とーい:本日の作品は「行くな! ガーゴン」常磐誠さん、「横を向いたまま」日居月諸さん、「黒牛の絵画」安部孝作さんの三作品です
トップバッターは安部さんの「黒牛の絵画」、二番目に常磐さん「行くな! ガーゴン」、さいごに「横を向いたまま」の日居さんでおねがいいたします!
恐れ入りますが、感想をお持ちのみなさま、スカイプへの貼り付けをよろしくお願いいたします!
【黒牛の絵画】
カヅヤ: 「お父さん、牛になる」と、20代後半世代のトラウマ「メトロポリタンミュージアム」を掛け合わせたような…!!
これ、タグ芸やるとしたら「無限ループ」って付ける。
マカロンの描写がきらきらしてて美味しそうで…!!
宇宙の球体にそっくりで柔らかいって、理屈だけ拾えば矛盾しているのに、詩的言語として読むと納得させられてしまう。
随所随所の描写がほんときらびやかで、ぞわぞわして、安部さんの描写力が全力で出てるなあと思いました。
なぜその例えにその言葉を持ってくることができるのか…!!
ただ、前半がそこそこリアルだった分、後半に繋がる部分でついていけなくなり…。
前半、後半、それぞれで読む分には素敵だったので、接続が、もっとゆっくり滑らかだったら良かったと感じました。
る: 先ず、些細な点だが大事なことだと思うので、誤字脱字が目立つと言うことを指摘しなければならないと思います。作品内容に関しては描かれている情景の奥行きが伝わってこずに物語に滑らかに読者が移行できないという難点があると思いました、どんな会合なのか、もちろん具体的にディティールを示すことだけが全てではないとは思いますが、何らかの関心を引き出して欲しかったです。語彙レベルで言うならば例えば突然出てくる「真理」という言葉など、作者のひとり善がりの言葉が多くて、ほとんどの言葉が表層を掠めていくようなもどかしさを感じました。
日居月諸: 輪廻を主題にしたかったようだが二、三読した限りでは必然性は見いだせなかった。個人的に持ち味と思えたのは色を中心とした叙述なのだけれど、それも必ずしも有機的に結びついている印象はない。不気味さを不気味さとして描くために形容詞を用いるのではなく、動詞を上手く使えていければこの作品は磨けるのではないか。端々に動詞だけで叙述しているシーンがあるので、なおさらそう思う
小野寺: 設定を読みとるのにまず苦労した。校正担当したので本人に尋ねてしまった。前半の外国人の入り混じった食事会はアニメなどでありそうな雰囲気だと思った。そしてそれを超えているのだろうかという疑問があった。
イコ: 自分はこの作品を音読しました。そうするとよく分かるのが、これはものすごく平面的で、淡々とした作品であるということでした。はじめはひとつの筋に沿って展開するかと思いきや、空間が広がりを見せていくことはなく、ただ一方向に、進行していくのです。そうしながら、徐々に時空は歪んでいきます。いつの間にかそこにあるものがそこにないものになり、最後は最初につながります。この試みはとてもおもしろいですが、フックはあまり感じられず、読んでいて興味をひかれませんでした。
カヅヤさんと同じく、マカロンの描写は、きらきらしていてとてもおもしろかったですが、るさんの評にもあった通り、とにかく言葉が上滑りしています。無駄にカッコつけられています。誤字も多いです。ここに自分はがっかりしました。
とーい: みなさま、批評をありがとうございます!
カヅヤさん、日居さん、イコさんが輪廻について触れられています
描写については、賛否が分かれています
言葉の用い方で、この作品はもっとよくなるという風に感じています
小野寺: この作品のわかりにくさは「ランナーたちと」共通していてひとつのキャラクターやイメージが固定されることなくすぐに動いてしまうようなところにあると思います
カヅヤ: (あ、無限ループが輪廻に繋がるって、完全に無自覚でした…!発見!)
日居月諸: 「ランナーたち」との相違点はキョウコという固有名が出ているところですね。
とーい: るさん、イコさんがはからずも、言葉、文章について読者のことを想定したほうがいいとおっしゃられているように、わたしは感じました
書き手にとって、自分の思いを純粋に出すこと、しかし読者のことも考えなければならないこと、この葛藤をはからずも安部さんの作品は問題提起された
日付: 2013/02/23 時刻: 21:24 送信者: 小野寺
>この作品のわかりにくさは「ランナーたちと」共通していてひとつのキャラクターやイ>メージが固定されることなくすぐに動いてしまうようなところにあると思います
固有名詞を出すことで、この問題は解決されますか??
