■「Li-tweet」(創刊号)第二回合評会
日時:12月28日22:00~
小説部門1:ホスト安部
対象は「流離」安部さん「體」常磐さん「やるせない」Rain坊さん
参加者: 小野寺、常磐、日居、6 、緑川
●「流離」安部孝作
6:最初は巧いと思った。夏みかんが箱詰めされておくられてきて、そこから満員電車にうつる箱詰めのイメージの連鎖はスムーズでありよかった。日常を何気ない思考を比喩などを織り交ぜて文学的なモチーフに転移させていくことができてもいた。無生物主語、擬人法、思考が行き着く先の架空風景……そういったものは最初は新鮮であった。ゆえに冒頭から暫くは読み進めていくことがかなり愉しくそれを脅威にも感じていたもののそればかりがえんえんと続けばさすがに飽きてくるし、進めば進むほど冒頭からそれにつづく最初にあった面白さ・詩性はそがれていくように感じた。
中盤辺りになりその強引さに辟易したところもある。また現実世界の描写が極めて退屈であり、空想世界のものはまだ「他のものと置き換え」が難しいように感じたが、現実世界においてはたやすくそれを可能にしてしまいそうな弱さがあった。
しかしレンタサイクルの主人との会話をきっかけに、自動感知のインターフォンの場面なども含めて「現実」がじょじょに面白く描けて結末にいたるまでで少し盛り返した感はあった。変に文学を呼びこまなくても日常それ自体の違和感を文学的に古今の巧い小説家たちは描いてきたと思うので、文学的なものから逃れることが最も文学らしくなるという矛盾をこの作者には飲みこんでもらいたい。
日居月諸: すいません、今日は何にも用意できてません。手ぶらです
小野寺: 安部さん「流離」
「僕」は何かに苦しんでいるのはわかるのだけれども具体的に何であるのか、漠然としていて捕えがたい。おそらくは自らもいわく言い難い気持ちのままで書いたのではないのだろうか。文章に逆説的な表現が多く、~だったが、~だったという言い回しががとても多いからだ。言い切ることのできない感情が印象を形成しにくくしている。これは損なのではないのだろうかと思った。一読した時は内面的な完結があるような錯覚に陥ったが、そうでもないような気がしてきた。むしろ今回は地の文よりも会話文の方が流暢な感じがする。伊勢神宮の傍らに住んでいる男の話はそれなりに面白かったが逆に言ってしまうとそれ以外の部分は伝わらないもどかしさが多い。若さを強調したいのならある程度の「ぶりっ子」は必要で純文学にしてもキャラクターを設定したほうがいいように思う。前半の哲学?めいた感想もどうせならいつものように強靭なもののほうが面白く思うし、感性で勝負するには印象的な風景を描いているようにも思えなかった。ちょっと辛口であるかもしれないが。
KOUSAKU Abe: フリートーク入りましょう。 日居さん、二人の感想を見てどう思われますか?
日居月諸: 会話が流暢だと感じるのは同感ですね。心情描写というか、内面に潜った時の叙述と比べてそう感じるのかもしれない、とは思うのですが、 私の感想でいえば、「肉体という偉大な感知器を失くしてしまって」という文章が3ページ目にありますね。それを引き合いにだすなら、主人公の心の中の懊悩を描いてるはずなのに、主人公自身の苦痛は描かれていないんです。苦痛を何かに託している、隠喩的に。沈没船だったり、浜辺だったり。
小野寺: なるほど、それがどうにも伝わりにくいもどかしさがありますね
日居月諸: その点、言葉だけで成り立っている小説という感じがあります。主人公にとって何かを感知するには、言葉が必要なんですね
6: 苦痛を何かに託していく方法ーそれ自体は悪くないのではないかと思いました。明示すること自体がいつも良いとはかぎらないので、
日居月諸: うん、方法としては全くまちがっていない。むしろ成功すれば、強力なものとなる
6: 悪いと思ったのはその苦痛が来る方向や受け止め方にぶれがあるのではないかと思いました。
小野寺: 苦痛の具体的な例としては受験なんでしょうか
6: 苦痛とはやはり原因が判らなかったり、簡単な言葉で表現できなかったりするから。苦痛でないかと思います。そういった言語化しにくいものを比喩などを駆使して、描写しようとすること自体は面白い試みかなと思います。
小野寺: 具体的なモノが特に必要とも思いませんが
6: だから簡単に受験と断定するのは良くないのかなと。僕は思いました・・・。多くの人はそれぞれ言い難い悩みがあると思うので・・・
日居月諸: 苦痛の受け止め方のブレ、ということがありましたが、具体的な例をあげてみますね。10ページ目の猿田彦神社を訪れた場面。ここで「鼻の奥につんとくる」とか、そこで肉体的な感覚がきますね。
6: 仮託された比喩が連鎖するように何かを呼び込めば・・・すごく良い一作になったのではないかと思う・・・構造化された比喩。比喩が海を連鎖していったのだけど、鳥羽の現実の海との関係でいうとあまりにも直球であり二分化されることの良さがいまいち掴めなかった・・・。
6: ええ>日居さん
日居月諸: ここでブレがきます。けれど、ブレること自体は悪くはないかな、と。このシーンは、肉体的感覚を取り戻し始めてるとも取れる。けれども、その後「浜辺」に戻っていきますね。ここがなんとももどかしい
6: もどかしさか・・・。
小野寺: なるほど
6: (ところで本日は一作あたり何分?それによって語り方も変わると思います。)
小野寺: なるほど
日居月諸: 「荒涼たる風景」とか、「街はどうして、こんなに混雑しているのだろうか」とか、つづく文章によってポジションが戻ってしまうんですね。これによって、肉体的なブレも隠喩とレベルが同じになってしまう。ブレが主題に沿ったものではなくなってしまうんです
緑川: この作品、主人公と作者が少し距離を置いた。 三人称がよかったのではないかと思いました。読者までもが、主人公の内面の逡巡に巻き込まれてしまって、作品そのものの見通しが今のままでは、あまりよくないのではないかと。 分かりにくいというか、すっきりしない感じが付きまといます。面白い表現が随所に見られますので、惜しい、という感覚があるんです
>名古屋市の景色は滲んで、灰色の渦巻きとなった。そこにピンクや緑の玉が浮かび、呑み込まれている。すっかり漠然とした世界になった
6: (もちろん、良いところもあったと思う。冒頭の夏みかんの数行が最後にも来る構図とか、あるいはPDF3P目の「精神の浜辺」の描写はかなりよかった。個人的にも好み。レンタサイクルのおっちゃんとの会話ーそれが引き起こす不気味さなども随所でスパイスとして効いていた。願わくば伊勢でないといけなかった何かをもっと描いてほしかった。)
緑川: こういう辺りとか、現実から少し離陸したような表現とか、私的には好印象です。 まあ、蘇民将来とかさりげなく出てきますし。土俗的な信仰というか、そういうのを作品の後景に置かれているというのも、面白かったです。
緑川: あと。実はこの作品、リツイートが出てすぐに読んで、 一か月近く経って読み返してみて。
6: (安部さん自身が聞きたいことは何かないの?)
緑川: 覚えていたところが、伊勢参りと、レンタサイクルのおじさんとのやり取りの部分でした
小野寺: 自分としては文章がはっきりしないのが気になりました。例:僕も意外に思った。なぜかわからないが、意外だったのだ。これなどは漁師が溺れかけた話のあとだから、意外でもなんでもないと思うんですけど
緑川: 他、なんだか一方的に言ってるみたいな感じですが・・・。 いうと言う、とか、なにと何とか統一された方が良いです
KOUSAKU Abe: (6さんが言った、伊勢神宮の種をどう思ったかが気になり居ます)
6: ああ、伊勢であることに何か種があったのかな。僕は読みとることができなかった。
緑川: 次に繋がるのかなと私は思いましたけど土俗的な信仰というか、そういうの安部さんご自身の嗜好かなと。
6: 安部さんが種と考えているのはどういうとこなんだろう。
KOUSAKU Abe: 猿田彦と威勢神宮の関係と主人公と伊勢レンタルサイクルの関係です。
緑川: ん~、それ、分からない
KOUSAKU Abe: 神話をモデルにします・
緑川: 猿田彦がもっと前面に出てれば考えたかも知れない。日本神話との関連。 でも、他に主人公がいろいろ語ってるので。
6: 知識がないので・・・うーむ・・・猿田彦の伝説とかを知っていたらわかったのかな・・・
緑川: 猿田彦まで頭が回りませんでしたね。あとは、さりげなく天鈿女を出すとか
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: 沈没船とか、そっちの方に気を取られましたね。 信仰が意外にウェイトを占めているのではないかとは思ったのですが、作品全体を見渡すと、そこまで比重がかけられているようには見えませんでした。
小野寺: そろそろ1時間になります
緑川: 最後一点だけ、良いでしょうか?
