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六月合評会二日目

ホスト:神崎裕子

参加者:イコぴょん、小山内 豊、安部孝作、とーい、芦尾カヅヤ、6、小野寺

 

見ていたはずの季節:牧村

 

神崎: こんばんは。定時になりましたので始めたいと思います。各自簡単でもいいので最初に感想を貼り付け、その後フリートークとします。

イコぴょん: よろしくお願いします!

神崎: では第一作目 見ていたはずの季節:牧村 拓 感想をお願いします。

イコぴょん: 見ていたはずの季節/牧村拓

【率直に】

・好きな表現がいくつかある。

【評価の視点】

①表現:映像的でありながら、それが単なる風景でなく、センチメンタルな色味を上から塗りつけたようなものになっている。作者と作品の距離は、前日の短編に比べると遠い。色味自体はわりと楽しめる人もいるのではないか。

②内容:恋人たちの出会いから別れまでを描いたものと解釈したが、イメージから、幾通りかの読みを読者が組み立てることは可能だろう。ただし解釈したくなる、というよりも解釈を要求する作品であると感じた。

【改善点】

①表現:作者にしかできない表現を見つけてほしい。やはり使い古されてきた言葉の連続である。

小野寺: 「見ていたはずの季節」

これまでの牧村さんの作品の中ではもっとも素直な心情吐露に思える。(詩はよくわからないけれども)素朴に見える。はっきりいうと別に牧村さんのファンではないのだけれども詩を読まない私は牧村さんの詩をよく読むので影響を受ける。それでいま書いている作品は失恋がテーマになってしまった。自分ならどう書くのであろうかという思いは強くなる。

神崎: 見ていたはずの季節 牧村拓

春はあけぼの…といった内容かと思えば。ちょっと違う。色彩的に訴えかけるのであるが各季節の一般に美しいとされるものは書かれていない。しかし、冬という季節では美しいとされても問題がないであろう、雪。否定的な感情が見える時間の美しさだろうか。この作品には否定的な立場である。単に読解力不足かもしれないがどこをどう読めばいいかわからない。

小山内 : 枕草子。刹那の語源。かなり読者を意識してイメージを砕いて書いたように思った。それは功を奏していて、よみやすく、想像がふくらんだ。全体的にかなわなかった恋愛のこと、あるいはそれを底流にした目に映る景色を描いているのではないか。基調に読み進められ、読みかけのまま置かれている本を持ってきたことにより、作品世界が引き締まったように思うが、このイメージはやや使い古されているので、より現代的な何かに置換されたならよかったように思う。

6: ●「見ていたはずの季節」

上手い。殆ど言うことはない。文章に無駄がない。このそぎ落とされたシンプル感をいかに小説でも発揮するかがこの作者の課題だと思う。小説の方は無駄な言葉がまだまだ多い。

季節の移り変わりと小説を読む下りが交互に来ていて、すごく洒落ていた。こういうブッキシュな試みは好きなので、どんどんやってほしい。あとこの作者は「僕と君との物語」系だけでなく、他の主題にも挑戦してほしい。この詩を端緒にして、何かに目覚めてほしいと思う。

カヅヤ: ひらがなの使い方や、表現など、単品で見ると素敵だなと思う個所が随所にありました。

 

けれど、それが全体としての魅力になっているかというと、ちょっと弱い感じが。

言葉言葉は綺麗なのですが使い古された感…使い古されたものがすなわち悪い、とは決して思わないので、やはり使い方が気になったのかなと。「みんなが当たり前として使っている表現」をもっと魅力的に見せて欲しいと思いました。

絵としてはすごく綺麗だなーと思ったので、もっとハッとする何かが欲しかった!

安部孝作: 牧村さん「見ていたはずの季節」

春から秋まで、時間と空間の移動があり、各々の行為の連続もまたあり、文章からイメージがちゃんと伝わって来たため味わい深かったと思いました。冬という季節を迎えたことが最後に残されていて、それまでの動きがはたととまったのが詩がそこで完結してよかったです。やはりぼんやりとした感じなのだが、若い男の感傷的な世界を思い出して書いた(でも結局余り変われていない語り手)ために、抽象化されているのかなと思ったら、すんなりとしました。もっと「キラーフレーズ」があっても良いかと思いますが、さらさら流れるように想起され、言語化されていく作業だと思うと、そう言う世界がうまく構築されていると思います。以上。

イコぴょん: 今日はカヅヤさんと感想がかぶっている。珍しい。

カヅヤ: なんと。本当だ。それは確かに珍しい。

とーい(10011040): 牧村さん流のボニーとクライドだ!

わたしはロードムービーな作品が好きなので、個人的にぐっときました。

タイトルがいいとおもいます。彼女を見ていたようで見ていなかった、おとこの切ない気持ちがでています。

6: ボニーとクライドってなんですか>とーいさん

神崎: ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカー(Bonnie Parker1910101 - 1934523日)とクライド・バロウ(Clyde Barrow1909324 - 1934523日)からなるカップルである。

ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、沢山の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化された。

とーい(10011040): 描いていることはちがいますが、精神がちかいかなと >6さん

6: しつこくてすいません。神崎さんの情報を読んでみてもこの詩が「ボニーとクライド」とどう繋がっているのかがいまいち良く判りません。ロードムービー的な恋愛の物語という点ですか?

とーい(10011040): はい、そういうこととご理解ください>6さん

6: え、それでいいんですか・・・。

とーい(10011040): 「落ち葉が重なって濡れた地面を覆い隠すいつかの彼女を思わせてそうっと枯れた葉を踏みしめたなのに葉は声をもらす」いい表現ですね

小野寺: 「俺たちに明日はない」ですね

とーい(10011040): はい!>小野寺さんすみません、脱線しました>みなさま

小野寺: うーん、私はそういうカッコよさは感じなかったな、この詩からは

神崎: 映画なのか「俺たちに明日はない」

神崎: それはどうして>小野寺さん

小野寺: どうしてと言われても困るけどかなり突飛な結びつけに思えるから

 

神崎: 僕もあまりかっこよいと思わずに。同じようなことを思っていたのかと>小野寺さん

小山内 : かっこいいというよりも、逆に軟弱な印象を受けました。若い人で、恋愛をうたっているのにたいして、ちょっと無粋なのかもしれないですけど。感傷的すぎるし、現実の生活が見えてこないもの。

イコぴょん: たしかに現実の生活が見えてこないんですけど、それは、若いカップルの浮足立った感じを表現してるんとちゃうかな、と思いました。

カヅヤ: >小山内さん  似た感想を持ちました。好みになってしまうのですが、私自身が「綺麗に感傷的なもの」があまり好きではなく。

神崎: れんあいを美化してはいるのかも。周りにもいますね。

小山内 : それはわかります。無法者の話がまず出たことへの反論として。>イコさん

小野寺: 優しくあろうという男の心情は感じられる。付き合っていた時には優しくなかったのか。

根性焼きしてたりしてw(すいません、ただの冗談です)

カヅヤ: ただ、その綺麗さというは、(私は苦手だけれど!)評価されるべきものだろうなとも思います。絵は綺麗。醜くなくてさらさら流れている。引っかかるものがない事ですんなり入っていく効果を持っている(と、肯定的な感想を読んで思いました)

小山内 : それはそうですね>カヅヤさん  置いてきたもの、通り過ぎてきたものを全部否定してしまうのは貧しい。そうした感傷が同じ年代の人にはとても心に響くし、共感を生むと思います

小野寺: 影響されてしまうということは評価しているんでしょうね

小野寺: いやあ、その言葉いいですねえ。小山内さん。

小山内 : むふふ。

小山内 : 主人公は学生でしょうか?

