みたいだなーって思いました。メロディつけると、いい感じにダウナーになりそうで、楽しかった。

小山内 豊: 初めの二つの場面について、どのように解釈したらいいのでしょうか
小野寺: これは解釈難しいです
F.Hilbert: 俺もその辺がよくわからなかったです。
大羽 左膳: かみさまが書いてる感
大羽 左膳: が、して面白かった
小山内 豊: 神視点というやつですね
イコ: 「自分」がいない感じはしましたね
大羽 左膳: 登場しないですね「人」は
小山内 豊: 光景だけを書いているとすると、睡魔の扱いなどはどうでしょうか。
大羽 左膳: えいえん、死、睡魔、みたいな連結?連帯感?
annaendo: 睡魔、手のひら、与えるもの、などが人を連想させるんでしょう
緑川: 夢がさめないようにってこと? >睡魔
大羽 左膳: とか
小山内 豊: おお、なるほど。夢とつながっているのか。
大羽 左膳: えいえんと睡魔で、死。
緑川: 金切声は邪魔なのか・・・
イコ: 睡魔に餌を与える→夢がさめないように
大羽 左膳: 死んでいきます
annaendo: 私の短篇わからんで片付けたくせに、これも充分わからんよ、るさんw
大羽 左膳: とりあえずロマンチスト臭はするw

イコ: 言葉が散漫になっている印象はなかった。最後の連は、「お」となった。自分はそれだけでポイント高いですね。もうどんな解釈しても、こじつけになっちまう気がする。
大羽 左膳: まとまってますよね
神崎: 詩ってやつは考えるな感じろって部分がある程度はありますね。
小野寺: あんなさん(笑)
イコ: 考え出すと、わからーーん!となっちまうよ、これは。情報量少なすぎるし
大羽 左膳: だってそんな考えたって無駄でしょう
annaendo: 考えずに感じろ、か
小野寺: いきなり日時計が鳴いてますしね
大羽 左膳: 俺最初から何も考えて読んでないから適当に言ってるのかもあれ
イコ: 考えて読むなら、日時計は、目覚まし時計でもいい気がしたよ、もう
annaendo: でも睡魔→夢の部分はみなさんの意見聞いて気づいた
イコ: 目覚まし時計鳴ってるけど、起きたくなくて布団のなかでぐずってる男の話とか
大羽 左膳: いや目覚ましはだめですよ漏刻せめて
小山内 豊: ハトかとも思いましたが、漁場が出ますからね。
大羽 左膳: えいえん、と死んでいきます、は睡魔だなと思いました
緑川: そもそも夜の漁場に鳥がいるだろうか?
イコ: あ、「夢」を、二重の意味で使ってるとしたらどうだろ?
大羽 左膳: えー考えるのーえー
大羽 左膳: さぜん は ほうき した !
イコ: w
小山内 豊: ^^

イコ: 夜の漁場に鳥・・・カモメとか、カモとか想像するけど
イコ: これが公園だったら台無しですね、
大羽 左膳: かもはいない
緑川: 寝てるんじゃないかな、鳥目だし
緑川: ライトアップされてるのかな
 イコ: 眠りのなかの、夢の世界だからなのかな、「その夜」は夢見てる現実の夜ってことで、「漁場で」からは、夢のなか

小野寺: これはシュールな世界に生きる男が鳥を大量虐殺する詩だと思っていました
大羽 左膳: 俺は絶対考えない…
小山内 豊: 青酸カリも解釈しにくいし、意味を与えるとしたらそうかもしれませんね>小野寺さん
annaendo: 青酸カリ含ませるとかそうとう悪な男だな…
イコ: 鳥に鳥を与えてるのがおもろい
緑川: 羽ばたく鳥と、青酸カリを含む鳥の二重写し
神崎: 青酸カリは毒としては即効性強いのですぐに死んじゃうから象徴なのかなとは思いました
緑川: 故郷の夢を見るのと、えいえん羽ばたくのとの二重写し
annaendo: 鳥たちを与えるっていう響きが素直におもろい
イコ: 殺意の象徴かw
小山内 豊: 意味はなく、語感で採用したかもしれませんね
小山内 豊: というわけで
神崎: ボツリヌス菌を与えたじゃ壊れるもんね
小山内 豊: 意見もいったん出尽くしたようですので、前半部はこのあたりにしたいと思います
小山内 豊: よろしいでしょうか。
annaendo: 早いですね。明日早いのでありがたい!
イコ: 早め早めの進行ですね。それもまたよし。
小野寺: 了解です
小山内 豊: では、三分休憩し、九時十五分からエッセイ競作に移りたいと思います。