KOUSAKU Abe: どうぞ
緑川: Yに電話をかけなおす場面の会話ですが、 「・・・」と言うと、「・・・」と言う。「・・・」と言うと、「・・・」と言った まあ、電話なのである程度は仕方ないですけど、 会話にもう少し工夫欲しいかも
おお、顔色良くなったね」「そう? ってか、そんなに悪かった?」「うん」「それはいつもじゃない」「そう。だから、もっと歩かないとね。陽を浴びよう、陽を。歩こう、早くいかないと、海がメインなんだし」「伊勢はなんのため?」「君の受験必勝祈願さ」「そいつはありがたい」「伊勢でいいのかな?」「どこでもいいさ」「それもそうだ。結局は君の実力次第だからね」「そうとも限らないよ」「まあ、言いたいことはわかる。だが僕が言いたいのは、君の実力なら、その他の要因が一切なければ受かるということだよ。それは良い要因も過剰になるし、悪い要因は繰り返されるべきでないってことだ」「ありがとう。それにしても、早く海みたいね」
ちょっと先のこの辺りも、たしかにテンポはいいのですが、もうちょっと場面として読みたいかなと
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: 動きが目に見えるようだと、もっと良かったと思います
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: すいません。以上です
小野寺: では次の作品に行きましょうか
KOUSAKU Abe: ありがとうございます。そうですね。そうしましょう。 みなさん、感想ありがとうございました。
●「體」常磐誠
6: どのようなジャンルの作品に属するのか読んでいて不明瞭で、評価できない作品だった。学校が舞台とされてイジメが大きなテーマ(それが一番のテーマかどうかは置いといて)になっていることからジュブナイル小説と一応判断して読み進めていた。
まず、世界観を把握することがしづらい。巧い小説と言うのはたとえば一行目で世界観を明示すると思うが本作品に関しては何行も読んだ後でそれらしい世界観がやっと把握できた。××というヒロインを救おうとし、小さな一歩を踏み出す作品であったことは判る。だが評価されているジュブナイル小説と言うのはおそらく非常に世界観の造形にこだわっていると思う。風景の描き方、小道具の使い方。名前の付け方にいたるまで……。
それらの工夫が残念ながら本作品では読みとることができなかった。場面転換なども読みづらく趣向があまり感じられなかった。非常にシンプルすぎる要素でしかこの小説は生きておらず、何か隠し味のようなものが味をひきだたせる小道具などがなかっただけに薄味と感じた。
××という名前が本作品の恐らくはミソであるとおもうのだけど、元来こういった文字を隠したり、あえて物事を明示しない方法は黙説法という名前で広く小説では使用されて来たけれど今回の黙説法が何かしらの効果を生んだようには思えず、読者の大切な誰かを代入して読んでくださいというようなものしか感じ取れなかった。
常磐誠という書き手の良さがもっとあると知っている読者としては、もっと頑張ってほしい……その一言が一番いいたい。
KOUSAKU Abe: まず、常磐さんらしい文章と言える。これは良かれ悪しかれ、表現において常磐さんの小説だ。文章が読みにくいわけではないし、タフではあるんだけれど、どこか非力な感じがする。不思議な文体と言えるが、改善の努力が必要ないと言うほど確立されたものではないと思うので、努力を求める。露悪的な表現も、硬質な文体に混じらなければ幼稚に見えてしまう。
次に、これは、常磐さんの優しさというものと触れ合う小説である。いじめや機能不全家族の問題は社会問題として解決されるべきものではない。もし社会に包摂された小集団や、個人だとしても、これは社会に拡大され、匿名で語られるべきものではない。この小説はそう言っているようにも思える。だからこそ、名前はすべて記号で表記され、遠い話、と近接した話の、二律背反がこの小説で起きている気がする。つまり著者は虚構性を排除しながら、社会問題的に解決されることを望まぬがために虚構を造らねばならない、という矛盾と向き合わねばならなかっただろう。そこにこの作品が生み出されたなら、それは意義あることだ。常磐さんのひとつの答えとして、この作品を受け止めたいと思う。だからこそ、読者に愬ものがあるのではないか。
また、これが日本文学というカテゴリーに提出されたことはどういう事か。それは、正に今、日本で置いていることに向き合っているからという事なのか。それとも、日本の今の、文学というもののスタイルが常磐さんの書くようなスタイルだからなのか。それは一つ、別に論じる必要性があるのではないか。ただし前者であれば、虚構は虚構であることで浮遊しまう可能性がある。つまり、私が書くもの、という指図が小説の中に内ならば、それが如何に内実をもっていようと、どこか嘘めいてしまうのだ。また、後者は文体についての話であって、これは、冒頭で述べた問題に関してなので、小説としての成功を問うものではない。以上。
KOUSAKU Abe: 他の方は大丈夫ですか?
6: あ、遠い話しと近接した話し・・・それすごく納得できる。二律背反・・・。そういう試みだったのか。 僕は何かゲームみたいに読者が好きに××に代入できるシステムのようなものと、とらえていた。
小野寺さん: 常磐さん「體」文章は「不思議な運動会」に似ていると思ったが、かなりな直球で素直に泣ける作品だと思った。今回の雑誌掲載された作品の中では最もお勧めしたい作品だと思う。いじめの問題と言うと被害者意識や残酷さが強調されるがそこからの脱出と言うのは昔の児童文学や童話ではよくあったが最近はどうなのだろうか?昔の作品でも言葉をかけたり励ましたりするのはあってももっと踏み込んだ部分は欠落しているように思う。この作品は言葉を超えた行動を示している。それが私の感動した部分だ。ただ言葉だけではどうにもならないんだと思う。いじめに関するだけではなくもっと普遍的に人と人を繋ぐのは「體」なんだと言いたいのではないかとタイトルに照らして思った。意図的な伏字や稚拙な表現は賛否あるだろうけれどもこの作品においては成功していると思う。メジャーな作品じゃないかもしれないが光るし真実を突いていると思う。
6: 安部さんの感想面白い。うーん成功しているのかな・・・。僕はぜんぜん「不思議な運動会」とは似ていないとおもうけれど
日居月諸: こんばんは
小野寺: 私はなぜだか読みにくいこの作品にすごく入り込んでしまいました
KOUSAKU Abe: 入り込んだのは入り込みました。 日居さんはどう思いますか?
小野寺: いつも常磐さんの作品にはなかなか入れないんですが時折入ってしまう作品があります
日居月諸: 一つだけどうでもいいことを言うと、一行目の「見てみろ。○○」が、「見てみろ。∞」に見えてしまったんですよ。その関係で、「××」も「XX(エックス)」なんじゃないかと思った
小野寺: 無限大みたいですね
緑川: なぜ主要登場人物の名前が伏字なんだろうと気になって
常磐 誠: それは分かりづらいですね。やっぱり名前を伏せ字にしたのは失策だったかなぁ。
緑川: ん~
小野寺: それはやっぱり具体名がいれづらいという配慮なんかなと。分かりづらいというよりは、名前があった方が、生身の肉体をもったキャラになるような気もするんですけどね
日居月諸: ただ、××が代入項というところから説き起こすと、「X」も半ば無限大のようなものでしょう? なんだって入れこめるから。となれば「○○」も実際「∞」(無限大)として解釈してしまってもいいかな、と思って
KOUSAKU Abe: なるほど
常磐 誠: 先に理由を言ってしまうと、誰でもこういう風になる可能性はあるよ、みたいな気持ちもあるし、6さんのおっしゃる通り大事な人の名前を代入してください、みたいな気持ちもありました。
KOUSAKU Abe: 無限大というか、可能無限ですね
6: うーむ
緑川: それは、分かるんですけどね >常磐さん
日居月諸: そうか、可能性か
KOUSAKU Abe: 意図はわかるけど、わかりにくいってのは確かにあります。当事者は誰でもなり得る、その周りにいる人は無限大、
6: ××が何か効果を生んだようには僕には思えなかった。最初はインパクトがありどういう回収をするんだろうかという期待もありました。
緑川: 名前あった方が、感情移入しやすいかなと
常磐 誠: 生身の肉体を持っている人間になっている感じがしなくて感情移入しにくい、というのは本当にそうですね。
日居月諸: 実際「××」はいじめを受けたことによって変わってしまったんですね。「X」(エックス)にマイナスが代入されてしまってマイナスになってしまった
日居月諸: それを「∞」(無限)である「○○」が救うと
6: うーむ、その解釈おもしろいが・・・何か本意ならぬ方向に行きそうな気が・・・
日居月諸: まぁ実際当て推量ではあります
KOUSAKU Abe: 面白いけど、本意ならぬほうでしょうね。
常磐 誠: そういう解釈してくださる方は初めてでこんなに救い上げてくれる解釈に感謝感激、です。けど、実際はそういう思考僕自身がしてないですし、そんな力も努力もまだできてないです。
6: 小説と言うのは一般化され得ない固有の記憶・出来事を書いてこそ面白いと思うんですね。××という固有名詞を配した形で登場した人物が呼び起こしたのは「いじめ」という問題でしたが、それがあまりにも一般化されたワイドショーでみられそうなどこにでもありそうな
6: もので僕とってはそれが不満ではありました。
KOUSAKU Abe: わかります>6さん
6: 児童文学や青年小説をひも解いてみても、さまざまな場所や風景、小道具・思い出を駆使しながら・・・固有の記憶できごとを書いていると
常磐 誠: あまりにもテンプレ過ぎだ、という指摘も知り合いから既に受けました。このテンプレっぷりが僕の思い以上に本当にテンプレ過ぎました。反省です。思うんですよ。そういったものがなくて、具体性がないだけに思い入れしにくいです。
緑川: テンプレって、登場人物固有の背景を描くことで、かなりの部分、回避できるのかなと××の母親が、どういう経緯でいなくなったのかとか作中に書かれてましたっけ?あと、父親の死因とか
常磐 誠: なるほど。登場人物固有の背景を書くことで具体性も出てきて、テンプレの回避にもなる。ありがとうございます。>緑川さん、6さん
そして両方ともないです。>母の失踪理由、父の死因
緑川: 先に6さんの言われた、作品世界が把握しづらいっていうことにも
6: 僕は小道具をなにか凝ってほしかったと思いました。教科書で読んだ「少年の日の思い出」(ヘッセ)は「蝶の標本」が青春期の友情が瓦解する絶妙な小道具となっており、そういう固有のなにかを××と主人公のあいだに造ってほしかった。
緑川: 繋がると思うんですけどね。小道具もたしかに、それと場所の描かれ方かな。ヤママユガでしたっけ? 標本
6: そんな気が>緑川さん
KOUSAKU Abe: ふむふむ
常磐 誠: クジャクヤママユだそうです。標本。
緑川: ふむふむ
6: 「不思議な運動会」は、そう言う意味でさまざまな固有名詞・二次元・ネットの記憶が交錯するまさに固有の運動会だったと僕はとらえているんです。何でもありのごった煮!そういったものがすごく僕にとって魅力的でスピードや展開が型をぶっちぎりで壊していて、めちゃすごいと思ったんですよ。 だから、何だろう。常磐さんならもっといろんな要素をまぜて書くことができるのに
緑川: えっと
6: どうしたんだろう・・・というのが正直な感想でした。
緑川: 常磐さん、火葬場に行かれたことはあります?