イコぴょん: 明言されていないけれど、学生っぽいですよね。自分は高校生カップルを思い浮かべながら読んでいました。いと憎しと思いながら、窓から雨に濡れつつ嬉しそうに帰るカップルを見ていたものです。

小山内 : 私は大学生を想像しました。実家ぐらしという感じではないので。

6: 僕も大学生か、大学を卒業したてぐらいかと思って読んでいました。

カヅヤ: 私も大学生ぐらい…卒業前後ぐらいかなと

小野寺: 私はこの詩はチャ―の「気絶するほど悩ましい」を思い浮かべましたその歌の中に「うまくゆく恋なんて恋じゃない」という一節があるんで。つまり美しいのは失恋だけだと

イコぴょん: http://www.youtube.com/watch?v=w_htZQPFiSc

「気絶するほど悩ましい」

 意外と渋い曲だった。→気絶するほど

小野寺: これ現在バージョンですね。昔と全然違う()

神崎: なるほど。

安部孝作: 美しくしておけるのは失恋だけですね。

小山内 : 枕草子の書き出しを意識して、刹那の語源が冒頭に使われているのはわかりましたが、他はどうだろうか。

6: 刹那の語源ってどういうことですか>小山内さん

神崎: http://gogen-allguide.com/se/setsuna.html

刹那の語源らしいのですが、わからない

カヅヤ: 小山内さんの回答待たずに流れ切り失礼します。私はもっとエグイものがあった方が楽しいのですが、こういう綺麗さが牧村さんの色だとするならば、もっと「キラキラする言葉」が、「このワンフレーズ、すっごい綺麗」というものがあったら、もっと人を惹きつけるものになるのかな、とも思いました。(でもそういうキツさがないのが魅力なのやも、とも思いつつ)

小山内 : いま、しらべたのだけど、ちょっと意味が違いますね。私の思い違いでした。刹那は一弾指をを六十五に分けた時間のこと(広辞苑)とのこと。これがまばたきする半分の半分とうところに着想を得たものでした。あしからず。

小野寺: どうも70年代80年代のフォーク、ロックの歌詞っぽさを感じる

安部孝作: やっぱり春樹っぽい。

6: なるほど>小山内さん

イコぴょん: どのへんが春樹っぽさなんですかねっぽいな、とは自分も思うけれど、分析しきれず

神崎: 同じくです>イコぴょんさん

小野寺: 優しい男であることの自己陶酔みたいなものと思います

イコぴょん: ふむふむ

安部孝作: 細かくは判らないのですが、弱々しい、というか臆病な若い時の自分が、時を経て美化されて、語り始めた文章という感じですかね。

安部孝作: 優しいと言えば優しいのかもしれません

安部孝作: >小野寺さん

安部孝作: ヤクルト負けて書き始めたという経緯に収斂すると思います。春樹は。

小野寺: 軟弱=優しいは学生運動の反動である70、80年代の感性だと思う

安部孝作: わかりますわかります >小野寺さん

小野寺: それがみなさんの古めかしいという感想につながっていると思います

イコぴょん: 古めかしくは思わないなあ。使い古された、とは言ったけれど。

カヅヤ: 同じく。現代の人の詩だな、と感じました。

小野寺: なるほど

安部孝作: 刹那的というより、時間がそこで止まってる。現代ですよね、僕の同級生こういうやついっぱいいます。好きじゃないですけれど。

小山内 : 内向の世代の感覚ですね>小野寺さん

6: カヅヤさんのおっしゃった「キラキラする言葉」は確かに飛びぬけたものはここにはないのですが自分は、この控えめさが逆に良いかなぁと思いました。それぞれの季節が目立ち過ぎないように言葉もお互い淡く漂っているようです。しいていえば連の最後にある言葉が魅力的かと思いました。僕は連の最後に接続詞をおくような詩を見たことがあんまりなかった気がするので新鮮でした。

イコぴょん: 春は桜、っていう感覚がなあ、、なんかなあ、、

安部孝作: なんかな、って感じですね、確かに。

きらきらしていないのは、やはり昔だから、もう新鮮でなくて、自分の中で何度も反芻している記憶だからじゃないですかね。

小山内 : その桜は経済的な理由でそこに植わってるぞ! とか?>イコさん

小野寺: まあ、そうなんでしょうね。内向の世代の通俗化が村上春樹か、な

イコぴょん: ww >小山内さん

小山内 : 春夏秋冬の感覚はもっと斬新でなければ、印象が薄いかもしれませんね。

6: 反芻した感情に強烈な言葉は確かに宿らないような気がしますね>安部さん

小野寺: いっそ、春、夏、秋って単語はいらないかもしれない

小山内 : われわれはその感覚でいられますね>小野寺さん

イコぴょん: ありふれた現代人の回想のなかの、美化された世界って読むと、春は桜でもいいんだけど、いいんだけど、なんかなあ、

 6: (みなさんがおっしゃる使い古された言葉とはどれだろう。僕はそういうのあまり感じなかったけど・・・)

小野寺: 小山内さん()、まさしく

小山内 : 単語ではなく連想するイマジネーションに新鮮味がない。

神崎: イコぴょんさんは一般的なものに反抗してほしいと思ってるのかしら

イコぴょん: 小山内さんの言われたように、読みかけの小説をもってくるところや、桜、落ち葉、列車など>使い古された

小山内 : うんうん。>イコさん

安部孝作: ええ>6さん

なんか、一昔前のアメリカのホームドラマって在るじゃないですか。そして一方にルーカスの「アメリカングラフティ」みたいな世界があって、その世界からホームドラマに帰りたいって思っているんじゃないかっておもいます。ロスジェネがまた前にやってきて、それを避けたいから踵を返し、通り越してホームドラマまで戻る、みたいな。

6: でもそれは言葉と言うよりかは題材なのでは?>イコさん

小山内 : 苦しくなったまたは過去に破綻した恋愛を語るのに、どういった言葉をもってくるか。そこは今また新しく詩を作るにあたって、冒険して欲しいと思います。

イコぴょん: そうですね、固有の記憶を描いてほしいのかもしれません。使われすぎた言葉は、既成のイメージしかもたらさず、魅力を感じません>神崎さん

安部孝作: そうですね、それはそうだと思います、 >小山内さん

6: ホームドラマへの回帰ってことですよね。新しい読み方だけど、そうなのかな。それは優しいという感情からもらったイメージかな>安部さん

小野寺: 考えられた箇所もあるんだけどうまく機能していないから使い古された表現が目立つのではないかと思う

イコぴょん: でもカヅヤさんもおっしゃる通り、使われすぎた言葉から、新鮮なイメージを生むことも、可能だと思うんですよね。お定まり、から抜け出してほしいんだなあ、自分は。