イコ: 日居さんの出された固有名「キョウコ」は、読みの助けになりました。序盤の不自然にうろうろする視線が、キョウコにつながっていったとき、ああ、そういうことか、と思いました。
とーい: 固有名詞について触れたのは、タイムリーですが、abさんごがあるからです
イコ:
[21:27:30] とーい(10011040):
>書き手にとって、自分の思いを純粋に出すこと、しかし読者のことも考えなければなら>ないこと、この葛藤をはからずも安部さんの作品は問題提起された
やはり読者にとってはいささか不親切な作品と言わざるを得ない。ですが、それはそれで狙っていることならいいと思うのです。とくにここでの問題は、頻発する誤字だと思います。誤字は親切不親切それ以前の問題で、読者が怒ってもしょうがないんじゃないかと。カヅヤ: こういう話を、固有名詞を出さずに読みやすくすることは可能であるようにも感じます。
話の全体として、九州からキョウコに繋がる「固有名詞」の部分が、他の部分と比べて浮き上がって見えている。
固定化されない原因は、固有名詞の有無とはまた違うと感じました。
誤字脱字は…みんな校正頑張ろうぜ!と、いう、うん、ね。
とーい: 想像しやすい話のすすめかたが必要、というのはたしかにありますよね
日居月諸: そもそも自分の思いを純粋に、とは言いますが、どちらかというとまだ言葉に振り回されている感はあると思います。第一に「哄笑」「卑猥」「咽び泣く」、これらの言葉を作者はどれだけつかめているのか。
とーい: わたし個人としては、固有名詞をつかわなくても、読者に想像いただくことは可能とおもいます
小野寺: 言い訳になりますが校正段階と大幅に変化しているのです
日居月諸: 言葉を自在に使えることと描写が出来ることはノットイコールです。描写対象はつかめていると思う。しかし、それを生きた物に仕立て上げられているかと言うと、疑問が残る
小野寺: 不自然な言い回しが一番気になるところです
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 21:34 送信者: 日居月諸
>そもそも自分の思いを純粋に、とは言いますが、どちらかというとまだ言葉に振り回さ>れている感はあると思います。第一に「哄笑」「卑猥」「咽び泣く」、これらの言葉を作者>はどれだけつかめているのか。
>地に足の着いた言葉というのを、たしかにわたしたちは感じ取ることが出来ます
日付: 2013/02/23 時刻: 21:35 送信者: 日居月諸
>言葉を自在に使えることと描写が出来ることはノットイコールです。描写対象はつかめ>ていると思う。しかし、それを生きた物に仕立て上げられているかと言うと、疑問が残>る
根源的な指摘です
カヅヤ: ああ、なるほど!作者自身が言葉を体感的に捉えてない、使えていないってことですね。>日居さん
イコ: 日居さんと同感です。「首肯」「放?」などの言葉遣いは、ブンガク的な気取りなんじゃないかと思うのです。この小説は、気取りに満ちている。それがいちばんの問題なんじゃないかと思います。
小野寺: どうも安部さんはイメージを動かさなければならないという強迫観念に囚われているように思えてなりません
日居月諸: 体感的に捉えるのもさることながら、自分の中で感覚を立ち上げていってこそ描写は成り立つと思います。外側から見えるものを言葉で捉えるのではなく、内側から立ちあがっていくものを言葉で創り上げていく。これだけ語彙があるのだから、それが出来ないわけではないと思う
とーい: ある種の、寓話的な想像力は、大切にされてほしいと個人的には考えています
イコ: 安部作品全体に通じる指摘ですね、どうも辞書を引いて言葉を使っているような感じがする。このゆたかな語彙は安部さんの豊富な読書経験によるものだろうとは思うけれど、身体の動きを感じさせない。>日居さん
カヅヤ: 自分は気取りとかはあまり感じず、単語の羅列も「現代詩っぽくて面白いなぁ、こんな使い方もあるんだなー」と感心しちゃってたので、それがもっと像を結んだ形で、自分の中に入ってきたら嬉しかったなーと思うのです。
とーい: 美意識と強迫観念は表裏一体なのかもしれませんね
る: わたしは単語よりも比喩表現、など文章装飾がしっくりこないという印象が強かったです。例えば「純白のテーブルクロスは薄闇の中で生々しく、空気の揺らぎに
よっては白い芋虫がうねるようだった。」という序盤の文章も、唐突、というか視点が不明で、だれにとって「白い芋虫」なのかということが提示されないと(もちろん明示でなくてもいいですが)、それにのめりこむことはできないように思います。(相当うまければ別ですが。)
とーい: たとえば、この作品をすべて平易な言葉にしたら、何が起きますか??
イコ: たしかに美意識は感じます。
カヅヤ: >平易な言葉に それはそれで素敵なものになりそうな…!!
イコ: いいですねえ、別の作品になりそうですが
る: 平易な言葉で書いてみるのも、作者にとっていい助けになると思います。
いい作品になるとは思いませんが。
とーい: 重厚な世界観を、文章装飾で演出された面はあるとおもいます>るさん
日居月諸: 平易な言葉にするというより、描写の方向性を変えたほうが良いと思います。言葉を変えただけでは上辺を変えることにしかつながらない。言葉の使用法自体を変えていった方が良い。
小野寺: いえ、美意識は自発的なんですが。強迫観念は何らかの文学理論に強制されたものではないのだろうかと思ってしまうんですよ
緑川: るさんの、文章装飾がしっくりこない印象に同感です
イコ: 言葉の意味を吟味して、そこに本当に必要なのかを精査するならば、自分は「首肯」がそこにあっていいと思うんですよ。
緑川: 平易な言葉で作品を構築するとして、ここぞというところで使うべき言葉を使う
そういう作品が読みたいかなと
イコ: やさしい言葉に置き換えるというより、そこに必然性の宿る言葉にしてほしい。
カヅヤ: 海外詩とか詳しくないのであくまでイメージなんですが、単語のバックボーンが、日本語じゃなくて、西洋の、翻訳語としての言葉っぽいのかな・・・?
