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創作合評2013冬号その1

ふかまち:小説「斜面のようになだらかな暮らし」(27枚):崎本智(6)

小説「合同教会の人びと」(25枚):小野寺那仁

小説「書かれなかった寓話」(36枚):日居月諸

 

ふかまち: 6さんの 「斜面のようになだらかな暮らし」の合評を行います。感想を書いてきてるひとはどうぞ

 

ふかまち: 全体的に霧のかかったようなイメージで美しいと思った。ただこれが意としてやったものでないのなら読ませる物語性が不足してるのかな、と、いろんな情報を散りばめすぎているような気がしました、でもそれによってさまざまな言葉が絡み合って読者を惑わせるからそこがわたしの好みだったり。とにかく2ページ目(PDFの2ページ目のことなんですが!)の流れがとくに美しくてなんども読み返しました。

 

イコ: これまでさんの小説には、ほとんど例外なく「冒険」あるいは「冒険を夢想する人々」が描かれてきた。

「アンファンテリブル」における少年少女の、ミステリー、サスペンス、憧憬に満ちた冒険を前者とすれば、「明け方の焔」で冒険を夢見て出て行ってしまう妻や「灰色の陽と冬の紫陽花」で外国映画を擦り切れるくらい視聴し『自分にもこうした時間がいずれおとずれる』と考える憂欝な少年が後者に当たる。

いずれも「冒険に出たい」という衝動のようなものが人物に付与されていて、その姿は、作者と分かちがたく結びついているように見える。作者は好きな本を読みながら「想像力の冒険」を行ってきた、だからこそ書かれる文章にも、作者の衝動が熱を帯びてあらわれることが多かった。想像でしかないが、そんな風に考えたくなる。6さんの小説は冒険心をもつ人物と、それを描く筆が結びついているので、読みながら、そこに単なる思いつき以上の「内的必然性」が感じ取れるのである。これは作家の資質として、たいへんに重要なことではないかと思うのだ。

今回の作品を先の分類にしたがって考えると後者になるだろう。中盤、入院をした「わたし」が「あなた」にアフリカの夢を語る。これはまさしく冒険を夢想する姿で、病に冒されて自由を奪われた人間の、自由を求めてさまよう姿と置き換えてもいいように思った。ここに「わたし」の衝動があらわれており、従来のさんの筆の勢いを感じられるところだった。

ところがそれ以外のシーンとなると、どうも不完全燃焼に終わっている。元々小動物のような弱々しい存在だったパスピエが、最後にはかき消えてしまい、大して印象にも残らない。Q・ノリスケの存在も小説の深いところに食い込んでいないように見える。

描かれる人物が精神的に大人になってしまうと、冒険心は胸の奥にしまいこまれて、「なだらかな暮らし」を続けていくしかないということかもしれない。けれど、それにしてもあちこちに見られる衝動の粒のような表現が、ちゃんとした像を結ばぬままに散ってしまうのは問題だと思った。瞬間的な理解はともかく、作品を通して、きちんと人物の状態や変化をとらえることができない。「わたし」や「あなた」を3人称的に描くという試みにも思いつき以上の「内的必然性」を感じられなかった。さんには、次はもっと「想像力の冒険」を味わわせてほしいと勝手に期待している。

 

小野寺: 前半の人物の出し方や設定や雰囲気、文章は読むことの快感を味わわせてくれた。私はこの書き出し2頁くらいまでは非常に面白く思った。ところが、ノリスケの次の章からは話が錯綜して文章も弛緩してしまった感がある。テーマをわたしとあなたの関係、と外部的にはノリスケの会社買収劇、それだけでも十分ではないのかと思います。ストーリーの錯綜よりも雰囲気がやや損なわれてしまったことが惜しい作品だろ思いました。


日居月諸: この小説における二人称の使い方はまちがいなく狙いがあるもので、それを取り出すことこそ重要なことだと思うので瑕疵はひとまず不問としておきたい(ただ、あえていうなら現状では三人称と大して違いはないと思う)。

 

日居月諸: 基本的に人間は他者の心境なり、自分とはかけ離れている物事なりを想像して思い描く事が出来るので、つねづね小説における三人称のような視点を疑似的に備えているのだと思う。おそらく6さんがやりたかったのは、普段我々が疑似的に体験している三人称的視点を、三人称を使わず表現する、ということだったと思う。特に「あなた」と「わたし」のような、恋人にも似た二人の視点がシームレスに動きあうことでお互いの想いを共有し合うといった様子を表現したかったのだろう。