小山内 : >晴れ間の見えはじめた空から 顔を出す

>恥ずかしがりの光を

>逆に抱きすくめるように 歩いて行ったら

>彼はどんな顔をするのだろう

カヅヤ: 遅ればせながら>6さん   「けれど~だっただろう」「空を睨む」「永遠を感じる」「まだ~だろうか」など。

小山内 : でもこのあたりはすごく好きなんです。もう苦しくなった恋愛を予感させ、なおかつ強く進んでいこうとする気持ちが伝わってくる。

小山内 : イメージの選びは平易でも私は好きですね。

小野寺: 小山内さんの引用箇所でうまく機能したとは思えないと感じました

小山内 : 全体としての調和はないかもしれない。>小野寺さん

小山内 : 軟弱な中で光っていたということかな

6: うん、僕も好きなんですよ>小山内さん イメージから抜け出ることはしていないけど、ありふれたイメージをコラージュしながら時間の経過を主に描きたかったんじゃないかな。その点で使い古された言葉がマイナスになっていないと思っていて、そこがみなさんと食い違っているのかな。

イコぴょん: >あの交差点のむこう 閉じたきりの本屋に

>まだあの本はあるだろうか

>いつか続きを読めたらいいと思う

 

ここは好きだなあ。こういうイメージはあまり描かれたことないと思う。

安部孝作: そうです。優しい、そして冗漫で、ふわふわしていて、使い回された典型が欲しい。パスカルの境地に至らず、外から家に帰って落ち着きたいのではなくて、家の中に籠っておきたい、外は余りに自分が居過ぎる、僕って特別のはず、特別な青春を歩んでいたはず、僕の記憶は、一体どこにあるんだ。という、あの時代の30くらいの人(しかも幼いときにホームドラマ見ていた世代ですよね)の思いが、ホームドラマ的世界へ憧れをもった気もします。典型の世界にいれば、僕は実は特別だけれど、それはお家に置いてあるら、、、見たいな。上手くまとまんないですけれど。

安部孝作: >6さん

6: 長文ありがとう>安部さん いまからじっくり読みますww

神崎: 45分も過ぎましたのでいったん締めますか。最後に一言などありましたらお願いします

カヅヤ: ありきたりな表現がありきたりなのは、その表現が「アリ」として使われている場がたくさんあるからだと思う。だから、先ほど引用した個所そのものが悪い、とは思わず、文の流れの中でそこが「気になってしまった」という感想だった、と追記しておきます。

6: わかった!特別な存在だとおもっているやつにかぎって平凡でどこにでもいて、それはホームドラマのパパさんみたいな存在ってことですね。適度に文学的で適度に冒険心に溢れていて、でもそういうやつは結局、家庭に回帰してしまうのが関の山・・・みたいなことか、自分でなんかすげえひどいこと言っている気がするけど、何となく分かってきました。

小山内 : 視点を固定せずに、街中のどこかから徐々に通りを歩く二人に近づくとか、他の感覚から連想して近づいていくとか、そうした冒険が欲しい、といったところかな。

神崎: ありがとうございます。

 

 

 

ファイター:小野寺 那仁

 

神崎: では次は ファイター:小野寺 那仁です。まずは感想をお願いします。

イコぴょん: ファイター/小野寺那仁

【率直に】

・かなり好き。

・かなり面白く、夢中で読んだ。

【評価の視点】

①文章:ねじれた文章が独特のリズム、おかしな効果を生んでいる。読みやすくスピード感にあふれ、青春のための文章だと感じられる。

②人物:ひとりひとりの人間がしっかりと立っている。どの人物も、どこか間の抜けたところをもっていて、魅力にあふれている。

③内容:語りの楽しさをただ享受できる分、深くあれこれ考えるのはかえって必要ないように感じられる。深みはないが、いわゆるエンタテイメント作品として十分に成功している。

【改善点】

①テーマ:ありふれた青春の像だが、ただ楽しく読めるだけでなく、思わず考えさせられる部分があってもよいのではないか。エンタメとしての評価に甘んじてよいのか。

6: ●「ファイター」

小野寺さんは若者の群像劇を描くことが上手いのかもしれない。やはりながら、冒頭でいきなり沢山の人物が出てきて把握が難しかったが基本的には読みやすい小説で、「ギター」とか「バンド」とか使い古された言葉で溢れているのにもかかわらず、読ませるところがある。また「ファイター」というバンド名はさすがに、その辺の大学生であればもう少しかっこいい名前をつけても良いものなのに、けれど何か説得力がありこれも特に気にはならなかった。

泥棒をする場面では冷や冷や感が伝わってきてとてもおもしろかった。人物の書きわけもちゃんとできている。エリオットの詩がたびたび登場して謎めいた良いスパイスになっていたと思います。

兄との比較から始まった小説は紆余曲折を経ながら、倫子との関係に至りましたが、兄が後半出てこなかったことにあまり文句はない。

むしろラストで軽々しく「妊娠小説」になってしまったことが疑問。小野寺さん特有の社会悪みたいなものが最後に出てくるけど、これもいらなかった気がする。最後は社会性のなかにとりこまれるのではなく、「倫子との現在」を楽しむ盛り上がりを書いてほしかったと思う。

神崎: この作者は退廃的になりきれない若者を書くのがうまいと思う。潤君鈍すぎるな。とも。逃げることができるのは幸せであろうなとも。音楽に身を浸して、実を錆びさせるのではあるが、亮介という圧倒的人間にうまいように使われ、自負していた才能も自分の方が矮小で、最後に捨てた女をあてがわれたという一種の屈辱感がにじみ出てている。

小山内 : 文頭一マスあけましょう。話はとてもおもしろかった。主人公の潤にしてみればいろいろと理不尽ではあるけれど、迷いつつも結局したがってしまう性格がどつぼにはまっていく。そうした話の筋が通っていて、なおかつグループの人間のあやしさ、うさんくささが生き生きと伝わってくる。絶妙だとおもう。問題を解決することよりも、走って逃げることを選ぶ潤の幼稚さは気の毒であるが読んでいて笑える。苦味のあるコメディーじゃないか。

安部孝作: 小野寺さん「ファイター」

倫子の脚の色が変わっていたことが気になった。。。というのはさておいて、少し文章にムラがあったように思います。

ですが、話はちゃんと展開していったので、読みとおせました。但し、この作品の主人公から感じるものがあまり好きではありません。例えば今月の「ほろほろ鳥」の方が僕は好きでした。それと倫子と通じてからの展開が少し面白みに欠けました。それは多分主人公の性格ゆえかもしれませんが。僕はこういう話が書けないので(とある現実に在りふれた世界の一コマ的な作品)凄いなとは思います。ですが、覗いたこともないけどありそうだなという世界は、あまり好きではないです。書けないからそう思うのか、そう思うから書けないのかは、多分前者ですが……。昨日の「ほろほろ鳥」と比較してしまって。。なんだか偏っていますが。エリオットの名前があそこででるのは、少し唐突な気もしました。以上。

カヅヤ: 自分のバイト仲間に音楽目指してる連中、諦めた連中が多く、その傍らで仕事で成功しつつ「趣味」として様々なアマチュアイベントで歌い、雑誌でインタビューを受けちゃってる上司を思い、「あるあるあるあるある・・・」といたたまれない気持ちになりました。

鬱屈している感じがひしひしとするのだけれど、全体通して「みんな馬鹿だなあ・・・」という感想に。鬱屈感だったり、馬鹿さ加減だったり、もっと何かパンチが欲しい!と思いました。

が、読んでる方としては「こいつらアホやアホや…」と鬱鬱としてきたので、読者の感じ方含めて「鬱屈さ」を示しているならそれは確かに成功しているのか…!?と思ったりもしました。

 

気になった点

○「!」や「?」の後にスペースを開けないのと、段落下げをしないのはわざと?

