【Twitter文芸部4月合評会 2日目】(4月14日 21:00~)
ホスト:常磐 誠
サブホスト:イコぴょん
常磐 誠: それでは、早速ですが始めますか。
●大羽左膳「通常運転」 (月刊twitter文芸部2012年4月号No7)
大羽 左膳: これは、17歳のときの6月ごろに書いて誰にも見せなかった作品です
常磐 誠: なるほど。見せなかった、訳ですね。見せられなかった、ではない。
カヅヤ: すみません、17の6月てのは、去年?おととし?
大羽 左膳: これは、17歳の6月に詠んで誰にも見せなかった作品で、それは去年です
カヅヤ: 把握しました。ありがとうございます>左膳さん
常磐 誠: では、また昨日のようにそれぞれ率直な意見や感想を述べ合っていく形でいきましょうか。
牧村拓: 僕はこれはちょっと評価できない、昨日の同書き手のものよりは、という点で
イコぴょん: 「四年」より圧倒的に好き。左膳さんの思いを表現するのに、短歌は合っている
小山内 豊: とても短い作品だよね。少ない言葉で、なにかを表現できているか。
大羽 左膳: あ、8月だった
牧村拓: 少ない言葉だからこそ、言葉のもつ領域がうまく作用しあってないという印象
常磐 誠: 短歌だと最初思わずにぶっ続けの作品と思いこんでは、この物語は何を……!! とか一人悶々と思い悩んでいた初読の思い出……。
カヅヤ: >常磐さん 同じくでした。
牧村拓: >常盤さんカヅヤさん 下におおまかに同じく
イコぴょん: 元々この人の作品を読んでたから、短歌だとすぐに分かったのかもしれない。いきなり見たら、短歌やと分からんかもね
神崎: (イコぴょんの『「四年」より圧倒的に好き。左膳さんの思いを表現するのに、短歌は合っている』に対して)同意。「四年」は若さの暴走ととったけれど、短歌はうまく取り入れているように見えた。
牧村拓: でその結果どこかにたどり着けているのかと問われれば、僕はその答えを見つけられなかった
カヅヤ: 自分は、「四年」と同じ感想になってしまうのですが、もう少し具体的なイメージを想起できるものが欲しいと感じました。
イコぴょん: ともすれば浮き足立とうとする自意識の暴走を、着地させるのが「ゆすらうめ」のような具体的な言葉で。
大羽 左膳: 四年どんな合評してたか知りませんが、四年は自分ではなかなかしない書き方しました
小野寺: なんとなくですが、短歌らしい作品になっていると思った
大羽 左膳: これはいつもの書き方です
牧村拓: 自分のフォーマットに馴染んでいるのだろうなというのは感じました
イコぴょん: 「ゆすらうめ」のような言葉があるかどうかで、おれの評価は変わります。
カヅヤ: 自分は、イコさんの逆で、「ゆすらうめ」が浮いて見えてしまって。
大羽 左膳: 詩的じゃないです?
イコぴょん: あ、おもしろい。逆の意見
牧村拓: そういう言葉に着目するならあったほうがいい派、ただその手法じゃなくてもよい
大羽 左膳: 俺手法とかわかんにゃいぽん
フランツ: 「ゆすらうめ」より「通じません」の言い切りのほうが好感触だった。
常磐 誠: でもそういう感じで、とにかく読み手に印象を与える言葉ですね。>ゆすらうめ
カヅヤ: あ、確かに。「死にたくて動けませんが通じません」これ好きです。着眼点というか、自分はけっこう上の句?で「あるあるあるある」ってなる部分があったので、下の句でもっと!意外性とか!なんか、そんなの!と、勝手に期待のようなものを。
牧村拓: どうしても句ごとに分けて読んでしまうけれどそうするといまいち接続が悪い
大羽 左膳: まあ羅列しただけですし。
神崎:(カヅヤ:の「着眼点というか、自分はけっこう上の句?で「あるあるあるある」ってなる部分があったので、下の句でもっと!意外性とか!なんか、そんなの!と、勝手に期待のようなものを。」に対して)期待とは?
カヅヤ: 自分の好みになってしまいますが、言い切った感情と、現実を接続できるような「具体的な何か」に繋がるようなものがあったら、と感じました。頭の中での概念に終始しているので、五感に繋がるようなもの
フランツ: 五感は確かにもっと欲しいかもしんないです。
カヅヤ: そういうリアルな手触りがあったら、より、説得力とか、想起力?とかが出るんじゃないかな、と。
小野寺: なるほど
イコぴょん: 意外性、五感につながる、リアルな手触り、これはいっしょですか、カヅヤさんのなかで
カヅヤ: あ、五感と手触りは、だいたい一緒です。意外性は、私が上げた「五感」含め、それ以外にも何かないかな、という、漠然としたものです。
イコぴょん: なるほどー、ありがとうございます!
常磐 誠: 羅列しただけ。概念がのさばってる感じ。左膳さんはそういうスタイルを先ほど「いつもの書き方」とおっしゃっていたけども、五感や手触りを求めるならば、きっと左膳さんは変わらないといけない部分があるな、と個人的に思います。
神崎: 五感は確かに少なめ(というか今回はない)だけれど、この作者の場合、そのほうがあってると。というのは、精神的な面を多く描いていて、その場合、五感が浮き上がってしまう、異色の物に思える。だから、調和を乱しそうだなと。それをぶっ壊すのも手法なのですが…
イコぴょん: 五感のかわりに、「ゆすらうめ」があるのが魅力やと思う。概念を、具体物に吸着させる
小山内 豊: 羅列しただけっていうことは、作者の所在はそれぞれ別の場所にあったかもしれないのかな。読んだ限りでは、恋愛感情がつねに背後にあるように感じたけど。
イコぴょん: 思いをとりとめもなく書いたんじゃないですかねえ。たぶん短歌同士をつなぐ構造的なことは考えてないと思いますよ
小山内 豊: ゆすらうめは唐突すぎると感じました。連想できるものはないよね。意味もよくわからない。
神崎: ゆすらうめ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%A1
イコぴょん: もし恋愛感情が背後にあるというなら、この作者の、そのときの心理状態の反映で、「偶然」そうなったとしか考えられない。無造作なのは、一長一短やな、と思う。はい、わたしの感情です、って渡されても、受け取りに困ってしまうところはある
小山内 豊: そのときの心理状態で、というのはそうですね。
常磐 誠:ここまでのまとめ。
・17歳の8月(つまり去年)に詠んで誰にも見せなかった作品。
・左膳さんの思いを表現するのに、短歌は合っている。
・少ない言葉だからこそ、言葉のもつ領域がうまく作用しあってないという印象。
・「四年」は若さの暴走ととったけれど、短歌はうまく取り入れている。
・でも、その結果どこかにたどり着けているのかと問われれば、その答えを見つけられないのでは。
・もう少し具体的なイメージを想起できるものが欲しいと感じる。
・例えば具体的に現実を接続できるような何か。頭の中の概念に終始するのではなく、五感に繋げる様なもの。
・五感や手触りを交える分のあり方が果たしてこの作者の書き方に合うのか。調和を乱してしまわないか。
・作者は構造を考えず、思いをとりとめなく書き付けているのでは?