いっそ、他言語で書かれたものだったら、装飾の仕方とか単語とか、しっくりあてはまったりするのかな…と、思ってみたり…。
緑川: 基本的に同じトーンなので、今のままではめりはりが弱い
る: そうですね、作者にとって馴染があると思わせる語彙選択だと読んでるほうも安心します。
小野寺: 文章を平易にしてもストーリーにかキョウコにか動き出す黒牛にか何かどこかに力点を置かないと何を伝えたいのかわからない作品になってしまうと思います
る: 要するに、この作者は言葉をちゃんと扱っているな、という安心感が欲しいです。
イコ: 自分も>るさん
とーい: 語弊があるかもしれませんが、作者とともに生きてきた、長い旅のなかで風雪に耐えたことばを用いることが大切というみなさんの指摘は、自分も勉強になりました
そして、ストーリーにメリハリをつけ、読者に伝えたいことを伝わるかたちであるかを考えぬくこと。この指摘も、自分のことのように実感しました
みなさま、ご批評ありがとうございます!
【行くな! ガーゴン】
とーい: それでは、常磐誠さんの「行くな! ガーゴン」の合評にうつりたいとおもいます。感想をご用意いただいているかたは、またご紹介をお願いいたします!
る: 人物の描き方というのがステレオタイプなのだけど、それはそれでこのような作品にはある程度の効果を発揮しているのかなという印象を持ちながら、どこかで予定調和から外れるような心理や行動が描かれるとよりドラマチックになると思いました。常磐さんの描く人物は極から極へと振れてしまう印象があるので、もう少し繊細な心の動きを捉えて欲しいと思うところはあります。表現についてですが、「劣情に惑う剣」と比べて、とても読みやすくなっていると思いますが、この先の方向性としてどのようなものがあるのだろうか、と考えて見ますと、仮に西尾維新を目指すなら、キメキメのかっこいい言葉量産機にならなければならないと思いました。(この分野よくわからない)
日居月諸: 校正をしている間、この作品に盲目という設定は必要なのかと思っていた。ひとまず楽しく読める作品だったので保留しておいたところ、過去作を受け継いだ作品と知り、勇み足は避けられたと保身が出来た卑しい喜びを感じたが、それを踏まえたら尚更、過去作を受け継いだ以上のものではない、と感じた。
むしろ、過去作を掘り出せて良かった。盲目、自殺、劣等感、なにかしら欠如している人間たちが集まって、自分たちの「劣情」を上手く解決していく仕立てになっている。その点、この作品は過去作の反動とでも言うかのように陽気さしか感じない。
ただ、以前常磐さんの作品を合評した時に、暗い筋立てを陽気な描写で覆い隠す怖さを感じたことがあった。それを踏まえると、この作品の裏に潜むものが何か、ということに注意した時この陽気さは武器になるのではないか、と留保が置ける気がする。
とはいえ、それはあくまで作者の全体像を知ってこその指摘だと思うから、この作品を評価することにはつながらないだろう。
カヅヤ: 冒頭で噴いた。森見登美彦がメロスのパロディをやっていたので、勝手に全編パロディで行くのかと早とちり。昨今のラノベを読んでいないので、自分がついていけてないだけかもしれないのですががが。
全体、読みやすかったし面白いのだけれど、地の文の文章がぶれてなくて、逆に、途中で読み手として息切れしてきてしまいました…。
以前、やっぱり周りのテンションが高くて、主人公がひたすらツッコミ、という作品を読んだことがあるのだけれど、それは主人公が冷めていて(クールとか冷徹とか皮肉屋、とかではなく、ハルヒのキョンをもう少しゆったりさせた感じ)息切れ感なく読みやすかったです。このへんは好みかもしれないのですが、一読者の感想として。
あと盲目の設定がいまいちいかせてなかったような。
話のテンポやメロスの折り込み方はすごく楽しかったです。リズム感が気持ち良かった。
余談。色々自分の身の回りとシンクロしてプルプルしました。これなんて俺?
小野寺: エンタメはあまり読まないのですがエンタメという純度はあがっているように思う。「劣情」の人物が出てくるが続編と言うには少し薄い感じがした。
イコ: あいかわらず、常磐さんは最高です。こちらの「お文学」な気分を一行目から吹っ飛ばしてくれます。いかにも「お文学」のメロスを使い、それを皮肉ってみせるのは、かえって男子高校生のリアルな息遣いを感じさせてくれますし、実にすがすがしいです。(みんなメロスよね。羅生門のパロディはあんまし見ない)
この作品でいちばんよいと思う点は、全盲の男の子が、とても明るく、生き生きと描かれている点です。ほとんどどの作家も、全盲の人を小説に出したら、すごく重いトーンになってしまうと思うのですが、常磐さんは、ヲタク趣味をかれにかぶせて、徹底的に笑わせます。これがものすごくいいと思います。作者の人のよさ、やさしさも感じさせます。そこに感傷の風なんか吹かせない、意思を感じます。
この作品でいちばんよくないと思う点は、人物の描写があまりにもテンプレートであることです。自分が、この人はまんま○○の誰ですよね、と常磐さんに尋ねたら、「その通りです!モデルです!」とかえってきました。先行作品の誰それとまんまだといわれて悔しく思わないのでは困ります。作品の敗北だと思います。
緑川: 楽しく書かかれているようで、楽しげな雰囲気も伝わってきましたが、読者としてはどう読めばいいのかなと、ちょっと首を捻りました。いわゆるラノベってこういう感じなんでしょうか。前作の方が良かったかなと。
とーい: みなさま、感想ありがとうございます!