○亮介のときにピル飲んでたら潤の時にもまだ排卵は起こっていないのではないかという素朴な疑問。潤とやったときは別れてからだいぶ経っていたのでしょうか。すぐに再開する人もいるけど、一般的には時間かかると言われているらしいので…。ハッ!潤の子だということにする嘘なのか!?リンコさん策士すぎて怖い。

 

○蛇足:本編と関係ないですが、パチンコが換金できると今まで知らなくて、それがなんで許されているのか分からなくて、ググってみたけど分かりませんでした。法律難しい。

神崎: では、フリートークに移ります。

神崎: 小山内さんも指摘されていましたが原稿用紙の利用法がぶれていますね。「文章」のときと「文章。」の時などあり統一したほうがいいと思いました。

イコぴょん: 統一ができていないのは問題だ。ただ、意図があってわざと段落下げをしなかったり、!?の後を空けない作品もありますから、どうなんでしょうね。

安部孝作: 意図を感じ取れないなら失敗ですし、あまり良いことではないですね。

小山内 : わたしもとても気になります。読みにくい。

神崎: 統一はともかくとし、意図を感じ取ることはできましたか?私は無理でした。

6: 会話文それ自体はとても面白かっただけに、惜しいですね。

イコぴょん: !?の後を空けないことで、スピード感は出ていたかなと思います

6: !?の後をあけるって、どういうことですか、すいません、いまいちよくわかっていなくて。>イコさん

イコぴょん: >「ウソだろう!冗談じゃないよ。」

 

!の後をふつうは一マス空けますね>6さん

6: え、そうなんですか。。。

6: 初めて知った・・・勉強になりました。>イコさん

6: それだと確かに空けるよりはスピード感でそうですね。

イコぴょん: 荒削りな書式不統一な感じすら、この小説の青春モノらしさに一役買っていたような気がするのですw

6: カヅヤさんにお聞きしたいのですが、どのようなパンチがあればこの作品は良かったですか。カヅヤさんならどう書くかという視点で考えてもらいたいのですが…。

神崎: そういう意味なら成功していますね。

イコぴょん: (けれどたぶん、ワードをPDFに直すときに、字下げ機能のせいで、下がらなかっただけなんじゃ?w)

6: (僕もそうおもいました。)

小山内 : 縦書きだと、一マスあいていないと、記号の羅列に見えてしまいます。

小山内 : だって、かなり前に書かれたんでしょう?

イコぴょん: そうですね、この情報は、ここで必要なのか分かりませんが、56年前に公募作として、読ませてもらいました

とーい(10011040): ところで、この作品はかなり以前に書かれたのですか??

とーい(10011040): あ、公募作でしたか。

小山内 : いや、修正する機会はあったということなんです。

カヅヤ: パンチ…うーんうーん。自分は、結構理屈っぽく書いてしまう癖があるので、もっと説明的に書いてしまうやもしれず。パンチという意味では、説得力が欲しかったのかな、と自分では思います。「お前らバカなだけじゃないか!」と思ってしまうので。

カヅヤ: ただ、それは自分の立ち位置、視点の問題でもあるのだろうとは思います。

イコぴょん: そうですね、たぶんこれは、無修正ですねw>小山内さん

カヅヤ: (! ? の後は、「文が続いてるなら空けない、文がそこで切れているなら空ける」と仰る先生もいましたが先生自身「曖昧なんだよね~」と言ってました。教科書は基本空いてるはず)

イコぴょん: 公募作品ならなおさらなのだけれど、基本的な文章作法を破るなら、相応の覚悟がいるんですよね。この作品の場合は、そういう覚悟が見られるかっていうと、推敲のされてなさからして、ない

神崎: (個人的には?と!はあまり好きではないです。)

イコぴょん: ?と!を多用するとカッコ悪いですが、この作品は、そこまで気になるものではなかったように思います。議論を、話の内容に進めていってもいいかと。

神崎: そうですね

6: 説得力・・・。確かに青年の感性に赴くまま内容としては突飛なものが連続しているように見えます。けど何かおかしみがあってそれを許してしまっています(最後は許さないけど)>カヅヤさん

イコぴょん: すごく楽しく読んだのだけれど、自分がいちばんアカンと思うのは、女性とのカラミですね。まったく肉感がない。このシーンは、今日再読するまで、すっかり忘れていたんです。

イコぴょん: 逆にパチンコ店のシーンは、ハラハラして読んだので、よく覚えていた。

神崎: ふむふむ。

6: パチンコのシーンはよかったですね!>イコさん

6: 肉感を出すにはどうすればよかったと思いますか>イコさん

イコぴょん: いつ見つかるかとどきどきしますよね、1読目も2読目も3読目もどきどきした。すげえっす。

安部孝作: この情けない主人公なら、初めての射精は気付かないんじゃないでしょうかね。

6: わかります>安部さん

神崎: 童貞だろうしなあ

イコぴょん: フェティシズムが感じられないんだ。

6: フェティシズム、その話面白くなりそうです。>イコさん

イコぴょん: こだわるなー、この作者、エロイぜ! ってとこがないんだ。

安部孝作: やっぱり肉感の無さは、リアリティの無さですね。

皮膚感覚が伝わらない。

 

それわかります。もっと脚を舐めても良いと思います。 >イコぴょんさん

6: ww

(『エロ事師』をいま読んでいるイコさんが言うだけになんかフェティシズムってどれだけ作者がエロくなれるかにかかっているんだなぁ)

イコぴょん: エロ事師はやばいっすよ。お手本すね。

安部孝作: この情けない主人公には、倫子のエスコートももっと過激で良かったと思います。

6: みんなHだなぁ

とーい: フェティシズムはコンプレックスからうまれるらしい。

6: なんかぽいですね>とーいさん

イコぴょん: ペニスの長さをくらべっこするシーンだったり、血のつながらない娘とヤろうとして勃起しないシーンだったり、ほんま、おかしくて笑えてくる。>エロ事師

神崎: (みんなに僕が入ってないことを祈ろうw)

イコぴょん: この作品のエロシーンはあんまし笑えないんですね。

安部孝作: どうせなら、セックス中にも兄貴だとかから屈辱を受けているんだ、っていう自覚があっても良かったですね。

イコぴょん: あ、始まった。あ、射精した。あ、終わった。物足りない!

