日時 5月3日(金)21時~23時30分
ホスト 6
参加者 うさぎ、る、小野寺、カヅヤ、日居、尾崎枕、ふかまち(見学)
■「ヒトリと一人」(Rain坊)
6: 5月3日合評会会場です。
6: それでは始めたいと思います。本日は1作品45分想定。最大延長50分と考えています。時間も短いので遠慮なさらずどしどしご意見お願いします。では9時5分~スタートで「ヒトリと一人」から行きたいと思います。じぜんに感想を用意している人は貼り付けてください。
る(shiroyama): すみません。手ぶらです、、
枕 尾崎: 尾崎です、ちょっと仕事が片付いていないのでちょこちょこで参加します。すみません
る(shiroyama): 作者いらっしゃらないんですね。
6: 「ヒトリと一人」
文章が読みやすくてどんどん読めた。心理描写に置いても錯乱した語り手の気持ちがよく伝わっていた。しかし幽霊オチのお話はこれまでも沢山存在してきたようでどこか既視感があり全体として物語のレベルで見たらもう少し凝ったものを読みたかった。文章には魅力があるので最後のネタ的な落ちに走らずに落ちがあったとしても、それに焦点を合わせるんじゃなくてもっと文章で流れている「現在」を優先して物語を進めてほしいと思った。伏線なども巧く張られていたのでこういった文章・手法でさらなるアイデア作品を期待したい。推理小説はラストが洗練されたものが多いと思うのでそういったものから何かを得ることもできるのではないかと思った。
日居月諸: やられました。初見殺しってやつですね。エレベーターという閉鎖的空間と、
オクテな主人公の自閉的な心境をアナロジーにさせているところも上手いし、
伏線の張り方も実に巧み。自問自答の心理描写も抑えているところは抑えているし、
時に文章の形式をぶった切った改行、大げさな笑い声などなど、オチがわかってみれば、
尋常ではない主人公を表現する方法として、ふさわしいものだったと思う。
…そうした賛辞を述べた上で、ないものねだりを言えば、極めて行き届いた答案でありすぎるがゆえに、オチを読む前までは退屈さえ覚えました。短編だったからオチの納得感に全てが打ち消されましたが、自問自答を繰り返した末に自分なりの正答に行きつく、という筋立てはありきたりである……エレベーターに閉鎖されたまま他人を知らず(知れず)に、自分の内面にひきこもることだけを知った人間の末路であることを思えば、悲哀さえ感じさせるけれども。..
カヅヤ: 編集作業中にオチを先に読んでしまうという大失態をしでかしたため、知らずに読んでいたらどう読めたんだろう…という悔しさを噛みしめながら読みました。
きよらさんに惚れこんでいる描写が、ほんとに丁寧で、恋っていいなあ…!と思いながら読みました。後半で主人公のストーカー的な思考回路が明らかになるにつれて、この丁寧な描写も伏線だったのか、と納得。人によっては気持ち悪さを感じるのかな、とも思ったのですが、一読したときは甘酸っぱさがすごくかわいらしく見えました。
その後の、主人公の自己分析やパニック障害への連想などは、もっと主人公の独白を聞いていたいと思うくらいに共感しながら読んでしまいました。
主人公の思考回路のおかしさが、じわじわと明らかになって行く流れが面白かったです。
無理もなく、説得力もあって。最後の一文でぞっとさせられました。あの一文で、話のその後が頭の中に広がって、綺麗な完結にならない。
うさぎ: Rain坊さんの仕掛けた罠に見事に自分がはまったと思いました。
主人公が幽霊というのは、パターンとしてはありきたりですが、
主人公が暴れる件を読み返した時には、「確かにその状況は怖いわー」と共感しました。
もうちょっと幽霊の伏線は前半に欲しかったと思いました。
る(shiroyama): 主人公の、暴走っぷりをおもしろおかしく描く、ってのがこの文章の趣旨だと思いました。率直に言ってしまえば、その文章が楽しめない。作者の努力は感じるけれども、読者に「おもしれぇ!」と思わせるにはもっといろいろ必要だと思う。
6: 賛否両論だけど、みんな似た感想とも言えますね。伏線はオチを知らない状態で読むと、なにこれ?ちょっと心理描写としては無理がないかなぁって思うんだけどすべてがあきらかになったあとで読むと納得できるんですよね。いまは夏なのに震えてちゃおかしいだろってひとりつっこみとかしててあれは本当に幽霊ならではって感じがしました。
小野寺: 読みやすさと言う点では今回作品中で最も読みやすいと思う。校正担当だったのでひっかかる文章が前半に多かったけれどもそれは伏線だったのであえて直さなかった。でも本来ならばひとつふたつくらいはいいけど少し多いかもしれない。主観と客観の同時成立を幽霊と言う設定で行ったのは興味深い。ただ主人公は好きな人を閉じこめるにとどまらずうじうじした感じがもたらす感覚が自分にはちょっと理解しがたい。あと「うひゃひゃひゃ・・・」が長く続くのもいくら錯乱したからってこんなこと言うか?って思ってたのですが、2回目読んだ時は納得できました。そのあたりはみなさん共通してよかったとおっしゃっているのかな。
日居月諸: 1ページ目の途中で文体が変わるでしょう。
枕 尾崎: 確かにすごく変わりますね。
日居月諸: 「……ええっと、なんだか~」のくだりからそれ以前の叙述は極めてナイーブですね。腫れものにさわるかのような、あれで押し通してみたらどうだったろう、と思う。
こういう、言ってみれば、ラノベ文体で書くには、題材が真剣過ぎたと思う。ナイーブなままだったら、最後の台詞がきっと極めて浮き立ってくる。
る(shiroyama): ほんとうだ、変わってますね
6: 変ってるなぁ。
る(shiroyama): 最初の方は好みかも。
日居月諸: ラノベ文体のノリツッコミ口調は、大抵他のキャラが奇抜だからこそ成り立つんですね。そうじゃないとついていけないから。主人公も、読者も。
うさぎ: わざととか、文体変わる前が前口上的なものじゃないのかな?