小山内 豊: ユスラウメ、盆栽にするにはいい木です。
イコぴょん: 「うん、それでどうなの?」「はい、だからこうなんです」「へえ……」。「へえ……」じゃなくて、「おお、分かる分かる!」とか「すげえ!」になる芸術であってほしいんだけど、現状、まだ「へえ……」が多く思える。
小山内 豊: しかし、つながりが不明ですね。
カヅヤ: 何度読み返しても一番上からしか恋愛が読み取れない自分です…。
イコぴょん: 隣の家の生け垣にでも、「ゆすらうめ」が咲いてるんじゃないだろうか。でも本人は動けない。「誰かおれに手をさしのべてくれ」→「ゆすらうめくれ」。これが「誰かおれに手をさしのべてくれ」だったら、つまんない短歌ですが、きれいな「ゆすらうめ」が咲いている、それをほしい、と思っているところに、この作品の、おもしろみがあると思います
牧村拓: そういう意味での異物というのは確かに効いていますね。そしてそれが少ないから評価しがたいというのも
小山内 豊: なるほど。実かなとおもったけども。
牧村拓: ちょっとしたずれ、が魅力だというならそれを意図的に起こしてほしい
イコぴょん: そうだね、もっと意図的にやってほしいところはある。作者に「おれに手法はないから無理です」って言われたら、もうどうしようもないけど
牧村拓: そのどうしようもなさ、さえも超越できればずっと面白くなれると思うんですけどねえ
イコぴょん: 超越する、とは?
牧村拓: うーん、どうしようもなさと格闘してそのうえでそれすらも文学たらしめてしまうというか……そんなイメージ
イコぴょん: ごめん、もう少し詳しく!^^;
牧村拓: むむ、僕もイメージでしか浮かばないのアレですが、どうしようもなさを自分の中に落とし込んで消化したうえで、その内実を書き上げることはできないかなあという。どうしようもなさというのは書き手自身が抱えているある種の空洞みたいなものだととらえてしまったのでこういう表現になりますけれど
イコぴょん: かたい言葉を使うと、問題意識って感じかな。それが今は、ただ「ぼやき」や「吐露」として出ていることが多い。ってことかな。
牧村拓: そうなるかな、どうも直截的すぎるというか
イコぴょん: 表現が直截的ですよね
牧村拓: ずいぶんとまた、そうですねえ。婉曲表現でもないですけれどもうちょっとぼかしてあげると、また感じられるものが違うかなあと
イコぴょん: 作者が18歳っていう年齢だから、作者を知った目で読むと、「ああ、こういう風に直截的にモノをとらえるよな」って思うんだけど。そういう情報抜きで、成立させるには、ちょっとなーと思いますね。
牧村拓: 確かに、読み手がを書き手が規定してしまっているようにもみえます。昨日も言いましたが、そういうスタンスを僕は受け付けられない
小山内 豊: 私も無理。
イコぴょん: 今は作者の背景が効果をあげてるところもあるけれど、この書き方で、このままいくのは、だんだん苦しくなってくると思うんです。そうしたときに、どうやって彼女が詩を鍛えていくか、もうおれは左膳さんが20歳こえて、同じことやってたら、まともに読む気が起きないですよ。だから、「意図的にやる」っていうラインを、合評で提示しておきたいな。今はこのおせっかいな合評がマトモに受け取られなくても、あとで読んだときに、効いてくるような
牧村拓: うーん、大人のスタンス
カヅヤ: (「18」という年だから納得(?)というのに、少し驚いております)
牧村拓: そういう読み方ができないわけではないと思うんです、僕は。ただそれが正しいことなのかはわからない。しかしこういう読み方でしか僕はこの作品とは向き合えない
イコぴょん: 作家と作品をつなげて読むしか、評価の道が残されてないように見えましたからね
神崎: そのイコさんの意見を私は若さと捉えたし、若くないとできないと思う。あと、俺は、こうなんだ。という作品が多くて鼻につく。
てめえには興味ねえと思ってしまったら、ゴミ箱に行く
小山内 豊: 私は、死にたいとか泣きたいとかつらいとかでなく、力強いところを期待したいな。作者にというより詩そのものにだけど。
イコぴょん: 死にたい泣きたいは、あふれてるんだよな。そういうのを直接的に読まされることに、うんざりしてるところはある。よっぽど鮮烈なものがないと。
牧村拓: まあ何というか危うい書き方だなと思います
小山内 豊: ゆすらうめもさ、ぶったおれて櫻といったというユスラウメをかじる、とか、なにか気持ち的にもえ得るところがあるものが欲しいかな
常磐 誠: ( 神崎の「てめえには興味ねえと思ってしまったら、ゴミ箱に行く」に対して)そしてたぶんあの作者は、それを嫌と受け取らない。ふぅん。で終わる。そこがちょっとな、と常磐は思います。
イコぴょん: たとえば、ユーモアによって描かれることによって、より物悲しさが際立つ、ということはある
小山内 豊: ユーモアはいいですよね。すばらしい。
牧村拓: 対称的な構造がより互いを際立たせると
神崎: (塩とスイカみたいだなと思ってしまった)
イコぴょん: そうそう、そういうの、大事かもね、若い作家には。左膳さんに限った話でなく。(自戒)
小野寺: ネガティブを文字に託すとカタルシスがあるのかもしれないが読む方は共感しにくい
[2012/04/15 21:56:57] 神崎: [2012年4月15日 21:56] (イコぴょんの「そうそう、そういうの、大事かもね、若い作家には」に対して)どういうの?