安部孝作: だから射精気付かないですって。

安部孝作: ()

とーい: だから、この主人公は作者はそんなにコンプレックスがないのかもしれません>ろくさん

神崎: 三回もよく持つなあ…

安部孝作: ああ、倫子とのあとに、あるいは前にオナニーシーンが無いのが、決定的に欠落してる気もします。

イコぴょん: 性にまつわる話が、倫子との絡み以外で、あまりないんですよね

6: うーん、でもまだよく判らないのは、すべての作品のセックスシーンがフェティシズムをもったものでなくても良いかと思うんですよね。その意味でこの作品はそういった過剰なエロさを要求する小説だったのでしょうか。僕はその部分で、この作品を深く責められないできないところがあります。

6: コンプレックスはあるのでは、兄へのものとか特に>とーいさん

イコぴょん: 過剰なエロさじゃなくていいので、ウブな高校生の感情と、たぶらかす倫子の化け物ぽさが、もっとあらわれていいと思うんですよね

6: なるほど。。>イコさん

とーい: このコンプレックスについては、ずっと考えているところなのです。>6さん

イコぴょん: いきなり愛してる、とか言う女は化け物ですよ

安部孝作: それでいて、救われるべきは倫子だ、っていう裏書きがあっていいですね >イコぴょんさん

イコぴょん: ああー、いいですね、それ。裏を感じさせてほしいですね。>安部さん

とーい: 主人公からお兄さんへのコンプレックスはわかります。でも、コンプレックスの肉感的なものが。>ろくさん

6: 身体的コンプレックスということですね、なるほどそれはなかったかもしれません>とーいさん

イコぴょん: 膨らますなら、そのあたりですね>コンプレックス

安部孝作: 主人公は若干の被虐嗜好がありながら、変に高いプライドを持っている→(兄へのコンプレックス)だから、ここは性の場面で、おもいっきり解放させて(思いっきりと言ってもこの主人公ではささやか、というか状況に呑まれるでしょうけど)、主人公の化けの皮を剥がしても良いと思います。

とーい: 若者、バンド、スロット、性。これらはコンプレックスそのものです。

神崎: コンプレックスは重要ですね兄も、亮介に対しても、

イコぴょん: この主人公の葛藤をさらに強めて、ギュギュッと縛りつけて、悩みでがんじがらめにして

イコぴょん: ラストにオファーきたのに「妊娠したの」で宙吊り。これいいです

イコぴょん: 大江健三郎っぽい

小山内 : お話がぐいぐいすすんでいくのがいいです>イコさん

とーい: 作品の評価とはすこしかけ離れてしまうのですが、わたしは空想でコンプレックスを描こうとされた小野寺さんのコミュニケーションのちからに、感銘をうけました。

とーい: また脱線してしまい、申し訳ないですが。。

神崎: すくわれねえ。妊娠したときいて走り出すのはなぜだか笑ってしまいます。

イコぴょん: 大江健三郎が初期短編で繰り返し描いたところの「恥辱」に近いと思うのですよ。

6: イコさん的には「妊娠」のラストはよしと言うことですか?

とーい: わたしはシュールにかんじました。

安部孝作: 僕はラストにそんなに面白みを感じなかったです。別の書き方があったんじゃないかって。もっと主人公が恐怖するように書いても良かったと思います。 >イコぴょんさん

イコぴょん: よしですね

小山内 : そういう主人公を書き出そうとされているのか、書いていくうちに収束していくのかどうなんでしょう>とーいさん

イコぴょん: 書き方は、たしかに他にもあったと思います。安易なので。

6: 僕もラストはちょっとなぁって思いましたけどねぇ。

安部孝作: そうです、すこしありきたりでしたね。倫子の切り出し方も、弱いと思いました、倫子にしては。母になって落着く人と、母になって過激になる人がいるとすれば、倫子は後者だと思います。だから救われるべきだと、思います。 >イコぴょんさん

イコぴょん: 気持ち悪そうにしてる、っていうのが、あからさまな伏線で、ちょっと萎える

とーい: 書かれていくうちに収束されたのでは、あるいはパートを作成される度、パートをつけていかれたのかな、とおもいました>小山内さん

6: 社会の中に回収されてしまうのではなくて、ロックと言う音楽だけに現在を描写しながら未来にも過去にもいってほしかったような気がするんですよね。

安部孝作: それはあります!>6さん

とーい: 若者の表層として、バンドなどのモチーフを選ばれている。

イコぴょん: ふーむ、自分は、母になって落ち着く人、だととらえたなあ。倫子は。>安部さん

6: 倫子は常にたぶらかす魔女のような存在であってほしいかなぁ

小山内 : なるほど>とーいさん

イコぴょん: 若いときは性にあけすけでも、母になると、あれ、ふつうの母ちゃんやん、っていう人のタイプだと思った

神崎: セックス依存症みたいだ>6さん

安部孝作: 性にあけすけじゃないと思いますよ、倫子は。 >イコぴょんさん

カヅヤ: 子供も、かなり倫子の策の部分が強いし、潤は倫子に食われちゃったんだなあと思いながら読んでました。性的な意味だけでなく、人生的な意味で。

イコぴょん: そのあたりが、はっきり判断できるように書かれていたでしょうか? そこが問題点なのかなって。>安部さん

安部孝作: たしかに >カズヤさん

6: だから悪徳商法も妊娠も最後は何かまずいとまでは言わないけど好みの問題としてそこにいってほしくなかった、最後は客体としてのセックスを経験した主人公がじょじょに主体としてセックスをしようとするほんの燻りみたいなものがみたかったかもしれない、個人的には。

6: 妊娠と言う何らかの結末に至るのではなく、描写の連続性=現在性に賭けてほしかった。

イコぴょん: ふむふむ、分かります。「妊娠」がいわゆる「オチ」になってしまっているきらいがありますよね。>6さん

小山内 : たしかに人間は変わっていくものね

神崎: たしかに。

安部孝作: 捨てられたことを引きずっているようにも思いましたし(「貢いでるんじゃないから、絶対取り返す」→貢がせるほど魔性を持っていない)、キャバクラやヘルスで働くのに嫌悪、潤をエスコートするのも無理している感じがしました。 >イコぴょんさん

カヅヤ: なんだろう、自分はこれが「うっかりできちゃった」なら萎えるのですが、この終わり方は「亮介のときは気をつけてたけどあなたの時はあえて気をつけなかったのよ」という倫子のキャラが立って、割と気持ちいいいです。

安部孝作: なるほど、確かに >6サン

6: ああ、そういう見かたはありますね>カヅヤさん

イコぴょん: ふむふむ、そう言われると、化け物らしさが薄れてくるな。>安部さん

6: 倫子と言う女性をカヅヤさんはどのようにとらえていますか。肯定的ですか?

安部孝作: やっぱりロックやってるし、強がっているんじゃないかって。思いました。 >イコぴょんさん

 

そうですね、同意です >カヅヤさん

イコぴょん: でもなんで潤にうつるんだろうなぁ……

カヅヤ: ううん、肯定も否定もあまり意識していないです。

とーい: ところで、小野寺さんはひとの名前をつけるのがお上手です。わたし、実はここに感銘をうけました。

カヅヤ: あべさんの「捨てられたことを~」の文は、頷きながら読みました。その上で、「化け物らしさ」というか、余計に魔性を感じるのです。

カヅヤ: いや、魔性ではないな、ずるさか。

安部孝作: あ、それわかります だから過激になるかと思いました >カヅヤさん

6: 倫子のコンプレックスを紛らわすための存在としての主人公か。

カヅヤ: 潤なら逃げないだろうひどいことしないだろう、ヘルスしろとか言わないし、という、一種のずるさと必死さ。でもその目は正しくて、目的を確かに得ようとしている。

安部孝作: 詳しくお願いします >トーイさん

イコぴょん: 倫子は世の中への絶望を抱えていて、そこから世渡りのうまさと危うさを同時に所有した人間のように思えるな

とーい: 感覚的なところなので詳しくいえないのですが、どのキャラクターも名前と行動、雰囲気があっているとおもいます>あべさん

カヅヤ: 最終的に「亮介にも嵌められたけど倫子にもはめられたでござる!」という話だと思って読んだので、妊娠がないと、私の中でこの話は全然別の話になってしまうのです。是非は別として。

安部孝作: なるほど、それは共感できます >とーいさん

とーい: やっぱり、倫子さんは凛子ではおかしいし、潤は淳ではおかしい。なかなかできないこととおもいます>あべさん

イコぴょん: たしかに。「潤」は潤だ。

6: そのとおりですね>とーいさん

カヅヤ: 凛子…たしかに。字面もしっくりしてますね。

安部孝作: すみません、僕、倫子って「のりこ」だと思ってました。

6: りんこだったなぁ

安部孝作: ああ、飛ばしてましたね。すみません。

とーい: あ、のりこかな!?