人物の描き方がテンプレートすぎる、というご指摘があり、一方で、ライトノベルにとっては、ステレオタイプもある程度の効果を発揮している、というご意見もある。
このあたりは共感や萌えとも密接に関わるところかな、とおもったりもしています
エンタメを書いていく上で、みなさんは何を大切にすれば、ガーゴンがより魅力的になるとお考えになられますか??
よろしければみなさんの「ガーゴン」想像図もお聞かせいただけたらうれしいです
る: エンターテイメント、って純文学もそうだと思うのですけど、もっともっと魅力が欲しいです。冒頭の文章ってよくみかけるんですが何かのテンプレなんですか?(もとネタがメロスだ、ってのはわかりました。)
緑川: メロスは冒頭部分だけかなと。ちょっと遊びで出したみたいな
日居月諸: 叙述はドタバタしているけれど展開がドタバタしていないんですよね。プロットだけ取りだしたら、ガーゴン見れなくて落ち込んでいる少年と、それを冷ややかに見守っている友人たち、というだけで、あとは一緒に映画館に行くだけ、というもので。百合神君が無敵だっていう前提を崩しても面白いと思う
イコ: 想像図……。全盲の人物が、「ガーゴン」をさわって愛でる、という図が見えて、ああこの作者は目に見えない部分にも価値を置いているんだ、と思いました。
で、全盲の必然性についてなんですけど、自分はさほど重要ではないと思います。この作品は、全盲だろうとそうでなかろうと、男子は楽しく会話できるんだという、この「楽しさ」自体があらわれていると思うのです。常磐さんはそこを、あまり分けてはおられないと思います。だからこそ、すばらしく感じられました。
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 22:15 送信者: 日居月諸
> 叙述はドタバタしているけれど展開がドタバタしていないんですよね。プロットだけ取りだしたら、ガーゴン見れなくて落ち込んでいる少年と、それを冷ややかに見守っている友人たち、というだけで、あとは一緒に映画館に行くだけ、というもので。百合神君が無敵だっていう前提を崩しても面白いと思う
友人たちの会話、ボケとツッコミなどの日常をたのしむのが、ガーゴンの魅力でもあるとおもいます。
イコさんのご指摘の、全盲のかたをあかるく描かれている、というのも常磐さんの美点ですね!
日付: 2013/02/23 時刻: 22:08 送信者: 緑川
> 楽しく書かかれているようで、楽しげな雰囲気も伝わってきましたが、読者としてはどう読めばいいのかなと、ちょっと首を捻りました。いわゆるラノベってこういう感じなんでしょうか。前作の方が良かったかなと。
前作とくらべ、どのあたりにちがいをかんじられましたか??
る: テーマが明るいですよね
イコ: ともすれば暗くなりがちな誌面を明るくしてくれる。
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 22:02 送信者: 日居月諸
> 校正をしている間、この作品に盲目という設定は必要なのかと思っていた。ひとまず楽しく読める作品だったので保留しておいたところ、過去作を受け継いだ作品と知り、勇み足は避けられたと保身が出来た卑しい喜びを感じたが、それを踏まえたら尚更、過去作を受け継いだ以上のものではない、と感じた。
> むしろ、過去作を掘り出せて良かった。盲目、自殺、劣等感、なにかしら欠如している人間たちが集まって、自分たちの「劣情」を上手く解決していく仕立てになっている。その点、この作品は過去作の反動とでも言うかのように陽気さしか感じない。
> ただ、以前常磐さんの作品を合評した時に、暗い筋立てを陽気な描写で覆い隠す怖さを感じたことがあった。それを踏まえると、この作品の裏に潜むものが何か、ということに注意した時この陽気さは武器になるのではないか、と留保が置ける気がする。
> とはいえ、それはあくまで作者の全体像を知ってこその指摘だと思うから、この作品を評価することにはつながらないだろう。
欠如している人間たちが集まって、劣情を解決していく、という指摘はエンタメというかラノベにとって、もっとも大切な要素のひとつとおもいました
緑川: キャラクターが何を抱えているか、ですね。書き手としての挑戦というと大袈裟かもしれませんけど、その部分が、今回手慣れたやり方という感じがしました
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 22:15 送信者: イコ
> 想像図……。全盲の人物が、「ガーゴン」をさわって愛でる、という図が見えて、ああこの作者は目に見えない部分にも価値を置いているんだ、と思いました。
> で、全盲の必然性についてなんですけど、自分はさほど重要ではないと思います。この作品は、全盲だろうとそうでなかろうと、男子は楽しく会話できるんだという、この「楽しさ」自体があらわれていると思うのです。常磐さんはそこを、あまり分けてはおられないと思います。だからこそ、すばらしく感じられました。
ガーゴンそのものの描写をほとんどされなかったことの意味と意義を、イコさんは指摘されていますね
イコ: ラノベやエンタメについての話題があがっているので、そういうのも好きな人間として、ひとつ例をあげますね。
……たとえば「リトルバスターズ」って、近い雰囲気があるんですよね。とにかく徹底的に仲間内でバカなことをやる。ツッコミが追いつかないくらいボケまくるのですが、すべて内輪で完結しているような、当事者同士だけが楽しいような雰囲気を出す。リトバスは、そのあとに重たい現実の錘がくっつくんですが、ガーゴンではただ楽しい雰囲気だけをパックしている点で、違いますが。
日居月諸: (あ、実は真彦のモデルって・・・)
る: 厳しいこと言ってしまうと、わたしはこういう作品に対してアンテナが無いのか、面白いとは思わなかった。わたしが読んだことのあるエンターテイメントと呼ばれている作品(西尾とかもりミーとか団鬼六、或いは阿佐田哲也)と比べても、もっと軽いので、多分わたしみたいな読者は想定外なのかもしれないけど、一読者から言わせて貰うと、もっと書けるでしょと言いたくなります。あとやっぱり誤字。
とーい: (邪気眼の表象としての盲目)
日付: 2013/02/23 時刻: 22:25 送信者: 日居月諸
> (あ、実は真彦のモデルって・・・)
知りたいです!