牧村拓: 書いてそこで完結しちゃってるんですよね、読まれることに意識が向かない
イコぴょん: ごめん、指示語は避けるわ。ユーモア、対称的な構造
牧村拓: 別にこれが文芸である必要を僕は感じない
イコぴょん: 読み手を意識して書くかどうか、これは大きな問題です。何にも意識せずとも、己のセンスで多くの支持を得る書き手もいるのでしょうが、それはわずかでしょう。
牧村拓: それもどちからというと大きくなった内輪からの支持という勝手なイメージ
イコぴょん: 書き手の「おれを見ろ」という自尊感情、全能感は、多くの場合において、書き手をがんじがらめの、つまらない世界に放り込みます。
牧村拓: 自戒持戒
イコぴょん: だから読み手への意識、というか、ある種の謙虚さは、秘めていた方がいいと思っています。
牧村拓: この思春期というかモラトリアム的なものの果てに書き手が何を残すか、それまで僕は評価できない
イコぴょん: 他に意見を述べたい方はいますでしょうか。いなければ次にうつります
●緑川「僕と職場仲間の話」(月刊twitter文芸部2012年4月号No7)
牧村拓: これまたずいぶんと毛色が違いますね
イコぴょん: これ大好き
小山内 豊: 自虐のこもったユーモアを感じた。
牧村拓: ニヒルというべきかなんといいますか
イコぴょん: ユーモア感じますよね
小野寺: 正直、一は、緑川さんにしては文章が類型的だと思った。
神崎: コミックのような作品。(褒め言葉)
イコぴょん: 最近こんな小説読まなかったから、ほんっと、楽しくて楽しくて。
小山内 豊: 一気に読めました。
牧村拓: いい意味で軽かった
小野寺: でもだんだんエンジンがかかってきて文章がきめ細かくなっていったように思うし、読む側を相当に意識した良さが出てきた。
イコぴょん: 一は、その後のフックとしてはいいかな、と。 笑いはないですが
牧村拓: 連番なされている意識がしっかりあったのかなという印象
イコぴょん: だんだん「笑わし」にかかっていた印象ですね
小野寺: そうですね
牧村拓: 一が布石としていい形で、たとえばここからいろんな形に振り替わっていける余地があると思う
イコぴょん: いろんな形か。
牧村拓: たとえばホラーでも日常SFでも続けられるなと思いながら読みました
小山内 豊: 書いていて、「面白さ」と「ユーモア」のあいだでゆれたのかもしれませんね。どちらも成立しているとおもいますけど。
牧村拓: それが番を追うごとに固まっていった結果かな
イコぴょん: この小説は、「現実からすこしだけはみ出している事象」がいくつも提示されるけれど、それらは読み手にとって、たとえば「愉快さ」だったり、「不気味さ」だったり、「怖さ」だったり、と、振れ幅大きく受け取ることができたんじゃないかと思います
神崎:(小山内 豊の「書いていて、「面白さ」と「ユーモア」のあいだでゆれたのかもしれませんね。」を踏まえて)そのうえで大筋はありそうな話。
牧村拓: そうそう、そこへ持っていきたい>イコさん
イコぴょん: twitterで、笑った、って書いたら、怖かった、って書いておられる方もいた
カヅヤ: すみません、「面白さ」と「ユーモア」は、別物と。
小山内 豊: もちろん。重なっているところもあるけど>カヅヤさん
イコぴょん: 読み手の、読み方、感じ方によって、受け取り方の変わる作品で、それは、この作品のもつ大きな魅力やと思う
牧村拓: funnyとinterestingの違いかと捉えました
カヅヤ: >小山内さん その違いがよく分からないのですが、お聞きしてもいいですか。英語でも分からず…!
イコぴょん: 面白いって言葉を、どのように定義してるかにもよるよ?
カヅヤ: >イコさん「怖いと言ってた人」 私のことですね(苦笑
小山内 豊: 歴史小説の「面白さ」とショートショートの諧謔、「ユーモア」はおもしろい、けど違います。
イコぴょん: おれは「怖い」も「悲しい」も「不気味」も「笑える」も「深い」も「人間が感じられる」もすべて「面白い」に入るけどね
神崎: ありそうな話の中身が、どこか非現実で、笑い話になる。ここの非現実を変えることで笑い話になっているが品返ればなんにでもなる。
コース料理を食べているような安心感があるのだけれど、ソースがいつもと違うそんな印象。
イコぴょん: そうそう、カヅヤさんのことですw>怖いと言っていた人
牧村拓: ああ、その例えはしっくり来るかも>神崎さん 地続きのはずの日常が揺らいでしまう恐怖というか
小野寺: いやあ、ユーモアといってもボーナスが仏壇というのはシャレにならんと思いましたよ
小山内 豊: ユーモアより先がこめられているかどうか、そこはどうだろう?
牧村拓: 確かにブラックがすぎるか
イコぴょん: 現物支給なー、こわいなあw
小野寺: ええと、これは現実ではそれほどありえない話ではないと思う
イコぴょん: そんな現物支給は本来ならあり得ない。でも、あってもおかしくない気がする。そこんとこに、おもしろさがあると
神崎:(小山内 豊:の「ユーモアより先がこめられているかどうか、そこはどうだろう?」に対して)先というのは?
小山内 豊: 何でもいいと思うのですが、この話はユーモアのある話、で済んでしまうかどうかです。
イコぴょん: ふむふむ
牧村拓: ううん、そこはなんとなく僕も突っかかりたい
カヅヤ: ユーモアの、手前の手前ですっころんで怖い怖いといって、ユーモアに辿り着けなかった残念な子がこちらになります…。ユーモアの先どころか、辿り着くルートが見えません…。センスですか…orz
小野寺: 私は20年近くの勤め人生活でボーナスがあったのは数回です
神崎: なるほど。ユーモア作品であり、一度笑ったら、本棚の奥で埃をかぶり続けるだけだと。
イコぴょん: カヅヤさんは、その怖さを「面白さ」ととらえた?それとも「読むのしんどい、面白くない、辛い」ととらえた?