 

日居月諸: とはいえ、そのあたりの描写が具体的に他人の心境を思いやるということにはならず、レトリックや詩的な表現が終始している。ハッキリ言って、そういう表現はいらない。それは6さんの持ち味であるが、6さんの狙っている表現形態には相応しくないと思う。

 

: 意識の往還みたいなことを徹底して書いた方がよかったということですか。

 

小野寺: 二人称小説と思いきや一人称も出てくるというのは面白い試みであってその複雑さを持続してほしかったです。ただ雰囲気は詩的な表現やレトリックから来ているものなので私はあったほうがいいと思います。

 

日居月諸: たとえば「あなた」、クルハシの会社の事情が述べられるシーンがありますね。あそこは結局三人称で書いたとしてもなんら問題のない、つまり「わたし」からは切り離された場面だったと思います。だからこそ効果が薄いのでは、という印象も出てくる。

 

日居月諸: ただ問題は「あなた」と「わたし」が会っている場面ですね。クルハシの会社の事情を叙述する際には普通の文章で述べられている一方で、こちらは詩的な表現が使われているから、そのギャップに苦しんでしまう。ギャップを狙って書こうと言うのはわかるんだけれど、どうにも上滑りしている印象はぬぐえない、とりあえずクルハシの会社の事情はちゃんと書けているから。

 

: なるほど、自分では会社のところがわりと自信がなかったけどそうだったのか。

 

: 今回の作品は何も考えずに書き始めて(いや、いつもそうか……)みんなの批評を読んでなんとなく自分の作品が見えてきた気がしました。ふかまちさんや小野寺さんの言ってくれた詰め込みすぎというところも納得できるものはあるし、イコさんの「冒険」という観点をとってもこの小説はあまり楽しんで書けなかった事実を言い当てている。日居さんの

 

: レトリック詩的な表現の不要さというのは人称を問題とする小説においてはそれに集中すべきだったという反省にもつながります。

 

日居月諸: まあ会社の場面が類型に沿っているから自信がないと思われたのかもしれませんが。私はそのあたりの業界の事情に詳しくないからよくしらないけれど、小説として提示されて、こういうこともあるんだろうと思えるからには、類型なんでしょう。その一方で「わたし」と「あなた」の関係性は、こういうこともあるんだろうな、とは思えなかった。表現形態そのものが類型的でないからでしょうけど、形態が類型でないからといって理解出来ないとは限りません。

 

: 自分としてはなんとなく倉橋由美子のことを考えながら書き始めた。P・イクラという人物が倉橋の小説に出てくるからノリスケをだしてみたことや、人称について考えたことも倉橋を出発点としています。

 

日居月諸: あとついでに、クルハシの私生活は納得のいくものでしたね。パスピエにパイをあげたり、ドビュッシーを聞いたり、そういう男性はいるものでしょう。そんな男性が時折女性の事を考えたり、考えなかったりというのは、結構生活臭めいたものがあったと思う。

 

 日居月諸: ともかく私の意見としては奇をてらった文章を使わずともこういうものは表現できるだろうと言う事です。たとえば入院している「わたし」がアフリカを旅している夢を語るシーン、あそこに出てくる名詞はつくづく日本的なものからはかけ離れているけれど、でも文章は普通です。それでも情緒はよく出ていると思う。あれをなんで最初からやらなかったんだと思います。

 

: なるほど。

 

ふかまち: 奇をてらったようにはみえませんでしたが、そう読む人もいるんですね。

 

: あれ日居さんが指摘してくれた奇をてらうというのは人称のことかな。

 

日居月諸: いや、人称はあまり。文章のことを指しています。

 

: 文章、間接話法とかかな?

 

日居月諸: Q・ノリスケというのがこの《依頼主》の名前で友人たちと立ちあげたあなたが勤める会社の大事な顧客の一人だった。しかしQ・ノリスケはあなたの勤める会社の買収を目論んでおり、傘下に入ることを拒む場合は、ある製品を本来の半分の期日で届けよ、との条件を出したのだった。それが通らない場合は、今後一切の取引をなしにする、と告げられていた。Q・ノリスケの企業は業界内でも大手であり、その会社の方針は他の会社の動向も決めてしまうような存在感を持っていた。Q・ノリスケは寿司でも食べに行かないか、とあなたを誘ったがあなたはとうぜん断った。あなたは金輪際、私的な時間に交流を持つことを控えてほしいといって、見知らぬ駅で電車を降りてしまう。そこから逃げるようにビジネスホテルに入って翌朝はそこから出勤をした。

