日居月諸: では始めましょうか。
日居月諸: ビター&スイート 彩 7枚
評論 暴力論 misty 19枚
小説 瞳 子 常磐 18枚
日居月諸: 今日はこの順番で合評を進めていきます。時間は一つ当たり30分から40分。
日居月諸: まずは彩さんの「ビター&スイート」からです。あらかじめ感想を用意している方はどうぞ。
■彩「ビター&スイート」
日居月諸: 普通のおとぎ話という言った印象で、あまり優れているものとは受け取れなかったです。どうしても目を通している作品が少ないので前回と比べてしまうのですが、細部に対する気配りめいたものが、あっさりと寸断されていたおり、おそらくやそこにこそ作者の個性はあると思うので、そのせいかと思います。
小野寺: 面白かったです。が、もっと面白くできたのではという感も無きにしもあらず、やや文章が単純だと思った、前回の彩さんの小説は難解な部分もあったので今回はわかりやすくしようという意図があったとは思うけれど少しやりすぎたのではないか。具体的に魔女の背景に言及したり御姫様の美しさの描写を詳しくしたりするといいのでは?
ふかまち: ビター&スイートは前回の作品が物語を描写でくるくると包んでいたのに対して描写を少なく物語をつるるんと追いやすくしているなあと思いました、そのせいか物足りなくて、姫や王子それから王国について彩さんらしい世界を描いてほしかったな、と思いました。
イコ: 童話のような語り口のせいもあってか、描写がしつこくなく、あっさりした作品で、終わったときに、もう終わりかぁ、と思いました。何かの教訓を伝えようとする作品なのでしょうか? そうだとしたら終わり方がハッキリしないように思います。そうでなくても何かしら人間への彩さんなりの目線や、展開のおもしろさがほしかったです。
日居月諸: おおむね感想は一致しているでしょうか。みなさん、描写の薄さに対して物足りなさがあったり、展開の平板さを感じていらっしゃる。
小野寺: 子供を授かるための薬が綺麗になってしまうという設定は好きです、詐欺であっても何か別の有益な部分があるというのは、なんかほのぼのしていていいな。
小野寺: まあ、王妃の願望が子供を授かることよりも綺麗であり続けたいという無意識を表現しているのか。
ふかまち: 王子と姫のふたりはほのぼのだけど取り巻きはぴりぴりしてますね、ビター&スイート!
イコ: そうですね。でも最後の場面で美しさを失っているのがかなしいですね。二人が最後まで綺麗でいつづけると、何かしらはっきりするかも?
小野寺: さすがに林檎水では無理があった。
ふかまち: どうして子供を授かることができなかったんだろう。
小野寺: これはきっと王に問題がありますね、種無しかもしれない
小野寺: ただ王だからそんなことを考えるのも不謹慎だったのか。
ふかまち: なるほど、それか子供を授かることばかり考えてる二人を皮肉っているのかな、皮肉るというと響きが悪いですが。
イコ: はじめは子どもを授かって人のためになるように考えていたのが、水をもらって綺麗になって、自分たちのことばかり考えるようになったからかな?
ふかまち: そっか! そんな気がします。
日居月諸: しかし文章の上では子供を産むことは考えています。邪推の域を抜けないかと。
彩: こんばんは。ROMってます。なんか、時間がなくてざーっと書いたアラが見事露呈した作品ですいません…。
日居月諸: こんばんは。
小野寺: こんばんは。
ふかまち: こんばんは!
イコ: こんばんは。
彩: 解釈的に割れてるので、ちょっと加えると、ゆっくり狂って行く過程みたいなのを書きたかったんですが、なかなか難しい…きっかけはニュースで女の人が50歳近くになっても不妊治療を続けてるドキュメントを見たことでした。怖いな、と。
イコ: なるほどー!
