5月26日合評会
21:00~21:45 「いつかの間で。」 牧村拓
21:50~22:35 「笑い」 大羽左膳
22:40~23:25 「変身現代」 しろくま
参加者:イコ、小野寺、小山内、牧村拓、とーい
【本日の合評のやり方】
1.感想を一斉に喋る。
2.フリートーク(議題の提示)
3.改善すべき点について一斉に喋る。(わたしだったらこうする、でも可)
誰かの意見に向けて喋るときはなるべく、「>○○さん」をつけて、方向を明示すること。
<牧村拓:「いつかの間で。」>
イコぴょん: じゃあ牧村さんの作品「いつかの間で。」から。「いつかの間で。」の感想をお願いします。
イコぴょん:
・おもしろいと思ったのは最後の表現、つまらないと思ったのは最初の表現。
・「蝉時雨」は使い古されすぎている。具体的にはどんな状況なの?
・「この街は 揺り籠には小さすぎる」→考える余地がある。詩の主人公の背景を想像したくなる。
・全体を通して、常套表現のオンパレードである。
・考えずともイメージが直立し、それぞれが主張しつつも統一感をもっているような表現を目指すべき。
・「爆音」も「歓声」も、花火と、それを見つめる者の表現とは異なる。
・花火があがったときの、周囲に遠慮している、けれど心の高まりをおさえられないで出てくる「おお~っ」っていう控えめな声と拍手をこそ、短い言葉で表現してほしい。そういうリアルを目指してほしい。
小山内 豊:
夏の思い出?どこか特定の場所、景色。
印象としては詩というよりも何かの暗号を感じさせるが、単に記憶にある景色をうたったものか。「この街は 揺り籠には小さすぎる」このセンテンスにすべてがこめられているのではないか。思い出の景色の世界から出なければいけない、いけなかった、という感慨を感じさせる。
小野寺:
詩は私にはよくわからないという思いをいっそう強くした作品でした。どこが主観か客観なのかわからずイメージをつくりだしにくいと思いました。
イコぴょん: 小野寺さんは、この詩を前に評価しておられましたね
小野寺: ええ
イコぴょん: 自分も最後の言葉は重要だと思いました。あれがあるかどうかでずいぶん評価が変わる。>小山内さん
小野寺: 全体の印象はやや弱いけれどもまとまりはあるのではないかと思った点、それからそれぞれの言葉が妙に説得力があるという点は評価できるかなと思った次第です。(前は)
小山内 豊: うーん説得力か…
イコぴょん: 説得力とは?>小野寺さん
小野寺: 説得力というのは相対的なもので、自分が書く詩よりはあるかもと思ったということですね
イコぴょん: 相対的なものか、なるほど。それは牧村さんにとって褒め言葉ではないですね>小野寺さん
小野寺: どうでしょうかね
イコぴょん: 自分は常套表現ばかりで、具体的なイメージがつかめなかった
イコぴょん: あともうひとり部外者の知り合いが感想をくれたので、紹介します。
(知り合いの感想)
・イメージの羅列(次から次へ出てくるので困る。統一されない)
・アマチュアは言葉に凝りすぎて、イメージが喧嘩していることが多い。
・一文一文すべて考えなければならないのが辛い。もっと小説でいえば「地の文」が必要だと思う。
・イメージの方向性がずれている。
小山内 豊: 思い出の一場面を描いただけなのかなと。なにかしら思いを感じさせるのは、その場所の雰囲気が印象的であったということと、視点の人物が「幼かった」?のかなぁという。それがラストのセンテンスにつながる。そういう解釈でした。そういう意味では、あまり深さを感じませんでした。うん、イメージの羅列ですよね。それで? と思ってしまうけど、それが記憶してあるのでしょう。詩の深みというのが重要だとして、それを記憶の景色から読者が拾い上げなけりゃならないのかとか、議論の余地があるのかな。
イコぴょん: 記憶のなかの世界、というのはたしかに感じます。しかし記憶のなかにあるはずのもっとリアルなものが、ここには描かれていない。
小山内 豊: リアルなものというのが、作者の描きたかったものだとすれば、そうですね。
イコぴょん: 「静寂を破る蝉時雨」そりゃまあそうだったのかもしれないけど、この表現を読者はおもしろいと思うだろうか?イメージが直立してこないんですよ。牧村さんにしか描けないイメージが。牧村さんにしか描けないイメージっていうのが、「牧村さんにとってのリアル」
イコぴょん: 「静寂を破る蝉時雨」 誰でも描けます
小野寺: イメージがすっきりしないという点では冒頭でも言ったように同意しますよ