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annaendo: ボツリヌス菌がじわじわツボにきている
神崎: イコサンノセンデンコーナーデス
緑川: るさん、なんか薬物好きそうな感じ
イコ: なんもないよ!!ww
イコ: あ、
イコ: あった
小野寺: 「前衛競作」できましたよ
イコ: 共喰い読書会やろうぜ
小山内 豊: 後半から参加の方には申し訳ない。でも、一作一時間はなかなか大変ですねー。
annaendo: わたし公募来年に回して前衛書こうかな
イコ: 進行スパスパでいいですね、小山内さん。でもたぶん部員はまだ語れる言葉を残してますよ
小山内 豊: うーん、そうか。とまるたびにせかされている気分になります>イコさん
小野寺: それにしても参加者がすくないですね、今日は
大羽 左膳: るさん俺のコンサータぱくろうとしてる
緑川: 残してますね^^ でもまあ、二次会でやってもいいし、直接本人に伝えてもいいし
annaendo: いるのかい!>左膳さん
イコ: 8人いる状態で、少ないといえるようになったtwi文すごい。
大羽 左膳: え、俺がなにか?!
 annaendo: るさんパクってないで早く来いや
神崎: つい最近までは5人でも多かったのに…
小野寺: しろくまさんはどうしたんだろう
大羽 左膳: いや隠してませんやつは仕事らしいす
小山内 豊: しろくまさんはご都合悪い旨連絡いただきました
小山内 豊: ではそろそろ。
神崎: マズローの欲求階級の話は好きだ

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小山内 豊: 後半のエッセイ競作合評を始めます。
小山内 豊: 初めにも書かせてもらいましたが順番は『路地への迷宮』『もう二度と帰らない音』『A.H.マズローの自己実現理論について』でいかせてもらいます。
小山内 豊: だいぶ早い時間となりました。
大羽 左膳: すいません薬飲んできます で、よってここで落ちます。
大羽 左膳: おさしみなさい
小山内 豊: 一作四十五分ぐらいを目安に、適時対応していきたいと思います。
イコ: おさしみなさい
annaendo: おさしみ
小山内 豊: おつかれさま!>大羽さん
緑川: おやすみなさい~
小野寺: お疲れ様です
小山内 豊: それでは、きをとりなおして一作目。あんなさんの『路地への迷宮』
神崎: はい
小山内 豊: 散歩の魅力、散歩マジックの効用。
路地へと踏み込んでいく異物としての緊張感、日常を逸脱し異なる次元に踏み込んでいく面白さ、それから、細部に目を凝らすマニアとしての詩的体験。読者にそんな散歩経験を紹介するとともに、不審者として扱われないように注意する点も余さず伝えている。
イコ: w
annaendo: はずかしぃ
イコ: [21:20] 小山内 豊:
 <<< 不審者として扱われないように注意する点も余さず伝えている。笑った
小野寺: あんなさんは大丈夫かもしれないけど私は不審者と思われる。たぶん
神崎: 僕はカメラ小僧がいると思われそうだ
小山内 豊: フィールドは路地なんですが、ことなる文脈との出会いというのは、異文化が集住しているような土地でよく言及されると思います。路地でそれを見出すというところがまずは面白かった。
緑川: 街角ウオッチングとかしてると、気になったりしますね。住人の視点

