【Twitter文芸部4月合評会 1日目】(4月14日 21:00~)
ホスト:常磐 誠
サブホスト:イコぴょん
イコぴょん: では4月号の合評会をはじめます
●大羽左膳 「四年」 (月刊twitter文芸部2012年4月号No7)
イコぴょん: みなさん率直な感想教えてください
牧村拓: まず基本から僕はこういう詩は好きです。ただ未熟であると思うし、正直見ていられない部分もある
小山内 豊: たとえばどのようなところですか?
牧村拓: 好きな理由としては、書き手の衝動であったり感性であったり、そういった点が表出してくれているところがいいと思います。 逆を挙げれば、軸のぶれであったり、リズムの悪さを挙げます
小山内 豊: リズムは悪いよね。意図してやっているんでしょうけど、稚拙に感じた。
イコぴょん: うん、自分も今回の左膳さんの詩は、短歌にくらべて、稚拙さが際立ってしまったと思ったな
フランツ: リズムの悪さなのか、なんなのか疑問だったんですが、「音読」ができそうにないと思ったのが第一印象でした
小山内 豊: 祖父に対する信頼か親愛(未満かな…)が仄見えるところはよかった。
牧村拓: そこが僕もひっかかった、音読できないという点は痛い
小山内 豊: それはでも詩の出来とは関係ないですけど。
イコぴょん: 問題提起
【詩において音読できるかどうかは重要か】
牧村拓: 僕は重要だと考えます
カヅヤ: 大正の前衛詩は、分からないけど好きです。
小野寺: どうなんですかね
フランツ: 重要だと思います。やっぱりリズムがないとなぁ、と。それが音読かな、と。
牧村拓: 音読というか黙読?リズム感というのは特に大切にしてあげたい
小山内 豊: 音読にはこだわらなくていいように思います
カヅヤ: 記号入り乱れの作品をムリヤリ音読した動画があったのですが、それはそれで爆笑ものでアリだなと思いました。ただしネタとしてで、文学作品としては良くわからない。
イコぴょん: リズムは意図的に壊してんのかな
牧村拓: 意図的だとは思います、ただ成功しているかといわれれば僕は頷けない
イコぴょん: 感情の破片が、ぐちゃぐちゃなまま、無理やりつなげられた印象だな
フランツ: 感情の破片のぐちゃぐちゃ感を意図して出そうとしてるなら成功かなと。飛び飛びの意識みたいでそういう所は良かったと思う。
イコぴょん: おれも音読にはこだわらなくていい派です。破片を寄せ集めたとして、歯切れよくは、絶対にならないけれど、この歯切れの悪さが、作者の混乱を表現していると思うから。
フランツ: あー、なるほど。飛び飛びの意識みたいなものを作ろうと思ったら、リズムもへったくれもなさそうだな。ふーむ。
牧村拓: リズムが何に既定されるのかという点も見えてきそうですけれど、改行がこの詩では目立つのかな
イコぴょん: あ、そうそう、改行。この改行が、稚拙に見えるいちばんの原因だったな。そこ改行必要なの?って
フランツ: 俺が「音読できない」をひっぱり出した最大の理由はこの改行にあった。(表現の仕方がわからない)
常磐 誠: 復活! 遅れてしまい申し訳ありません……。
牧村拓: やはり大きな点ですよねえ、僕もどうにも・・・
カヅヤ: 改行は、見にくいと思ったけれど、横書きがさらに見にくさを助長していて、縦にすると、横のときよりはマシに見え……。
常磐 誠: あの改行、あんなさんはケータイで見るには良い感じだったと書いていらっしゃったと思います。
イコぴょん: 改行って、安易じゃない?作者の抱えてる問題を引っ張りだすにあたって、改行に頼るのは、もっとも楽な方法で、逃げだと思うんだよね
小山内 豊: なるほど、ケータイでね。
牧村拓: そういう見方もできると思います、ただ安易というかシンプルと言ってあげたい
フランツ: ケータイ(あるいはネット)小説は改行多いですもんね。(あれは意図してるんだろうけど。主に見易さとして。文学的な意図はない)
牧村拓: 単純がゆえに強烈で扱いづらい、そこに踏み込むのは難しい
小山内 豊: ケータイ電話の小さい画面で読むぶんには、飛沫みたいな意識の断片を受信したようにとらえるかもしれない。それが移動中や野外でのことならなおさら。
常磐 誠: 自分は祖父(曽祖父?)への気持ちの吐露、ゆっくり、というかあれくらいの感じでしか表すことのできない感情の表現だと思いました。