イコぴょん: 「湿った空気を揺らす陽炎」も、像が浮かんでこない
小山内 豊: 「傾いた陽が」というあたりから、ああ、夕方なんだなとは思うけども、それが素直に景色をうたっているのだとしたら、感覚としては常套句なのかもしれない。
小山内 豊: 基本的には最後のセンテンスにつながる記憶なのだから、まぁ共感を得られる表現ではある。
イコぴょん: 自分は夕方から夜への時間のうつりかわりと、花火の情景を描いている作品だと思いました
小山内 豊: それは私もそう思います。
イコぴょん: 最後のセンテンスの「この街は揺り籠には小さすぎる」というのは、どう記憶から出ようとしているのだろう
小野寺: わたしはイコさんとは逆に「この街は揺り籠には小さすぎる」はかなり陳腐に思いましたけどね
小山内 豊: イコさんに言われ、記憶か現実かちょっとあいまいになってしまったけど、「揺り籠には小さすぎる」というのはやはり安住の地にはできない、広いところへ出て行かなくてはいけないという意味だととらえた。
とーい(10011040): わたしはハードボイルドを描いているとおもいました。
イコぴょん: ハードボイルド!おもしろいです。どういうことでしょうか?>とーいさん
とーい(10011040): おとこのやさしさと孤独を描いているという意味で、ハードボイルドとおもいました>イコさん
小山内 豊: 「爆音」「乾いた町」「ゴミ捨て場」言葉遣いはニヒルですね、
とーい(10011040): この詩の主人公はなんらかの目的で流浪し、波止場にたどりついた。
この言葉のえらびかたは、牧村さんの美学ですよね。
小山内 豊: 「波止場」というあたりから、ちょっと景色がまとまらなくなりますが、みなとみらいとかかなと。
小野寺: 牧村さんらしさというのは出ていると思う
とーい(10011040): わたしは、倉庫街をイメージしました。日焼けした倉庫群。
小山内 豊: それで「波止場」がでるから、説明はないが特定の場所なんだ、という、ことなんだけども。
小山内 豊: 赤レンガ倉庫はありますね。
イコぴょん: 関東のどこかだろうな、と思いました。それくらいのあいまいさは、いい気がします。
小山内 豊: うん、本質的なことではない。
とーい(10011040): 揺り籠は行きずりの夢、一夜限りの夢を見る場所ですよね。安住でも定住でもなく。
イコぴょん: 小山内さんのおっしゃる、記憶のなかの世界、というのは、記憶であれば、現実的なリアリズムから逸脱することは、なんら構わない、ということですね。
小山内 豊: そうです。それが、たしかにいまいる場所から出ようとしているとも読めてきた。ちょっと考え直します。
イコぴょん: 前に幼さについて言っている方がおられたけれども、イメージを、記憶のなかに定着させた者の、幼さを感じます。「爆音」とか「歓声」とか。花火のあがる音を、「爆音」とは思えないのです。あまりに陳腐。それに対して誰かのあげる声も、「歓声」じゃまるでサッカーのスタジアムだ。というように幼さが感じられ、自分はハードボイルド、ととらえるのに、抵抗があります
小山内 豊: 「(イコぴょん)イメージを、記憶のなかに定着させた者の、幼さを感じます」それがあるから、過去なのかなと。ところが、揺り籠には小さいってことは、もっと大きな揺り籠を求めているようにも読めてしまう。
イコぴょん: 「おとなの男の孤独」を描くのであれば、言葉のひとつひとつにさらなる洗練が求められるのかな、と。
小山内 豊: 大人の男の孤独というのは感じられなかった。
小野寺: 「(とーい)揺り籠は行きずりの夢、一夜限りの夢を見る場所ですよね。安住でも定住でもなく」わたしはとーいさんの意見に賛同したいです。
イコぴょん: 聞かせてください。>小野寺さん
小野寺: 揺り籠っていうのは都会ではないんです
とーい(10011040): なるほどー。そのあたりはむずかしい。。牧村さんの趣味を多少なりとも知っているせいか、村上春樹的な表現を感じています。<この詩のことばに
小野寺: 都会の、或る場所みたいなものかな
イコぴょん: それは感じますね、「風の歌を聴け」のような。>とーいさんでも描いた当時、読んでいたのかは分からないw ずいぶん前に描かれた作品だそうなので
とーい(10011040): なるほどなるほど>イコさん
とーい(10011040): 村上春樹は正直わかりませんが、ハルキさんはおしゃれじゃなければいけないとおもいます。
イコぴょん: この詩はおしゃれだったですか?