常磐 誠: 記憶はおぼろげです。二回か、三回。一番最近は去年です。
緑川: 煙、立ち上りますか?
常磐 誠: らなかったですね。
立ち上る火葬場ってもう今はないですかね?
緑川: あまり無いのではないかと。 それと、なんでこんなこと訊いたかというと。 場所の描写ですね。
常磐 誠: 場所の描写、ですね。教えてください。
緑川: >建物の中は落ち着いた雰囲気に溢れていて、妙に広い空間、空気がどうにも落ち着かなかった。ちょっと、簡単すぎるかなと
常磐 誠: こういうものをもっときちんと書くっていうのが慣れてないし、それに記憶だけに頼っていて全然自分でも場所のイメージってできてない、ですね。言われてみると確かに。
緑川: この一文も全然悪くはないんですけど、他の箇所でも、散らして書かれるとよいのではないかと、内面描写の多い作品なので、場面が、ちょっとふわふわした感じがするんですよ
KOUSAKU Abe: それはわかります ふわふわ >緑川さん
緑川: どんな場所に登場人物が立っているのか、少々分かりづらいです
常磐 誠: (なるほど! 今一カ所にまとめることしか考えてなかったです。)
読み手に伝わるべき情報が伝わってないですね。
6: そうですね。書かれていない・・・です。
緑川: 常磐さんご自身には場面が見えているんでしょうけど、読者に伝わりにくいかなと
常磐 誠: 知り合いにはもっとストレートに、『読者への配慮不足!』と指摘されました。
6: 雰囲気はあるんですよ。ただつかみづらい。ファンタジー世界なのか現実世界なのかすら最初はちょっと判らなかった。
KOUSAKU Abe: 入り込みにくいけど、入ったら、感情移入しちゃいましたね。
緑川: 主人公のキャラがですねえ、常磐さんらしい、純で少し幼い感じで、けっこう私も好きですね。
常磐 誠: 入り込みにくくて、入り込むまでのストレスで読むのやめる人がいるんじゃない? と言われてちょっと凹みました(汗)。
今度はもっと入り込むまでのストレスを軽減させられるようにしよう。
常磐 誠: (皆の言葉が本当に励みになります……。)
小野寺: いえ今までの作品よりもはいれますよ
6: そうですね。文章それ自体は直球でつきささるものがところどころあります。主人公や××の「言葉」は魅力的です。やはりもっと作り込んでほしいという願いもあるのですが。
小野寺: っていうか今までの作品で鍛錬されてコツをつかんだのか
6: いじめっ子の二人の造形がよくないと思いました・・・。典型的すぎるかなと・・・。
KOUSAKU Abe: それおもいました>6さん 両方とも
<<< 文章それ自体は直球でつきささるものがところどころあります。主人公や××の「言葉」は魅力的です。やはりもっと作り込んでほしいという願いもあるのですが。[2012年12月28日 23:43] 6:
<<< いじめっ子の二人の造形がよくないと思いました・・・。典型的すぎるかなと・・・。
6: ただ、文章はやはり読み返していて面白い。 矛盾したことを言っているみたいですが、常磐さんの文章それ自体は好きです。
小野寺: 文章は無駄がないし描写も素直ですね。何より感情が自然に吐露されている
緑川: 常磐節ですね
小野寺: 下品な言葉が多いが。 それに麻痺すれば、読める
6: あと、指摘してばっかりで申し訳ないのですが、: ラストも。 僕は飲みこめなかった・・・
常磐 誠: 指摘はありがたいです! 小さな一歩を踏み出そうということの、ちょっとした変奏。 これもイメージとしては誰もが思いつきやすいところに行き着いてしまったような・・・。
常磐 誠: でも、下品な言葉に麻痺させないと読めないっていうのもやっぱりストレスですね……>小野寺さん
常磐 誠: やっぱりテンプレっぷりが激しいです。
6: 常磐さんに聞きたいのですが、これを書いた前後で読んでいた本はなにか覚えていますか。 あるいは何かの小説に近づけようとして書いた作品とかでありましょうか。。
小野寺: いえ、常盤さんはこの路線で突っ走ってほしい気もします。僕的には「小説としての約束」を欠いた作品として読んでしまっていて・・・もっといろんなご自身の好きな小説をしっかりと読んでどっぷりはまりこんでほしいな、と思ったんです。
常磐 誠: 漫画ですが3月のライオン、小説だと時雨沢恵一「キノの旅」、あさのあつこ「バッテリー」です。
6: そういったものからどんどん盗んでほしいと思いました。参考になるところを・・・。
常磐 誠: 「小説としての約束」を教えてください。
(知り合いには、『起承転結の起と承だけで終わってる』と言われましたがこういう風なことなんでしょうか?)
緑川: (あさのあつこ「バッテリー」・・・いったいいつになったら野球を始めるんだと思いながら読んだ記憶が(すいません。余談でした)
6: シンプルに時間や場所を具体的に書き、読者を導いていくところとか
常磐 誠: (それは確かにちょっと僕も思ったなぁ……汗)>緑川さん
6: 場面転換の際に使われる技法とか、主人公と××の回想シーンをどういうところではさむのかとか、そういう過去の作品が積み上げてきた。約束事のようなものです。
緑川: あぁ、なるほど >6さん
常磐 誠: ありがとうございます。そこを意識して読んでみます!
小野寺: 確かに回想シーンわかりにくい
緑川: けっこう奔放に語ってるかな、そういう意味では、この作品
KOUSAKU Abe: ではキリもよさそうです、時間もそろそろかと思いますが、どうでしょう。言い残したことはありますか?
小野寺: いえ、大丈夫です
常磐 誠: 皆様ありがとうございました! 最後になのですが、この作品に先生、いりました?
ぶっちゃけ、いらなかったのではないか、と本気で思ったりもするのですが……。
6: いると思いますが巧く機能していないと思います。
緑川: いや、そこも常磐さんらしくて良いかと・・・先生の登場
小野寺: うーーんいるんじゃないかなと思いますよ。 先生がいると人間の話と思います
常磐 誠: どうしたってテンション高すぎて作品をバカバカしくしてしまったように感じられて、結構消すかどうか迷っていました。
どうすればもっと巧く機能したんだろう……。ありがとうございます。
6: 主人公と××の関係の変化の媒介にするのが一番よいかなあと思います。どういうふうにするのかはいろんな方法があると思いますが。
常磐 誠: ありがとうございます。考えてみます!最後に気になる部分も聞けたので、本当に満足です。次の作品、お願いします。
●「やるせない」Rain坊
6: Rain坊さん、大化けの一作!これは非常に良かった。
ある一人の作家についての文章を読み進めるうちにそれが「私」=「彼」であるというメタ的な構図が非常に良かった。ある作家の肥大していくイメージもきちんと冷静に描かれており、その肥大しきったイメージ・伏線もちゃんと回収できており、僕にはこのような遊び心ある作品は到底書くことができず、心からこの作品の誕生を祝福したいと思った。「殺害予告」=「遺書」という構図もセンスがよく、思想性の高い作品になっているのではないかとおもった。「私」が「彼」を「文」章で殺す。前代未聞の試みであり、書く私と書かれる私の分裂という極めてブッキシュなテーマは僕の大好物でもあり、端的に言ってこのアイデアをパクらせてもらいたいと思った。『大喝采』については、過去に『トリストラム・シャンディ』などでこういったページの使われ方があったと聞いたことがあり、それほど新しい試みではないが何となく許せる……。
ただ競売のシーンはいらないかなと思ったのと、このワード形式が非常に読みづらいのは指摘したい。
小野寺さん: レインボーさん「やるせない」
おそらく作者は物語を信じていないのだろうと思う。懐疑は懐疑を呼んで自意識は積み重なった。設定はミステリ作家ということになってるけど。小説論を展開している。小説の「方法序説」のようなものか。それはそれとして興味はないわけでもないが、答えが出そうにないことは悪いけれど目に見えている。テーマとしてちょっと手に負えないんじゃないかと思う。以前にレインボーさんには書きかけの作品をいくつか見せていただいたがあの作品はどうなってしまったのだろうか?それほど悪評でもなかったはず。批判をおそれることなく物語を紡いでいってもいいんじゃないかとも思う。まあ少し辛口ではあるが。
KOUSAKU Abe: Rain坊さん「やるせない」
ショートショート的な、落ちありの小説で、主人公が、仮面を被って彼となった時にミステリーを書き始めた理由がわかる遺書の書き方であると思えた。また、中盤で読めてしまいそうな、カラクリではあったが、最後に、オークションに掛るところまで読んで小説が完結したので、展開すべきところまで展開し、読者に先を越されることもなく、かつ置いていくこともなく、最後まで読者をちゃんと連れていってくれた。まだ物語に大胆さがないとはいえ、読者との誠実な関係を結ぼうと言う意志の感じられる作品だった。経験したことのないことを虚構で書いた時に、内容が空疎であることが指摘されるなら虚構とはまさに形式であって内実をもったものと言える。ある内実をもった文章が、経験したことないものとして現れるからこそ虚構という転換がある。ところが、主人公は、内実をもっていないのが先にある、それは彼であって私ではないから。
またRain坊さんの「読者観」「作者観」が垣間見える小説であったと思える。無論、語り手イコール作者イコール本人ではない、これは、この小説でも問題提起されていることだ。とはいえ、この主人公のやるせない感覚という、小説内の読者と自己への二重の裏切りは、この小説の作者自身の二重性についても同じことが言えるのではないか。つまり、独白なのではないかと思ったのだ。とはいえ、これは憶測。著者本人の考えであろうが無かろうが、こういうやるせなさ、というのは文学のテーマの一つだと思うので、もっと掘り起こせるように今後も頑張ってほしいと思う。最後に一つ、校正ミスがあった。一ページ目の、陥れるは、貶めるだと思う。以上
緑川: 一人語りで他人の出てこない作品、あるいは他人すなわち自己の分身。これ、意外に初心者の作品に多いパターンです。
書くことそのものがテーマ? いや、本来の自分と、世間の中で演じられている自分の相克がテーマかと思われます。そして、演じられている自分が作中で「死を書けない」と設定されていますが、その設定そのものにはあまり意味はなく、自分で自分を殺すというオチに関連付けられているがゆえの「死を書けない」ということかと。
このテーマ、もっと違う形でいろいろと書けそうです。..