 

日居月諸: 例えばこういう文章はいたって平板ですね。そこらへんの小説にもよく見受けられるものです。これが普通の文章と言うものです。

 

: ふむふむ。

 

日居月諸: 「とうとう冬がやってくるのね」

「おれはかんねんしたよ。冬につかまってしまうことに」

「冬は嫌いだったの?」

「寒いのは苦手だが、冬は酒がうまいよ。夏もうまいけどね」

わたしたちは左右の確認もせずに夜の幹線道路を渡った。途端にクルマの激しいクラクションが雨のように二人を襲う。歩道からわたしたちをみる人がたくさんいた。「迷惑ものが」「酔っ払いじゃない?」などと罵られていたのだろう。人ぞめきにまぎれてあなたはパスピエが視線に入った気がした。あなたはパスピエに意識をうばわれつつもわたしの話を聞いている。ヘッドランプのひかりが全身に降り注ぐ。

「自分の好意とは裏腹にからだは冬を拒絶するかもしれない。過去の重い出来事のように冬はわたしにいくつかの銃弾を撃ち込む準備をしているのかもしれない」あなたはふだんと違うわたしの言葉遣いにとまどって、通りの雑音からわたしの声を拾おうとしている。

わたしは拡声器をつかって夜の街に訴えたかった。同じ言葉をさらにちいさな声でそっと自分のためにささやいたとき、なにかがわたしの口をついて運命みたいなものを告げたようにも思われた。その声はやはりクラクションとエンジンの音に瞬間的にかき消される。わたしたちは往来を縫うようにして次の十字路をおおきく斜めに横断する。

 

: ごめん、ここか。

 

: わかった、てらってます(笑)

 

日居月諸: このへんの文章がてらってますね。

 

日居月諸: これでもって何を表現したかったのか、問うべきはそこなんでしょうけれど、一度平板な文章を見せられてから一気にジャンプするようでは、結構困ってしまうんですよね。

 

ふかまち: 脱臼させるっていうんですかね。

 

ふかまち: そういうのをしたかったのかも。

 

日居月諸: イコさんのいうような冒険をしたかったんでしょうね。

 

: 二人の楽しそうな場面も書きたかったんだよね。

 

小野寺: 私は犬のようなバスピエが人のような風に書かれるのに違和感おぼえました。

 

日居月諸: とはいえ大抵冒険って一人でやるものだから。他人を巻き込めることじゃないから(笑)

 

イコ: 自分は少し印象が違って、前述の文章には「Q・ノリスケ」が出てくるから、それだけで奇をてらっている感じっていうのかな、そういうのは出ていたと思えました。全体のトーンとして、それほど文章がジャンピングしているようには見えませんでした。

 

: そうですね、それもあります。ノリスケは名前としてあまり出すべきではなかった。

 

ふかまち: でもなんというか、大冒険、奇をてらうのも読み手に胃もたれをおこさせないようなレベルそれこそ上手くてらえばいいような気もする。

 

: ときどきてらうことも大事ですね。うむ、書きたいことを貫くことも大事。

 

日居月諸: その胃もたれさせない文章こそアフリカの旅を語るシーンなんですよ。あれは普通に読めた。でも結構思考に旅をしよう、と訴えかけてくるものがあった。

 

イコ: 奇をてらう、というのは自分はいいと思うんです。ただ6さんの従来の小説にあったような、衝動的な、書いてて楽しんでる感じはなかったですよね。作品に「大人」が描かれているから、それほど大きな衝動を起こさせるのは難しいと思いますよ。ただ、「Q・ノリスケ」とかそれぞれの素材が、かれらの感情をきちんと受け止めていなかったですよね

 

: うむうむ、おっしゃるとおりだと思います。

 

イコ: 6さんのこれまでの作品は、けっこう衝動的な、「書きたい!」で書かれたような文章が、登場人物の心理と結びついているように思えて、成功しているかどうかはともかく、とても好きでした。

 

annaendo: 私は全体的にイコさんと同じような感想でした。

 

ふかまち: えっと50分をすぎました。言い残したことがあるかたは今のうちにどうぞ。

 

: みなさん、ありがとうございました。いろいろ参考になりました。

 