小山内 豊: ずいぶん前に描かれた作品だそうなのでそうすると、やっぱり、就職するなりして住み慣れた街、横浜みなとみらいを離れるときに、彼女か友達と一緒に花火を見た、という記憶かな。
イコぴょん: 作家の現実と照らし合わせて語るならば、そういう解釈はできますね>小山内さん
小山内 豊: 俄然そう思えてきましたね。
イコぴょん: 自分はいっしょに、とは感じられませんね、なんか一人でいる感じ
小山内 豊: 一人かもしれない。ちょっと寂しいけど^^
とーい(10011040): おしゃれですね。雑誌のCFとして、美しい写真に添えられていたらとてもいい。違和感がない、という意味で。
なるほど、おしゃれな感じか。そういうものを意図しているなら、ある程度成功しているのかもしれませんね。
イコぴょん: この作品について、こうしたらもっとよくなるだろう、っていうのはありませんか?
小山内 豊: 意味合いの解釈を離れて、技術的なことはいうなら、センテンスごとの効果をもっと多様なものにしたほうが面白いと思います。
イコぴょん: 自分は、もっと言葉をふるいにかけてほしい。牧村さんにしか出せないものを見せてほしい。「爆音」や「歓声」という言葉に安住しないでほしい。
小山内 豊: いまのままでは、最後のセンテンスの前に、景色をひたすら書いていて、効果は同じ。
イコぴょん: 記憶だったら記憶のなかに残る、もっとリアルなもの(逸脱しててもいいから)を見せてほしいです
小野寺: 最後のセンテンスは安直に思うなあ
とーい(10011040): ハルキは鏡が多く出てきます。鏡を自意識の表象とするなら、この街は揺り籠には小さすぎると内省しているのもハルキさん的。
小野寺: というと外国に高飛びするしかないですね
小山内 豊: 俳句で「あかとんぼ まっすぐとんで 急カーブ」というのを読んだことがあるけど、それと比しても、単調というか平坦に感じます。ほとんど停止している。
とーい(10011040): ことばをふるいにかける、これはわたしも身がつまされます。
イコぴょん: という感じで、1作品目の合評を終わろうと思います
牧村拓: ありがとうございました!
<大羽左膳:「笑い」>
イコぴょん: では2作品目「笑い」の感想をお願いします
イコぴょん:
・4月号合評の際に述べた「0.5歩のはみ出し」が今回の作品には感じられず、おもしろくなかった。
・「0.5歩のはみ出し」とはつまり、短歌を芸術的な平面に着地させる気の利いた言葉がないということである。作者の愚痴としか思えない。
・「滅したい」「吐いた」のような似通った言葉が入るのはよくない。ふたつの言葉が対照的に響き合うような短歌であれば。
・「いない」と「ない」の連続の言い回しは、眩惑的でおもしろい。作者のとりとめのない混乱状態が表現できている。
小野寺: 相変わらずのネガティブ詩でこれはもうこの分野の大家になってほしいと思った。
イコぴょん: 小野寺さん、この短歌おもしろかったですか?
とーい(10011040): ネガティブ詩の大家のかたでしたか!
小野寺: いや、あまり面白くないですね。前のほうが新鮮に思いました
イコぴょん: 自分は4月号に出した作品の方がおもしろかった
小野寺: ええ
イコぴょん: 今回の作品は新鮮味でいえば、薄れてますよね
小野寺: マンネリズムな気がします
イコぴょん: 左膳さんってこういう詩だよね、というのを何もはみ出さず。鮮烈な表現はない。そこが残念でした。
小野寺: 誰かがハッピーで自分は悲惨というパターン。デートのもの。そういうパターン以前にもあった
イコぴょん: はい、二つ目のものですね
小山内 豊: 一句目、滅したいがなにを意味するか不明。
二句目、相対的な剥奪感をかいている。自己憐憫ではないか。
三句目、意味がわからない。
とーい(10011040): わたしは、この作品こそ大羽さんのかざらないことばで書いて欲しかった。
小山内 豊: あえて率直に。
イコぴょん: かざらないことば……大羽さんはかざっている?>とーいさん
とーい(10011040): わたしは短歌のことはわからないし、センスもないので人様にいえませんが。
イコぴょん: 大羽さんの短歌、正直めちゃ分かりやすい
とーい(10011040): 滅したいもの、ものすごく解ってはいる、昼飯吐いた。3つのことばの強さが統一性がないように感じたので。
イコぴょん: もちろん「分かりやすい」というのは、自分の感覚で言って、なので、作者から「分かってねーな」と思われる可能性大だけど、自分はこの短歌を納得しています。
精神状態が不安定な作者は、たぶん、もう何もかも滅したいんだと思う。何か具体的なものを想定したんだろうけど、具体的なものは、正直、あまり意味をなさなくて、感情ばかり前に出ている
とーい(10011040): 滅したい、ということばを使うかたが、ものすごく解ってはいる昼飯はいた、はもったいないとおもいました。
イコぴょん: もったいないですよね。解ってはいる、って、冷静になろうとしている自分で。でも冷静になんかなれてなくて、それが身体にあらわれている→昼飯吐いた
とーい(10011040): これって、普遍的なテーマですよね。誰しもが共感できることとおもう。だから、大羽さんの普段使われることばで短歌にされたら、より感情移入できたとおもいます。
イコぴょん: 自分は、共感はできませんでした……大羽さんの精神状態だな、と思ったくらいで。自分の不安定なときのものの見方とはぜんぜん違って。
小山内 豊: 私にはわからないんだけども、たとえば一句目を読んで、何か気持ちを代弁されているだとか、きれいな短歌だとかっていうことになるのかな?