イコ: 「欠如している人間たちが集まって、劣情を解決していく、という指摘はエンタメというかラノベにとって、もっとも大切な要素のひとつとおもいました」
↑とーいさんのこのご意見は、ああたしかにとうなずけるものです。
「僕は友だちが少ない」って作品では、友だちのいない(ソーシャルスキルが欠如している)人たちが部を結成し、友だちを作るための方法を考えようと色々画策する。
はい、ご本人に確認しましたが、日居さんのお考えの通りでした。
日居月諸: (あぁやっぱり・・・)
イコ: 「僕は友だちが~」より分かりやすくはないにしても、常磐さんの作品にそういう要素があることは否定できませんし、ラノベ的と言われるのはもっともだと思います。
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 22:25 送信者: る(shiroyama)
> 厳しいこと言ってしまうと、わたしはこういう作品に対してアンテナが無いのか、面白いとは思わなかった。わたしが読んだことのあるエンターテイメントと呼ばれている作品(西尾とかもりミーとか団鬼六、或いは阿佐田哲也)と比べても、もっと軽いので、多分わたしみたいな読者は想定外なのかもしれないけど、一読者から言わせて貰うと、もっと書けるでしょと言いたくなります。 あとやっぱり誤字。
エンタメ、ラノベこそ、文章が大切というご指摘は肝に銘じたいとおもいます
る: なるほど、<はがない
とーい: しかし、エンタメである以上、読まれる、売れるというのは一層大切な視点ですよね
イコ: この語り手「俺」が、成績優秀な人物だと設定されていることをうかがい、「ええー」とは思いました。スタイルと内容のズレはあります。幼稚性が際立っている。
自分はそのへんの、男子高校生の息遣いがきちんと表現されているレベルであれば、この一人称俺の語り(つまり文章)は、さほど問題とは思えません。
とーい: ラノベの主人公は、どこか、なにかが欠けている必要があるというのを、イコさんは暗に指摘されている
書名は上げませんが、人気のあるラノベでの文章のひどいのはあります
イコ: 必要とまでは言いませんが、ほとんどが初めにマイナスを背負わされてますよねw
とーい: しかし、個人的な実感では、人気のあるラノベには文章を超越するストーリーがある。
小野寺さんがエンタメという純度が上がっている、と指摘されています。
緑川さんは楽しげな雰囲気が伝わるといわれてる。
日居さんは陽気さしか感じないと指摘されている。
興味深いのは「なになにに萌えた」という指摘がないところです
イコ: 「しかし、個人的な実感では、人気のあるラノベには文章を超越するストーリーがある」
ごもっともです。今回の作品は、前作ありきで読めるものだと思います。前作(劣情)が少しくらいトーンだったから、余計に明るさが映える。でも、単体じゃそこまでの魅力はないし、それ以上のものが見えるかっていうと見えませんね。
あー、萌えか。萌え……ませんね。美少女ほしいですね。
る: ラノベの主人公って突込みが多いなぁ、カヅヤさんがキョンを引き合いに出したけどなるほどなぁと。「はがない」も突っ込みですしね。そういった当たり前の感性を描くことによって読者を感情移入させるものなのかな。
カヅヤ (そもそも前作と繋がっているということをここで初めて知った人も少なくない…はず!)
(どっかで書かれてるのを見逃してますかね…?)
イコ: 巻き込まれ型の主人公多いっすよね。変な人物がいっぱい出てきて、それぞれに突っこんでいく。
とーい: わたしはカヅヤさんが「色々自分の身の回りとシンクロしてプルプルしました。これなんて俺?」と感じられたこと、ここに常磐さんの可能性を見ました
カヅヤ: …感想に具体的な内容書いたのですが、あまりにも横道だったので貼りつけませんでした…。
とーい: エンタメ、ラノベにとって、どうもテンプレートは必要らしい
る: そうなると「変な人物」のほうにもう少し力点が欲しいかな、あともちろん皆さん仰るようにストーリー
緑川: そもそもガーゴンってオタクの対象なのかなというのも、ちょっと思った
イコ: (直接的に前作との連関は示されてないですね。ただtwi文だから、これを出した、というのはあるかと思います。)
とーい: しかし、成功している作品は旧来のテンプレートだけでなく、あたらしい価値観も必要だと
日付: 2013/02/23 時刻: 22:40 送信者: 緑川
> そもそもガーゴンってオタクの対象なのかなというのも、ちょっと思った
ここは大切なテーマですね
イコ: ガーゴンを選んだあたりがシブいと思います。これが美少女フィギュアを愛でてたら、もっと読者の反感を買うでしょう。
カヅヤ: たしかに、特撮好き、ぬいぐるみ好き、関節人形好きは周囲にいますが、確かにガーゴン的なものが好き、っていうのは自分の周りにはいないですね。
とーい: 自分は日居さんはじめ、みなさんの感想から感じたのですが
緑川: セクシャルな要素がないということかな
とーい: 常磐さんのやさしさというのは、どうも児童文学の才があるのではないかなと
カヅヤ:
>児童文学 !!