イコ: 冷静と情熱の、どちらも大事かもしれないなあと思います。

 

annaendo: 読みごたえは良かったけれど情景が浮かびにくく、読み終わった後印象に残る感じがしなかったです。6さんがもっと力を蓄えて放出すれば必然的に面白くなると思います。

 

 

annaendo: あ、すいません、以上です……。

 

ふかまち: では次の合評に移ります

「合同教会の人びと」(25枚):小野寺那仁

 

ふかまち: 感想を書いてきている人はどうぞ。

 

ふかまち: えっと21時35分くらいまでの予定です。

 

イコ: 小野寺さんはtwitter文芸部の部員のなかでも珍しく、「個」と「社会」を意識的に接続させることのできる作家だが、これまでその性格は十分に発揮されてこなかったように見える。青少年が描かれることが多く、そのために社会への意識は影をひそめ、個の方に寄っていたのだ。

「合同教会の人びと」の主人公は、はっきりと説明されてはいないものの、中年男性のように見える。会社の新製品をタイでプレゼンテーションする立場、瑠奈の煽情的な態度にある程度の落ち着きをもって対処する様子を考えていくと、青年の域を脱した年代にあるのではないかと推測できる。

中年男性が英会話を習っている。合同教会でクリスマスパーティをするらしい。瑠奈のいたカナダの教会はテロに襲われたと言う。これらの素材を見ていくだけで、作者が、宗教や政治といった、社会的なものと対峙しようとしているのが分かる。とくに同人誌界隈では、大きなものに目を向けた小説が少ないように見えるので、小野寺さんの挑戦は、たいへん新鮮にうつる。

この作品に説明が少ないのもたいへんに効果的だと思う。読みながら想像をかき立てられる。瑠奈も静間も木島も、それなりに複雑な感情を、ここまで生きてくるうちに溜めこんできているように見える。

見えている物事だけをとらえて人間の感情を理解するというのは、本来とても難しいことだ。言いかえれば、人間は、行動ひとつに感情ひとつ、という風には、単純ではないということ。この小説には、その単純でない感じが示されようとしているのではないかと予感する。大きな社会の中で、複雑なものを折り畳んで生きている人間の生きざまを、期待しながら読み進めたい。

 

 : 直前に小島信夫を読んでいたからなのか、雰囲気が小島の文体のように思えた。

何気ない英会話教室の一場面を描きながらそこにはたしかに小説らしい異様さがまぎれこんでいて読んでいてわくわくするところ(特に後半の合同教会が実在してクリスマスパーティと共に浮き上がっていくところ)もあった。また文体については情報をつめこみ、ある種の読みにくさを伴いながらも試みとしては成功しているようにも思えた。しかし音読を意識して(音読を前提にするのではなく、校正としての音読を意識して)もう少し異様ながらもなめらかな文章で書いてほしいと思った。単純に読みにくいだけになってしまっている文章もあると感じた。

展開についても面白くキャラクターの性格も書き分けられていたように思う。そして何か明示されていない薄暗い過去が時折匂うというのもまたよかった。

でこぼこしているところが一端の良さとも思えるけど、何か調整されていないようにも思えてそれは何度も読み、何度も書き直すという作業によってもっと素晴らしい作品になれるような気がする。いろいろなことを試していく予感にも満ちた一編なので、完成を期待しています。

 

 日居月諸: こういっては失礼だけど、過去の小野寺作品に比べて普通の小説がやってきたと思う。文章が読みやすく、情報もほどよく整理されている。けれども、人物それぞれが抱えている葛藤の複雑さはそのままに描いている。これまでの小野寺作品は登場人物のねじれた心境ないし関係に影響を受けて文章までねじれていくというところに面白味があったのだけど、今回はねじれた心境ないし関係は残しているものの、ねじれた文章は影を潜めている。それがいいことか悪いことかは判じかねるけれど、ともかく連載を書くにあたっては非常に上手い書き方をしていると思う。

 

annaendo: それぞれのキャラクターや設定が面白く、その中で出てくる会話や説明がたどたどしいというか、感情が伴っていないというか、小野寺節というのか・・・とにかくそれらが気になってなかなかストーリーに入っていけない感じがした。しかし後から考えてみればこの小説に不気味な感じを出しているのもこの文体のせいなので、つづきを読んでみなければなんとも言えないです。つづきを楽しみにしています。

 

: これまでの小野寺作品と一線を画すとイコさん日居さんはおっしゃっていますね。

 

イコ: そうですね、中年男性小野寺がついにきました!