とーい(10011040): 冷笑的、自嘲したいときはあるかな、とおもいます。好きか嫌いかで言えば、わたしはニガテな短歌です>イコさん
小山内 豊: 一この作品ととらえたとき、どのようにとらえたらいいのでしょう。
イコぴょん: ひとりの人生の、ぶつかってくる感じがとらえられます。それはそれで、いいのではないかと思います。
小野寺: なまの感情吐露ではないかと思います。>小山内さん
小山内 豊:「(イコぴょん)ひとりの人生の、ぶつかってくる感じがとらえられます」
<<< なるほど。
イコぴょん: でも愚痴と芸術を分けるポイントが、この作品には、見当たらなくて。
小山内 豊:「(小野寺)なまの感情吐露ではないかと思います」
<<< そうしたぶつかってくるものがある表現だということですね。
イコぴょん: ただ愚痴を吐いて終わり、というのではなく、その人の人生に、興味がもてるような、具体的な何か、がほしいのです
小山内 豊: ポジティブでもなくて、か。
とーい(10011040): 興味が持てるような、それですそれです!!>イコさん
イコぴょん: ポジティブな表現を敢えてすることで、ネガティブを際立たせる、という方法はあると思います
とーい(10011040): わたしは格好つけないで、もっとありのままの感情を出したほうが魅力的とおもいました。
イコぴょん: でも二つ目のデートは、他人のポジティブ(らしきもの)に対して、ネガティブな感情を抱いている自分、みたいなものが先に立ってしまって、結局おもしろくないのです
とーい(10011040): もちろん、ありのままの思いを伝えるために表現手法が必要とおもいますが
イコぴょん: 格好つけない、か。もっと口語的表現にしてもいいかもしれませんね
とーい(10011040): 表現もですし、感情も格好つけないほうが魅力的とおもいます!
イコぴょん: 感情に格好つけてるか
イコぴょん: 牧村さんの詩に対する「おしゃれ」という評とはちょっと違うニュアンスのようですね
とーい(10011040): 2つめの短歌なんて、もったいないですよ。自分はつまらない人間なので、こんなふうに感じられない。
イコぴょん: いまどきの、「ちくしょうリア充め!」っていう感じがあると思ったなあw
小山内 豊: 私には二句目が一番いやらしく感じました。
イコぴょん: いやらしい、ですか
とーい(10011040): あきらかにセックスの暗喩の点滴を皮肉って採血ですものねw
小山内 豊: いや、スケベではなく。
イコぴょん: へえ、点滴ってセックスの暗喩なんですか!>とーいさん
小山内 豊: さぁはしご外したよ。
とーい(10011040): 牧村さんは必然と美学を感じます。大羽さんは短歌への美学を感じますが、必然が少し弱いかもとおもいました。
とーい(10011040): 暗喩かなと(マチガエテタラスミマセン)>イコさん
牧村拓: 僕は2首目に関してはそのまま作者の動向を表しているように思いました
イコぴょん: ふむ、動向とは?>牧村さん
小山内 豊: これをうたってみせる作者の心境はクリアーに読み取れる。それは確かですね。
イコぴょん:「(小山内 豊) これをうたってみせる作者の心境はクリアーに読み取れる。それは確かですね」<<それをおもしろいと思えるかどうか、ここに多くの読者との壁がありそうです
牧村拓: 4月度のものより面白く読めた。一首目の「昼飯吐いた」のバカらしさ・軽妙さ
2首目のデートと採血の対比。3種目の「ない」のリフレイン。それぞれ効いているように感じます。動向というかそのまま友人はデートに行ってるんだけど自分は体調や病状のせいで献血を断られて採血だけしてきたよーってむなしさ
イコぴょん: ああ、動きってことですね
とーい(10011040): 動向ですか。ちょっとわたし考えすぎたか。
牧村拓: んん、普通の文脈にあれば僕もそう読みました。ただ作者の人となりから察するに…って感じです
イコぴょん: 作者の人となりが前提になるとこありますよね
牧村拓: 今回も大いにありますねー、やはりそこに僕はひっかかります
イコぴょん: 人となりを知った上でないと楽しめないのではないか?ということでしょうか?>牧村さん
牧村拓: そうですね、少なくとも僕の読みではそうなります
イコぴょん: なるほど。自分は人となりを知っていても、もう、小野寺さんもおっしゃるように、マンネリズムを逃れられていないように思ってしまいます。
イコぴょん: もっと本人は豊穣な人生の持ち主だと思うんですけどねぇ
牧村拓: 表現をもって自分自身に切り込んでいってほしかったな、と思います。たぶん作者はそれができる人だ
イコぴょん: 短歌がみんな同じ方を向きすぎていて、もういいよ、お腹いっぱいだよ!という気分に。
とーい(10011040): 表現をもって自分自身に。。大切ですね!