6: でも僕は変ってしまっててよかったと思えるけどなぁ。フットワーク軽い語り口でユーモアを孕みつつなので興味を持続できる。一面的な文体だと単純な枠組みの物語だけに途中で飽きてしまったのではないかと思います。
日居月諸: この作品の場合、きよらさんがずっと黙ってるから主人公の独りよがりを見せられ続けてるわけで、げんなりしてくる部分もある
6: 改行の仕方などにはセンスを感じた。そのげんなりしてしまう部分を文体の面白さが緩和できてるんじゃないかなっていうのが僕の感想かな。
る(shiroyama): [2013年5月3日 21:16] 日居月諸:
<<< ラノベ文体のノリツッコミ口調は、大抵他のキャラが奇抜だからこそ成り立つんですね。なるほどなぁ、と思いました。
日居月諸: つまり、主人公の挙動に反して、外側では何も激動は起こっていない。構造と文体が乖離してしまっている
日居月諸: 文体を変動させても、外側が動かないと、結局読者は一面しか見られないことになるんです。複層的にするには、外側も動かさないといけない。
6: なるほど。しかしそうなのかなぁ。いまいちまだ納得ができない日居さんの方法論で書かれたものが面白くなるのだろうかっていうのは疑問点です。
日居月諸: むろん私は文体と構造が有機的に組み合わされてるものを好むからこういう感想を述べるわけです。
6: ふかまちさんが見学に来てくれました。
日居月諸: (こんばんは)
ふかまち: こんばんは
6: こんばんは
日居月諸: それがRain坊さんにとって有意義な意見であるかは別です
る(shiroyama): こんばんは
うさぎ: こんばんは
カヅヤ: [2013年5月3日 21:16] うさぎ:
<<< わざととか、文体変わる前が前口上的なものじゃないのかな?↑ 遅レスになっちゃいましたが、自分はこれ同感です。
る(shiroyama): わたしが感じた、文章の停滞感は、外の世界の起伏の無さから来る、主人公の過剰な語り、と思うとなんとなくしっくりくる。
日居月諸: まぁ、構造と文体が乖離していることが、幽霊と現実の人物の乖離と相即している、と見ればいいかもしれない
る(shiroyama): それはあまりにも無理があると思う>日居さん
日居月諸: この意見で作品を肯定しきれるとは思ってませんけどねw
6: ラノベのクールなのりツッコミ文体、というのははちゃめちゃなキャラがいろんなことをしていてそれを物語にくみこむというか、河の本流に戻して行こうとするような役割をもっていると思うんですよね。ハルヒもきょん?がいないとあっちこっちいってしまって収拾がつかなくなる。だから乗りツッコミの文体がそうした事象をとらえてまとめていくのは一つの役割としてあると思うんだけどこの作品をそうした成功例のひとつと同列に語るのは何だか不適切な気がするんです。物語内容と文体とがそう則していないと面白い小説は生まれないのか。と言うことに対してとても興味深いと思う。しかし乖離が「妙」な小説もいくつもあると思うんですよね。だから動的な世界が外にないからこの小説が面白くないという批評に対しては何となく共感しにくいかなぁ。
カヅヤ: ラノベはあまり読まないので、ノリツッコミの在り方については詳しくないのですが、マンガではけっこうモノローグのまま暴走する読み切りを結構みるので、それ自体には違和感なく。
演劇だと一人劇で延々ノリツッコミみたいなものもあった、気が、たしか。
る(shiroyama): [2013年5月3日 21:29] 6:
<<< だから動的な世界が外にないからこの小説が面白くないという批評に対しては何となく共感しにくいかなぁ。逆です、面白くない→原因を探る→外の世界の動きがないから、という推論。
6: でも僕もこの作品に対しては「徹底」がまだされていなくてもっと「徹底」してほしいなぁと思います。
日居月諸: 私はアイディアは極めて優れていると思う、だからそれをもっと活かしてほしい、という立場です。
カヅヤ: あ、そっか。外に限らず、主人公の独白の中にも、「回想」みたいな、「外が内面化されたもの」が入ってないんですね。それで動きがないように見える?