 

日居月諸: 私としても、ようやく小野寺さんが自分の年齢に近しい主人公を書いてくれたか、と喜んでいる次第です。

 

: 同じことを(笑)

 

イコ: かぶった笑

 

日居月諸: 中年男性を書けるのは小野寺さんしかいないんですよ、せっついた甲斐があったと思う(笑)

 

イコ: 小野寺さんが青春モノを書くと、どうも時代が古っぽくなるけど、これなら現代です!

 

小野寺: うーん中年の男って書きやすいけど興味をもたれないだろうと思っていたんですよ。

 

小野寺: だから内面は描かないですね。今後とも。

 

: そこがいいのかもしれませんね。

 

: 内面をあえて書かないことが良い方向に働いている。

 

イコ: 書かないことが、かえって想像をかきたてます。

 

日居月諸: 人物と人物のねじれた関係性がよく表れていると思います。内面はそこから自ずと推定できるんですよね。

 

イコ: ねじれてますね。瑠奈は別れた木島をパーティに呼ぼうとするし、それを静間にそれとなく依頼するし。

 

日居月諸: ああ、中年になるとこういういざこざに巻き込まれるのか、とげんなりしてくる(笑)

 

イコ: 息をふきかけられるのも、こわいですね……。

 

小野寺: 確かに巻き込まれますよ。

 

annaendo: 中年になるとそんなことがあるのか……。

 

: どんな合評だ……。

 

P: ログ読んでました。遅れました。

 

イコ: 1年ぶりに英会話教室に行った静間も、単純な人間じゃない気がするな。

 

: ふかまちさんや、Pさんの感想は?

 

小野寺: イコさん中年で独身なら男も女も単純じゃないです。

 

ふかまち: かさついた感じがいいですよね、どこか冷めた目線で物語っているのも読んでいて胃もたれをおこさないし、けど重い、中年というものがそうさせるんでしょうかね。

 

: 意外と重たい物語ですね、これは。

 

ふかまち: いままでの小野寺さんの作品て時代がいまいち掴めなかったのが読んでいて大きな壁だったんですけど今回はそれもなくてよかった。

 

ふかまち: 連載つづけてください。

 

イコ: 『今日、私の夫が失業した。これからは家事をすることになるだろう』

↑このテキストの一文も最高ですね。重~いものを1ページ目から暗示してる。

いや、一文じゃないってツッコミは置いておこう笑

 

P: 英会話をやってて、心まで英米人らしく押しつけがましくなっている女の感じが出てて良いと思いました。

 

: テキストの例文は最高でした。

 

: いかにも虚構めいている、でも不自然ではない。

 

イコ: ですね。>例文

 

: 最後に春子が瑠奈のクリスマスパーティなんか絶対に行かないというところとか、交響曲のようなものが

 

: 廃墟のようなビルから聴こえてくるのもよかった。いい終わりですね。

 

小野寺: 続けますよ()でも次回以降はバカ全開で基督教の冒涜と言われかねないものになるかもです>ふかまちさん

 

: 春子の人物像もあのセリフでばっちりよくわかる。

 

イコ: たしかに、セリフや行動で、人間が立ち上がって来る感じがありました。

 

ふかまち: それはそれは!こんかいの合同教会って某アイドルの合同結婚をモデルにしてるのかとおもいました。宗教がらみのいざこざとかがあって。>小野寺さん

 

: 緑川さんはどう読まれたんですか。

 

小野寺: それは、あんま、関係ないですよ>ふかまちさん

 

ふかまち: そうなんですね、深読みしすぎました、、、!

 

P: 真ん中へんの性的なくすぐりは僕はうけつけなかったですね。

 

小野寺: でもそっちの方にもいくんですけどね>ふかまちさん

 

イコ: 瑠奈はPさんが上でおっしゃったように、外国の考え方に影響されて、すごく積極的にアプローチしてきてるように見える。そこがやけにリアルでした。

 

小野寺: すみません、性的なものは私はいつも書いてしまうので、手癖みたいなものです>Pさん

 

日居月諸: うさんくさいほうに行ってほしいな。狂信者の青年も良いキャラだと思うから積極的に出してほしい。

 

ふかまち: そっちのほうにいくならかなりうさんくさくなりますね!