緑川: 梶井を思い出しました。日常の中にちょっとした非日常を見出すって
イコ: うん、面白かった。自分も路地には楽しさがあると思うから。
イコ: 子どもの頃、裏道の楽しさに一番とりつかれてたな。
イコ: 寄り道小僧でしたよ
小野寺: そうですね。子供のころは道なき路地をくまなく歩いていました
神崎: 結構ロマンがはいっているですねえ
annaendo: 歩いて行くとどこに辿り着くのだろうという単純な興味
小野寺: 今は変なところを歩いている子供ってあまりいないような気がする
F.Hilbert: 方向音痴なので、まさに迷宮だと思った、路地。
イコ: 大人の目がきびしいですからね>あまりいない
神崎: それにまっすぐ家に帰えりゃゲーム待ってるしw
annaendo: コミュニティーから一歩外れるともう他人ですからね

イコ: 路地を歩く楽しさっていうのは、小説を読む楽しさに似ている。ふだん気に留めないようなことを、つぶさに見ていくこと。そういうことがよく書かれたエッセイだなーと思います。
イコ: 小説を読むことも、一種の、外を覗く行為であって、また、自分を確認する行為でもある
小山内 豊: 住宅街を集団の集まりととらえることで、日本的な単一とされる基底文化のなかで、異なる文脈を見出していくことができる。その差は小さいかもしれないけど、かえって強い印象があるのかもしれない。

小野寺: はじめ、ネットで読んだときには非常に読みにくかったけど印刷したらとても読みやすかったです
イコ: なんでもくくられちゃいますが、よくよく見ると、同じものなんて一つもないっていう発想ですよね
イコ: このエッセイ、とっても読みやすかったんですが、
イコ: もう少し、哲学的な路地まで迷い込んでもいいよなーと思いました
小野寺: 文章がしっかりしてると思いました
イコ: しっかりしてるけど、誤字は多かったw
annaendo: え?ありましたっけ?
annaendo: 気づいてないや
annaendo: 読みやすさは意識しました。
イコ: 「逆に生活感がなくっている」とか。これは脱字だけど
緑川: 確立→確率とか
annaendo: おう
神崎: (るさんオンラインみたいいですが追加したほうが良いかな)
イコ: 加えたよん
る(shiroyama): ありがとん

annaendo: 今回ちょっと残念だったのが競作感がまるでゼロだったこと
イコ: 1月号の反動大きすぎたなw
annaendo: 写真を用いたのも私だけだった
神崎: 10作ですね
緑川: 写真は、良かったですよ
緑川: このエッセイ、見ることについて語ってるし
る(shiroyama): 申し訳ない
誠 常磐: こんばんは! ようやく登場できました! ここからフル参戦で参ります。ログ追ってきます。
緑川: 意識して見ること→異化だから
神崎: 常磐さんかんばんわ
イコ: 写真があるから映えますね。読者もいっしょに見ることができる。
小山内 豊: こんばんは!>常磐さん、るさん
神崎: うん白黒印刷にしていたけど文芸誌の雰囲気がでてよかったw
 イコ: (競作と名がつく以上、5作程度の参加は望みたいとこだけど、毎月やんのは大変だ。前衛競作が心配)
小山内 豊: 日常の風景をを詳しく見て、違いを見出していくというのは、感覚的なことを突き詰めていくことと似ていますね。
緑川: ですね、小山内さん

緑川: ところで、具体的に内容についてですが
緑川: 「晴れてさえいれば」ってありますけど
緑川: 雨の日や、雪の日では、やっぱりお散歩なので無理ありますかね
annaendo: 無理はないと思いますが、晴れの方が楽しめるかな、と。フットワーク的な部分で。
緑川: あぁ、なるほど、そういう作品ですしね
緑川: ただ、なんか、こういう路地を見る目、って散歩だけじゃなくて、いろいろ使えるかな
神崎: カメラって一眼レフですか
緑川: なんて考えてました
緑川: いろんな場面で
annaendo: はい>神崎さん
annaendo: いろんな場面で、そうですね。自分は美術を見たり詩を見たりすることと近い感覚を持っています