日居月諸: なるほど>「外が内面化」。主人公は自分のダメさ加減を重々織り込み済みですね。おそらく彼にとっては長年悩み続けて、ある程度の解答を導き出していた問題だったでしょう。整理されているから、というか読者にとっても何をすればいいかわかっているから、結局こうなるんだろう、という予定調和感がある。主人公にとって(きよらさんとの出会いは予想外だったけれど)予想外の事柄はないわけです。なにをすればいいか、おおよそわかっている。後は行動に移すのみだった。
カヅヤ: 構造云々まで思いは至らないのですが、個人的には「回想」のような形で「絵」がイメージできる描写が入ると、作品に彩りがでてよりメリハリが出るのかなあと思いました。
6: 恋愛要素がオチを見せるためのつなぎになってしまっていたと言う感じはしました。予定調和というのは作者の持っていきたい方向に登場人物や事物を配置した漢字はありますね。自分としては(カヅヤさんはご存じかと思うのですが)『式の前日』という漫画におさめられている「10月の箱庭」のような世界をつくりあげてほしかったかもしれない。幽霊であることを受け止めてそれでも恋愛するにはいかにしてするか。そうした困難と闘う文章が読みたかったのかもしれない。
うさぎ: 話がちがうかもしれませんが。
この作品にとって偶然性なんてないんじゃないかな。全部、作者の予定調和で作っているわけで。ただ、それを黙認できるかできないかじゃないのか?
そもそも、主人公が幽霊である事実が重要なんじゃないかな
6: どういうことですか、うさぎさん。
カヅヤ: (「10月の箱庭」はあまり好きじゃなかった、と完全に横の呟きをしてみます)
うさぎ: ミステリー小説のパターンで当てはめれば、物語はただの設定であって意味はそんなにない。
むしろ、その中で起こったこと(トリック)が重要なんだと思います。
日居月諸: 機能が大事なんですね
うさぎ: そうです
うさぎ: だからって、物語を軽視するわけじゃないですけど、トリック(アイデア)を重視するか物語を重視するかは個人の好きずきですけど、
自分は、トリックがよかったと思ってます。
6: なるほど。ではそろそろ一作品目を閉じたいと思いますが言い残したことはありませんか・・・。
る(shiroyama): わたしとしてはもっと小ネタをばんばん入れてくれたら楽しめたかもしれない。マニアックなネタでもベタなやつでも。それくらいです。
カヅヤ: 6さんの言う「徹底」というのは、主人公の内面をもっと深める、というようなことかと思うのですが、自分はネタが面白くて読者が失速せずに読めれば、という感じなので、もっと彩りがあってもよかったかな、という程度です。全体楽しく読めました。
■「風が吹くたび春が来る」(日居月諸)
6: では「風が吹くたび春が来る」に移ります。感想をどうぞ!