カヅヤ: ふと、はやみねかおる思い出しました…。
イコ: 分かります。常磐さんの児童文学を読んでみたいです。>とーいさん
【横を向いたまま】
とーい: 本日の合評会の最後を飾るのは、日居さんの「横を向いたまま」です
今回も感想をお持ちのみなさま、恐れ入りますが、チャットへの貼り付けをよろしくお願いいたします!
日居月諸: お願いします
る: 主題が、描写そのものに影響を及ぼすといった手法は新しくは無いと思うが、読んでいて、とても丁寧に描写された「他者」への目配りが読者を惹きつけると思います。それを記述した文章も、(これは大事なことだと思うのだけどクドくならない程度で)繊細であり、とてもバランスのとれた作品だと思いました。一方プロットという点から言うとうまくオトせていないような気がする。老年世代の(飽くまで小説としての)リアリティのある描写から、語り手の個人的な男女関係に移るのだが、後者がどうしても前者と比べて平凡になってしまっており、尻すぼみしてしまったところが唯一もったいないと思ったところでした。ただとてもレベルの高い作品だという評価です、個人的にはtwi文もこういう作品が出てきたのかと少し感慨深くなりました。
カヅヤ: (書きなおされたものをきちんと読めていないので、的外れな部分があるかもしれません)
書かれている世界はすごく好きです。世代超えた感じとか。老人たちの会話とか。土地の話、坊主の話、親戚の話。手触りがすごくリアルで、この世界知ってる、こういう世界を書きたかった、と思いました。が、独特の言い回しが多く、自分はそこで躓いてしまって、ちょっと苦しかったです。でも逆に、その言い回しを用いているからあの世界観が書けているのだろうか…と思いました。描写が三人称っぽいので、一人称であったことを頻繁に忘れ、その都度ひっかかる。あと、「私」の一人称の地の文が、女性っぽくなくて、「あ、そうだ女の人だった」ということを、何度か感じてしまう。一人称にするなら文がもっと主人公に寄り添っていてもよかったのでは、と感じました。
冒頭部分と最後の部分は、必要な部分だと思うのですが、本編(大伯母中心の話)と断絶してしまっているように感じて、もっと濃く結び付いていてもいいのかな、と感じました。
小野寺: 最初の学校のシーンから私へと移行するのに少し時間を要した。そこを過ぎると一気に視界はひらけ難渋なのも心地よい。大叔母の根のありすぎる噂が明かされるシーンには圧倒される。その提示の仕方が憎らしくなるほど巧い。また文章もわずかながら変化していてここは明晰であるのも凄いと思わせる。親族の様々な人物に名前があるのだが、大叔母は大叔母と抽象的に書かれる(実際は固有名が出ているのか)のが妙な効果を呼んでいていかにも歴史的背景の一コマへと昇華しているがごときに思える
ただ私としては大叔母は個人名でも良かったように思う。
る: 大伯母では?
日居月諸: (姉のオバですから大伯母ですね)
イコ: なるべくなら主語を排した文章、語り手がいりまじるような構成、親切でない最低限の情報開示は、昨今の「読みやすさ」ばかりを求める読者にはスカンを食らうおそれはあると思いますが、この読者を立ち止まらせ、一文一文を意識させる感じこそ、「小説」だと自分は偏見つきで思っています。読むほどに味が出て、大好きなタイプの作品です。非常に書き慣れた方であると思いました。
けれども、本当に精査されたのか、あやうい文章もたびたびまじります。
『瞳は固まり、目は見開かれ、顎が上がった。眉が強ばり口元が手で覆われるのに従い、教師は集まる視線から庇うように彼女の肩を抱いて、椅子から立ちあがらせた。』
妻は、たとえばショックに感じたとき、口元を手で覆ったりはしないらしいです。どちらかというと、この仕草をするときは、嘘をついているときであるとも言いました。とすれば、語り手「わたし」の見立ては、作者の「恣意的誘導」にも感じられはしないか?
カヅヤさんの、女性らしく感じられない、というところにもつながってくるかと思います。
また、後半の、個人的な問題にかえっていく描写は、どうしてそこにつながるのか、読みとれませんでした。主人公のセックスと葬儀をもっとリンクさせ、個人的な問題に一段深みをもたせてほしいです。
弄略→篭絡
臆目もなく→臆面もなく
↑ちゃんと校正してほしいです。
とーい: みなさま、ありがとうございます!
る: あ、言い忘れました、わたしも誤字は気をつけて欲しい。と思いました。
とーい: みなさま、高評価ですね!