KOUSAKU Abe: では、フリートークに入りましょう。
6: 僕的には今月号のベストです。
KOUSAKU Abe: 僕は6さんが高評価した伏線は読めそうだったので、最後のオークションがいるかな、って思いました。
6: オークションは僕もいらないと思った。しらけた
小野寺: 面白いとは思いましたが、こういう小説ならポーのように雰囲気を醸し出してほしいな
KOUSAKU Abe: それはあります。
6: 僕はこういう「軽さ」も好きだけど。
常磐 誠: 大喝采、のところを最初にiPhoneで読んで、本当に意味が分からなかった……。今PCで読んでやっと……。という気がして、つながったのでよかったのですが、オークションだけに限らず、途中で感情が表立ってでてくるところ周辺にも、どうにも書き手の若さを感じてしまっておろ? ってなったんですよね。
6: アイデア自体がおもしろかった。分裂はいろんな書き手が書いているとおもうけど文章のれベルでそれが多層化していてすごく好みだった・・・。
KOUSAKU Abe: 軽さなら、もう少し、ユーモアがきいてほしかった。
緑川: ポーの場合、技巧的なものではなくて、作家自身に内在している神経症的な恐怖感とか、そういうものがありますからね。 資質的なものというか
小野寺: ああ、でもある程度は書けるでしょう
緑川: まあ、一人の書き手の誕生に立ち会った感はありました
常磐 誠: 徹頭徹尾雰囲気というか、完成された小説家としての人間像が貫けていないように感じられました。けど、オークションはたしかにいるかな、とも思います。遺書が遺書として機能することを願うのにそれがオークションて。っていうやるせなさ。僕の中でのやるせない感。
緑川: だから、「もっと違う形でも」って感じで、先を促したい
6: 「やるせない」感は僕は受けなかったんだよなぁ
小野寺: それは同感
緑川: 雰囲気的には、まだこれからかなと、若書きという感じもします
常磐 誠: お前何様だよっていう感じの意見なんですけど、僕もこれからなんじゃないかと思います。Rain坊さん。
6: 前作「悪ふざけ」から考えたら、僕はかなり前に進まれたと思ったんだけどなぁ
緑川: あぁ、それはたしかに >6さん
常磐 誠: あ、そういえば僕まだ悪ふざけ読んでない!
6: 「若い」…しかしその評をきいた作者はどうすればいいのか。
常磐 誠: 回数重ねるしかないと思います。
緑川: 読書経験を積むことじゃないですかね >6さん
日居月諸: 少なくとも自分で定めたハードルをきっちりと越えられてはいますよね。それがいかに難しいかと分かってる身としては大変な達成だと思いますよ
6: なるほど>常磐さん、緑川さん 僕もそう思う>日居さん
常磐 誠: それができてるって他人から評されるのなら、本当にたいしたことだと思います。>日居さん
緑川: ですね、日居さん。だから、誕生って言い方をしました。一皮むけたより、もっと大きい
KOUSAKU Abe: なるほど、誕生か。
小野寺: ただこの作品って次作が難しそうな気もする
常磐 誠: そっか。僕は前作を知らないからわからないけれど、Rain坊さん凄いなぁ。
負けられない。
日居月諸: Rain坊さんはもっと面白いところに行けると思いますね。骨格を決めればなんでも書けそうです。その点、その都度その都度「誕生」する作家になれると思う
6: キャラクターとか文章とか物語に目を向けることから、はじめがちだと思うんだけど、構図的なものから入ったのはすごくオリジナリティがあったんじゃないかなと思います。
緑川: うーん、むしろ弾みがつくんじゃないかと、今一つ自信はないですけど >小野寺さん
6: 何度も言うけどアイデアがすごくよかった。ちょっとコルタサルの短編のような妙味があって・・・惹かれました。もちろん細かいところを見れば拙いところはあると思います。
緑川: 推測でしかないんですけど、これからRain坊さんは、小説を書いて楽しいっていう時期なんじゃないかと思います。書くと言う行為が自分ではない「彼」を呼び込もうとするのに「彼」を殺すために文章を欠くと言う断筆宣言。こういうとこ・・・いい。矛盾する行為の同時歩行。僕もこう言うことしたい・・・。
緑川: 先回りして言うと、書いて楽しいだけの時期は、そんなに長くは続かないんですけどね
6: その都度その都度「誕生する」作家ってカッコいいな・・・。僕もそうありたい。(ちょっと褒めてばかりなので黙ります・・・)
緑川: 常磐さんには場面がとか背景がとか、いろいろ言いましたけど
小野寺: いえ、そんな気になさらずに>6さん
緑川: Rain坊さんは、まだ細かい部分はともあれ、思うところをどんどん書かれて、間口を広げる時期なのかなと、ほんと推測で申し訳ないんですけど
KOUSAKU Abe: なるほど
常磐 誠: (僕も6さんにそこまで褒められたいとか思ってしまいますけど、でもそうなったら間違いなく調子に乗って何かとんでもない失敗をかますなw自分のことだから)
緑川さんの意見にはなるほど以外に思えない。納得してばかり。本人に伝えたいですよね。常磐さんは、ご自身の作風もってらっしゃるから、ご自身のキャラも(僭越ながら) だから、細かいところをきっちり詰めることをされた方が良いのかなと
6: (常磐さんの「不思議な運動会」は各所で傑作だから読んでと勝手に宣伝しているのですが・・・ぼそっ)
常磐 誠: 細かいところと読者への配慮、というか描写をきちんと伝えるっていう部分、頑張ります!