日居月諸: よろしくお願いします
6: 「風が吹くたび春が来る」
基本的にこの小説には好感をもって読んだ。なんだろう。日居さんから事前に聞いていた情報抜きにしてもわたしもこの小説を読みながらなぜか元気が出てきた。
小説が答えの出ない新しい思考実験をすることは保坂和志の本などを読んで知り、僕自身もそういう小説に魅力を感じてきたがこの小説もまさにそういった小説の中に入るのではないか。絵画を通して物体と現実の関係や、芸術感を語ろう…いや考えようというしぐさが見られて面白かった。
最初の、中原と嵐のイメージの連携はとてもよくできていてこういう書き方もあるのかと勉強になりました。かつ過去のエピソードをさりげなく持ってきていたのも良かった。
また美容院の理沙が登場と共に長いセリフを言うのもよかった。あの長いセリフで理沙の性格や、中原がどんな女の子なのか、関係性はどうなっているのかなどさまざまな情報源が詰め込まれていて、それをあっさりと会話で説明できていたところに作者の巧さを感じた。そう、この小説の巧さとは文体は決して美しいものではないのだけどひとつひとつ言葉を吟味しながら、手ぐせや一般的価値観を表した紋切り型の表現にならずにしっかりと書いているところだと思う。そういった足並みに何だか元気になれたのかもしれない。
サロペットスカートを穿いた中原。ドルマンニットを着た悠。
二人は対照的なイメージで出てくる。中原が未来。悠が過去として。中原にはその思考にさまざまな示唆を受ける桜井。それに対して悠とは巧くコミュニケーションをとれていなかったことに反省する悠。最後に悠に戻ってしまうのか、やはりイイ女に男は弱いのかとどきどきしながら見守ったが「大勢で」という応えに対して痛快な気持ちを持つことができた。
小説に対して真正面から向かい合い、何か新しい風をつかんだような本作に対してもっと具体的な場所や、空間構成などの細部を求めるぐらいで特に言いたいことはないのかもしれない。あるとすれば名前の付け方については「中原」はその固有性というかその人物らしさを感じることができたが他のキャラクターの名前の付け方がやや浮いている気がした。個人的な感覚かもしれないが。僕は前作より好きです。こっちの方が。
カヅヤ: 恋愛にまで至らない、あるいは恋愛から一歩引いたところの男女の距離感というのが元々好物なので、楽しく読めました。
大学の友人が彫刻家の助手になっていたり、高校の先輩が風っぽい抽象画を描いていたりと身近に符号点が多くて驚きました。
山の手言葉がもともと苦手なのですが「~わ」というのは、ちょっと違和感。そこ以外の会話文がとても自然だったので、逆に気になってしまい。
「横を向いたまま」でも思ったのですが、記憶がいったりきたりするかんじの文章が好きです。
女子二人の漫才めいた掛けあいを見ながら、花作りを思い出す描写など。「今」と「過去」の織り交ぜ方がすごく気持ち良い。
自分もそういう書き方を目指しているので、軽い嫉妬を覚えながら読みました。
主人公と中原の思考の違いと、それについての主人公の考えというのがカチっと書けていて、読んでいて充実感がありました。
主人公の目線、物事の捉え方、考え方、ツッコミの入れ方等が(良し悪しでなく、私個人の好みとして)気持ち良かったです。
ただ、「イメージが頭を離れない」という状態がどういうことなのか、いまいち掴みづらかったです。
あえて漠然とさせている、漠然とするしかないのかも知れないけれど、他の事象をとても丁寧に取り上げて分析しているので「イメージが」という描写の唐突さ、あっけなさが浮き上がり、気になりました。
「また過ちを犯してしまう可能性が生まれなくてよかったと~」
↑この一文だけを見ると、普段の私なら「何さまッ!!」とヒスを起こしてキレてしまうようなフレーズなのに、前後の文章のやりとり、主人公の現象に対する分析が丁寧で、主人公の考え方に納得しながら読んでいたので、この一文にも納得してしまいました。最後の描写がとても素敵。
カヅヤ: (あと、触発されて秒速観たけど、びっくりするぐらい何も感じませんでした…)
日居月諸: (感じませんよねw)
る(shiroyama): 宣伝文でも書きましたが、存在的/存在論的 という対比への問い、というのが絵画鑑賞に託されていて、それ自体単独としては面白く読んだ。けれども、果たしてそこで得られた考察、見識が、物語に何か異化を与えているか、と問われると、ここは薄いと思う。多分思想的な問いに期待してた読者は裏切られる。
一方で、日居さんは(今回の6さんもだけど)他者や、外界にたいする描写が巧い。前回の作品でみられたようなはっとする描写はなかったけど、安定はしていたと思う。まあまあ
6: (服装は出てくるたびに画像検索していた・・・。服装とキャラがあってましたよ)
日居月諸: (やったね)
小野寺: 人間関係自体は込み入っているが感情的にはむしろすっきりしていて、若干物足りない気もした。元カノというとドロドロしたものをイメージするけれど本作では桜井と他三人の女性の間に距離があってそれが平行線をたどっているように思えた、文章が何かを感じさせるように回廊のようにも思える。画家が添え物ように感じた。
る(shiroyama): 前作と比較するとやはり前作のほうが良いです。ただ実験的なことをしているので、この路線じゃダメだよ、とはいえない。
6: 元気になれる小説と言うのはめずらしいと思うんですよね。僕自身があまり元気になれる小説を書いたことがないから、この作品には惹かれました。
日居月諸: (語りづらい小説ではあるよなー、とは自分でも思います。自分自身でも印象的な紹介しか出来ていないし)
6: しかし僕は服のセンスはよかったと思うのですが名前のセンスはいただけなかった。
ジョーとか悠とか理沙とかが服のようにキャラにぴったりとした感じは受けなかった。
カヅヤ: 文章は前回より読みやすかったですすごく。
日居月諸: (実のところを言うとこれは昔書いた作品の設定をそのまま使ったものなんです。内容に込めた意図はともかくとして、新しく作った設定が固まったものと捉えられて、昔の設定が実験的と捉えられるのは筆者としては非常に不思議なものです)
カヅヤ: [2013年5月3日 21:59] 小野寺:
<<< 人間関係自体は込み入っているが感情的にはむしろすっきりしていて、若干物足りない気……
自分は、この点はむしろ好意的に読めたのですが、同時に軽く「爆発s(ry」と思わないでもなかったり。それだけ理想的な構図でした…すごく…(プルプル
日居月諸: (今回はサラっと書けましたしね)
カヅヤ: 自分はあまり実験的とか思わなかったんですが、実験的…になるんですかね。捉え方次第?