牧村拓: 飛沫みたいな意識の断片という表現はしっくりくる
イコぴょん: 大正の前衛詩はそもそも音読を前提に作られてないってことですね、カズヤさん。このへんは、各自の文学観のぶつかりあいになるな
牧村拓: 書き手自身、イメージを捉えきれていないようには見えます
イコぴょん: 扱ってる内容は、シンプルではあるなあ、無駄な装飾があまりないですね
フランツ: ものすごく広く拡散している詩だとは思った。(それを作者自身がとらえているかどうかはわかりませんが)
牧村拓: そうそう、その拡散という点を僕はあまり評価できなかった
小野寺: 生、死、愛ちょっとシンプルに使いすぎてはいないかと思いました
カヅヤ: (「皿」の羅列の中に一個だけ「血」が混じってるとか、朗読というより絵、図を意識しているものがありますよね>前衛詩)
牧村拓: どれも強い言葉ですからねえ
イコぴょん: 死、生って言葉が、好きな作者だよなーw
カヅヤ: 意識の飛沫、というと、なるほどと思うのですが、飛び散り過ぎていて、私は像が結べず。
フランツ: 「愛」の使い方のシンプルさは割と好き。軽さが出てるかと。
イコぴょん: 自分も像が結べなかった。イメージも、浮かび上がってこなかった。ひとつひとつの言葉はシンプルなのに。
小山内 豊: 言葉の背後にぼんやり見えている感じです。作者の姿。それは作品のできの問題だと思うな。
イコぴょん: べったべたの言葉をあえて使うことによって、イメージのゲシュタルト崩壊を起こさせる、舞城王太郎のような作家もいるけど、左膳さんの場合は、そこまで器用じゃなくて、ただ「吐露」しているだけのように思う。
カヅヤ: 見え隠れするテーマ自体はすごく好きな気がしたので、もっと直球というか、具体的にイメージできる形で書いても良かったのでは?もっと直球に、あなたの感じた感情を見せて欲しい、と思ってしまいました。
小野寺:
「癌
か
肺炎か
本当に増えた」(大羽左膳「四年」より引用)
この部分は、あまりに説得力がない
カヅヤ: 説得力
牧村拓: 確かに、唐突な印象を受けます
小野寺: 増えたというのは以前を知っていてはじめていえることです。「私」から離れた視点ということになりますね。 誰かから与えられた情報
イコぴょん: この人は、でも、「私」から離れるのも、無造作なんじゃないだろうか
小山内 豊: 意識してないと思います。意識すべきかどうかということかもしれませんが。牧村拓: 意識のなさが面白い間を生んでいるようにもみえました
イコぴょん: あ、なるほど。
小山内 豊: それはでも評価できるかな。難しいように思う。
フランツ: 書き手には意識的であったほしいかもしれない。俺は。
牧村拓: 僕も評価するには、それに反する要素も目につくので、今一歩な印象
フランツ: とくに「文学」を意識せず書け、って言われたら、皆さんここで3分以内で書けるでしょうな……。詩を本気でやるならそれを越えていってほしいっす。
イコぴょん: 意識せざる天才の作品もあるだろうけれど、今回の左膳さんの作品は、そんな風には読めなかった。
小山内 豊: 私も、そうした効果を望むのなら、意識的につかって欲しいです。そうでないと、そこに私性はなく偶然でしかないから。
小野寺: 大正ってなにですかという作者【若者らしい】がすぐあとで癌か肺炎か本当に増えたというのはね、どうかと思う
イコぴょん: なんですか、じゃなくて、なにですか、なのは面白いですね
カヅヤ: 離れる、というか、与えられた事実に対して、サゼンさん自身が何か感じたのかな?と思いながら読んでました。自分が感情を動かされた事実を、羅列している、という印象を受け、視点の移行というのは考えていませんでした。
イコぴょん: 読み手の思考回路のなかで、その羅列をつないでいく、何かが欲しかった、ということなのかもしれません
小山内 豊: そういうように期待しているところがあるんでしょうね。言葉の論理性がなくても、作者の姿を見出したい、というような。
牧村拓: 意識であったり視点であったり、そういうものの動き・ずれをどうとらえたかでずいぶんと印象が変わりそうな作品だと思いますが、そこまでチューニングのあった方はいらっしゃらないかな
カヅヤ: チューニング…読み手として、ですか。