緑川: イコさんの「三箇所」の風景描写とか、私、思い出してました
神崎: だとすると雨の日は簡単に持ち歩けないですね。路地に入り込むことは最近やってないのでやってみようと思えました
小山内 豊: 突き詰めるというのは文化的成熟そのものだと思います。
小野寺: 島や港町の路地はよく行きます
annaendo: 島とか人が優しそう
イコ: 文化的成熟、詳しく聞きたいです
緑川: 「この世から切り離されてしまっているような、そんな風景」って、そんな見方、かなり気に入りました
annaendo: ありがとうございます>緑川さん
小山内 豊: いまのように新製品が次々と発表され、モノが壊れる前に買い換えるような状態だと、モノ(この場合は行為ですが)の存在を突き詰めて、身近に置くということはありませんが、むかしは長くつかったものには魂が宿るということで、供養したりもした。そしてそういう一連の扱いが文化そのものだった。んなので、なにかについて突き詰めていくというのは、日本的な文化に通じるのじゃないかと。この場合は行為ですけどね
annaendo: 古いものこそ価値があるという考えはありますよね。アンティークとか、いろいろ
小野寺: ちか千代さんを加えてください
イコ: すでに加わっております
Chikachiyo ちか千代: さっ
る(shiroyama): ww
小野寺: あれ?
神崎: いまあんなさんのエッセイです
イコ: 古いもの、見逃されがちなものに価値を見出していくということが、文化を成熟させていくってことかなあ
小野寺: イコさん、それは難しいです
小山内 豊: 文脈的には立ち返り的ですけど、若い人?には、散歩というのも、突き詰めていくことで、いまの世の中のカウンターカルチャーみたいになっていくのじゃないかと思うけどどうでしょう。

小野寺: 私も昔は廃墟なんかに興味がありましたが、今はないです
緑川: まあ、廃墟が流行ったり、マンホールの蓋の写真集が出てたりしますからね
神崎: ゲイ人は日本の神社や城のほかそれに「まつわる文化大好きですしそういう意味では彼らの方が日本人に近いかも
小野寺: というのはアンティークに興味を持つのは逆に若いからではないかと思うのです
小山内 豊: そういう行為の底に、現代の有様に対する嫌気のようなものの、人によってはあるんでしょうね。
る(shiroyama): 文化って成熟するものなの??
る(shiroyama): 変化はしそうだけど
緑川: う~ん・・・、現実をのっぺりとしたものとして見るか、そこに何かを見出すかの違いってことじゃないですけね
緑川: ですかね
小野寺: 愛知万博でさつきとメイの家が大人気でしたが、私から見ると単なるボロい家です
神崎: 主観的な問題かな洗練されていく変化を成熟って言っているだけかも。本質的に同じものを発酵というか腐敗というかみたいなものかと>るさん
る(shiroyama): なるほど、納得
小山内 豊: 奈良時代の例だけど、赤子のへその緒を家の入り口のしたに埋めるという風習がありました。その行為自体は迷信というか、科学的には意味不明だけども、行為者にとっては心の平安につながった。またその行為は周囲の人間にとっても、奇異なことではなく、周知されている習俗だった。そうやって生活にわかずつでも豊かさをもたらしていくのが、文化の成熟だと思います>るさん
る(shiroyama): より劣った文化と、優れた文化があるということですか?
小山内 豊: 私なら、劣ったとはいません。貧しいといいます。ケータイ電話を次々と買い換えるのが、文化の劣化とかかな…
 F.Hilbert: (赤子のへその緒の話は初めて聞いた。興味深い……。赤子本体(?)を埋める風習は知ってましたが。)
緑川: あの・・・作品から離れていってしまってますが・・・
誠 常磐: 本体埋める!?
小山内 豊: 道教の文脈です>フランツさん
る(shiroyama): あ、すんません
イコ: 文化についての話で、ひとつ座談会できそうなくらいだねw
緑川: 後で時間枠取ってもいいかなと
緑川: 私も付き合いますので
神崎: 本体埋めるのは間引いた子だったような
神崎: かなり話ずれてますね
イコ: あ、でもエッセイってのは、考える入り口になるものだと思うから、こうして議論になったことは、あんなさんのエッセイの価値を示すものだと思います
annaendo: よかった
F.Hilbert: そうです。あと死産とかもですね。また再生しますように、っていう願いで踏まれるようなところにうめるっぽいです<神崎さん
緑川: で、作品についてですが、旅行した時の感覚にも似てるかなと
小山内 豊: 路地の景色の差異に注目するというのが、そうした突き詰めていくことにつながるんじゃないかという意見でした。すいません。