る(shiroyama): [2013年5月3日 22:04] カヅヤ:
嵐のくだり、絵画のくだりで、ハイデガーかぁ、これ小説に巧く組み込めれば相当おもしろいだろうなぁー、と思いながら読みました、そういう意味で実験的と思ったのかもしれません。
6: 小説の世界は恋愛もインフレだから激しいことがぽんぽん起こるけどそれらを呼び込まずに読ませる文章を書いたのは良かったですね。感想にも書いたけどあの嵐?と一緒に中原が登場するシーンは「描写」って感じがしました。嵐をあのようにつかえたところが羨ましかった。るさんのいうように考察や見識は何の答えもださない。でも僕は無理して答えはださなくてもいいと思っているし結論よりも考える過程やきっかけの方が小説らしく感じるから、この書き方で良かったと思っているなぁ。
6: 何も起きないという意味ですごく保坂和志の小説を感じるのですが、(あとその思想も)そのあたりは日居さんはどうですか。似ていると言われたら嫌かな。
日居月諸: (昔この設定を作ったのも保坂がきっかけなんですよ。その一端が覗けたとしたら、必然だったんでしょうね)
6: 小説の中で女性(男にとっての他者)というものを出す時に自分も一応、いろんなことを気にかけるのですがこの小説には悠と中原という二人の中心的な人物がでてきて、二人とも主人公桜井が持っていないものを持っていて魅力的に書けていたと思います。なかなか可愛い女の子を書くというのは難しいと思うんですよね。
カヅヤ: 保坂はカンバセイションしか読んだことがないのですが、似てるとは感じなかったです…。保坂作品は苦手だけど、日居さんの作品は読める。
6: 方法論が似ている気がするんです>カヅヤさん
る(shiroyama): [2013年5月3日 22:07] 6:
<<< るさんのいうように考察や見識は何の答えもださない。でも僕は無理して答えはださなくてもいいと思っているし結論よりも考える過程やきっかけの方が小説らしく感じるから、この書き方で良かったと思っているなぁ。わたしがひっかかっているのは、意図的に答えを出さないのではなく、いつのまにかそんな問いなんてなかったことになってると思われたことでした。
6: なるほど。
日居月諸: (ああ、まったくもって・・・)(あと、自己分析をするようですが、他人への目配りは行き過ぎると窃視スレスレになるから、褒められたら褒められたで結構困るw)
枕 尾崎: (何も発言できていません。お仕事終わりそうにないので、申し訳ないのですが、尾崎離脱します。)
カヅヤ: (お疲れ様です>尾崎さん)
る(shiroyama): (お疲れ様です)
小野寺: 尾崎さんおつかれさま
日居月諸: (残念、お疲れ様です。)
6: (がんばってください。)
6: センセイという存在がたしかに空白となっているけど、これはどうですか。みなさん、このセンセイという存在に対してはどう思われただろう。
小野寺: センセイは嫉妬心が見え隠れしていると思いました
る(shiroyama): センセイの嫉妬心、というのは気になります、
6: だれのだれにたいする嫉妬心ですか>小野寺さん
る(shiroyama): わたしはまったく感じなかったので。センセイの嫉妬心、というのは気になります。
小野寺: 先生に、桜井が嫉妬しているように思ったので理沙と中原の心を掴んでいるようですしで、理紗と話している最中に、急に僕という一人称がそれまでなかったのに多用されているのが気になりました。
カヅヤ: センセイを完全に友人(彫刻家アシスタント)の先生や東山あきこの先生(エッセイコミックに出て来る画家の人)に脳内変換しながら読んでしまったので…完全に別物に…
る(shiroyama): わたしはセンセイに嫉妬するほど、主人公が中原に執着しているように
読めなかったのですが面白いですね。
6: なるほど、いろんな感想がでますね。
日居月諸: (嫉妬は意図しなかったところですし、見た目の爽快さに反して意図しない毒めいたものが覗いている部分はあると思います。カヅヤさんに指摘された「過ちを~」のくだりとか。そういう面で、色調が一定になっていない)
カヅヤ: (見た目の爽快さ…)
日居月諸: (あれ、ない?w)