日居月諸: (誤字は本当に酷いです、ちゃんとした校正が入りながらことごとく私がそれをフイにして・・・)
小野寺: 1頁めの下段、夜更けに~話していてまでの文章はなんともわかりにくかった。
イコ: 「最初の学校のシーンから私へと移行するのに少し時間を要した。」
↑小野寺さんご指摘のこれ、不必要なわかりにくさじゃないですかね。
日居月諸: (主語を付けるべきだったと思います)
イコ: えっ、彼女の話かと思いきや、大伯母さんの話なの? っていう、急な場面転換に、頭がついていかない。
とーい: イコさんの「恣意的誘導」とカヅヤさんの女性っぽくない、という意見は関連がありますね
イコ: 冒頭が学生の頃の記憶であることを、強調するようなくだりがあれば。一段落のなかにまぎれこんでいるので、すごく読み取りに時間がかかるんですね。
小野寺: 大伯母の死の報を聴いてクラスメートの祖母の死を思い出した、そこからはじまってる
カヅヤ: 流れ読まずに。作者に質問してみたいんですが、この葬儀の雰囲気って、ご自身が見聞きされたものをイメージされてたりしますか?
親類がわやわや話出すシーンがすごくリアルに感じたので、これは体験に基づいてるのかな、と。(個人的な興味です)
小野寺: ただこのクラスメートの女生徒をとらえる視線が女性の視線とは思えないので「私が」女性であることに気が付くのに非常に遅れる
イコ: ええ、そうですね、「紗江」とよばれても、まったく別の他人をよばれているような。>女性の視線と思えない。
日居月諸: 葬式には本当に出たことがありません。祖父が檀家の元締めをやっているのは私自身の体験です。けれど、祖父はほとんど葬儀の話をしてくれた覚えはありません(本人に聞いた話が気付かない内に描写に紛れこんでいる可能性はあるかも)。おおよその内容は、葬式を書いた小説から負っています>カヅヤさん
緑川: あぁ、なるほどそれで
イコ: 自分は先年、祖父の葬儀に出ましたが、「私」とあまりにもシンクロしませんでした。
カヅヤ:
>出たことない
なん…です…と…!! (葬儀10回以上出てるけどうまいなあと感じてました…)
とーい: 葬儀については、それぞれの地域の風習があるので、そこで共感できるできないはあるのかもしれないですね
緑川: 会話とか、カヅヤさんが言われるように雰囲気良かったのですが、周囲の描写がないので寺葬のようですが、主人公の目がどこを見ているのか、祭壇とかは分かりますけど
カヅヤ:
>周囲の描写 ハッ!言われてみれば…!
緑川: それ以外、情景が浮かびにくいかなと
イコ: 死者との向きあい方や、葬儀の作法は、分かるのです。ですが、「私」の感情や、なにより「目線」とシンクロしなかったんですよね。
(別にそれを欠点としてあげているわけではありません)
日居月諸: 葬式をやっている部屋を見たことはあるんですけどね、でもおぼろな記憶だから書けなかった
緑川: そうですね、シンクロ >イコさん
小野寺: 私は葬式からセックスというのは違和感はなかったです。(ちょっと古井臭がしますけど)死から生という意味でもわりに自然な流れじゃないかなと
緑川: なんか突然割り込んで批判的? なこと言いましたけど作品のレベルは高いと思います。文章も良かったです
イコ: ちょっと文学的トーンがすぎるかな、という、ある種のクサさを感じました。とくに最終場面です。「交わる」と何度も繰り返す。大伯母の葬儀があって最後がセックスで終わるというのは、とても文学的な感じがします。
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 23:19 送信者: 小野寺
> 私は葬式からセックスというのは違和感はなかったです。(ちょっと古井臭がしますけど
ふと、日居さんの小説の書かれ方を想像しました
小野寺: ちょっとパタンが過ぎるかな(笑)
る: 折りこむ、というのもちょっと悪目立ちしてたような気もします。
とーい: 思考し、哲学し、その過程で言葉を紡がれる
緑川:
>「生半可なことはできなくってな・・・、以下の数行にわたるセリフが、セリフらしくないかなとか
イコ: ああ、すごく生硬なものが出た感じがありましたね>生半可な~
日居月諸: 一応プロットの段階で最後にセックスする、ってのは決まってたんです。会話の内容も。結末が決まってると面白くないから、アレンジ出来なかった未熟ぶりが良く出た場面だと思います
小野寺: 何よりキーワード「繰り言」というのがもう圧倒的に気になりました。これは文藝的な手法以外の何物でもない
とーい: 極めて思考されている作品と個人的には思っています
イコ: その人物がそれ言うのかな、どうかなって、自分はよく考えるんですが、「繰り言」は微妙なラインでした。
とーい: 血というか、家族を定義するものの再構築に葬祭とセックスを選ばれた手法は、みなさんどのようにお考えですか??