牧村拓: 書き手の問題として僕はとらえていますけれどねえ
イコぴょん: チューニングは、合わなかったな。チューニングを合わせる気にならなかった。フランツ: 「癌」「肺炎」「増えた」の羅列はちょっと意味が通らない気もした。「肺炎」って増えるのか?ってな感じで。その後、「癌」はでてくるけど「肺炎」は書かれてない。
チューニングはこういうちょっとちょっとしたところでつっかかってしまって、難しいかなって感じでした。
カヅヤ: (すみません、みなさんがチューニングという言葉をどういう意味で使われているのか分からず、話が読み取れずにおります…)
牧村拓: 発端の僕としては作者と読者の間に感性の符合があるか、というくらいの意味で使いました
小野寺: チューニングは作者の意図を汲み取って読むということでしょうかね
常磐 誠: チューニング、ラジオのちゃんねるをあわせるような感じ? 左膳さんが書いている文章に自分から合わせていくこと。くらいの意味で捉えていますがあってますか?
カヅヤ: なるほどです。ありがとうございました。
牧村拓: そうそう、そうです
イコぴょん: 常磐さんグッド。小野寺さんの言葉もその通りですね
牧村拓: そしてそれが必要である作品というのは他からの評価はともかくとして僕のスタンスとしてはNOなので、そのあたりうかがいたいかなっと。
小野寺: 最近は意図的にチューニングしないようにしています
牧村拓: それもひとつの読者としての在り方だと思いますし、僕もそれに近いです
イコぴょん: 自分はチューニングを合わせたラジオを放置しながら、ソファに座って(離れて)読む感じですが、この作品はおれを通り過ぎる一瞬のノイズでしかなかったです。
カヅヤ: もう少し具体的な言葉、像を結ぶ手がかりのようなものを描いてくれれば、チューニングが合わせやすいだろうな、と思いながらじたばたしてました。
常磐 誠: 現在40分。意見としてはこのようなことが挙げられていました。
・リズムが悪く、音読ができそうにはないし、稚拙な印象。
・改行の用い方も稚拙な印象付けを手伝っている。
・作者自身がまだイメージを捉え切れておらず、拡散が続く。像を結び辛い。
・強い言葉。吐露。
・チューニング(左膳さんの書く言葉に読み手から同じ立ち位置に立とうとすること)が難しい。近付こうとしても的確に近付くことができないようになってしまっているのでは。
他に何かある方は? 残り五分で語りたいことがあるならばどうぞです。
フランツ: イメージの広さはいいと思うが、もうちょっと身近なものにすり合わせていければ像も結びやすかったかも?
イコぴょん: 明日も言いますが、左膳さんの詩の魅力は、とつぜん、ざらっとした感触の、具体的な言葉が挟まれる点にあると思うのです。この詩には、それがなかった。
カヅヤ: 「薄い味噌汁」や「ウニが好きなのは自分だけ」というところから、きっと筆者が何か感じたのではないか、と想像しながら読みました。なので、その感情が読みたかった。
牧村拓: この詩から垣間見える書き手自身のアンバランスさはとても面白いと思いました小野寺: 普段から左膳さんとはスカイプなどでよく話しているので人柄を知っていると伝わらないことはない詩というのが印象です。でも、それじゃ、まずいでしょっていう感じですね。
常磐 誠: 個人的には、青い、というか若い感覚が吐露される感覚が刺さってくるようでスキでした。が、確かに作品としてみると……ですね。>イコぴょんさん
イコぴょん: その詩のなかでしかあり得ない、けれど絶対に読者には思いつかない、言葉があるはずなんだよね、この詩にも。ウニのイメージ、味噌汁のイメージを、広げてもよかったかもね。
牧村拓: それをほかの作品でどのように見せてくれるかに期待したいです
カヅヤ: 「最後の言葉が聞き取れなかった」や、「爪が割れた(筆者のことか祖父のことか分からなかったのですが、私は祖父のことかと思い)」など、拾うシーンは、すごくいいなと思うのです。
常磐 誠: (小野寺の 「人柄を知っていると伝わらないことはない詩というのが印象です。でも、それじゃ、まずいでしょっていう感じですね。これが一番かな、と思います。個人的に。」という発言に対して)左膳さんに足りない部分。
牧村拓: 読まれる作品を想定してほしいというのは、僕も強く思う部分