 

P: 宗教って、何を正統として、何を邪とするか、実は判然としないんですよね。

 

小野寺: やりますよ。それは。それが目標なんですから。

 

P: そのへんにつっこんでくれると、読みごたえあるなあと思います。

 

イコ: 「合同教会」を出すのだから、どんどん宗教の問題に分け入ってほしいな。

 

ふかまち: Pさんやイコさんの言うようにかいたらつまらなくなると思う。

 

緑川: (ふぅ、ログようやく追いついたかな)

 

日居月諸: たぶん合同教会っていうんだからあの合同結婚の宗教のほうに行くんでしょう。で、キリスト教も下敷きがあるし、テロとなるとイスラム教が出てくる、ごった煮ですね。これくらいのほうがいいかもしれない。

 

P: それには、場面自体にはクリアさがあった方がいいかもしれない。

 

イコ: うん、ごった煮感でもいいです。遠藤周作みたくならなくても。「人びと」がついてるから。

 

日居月諸: うさんくささをうさんくささのまま、分け入らずにスパッと切り離すくらいのものはあっても良いかもしれませんね。

 

イコ: 色んな考え方をもった人間がいて、それぞれにねじれた人間関係を形成してて、「合同教会」という場所設定が、社会的な問題をにおわせつつ、そのねじれをさらに複雑にしていくような。

 

小野寺: 遠藤にしても椎名にしても志賀直哉にしても教会内部を描いてないでしょう。それが今まで不満だったんですね。

 

: 瑠奈が最初に早口で英語をまくしたてていて、何と言ったか復唱させるところがありますがこれはテキストの例文を読んでいるかと思いきや、パーティに来てほしいというお誘いなんですよね。非常にハートフルな場面になりそうなんですが、それを逆の雰囲気で書いているところ。最後には一番誘いやすそうな静間にめっちゃお願いするところとか、瑠奈は子供のようなところがあるなとそしてこの書き方はいいですね。

 

イコ: 「社会」と「個」が一体となったものを読みたいです。でもそのためにはある程度、宗教の問題に分け入っていく必要があると思う。個が消えていくと、つまんなくなると思う。

 

: クリスマスパーティに来てっていうだけのシーンが中年というバイアスによってここまで複雑化しているというこの筆致はなんかよく読むとすごい。

 

P: それはありますね。

 

緑川: ちょっと話が違っててすいません。この英会話教室ってどんなとこなんでしょ?

 

緑川: ふつうの英会話スクールですか?

 

P: 生涯学習的なのを思いうかべてました。

 

小野寺: ええ商業的なコマーシャルやってるとこですね。

 

緑川: ビギナークラスなのに、キッズから通っている人がいたり。

 

小野寺: あんまり明らかにすると苦情がくるかもしれん。

 

P: でも、習いごとって、そういうところないですか?

 

緑川: 妙に先生が高圧的で、なんだか学校の授業のような感じもしました。

 

P: なんか重鎮がいるよー的な。

 

緑川: それか、すでに宗教がらみの義務的な要素が強い特別な教室とか(そうではないようですけど)。

 

小野寺: キッズからきていても出来の悪いのはビギナークラスにほおりこまれるんです。

 

緑川: 最初、そんな印象でした。

 

小野寺: 静間も1年もやってて上達しないからビギナークラスです。

 

緑川: 生徒、内容をほとんど理解していないのに、先生が高圧的にどんどんいっちゃうって。

 

P: すごいはっきりと内部の相関図というか力関係が頭の中にあるんですね(笑)

 

緑川: あんまりふつうの英会話教室って感じがしなかったので。

 

小野寺: まあそこらへんは自分で設定したわけじゃなくてけっこう体験そのまんまなんで。

 

緑川: しかも生徒が目を腫らすくらい詰められるって。

 

緑川: そうですか。まあ、私の行ってたとこと違うってことですかね、

 

緑川: 瑠奈ちゃんのアツさの方が、舞台設定より優先されちゃったかなと思いました。

 

イコ: 瑠奈が特別なのか笑

 

P: その感じ、好きなんですけどね(笑)

 

小野寺: 自分としては日居さんの感想で普通の小説ってありましたがそれに近い感触なんですね。

 

イコ: ふむふむ、普通の小説とはどういう小説ですか?

 

小野寺: テーマに沿って物語を進行していくと言う。

 

イコ: なるほろ、

 

イコ: 物語を大切にしていく感じですね。

 

緑川: 冒頭部分の「静間を嵌め込んだ」って、どういう意味なんでしょ?