牧村拓: 慣れですかねえ>カヅヤさん
カヅヤ: 正直、苦手でした。世にも奇妙な~とかの怖さは、面白いのですが…。いや、嘘だ、正直言ってしまうと、最初から最後まで分かりませんでしたorz
イコぴょん: あ、なるほど!世にも奇妙との違いはなんだろって考えるの、いいかもしれませんね。
牧村拓: んん、そこが鍵になりそうな予感
小野寺: 逆に私は、現実的なあまりに現実的な話ととらえましたけどね
牧村拓: 登場人物の中にストレンジャーがいない
カヅヤ: ただ、全体に「きっとこれ笑うとこだよね?笑うんだよね?」というのは頭では分かって
イコぴょん: 小野寺さんの文学中年くさい言いまわしに笑うww
小山内 豊: まぁたしかに、現実から離れたあと、「冗談だよ」って暴露してしまわないで、突き進んでしまうから、怖いというのもわからないではないですね。
カヅヤ: イコさんと常磐さんのツイートを見たときに、「大勢の観客の中で笑えていない自分」という構図が見えて、「なにこれ怖い!」と
小野寺: 怖いというのはわかりますね
カヅヤ: >小野寺さん 私も、現実だなあと思いながら読んでおりました…。
牧村拓: ただそういった人物を出してしまうとこの作品の持ち味が揺らいでしまうような気がするのです
イコぴょん: 声がでかいだけで、大勢の観客じゃないかもしれませんよw
小山内 豊: 私はやっぱり自虐かな。現実に疲労した作者がいるような気がする>小野寺さん
常磐 誠: そうそう。声がでかいだけですってw
小山内 豊: 作者ではなく主人公か。
小野寺: だいたい人物たちはいやだいやだと思っていながら何も突破しようとせずに日常にしがみついていますからね
カヅヤ: 自虐…怖いのはそこかも知れません。自虐として書かれているけれど。私は、その「自」の中に自分を読みこんでしまって、笑われているような感じを受ける。
イコぴょん: 笑いと怖さは表裏一体なんじゃないかな。twitterではチャップリンのモダンタイムスを例にあげたけど。
牧村拓: ああ、わかる気がします>カヅヤさん
カヅヤ: チャップリンについても考えてみました。ちゃんと見たことがないので、想像になってしまうのですがチャップリンは、トーキーですし、「笑いですよー」っていうステージがありますよね。
常磐 誠: (おもしろい(笑える)、だけで終わっちゃいけないんですよね。後で緑川さんから、もっとよくするためにどうすればいい? と聞かれて何も答えられない常磐)
小山内 豊: (イコぴょんの「笑いと怖さは表裏一体なんじゃないかな。twitterではチャップリンのモダンタイムスを例にあげたけど。」に対して)なるほど。非人間的なところをデフォルメしてわらうという。悲鳴ですね。
小野寺: もちろんこの作品にはユーモアもあり自虐的でもありますが意図的に個性をはぎ取られている組織の中の人間というのも描いていると思いますね
牧村拓: 後輩二人とかですかね
イコぴょん: そうです。ユーモアによって、現実社会の不気味さを描くのは、左膳さんの合評でも話に出ましたが、有効な手段かと思います。>小山内さん
常磐 誠: チャップリンはモダンタイムスだけしか見たことがないですが、でも確かにあれは怖い面も大いに持ち合わせられてる。社会風刺。そういう社会風刺がこの作品にも存するのか。
小野寺: 社会風刺にまでは至っていないと思います
イコぴょん: もちろんチャップリンとやりたいことは違うと思います
小野寺: とにかくボロキレでもなんでも日常を掴んでいたいという意識が強い
牧村拓: 社会意識はなくても集団意識はおおいに見られて、そこも面白かったかな
カヅヤ: 風刺としての問題提起であれば、「怖い」ではなく「やられた!」と感じたような気がします。すごく痛いんだけれど、痛いところを付かれた、というカタルシスも。
常磐 誠: 常磐も、「あるよ!」とネタばらしされれば、「あー。あるんやー」と思うと思うのですが、自主的にそこに視線がいくことはなかったです。イコぴょんさんがチャップリンのツイートされた時には、「あれ? あの作品ってそういう部分もあるんかなー」とか思いました。
イコぴょん: カヅヤさんが「怖い」と言っていたことに対して、考えてみた次第で、読んでるときはげらげら笑ってばかりでしたw>常磐さん
常磐 誠: (小野寺:の「とにかくボロキレでもなんでも日常を掴んでいたいという意識が強い」に対して)だからこそ、シュプレヒコールの後には日常が戻ってきていた。のかな。
小野寺: まあ、そういうことですね。日本人の平均的な意識かな
イコぴょん: シュプレヒコールと翌日の日常回帰は、社会風刺っぽかったなあw
牧村拓: そのさらりとした描写がこの作品に合っていたなと思います
小山内 豊: 作者の意図をこえた理解まで進んでいっちゃいそうですね。
イコぴょん: そういう理解があることは、作者に大きな気づきを与えるかと。
小山内 豊: 行間がながすぎてもどうかという、自制の念です。
牧村拓: 確かに自分が作者だったらと考えるとありがたい
小野寺: 私としては後半部分の文章がエンタメ作品としては確立されているという点は評価したいです
カヅヤ: 自分は「これ笑ったら私が必死にしがみついてる日常が笑われてしまう詰んでしまう」みたいな自意識が邪魔してたのかな、と、みなさんの評を拝見しながら感じました。
神崎: うーん。面白いな翌日回避の解釈
イコぴょん: あ、「エンタメ」としちゃ、間違いないですね。乙一の日記みたいな面白さ。問題は、やっぱ、そっから先なんやと思うけど
小山内 豊: そうなんですよね。それでいちおう成り立っているところがいいと思います。>小野寺さん
小山内 豊: いちおうではなく一通り、かな
常磐 誠: さっきの自分の発言にもあったとおり、緑川さん自身、もっと良くしたいという意識は強いみたいです。イコぴょんさんのいう、『そっから先』が指摘できれば、緑川さんのニーズにも答えられるでしょうか?
小野寺: 確かに今日の発言は文学中年っぽいわ
牧村拓: 僕はそう思います
イコぴょん: それが、世にも奇妙な~との差、なんじゃないかな
小山内 豊: ユーモアの場合、もっと洗練されたギャグを、ってわけにはいかない。
イコぴょん: ねじくれた現実に対する緑川さんの目が、どれほど鋭くなっているのか
牧村拓: 異物のなさというのが顕著な差かなと思いましたけれど、それだけではないんでしょうねえ
小野寺: 最後の章でのカタルシスというかオチも欲しかったような気はします
イコぴょん: カタルシス……んーーー、要らないかな
常磐 誠: エンタメ、として見ればおもしろい。間違いはない。でも、怖い、とか、自意識に訴えられちゃうと感動できない部分があるよ、と。常磐も最後があれだと、エンタメとしてもうまくオチているんだろうかと疑問には思いました。
小野寺: 常磐さんの作品のようなぶっ飛び方もあっていいと思う
牧村拓: ああ、そこが中途半端というのはあるかな
イコぴょん: 最後に、ひとりひとりの性格が分かるような章を入れるのは、どうなのよ?とは思う
常磐 誠: でも、常磐はエンタメがどうの文学がどうのとかがわからないから、「これで終わりなら終わりでも、不自然ではないし、……いいのかな?」と思っていました。
神崎: 僕はオチが付いたと思う。日常から入り、少しずれたような日常、最後に日常に落ち着く。日常がオチと>小野寺さん
牧村拓: カタルシスという表現に着目したい
神崎: (メビウスの輪のような)
イコぴょん: 読み手はすっきりしちゃいかんと思う。
常磐 誠: カタルシス、というと、『スッキリした!』とか、『腑に落ちた!』みたいな感覚と捉えて大丈夫ですか?