イコぴょん: 人柄を知らなくても、伝わる詩であってほしい、ってことですね
カヅヤ: (そもそも人柄を知っていても伝わらないものは伝わらないのでは?と思うのですが、どうなんだろう)
小山内 豊: 無為で、言葉が浮遊していて、拡散しているのは、現代的な若者感覚としてはそのものずばりかもしれません。
イコぴょん: だから小野寺さんは、「伝わらないことはない」ってあいまいな言い方をされたのかも>カヅヤさん
カヅヤ: あ、なるほどです。
小山内 豊: 「おじいちゃん」と家族が出てくるのはよかったかな。なにがともいえないですけど。
イコぴょん: 家族を肯定的に見ている印象があったのは、ちょっとおもしろかったかも。おじいちゃんのことだけど。斜にかまえて、家族と戦う作品を書く人が多いからな、と。10代。
小山内 豊: 「おじいちゃん」いがいだったと同時にいい点です>イコさん
小野寺: ウニ以降はよくわかんねー
●常磐 誠「情報人形の唄」 (月刊twitter文芸部2012年4月号No7)
常磐 誠: さて、時間です。次は常磐 誠の情報人形の唄です。
イコぴょん: これまた左膳さんとは、ずいぶんタイプが違ってw
カヅヤ: ボカロにPVつきで歌わせたら非常に気持ち良いと思いました。
牧村拓: あ、僕もそれ思いました
イコぴょん: おれは「ゆっくり」の声でやってほしいと思いました
フランツ: なるほど<ボカロw
牧村拓: ヴィジュアライズがすごくはっきりとしていて、なんか若い感性だなあというか現代性を垣間見えた
イコぴょん: あ、それは思う。こちらはイメージが浮かびやすいですよ。
カヅヤ: (完全にGUMIで、マトリョシカのノリで想定してた自分)
イコぴょん: へえ!w
フランツ: 中途半端に硬いなぁ~という印象が第一印象でした。
小野寺: 確かに曲をつけたらすごい歌になりそうだ
イコぴょん: 中二病ワードが、あとで皮肉として効いてくる作品やな、と。だからこの硬さは、わりとアリやと思います。
小山内 豊: 五七調の意識はあるんだけど、内容はとても現代的で、ゲームの感覚でかかれていますよね。
牧村拓: んん、でも僕はその構造も割と、これだけ?って印象はありましたね
イコぴょん: そうですね>小山内さん
牧村拓: もうちょっと奥に進んでほしかったかも
イコぴょん: うん、奥に進んでほしい感はある
小山内 豊: 多分に過度だけども表層であるという>牧村さん
イコぴょん: こういう言説は巷にあふれていて、ニコニコ動画とかでも、似たようなネタの作品は何年も前に作られている
カヅヤ: 歌詞的な魅力や、メディアミックスの原作(ショートムービーの元ネタとか?)としては面白そうだと思った反面、文だけの「詩」として読んだときは、何か弱いとも思ってしまいました。
小野寺: イメージとしては前回の常磐さんの小説の「珍獣と握手」の前半と重なりました
小山内 豊: 詩としてなにをうたっているんだろうかという点は、じつは今も疑問なのですが……
フランツ: 「詩」としては、なんとなく、説明臭いような気がしたのだが……。
小山内 豊: 自身に言い聞かせる内容のようでした>フランツさん
イコぴょん: 何度でも安易に復活できる世界を経験することで、倫理観があいまいになっているすがたを描いているのかと思いましたが、ただこのような作品で現代性を出すなら、ゲームセンターの筺体じゃなくて、家庭用ゲームの、すげぇリアルな映像の戦争ゲームとかがいいな、と思いましたけど。
牧村拓: 詩というかショートストーリーでやったほうがいいんじゃ?という感想を持たれるとなると、詩としては失敗かなあと僕は思いました
小野寺: ゲームっぽい
カヅヤ: ゲーセンでRPGやってる男の子の図が。ボタンとかコインとか。
イコぴょん: 格闘ゲームっすよね、たぶん
牧村拓: 僕もそう読みましたねえ
カヅヤ: あ、ゲーセンでRPGってないですね。
小山内 豊: ゲームのキャラに痛みがあるという感覚で、コインを入れて物語を続けさせる、という脈絡で読者を振り向かせられるかな。わたしはできないと思う。
イコぴょん: 説得力(さっきも出たけど)がないっすね
カヅヤ: (ゲームの中の人間、志村貴子がそんな読み切り描いてたな…)
牧村拓: でもそもそも格げーだとしたら物語って表現とうまく合わないんじゃ、とも思います