 

緑川: 変なこと聞いちゃったかな。

 

小野寺: 今回分では書いてないですが、次回以降明らかにします。

 

: (誤字らしきものでいえば最後の「短大の合唱部が練習いていたのだった」もありました)

 

小野寺: まあ嵌め込んだいうほどのことでもないのです。

 

小野寺: ぎゃあ。

 

緑川: 小野寺さんの文章でときどき顔を出す、いきなり展開が変わる感じ。

 

緑川: この辺りをつめていかれれば、もっと良くなると思います。

 

小野寺: ありがとうございます

 

ふかまち: ではつぎの合評に移ります「書かれなかった寓話」(36枚):日居月諸

感想を書いてきている人はどうぞ。

 

イコ: twitter文芸部の文芸誌に、twitter文芸部のことを描く小説が現れた。しかもモデルになると思われる部員がいる。「横を向いたまま」は実際に存在する日居さんの作品で、陸山とは部員管理を長い間つとめておられた6さんのことだろうか。この作品を書いているのは作中でまさに話題になっている日居さん(新田)であるが、作者はなんと、作中に語られる「横を向いたまま」で作者新田の痕跡を消したように、日居さん自身の痕跡を消したまま小説を進めているという複雑さ! 

同人誌という環境をうまく利用したメタフィクションの試みで、こんなに意識的かつピタッと決まっている作品にはなかなか出会えないように思う。リーダビリティが他の日居作品にくらべて高いのと、謎が初めに提示されて、それが解決されないまま進んでいくので、たいへん高度なエンタテイメントになっていると思う。とても楽しく読んだ。

twitter文芸部のメンバーはふだん、skypetwitterを使って、当たり前のように顔の見えないコミュニケーションをしている。話そうと思えばすぐに話せる、けれど、相手の内情や背景は、ほとんど知らずに仲良くなっている。一度こじれると、二度と会えないような、希薄な関係を、綱渡りのように続けていることが多い。これはとても現代的な現象で、ここにテーマをしぼっているのもとても面白いと思う。

今後の興味としては、さて、紗江は果たして実在するんだろうか? なにしろ顔が見えないから、前提の謎からすべて嘘っぱちでもいいのだ。もちろん紗江の存在が本当でもいい。この小説の可能性は無限に広がっている。

ひとつ疑問としては、陸山が、紗江と初めて話すのを、「人となりが知れる」とわくわくしている様子があったのに対して、後半では「人となりなど別にどうでもいい」と考えているように見える点だ。陸山のこの矛盾が、作者の意図であればいいが。

 

: 書かれなかった寓話

最初に謎が提示されて、探偵小説のように謎にせまる構成が面白く、展開も工夫されており面白く読みました。ただ、ずっと疑問に思っていることがある。

紗江という人物がみずからの一族の歴史を小説に書かれたことはさして気にもとめずに、その小説から新田が消えている・出てこないという謎に深い固執を示していること。

普通の価値観からすればまず一族の歴史を書かれたことを恨むはずなのに、この人物の目的はなぜ新田が自分を小説から消したのか、それについて部員はどう思っているのかということに終始している。連載一回目なのでそれはなぜなのか明らかにならないが、答えを予想することも難しく作者がこれをどういうふうに持っていくつもりなのか気になりました。

Twitterやスカイプなどは小説に出しにくそうなものなのに、それが違和感なく収まっているところにも興味を持ちました。しかし引用というスタイルは昔から小説でよくとられてきた方法でそれがこのように使われていくことにも参考になるものを感じました。

 

: 大瀬良というのは広島の選手にもいてそこから得たのかなと後日スポーツ番組を見て思いました。

 

 

6: 大瀬良が似ていました……。

 

小野寺: この作品はパズルのように頭を使う事このうえなくて慇懃無礼なほどのねちっこい会話のやりとりがいかにも文学という感じがして(笑)現実的な内容も執拗に書くとかなり高められるものだ妙に感心しました。ただそれゆえ敷居もやや高いものになりそうで書き手の痕跡を消すという小説上のテーマが現実の上で問題になるという批評的小説になっていると思いました。ただ文章は平易でわかりやすいものなんでいいのかと。

 

P: 構造はずいぶん輻輳しているのに、文章がまっすぐだなあと思いました。

 

ふかまち: 上手い文章で物語もていねいに展開されていって言うことないのかもしれないのだろうけど、面白みと言うものがなかった、まだ完成していないせいもあるけれど読ませる内容にはなっていないと思う、読んでいて喉に小骨が詰まる感じがした。