緑川: 風景とかが、新鮮に見える
誠 常磐: 写真のついたエッセイがあって、何だかエッセイっぽくていいなと思ったんですよね。
緑川: それで、この作品は、身近な小旅行に誘ってくれるような雰囲気だったなと
イコ: しかも誰でもできる小旅行ですよって
緑川: 注意書きも、なんかガイドさんのようで、ちょっとしたユーモアを感じました
イコ: ガイドさんのようでしたね
F.Hilbert: あのユーモアは大事だと思います。
小野寺: 読むと路地を探検したくなりますね
神崎: それが狙いなら大成功です
イコ: まず便利なクルマを降りなきゃね
小山内 豊: ユーモアを見失ってはいけないですね。そういうバランスが優れているんじゃないか。

緑川: で、締めの「街は人なのかもしれない」というのも面白かった
誠 常磐: 私も体重落とすのに使うかなぁ……(笑)。車を本当に降りなくちゃ。
小野寺: 大雪の朝や台風の後って無性に散歩したくなります
誠 常磐: 私はそこで街は(だんご)大家族です。が頭に浮かびました。>緑川さん
別にふざけてるわけじゃないですよ。真面目に。
緑川: 「そう思うと・・・・・・・・ふと思った」という一文の中で思うの連続は、今ひとつでしたけど^^;
緑川: やっぱり多面的に見えますからね、当たり前の見過ごしてしまうような風景が

る(shiroyama): あれ、いっぺんにダウンロードすると縦書きで、ひとつだけやると横書き?
annaendo: オリジナルは横書きです
る(shiroyama): あれ縦書きのほうがいいです
 イコ: 縦書きの方がいいです
annaendo: w
る(shiroyama): 写真がきれるから
イコ: 文字の詰まり方とかも、縦書きがいいですね。縦書きだと、歩いてる感が出る。初め、横書きで見たとき、うわっ、見づらっと思ってしまった
annaendo: 普段あまり横書きしないからやってみたけど、縦書きみたらそっちのが良かった。反省。
る(shiroyama): なんだろう、パソコンのディスプレイが横長だから、常に写真が見切れないようなレイアウトの方が読みやすし
小山内 豊: 写真を入れるとなると、縦書きは配置がなかなか大変でしょうね。
小野寺: 今回印刷してみてわかったことは合評会は特に印字されなくてもいいかと思いました
小山内 豊: ということで、れいによって私が話してやや脱線してしまいましたが、このあたりで
小野寺: 膨大になります
小山内 豊: 印刷したときどうなるかも注意してみるとおもしろいと思います
イコ: 紙とWebじゃ印象変わりますからね


小山内 豊: それでは二作目に移りたいと思います
小山内 豊: 『もう二度と帰らない音』Franz Hilbert
小山内 豊: 音と一体になる奏者ならではの音楽体験を書いている。
それから作者と音楽、ひいては音とのつながり。
メロディーの意味は言葉に換えられず、楽譜から、鍵盤から飛び跳ねて
、一度きりの振動となって解放されていく。
 F.Hilbert: あ、時間もアレなんで、先に別のほうからやったほうがいいかと。あれは、もう私事満載すぎて語るのもおこがましいというか……(苦笑)
緑川: まあ、エッセイですし、私事満載なのは別に良いのではないかと
小山内 豊: 言葉の意味を解釈することと、メロディーの意味を解釈することとはじつはまるで違うことなんじゃないかと読んでて思いましたが、いかがでしょうか。
神崎: 昔トロンボーンやってたからかその感覚わかるなあ。
当時の私は小柄でトロンボーンが人間ぶら下げているみたいだったけどw
イコ: 冒頭の感覚は、分かる
緑川: 小山内さんが思われてたこと自体、考えてなかった
小山内 豊: メロディーの楽しさや悲しさはなにが楽しいのか悲しいのか説明できない(言語化できない)気がします
annaendo: ピアノをかじっていたのでなんとなく共感しました
イコ: 言葉についてはあまり書かれていないけれど、日々言葉について考えるからこそ、言葉と音楽の違いを考えてしまいますね
る(shiroyama): ノイズミュージックをやってたので全く逆な感じだった
小山内 豊: そうした点を書かれているのじゃないかと思いました>イコさん