イコぴょん:「(牧村拓)表現をもって自分自身に切り込んでいってほしかったな、と思います」<<<なるほど、牧村さんからこういう意見がありましたが、他の方、ここをこうすべき、というのはありますか?
牧村拓: 追加で。どこかテンプレ的メンヘラの言葉でしかなくなっているので、そこから逸脱するような、感覚的な表現が持ち込まれると面白い
小野寺: 短歌や俳句って受刑者にやらせるじゃないですか。あれって反省を求めてるのでしょうか。
牧村拓: >>小野寺さん 感性を呼び起こすというか情操教育の一環だと思っています
小野寺: 牧村さん。そうですか。昔から疑問に思っていました。
小山内 豊: 二句目のことになってしまいますが、こうした自己憐憫をかいて、読者にのしかかってくるのではなく、作者の生い立ちというか苦しいところというのはみなそれぞれ持っているのだし、しっかりと自分で立ち上がっていることをまずは求めたいかな。
イコぴょん: ふむふむ。苦しいことを苦しいと描くだけじゃ、ということですよね
小山内 豊: それもあるけども、友人の健康さと比較して苦しさを表現するというのも、いいとは思いません。
イコぴょん: 友人が本当に健康なのかも分からないのに、「デート」をポジティブととらえさせるように描くのも、自分は納得がいきません。
イコぴょん: 他者に対する意識がないように思えて。ただの愚痴や自己憐憫を読まされるのを不快と思う気持ちは、分かってしまいます。
牧村拓: >>イコさん そこにはポジティブな存在の象徴として友人を捉えている作者の人生観が見えてくる気がします
イコぴょん: あ、なるほど。象徴かー。>牧村さん
とーい(10011040): わたしは大羽さんがそんなにネガティブなかたとはおもわなかったです。
イコぴょん: 本人はもっといろんな面をもっている方だと思うのですよね。しかし作品になると、なぜかこうなる。
とーい(10011040): 自信とか経験がないだけで、根はポジティブかなって。
イコぴょん: 時間になりました。とりあえずここまでにしようと思います。
<しろくま:「変身現代」>
イコぴょん: はいはーい、時間なので「変身現代」いきますよー感想どうぞ
牧村拓:
・構造と象徴について意識的に挑んだ作品だったと思う。そしてその意図もおおむね成功しているようだ。僕としては形式や意見に見られるほど読みにくい作品ではなかったと感じる。そう感じたのは単に僕自身の感覚的な部分とこの作品が持つ感覚的な部分が うまく合致しただけなのかもしれない。そういった作品でも優れたものはある。
これがそうだと断じることはできないが、僕は好感触を抱いている。
イコぴょん:
・冒頭、カフカの劣化版スタートかと思いきや、意外と違う方に向かい、ザムザを意識せず楽しく読めた。
・描写に身体性があり、Hのすがたを想像しやすい。
・次はどうなるのだろう、と予想しながら読める。エンタテイメント性が高い。
・「成る」など、言葉へのこだわりもあるが、「見下ろす下は直線」「体を走った」など、ひとつひとつの文章にはもっとコストをかけてほしい。
・Hに違和感。三人称である意味が感じられない。
・意味ありげで、解釈を試みたくなる、一歩手前の作品になっている。
・もっと描写するべきだ。最後は作者が疲れ切っているように見える。
小野寺:
あまりに気持ちの悪い作品で正直驚いた。今までのしろくまさんのイメージを覆すような毒々しさがある。本元の「変身」では、まだ毒虫は毒虫として認識されているがこの作品では知らないふりをされてやがて抹消されている。徹底した無視のようだ。この気持ち悪さはすごいのではないか。こうした設定により外部にも内部にも視点は向かわず現在性の苦痛あるいは自由を獲得した視点は興味深い。そしてそれだけでは満足せずに冒険の終りに仲間たちに出会うというのがこの作品の新しさがあると思う。変身現代は単なる孤独譚ではなかったのだ。
小山内 豊:
昆虫?になった状況の中、日常を送ることの困難さを感じ取る。その困難から、いまの自分に必要なことは何かと考える。それを家族の中で過ごすことだと考え帰宅するが、そのときにはもう自分の居場所はなくなっている。最後は虫の塊の中で「自分の生き甲斐」が手に入れられると思い、そこへ近づけるよう考え始める。