 

6: 一度UGにかけられていたと思うんですが、そこから結構変わっているんですか。

 

annaendo: twitter文芸部が出てくるのでなんか恥ずかしかったです(笑)睦山を6さんかと思って読んでしまいなんか面白かったです。これから紗江がどういう人なのか一体何が目的なのか楽しみです。

 

日居月諸: いや、特には。20枚くらいをUGにかけて、それをそのままに後半を書き足していっただけですね。

 

6: 陸山はなんか恥ずかしいですが自分でもよく似ていると思いました。

 

 P: そうすると、僕らは、声が浮かび上がってきますからね。

 

イコ: この小説は、まず部員をニヤニヤさせるために書かれた小説だと言えそうですね笑

 

P: ここからどうやって普遍につなぐかですよね。

 

イコ: テーマとしては、現代的なコミュニケーションにつながっていく気がしてます。

 

イコ: LINEとか、skypeとか、ネットを介した顔の見えないコミュニケーションについては、取り上げるに普遍的で切実なものがありそうだと思います。

 

P: 作家-モデル観のゆらぎを期待します

 

P: ピカソが生涯描き続けたシリーズの中に、画家とモデルというのがありますが、それみたいに。

 

6: これは何というのだろう、入れ子構造。現実と「横をむいたまま」と小説の現実世界と仮想空間「ツイッタースカイプ」の4層が書き分けられて、かつ浸食しあっていきないまぜになっていくような展開かな。いまでもそうなっていますが。

 

P: まだ層ははっきりしてますからね。

 

annaendo: 紗江がモデルじゃなくて作中人物として現実に登場しちゃった!みたいな感じだと面白いな(勝手にすいません)。

 

6: この小説は何というか空虚な中心(新田)をとりめく噂話の横行。現実から離れて、独り歩きする噂話の種(紗江)が相当な悪行を働くのではないかなぁと思いました。

 

イコ: あんなさんの意見を受けて、いっそ紗江が現実のtwi文に入部してきたらおもしろいなと思った。誰か演じて。

 

イコ: 書かれた側と、書く側の境界を突き崩す、全力のパフォーマンス!

 

P: ただ、やっぱりその辺は構造ですからね、内実をどうするか……。

 

イコ: 相当な悪行を働くとおもろいですね。

 

イコ: スラップスティックな方向にいってもいいと思うし、逆にすごく不気味でまじめな方向にいってもいいと思う。

 

6: 日居さんはもうラストまで考えているんですか。それとも書きながら考えていく感じ?

 

イコ: 構造がPさんの言う内実に、どう機能してくるか……。

 

日居月諸: 一応ラストだけは決めてます。ひたすらつないでいくだけですね。

 

 P: さりげない方言の表出はいいと思います。

 

6: 日居さんからこの小説を書く話をきいたときに小島信夫の「寓話」の構造を参考にすると聞きました。もしかしたら創作の途中で「寓話」から離れていくのかもしれませんね。僕もそういう他者の小説を出発点にして何か小説を書いてみたいなぁとこの作品を読んで感じました。

 

イコ: ああ、だから「書かれなかった寓話」なんですね。

 

6: 書かれなかった・消えたというのがキーワードになっていると思うのですが。 

 

6: 小説においてのコミュニケーションも手紙とか会話とか単純なものだけではなくこのような現代的なものを取り込んでいく時代になっていったと思う一方でこの小説は新しさに単純に飛びついたようにも見えず書き方としては古風な(それこそ語り口)も含めて落ち着いたものになっています。形式の面でレトリックにこだわるというよりは構造に意識をおかれているんでしょうね。

 

P: 今や、小説に手紙とか出てきたら、むしろ不自然ですからね。

 

6: そうですね、手紙の場面は好きな場面が多いけれど。

 

イコ: たしかに不自然。でも手紙のシーンがあえて書かれることで、作品にいい効果を及ぼす場合もありますね。

 

P: 原作の寓話は、手紙こそが主役でした。

 

P: twi文になるべく貼り付こうとした結果の、道具立てなのでしょう。

 

6:緑川さんは読まれましたか?

 

緑川: 連載ということで感想はあまり考えてなかったので、黙ってたのですが、いわゆる小説を読むのとは、頭の違う部分を使ってしまいそうになるので、すいません。これから先に期待したいです。

 

ふかまち: では今日の合評会はこれにて終了ですみなさん参加ありがとうございました。