小野寺: すっきりしたいなあ
イコぴょん: 異物が残ったまま、延々と日常が続く、気持ち悪くていいと思います
牧村拓: これは好みなのかなあ
小山内 豊: 現代を書いて、病理なりをすっきりさせてしまうのは安易ですね。
イコぴょん: 我々の日常って、すっきりするもんじゃないと思う。未処理のバグみたいなもんを、意識の隅で、詰みとることができず、ためていくような、みんなそういう生活を送っていると思う。
小山内 豊: 苦しいところからしか見えないこともある。
イコぴょん: だから、この説明されない世界は、大いに評価したいです
小山内 豊: うんうん。
小野寺: いや、全面的な解決はありえないと思うんですよね。この状況。
牧村拓: だからこそ創作に触れるときはすっきりしたいと思う向きもあるのでは?
小野寺: 部分的にも少しだけの清涼感がほしいというか
カヅヤ: 「すっきりしない」のは前提として、その「すっきりしなさ」が微妙、という話ですか
イコぴょん: そうそう、たぶん「エンタメ」「非現実的な話」として読んでるところがあった人にとっては、つらいんだと思うんですよ。「現実を忘れさせてくれる」「すっきりさせてくれる」という期待をもちながら読むじゃないですか、エンタメ
牧村拓: 異物は少量だからこそ異物たりえるのかなと
イコぴょん: その期待には反すると思う
小野寺: イコさん、まさに私が思っているのはそのことです
小山内 豊: 難しいところですよね。作者のどうありたいかという思いにすべてかかっている。
イコぴょん: 緑川さんはドストエフスキーを信奉される作者で、面白くて深いものを目指している感がある
小野寺: だいたい現実に於いてでさえこの状況ですと誰かが暴走するはずです。
イコぴょん: この場合の「面白い」は、エンタメ的、という意味で、「深い」というのは、狭義の文学的、という意味です
小野寺: そうとうに我慢強い人たちだ
牧村拓: がまん強いといか、僕には抵抗の薄い人たちとして見えました。何かを苦痛に思っていたりするようには見えず
イコぴょん: うん、牧村さんに近いな
小野寺: ただ深さがある程度で止まるのは組織の中の人間として描いているからかもしれませんね
牧村拓: 組織の中で閉じている作品ですもんね
イコぴょん: 個人の人間性がないがしろにされてる?
牧村拓: そうは思いませんでした
イコぴょん: 小川と高橋の差別化をはかってほしいとか、要求はあるな。
小野寺: 会社組織のリアルさはあるのですが小説に必要なものなんだろうかという思い。
イコぴょん: 組織の描写がリアルだからこそ、現実からの逸脱が映えるんじゃないですかねー
小野寺: 現実から逸脱しているようにあまり思えないんですよ~
牧村拓: 確かにこの構成ではそうかも>イコさん
イコぴょん: 火ぃ吹いたり
小野寺: いやあ、会社っていろいろやりますよ。
イコぴょん: 16歳だったり
カヅヤ: 小野寺さんと同種かは分からないのですが、私もあまり逸脱感を感じられず…。
イコぴょん: 逸脱って言っても、描写に溶け込ませるような、些細な逸脱です。あるかもしれない?って思うような
小野寺: 私の前にいた会社は20数人で一人のヤクザを意味もなく袋叩きにしました
イコぴょん: 意味もなくw
小野寺: わりにネタはあるんですよ
牧村拓: んーでもそれが万人にとってそうかというと首肯できない
イコぴょん: 牧村さん、「それ」は何を指す?
カヅヤ: 万人にとってとは言わないけれど、でも逸脱と取れる人がいることと、普通と取ってしまう人がいることは、OKなのだろうか?という疑問も…
牧村拓: そんな感じですね>カヅヤさん
小野寺: 私はエンタメにするんだったらもっともっとぶっ飛んだ話にする必要があると思います
牧村拓: ああ、それとは小野寺さんの感じ方です
小野寺: 純文学なら人物をもっと深く掘り下げるべきかと
イコぴょん: そうだなぁ、そこまで純文学、とか、エンタメとか、考えなくていいと思うんだけど読者に強く訴える作品には、必ずしもなっていない、という印象ですね、今回の皆さんの合評を見ていると
牧村拓: 確かにそういう印象はありました
小野寺: ユーモアというより【苦笑】という感じです
イコぴょん: 小野寺さんは、自虐、っておっしゃっていましたもんね。笑うに笑えないところがあった
小野寺: え、小山内さんですね
イコぴょん: あ、ですかw ごめんなさい
常磐 誠: 23時くらい時点のまとめ
・自虐のこもったユーモア
・一は、緑川さんにしては文章が類型的かと思えたがだんだんエンジンがかかってきて文章がきめ細かくなっていったように思うし、読む側を相当に意識した良さが出てきた。
⇒一は、その後のフックとなっている、という考え方。
・一を布石として様々な形(ホラー、日常SFetc……)へと進展させていける余地がある。
・「現実からすこしだけはみ出している事象」がいくつも提示される。
⇒それらは読み手にとって、「愉快さ」、「不気味さ」、「怖さ」、振れ幅大きく受け取ることができる。
・(もしこの作品をユーモアだけだと捉えてしまうと)一度笑ったら、本棚の奥で埃をかぶり続けるだけになってしまう。
・ユーモア=社会風刺、という点にまでは至っていないと思われる。
・「これ笑ったら私が必死にしがみついてる日常が笑われてしまう詰んでしまう」みたいな自意識があると、楽しめない、というか笑い、笑うこと、さえも怖く感じられる。
・「エンタメ」として見れば、間違いない。
⇒乙一の日記みたいな面白さ。だが、問題はそこから先。
・『そこから先』=世にも奇妙な~との差
⇒ねじくれた現実に対する緑川さんの目が、どれほど鋭くなっているのか。
・オチはついている?
⇒一人ひとりの性格が分かるような章を入れるのはどうなのだろう。
⇒中途半端な感覚を受けた。
⇒不自然ではない。
⇒日常から入り、少しずれたような日常、最後に日常に落ち着く。日常がオチと考えれば、十分オチはついている。
・カタルシスは必要?
⇒我々の日常はすっきりするもんじゃないと思う。未処理のバグみたいなもんを、意識の隅で、詰みとることができず、ためていくような、みんなそういう生活を送っているのでは?