小野寺: うーん、ひとごとではない怖さがある・・・。
日居月諸: ああ、それは怖いですね。
彩: でも不妊治療の話って、実際タブーに近いので、なかなか掘り下げられなかった。これは失敗です…子供を産んだらまた違うのかも知れないですが。
日居月諸: 背景はわからないので何とも言いようがありませんが、なまじ否定しづらいだけにより難しい話ですね。私は男だからすっぱりと否定できるんですが、女性としてはね
イコ: 重たいテーマだからこそ、あえて軽いタッチで描いたんかな、と今のお話を聞いて思いました。あっさりと軽く描くからこそ、重いものがひびいてくるっていうのはあります。
小野寺: 詐欺女が林檎水が利かなかったら別の薬物を考えあの手この手を使うというパターンもありかなと思いました。
日居月諸: 単純にだます一辺倒ではなくて情が湧いてくるというのもありかもしれません。
彩: というか、実際先天的に子供を産めない人とかいるので、やっぱり書いてて迷ってたんだと思います。ただ、不妊治療って終わりがなかなか見えないし、諦めるきっかけが難しい。ただ、子供がいないならいないでもいいんです。でも周りがそれを許さなかった、みたいな境遇で書きたかったのですが、これは無理ですね…いろいろ足りない…。
イコ: ゆっくり狂っていく、の「ゆっくり」の部分は非常に難しいですね。簡潔な書き方でもいいと思うのですが、とにかく時間の経過によって、主人公たちの考え方や行動が、外(読者)から見ておかしくなっていく様子が、作為的と思われないぎりぎりのラインで、はっきりと示されていくといいように思います。そうするとある程度の分量が必要になるのではないでしょうか。
ふかまち: ベル薔薇のマリーアントワネットっぽく最初は皆に歓迎されていた少女が嫌われ者になっていくみたいなそんな感じがしました。
彩: ですね。どんどん狂って、子供を生むことしか考えなくなって、どんどん二人だけの世界にこもっていく、その過程は必要だったな、と思います。
日居月諸: その点養子として跡継ぎができたにもかかわらず二人がまだ子供に対して執着しているというのは適格な設定だと思います。手段が目的になっていくわけですね。
イコ: 他人のことや周囲の状況がすべて取っ払われていって、「子どもを生む」っていう行為と目的だけが先鋭化していくというのは恐怖をよびますね。
彩: 日本は実子を重視しますよね…何となく歪んでるな、と思ったのがきっかけだったのですが…。
日居月諸: 子供を産むことが愛の証とはよく言われることですが、ひょっとしたら王子と姫は自分たちの愛に疑念があったからこそ子供に執着していた、みたいなことがあっても面白かったかもしれません。
日居月諸: あとは養子の視点があってもよかったかもしれない。せっかく跡継ぎとしてやってきたのに、養父母はほったらかし、みたいなね。
日居月諸: そろそろ時間ですが、何かしゃべり足りないことはあるでしょうか?
日居月諸: ありませんか。では次の作品に移りたいと思います。
日居月諸: 次はみすてぃさんの「暴力論」です。
■misty「暴力論」
日居月諸: あらかじめ感想を用意している方はどうぞ。
小野寺: 暴力と言うのが、男と女という点から語られるというのは予想外の方向からボールが飛んできたと思いました。
日居月諸: 本人にはお伝えしましたが、「暗い中立性」「明るい中立性」と腑分けできるほど現実は簡単ではないと思います。暗い中にも明るさがあって、明るさの中にも暗さがある。たとえば差異をただ単純に楽しむ、とありますが、それほど単純なのか。どうしようもなくかけ離れてしまう差異と差異はないのか。一方の差異がもう一方の差異を再起不能なまでに壊してしまうことはないのか。その時の解決法はどうすればいいのか。そこで暗い中立性に明るさが宿ってくるのではないか。そういうことを踏まえながら連載を続けていってほしいと思います。
イコ: どのあたりがみすてぃさんの主張で、どのあたりがドゥルーズやバトラーなどの先行研究の領域なのかが分かりづかったので、きちんと注釈をつける形で書いてほしいと思いました。
というのを置いておいて、「暗き中立性」と「明るき中立性」という分け方は興味深く読みました。ただ現実はその二つだけじゃなくて、もっと複雑だと思うんですよね。「どちらにも味方しない」ことと、「裁判所ポジション」のつなげ方が弱く感じられて、「どちらにも味方しない」けど意見はもってるぜ、でも言わないだけだぜ、っていうパターンもあるよなー、と思いました。そういうのは暗き中立性でも、明るき中立性でもない?