annaendo: 言語化という意味では言葉とは反対のところにある気がします
緑川: 頭の中で文字が錯綜して嫌になったときに音楽聴きます
緑川: 文字というか、言葉か
緑川: 『連続させ続けることによってのみ、何らかの意味を帯びるのがメロディーであり一つの「音楽」である』
イコ: 空中に身を投げ出すような状態
=ただ音である状態
=それを言語化することはできない。音が言葉とのつながりをなくして、ただ音としてそこにあるような感じかな
緑川: ただ、こういうシーケンシャルなところが、言葉と音が共通するところかも
小山内 豊: 音そのものでなく、音をだす行為から、メロディーを言葉に描き出したのだろうか。

イコ: うーん。フランツ君の冒頭の状態って、音を覚えてしまって、もう、身体にしみついてしまった状態だと思うんだよね。意識が音を出そうと敢えて思わなくても、身体がそれを知っている。
イコ: そういうことが、言葉を操る人間に可能だろうか?
緑川: ちょっと整理すると、音符―文字、メロディ―言葉、という対応でいいですかね?
イコ: うーん、、どうなんだろ。困った。未整理ですんません。ただ、違和感があったんだよな、このエッセイ
緑川: イコさんの問いかけは、実際に音楽をされてる方に応えて欲しい。私は楽器ひとつできないので
F.Hilbert: その違和感は正解だと思われます。音符=文字、メロディー=言葉は極力意識しましたが、結果として相容れないものだということがわかりました……。
小野寺: 音楽が苦手なので黙っています、苦笑
イコ: ゲームセンターの音が嫌いっていうのと、冒頭の、「音だなぁ」という自覚が、文章の同一平面上にのっかってない気がするんすよ
イコ: 読み進めると、なんで嫌いな音について語ったんだろって、考え込んでしまった
annaendo: 音を操る人は音に敏感ですよね

る(shiroyama): 音符って社会的な取り決めがあって成り立つもんだから、言葉の方に近いと思うなぁ。絶対音感の人っているけど、本来連続量である音を、人為的な切り分けにしたがって身につけて、何が絶対なんだろう
緑川: 「それにしてもまだ私の音に対する感覚の説明は足りないだろう」って、ご自身が書かれてますしね
小山内 豊: 言葉に回収する試みなのかな。
イコ: 「制御」から解放されていく、というのもいまいち分からん・・・
緑川: 漢字じゃなくて、アルファベットのような文字も社会的な取り決めですし、それのみでは意味をなさないところも音符に似ている

る(shiroyama): じゃあ文字ってなんだろうと考えると、おもしろい
annaendo: 音符は見ても意味がない、弾かないと。
る(shiroyama): あ、なるほど
annaendo: 言葉は読むことによって意味をなすけども、音楽はその場で奏でることに一番重要性がある気がする
緑川: 本来、言葉もそういうものだったんじゃないですかね >るさん
る(shiroyama): 文字は「刻まれたもの」、例えば木につけられた傷跡、それ自体まだ言葉ではないけど、解読者によって言葉になるもの。
る(shiroyama): 言葉は読まれる前に意味してると思います、音符も奏でられる前に意味している。多分ここで言う「意味」があんなさんとは違うんだけど。
小山内 豊: そういう音楽との一体感を得る時間のある自己を、エッセイとして書くときに、音に対するむかしからの距離感、関係を説明することが必要だった。それでこういった構成をとっているのかな。