⇒この説明されない世界は、大いに評価したい。
・だが、「すっきりしなさ」が微妙。
⇒「エンタメ」「非現実的な話」として読んでるところがあった人にとっては、つらいかも。 「現実を忘れさせてくれる」「すっきりさせてくれる」という期待をもちながら読むものであるから。
・つまりは、作者のどうありたいかという思いにすべてかかっている。
・「エンタメ」ならば、もっともっとぶっ飛んだ話にする必要がある。
・「純文学」ならば、人物をもっと深く掘り下げるべき。
⇒総じて、読者に強く訴える作品には、必ずしもなっていない。
イコぴょん: こんなところですかねー
常磐 誠: 緑川さんにも随分と差し出せる意見が出たな~、と。やっぱり色んな意見を見てみるべきです。自分の感想ツイートだけではこんな考え方は生まれないですから。
イコぴょん: こんな好きになった作品はなかなかないので、批評が難しかったー
小野寺: いいことはいいんですが、それで終わってはつまらないですからね
常磐 誠: いやー。もう本当に好きでした。病院で噴き出してしまった時にはもう色々と辛かったですけど……。自分はもう難しいどころかできなかったですから、未熟だなぁと思い知らされました。
●安部 孝作「或る日曜日の快楽」 (月刊twitter文芸部2012年4月号No7)
牧村拓: 僕はこの作品を肯定的に評価したいです
カヅヤ: 自分は、4月号の中では一番楽しませてもらった作品でした
イコぴょん: おお、肯定的な評価が続々。あんまし楽しめなかったw
常磐 誠: 常磐も個人的なことを言いますと楽しめませんでした。
牧村拓: 社会的な目線が随所に効いていて、読み解く作業がパズルみたいで楽しかったですね
イコぴょん: 社会的な目線かー、たとえば?
牧村拓: モチーフでいえば最初のコロモルを除けばたいていそうかなーとも思いました
カヅヤ: 社会的…詳しくお聞きしたいです
イコぴょん: これは各描写に、社会的背景があるんだろうか?
牧村拓: 少なくとも僕はそう読みましたね
カヅヤ: 神話モチーフっぽいものは感じたのですが
牧村拓: すべてメタファとしての存在だと感じました
イコぴょん: そうそう、「神話っぽい」のは感じたんだけど、メタファーについての講釈をお願いしたいです。
牧村拓: たとえば、母乳を貯めておいた瓶→母性 猫→社会・母性的なものから見捨てられたもの、というようにいちいち読んでおりました
小野寺: イメージを喚起するには文章が叙述的で適合していないと思いました
イコぴょん: なるほどなー、あのくだりが母性……
牧村拓: そういうふうに僕なりに逐一読み解いていくと社会風刺の目線があるかなーと思いましてそこを僕は評価したい
イコぴょん: なんかあるだろう、と思いつつ、そこまで読み解く気には、ならなかったなあ……
小野寺: 政治家が漁師に殺される場面もありましたしね
牧村拓: あれなんかわかりやすい場面ですよね。牧村拓: ただ僕も問題は感じていて、表現や目線の斬新さだったり、読みやすさ・引き込む力に欠けるなあとは思いました。小さく輪の中で完結しているような印象
小野寺: ただ書き出しと後半のつながりはどうなんだろうと思った
イコぴょん: ボルヘスみたいに、ひとつの叙述の奥に、たくさんのコンテキストを存在させたいんだろうとは思ったけどな
牧村拓: 確かに街を離れるくだりは疑問かも。特に書き出しと比するとさすがに唐突という印象
カヅヤ: あ、書きだしからこう展開していく、というのは、ちょっと違和感があるかもです。
イコぴょん: そのひとつひとつの叙述が、魅力的かつ、有機的につながっているかっていうと、分かんないな。
牧村拓: 細部は詰まっているんだけども、それが調和していないという違和感はありましたね
イコぴょん: ですね、調和していない。
カヅヤ: タコ吐くシーンが大好きでした。
小野寺: 私としては最後の象やら龍やら出てくるのはわりに好きですけど
イコぴょん: これを「夢」のようなものととらえると、一応説明はつくと思うんですよ。日曜日を持てあますアンニュイな青年の、妄想の飛躍。
牧村拓: そうきますか
カヅヤ: 自分は、夢とは取れなかったです。
イコぴょん: ずっと日曜日ですからね。閉じた世界だと思いますよ。
牧村拓: 象や竜の発想の飛距離はいいなと思いましたね
常磐 誠: まとめ
・読み解く作業がパズルみたいで楽しかった。
・神話モチーフっぽいものを感じさせる。
・社会的な目線が随所に効いている。
⇒全てメタファーとしての存在。
例).母乳を貯めておいた瓶→母性 猫→社会・母性的なものから見捨てられたもの
・イメージを喚起するには文章が叙述的で適合していない。
・逐一読み解いていくと社会風刺の目線があるかなーと思える。
⇒だが何かがあるだろう、とは思わせるも、そこまで読み解く気にさせられない、という問題。
・分かりやすい場面としては、政治家が漁師に殺される場面が挙げられる。
・一方、表現や目線の斬新さだったり、読みやすさ・引き込む力に欠ける。小さく輪の中で完結しているような印象。
・ボルヘスみたいに、ひとつの叙述の奥に、たくさんのコンテキストを存在させたいのだろうとは思える。
・書き出しと後半のつながりの問題。
⇒街を離れるくだりは疑問。書き出しと比するとさすがに唐突で違和感を覚える。
・一つひとつの叙述が、魅力的かつ、有機的につながっているかは分からない。
・細部は詰まっているが、調和していない
イコぴょん: すべて頭のなかで完結するものなら、もう何やったってアリだ。
牧村拓: いい感じに出てるんじゃないかな
常磐 誠: そもそも、夢とする確証を常磐は見出せませんでした。
イコぴょん: 確証はないっすよ。こじつけみたいなもんです
牧村拓: 僕はまったくそういうふうに読み込まなかったので詳しく伺いたい
小野寺: 全体としては冒険願望みたいなものかな
イコぴょん: 小野寺さん、それに近いです。だから日常から始まるんですよ
常磐 誠: そう考えると、という立場で読み解くわけですよね。
でも、そうすると自分もイコぴょんさん同様、もう何やったってアリだ! って思ってしまう。
小野寺: ただ、気持ち悪い表現や言葉が多すぎて辟易する部分はある
牧村拓: そうなるとボルヘスみたいに、って評が効いてきますね
小野寺: 偽悪的というか
イコぴょん: 「夢」って言っても、寝ていて見る字義通りの「夢」ととらえないでください。起きていても「夢」に近い状態になるかもしれない
常磐 誠:(イコぴょんの『「夢」って言っても、寝ていて見る字義通りの「夢」ととらえないでください。起きていても「夢」に近い状態になるかもしれない』を受けて)あー! 自分全く持って前者で捉えてました。」
イコぴょん: とにかくこいつは日曜日を持てあましているんだ
牧村拓: 不快な表現はたしかに多かったですが、そもそも社会が不快だと思うから僕はあまりひっかからなかったですね
カヅヤ: 自分は、伊藤比呂美の「あんじゅひめ子」や「コヨーテ」を読むようなノリで読んでいたので、
カヅヤ: 小説を読む上でひっかかる点を自分からスルーしてたやもです。
イコぴょん: どんなノリすか?