精神的な成長と、周囲との歯車があわないこと、おそらくは自分と同じ存在、芸術的なものを作ろうとする中へ飛び込みたいというあこがれを書いている。
とーい(10011040):「笑い」より「変身現代」に笑いましたw
イコぴょん: 牧村さん、自分も好感触。
イコぴょん: やー、変身現代は笑えますね。怖さと裏返しのユーモア。>とーいさん
とーい(10011040): カフカのアプローチとちがいますよね。そこはすごいなあとおもいました。
イコぴょん: そうそう、カフカから離れている。>とーいさん
とーい(10011040): わたしはシュールさに笑いました>イコさん
牧村拓: タイトルから察するに、状況の現代性というものも大事なのかな
とーい(10011040): 大事ですよね>牧村さん
イコぴょん: 状況の現代性は、読みとれたし、大事だと思った>牧村さん
小野寺: やっぱ、他者のリアクションのなさがすごいです。
イコぴょん: や、みんなの意見がおもろい。けっこう高評価なんじゃないかな。
牧村拓: そこはこの作品の構造のひとつなのかなと思いました>小野寺さん
牧村拓: その構造というのが僕の中で一本の柱になってこの作品をつくっていて、そこに高評価の所以を感じます
イコぴょん: 他者の態度を考えるには、脱線事故が大事だと思います。この前後で、他者の反応が変わっていることに気付くと、俄然おもしろくなります。
とーい(10011040): 昆虫になったことより、抱くことを最初に悲観したのにビックリしました。
牧村拓: それもひとつの流れのうちにありますよね>とーいさん そこが僕としてはこの読みにくい作品を読みやすくしている基幹だと思います
イコぴょん: 虫になったことよりも、女を抱くことを悲観した、Hの状況分析に、人間臭さを感じます
牧村拓: ここ、僕は性欲という欲求から切り離されている示唆なのだと感じました。そうするとそれ以前に睡眠よくから切り離され、次に食欲から切り離されていることがわかる
イコぴょん: 人間の三大欲求から切り離されていく→虫になる?
とーい(10011040): ザムザを虫にして社会の不条理を描いたのがカフカ、社会を変身させHの不条理を描いたのがしろくまさん。
牧村拓: それに会社へ向かうことができず、自己実現の欲求から切り離され、最後には家族から人と認識されなくなり、自己承認の欲求から断絶される。そういう構造なのだと読みました。その過程として虫になっていくのだと。
小野寺: なるほど牧村さん。前にしろくまさんはマズローの小論を書いてましたが、これは逆マズローなんですね。
小山内 豊: 社会が変身しているのか。
イコぴょん: 社会の変身……んー、もっとくわしく聞きたいです
とーい(10011040): 大分、ぶっとんでるとおもいます。人間なら普通はじめに感じることとはちがうことに、Hさんは興味がありますよね
イコぴょん: 自分は虫になるっていうでかいことを受け止めきれない人間が、もっと細かい、具体的な悲観から入ったのかと考えました。だから人間味は失われていない。>とーいさん
牧村拓: >>小野寺さん そう読めますね。それとイコさんの指摘された脱線の前後での認識の変化が骨組みになっているんだなと
小山内 豊:「(とーい(10011040))ザムザを虫にして社会の不条理を描いたのがカフカ、社会を変身させHの不条理を描いたのがしろくまさん」<<< ここなんですけどね。カフカは未読につき…
とーい(10011040): 変身したとなっているけれど、実は最初から虫だったのでは。で、家族が虫を感じられなくなってしまった。
とーい(10011040): 読まれていなくても、感じられたままでいいとおもいます!>小山内さん
イコぴょん: この作品については、けっこう細かい解釈を試みてみました。
①脱線事故はHなどの束縛された生活を送る社会人の死をあらわす。(束縛された生活への作者なりの問題提起)
②ひとたび社会のレールから外れた人間は、社会からつまはじきにされる。(虫扱い→自由に生きる者への風当たりの厳しさ、戸籍の消失)
③Hは、会社に通おうとすることでぎりぎり社会につなぎとめられていたが、脱線事故を通して、完全に自由な存在に昇華する。
④子どもたちの体が元気の塊に見える、というのは、子どもがまだ社会に染められていないことをあらわす。
⑤没個性な自由人の最後(集合)→インターネットへの逃避か?