イコぴょん: りんこ、の方が化け物っぽくて、やっぱ化け物だった。おれにとって……。

カヅヤ: 知り合いにこの字で「りんこ」がいたのでリンコと読んでました。

とーい: すみません、かってにおもっていました。。<りんこ

6: 「りんこさん」って呼んでみたいな。

安部孝作: あれ、みなさん「りんこ」だから何処かに書いてあるのかと思いました。

神崎: そろそろいったん締めようと思います。最後に一言などあれば。休憩をはさんで23時から常磐さんの作品の合評を始めます。

 

 

不思議な運動会/常磐誠


神崎: では23時になりましたので不思議な運動会:常磐 誠の合評会を始めます。

安部孝作: 常磐さん「不思議な運動会」

題名通り、不思議な運動会だったと思います。最後は現実もまた運動会の続きってことになるんですかね、勝手に想像してしまいましたが。童話の世界かなと思ったら、なんだか不穏でしたね、暴れ出すと言うか、野生の残っているような。しかもメタ・フィクション的な、著者の介入があったりと。。。それぞれの表現や会話がいまひとつ冗漫でありきたりで、もう少しまとまって欲しかったなと思いましたが、その「空白」が寧ろ、暴れる隙間をつくったと言えるかもしれません。ただ隙間は適当な量にしておくべきで、登場人物には愛嬌がありましたが、キャラクターをもってはいても人物を持っていない感じで、物足りなく思いました。以上。

神崎: 不思議な運動会 常磐誠

ニヤニヤと笑いながらかつ、声を出して笑いながら読む。コミカルな童話だ。時折出る作者というかトルソーに関しては思いっきり常磐と言ってるしと突っ込みながら。読む。常識なんてとらわれちゃだめよという話」とみれば気分がよく爽快だ

カヅヤ: こういう勢いの作品大好きです。

効果音とか絶叫とかオノマトペとか擬音語って、下手するとリズムがガッタガタになるので自分はうまく使えないんですが、勢いが落ちることなく全力疾走で走り切る感じが素敵でした。

(ずっと昔に見た、「世にも奇妙な物語SMAPスペシャル」のキムタクのネタを思い出しました。最初から最後まで勢いしかない。賛否あったけど自分は大好き)

 

が、一つだけ、受け付けない点が。

本文中に作者が出て来るのだけは、どうしても受け入れられず。

例えば、「月刊」に対して最初からパロディでいくよ!という「裏月刊(仮)」でやったり、作品のあとの後書きだったり、作品中でもさくらももこや岡田あーみんの漫画のような書き方なら気にならないのですが、これは、ちびまる子ちゃんのキートン山田パートに固有名詞を与えられてしまったような違和感を感じてしまいました。

最初からストーリーテラーとしての「常磐さん」がいて、「私が語ってるんですよ」という前提があれば、違和感なかったやも。

 

それ以外は、「やらないか」含め大好きでした。

(常磐さんの作品の感想まとめなきゃと思うたびに「そうだいさじ見たい」と思うので、一週間毎日いさじのことを考えていました。)

6: ●「不思議な運動会」

この作品は良い!何だか絶妙な呼吸。制限のないユーモア。これこそ小説的!と言えるかもしれない。ただ、この作者にいつも言っているのだが「へたうま」ではやはり評価は受けにくいと思う。だれもが「うまい」と思える作品をまずは書くべきだと思う。あまりにも自由度が高すぎて、(僕はこういうのは好きなんだけど)ずっとこういうのばかり描いている気がするから、そろそろ本気になってほしいというかなんというか。

このような作品を積み重ねていくことがデビューには繋がりにくいとおもうので、こういうものをしっかり武器として保ちつつ、もう少し真面目な作品を書いてほしい。

「トルソー」のくだりは面白かった。逆に言えばユーモアはあそこだけでも良かった。他は読者を黙らせてしまうような不思議性を湛えた真面目な文章で溢れていてほしかった。

小野寺: 「不思議な運動会」

不思議な運動会というよりも不思議な小説だろうという突っ込みをいれたくなりました。不思議です。これはどんなジャンルのものなんでしょう。いえ、けなしているのではなく今までの常磐作品の最上のものかもしれません。もう一気に読めました。マンガっぽい試みなんでしょうかね。でも無駄がありません。現代的な感覚です。映像化できれば(動物がいるので難しいですけど)相当に面白いと思います。一応童話なんですね。でもこれを読んで育った児童はどんな大人になるんだろう。

イコぴょん: 不思議な運動会/常磐誠

【率直に】

・まったく好きではない。

・が、最後まで読んだ。

【評価の視点】

①文章:痛々しいが一貫している。日本語への挑戦か?

②人物:動物たちがキャラクターとして一応立っている。

③内容:夢オチのはずが夢じゃなかった、というのはよくある話である。新鮮味がどこかにないだろうか?

【改善点】

・何をどう改善すべきなのか判断に困っている。理解が追いつかない。

神崎: 小山内さんの感想です。

不思議な運動会

ほほえましいけれど、奥行きを感じなかった。描写も工夫が足りないと思う。正直なところ、作者の意図がつかめませんでした。

なにもかもに意味合を求めるわけではないですが、私の個人的なこだわりとしては、読者に回収できるもの、そういう話の帰結がが欲しいと思う。

6: 大好きと低評価が別れる作品だ。

とーい: マンガ的ですよね。わたしは、俺とやらないかが出てきた一点で、評価したい!

カヅヤ: 「やらないか」の入れ方上手いですよね。

安部孝作: そういうノリは、僕は微笑ましいと言う事にしておきたいです。

6: 「や ら な い か」を小説に出せるのは凄い。自分には不可能だ。

とーい: うまいですね<やらないかのいれかた

6: やらないか推しだな、みんな

イコぴょん: わ か ら な い

 

いやネタは分かるけど。

神崎: うん。私はコメディとして読みました。

とーい: わたしはこれでも保守的なので、正直いえば、ズコーーーとかは苦手であったりしますw

安部孝作: ええ、なんというか、浮いてますよね。流れは切って無くても、表現が浮いてる。あるいは、読者を置き去りにする。(ただしその置き去りの仕方に、著者を感じない)

イコぴょん: ひとつひとつのネタが、自分には寒くて、だめだ。

小野寺: わりいけどトルソーの意味がわからない()

イコぴょん: 頭がかたいのかもなー。(日頃は常磐作品の擁護者なのにね)