カヅヤ: 日居さんの自己分析に対して「ですよね!」ともろ手を上げて同意を示したくなってしまったのですが。自分は好きだし、みなさんの感想見る限り、「この作品の読者層」にはおおむね好意的に捉えられそう、と思ったのですが確かにこれ、「想定しない読者層」(という表現も変ですが、なんといったらいいのか)には、「主人公考え過ぎ見過ぎだよね…」と感じる人は多いだろうなぁ、というのは、思いました。が、それは個人差というか層差というか、それが悪いとかいいとかじゃ全然なく、自己分析以降の呟きに対して。そういう層がいることを想定した上での、主人公への「そうだよね、そういうの考えるよねよく書いてくれた!」っていう共感。
カヅヤ: そういう、意図的な排他感を抱きながらの読書だったので、「爽快」という語が自分の中でしっくりこず、反応してしまいました。
日居月諸: (なるほどー)
る(shiroyama): 日居さんに限ったことではないのですが、主人公が人畜無害の感情移入型になることが多いように思いました。そこはなんでなんだろう、といつも疑問に思ってました。
カヅヤ: 人畜無害っていうのは、主人公が他の登場人物に対して?それとも、主人公が読者に対して無害という?
小野寺: 読みやすさと言う点からいうともう少し回想の場面などは短くてもいいかと思いました。
る(shiroyama): 前者です>カヅヤさん
小野寺: 描写のメリハリがないような
小野寺: ただメリハリつけると日居さんの良い部分がそがれるかも
る(shiroyama): いや、どちらともいえるかもしれません
カヅヤ: 日居さんの作品から離れてしまうけれど、自分は「客観的な視点を持ちながら悪意なんかを描きたい」と思ってしまうとき、語り手である主人公はどうしてもニュートラルな位置付けにせざるをえない、という感じになることがあります。
カヅヤ: もちろん、そんなことしなくても描写できるとは思うのですが、読者に対する防衛意識が働いてしまう。なるべくニュートラルであろう、書き手はニュートラルな目線を持っているよというアピールをしてしまう。
カヅヤ: (という、完全な横道でした!失礼をば!)
る(shiroyama): なるほど。いつかカヅヤさんが書く、完全な人外の主人公をよんでみたいきもします。
■「木の翼」(る)
6: ではここまでにしたいと思います。次に「木の翼」。感想をお願いします。
日居月諸: ありがとうございました
る(shiroyama): よろしくお願いします。
6: 「木の翼」
これまでのるさんの作品は奇抜なものが多かったがまとまりのある形をとった本作はとても読みやすく内容としても奥深いものがあったと思う。遊んでいる明を見ていて、かつての旦那さんを思いだす文章から一点、明のなかに自らをみつける切り替えが面白かった。文章としても日居さんの小説に対しても言ったけれど「何かを考える」姿勢みたいなものが伝わり良い印象を持った。題材について「自動改札機」や「フランス革命」という小道具や譬えがほんとうに伝えたいことを伝えるのに効果的だったかどうかは疑問点。
ゲーテやフロイトやノヴァーリスが多用されることも使われ方としては巧かったし、それ以外の文章に置いても評価したいところはあったんだけどこれだけ出てくると何やら衒学的なイメージを与えてしまうので、どれか一つにしてもいいのではないかと思った。文章は非常に好みなのでこの路線でさらなる飛躍を願う。
日居月諸: 校正の段階でご本人にはお伝えしましたが、「木」に代表される定住のイメージと、
「鳥」に代表される遊牧のイメージが、極めて上手く対比されている作品だと思います。
死別した夫、常識からは少し外れた息子の言動(彼を通して幼い頃の「私」の言動を思い出しているから、
失われた記憶へのノスタルジーが具現化した存在ともとれる)、一時的に「私」のもとから離れ、
そして戻ってきた幼馴染。こうした、あたかも気紛れに枝に止まっては、
やがて離れていく鳥のような人々を、「私」の愛惜のこもった目線を通して丹念に描けている。
引用も上手い。通常引用というものは、もとはと言えば独立している文章を潜り込ませるのだから、
浮いて当たり前なのだけれど、それに個人の記憶に添える形で引いているから、バランスが取れている。
更にはこうした、完全には引用しきらず主人公のもとにたどり着いた想念だけを語るという巧みさが、
先程も述べた「鳥」のイメージと重なって、物語の情感を高めることにも成功している。
一見して単なる温かみのある物語と取られそうだけど、上述したように、
文章、道具立て、人物と人物のつながり、全てにおいて計算されきった見事な作品です。..