イコぴょん: これ人間がリアルで、物語性のあるゲームであればあるほど、効いてくる作品になると思うんだけどな
小山内 豊: 現代性を取り込むにあたって、ゲームを出すというのは悪くないとは思うんですけどね……。
イコぴょん: コインを入れるタイプの作品だと、思考がストリートファイターレベルまで退行してしまうおれにとっては、だいぶ古い作品ですよ
小山内 豊: それがドット絵のピコピコ感です!>イコさん
牧村拓: そのイメージの食い違いがうまく活きていないなって印象
小野寺: そうすね。ストリートファイターなら私でもやったことあります
イコぴょん: お、つながったw
カヅヤ: ゲームを描く媒体として、漫画やムービーなら、説得力が出てきそうだけれど、この作品がどうこう、という以前に、詩で書く、というのがすごく難しいと感じました
小山内 豊: 詩的表現の世界に振り向かせるのはむずかしいよね。
牧村拓: メディアミックスありきの方向に見えてしまう
イコぴょん: 「コインを入れる」が、僕の、ゲームを続ける意思を端的にあらわすと、作者は判断したんじゃなかろうか?それ以外に、コインを入れる作品にする意味を感じない
小山内 豊: 敗者を敗者のまま終わらせたくないという理解がなりたつかな、とは思いました。
カヅヤ: ゲーセン→格ゲー、クイズゲー RPG→家庭用ゲーム機 というイメージがある、と気付きました。
牧村拓: そうなると物語って言葉にも続いてきそうですが、後半で繰り返される物語という言葉に僕はあまり必然性を感じない
イコぴょん: ああ、それはありますね>カヅヤさん
小野寺: ゲーム中のキャラクターに思い入れがあって何か仮託しているのでしょうかね
イコぴょん: 一時的にしか逗留しないゲーセンのゲームにそもそも「物語」があるものって、めったにないからなー
牧村拓: そこは最近のゲーム事情の話にもなりますが、カードを使って前回プレイ時のデータを引きついで戦うタイプもありますね
イコぴょん: 「僕」がここまで想像力を広げられるのは、現実世界で、小野寺さんの言った「思い入れ」などの、何らかの伏線を経験している状態でなければならないと思うんだけど、それは小説の仕事だ。カードを使って引き継いで、っていうのは、大多数の読者は想像できない気がするなあ。それこそ、無理にチューニングを合わせることが必要になる。
小山内 豊: 美しい女性にばっさり振られたんでしょう>小野寺さん
小野寺: おお、説得力がありますね、小山内さん
牧村拓: ほうほう、確かに小説の仕事になっちゃうんですよね、この書き方だと。でもこういうモチーフで詩ができないかなって考えること自体、僕にはないので、そこは面白いと思いました
イコぴょん: うん、詩はこんな風に自由でいいと思います。
カヅヤ: 確かに。どうやったら詩で表現できるか、ということを考えさせられました。
常磐 誠: 出た意見を列挙しますと、
・ヴィジュアライズがすごくはっきりとしていて、なんか若い感性だなあというか現代性が見えやすい。
・イメージの浮かびやすさに繋がっている。
・だが、多分に過度だけども表層である。浅い。もっと奥に進んで欲しい。
・文だけの「詩」として読んだときは、何か弱い。
・格闘ゲームのイメージ。ただ、このような作品で現代性を出すなら、ゲームセンターの筺体じゃなくて、家庭用ゲームの、すげぇリアルな映像の戦争ゲームとかがいい
・そのような視点、脈絡(格闘ゲームのコンティニュー)で読者を振り向かせることはできない。
・格ゲーと物語の表現がうまくあっていない。そして、その食い違いがうまく活きていない。
・「コイン」=僕の、ゲームを続ける意思を端的に表す。→敗者を敗者のまま終わらせたくない。という気持ちという理解。
・物語という言葉。後半で繰り返される物語という言葉にあまり必然性を感じない。
・一時的にしか逗留しないゲーセンのゲームにそもそも「物語」があるものって、めったにない。
・現実世界で、小野寺さんの言った「思い入れ」などの、何らかの伏線を経験している状態でなければならないと思うんだけど、それは小説の仕事。
・だが、モチーフと詩の組み合わせ方の自由さは、良い。
イコぴょん: まとめナイス
牧村拓: わかりやすい
イコぴょん: あ、自分は、ゲーセンのボタンを、「釦」とは書かないですが、みなさんはどうなんでしょう?