安部孝作: やらないかとか、ずこーとか、ああああとか、しっくりこないです。

6: 非常に面白く読みました。ある種の挑戦が感じられて、早く常磐さんは純文学を書くべきといういつもの話になってしまいます。

とーい: しかし、この言葉の使われかたは、本作品では必然なので良いとおもいます。

カヅヤ: 「ズコー」っていう字面を見たときは「えー」って思ったのですが、読み進めたら全然違和感なくて面白くてびっくりしました。

安部孝作: そうですね、確かに、もう序盤でそう言う持っていき方をしているので、違和感はないんですよ、流れとして。ですが、なんか浮いていると思いました。

小野寺: 私は常盤さんは純文学は書かなくていいと思うよ

とーい: 違和感がない、そうおもいます。

イコぴょん: どのあたりが必然なのでしょうか。>とーいさん

 6: カヅヤ: <<< 作品中でもさくらももこや岡田あーみんの漫画のような書き方なら気にならないのですが、これは、ちびまる子ちゃんのキートン山田パートに固有名詞を与えられてしまったような違和感を感じてしまいました。

 

最初からストーリーテラーとしての「常磐さん」がいて、「私が語ってるんですよ」という前提があれば、違和感なかったやも。このあたりの批評は、めっちゃ納得できます。

イコぴょん: 陸上競技では、腕とかをのぞいた胴体部分がゴールになる、それをトルソーっていうんですよね

小野寺: そうですか。イコさん

とーい: 作品を形作る言葉として違和感がないので、必然と理解しています>イコさん

とーい: わたしは常磐さんの持ち味が出た作品とおもいました。

カヅヤ: >作者の登場  感覚的に苦手なのですが、下読みの達人で「作中に作者出て来るのはあかんわー」というのを読んだこともあり、作中の作者の登場はタブー視しています。

とーい: 純文学というより、パンクですね。

イコぴょん: この作品の魅力を、くわしく教えてください。>みなさん

小野寺: ちなみにこの作品は前回特集の「童話」なのだそうです。はじめ「尊さと卑しさ」の今回特集で編集していましたが

小野寺: あまりに違和感がありました。

イコぴょん: だそうですね

小野寺: 魅力はですね。無駄のなさや潔さだと思います

6: 魅力・・・一言で言うと何だろう。新しいさかな。純文学と言うのはジャンルの枠組みにとらえられないという定義ももっているはずなので、すでにしてこれは純文学的ではないかと>小野寺さん

6: でも語ることが難しいほどの魅力をこの作品は貯えている。

イコぴょん: なんて高評価なんだ、6さん。びびるw

小野寺: なるほど高橋源一郎などを想定すると純文学でもおかしくないか、6さん

カヅヤ: 普通にエンタメ小説として面白いと思いました。

神崎: エンタメとして笑いながら読めます。

イコぴょん: 寒々しいネタの氾濫が、シュールを生み、パンキッシュな純文学として成立するってことか

小野寺: 私もエンタメの完成度高いと思うよ

カヅヤ: 純文学とは思わない

6: こんな誰が読んでもバカみたいなものをまっとうにしようとしている。そして言葉の自由さ、それでいて絶妙なフットワーク。僕はエンタメではなくこういうものとして読みました。何か底がぬけてしまった小説。エンタメならばエンタメと言う枠を外れないだけの底をしっかりと用意しているはず。この小説はあまりにも無防備でいて、かつ実験性にとんでいるような気がします。わけがわからないという讃辞。

カヅヤ: ネタを寒々しいとも感じないが、初めの感想にあげた「世にも奇妙な~」に、こういうネタを「痛い」と思う人と「面白い」と思う人がいる、というだけの話ではないのかと思ってしまいます。

イコぴょん: ネットスラングを取り入れてるところは、「現代アート」っぽいな、たしかに。ピンチョン的なものを感じるぞ。

安部孝作: うーん、なんともいえない感じになってきましたね。

小野寺: 小山内さん作品の対極にあるような気がする

6: 高橋は僕も感じた。けれど高橋がまだ持っていた大人視線をこの作品は放棄している。かんぜんに幼児的なものとして、一貫している気がします。

イコぴょん: 型にはめるかどうかってことですかねw>小野寺さん

小野寺: 幅が広いぞ、ツイ文

カヅヤ: うーん、読んではいないけれど、ネット小説ではネットスラング入れまくった小説も出ているだろうし、最近では「仏教入門書」がネットスラングだらけで出ているので、ネットスラングを使うことが新しいとは思わないので、単純に「難しい道具をよくも上手に」と思いました。

小野寺: そうですね。イコさん6さん

とーい: ネットスラングもふつうのことばになりつつありますよね。

6: でもこういうのばっかり書いてちゃだめで。もっとまっとうな小説を常磐さんに書いてほしい。こんな作品は評価が別れるに決まっている。もう少し上手さを身につけないと、下読みの目は通らないと思う。

カヅヤ: 2chの創作、AA長編板などではネットスラングやネタ入れまくりの文章はむしろあって当たり前ですし、私はわりと「あるある」として読みました。

イコぴょん: 新しさ、ではないんだよな、うん。

イコぴょん: なんかもう、内輪で完結した文章に読めたんすよ

6: それら(AA)を小説にすることが僕にとってはすごく難しい行為に見えて、新しいと感じてしまいました。

安部孝作: わかります >イコぴょんさん

6: さらに言えば、ネットスラングのところが新しいと感じたんじゃなくて文体が好きなんですよね。

イコぴょん: 内輪で完結しちゃだめなのかどうかっていう問題はさておいて、なんかもう、二次創作みたいな、ある種のハイコンテキストなものの上に成り立つ、きわめて限定的な作品だな、と。

安部孝作: そこまでは言えないと思います >イコぴょんさん

小野寺: 文章評価したいよ

小野寺: ネットスラングはわからない私でも気にならない

6: うーん僕が面白く読みたいのはハイコンテキストな場面ではなく、(それは表面的なものにとどまっている)褒めすぎだけどゴンブローヴィッチのようなおバカさなんですよね。

とーい: 文章はリズムがあって、うまいとおもいます。

小野寺: 今回の作品って今までの常磐作品の自我みたいなものがないような気がしませんか?

安部孝作: なんともいえないです、新しいとは思わないけれど、見たことないから、評価できない。例えば、カエルって凄い種類たくさんあるから、見たことのないけど似ているカエルっていうのはいて、新しさを感じないけど、見たことない亜種的なもの、それについては、ジャンルに昇格できていないと言う意味で、ジャンルじゃないという事が出来ると思います。僕は未消化です。

6: いつかこの人は化けると考えているんだけどなぁ。

イコぴょん: 見たことない、か。ちょっとそれはすごいことかもしれませんね。自分はネット小説の、内輪のノリの、暴走した感じととらえてしまって、その枠からはみ出さないモノという評価に落ちつけてしまった。

6: 亜種。たしかにこれは亜種かもしれない。ぼくはでも「いざ起て 戦人よ」(小野寺さん)も含めて亜種のような、ある種悪文がでてくるようなジャンクな小説が好きなのかもしれない。

カヅヤ: 二次創作とも、スラングは多いけどネット的とも感じなかったです。

イコぴょん: まずネットのどこかで出会ったら、読まない類の小説です。

6: ただの悪文ではだめだけど、何らかの生彩を放つような不器用さが僕にとっての小説の魅力かもしれない。

イコぴょん: あー、おれ頭かたいなw

とーい: 何かの生彩を放つような不器用さが僕にとっての小説の魅力、まさに!!