(おっとこれは調子に乗るパターンだ……ッ。いかん、いかんぞ……)
6: しかし、このワード形式はほんまないです。めちゃ読みにくいよ。『大喝采』が何かあじがでるけどね。
小野寺: 短いから直に張った方がまだいい
常磐 誠: ワード形式っていうと、えっと、全体をPDFでまとめた奴じゃなくて、本人の出したやるせないの単独のファイルですよね。自分はそれに目を通していないのですが……。
(今から行ってみます) ……あー。(完全に同意)
6: (自由投稿ページの夕陽の写真に何となく雑誌作成をよく手伝ってくれたRain坊さんに感謝の意をこめて小説の引用を載せさせてもらったんだけど、結果自分的には大満足の作品だったから、載せてよかった)。じゃあ、最後にRain坊さんの課題を、みんなであげていきましょうよ。: Rain坊さんは雰囲気をつくるのはあんまり得意ではないと見ました。
小野寺: 熟成ですね
常磐 誠: 経験
徹頭徹尾してその人、空気を書ききる
この二点だと思います。最初の一つはそのまま自分にもあてはまりますが……。
6: それは軽さとなって良い面もあるのですが、あるタイプの描写や世界を構築していくのがまだまだ課題かなと思います(何様発言ですが・・・
緑川: 読書(小説やエッセイ)・・・良い作品をたくさん読む
6: (すいません、では僕は落ちます。あしたもあるので。愉しかったです。みなさま、また小説について語らせてください。)
緑川: お疲れ様でした、6さん
小野寺: 明日は早いんですね
常磐 誠: お疲れ様でした! 6さん
小野寺: 御疲れ様です
日居月諸: お疲れさまでした
■「Li-tweet」(創刊号)第二回合評会
日時:12月28日22:00~
小説部門1:ホスト安部
対象は「流離」安部さん「體」常磐さん「やるせない」Rain坊さん
参加者: 小野寺、常磐、日居、6 、緑川
●「流離」安部孝作
6:最初は巧いと思った。夏みかんが箱詰めされておくられてきて、そこから満員電車にうつる箱詰めのイメージの連鎖はスムーズでありよかった。日常を何気ない思考を比喩などを織り交ぜて文学的なモチーフに転移させていくことができてもいた。無生物主語、擬人法、思考が行き着く先の架空風景……そういったものは最初は新鮮であった。ゆえに冒頭から暫くは読み進めていくことがかなり愉しくそれを脅威にも感じていたもののそればかりがえんえんと続けばさすがに飽きてくるし、進めば進むほど冒頭からそれにつづく最初にあった面白さ・詩性はそがれていくように感じた。
中盤辺りになりその強引さに辟易したところもある。また現実世界の描写が極めて退屈であり、空想世界のものはまだ「他のものと置き換え」が難しいように感じたが、現実世界においてはたやすくそれを可能にしてしまいそうな弱さがあった。
しかしレンタサイクルの主人との会話をきっかけに、自動感知のインターフォンの場面なども含めて「現実」がじょじょに面白く描けて結末にいたるまでで少し盛り返した感はあった。変に文学を呼びこまなくても日常それ自体の違和感を文学的に古今の巧い小説家たちは描いてきたと思うので、文学的なものから逃れることが最も文学らしくなるという矛盾をこの作者には飲みこんでもらいたい。
日居月諸: すいません、今日は何にも用意できてません。手ぶらです
小野寺: 安部さん「流離」
「僕」は何かに苦しんでいるのはわかるのだけれども具体的に何であるのか、漠然としていて捕えがたい。おそらくは自らもいわく言い難い気持ちのままで書いたのではないのだろうか。文章に逆説的な表現が多く、~だったが、~だったという言い回しががとても多いからだ。言い切ることのできない感情が印象を形成しにくくしている。これは損なのではないのだろうかと思った。一読した時は内面的な完結があるような錯覚に陥ったが、そうでもないような気がしてきた。むしろ今回は地の文よりも会話文の方が流暢な感じがする。伊勢神宮の傍らに住んでいる男の話はそれなりに面白かったが逆に言ってしまうとそれ以外の部分は伝わらないもどかしさが多い。若さを強調したいのならある程度の「ぶりっ子」は必要で純文学にしてもキャラクターを設定したほうがいいように思う。前半の哲学?めいた感想もどうせならいつものように強靭なもののほうが面白く思うし、感性で勝負するには印象的な風景を描いているようにも思えなかった。ちょっと辛口であるかもしれないが。
KOUSAKU Abe: フリートーク入りましょう。 日居さん、二人の感想を見てどう思われますか?
日居月諸: 会話が流暢だと感じるのは同感ですね。心情描写というか、内面に潜った時の叙述と比べてそう感じるのかもしれない、とは思うのですが、 私の感想でいえば、「肉体という偉大な感知器を失くしてしまって」という文章が3ページ目にありますね。それを引き合いにだすなら、主人公の心の中の懊悩を描いてるはずなのに、主人公自身の苦痛は描かれていないんです。苦痛を何かに託している、隠喩的に。沈没船だったり、浜辺だったり。
小野寺: なるほど、それがどうにも伝わりにくいもどかしさがありますね
日居月諸: その点、言葉だけで成り立っている小説という感じがあります。主人公にとって何かを感知するには、言葉が必要なんですね
6: 苦痛を何かに託していく方法ーそれ自体は悪くないのではないかと思いました。明示すること自体がいつも良いとはかぎらないので、
日居月諸: うん、方法としては全くまちがっていない。むしろ成功すれば、強力なものとなる
6: 悪いと思ったのはその苦痛が来る方向や受け止め方にぶれがあるのではないかと思いました。
小野寺: 苦痛の具体的な例としては受験なんでしょうか
6: 苦痛とはやはり原因が判らなかったり、簡単な言葉で表現できなかったりするから。苦痛でないかと思います。そういった言語化しにくいものを比喩などを駆使して、描写しようとすること自体は面白い試みかなと思います。
小野寺: 具体的なモノが特に必要とも思いませんが
6: だから簡単に受験と断定するのは良くないのかなと。僕は思いました・・・。多くの人はそれぞれ言い難い悩みがあると思うので・・・
日居月諸: 苦痛の受け止め方のブレ、ということがありましたが、具体的な例をあげてみますね。10ページ目の猿田彦神社を訪れた場面。ここで「鼻の奥につんとくる」とか、そこで肉体的な感覚がきますね。
6: 仮託された比喩が連鎖するように何かを呼び込めば・・・すごく良い一作になったのではないかと思う・・・構造化された比喩。比喩が海を連鎖していったのだけど、鳥羽の現実の海との関係でいうとあまりにも直球であり二分化されることの良さがいまいち掴めなかった・・・。
6: ええ>日居さん
日居月諸: ここでブレがきます。けれど、ブレること自体は悪くはないかな、と。このシーンは、肉体的感覚を取り戻し始めてるとも取れる。けれども、その後「浜辺」に戻っていきますね。ここがなんとももどかしい
6: もどかしさか・・・。
小野寺: なるほど
6: (ところで本日は一作あたり何分?それによって語り方も変わると思います。)
小野寺: なるほど
日居月諸: 「荒涼たる風景」とか、「街はどうして、こんなに混雑しているのだろうか」とか、つづく文章によってポジションが戻ってしまうんですね。これによって、肉体的なブレも隠喩とレベルが同じになってしまう。ブレが主題に沿ったものではなくなってしまうんです
緑川: この作品、主人公と作者が少し距離を置いた。 三人称がよかったのではないかと思いました。読者までもが、主人公の内面の逡巡に巻き込まれてしまって、作品そのものの見通しが今のままでは、あまりよくないのではないかと。 分かりにくいというか、すっきりしない感じが付きまといます。面白い表現が随所に見られますので、惜しい、という感覚があるんです
>名古屋市の景色は滲んで、灰色の渦巻きとなった。そこにピンクや緑の玉が浮かび、呑み込まれている。すっかり漠然とした世界になった
6: (もちろん、良いところもあったと思う。冒頭の夏みかんの数行が最後にも来る構図とか、あるいはPDF3P目の「精神の浜辺」の描写はかなりよかった。個人的にも好み。レンタサイクルのおっちゃんとの会話ーそれが引き起こす不気味さなども随所でスパイスとして効いていた。願わくば伊勢でないといけなかった何かをもっと描いてほしかった。)
緑川: こういう辺りとか、現実から少し離陸したような表現とか、私的には好印象です。 まあ、蘇民将来とかさりげなく出てきますし。土俗的な信仰というか、そういうのを作品の後景に置かれているというのも、面白かったです。
緑川: あと。実はこの作品、リツイートが出てすぐに読んで、 一か月近く経って読み返してみて。
6: (安部さん自身が聞きたいことは何かないの?)
緑川: 覚えていたところが、伊勢参りと、レンタサイクルのおじさんとのやり取りの部分でした
小野寺: 自分としては文章がはっきりしないのが気になりました。例:僕も意外に思った。なぜかわからないが、意外だったのだ。これなどは漁師が溺れかけた話のあとだから、意外でもなんでもないと思うんですけど
緑川: 他、なんだか一方的に言ってるみたいな感じですが・・・。 いうと言う、とか、なにと何とか統一された方が良いです
KOUSAKU Abe: (6さんが言った、伊勢神宮の種をどう思ったかが気になり居ます)
6: ああ、伊勢であることに何か種があったのかな。僕は読みとることができなかった。
緑川: 次に繋がるのかなと私は思いましたけど土俗的な信仰というか、そういうの安部さんご自身の嗜好かなと。
6: 安部さんが種と考えているのはどういうとこなんだろう。
KOUSAKU Abe: 猿田彦と威勢神宮の関係と主人公と伊勢レンタルサイクルの関係です。
緑川: ん~、それ、分からない
KOUSAKU Abe: 神話をモデルにします・
緑川: 猿田彦がもっと前面に出てれば考えたかも知れない。日本神話との関連。 でも、他に主人公がいろいろ語ってるので。
6: 知識がないので・・・うーむ・・・猿田彦の伝説とかを知っていたらわかったのかな・・・
緑川: 猿田彦まで頭が回りませんでしたね。あとは、さりげなく天鈿女を出すとか
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: 沈没船とか、そっちの方に気を取られましたね。 信仰が意外にウェイトを占めているのではないかとは思ったのですが、作品全体を見渡すと、そこまで比重がかけられているようには見えませんでした。
小野寺: そろそろ1時間になります
緑川: 最後一点だけ、良いでしょうか?