日居月諸: (カヅヤさんに校正されて気付いたけれど、自分にとって収まりの良い言葉があると何の留保もなしにチェックアウトしちゃうようです。それで指摘されても何がおかしいのかわからない。自分の語彙が一般的な語彙とズレていると全く気付かないようで・・・)
緑川: 正直なところ、葬儀の後にセックスの場面というのがよく分からなかったです
とーい: さいごの「背中を冷たいものが撫でていった」はセックスがあるから生きるところですよね
イコ: が、「私」がこの小説のなかではなんとも弱い存在であるため、最終場面を担うだけの力をもちきれなかった、という印象がつよいです。
カヅヤ: 葬祭の場で土地や血が立ち上がってくるという構図は、いいなぁ、と思いました。と同時に。これは自作を振り返ってなんですが、葬祭という装置ぐらいでしか、そういうものを立ちあげられないのかな?ということも考えております…。中上作品でも、法要を使ってわやわやするシーンがあり、西原理恵子やジョージ朝倉作品でも、葬式で親類縁者が集まって、故人の話をするシーンがあり…。血や土地を描こうとする時、葬祭、法要の場を切り離しては描けないのかなーという縛りを感じて、もやもや…と、本作からそれてますねスミマセン…!
日居月諸:
日付: 2013/02/23 時刻: 23:29 送信者: イコ
> が、「私」がこの小説のなかではなんとも弱い存在であるため、最終場面を担うだけの力をもちきれなかった、という印象がつよいです。
とりあえず・・・ここはいたく納得しました。
る: すごくどきっとしたシーンなんですが、咲の髪が綻んで頬に落ちるシーンがありますよね。この物語自体、タイトルから語りの在り方、語り手のあり方を規定された小説だと思ったんですが、「横を向く」=「幼い頃の同級生の表情を見る」という行為に象徴された他者への気配り、そういう視線が、文体にも影響を及ぼして、繊細でシンプルな描写がいずれも象徴的な意味合いを帯びてくると思うのです。そういう意味で前出した咲の髪の毛についての描写がとても印象に残っていて、他にもいろいろな象徴的な描写がこの作品を単なる「文学臭」のする作品ではなく、物凄く身近で、共感できる文章にしていると思いました。
とーい:
日付: 2013/02/23 時刻: 23:34 送信者: る(shiroyama)
> すごくどきっとしたシーンなんですが、咲の髪が綻んで頬に落ちるシーンがありますよね。この物語自体、タイトルから語りの在り方、語り手のあり方を規定された小説だと思ったんですが、「横を向く」=「幼い頃の同級生の表情を見る」という行為に象徴された他者への気配り、そういう視線が、文体にも影響を及ぼして、繊細でシンプルな描写がいずれも象徴的な意味合いを帯びてくると思うのです。そういう意味で前出した咲の髪の毛についての描写がとても印象に残っていて、他にもいろいろな象徴的な描写がこの作品を単なる「文学臭」のする作品ではなく、物凄く身近で、共感できる文章にしていると思いました。
横を向いたままなのは、主人公なのですよね。最後、自分の業に気づくのも、横を向いたまま
日居月諸: (たぶん、冒頭のシーンで「私」という主語が抜け落ちているところとも関連していると思う)
る: 最終場面はやはり皆さんあまり評判よくないですね、わたしもあまりよくないと思いました<ラスト
イコ: このタイトルは、意味深いものを感じたなあ
イコ: 目線や、顔の方向に、すごく作者の目が向けられていて、そこがいいなあと思いました。
日居月諸: (作者の目は向けられてるけど女の子の目にはなってないんですよね)
イコ: w
日居月諸: (女の子になりたいな)
とーい: (じぶんもなりたいな!w)
みなさま、ありがとうございます!
る: ありがとうございました。
日居月諸: こんな悪文にお付き合いいただきありがとうございました。
緑川: あの・・・
とーい: 本作の文章の紡ぎ方は大変文学的であるとおもいました
イコ: やっ、そこまで悪文とは……
る: すごくいい文章ですよ。
緑川: 最後の部分の「店に入って夕食を済ませた後」の、店って何なんでしょ?
日居月諸: 典例から転げ落ちているから悪文ですw
小野寺: 批判めいたことばかり残ってしまいましたが、文章といい構成といい圧倒的な現実の迫力といい申し分ないです
緑川: 小野寺さんに同じくです
る: あ、いえ、わたしの中ではです。主語の欠落などほとんど気にならなかったので。
日居月諸: あぁ、飲食店に入る→店を出る→ラブホか彼氏の家でセックスする、の流れです。それを思いっきり省いてそんな風になっちゃいました>緑川さん
やっぱり悪文だなw
イコ: はい、主語を排するのは無駄を省くとてもいい試みだと思いますし、情報の出しどころに気をつけておられて、伝達のための文章になってないところがとてもよかったと思いました。
とーい: 一方で、男性が女性の目を持つことの大変さもあらためて認識しました
小野寺: 日居さんは以前は分裂で苦しんでおられたのに短い間に克服されたのは本当にすごいと思いますよ
る: そうですねカヅヤさんも仰ってたけど、女性から見ると女性っぽく見えないというのは改善できるのかな、と思います。
とーい: セックス描写がないことが、自分はいいなとおもいます。官能に溺れないところが。これは男目線なのかもしれませんが
る: 村上春樹w
日居月諸: そうしてみると学校とセックスの部分ってまだ分裂してるんじゃないかな
小野寺: 學校が好きなんですか?
日居月諸: あぁ・・・w
る: でも回顧としての学校の描写だから、なんらかの女性性というのは烙印されていると自然なんじゃないかなぁとも。
日居月諸: あるかもなぁ・・・次回は学校なしの小説になりそうだから、棚上げになりますけどw
イコ: 今日はこのくらいですかねー
日居月諸: お疲れさまでした