安部孝作: 僕はネット小説殆ど読まないので、みたことない、ってことかもしれません。勿論内輪の暴走にとどまった感は否めないんです、でも、閉じてない感じがします。 >イコぴょんさん

6: エンタメとしては僕は絶対読めない。これだけは何か(今はだけど)断言します。

とーい: 6さんのことばを聞けただけで、きょうは参加してよかった。

6: でも「へた」なんですよ。それが魅力でもあるのですが、そろそろこの「へた」から抜け出してほしい。

安部孝作: いいですね、確かに。6さん素敵です >トーイさん

イコぴょん: 夢がマコトに……みたいなのも鼻白んでしまう。くそー。

6: 夢が真にも、あからさま過ぎて、逆に狙いのように思えてしまうのです…。

とーい: ですね!>あべさん

カヅヤ: 牧村さんの詩とかぶるんですが、使い古されたネタで萎えるときと、それをアリだと思うものがあって、「ベッタベタだけどそれがいい」になることもあり。

イコぴょん: ネタ自体は使い古されたものでもいいんですけどね

6: でもすいません、これを一般的に評価すべきと言う押し付けは絶対にできないのです。ぼくの個人的感想でそれを支えるロジックもまったくないです。

小野寺: カヅヤさんっていろんなものをすごく読んでますね!

カヅヤ: ネット小説的なのかどうかはよく分からないです。むしろ、高校の文芸部では他校含め、ちょいちょいこういう勢いのある作品を書く人がいたので、「懐かしいなあ・・・」と思いながら読みました。

イコぴょん: 青春とか、恋とか、大好きですよ、何を書くか、というよりどう書くか。この作品は、「ベッタベタだけどそれがいい」とはならず。みんなが妙に寛容だと思えてしまう。なんか、もうキツネにつままれている気分。

6: 「高周波もついでに発生」とかめっちゃ笑いましたねww

安部孝作: 僕はネットに出て来る、無意味な性的描写などのご都合主義をこの小説には感じなかったのが、亜種的なものに位置づけられた原因かもしれません。それはだから、寧ろ良かった。つまり純文学やらなんやらのジャンルでもなく、ネット小説という吹きだまりでもなく、亜種、これになれたと思います。つまり純文学やらなんやらの文脈に参入できる余地があったと言う事です。

そして、べたべたな表現も、僕はその小説世界の文脈次第では、生きるに違いないのです。

カヅヤ: (万年ニワカヲタですから!ドヤァ…嘘です、周囲のヲタ仲間の足元にも及びませぬ…)

安部孝作: 若さゆえの感傷的なものがこの小説にあったとしたら、ご都合主義があったとしたら、僕は論外だと思いました。

カヅヤ: (アベさんのいうネット小説は、私は「ケータイ小説」と認識しておりました。ネット小説って、ツイ文も含めての「ネット小説」だと認識しておりました。)

安部孝作: 夢落ちは、この話ではご都合主義ではないですね。むしろ夢落ちの重力に従っています。

6: そうなんですよ!>安部さん この作品は作者のそういういやらしさがあまり見られなかった。「常磐」はだすなよ!っておもったけどwでもなんかそれも可愛く読めてしまった。

安部孝作: あ、そうなるのですかね。 >カヅヤさん

となると、ちょっと表現が拙いです。

安部孝作: すみません

カヅヤ: (すみません、自分も「ネット小説ってなんぞ?」と思いながら今読み書きしていたので、「線引き曖昧だよね」という意志表示でした。)

安部孝作: (ソウデスネ、正直僕も曖昧に使ってます。これはトートロジーに、ネットで公開されている糞小説=ネット小説 と定義しておきましょう)

6: 「すごいガッツです。たぶんこの文章がマンガだったら、ここから回想シーンが入ります。」こんな文章、自分だったら臆病すぎてよういれんわ。

安部孝作: (尚且つ、ネット文脈を前提にしている)

小野寺: ネット小説っていうとネットが出てくる小山内さんの作品も入るのかなあと思わないでもない

6: あれはネット小説のパロディでは>「歌合わせ」

6 成功していたと思いますよ。

小野寺: 今回の弓返りでも出てきましたね

安部孝作: (一応、僕は、ネット文脈を前提としたネット公開されている糞小説を、敢えてネット小説と括るとさっき言ったので、一応小山内さんのは糞じゃない点で、ネット小説からはずしましょう)

神崎: その定義はあいまい過ぎる気もしますが)

安部孝作: (もちろん糞か否かはあいまいです)

6: 「ペン様!」

「ペンコ!」

 道の往来でキスを交わすやっべぇバカップルペンギン二人。つかお前ペンコって単純にもほどがあんだろ。マジで。

なんかこういうのってホント好き。

安部孝作: ネット小説を定義語とすれば、そのなかで良し悪しが出てきますね。ネット小説とはネットを文脈としてネットで公開されている小説、と糞を外せば。

小野寺: それ、すごくマンガっぽい。6さん

6: 驚いた? いらっしゃい! 不思議な不思議な、僕達の世界へ!

このラストの文章も好きです。

カヅヤ: 大学で先生が「学生が小説書いてくるでしょ? 音読させると、「キャー」とか「ドカーン」とかって言葉が、ほんと浮いて聞こえてねー、そこでようやく本人も「恥ずかしい文書いてた」って気付くんだよー」と言ってらしたんですが

安部孝作: ラスト良かったですね。 >6サン

カヅヤ: この文章、読み手がうまく読めば音読でもうけるという点で、「ちゃんとした作品だ」と思った次第です。

とーい: 音読、なっとくです。漫才ではないですが、漫才的なところもあるとおもいます。

6: よかったですね>安部さん(本当だ?!のあと一マス空けている)

神崎: そろそろ一旦締めようと思います。一言などあれば

安部孝作: あ、それおもいました。コントか漫才見てるのかなって、あるいは活動写真時代の喋る人。。(名前出てこない >トーイさん

6: みんなの評価がそれぞれの作品で別れてとてもおもしろかったです。>合評

カヅヤ: 詩の朗読イベントなんかだと、観客の笑いが止まらない作品などもあるんですが、これはそうなり得るテキストだろなと。(ただし、読み手の能力もものっそい要求されるけれど)音で聞かせて面白いというのが、   活弁師?>あべさん  ←さっきまちがえました、すみません。

イコぴょん: 最後の作品には参ってしまった。正直、上のほとんどのコメントに賛成できない。

とーい: 活動写真、なるほど!>あべさん

安部孝作: 活弁士です!そうです、ありがとうございます >カヅヤさん

イコぴょん: しかし反対を表明したところで、説得力をもつ説明をすることもできない

とーい: イコさんの正直な感想がわたしは好きです!>イコさん

イコぴょん: だから黙って見ているしかできなかった。残念。

安部孝作: 判らないでもないです。あーだこーだ言いながら僕はかなり未消化ですね。ただ自分から離れて読んでみたら、あーだこーだ出てきた気もします。 >イコぴょんさん

6: あれ、そういえば小野寺さんの作品でイコさんが驚いたことって発表されましたか。

イコぴょん: ああ、ばばーんとは言わなかったですねw

3回読んでなおめっちゃ新鮮に読めたってことです。>6さん

安部孝作: ツァラの詩で「わたしは詩を書く、だけど笑うな」っていうのがあった気がします >カヅヤさん

神崎: ここでいったん締めますお疲れ様です