常磐 誠: ちょうど聞こうと思っていたところでした。>釦
小山内 豊: ボタンかな…
小野寺: そりゃ書かないです
牧村拓: ここは素直にカタカナでよかったんじゃないかと思います
常磐 誠: イコぴょんさんに指摘されて、やっぱまだ肩に力入ってたなぁと思いました。
カヅヤ: 動画にしたら美味しい表現だと思いました
牧村拓: 口のとこに顔をいれたい
イコぴょん: やっぱメディアミックスかww
カヅヤ: >牧村さん たしかに! もちろんルビつきで。
イコぴょん: こんなとこですかねー
常磐 誠: ありがとうございました。
●しろくま「隆」(月刊twitter文芸部11月より全6回連載作品)
小野寺: では、どうぞ
小山内 豊: ルポルタージュ? 体験記? なんにせよおもしろかったです。
小山内 豊: 文章表現は単調だった。重複の表現も目立った。
小野寺: 今日、1回から読み返しましたが、個人的には1回の雰囲気が引き継がれなかったと思いました
牧村拓: その第一回の引き継がれなさが僕はとても惜しいなと思いました。最終回で走り続けている想起がされているだけに余計
イコぴょん: 作者の成長と、隆の成長がリンクした作品やと思ったな。雰囲気はたしかに違うけれども、どれも生の声、という気がした
カヅヤ: 急ぎ足で全話読んだのですが、「ぼくたちの冒険はまだ始まったばかり」の図が浮かんでしまって、「え?終わり!?」と。
イコぴょん: ラストは、解せないな。「まとめ」に走っている。
小野寺: 第一回はそれなり小説らしくは感じたのですが、だんだんにルポに近くなった印象です
カヅヤ: 自分は、一話一話にこまこま引っかかる点があって、ストーリーにうまく集中できませんでした…。
小山内 豊: 作者の意図を考えると、各エピソードでなにをいいたかったというよりも、なぜこのエピソードをピックアップしたか、に注目されるべきではないか。それによって全体的な文脈が見えてこないかな。
牧村拓: ああ、それが僕の違和感の正体か・・・ >小野寺さん
イコぴょん: え?終わり!?感はおれもあった。
小野寺: そうですね。各回の時間に隔たりがある
イコぴょん: 小山内さんの視点は、重要な気がする
牧村拓: 連載というか独立した超短編を読んでいるような
イコぴょん: そうですね
小野寺: 小山内さんのいわれる全体的な文脈がみえない
牧村拓: たとえば第一回なら生死・人生による予感、という風に読めますが、それだけがぽーんと出ちゃってて後とつながらないのかなとは思います
小野寺: そうですね。蝉はどこへいったんだ
イコぴょん: 生死はつながっていかないな
カヅヤ: 連載というより、オムニバス、断片、として見れば、ありなのかな?とも思ってしまいました。
牧村拓: 僕はこの蝉ってモチーフをもっと登場させてほしかった。それによって文脈をつなぐようなこともできたと思いますし
カヅヤ: 各話が、全然別の人を主人公にしても成り立つ
イコぴょん: Sって彼女と、あっけなく別れましたね
小野寺: そうそう
小山内 豊: 役割終了って感じで別れましたね
小野寺: 父との確執も第三回のみです
イコぴょん: 各回のキーテーマがあって、それに、全体を貫くテーマがある。
牧村拓: なんでそうなったの?なんでそうするの?って問いに応える強度がない
イコぴょん: 強度なー
牧村拓: そういうことをやりたいんだなってのはわかりました
イコぴょん: これを連作とすると、どうしても前回とつなげて読んじゃうからな