ご本人はたしかこれをエッセイと言っておられた記憶があるので、それなら、もっと身近な例を挙げて詳しく説明してもらうと、論拠が分かりやすくなるように思いました。
小野寺: ガンジーの非暴力主義というのはなんとなくのイメージではなくて掘り下げてみてもいい問題だと思う。かくいう私もそれほど読んでいるわけではないんですけど。
イコ: そうですねー、ガンジーについては、もっと詳しくみすてぃさんの話を聞いてみたいですね。
イコ: ガンジーがどういう主張をしていたのかっていう解説は、不勉強な自分には、本文でしてもらうと、ありがたいなあ。
イコ: あと<紛争>総論って書いていたけど、本文には<紛争>という言葉がきちんと定義づけられて、出て来なかったですよね。これは次以降で語られるのかな。
日居月諸: ガンジーは私も明るくないのですが、20世紀の哲学史にあって「暴力」をもっとも考察し続けた哲学者に、レヴィナスが挙げられます。レヴィナスは、「顔」という単語を使って殺人の可能・不可能を論じていました。ふつう、人間は人を認識するとき、自分の影響下に所有しようとします。それに対する抵抗として、「顔」がある。そこで人間は素直に、はい、そうですか、といえる生き物ではありません。
イコ: ふむふむ。
日居月諸: その「顔」の抵抗を振り払って、どうにか対象を所有しようとします。そこには否定性があるわけですね。「所有」の否定と、「顔」の否定。
日居月諸: やや単純に話せば、殺人は、この「顔」を否定しようとする自分の能力を否定することによって、犯されずに済みます。自己否定するんですね。
日居月諸: ですから、自分と違うもの(差異)を肯定するにも、一度否定を媒介しないとならないわけです。自分の権力を否定する。人間という体制を否定する。そこでこそ、「肯定」があらわれるわけです。みすてぃさんはこのあたりをどう考えているのか。おそらく考えていないと思います。
Akila: (こんばんは、先ほどからひっそりROMっております。「顔」の話は面白いですよね。この前の何故、虫は殺しても良いが猫は殺してはいけないかという私の疑問についての日居さんの指摘に腑に落ちたのでした(笑)もっとも、研究室時代『全体性と無限』で修論書こうとしていた同期と教官の議論中は、難解過ぎて、ほとんど寝てた人間ですけど...)
日居月諸: 単純に殺人や暴力に対して、それは悪いことだからやめろ、違うものを肯定しろ、では、むしろ差異に対する否定にしかならないんです。何より、それは自分に対して要求を投げかけていない。少なくともガンジーはこの点に対して敏感だったろうと思います。彼は自己の中の恐れや不安を否定してこそ非暴力は成り立つ、といっているので。
日居月諸: みすてぃさんが信奉しているドゥルーズに対しても同様です。肯定-否定に対してもそうなんですが、最近、つながりを重視するドゥルーズ像を一旦留保して、内側にこもるドゥルーズ像を見直そうという運動が広がっています。そういう風にドゥルーズも幅の広い人であって、一概に肯定ありきの哲学者じゃなかった。否定についてもちゃんと考えていた。
イコ: なるほど、日居さんの指摘にもつながると思うのですが、自分はみすてぃさんが、「俗的でつまらない」という言い方をしたところが気になるんですよね。「つまらない」という言葉は、「論」と形を取ったものでは、おもむろに出してきていい言葉ではないと思うんです。
イコ: それはみすてぃさんの態度(それもとても感情的なもの)を如実に示してしまう。
イコ: だから、先から続くフェミニズムの記述にも、フェミニストの立場からの記述はあるけれども、逆に、女性から男性への暴力の視点が抜け落ちてしまっている。
イコ: ここではとくに「総論」と言っているのだから、きちんとさまざまな立場の論者の意見を述べてほしいと思います。
イコ: みすてぃさんのせっかくの「暴力論」が、一方的で、暴力的に見えてしまうのは避けたいです。
日居月諸: 抑圧という言葉を使っていますが、フロイトによれば抑圧は抑圧すればそれで終わり、という話ではないんですね。抑圧したところで、なだめすかし位の意味しかなくて、抑圧したものは断続的に浮かび上がってくる。
日居月諸: 暴力についても同様で、暴力を否定したところで、それで終わり、という話でもない。否定=抑圧したところで、内在している暴力は突き上げてくる。
日居月諸: そういうところに自覚的になれば、評論としては一歩踏み出せると思います。
日居月諸: そろそろ時間ですね。しゃべり足りないことはあるでしょうか。
イコ: いいですよー。
日居月諸: ないようですね。では次に移ります。
日居月諸: 次は常磐さんの「瞳 子」です。
■常磐誠「瞳 子」
日居月諸: あらかじめ感想を用意している方はどうぞ。