カヅヤ: 現代詩として読んでいた、というと、ちょっとまた違うかもしれないのですが、
自分の好きな伊藤比呂美や、四元さんの長文散文詩で、ドロドロして不条理な表現が多いので「詩として読む云々」という以前に、不条理な感じや気持ち悪い描写、という点で、引っかからなかったです。
小野寺: 私は気持ち悪いのは苦手です
イコぴょん: ふむふむ。丁寧な説明ありがとうございます。カヅヤさん
小野寺: でも金原ひとみやバロウズは読みますが。
イコぴょん: この作品はぜんぜん気持ち悪くなかったなあw感じ方の違いがおもしろいw
「ハリガネムシ」とかの方が、よっぽど気持ち悪くて。「或る日曜日の~」は身体感覚を刺激されなかったですし
小野寺: 彼は別格ですね
牧村拓: なんでしょうね、気持ち悪さに温度がない
小野寺: 吉村読みながらラーメン食べてたら吐きそうになった
イコぴょん: いけません、ラーメン食べながら読んじゃww肌がむずむずしてくるんすよ、吉村萬壱は。そういうのじゃないですよね、安部さんのは。まず狙ってないだろうけど
小野寺: 安部さんの作品は文章が長いけど、イメージ喚起するなら短くすべきと思いました
イコぴょん: イメージ喚起力のなさ、これは欠点やと思ってます。一文一文の意味が、つかみにくい。
牧村拓: そうですねえ、こう読ませる力にもかかわってくることだと思いますし
イコぴょん: 不必要な悪文が多い
小野寺: 文章の長いのが好きなんだけど、これは別だ。前半、文章が悪い
イコぴょん: 『寝呆けも覚めておらず、未だ彼は夢心地なのか、コーンフレークに牛乳を入れるつもりで冷蔵庫を開けたのにもかかわらず、隣人の経産婦に夜這いした折に、乳繰り過ぎて噴き出させてしまった母乳を溜めておいた瓶を、間違って取り出してしまった。』これはいかんよ、恥ずかしくなる
牧村拓: ああ、こう取り出されるとはっきり悪いですなあ
イコぴょん: 寝呆けが覚める、夢心地、もうこの時点でいかんし。経産婦に夜這い、じゃなくて、経産婦を夜這いでしょ?無駄に情報を詰め込むのは、悪い癖で、文章を複雑にすれば、文学的になるわけじゃない。 ひとつひとつが像を結ぶように、焦点を定めないと
牧村拓: この文章の複雑さは文学的というか思想系文章のにおいがする
イコぴょん: かれのtwitterの文章も、そうだなー
牧村拓: その思想系での発想を小説に純粋培養しちゃった感じ(こんばんは)
6: 僕はこの人は沢山本を読んでいることが安部さんという実人物を知らなくてもそういう感想を持ったと思います。この人は小説に馴染む文字の入れ方や単語の使い方をしている小説の文法を良く知っているか、あるいは無意識にしているのかはわかりませんが非常に上手いと思いました。
イコぴょん: こういうのが小説の文法っていうのは、大いに反論したいんだけどな……
6: 物語うんぬんというよりは一つ一つの文章が小説的世界観を立ち上げるのに成功していると思います。
イコぴょん: 世界観は、立ちあがっていましたね、確かに。
牧村拓: 巧いかどうかは別としていう論なら僕も同意
6: すいませんがP4の真ん中あたりの「彼女の髪の毛は~突起をつくりだしている」 までをここに引用してもらえませんか。
イコぴょん: 「夫妻が深く杭を二本打ち込み、彼が括られている枝をそこに掛けた。彼女の髪の毛は汗ばんだ皮膚にぺったりとくっつき、玉の雫を幾つも垂らしていたが、その雫は顎先からシャツの隙間へ入り込み、胸元へ垂れ落ちていたため、シャツは汗が染みて透けていた。小さな乳首が小さな突起をつくりだしている。」
6: ありがとうございます。この部分「髪の毛」からカメラは、下に下にうつっていきます。
カヅヤ: 思想系文章、というものが良く分からないのですが
6: 雫とかシャツの体の部分にいたる流れ
牧村拓: んー、とっさの造語なので
カヅヤ: 法律系の文章が悪文だとか、その程度のものでしょうか
牧村拓: 哲学であったり社会学の評論に見られるような文章ってことで>カヅヤさん
6: そして胸元に「垂れ落ちる」という落下を経て、乳首が「突起」しているというこの作りは対比として一段落が終わるのに良い印象を与えていると思いました。
牧村拓: ああ、そういう読み方はできなかったなあ。でも的を射ていると思います。上手いと思ったのですが、僕はこの小説を好きではありません。
イコぴょん: うーん、そうね、カメラアイがあるね、ここは。『頭の重みでぐるりと半回転して、地面を直視する姿勢になった彼は、自分の臍の下に薪が重ねられていくのを見て、「君は僕を焼いてどうするつもりだい?」と聞いた。』その次の、「頭の重みでぐるりと半回転して」の意味が分からない。半回転ってどういうことだ?
牧村拓: ビダーンッってことでは?