イコぴょん: なんでSと別れたねん、って、気になってしまうわなあ
小野寺: それと各回ともにいえることですが想像力の飛躍がないように思いました。小説の書き出しで終わるような感じ
牧村拓: 全体を貫くテーマと作品ごとの小テーマというと短編集でもそういうまとめ方をされているものがありますが、連載作品である意味が薄いという印象。
イコぴょん: 真っ正直で、好感のもてる主人公だけど、人間ってもっと表裏あるよなーと思います
牧村拓: 想像力の飛躍というのは内容もそうですが、文体にも感じますね
小野寺: 文体もあっさり感が強いですね
小山内 豊: 私は、一話一話のつながりはやっぱりないと思う。それよりも深度のある、鮮やかなシーンを数珠繋ぎにして、書くに足るべきこと、としてまとめたところに作者の姿が見えてくるんじゃないかな。かな。
イコぴょん: 小山内さんは深度がある、と思われたのか
牧村拓: そうやって読み込んでいけば別の姿が見えてくるのかな
イコぴょん: イメージは浮かぶんだけどなぁ、いまいち深みがない、奥が感じられない作品になっていると思うんだよなあ
小山内 豊: 作者の視点においては深度があったと思います。どのエピソードも忘れがたく鮮やかだったはず
小野寺: インドネシアにいって様々な学生と交流して何か目覚めたとか成長したという風にもあまり読めないんですけど
イコぴょん: んー、忘れ難く鮮やか、ではないなーw
牧村拓: 大きなテーマが見えない?
小野寺: もっともっと書き込んで魅せてほしいと思います
イコぴょん: 文章を節約する姿勢は、見習いたいけど。 最後の方は、印象に残った体験を、ただ書いただけなのではないか、という疑念が。
常磐 誠: では、ここまでのまとめ。
・ルポルタージュ? 体験記? なんにせよおもしろかった。
・文章表現は単調だったし、 重複の表現も目立った。
・1回から読み返すも、その雰囲気が引き継がれていなかったように思え、それが惜しい。
・作者の成長と、隆の成長がリンクした作品だと思った。雰囲気はたしかに違うけれども、どれも生の声、という気がした。
・「ぼくたちの冒険はまだ始まったばかり」の図が浮かび、「え?終わり!?」となる。
・連載というか独立した超短編を読んでいるような感覚。
・連載というより、オムニバス、断片、として見れば、ありなのか?
・作者の意図を考えると、各エピソードでなにをいいたかったというよりも、なぜこのエピソードをピックアップしたか、に注目されるべきではないか。それによって全体的な文脈が見えてこないか。
・各回ともにいえることですが想像力の飛躍がない。小説の書き出しで終わっているような感じ。
・文体もあっさり感が強い。
・一話一話のつながりはやっぱりないと思う。それよりも深度のある、鮮やかなシーンを数珠繋ぎにして、書くに足るべきこと、としてまとめたところに作者の姿が見えてくるんじゃないか。
・どのエピソードも、読み手によって「忘れがたく鮮やかであった」と「あっさり過ぎ去り印象に残り辛い、奥深さを感じられない」に別れてしまう。
・もっともっと書きこんで魅せてほしい。
45分時点でのまとめです。
イコぴょん: 蝉のときの方が、表現をがんばろうとしていたような。
牧村拓: ちょっとそれますが連載小説のタイトルが隆なのに、その隆があまり迫ってこないというのもひっかかりました
イコぴょん: 日本ではとくに男性の名前がタイトルになる作品は珍しいようですね、他には「三四郎」くらいかな?