日居月諸: 私自身が親と対立した経験がないので、どうにもこの小説に対しては外側から意見を述べることしかできないので、感想が述べづらいところがあります。ただ、そのうえで一点だけ指摘するなら、師匠の描写は、あまりに意地が悪すぎるのではないかと思いました。連載を続けていくにつれ誤解であったと思わせられる可能性はあると思いますが、常磐さんらしくないキャラクター造形だと思います。
イコ: 全盲と構音障害を同時に取り入れるとは……常磐さんは今回も挑戦しておられるように見えます。どうしても構えてしまうけれど、常磐さんはいつも、何らかの困難をもった方を誰とも区別することなく描こうとされるのですごいと思います。
ただ今回は、ずいぶん意識的に全盲と構音障害を出しておられるな、と思いました。構音障害についての説明は、もっとさりげなく、埋め込めなかったかなあと思います。
イコ: 文章がうまくなっている(リズムと運動が発生している)気がして、とても楽しみながら読めました。ところどころ見られる「てにをは」の間違いを直せば、もっとよくなるのになー。
ふかまち: 「音の中に溶けていく」というのにピアノでストレス解消するときのがっちゃんがっちゃんというピアノの音は合わないような気がしました。なにもピアノの音がすべてなめらかな音を奏でてるとは言いませんが、違和感を感じました。
日居月諸: 連載作品に対して言いづらい感想ではあるのですが、私はどうにもこの小説が立てる問題に対して距離を感じざるを得ません。一度才能を見出したピアノが、遠ざかっていく。その苦しさはわかるのですが、ここまで他人に対して当り散らす必要もない、とまで言ってしまうと大人の意見と言われてしまうでしょうか。
日居月諸: ここまで聞かん気な人物を常磐さんがこれまで書いてこなかったから感じるのだとも思うのですが。
イコ: でも常磐さんの作品は、精神のバランスの不安定な若者が多く描かれますね。
日居月諸: これまでは内側で溜めてしまい、もどかしさとして描かれていた。それが対外的になっていますね。
イコ: 常磐作品の人物は、剥き出しの言葉で、他人に対して激しく突っこむ、そういうところがあると思うんですけど、確かに、ふだんは外にはあまり吐き出さないかもしれません。この人物をおもしろく感じたところは、手話や指点字で、その感情を言葉にするところでした。
日居月諸: 障害があることで感覚に壁があるからこそ、それを突き破ろうとして対外的になる、という可能性もありますが、師匠は別として両親に対してはそこまで敵対すべきものはないように感じます。もちろん、外側から見ているからこそではあるのですが。
イコ: 口で言う「ふざけるなド素人が!」と、指で書く「ふざけるなド素人が!」は、聞こえ方が違うんじゃないかな―と。それっておもしろいと思うんです。
日居月諸: それは文字として受け取る読者である我々についても言えるでしょうね。記号として浮かび上がっているから、こちらにも肉感をもったものとして届いてこない。だから外側から見れてしまう。
イコ: 両親への敵対心は感覚としてですけど、分かります。これ、相手にいら立ってるというのもあるかもしれないけど、何より自分にいら立ってるんじゃないかなーと。
日居月諸: ええ。ですから私は距離を感じざるを得ないんです。見えない敵と戦っているから。冒頭で曽祖父が平等に愛してくれたことにやたらとこだわっていますね。本当は違うんじゃないのか、と思っている節がある。そこを素直に受け取ればいいのになあ、と思ってしまうんです。
日居月諸: もちろん連載を続けていく中で解消していく可能性もあるんですが、仮構の問題と戦いつつ解消してくんだったら、なんだか腑に落ちないところはある。
イコ: 日居さんと興味をおぼえるポイントが違って面白いですね笑
自分は、序盤のこだわっているところもおもしろいです。私の話している内容と、本心の差異みたいなものが描かれていて、常磐さんはたぶん「感覚」で書いてる気がするんですけど、うまいなーと思うんですね。
日居月諸: ただその本心が自分の内側から来ているとは思いづらいんですよね。疑いに疑いを重ねた末に成り立っている、ねじまがったもののように感じざるを得ない。他人の視点を取り込みすぎている。
イコ: 常磐さんはその人物になりきって書いてるんだと思う。twitterでもよく登場人物になりきって喋ってる時期があったけれど、その人物の心の中にもぐりこむんじゃないかな。だから心の中の言葉が、すごく剥き出しになってる。
イコ: 他の方のご意見もうかがいたいなー。
日居月諸: ぼちぼち時間ではあるわけですが、いかがでしょう。
日居月諸: ないようですね。ではこれにて第三回合評は終了ということで。
イコ: おつかれさまでした。日居さん、ホストありがとうございました。
日居月諸: おつかれさまでした。
日居月諸: 次回は8月31日(日)です。