こんな感じで、脱線事故を契機に社会人としての属性を完全に失う(社会的には死に、完全に虫になる)
とーい(10011040): わたしは事故現場をみても、ある意味人ごとなHさんがおそろしかった。
小山内 豊: 虫としての素養があったということでしょうか。
とーい(10011040): 変身現代に漂う、この他人事感はある意味すごい。最初のセックスも、やっぱりひとごとかなと。
イコぴょん: 他人事感、かー。自分は虫の身体がよく描かれていて、リアルに感じられたけどなあ。
牧村拓: そのよく描く、というのも他人事ゆえにではないでしょうか>イコさん
イコぴょん: たしかに脱線事故という事故の規模に対して、かれの感慨は少ないですね>他人事感
イコぴょん: 脱線事故前までは、まだ「すいません」とか言われてるのに、事故後は、もう虫としてしか見られていない
とーい(10011040): 自分がどうしてこうなった、本当は真っ先に鏡を見るんではないかなと
牧村拓: 他人事として認識しているようなのはありますね、それが虫としての素養なのかな
とーい(10011040): すみません、ディテールにこだわりすぎてますね。。
小野寺: いえ、そんなことはないですよ
とーい(10011040): この他人事感が、当初、Hさんが家族の残留思念の表象かなとおもったりもしたのですが、確証なく。。
牧村拓: 虫というのが何の象徴であるかとなると……社会から落伍した人間なのかな
とーい(10011040): 今回の3作品の中で、わたしはいちばん頭を悩ませました。。
イコぴょん: Hって3人称で語ってたけど、こんなに主観が出るなら、1人称でええやんっていう
小山内 豊: 蝶のようなきれいなものとしては書かれていませんね。それでも最後のビー玉はきれいなものらしい。作品はそうでも、作者はそうでもないという。>牧村さん
とーい(10011040): あらゆる他人事感のなかで、かなりディテールにこだわられているところがあって、しろくまさんにここは意図的にされたか聞いてみたいところがあります
とーい(10011040): カフカの変身より、自分は変身現代がすきです。カフカには冷笑をかんじるけれど、しろくまさんには希望をかんじます。
イコぴょん: 「(牧村拓) 虫というのが何の象徴であるかとなると……社会から落伍した人間なのかな」<<<自分はそれに近い認識で読みましたね
牧村拓: やはり他人事感がキーワードになるのかな…
イコぴょん: 自分はそこまで他人事やとは思わんかったけどなあw
小野寺: 他人事というのは無関心ですね
小野寺: 自己にも他者にも無関心
イコぴょん: Hの状況、外部との接触について、ずいぶん描かれている。この虫は、他者にはあまり関心がないけど、自己には関心がある
牧村拓: その冷めた距離感がそのまま現代性といったところでしょうか
イコぴょん: 脱線事故よりも、自分の異変の方が、重要時だから、あまり人の死が問題にならないんでは?
小山内 豊: 虫の塊にはわれらがtwi文を重ねてしまいました。>イコさん
イコぴょん: あ、それはありますねww ネットのなかに安住の地を見つけようとする人間っぽいw>小山内さん
小野寺: 嫌ですよ。小山内さん(笑)
小山内 豊: きれいな玉をつくっているから、いいかなと^^
小野寺: これそのままゴキブリの仲間になるほうが面白いです
イコぴょん: あれ、きれいな玉じゃなくて、虫の目ですよね?
牧村拓: 最後の集合体は、僕は日々の細やかなできごとの積み重ねかなと読みました
小野寺: 家族から掃かれるかもしれないんですよ
とーい(10011040): 事故現場ですら集団としてまとめて描かれるのに、自宅の階段は13段とされたのかが気になってしかたない。。
小山内 豊: 虫の目ですね。作品を作っているのじゃあなかったのか。
牧村拓: >>とーいさん それは重要そうなファクターですね やはり他者と自己との距離感の違いかな
小野寺: 13段は絞首刑ですね。
とーい(10011040): 13は西洋だと不吉な数字ですよね。
イコぴょん: そこまで考えるのは賛成しかねます
小野寺: ふつう住宅の階段は13にはしないんですよ
とーい(10011040): かんがえすぎですか。うーん。。>イコさん
牧村拓: ではそれが部屋と外界とをつなげるものであるとして、冒頭では通り、ラストでは通っていないことを考えると……ってうがってますかね
イコぴょん: うーん、自分はそういう解釈は苦手だなあw
牧村拓: >>イコさん 僕はどうしてもこういう角度から読んでしまう
とーい(10011040): ありうるかもです>牧村さん
小野寺: まったく意識してないことはないと思いますね
イコぴょん: でも、しろくまさんは意図されているのかもしれませんね。おもしろく聞いています。
小野寺: ちょっと文章の特徴を語ってもいいですか?