カヅヤ: るさん、こういうのも描けるのか!とまずびっくり。
これを「独り言」と同じ紙面にのせるあたりに作為を感じるのですがそのへんどうなんでしょうか>るさん
全体、すごく自然に、滑らかに読み進められました。
冒頭部分の連だけが「男性が書いた文章」のように感じてしまったのですが、それ以外は違和感はなく。
ラストが時間的に近未来(読者にとっての)になる?のがちょっと気になりはしたのですが、これは単純に好みかもしれず。
「明が似ているのが私であることが悔しい」という感情の描写が好きです。
ぶっちゃけ海外文学ないし詩のことはさっぱり分かりませんが、文章の中にさしはさまれる文学作品の描写もくどくなく違和感もなく、さらっと読めました。そして、実際にその文学作品を読んでみたいと思わせる程に魅力的に書かれていました。こういう挿入の仕方は、自分にはしたいけどできない類のものなので、羨ましい。
うさぎ: 物語全体は好みですが、主人公が詩に詳しいところがひっかかってしまいました。
「主人公に好きな詩人は?」と意地悪な質問をしてしまいそう。
エピソードとして詩を入れたのか、詩の知識を入れたいからエピソードを入れたのかと深く考えてしまいした。
小野寺: 女性の視点がなんとも女性的には思えないけど、それをさしひいても印象に残る、頭の中に場面の浮かび上がる語りをしているとい思います。これは描写ではないんだけど語りの力によるものなのだろうか?あと自分としてはなんらかのエピソードでそれなりの結末をつけてほしい気はしました
る(shiroyama): [2013年5月3日 22:37] カヅヤ:
<<< これを「独り言」と同じ紙面にのせるあたりに作為を感じるのですがそのへんどうなんでしょうか>るさんえへへ。
カヅヤ: ハハハコヤツメ。
カヅヤ: 日居さんの感想読んで、「木とか鳥とかそういうことか!」って気付いた鈍い子は私です…。
日居月諸: (るさんから意図は訊いてましたからね、カンニングですよ)
る(shiroyama): [2013年5月3日 22:39] うさぎ:
<<< エピソードとして詩を入れたのか、詩の知識を入れたいからエピソードを入れたのかと深く考えてしまいした。作中に、主人公は詩が好きだ、と言わせて、好きな詩人はハイネやアイヒェンドルフと書いたんですが、これ、「放浪記」でふみちゃんが言った台詞と同じなんですよね。ちょっと作為的だったかもしれません。
うさぎ: なるほど、わかりました
6: 「」が改行をともなって現れて、そのあとの地の文が注釈みたいな形で会話の説明をしているのって何かありそうであんまりなかった書き方の気がします。この改行ともなうパターンはとくに。
る(shiroyama): [2013年5月3日 22:36] 6:
<<< これだけ出てくると何やら衒学的なイメージを与えてしまうので、どれか一つにしてもいいのではないかと思った。固有名詞を出すか、「精神分析の人」とかで濁すか、考えたのですが。結局固有名詞にしました、ちょっと論文じみた印象を与えてしまったかもしれません。
6: 何かこの女の人が普通の人に見えなかったのは僕もです。伸宏のあくびのエピソードはいいですね、何か現実感があると言うかあり得そうな気がしました。
カヅヤ: (実際にお子さんのいる女性が読者にいたら、なんかもっとリアルな感想が出そうな気がするのだけれど、子供の描写も違和感なかった)
カヅヤ: 木の名前が違和感なくぽんぽんでてくるのもいいなあと思いました。植物の名前ってうまく使えない。
カヅヤ: とくに木なんてみんなカタカナなのに。
日居月諸: 名前だけでなく人物の言動と上手く連関させられているんですよね
る(shiroyama): (日居さんの感想を読んで、もっと鳥の意匠を全体にちりばめられたらな、と反省しました。木には詳しいのですが、鳥はちょっと門外漢で、巧く使えなかったです。)
日居月諸: 確かに鳥は使えたかもしれない。そうしたらもっと世界観が広がったと思う
日居月諸: この小説の良いところは何の変哲もない個人が、(自然を含めた)他者を通して色んなものとつながっていける、という広がりを作り出せたところにあると思うんですよ
日居月諸: 哲学的な議論も、詩の引用も、それに含められる。誰かの見ているものが、他の誰かの見ているものへとつながっていく
日居月諸: ただ、広がっていくだけではなくて、ひとところに収まっている感覚もしっかりと描けている。つまり、身近な人がいてこそ、というところが出せている
る(shiroyama): (6さんが指摘された「」と改行の扱いなのですが、これからの課題にさせていただきます。)
6: 花す、話す、放すということが語られているけど、これはさっきの考察とか見識の話で言えばひとつの答えを出しているように見えるし、はっとすることもできた。