イコぴょん: んんん、分からん
牧村拓: 足を支点に頭を振り子に半回転といいますか
6: 半分だけ回転したということで僕はすんなり読んだのですが
イコぴょん: 全身が?でも臍の下に薪が……
6: 全身何だろうか・・・そう言われると判らなくなってきたなぁ
牧村拓: 全身ではないかな
イコぴょん: おれはこういう、イメージできないイライラが積み重なってしまって「ええい、推敲せい!」と腹が立った
牧村拓: 体の向きからすれば上なんでしょうけど、客体からみるとしたかな
イコぴょん: 小さな乳首が小さな突起、っていう、「小さな」の重複も、なんだかなあ……
6: (僕が好きではない理由は、作者の存在が強すぎるからだと感じました。言葉を作者が自在にコントロールしている感がありました。せめぎ合いや葛藤から、小説それ自身が動いているような感がなかったです)
牧村拓: (たぶん僕が肯定的に評価しているところと同じ>6さん)
常磐 誠: まとめ後半
・これを「夢」のようなものととらえると、一応説明はつく。
⇒日曜日を持てあますアンニュイな青年の、妄想の飛躍。ずっと日曜日。閉じた世界。
⇒ただし、「夢」とは、寝ていて見る字義通りのものではなく、起きていても「夢」に近い状態になっているもの、と捉える。
⇒全体としては冒険願望みたいなものか。
・象や竜の発想の飛距離がいい。
・現代詩として読む、というと、ちょっとまた違うかもしれないが、
⇒伊藤比呂美や、四元の長文散文詩に見られる、ドロドロして不条理な表現を読むような感覚で読んでいくと、 「詩として読む云々」という以前に、不条理な感じや気持ち悪い描写、という点では引っかからなかった。
・身体感覚を刺激されない分、吉村萬壱の「ハリガネムシ」のような気持ち悪さは感じられないが、イメージ喚起力のなさが大きな欠点になっている。
・一文一文の意味がつかみにくい。イメージを喚起させるならば文章を短くすべき。
・不必要な悪文が多い。前半は文章が悪い。
・『寝呆けも覚めておらず、未だ彼は夢心地なのか、コーンフレークに牛乳を入れるつもりで冷蔵庫を開けたのにもかかわらず、隣人の経産婦に夜這いした折に、乳繰り過ぎて噴き出させてしまった母乳を溜めておいた瓶を、間違って取り出してしまった。』
⇒これは恥ずかしくなる。「寝呆けが覚める、夢心地」 もうこの時点で駄目。
・経産婦に夜這い、ではなく、経産婦を夜這いでは?
・作者のtwitterの文章もそうであるが、無駄に情報を詰め込むのは悪い癖で、文章を複雑にすれば、文学的になるわけじゃない。一つひとつが像を結ぶように、焦点を定めなければならない。
・この文章の複雑さは文学的というか思想系文章(哲学であったり社会学の評論に見られるような文章)のにおいがする。その思想系での発想を小説に純粋培養してしまった感じ。
・作者は沢山本を読んでいる、ということが安部という実人物を知らなくても感じられるのでは。
⇒小説に馴染む文字の入れ方や単語の使い方をしている。小説の文法を良く知っているか、あるいは無意識にしているのかはわからないが非常に上手いと思う。
⇒一つひとつの文章が小説的世界観を立ち上げるのに成功している(ただし巧いかどうかは別として)。
・『夫妻が深く杭を二本打ち込み、彼が括られている枝をそこに掛けた。彼女の髪の毛は汗ばんだ皮膚にぺったりとくっつき、玉の雫を幾つも垂らしていたが、その雫は顎先からシャツの隙間へ入り込み、胸元へ垂れ落ちていたため、シャツは汗が染みて透けていた。小さな乳首が小さな突起をつくりだしている。』
⇒この部分「髪の毛」からカメラは、下に下にうつっていく。雫とかシャツの体の部分にいたる流れそして胸元に「垂れ落ちる」という落下を経て、乳首が「突起」しているというこの作りは対比として一段落が終わるのに良い印象を与えていると思う。
・『頭の重みでぐるりと半回転して、地面を直視する姿勢になった彼は、自分の臍の下に薪が重ねられていくのを見て、「君は僕を焼いてどうするつもりだい?」と聞いた。』
その次の、「頭の重みでぐるりと半回転して」の意味が分からない。
・等々、描写や言葉遣いの巧さとイメージできないイライラ、そして表現の重複が積み重なり、「ええい、推敲せい!」と腹が立つ思いがした。
・作者の存在が強すぎる感覚を覚える。言葉を作者が自在にコントロールしている感。せめぎ合いや葛藤から、小説それ自身が動いているような感じがしなかった。
イコぴょん: うまい、のかなぁ……。うまそうに見える、のを書くのはうまいかも。
カヅヤ: ぐるりと半回転、ぶたの丸焼きの形で、棒の上にいた主人公が頭を重みにして棒を回転させて下向きに…ではないのかなと見たのですが
常磐 誠: 表現の巧みさとまずさが同居しているような感覚があるのだと常磐は思いました。常磐は個人的に、もっと安部さんの他の作品を読んでいく中でそういうポイントを確認していきたいと思いました。
イコぴょん: あ、豚の丸焼き、かあ……
牧村拓: ああ、そっちかも
カヅヤ: 背中に棒があって、杭 棒 杭 で
イコぴょん: やっと納得がいった
常磐 誠:(イコぴょん「うまい、のかなぁ……。うまそうに見える、のを書くのはうまいかも。」に対して)なるほど。でも……辛辣w 常磐はこの一作品だけで判断し辛いかなぁと思いました。
カヅヤ: 杭と杭の方向に頭と足がある
牧村拓: そのほうがしっくりくる
カヅヤ: で、上向いてた僕がぐるんと棒を回転させる。
イコぴょん: 作者がずいぶん上段で、神のように構えている作品とは感じますね。存在が強い、というのと似てるだろうか
牧村拓: その感じ方は僕も同じです
小野寺: それ自体は悪いとは思わないです
イコぴょん: そうね、ボルヘスもそんな感じだ
小野寺: 三島もそんな感じですね
イコぴょん: 三島は、知性にほころびが見当たらないw
小野寺: 作中人物をピンセットで動かしているような感じ
常磐 誠: 三島作品をまともに読んだことはないですけども、でもあの人は自作品にとんでもなく胸張ってそうというか、自信満々に出している気がします。文句あんの? むしろ文句言うお前がおかしいんじゃね? みたいな。
イコぴょん: 安部さんは、文章のほころびを、まず直してほしいです。でも、ボルヘスや三島を例に安部さんの作品を論じられるのは、すごいことなのかとも思います。今後の作品が楽しみだな。
カヅヤ: ボルヘス読んでみようと思いました。あとハリガネムシ。
牧村拓: ちょっと測りきれないとこはありましたね
常磐 誠: 自分も今後の作品を読んで考えていきたいと思えるのは凄いと思いました。ボルヘス&ハリガネムシは自分も同意です。
イコぴょん: 短いですからね
6: 僕も安部さんに負けず頑張ろうと発起しました!
イコぴょん: ハリガネムシがよければ、クチュクチュバーンもぜひ
6: でも安部さんのこの作品は読んで良かった、と思います。
小野寺: 同感です。刺激されますね
イコぴょん: twi文デビュー作でこれだもんな
小野寺: ではいったん〆ますか
牧村拓: 鮮烈!
常磐 誠: 肩に力はいった、とは別モノですよね? 文章のほころび。
デビューでこれですから凄い……。
イコぴょん: 安部さんの素やと思う、これ>肩に力
常磐 誠: 皆様、夜遅くまでお疲れ様でした!
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