イコぴょん: どうぞ。
小野寺: 事故の発生場面。21ページですが、電車に乗っていた人間は死んだ。とあります。
そのあとでなんで死んだかの説明がある。はじめに予告みたいのがある。こういう文章って変わってるなあと思います。
イコぴょん: どこが予告なんだろう……伏線は張られてますね。『電車の揺れは酷かった』とか。
小野寺: ただ全員が死んだということははっきりとは書かれていなかったからそう思ったんです。
イコぴょん: ごめんなさい、もう少し詳しく……難しいwみなさん分かりましたか?
牧村拓: 全くさっぱりです
小野寺: もっとわかりやすい箇所あります
イコぴょん: 文章は、今までのしろくまさんにくらべると、具体的でいいと思いましたが
小野寺: 「ホームに着くとそこは黒い林だった。地面の高さでは靴ばかりで埋め尽くされている」印象→説明みたいな構造
イコぴょん: いちばん印象的に、読者に提示したいことを先にもってきてる感じですかね。
牧村拓: やっと言いたいことがわかった!でもそういうのって変わってますかね
小野寺: 俺の中では変わってる!
イコぴょん: 変わってるとは思わないな
小野寺: (笑)
イコぴょん: 思いつきで書く人は、けっこうやる手法だと思う
イコぴょん: どん、といちばん伝えたいことを提示して、あとから詳しく説明する。
牧村拓: 倒置法に近いですね
小野寺: なるほど了解です
イコぴょん: そうですね、倒置法
小野寺: ただそれだけのことですよ
イコぴょん: 自分はそれより、上の文章のまずさが気になる
牧村拓: 助詞の使い方ですかね
イコぴょん: 「地面の高さでは靴ばかりで埋め尽くされている」<<< わからん!
牧村拓: (視界が)と入れてみたりすると少し通りがよくなる
イコぴょん: あ、そうですね
イコぴょん: たぶん虫の視界なんでしょうね、地面の高さ、っていうのは
イコぴょん: そのへんが、もっと具体的であってもいいかな
小野寺: そうですよね
イコぴょん: ぎこちない文章が多かった。
牧村拓: そこがリズムを崩しているのかな
小山内 豊: 文章はちょっと変なところが多かったかもしれない。
イコぴょん:「見下ろす下は直線」「体を走った」<<要推敲だと思う
小山内 豊: >自分の犯した過ちに感付き、体を走った。
小山内 豊: >掻き出してしまった。
イコぴょん: 「ざんざんざんざん」は平仮名で、「ズンズン」はカタカナなのには意味が?
小山内 豊: >完全にもう死んだと思っているだろうか。完全にもう人間ではないのだろうか。>恐ろしい程の、人間の流れの下層の隅を歩き、階段を下りて券売機の前を通る
イコぴょん: 一応意味は通るけれど、あぶない揺らぎですね
牧村拓: んー、確かにおかしな文章多いですね、こう見ると
イコぴょん: こういうのって、賞に出すとすると、選考委員は細かく見ますからね。不必要な悪文は避けてほしい
牧村拓: だいぶ致命的ですね
小野寺: 幅、共に車一台分しか通れない十字路にあるミラーで、初めて自分の姿を確認した。
小野寺: 意味不明
イコぴょん: さて、改善点は、これくらいでしょうか?
牧村拓: 出ちゃいましたかね
イコぴょん: 自分は、しろくまさんの今回の作品は、大いに評価したいです。なにより、面白く読んだので。
小山内 豊: 「変身」(未読だけど)からの変化がきわどいようで巧みでした。
イコぴょん: 冒頭だけ読むと、興味なくしちゃうんですけどね……
小野寺: そうですね
イコぴょん: 読者を付き合わせる、釣り針が欲しいな
小野寺: あまりに変身っぽいから
イコぴょん: 変身のスケールダウンかよっていう。気がしてしまうので。
イコぴょん: さて、時間もいい感じです。これにて合評を終了したいと思います。