イコ: [22:38] 小山内 豊:
<<< そういう音楽との一体感を得る時間のある自己を、エッセイとして書くときに、音に対するむかしからの距離感、関係を説明することが必要だった。それでこういった構成をとっているのかな。
そうでしょうね。けど前後のつながりが、あまり見えないんですよ
イコ: 嫌いに対応して、好き、と語るのならまだ分かる
イコ: けど、好き、とは一言も書かれず
緑川: 最初の方の「制御」と、最後の、イコさんが引用されてる部分の「制御」って
緑川: その内容が異なるのかな
annaendo: 制御できる音っていうのは自分が奏でている音一音一音が形成しているけれど、それが連なることによって制御を越えたものになるってことかな?
イコ: 思考回路ショート中・・・ごめん・・・
annaendo: ランナーズハイみたいな
小山内 豊: そういわれるとたしかにあてがないかもしれません>イコさん
イコ: あんなさんのおっしゃることも、頭ではなんとなく、理解できるんですけど・・・
イコ: 緑川さんのおっしゃった、制御の内容が異なる、というのは、難しいなあと思いました。
緑川: う~ん、どういえばいいんだろ
annaendo: すみません、そろそろ落ちます・・・
緑川: 制御できない、ということと、制御から解放された、というのが違うのか
緑川: おやすみなさい、あんなさん
イコ: おさしみなさい
annaendo: おやすみなさい
誠 常磐: お疲れ様です。あんなさん。
F.Hilbert: おやすみなさい。ありがとうございました。
る(shiroyama): おやすみなさい
神崎: おやすみなさい
緑川: 制御できない状態と、制御から解放された状態、というべきか
小野寺: おやすみなさい
イコ: [22:48] 緑川:
<<< 制御できない状態と、制御から解放された状態、というべきかこの違いを書いてるんですかね・・・
小山内 豊: おつかれさま!..
小山内 豊: えーでは、問題が残った感もありますが
小山内 豊: やや煮詰まっているようなので、いったん切り上げさせてもらい、3作目にいかせてもらいたいと思います。
イコ: はい


小山内 豊: 今日の最終作品です。
小山内 豊: 『A.H.マズローの自己実現理論について』 しろくま
小山内 豊: マズローの提唱した理論のうちその代表的なものについて紹介している。
同時に、そうした理論を実生活に回収するための示唆を、後半部に書いた。
論点は、二つある。純粋に、マズローの理論の価値について、
もう一つはそうした論文を紹介するという行為の意味について。
作者の所在を知らせる、エッセイとしての価値はどのようにうけとめられるか。
小山内 豊: あくまでホストの個人的なものなのでこんな切り口があるというご意見、お願いします

イコ: 価値の受け止めについて語るために、まず、このエッセイの新鮮味について聞きたいなー。マズロー知らなかった人?
る(shiroyama): 自己実現 (笑)  みたいな発想が全然ないと言う意味でしろくまさんの所在というかひととなりがわかる、がエッセイでは無い
小山内 豊: マズローについては大学の一般教養で名前を聞いたか聞かないか、という程度です。
イコ: 大学で勉強してたので、マズローは、よく知ってたんですよね。新鮮味はなかった
誠 常磐: イコさんと同じくです。
る(shiroyama): 倫理で教えてるや
[2F.Hilbert: マズローに関しては小山内さんとほぼ同じ感じです。
緑川: ビジネス書にもたまに出てきますね
小野寺: 私は高校の倫理・社会でやりました
イコ: ふむふむ、有名ですし、知ってた人がほとんどですね~
イコ: しろくまさんのエッセイが、どんな人に宛てたのか、気になるんですけど
イコ: マズローは、大学でよく扱うので、大学生以上の人だと、「それで?」となってしまいませんか?
神崎: マズローは高校でならったなあ
緑川: なりましたね、私は
誠 常磐: それでも良い、という感覚もあったのではと思いました。
る(shiroyama): 「魅力的な人間へのインタビューを繰り返し」  この辺にめっちゃいらっときた マズローなにやっとんねんって

イコ: エッセイ作品として立たせるためには、マズローの紹介にとどめるより、一歩踏み込んで、マズローを使って、なにができるか、を考えていくべきかなあと思いました。
イコ: そこにしろくまさん独自の目線が出てくるんかなーと
誠 常磐: でも魅力的、かつ成功した人じゃないとこの理論の裏づけとかできませんて>るさん
イコ: 魅力的な人間って、なんやろうな・・・
る(shiroyama): なんというか、心理学学会の主観主義、アンケート主義全体に言えることだけど、 理論(笑) って感じ
緑川: 「こういったものは自分のこととして受け入れないことには忘れてしまうものだから、マズローの自己実現理論の紹介までにとどめる」この一文の意味が分からなかった
イコ: 詳しくは自分で当たってみてね、ってことですかねえ
誠 常磐: まぁそこは学部生時代に感じたことがあったなぁ……(笑)>るさん
全体を読んでいたときには何か納得した気になっていたのに抜き出されると確かにわからないです。>緑川さん