KOUSAKU Abe: どうぞ
緑川: Yに電話をかけなおす場面の会話ですが、 「・・・」と言うと、「・・・」と言う。「・・・」と言うと、「・・・」と言った まあ、電話なのである程度は仕方ないですけど、 会話にもう少し工夫欲しいかも
おお、顔色良くなったね」「そう? ってか、そんなに悪かった?」「うん」「それはいつもじゃない」「そう。だから、もっと歩かないとね。陽を浴びよう、陽を。歩こう、早くいかないと、海がメインなんだし」「伊勢はなんのため?」「君の受験必勝祈願さ」「そいつはありがたい」「伊勢でいいのかな?」「どこでもいいさ」「それもそうだ。結局は君の実力次第だからね」「そうとも限らないよ」「まあ、言いたいことはわかる。だが僕が言いたいのは、君の実力なら、その他の要因が一切なければ受かるということだよ。それは良い要因も過剰になるし、悪い要因は繰り返されるべきでないってことだ」「ありがとう。それにしても、早く海みたいね」
ちょっと先のこの辺りも、たしかにテンポはいいのですが、もうちょっと場面として読みたいかなと
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: 動きが目に見えるようだと、もっと良かったと思います
KOUSAKU Abe: なるほど
緑川: すいません。以上です
小野寺: では次の作品に行きましょうか
KOUSAKU Abe: ありがとうございます。そうですね。そうしましょう。 みなさん、感想ありがとうございました。
●「體」常磐誠
6: どのようなジャンルの作品に属するのか読んでいて不明瞭で、評価できない作品だった。学校が舞台とされてイジメが大きなテーマ(それが一番のテーマかどうかは置いといて)になっていることからジュブナイル小説と一応判断して読み進めていた。
まず、世界観を把握することがしづらい。巧い小説と言うのはたとえば一行目で世界観を明示すると思うが本作品に関しては何行も読んだ後でそれらしい世界観がやっと把握できた。××というヒロインを救おうとし、小さな一歩を踏み出す作品であったことは判る。だが評価されているジュブナイル小説と言うのはおそらく非常に世界観の造形にこだわっていると思う。風景の描き方、小道具の使い方。名前の付け方にいたるまで……。
それらの工夫が残念ながら本作品では読みとることができなかった。場面転換なども読みづらく趣向があまり感じられなかった。非常にシンプルすぎる要素でしかこの小説は生きておらず、何か隠し味のようなものが味をひきだたせる小道具などがなかっただけに薄味と感じた。
××という名前が本作品の恐らくはミソであるとおもうのだけど、元来こういった文字を隠したり、あえて物事を明示しない方法は黙説法という名前で広く小説では使用されて来たけれど今回の黙説法が何かしらの効果を生んだようには思えず、読者の大切な誰かを代入して読んでくださいというようなものしか感じ取れなかった。
常磐誠という書き手の良さがもっとあると知っている読者としては、もっと頑張ってほしい……その一言が一番いいたい。
KOUSAKU Abe: まず、常磐さんらしい文章と言える。これは良かれ悪しかれ、表現において常磐さんの小説だ。文章が読みにくいわけではないし、タフではあるんだけれど、どこか非力な感じがする。不思議な文体と言えるが、改善の努力が必要ないと言うほど確立されたものではないと思うので、努力を求める。露悪的な表現も、硬質な文体に混じらなければ幼稚に見えてしまう。
次に、これは、常磐さんの優しさというものと触れ合う小説である。いじめや機能不全家族の問題は社会問題として解決されるべきものではない。もし社会に包摂された小集団や、個人だとしても、これは社会に拡大され、匿名で語られるべきものではない。この小説はそう言っているようにも思える。だからこそ、名前はすべて記号で表記され、遠い話、と近接した話の、二律背反がこの小説で起きている気がする。つまり著者は虚構性を排除しながら、社会問題的に解決されることを望まぬがために虚構を造らねばならない、という矛盾と向き合わねばならなかっただろう。そこにこの作品が生み出されたなら、それは意義あることだ。常磐さんのひとつの答えとして、この作品を受け止めたいと思う。だからこそ、読者に愬ものがあるのではないか。
また、これが日本文学というカテゴリーに提出されたことはどういう事か。それは、正に今、日本で置いていることに向き合っているからという事なのか。それとも、日本の今の、文学というもののスタイルが常磐さんの書くようなスタイルだからなのか。それは一つ、別に論じる必要性があるのではないか。ただし前者であれば、虚構は虚構であることで浮遊しまう可能性がある。つまり、私が書くもの、という指図が小説の中に内ならば、それが如何に内実をもっていようと、どこか嘘めいてしまうのだ。また、後者は文体についての話であって、これは、冒頭で述べた問題に関してなので、小説としての成功を問うものではない。以上。
KOUSAKU Abe: 他の方は大丈夫ですか?
6: あ、遠い話しと近接した話し・・・それすごく納得できる。二律背反・・・。そういう試みだったのか。 僕は何かゲームみたいに読者が好きに××に代入できるシステムのようなものと、とらえていた。
小野寺さん: 常磐さん「體」文章は「不思議な運動会」に似ていると思ったが、かなりな直球で素直に泣ける作品だと思った。今回の雑誌掲載された作品の中では最もお勧めしたい作品だと思う。いじめの問題と言うと被害者意識や残酷さが強調されるがそこからの脱出と言うのは昔の児童文学や童話ではよくあったが最近はどうなのだろうか?昔の作品でも言葉をかけたり励ましたりするのはあってももっと踏み込んだ部分は欠落しているように思う。この作品は言葉を超えた行動を示している。それが私の感動した部分だ。ただ言葉だけではどうにもならないんだと思う。いじめに関するだけではなくもっと普遍的に人と人を繋ぐのは「體」なんだと言いたいのではないかとタイトルに照らして思った。意図的な伏字や稚拙な表現は賛否あるだろうけれどもこの作品においては成功していると思う。メジャーな作品じゃないかもしれないが光るし真実を突いていると思う。
6: 安部さんの感想面白い。うーん成功しているのかな・・・。僕はぜんぜん「不思議な運動会」とは似ていないとおもうけれど
日居月諸: こんばんは
小野寺: 私はなぜだか読みにくいこの作品にすごく入り込んでしまいました
KOUSAKU Abe: 入り込んだのは入り込みました。 日居さんはどう思いますか?
小野寺: いつも常磐さんの作品にはなかなか入れないんですが時折入ってしまう作品があります
日居月諸: 一つだけどうでもいいことを言うと、一行目の「見てみろ。○○」が、「見てみろ。∞」に見えてしまったんですよ。その関係で、「××」も「XX(エックス)」なんじゃないかと思った
小野寺: 無限大みたいですね
緑川: なぜ主要登場人物の名前が伏字なんだろうと気になって
常磐 誠: それは分かりづらいですね。やっぱり名前を伏せ字にしたのは失策だったかなぁ。
緑川: ん~
小野寺: それはやっぱり具体名がいれづらいという配慮なんかなと。分かりづらいというよりは、名前があった方が、生身の肉体をもったキャラになるような気もするんですけどね
日居月諸: ただ、××が代入項というところから説き起こすと、「X」も半ば無限大のようなものでしょう? なんだって入れこめるから。となれば「○○」も実際「∞」(無限大)として解釈してしまってもいいかな、と思って
KOUSAKU Abe: なるほど
常磐 誠: 先に理由を言ってしまうと、誰でもこういう風になる可能性はあるよ、みたいな気持ちもあるし、6さんのおっしゃる通り大事な人の名前を代入してください、みたいな気持ちもありました。
KOUSAKU Abe: 無限大というか、可能無限ですね
6: うーむ
緑川: それは、分かるんですけどね >常磐さん
日居月諸: そうか、可能性か
KOUSAKU Abe: 意図はわかるけど、わかりにくいってのは確かにあります。当事者は誰でもなり得る、その周りにいる人は無限大、
6: ××が何か効果を生んだようには僕には思えなかった。最初はインパクトがありどういう回収をするんだろうかという期待もありました。
緑川: 名前あった方が、感情移入しやすいかなと
常磐 誠: 生身の肉体を持っている人間になっている感じがしなくて感情移入しにくい、というのは本当にそうですね。
日居月諸: 実際「××」はいじめを受けたことによって変わってしまったんですね。「X」(エックス)にマイナスが代入されてしまってマイナスになってしまった
日居月諸: それを「∞」(無限)である「○○」が救うと
6: うーむ、その解釈おもしろいが・・・何か本意ならぬ方向に行きそうな気が・・・
日居月諸: まぁ実際当て推量ではあります
KOUSAKU Abe: 面白いけど、本意ならぬほうでしょうね。
常磐 誠: そういう解釈してくださる方は初めてでこんなに救い上げてくれる解釈に感謝感激、です。けど、実際はそういう思考僕自身がしてないですし、そんな力も努力もまだできてないです。
6: 小説と言うのは一般化され得ない固有の記憶・出来事を書いてこそ面白いと思うんですね。××という固有名詞を配した形で登場した人物が呼び起こしたのは「いじめ」という問題でしたが、それがあまりにも一般化されたワイドショーでみられそうなどこにでもありそうな
6: もので僕とってはそれが不満ではありました。
KOUSAKU Abe: わかります>6さん
6: 児童文学や青年小説をひも解いてみても、さまざまな場所や風景、小道具・思い出を駆使しながら・・・固有の記憶できごとを書いていると
常磐 誠: あまりにもテンプレ過ぎだ、という指摘も知り合いから既に受けました。このテンプレっぷりが僕の思い以上に本当にテンプレ過ぎました。反省です。思うんですよ。そういったものがなくて、具体性がないだけに思い入れしにくいです。
緑川: テンプレって、登場人物固有の背景を描くことで、かなりの部分、回避できるのかなと××の母親が、どういう経緯でいなくなったのかとか作中に書かれてましたっけ?あと、父親の死因とか
常磐 誠: なるほど。登場人物固有の背景を書くことで具体性も出てきて、テンプレの回避にもなる。ありがとうございます。>緑川さん、6さん
そして両方ともないです。>母の失踪理由、父の死因
緑川: 先に6さんの言われた、作品世界が把握しづらいっていうことにも
6: 僕は小道具をなにか凝ってほしかったと思いました。教科書で読んだ「少年の日の思い出」(ヘッセ)は「蝶の標本」が青春期の友情が瓦解する絶妙な小道具となっており、そういう固有のなにかを××と主人公のあいだに造ってほしかった。
緑川: 繋がると思うんですけどね。小道具もたしかに、それと場所の描かれ方かな。ヤママユガでしたっけ? 標本
6: そんな気が>緑川さん
KOUSAKU Abe: ふむふむ
常磐 誠: クジャクヤママユだそうです。標本。
緑川: ふむふむ
6: 「不思議な運動会」は、そう言う意味でさまざまな固有名詞・二次元・ネットの記憶が交錯するまさに固有の運動会だったと僕はとらえているんです。何でもありのごった煮!そういったものがすごく僕にとって魅力的でスピードや展開が型をぶっちぎりで壊していて、めちゃすごいと思ったんですよ。 だから、何だろう。常磐さんならもっといろんな要素をまぜて書くことができるのに
緑川: えっと
6: どうしたんだろう・・・というのが正直な感想でした。
緑川: 常磐さん、火葬場に行かれたことはあります?