6: 「言葉を話すことは、同時に言葉を放すことでもある」
6: この一文とかそれの前に繋がる文章って言うのは何だか多和田葉子のエッセイを読むような感じも受けた。
6: 人間が語る前に考える前に自然とか既に使われている言葉が答えをもっているというのは、すごく何だろう・・・考えることの楽しさにも繋がると思う。
カヅヤ: (改行については、るさんの元の文章がメモ帳の横書きだったので、縦書きになったら印象が変わってしまうだろうかという心配がありました、編集時。実際は、縦書きでも綺麗に見えたので、おおっと思いました)
6: 母親目線が過去の文学作品やエピソードを交えながら、文章の中に織り込まれているのもよかったですね。何か褒めてばっかりだけど・・・。母親目線とか自分にはなかなか書けない。
6: よく現代文などを教える時に西洋は自然は人間と相対するものとして考えて、東洋の場合は人間はいかに自然と調和するかを考えてきたという前提を持って話しをすることがあると思うのですが、
6: 本作品の場合引用する文章はことごとく西洋的なるものなのに、それを東洋的な意識に置き換えて読解している。
6: 引用もとに対する新しい見識というようにも見えたところがあります。何か不思議な小説ですね。つくづく
6: 後半はその引き出しの多さとか譬えの的確さに驚くのですが最初の方のマトリクスとか自動改札機に関するところとか、フランス革命のたとえとか同じ小説とは思えないぐらい何か変な気がしました・・・。
6: あれはなんだったんだろう。
小野寺: 私はマトリックスの木と言うのは非常に感心しました
小野寺: 仏蘭西革命もいいけど
6: 自分だけかな何か変に思ったのは。
カヅヤ: 自分は自動改札機なんかは好きでしたー。
カヅヤ: 最初感想にも書いた通り、初めの連(?)だけが男性的に見えたのが気になりましたが。
小野寺: ま、好みの問題だと思います
る(shiroyama): (前作の日居さんの作品でも言及がありましたね、「男性的」。ちょっと研究したいところではあります。プロの作家がどういうふうに女性主人公をスムーズに描いているか。)
6: そういえばこの小説はこの短さでありながら段落がすごく多くて時間が一気に飛んだりするところとか落ち着いた筆致に見せながらも結構思いきったことをしていると思うのですがそれを感じさせない、変に思わせないところはありました。辻褄というのか、何だか平気で進んで言っていて驚いています。
日居月諸: 女性をどう書いたらいいかは常々つきまとう問題ですね
カヅヤ: でも、一行あいたあとの「息子は~」から以降はすんなり読めたので、男女というか、冒頭だけ妙にかしこまったように感じたのかもです。
6: そうですね、冒頭が少し浮いていると言うのはあるなぁ
6: 女性語り手って難しいですね。自分もあまり書いたことはない。
6: この小説のような結構、年上の女性を書くのはびびってしまうところがあるなぁ。
る(shiroyama): (冒頭部分、孫を授かる年齢の女性という設定だったので、ちょっと硬くかいてしまったかもしれません)
6: (そういえばこの引用の詩には「。」があるんだけど、詩あんまり詳しくないものからすると珍しい気がしました。でも良い詩ですね)
カヅヤ: あ、そうだそれ!最後に年齢がぐっと上がるので、そのへん難しそう…とは感じながら読みました。でも、それも上品にまとまっていて…。
6: みなさん、そろそろお時間ですので心残りないようどんどんお願いします。
る(shiroyama): (拙訳だったのですが、ドイツ語でピリオドがうたれてるところは「。」を使用しました。ただもう少し読みやすいよう、多少の意訳をしてもよかったかもしれませんね。)
6: るさん訳なのね、すごい
カヅヤ: 自分、テレビないんでメディアが基本NHKラジオなんですが、あれ年齢層さまざまなお便りが読まれるんですよね。おばあさまでも若々しい内容だったり、年齢きいてびっくりするような話だったり…。
日居月諸: このラストは全体の総括をするものとして素晴らしい文章だと思います。全体の構造も説明しているし、主人公の感情も表現している。ラストを描くのが苦手な人間としては羨ましい限りで
カヅヤ: なんとなく、そういうのを思い出すような、丁寧な文章でした。
カヅヤ: こんなお母さんいいなあ!って思いました。
6: ではこのあたりで終わりたいと思いますが何か最後に言いたい方はいらっしゃいますか。
る(shiroyama): みなさまどうもありがとうございました。たくさん参考になる意見を頂きました。
6: ではこれにて終わりにしたいと思います。ありがとうございました!