る(shiroyama): エッセイ書くことのアンチテーゼみたいな感じで書いたんやろうなぁと思ったけど 笑
緑川: うぅむ、イコさんに被るけど、そこを、しろくまさんの言葉で語って欲しかったな
イコ: アンチテーゼなのか・・・
緑川: 「僕は学生など子供相手によく使う」の一節のようなものが、もっとあれば良かったのかなと
イコ: あ、そうですね! しろくまさんがどういう風にマズローを応用してるのか気になる
小山内 豊: アンチテーゼか。うーむ。アグレッシブだな。
る(shiroyama): もう自分の視線とか考えとか全然出さない、披歴しない、もうただただ紹介、従事、それをエッセイだと名付ける行為、
イコ: うん、それはアンチテーゼだね・・・
緑川: 紹介とか解説が、ほとんどの部分を占めちゃうのが残念というか
イコ: そこからどう飛躍していくのか、見たかったな。凝り固まってんのかも
る(shiroyama): なんか俺は最初つまらんと思ったけど、アンチエッセイだと思ったらおもしろくなったよw
イコ: なるほどね~

イコ: 自己実現理論自体は、魅力的な理論だと思います
誠 常磐: 私も好きな理論です。
イコ: 自己実現したいって叫んでる若者たちが、どんだけ満たされた状態なのか、考えちゃいますよ
緑川: しろくまさんのこと、真面目な方だなと思った
小野寺: 文章はいいと思いましたよ
イコ: それは思いました>緑川さん
誠 常磐: そういう捉え方って面白いですよね。でも当の子どもや若者は絶対イラつくだろうなぁw>イコさん
イコ: 常磐さんの「むしゃくしゃ」している若者にはマズローはイラつかせるだけかなw
る(shiroyama): そう言う見方おもろいね
小山内 豊: 自己実現?おまえは、承認欲求がまだ満たされてないからだめだ、みたいな。>常磐さん
F.Hilbert: 自分について色々考えてしまった作品でした(苦笑)
神崎: それ言われたらブロウクンハートだよ
小野寺: 逆に言うと人間の欲望は限りないということなんだろうか
イコ: エッセイで自分のこと考えるのって、すてきだね。いいエッセイの証拠かもしれない
誠 常磐: 絶対イラつくwもう、理論的なだけにマズローにも理論自体にもそれを語る年長者(大人)に対してもイライラしっぱなしでしょうよ(笑)>イコさん小山内さん

F.Hilbert: 自分のことは考えたけれど、学部学生当時のしろくまさんが何を考えていたのかが、かなり気になった。
イコ: おれも考えたよ、マズロー知ったとき。おれが認められたがってるときに、安全欲求脅かされてる人いっぱいいるんだよなーと思いながら勉強した。
る(shiroyama): そういうことだと思った>小野寺さん
イコ: こんなところですかね~
誠 常磐: 頑張る人はそういう風に考えるんだろうなぁー。>イコさん
私とか、「ま、こっから先こういうのが満たされてけば自ずと自己実現も見えてくんだろなー」(ホケー)でしたからね。
る(shiroyama): トランスパーソナル心理学とかあったよね
イコ: そういう見方の違いが文学観の違いにもなってくる気がするな
緑川: 客観的な理論が分かったからっていって、自分が変わるわけじゃなし
緑川: 使い方次第なんだろうけど、その使い方が見たいかな
小山内 豊: 合評のばでマズローの理論を討論するわけにもいかないということで、紹介する意味合いをアンチテーゼと見るというようなことで、それではこのあたりで。
イコ: はい
緑川: お疲れ様でした
る(shiroyama): おつかれさまでした
小山内 豊: 以上でエッセイ競作の合評を終わります。