常磐 誠: 記憶はおぼろげです。二回か、三回。一番最近は去年です。
緑川: 煙、立ち上りますか?
常磐 誠: らなかったですね。
立ち上る火葬場ってもう今はないですかね?
緑川: あまり無いのではないかと。 それと、なんでこんなこと訊いたかというと。 場所の描写ですね。
常磐 誠: 場所の描写、ですね。教えてください。
緑川: >建物の中は落ち着いた雰囲気に溢れていて、妙に広い空間、空気がどうにも落ち着かなかった。ちょっと、簡単すぎるかなと
常磐 誠: こういうものをもっときちんと書くっていうのが慣れてないし、それに記憶だけに頼っていて全然自分でも場所のイメージってできてない、ですね。言われてみると確かに。
緑川: この一文も全然悪くはないんですけど、他の箇所でも、散らして書かれるとよいのではないかと、内面描写の多い作品なので、場面が、ちょっとふわふわした感じがするんですよ
KOUSAKU Abe: それはわかります ふわふわ >緑川さん
緑川: どんな場所に登場人物が立っているのか、少々分かりづらいです
常磐 誠: (なるほど! 今一カ所にまとめることしか考えてなかったです。)
読み手に伝わるべき情報が伝わってないですね。
6: そうですね。書かれていない・・・です。
緑川: 常磐さんご自身には場面が見えているんでしょうけど、読者に伝わりにくいかなと
常磐 誠: 知り合いにはもっとストレートに、『読者への配慮不足!』と指摘されました。
6: 雰囲気はあるんですよ。ただつかみづらい。ファンタジー世界なのか現実世界なのかすら最初はちょっと判らなかった。
KOUSAKU Abe: 入り込みにくいけど、入ったら、感情移入しちゃいましたね。
緑川: 主人公のキャラがですねえ、常磐さんらしい、純で少し幼い感じで、けっこう私も好きですね。
常磐 誠: 入り込みにくくて、入り込むまでのストレスで読むのやめる人がいるんじゃない? と言われてちょっと凹みました(汗)。
今度はもっと入り込むまでのストレスを軽減させられるようにしよう。
常磐 誠: (皆の言葉が本当に励みになります……。)
小野寺: いえ今までの作品よりもはいれますよ
6: そうですね。文章それ自体は直球でつきささるものがところどころあります。主人公や××の「言葉」は魅力的です。やはりもっと作り込んでほしいという願いもあるのですが。
小野寺: っていうか今までの作品で鍛錬されてコツをつかんだのか
6: いじめっ子の二人の造形がよくないと思いました・・・。典型的すぎるかなと・・・。
KOUSAKU Abe: それおもいました>6さん 両方とも
<<< 文章それ自体は直球でつきささるものがところどころあります。主人公や××の「言葉」は魅力的です。やはりもっと作り込んでほしいという願いもあるのですが。[2012年12月28日 23:43] 6:
<<< いじめっ子の二人の造形がよくないと思いました・・・。典型的すぎるかなと・・・。
6: ただ、文章はやはり読み返していて面白い。 矛盾したことを言っているみたいですが、常磐さんの文章それ自体は好きです。
小野寺: 文章は無駄がないし描写も素直ですね。何より感情が自然に吐露されている
緑川: 常磐節ですね
小野寺: 下品な言葉が多いが。 それに麻痺すれば、読める
6: あと、指摘してばっかりで申し訳ないのですが、: ラストも。 僕は飲みこめなかった・・・
常磐 誠: 指摘はありがたいです! 小さな一歩を踏み出そうということの、ちょっとした変奏。 これもイメージとしては誰もが思いつきやすいところに行き着いてしまったような・・・。
常磐 誠: でも、下品な言葉に麻痺させないと読めないっていうのもやっぱりストレスですね……>小野寺さん
常磐 誠: やっぱりテンプレっぷりが激しいです。
6: 常磐さんに聞きたいのですが、これを書いた前後で読んでいた本はなにか覚えていますか。 あるいは何かの小説に近づけようとして書いた作品とかでありましょうか。。
小野寺: いえ、常盤さんはこの路線で突っ走ってほしい気もします。僕的には「小説としての約束」を欠いた作品として読んでしまっていて・・・もっといろんなご自身の好きな小説をしっかりと読んでどっぷりはまりこんでほしいな、と思ったんです。
常磐 誠: 漫画ですが3月のライオン、小説だと時雨沢恵一「キノの旅」、あさのあつこ「バッテリー」です。
6: そういったものからどんどん盗んでほしいと思いました。参考になるところを・・・。
常磐 誠: 「小説としての約束」を教えてください。
(知り合いには、『起承転結の起と承だけで終わってる』と言われましたがこういう風なことなんでしょうか?)
緑川: (あさのあつこ「バッテリー」・・・いったいいつになったら野球を始めるんだと思いながら読んだ記憶が(すいません。余談でした)
6: シンプルに時間や場所を具体的に書き、読者を導いていくところとか
常磐 誠: (それは確かにちょっと僕も思ったなぁ……汗)>緑川さん
6: 場面転換の際に使われる技法とか、主人公と××の回想シーンをどういうところではさむのかとか、そういう過去の作品が積み上げてきた。約束事のようなものです。
緑川: あぁ、なるほど >6さん
常磐 誠: ありがとうございます。そこを意識して読んでみます!
小野寺: 確かに回想シーンわかりにくい
緑川: けっこう奔放に語ってるかな、そういう意味では、この作品
KOUSAKU Abe: ではキリもよさそうです、時間もそろそろかと思いますが、どうでしょう。言い残したことはありますか?
小野寺: いえ、大丈夫です
常磐 誠: 皆様ありがとうございました! 最後になのですが、この作品に先生、いりました?
ぶっちゃけ、いらなかったのではないか、と本気で思ったりもするのですが……。
6: いると思いますが巧く機能していないと思います。
緑川: いや、そこも常磐さんらしくて良いかと・・・先生の登場
小野寺: うーーんいるんじゃないかなと思いますよ。 先生がいると人間の話と思います
常磐 誠: どうしたってテンション高すぎて作品をバカバカしくしてしまったように感じられて、結構消すかどうか迷っていました。
どうすればもっと巧く機能したんだろう……。ありがとうございます。
6: 主人公と××の関係の変化の媒介にするのが一番よいかなあと思います。どういうふうにするのかはいろんな方法があると思いますが。
常磐 誠: ありがとうございます。考えてみます!最後に気になる部分も聞けたので、本当に満足です。次の作品、お願いします。
●「やるせない」Rain坊
6: Rain坊さん、大化けの一作!これは非常に良かった。
ある一人の作家についての文章を読み進めるうちにそれが「私」=「彼」であるというメタ的な構図が非常に良かった。ある作家の肥大していくイメージもきちんと冷静に描かれており、その肥大しきったイメージ・伏線もちゃんと回収できており、僕にはこのような遊び心ある作品は到底書くことができず、心からこの作品の誕生を祝福したいと思った。「殺害予告」=「遺書」という構図もセンスがよく、思想性の高い作品になっているのではないかとおもった。「私」が「彼」を「文」章で殺す。前代未聞の試みであり、書く私と書かれる私の分裂という極めてブッキシュなテーマは僕の大好物でもあり、端的に言ってこのアイデアをパクらせてもらいたいと思った。『大喝采』については、過去に『トリストラム・シャンディ』などでこういったページの使われ方があったと聞いたことがあり、それほど新しい試みではないが何となく許せる……。
ただ競売のシーンはいらないかなと思ったのと、このワード形式が非常に読みづらいのは指摘したい。
小野寺さん: レインボーさん「やるせない」
おそらく作者は物語を信じていないのだろうと思う。懐疑は懐疑を呼んで自意識は積み重なった。設定はミステリ作家ということになってるけど。小説論を展開している。小説の「方法序説」のようなものか。それはそれとして興味はないわけでもないが、答えが出そうにないことは悪いけれど目に見えている。テーマとしてちょっと手に負えないんじゃないかと思う。以前にレインボーさんには書きかけの作品をいくつか見せていただいたがあの作品はどうなってしまったのだろうか?それほど悪評でもなかったはず。批判をおそれることなく物語を紡いでいってもいいんじゃないかとも思う。まあ少し辛口ではあるが。
KOUSAKU Abe: Rain坊さん「やるせない」
ショートショート的な、落ちありの小説で、主人公が、仮面を被って彼となった時にミステリーを書き始めた理由がわかる遺書の書き方であると思えた。また、中盤で読めてしまいそうな、カラクリではあったが、最後に、オークションに掛るところまで読んで小説が完結したので、展開すべきところまで展開し、読者に先を越されることもなく、かつ置いていくこともなく、最後まで読者をちゃんと連れていってくれた。まだ物語に大胆さがないとはいえ、読者との誠実な関係を結ぼうと言う意志の感じられる作品だった。経験したことのないことを虚構で書いた時に、内容が空疎であることが指摘されるなら虚構とはまさに形式であって内実をもったものと言える。ある内実をもった文章が、経験したことないものとして現れるからこそ虚構という転換がある。ところが、主人公は、内実をもっていないのが先にある、それは彼であって私ではないから。
またRain坊さんの「読者観」「作者観」が垣間見える小説であったと思える。無論、語り手イコール作者イコール本人ではない、これは、この小説でも問題提起されていることだ。とはいえ、この主人公のやるせない感覚という、小説内の読者と自己への二重の裏切りは、この小説の作者自身の二重性についても同じことが言えるのではないか。つまり、独白なのではないかと思ったのだ。とはいえ、これは憶測。著者本人の考えであろうが無かろうが、こういうやるせなさ、というのは文学のテーマの一つだと思うので、もっと掘り起こせるように今後も頑張ってほしいと思う。最後に一つ、校正ミスがあった。一ページ目の、陥れるは、貶めるだと思う。以上
緑川: 一人語りで他人の出てこない作品、あるいは他人すなわち自己の分身。これ、意外に初心者の作品に多いパターンです。
書くことそのものがテーマ? いや、本来の自分と、世間の中で演じられている自分の相克がテーマかと思われます。そして、演じられている自分が作中で「死を書けない」と設定されていますが、その設定そのものにはあまり意味はなく、自分で自分を殺すというオチに関連付けられているがゆえの「死を書けない」ということかと。
このテーマ、もっと違う形でいろいろと書けそうです。..