牧村拓: んー、だからこその慎重さか力強さがほしかったかなと
イコぴょん: 中上だったら、「秋幸」みたいな、この作品にはこの名前でしかありえないだろうっていう、名前ですね
牧村拓: そうですねえ、記号性をはらんでしまっているような印象
イコぴょん: もっと隆って名前を、登場人物に語らせてもいいと思うんだけどな。「タカシ先生」って何度も言われたら、読むほうも、あ、隆だ、って意識すると思うんやけど
牧村拓: んん、そういった表現においてもそうですね。内容的にも隆を隆たらしめているエピソードが一つくらいあってもいいかなーと
イコぴょん: 親との確執のところで、掘り下げられそうだな……
カヅヤ: 親との確執のシーンは、母の言葉がすごく引っかかってしまいました。「頑張ったね」って、なんか変じゃない…?と。
牧村拓: なんだか背景がちらっと顔をだすんだけど形まではとらえられない不満がありますね
小山内 豊: やはり、個別の細かさを追求するのではなく…ってなってしまう。
常磐 誠: まとめ再び。
・蝉の時の方が表現を頑張ろうとしていたのでは?
・タイトルが隆なのにその隆が迫ってこない。
・隆を隆たらしめているエピソードがほしい。親との確執のところなどで掘り下げることができたのでは……。
イコぴょん: ふーむ
牧村拓: ん、僕としては全体が見えないので個別の集積で全体を見ようとしてしまっていたのですが
小山内 豊: 鮮やかなシーンの数珠繋ぎというのが文脈、というか構造なんだと思うな。しつこいけどw
イコぴょん: 「等身大の人生」としてくくって読んだから、納得はいきました。
牧村拓: ああ、そう言われてみると、そういう読み方をするものなのか
イコぴょん: でも細かいところにも、もっと背景がにじむように、書いてほしかった。自分の要求は、それに尽きる
小山内 豊: ~た。~だった。は多いですね。
牧村拓: そうであるなら最後にそれを深める?鮮やかにするような回があると活きるかなと思います
イコぴょん: ~た。~だった。はそんなに気にならなかった。
小野寺: やはりインドネシアパートを感動的に仕上げてほしい
牧村拓: 連載小説!って身構えちゃうからいまいち作者の意図とずれるのかな
イコぴょん: この先も続く感じは、いいと思うけどなあ。変に感動的でなくても。
小山内 豊: 感動的ストーリーにしようとすると、端から端まで見直しが必要に思う。
イコぴょん: 最後に中途半端にまとめたのはいやだ
小山内 豊: 詩的表現というのがないですからね
牧村拓: たとえばこれが新幹線の座席前の網棚に入っている冊子に入っていたら僕はなんのつまづきもなく面白く読めたと思います
イコぴょん: ふむふむ、たしかに。しろくまさんの他の作品を、そういう風に評したことがあります。「アンコールの夕景」っていう作品なんですが、アンコールワットに出かけて、現地で見たものを書いているんだけど、旅行記のようで、小説らしくない。
牧村拓: ああ、あれもそんな感じがしました
イコぴょん: 新幹線、というか、飛行機かな?「翼の王国」とか。あのへんの雑誌にありそうな、ルポルタージュに近く感じるんだよね
牧村拓: ですね(飛行機にもああいうのあるのか)
イコぴょん: なんで小説っぽくないのかは、考える余地があるなーと思いますが
牧村拓: 表現の問題かなーとぱっと思います
イコぴょん: 詩的表現の有無か
小山内 豊: 加えて作中世界の空気。蝉はそれがちょっとありました。
牧村拓: ああ、そこも引っ張ってほしかった要因かも
小山内 豊: インドネシア、暑そうにかかれていない、とか。
牧村拓: 温度・湿度を感じない文章ですね
小山内 豊: 「暑苦しい」「べとべと」「たまらん」みたいな肌感覚がないものね。
小野寺: 経験したことの日が浅いから消化しきれていないのかもしれませんね
イコぴょん: 身体感覚、書かないっすよねえ、ほんとに
小山内 豊: 「マンゴーです」「ありがとう」これでは細部を検討するのは難しい。
イコぴょん: 難しいんだけど、そういうもんなんだから、そう読めっていうのも違うような。常磐さんが帰ってこないけれど、こんなところでしょうか
小山内 豊: はい。
牧村拓: 一通りですね
イコぴょん: ではホストはいませんが、時間もいい感じなので、ここでしめようと思います。ありがとうございました!
カヅヤ: お疲れ様でした。
小山内 豊: おつかれさま!
小野寺: ありがとうございます
牧村拓: ありがとうございました!お疲れ様でした!
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左膳 (日曜日, 29 4月 2012 16:28)
おれ改行そんなつもりでしてないけどなあ