KOUSAKU Abe: では、フリートークに入りましょう。
6: 僕的には今月号のベストです。
KOUSAKU Abe: 僕は6さんが高評価した伏線は読めそうだったので、最後のオークションがいるかな、って思いました。
6: オークションは僕もいらないと思った。しらけた
小野寺: 面白いとは思いましたが、こういう小説ならポーのように雰囲気を醸し出してほしいな
KOUSAKU Abe: それはあります。
6: 僕はこういう「軽さ」も好きだけど。
常磐 誠: 大喝采、のところを最初にiPhoneで読んで、本当に意味が分からなかった……。今PCで読んでやっと……。という気がして、つながったのでよかったのですが、オークションだけに限らず、途中で感情が表立ってでてくるところ周辺にも、どうにも書き手の若さを感じてしまっておろ? ってなったんですよね。
6: アイデア自体がおもしろかった。分裂はいろんな書き手が書いているとおもうけど文章のれベルでそれが多層化していてすごく好みだった・・・。
KOUSAKU Abe: 軽さなら、もう少し、ユーモアがきいてほしかった。
緑川: ポーの場合、技巧的なものではなくて、作家自身に内在している神経症的な恐怖感とか、そういうものがありますからね。 資質的なものというか
小野寺: ああ、でもある程度は書けるでしょう
緑川: まあ、一人の書き手の誕生に立ち会った感はありました
常磐 誠: 徹頭徹尾雰囲気というか、完成された小説家としての人間像が貫けていないように感じられました。けど、オークションはたしかにいるかな、とも思います。遺書が遺書として機能することを願うのにそれがオークションて。っていうやるせなさ。僕の中でのやるせない感。
緑川: だから、「もっと違う形でも」って感じで、先を促したい
6: 「やるせない」感は僕は受けなかったんだよなぁ
小野寺: それは同感
緑川: 雰囲気的には、まだこれからかなと、若書きという感じもします
常磐 誠: お前何様だよっていう感じの意見なんですけど、僕もこれからなんじゃないかと思います。Rain坊さん。
6: 前作「悪ふざけ」から考えたら、僕はかなり前に進まれたと思ったんだけどなぁ
緑川: あぁ、それはたしかに >6さん
常磐 誠: あ、そういえば僕まだ悪ふざけ読んでない!
6: 「若い」…しかしその評をきいた作者はどうすればいいのか。
常磐 誠: 回数重ねるしかないと思います。
緑川: 読書経験を積むことじゃないですかね >6さん
日居月諸: 少なくとも自分で定めたハードルをきっちりと越えられてはいますよね。それがいかに難しいかと分かってる身としては大変な達成だと思いますよ
6: なるほど>常磐さん、緑川さん 僕もそう思う>日居さん
常磐 誠: それができてるって他人から評されるのなら、本当にたいしたことだと思います。>日居さん
緑川: ですね、日居さん。だから、誕生って言い方をしました。一皮むけたより、もっと大きい
KOUSAKU Abe: なるほど、誕生か。
小野寺: ただこの作品って次作が難しそうな気もする
常磐 誠: そっか。僕は前作を知らないからわからないけれど、Rain坊さん凄いなぁ。
負けられない。
日居月諸: Rain坊さんはもっと面白いところに行けると思いますね。骨格を決めればなんでも書けそうです。その点、その都度その都度「誕生」する作家になれると思う
6: キャラクターとか文章とか物語に目を向けることから、はじめがちだと思うんだけど、構図的なものから入ったのはすごくオリジナリティがあったんじゃないかなと思います。
緑川: うーん、むしろ弾みがつくんじゃないかと、今一つ自信はないですけど >小野寺さん
6: 何度も言うけどアイデアがすごくよかった。ちょっとコルタサルの短編のような妙味があって・・・惹かれました。もちろん細かいところを見れば拙いところはあると思います。
緑川: 推測でしかないんですけど、これからRain坊さんは、小説を書いて楽しいっていう時期なんじゃないかと思います。書くと言う行為が自分ではない「彼」を呼び込もうとするのに「彼」を殺すために文章を欠くと言う断筆宣言。こういうとこ・・・いい。矛盾する行為の同時歩行。僕もこう言うことしたい・・・。
緑川: 先回りして言うと、書いて楽しいだけの時期は、そんなに長くは続かないんですけどね
6: その都度その都度「誕生する」作家ってカッコいいな・・・。僕もそうありたい。(ちょっと褒めてばかりなので黙ります・・・)
緑川: 常磐さんには場面がとか背景がとか、いろいろ言いましたけど
小野寺: いえ、そんな気になさらずに>6さん
緑川: Rain坊さんは、まだ細かい部分はともあれ、思うところをどんどん書かれて、間口を広げる時期なのかなと、ほんと推測で申し訳ないんですけど
KOUSAKU Abe: なるほど
常磐 誠: (僕も6さんにそこまで褒められたいとか思ってしまいますけど、でもそうなったら間違いなく調子に乗って何かとんでもない失敗をかますなw自分のことだから)
緑川さんの意見にはなるほど以外に思えない。納得してばかり。本人に伝えたいですよね。常磐さんは、ご自身の作風もってらっしゃるから、ご自身のキャラも(僭越ながら) だから、細かいところをきっちり詰めることをされた方が良いのかなと
6: (常磐さんの「不思議な運動会」は各所で傑作だから読んでと勝手に宣伝しているのですが・・・ぼそっ)
常磐 誠: 細かいところと読者への配慮、というか描写をきちんと伝えるっていう部分、頑張ります!
(おっとこれは調子に乗るパターンだ……ッ。いかん、いかんぞ……)
6: しかし、このワード形式はほんまないです。めちゃ読みにくいよ。『大喝采』が何かあじがでるけどね。
小野寺: 短いから直に張った方がまだいい
常磐 誠: ワード形式っていうと、えっと、全体をPDFでまとめた奴じゃなくて、本人の出したやるせないの単独のファイルですよね。自分はそれに目を通していないのですが……。
(今から行ってみます) ……あー。(完全に同意)
6: (自由投稿ページの夕陽の写真に何となく雑誌作成をよく手伝ってくれたRain坊さんに感謝の意をこめて小説の引用を載せさせてもらったんだけど、結果自分的には大満足の作品だったから、載せてよかった)。じゃあ、最後にRain坊さんの課題を、みんなであげていきましょうよ。: Rain坊さんは雰囲気をつくるのはあんまり得意ではないと見ました。
小野寺: 熟成ですね
常磐 誠: 経験
徹頭徹尾してその人、空気を書ききる
この二点だと思います。最初の一つはそのまま自分にもあてはまりますが……。
6: それは軽さとなって良い面もあるのですが、あるタイプの描写や世界を構築していくのがまだまだ課題かなと思います(何様発言ですが・・・
緑川: 読書(小説やエッセイ)・・・良い作品をたくさん読む
6: (すいません、では僕は落ちます。あしたもあるので。愉しかったです。みなさま、また小説について語らせてください。)
緑川: お疲れ様でした、6さん
小野寺: 明日は早いんですね
常磐 誠: お疲れ様でした! 6さん
小野寺: 御疲れ様です
日居月諸: お疲れさまでした