1月11日22:00~
評論部門:ホスト 日居月諸
対象作品:る「泉鏡花『高野聖』について」、日居月諸「杳子試文」、とーい「私たちの旅は、いま、はじまったばかりのところなのだ」
参加者:日居、小野寺、とーい、カヅヤ、安部、る
日居月諸: では合評会を始めます
小野寺: よろしくお願いします
日居月諸: 合評の順番はタイトルの五十音順、るさんの「泉鏡花『高野聖』について」→日居「杳子試文」→とーいさんの「私たちの旅は、いま、はじまったばかりのところなのだ」でやっていきます
日居月諸: それぞれ三十分ずつ時間を合評時間を設けようと思いますが、よろしいでしょうか?
小野寺: はい
KOUSAKU Abe: はい
る(shiroyama): とりあえずそれで。話し足りないのは後でやればいいと思います。
日居月諸: ありがとうございます。では、るさんの「泉鏡花『高野聖』について」を合評します
る(shiroyama): お願いします
日居月諸: 時間は22:35分まで。あらかじめ感想を用意している方は感想を貼り付けてください
KOUSAKU Abe: 行動描写と心理描写を対比させて『高野聖』を分析したようだったが、それは一つの方法としてうまくいっているように思えた。
しかしながら、行動と心理の境がどこにあるのかということを明示しないと、曖昧な論になりかねないとは思った。
というのも、小説における(現実でもそうだが)、行動と心理がかい離している場合もあり、かつ引っ付いている場合もあるのは当然のことなのだ。
だから、行動を心理のかわりに描くことで、動きある(生命ある)ものとするのは、多少の難を抱えていると思う。
ただし、「浄化」の問題に迫ったとき、その問題もともに消え去ったように思われる。
すなわち、本論はもう少し「浄化」にポイントをおき、行動と心理、つまり現象と認識の断絶個所を埋めるかのような論を書くべきだったように思う。
とはいえ、結論に至るまで頷かされたし、結論は全くその通りだと思う。
カヅヤ: 高野聖は、6年くらい前に読んだはずなのに、完全にストーリーを度忘れしていてびっくりしました…。
ストーリー忘れだけでなく、るさんのような解釈、感動をした記憶がないので、おそらく全然ちがう読み方をしていたようで、改めてびっくり。
何を読んでいたんだろう…。文語文に手こずって、何も読めてなかったのだろうか…。
とりあえず、読み返したいです。
「行動描写、心理描写」についての話は、自分の創作の在り方にも翻っていろいろ考えさせられました。
行動描写を花びらに例えた〆の部分は素敵過ぎて嫉妬。
そして、自分もそういう「花びらでもって花を思う」ような文章を書きたい、と強く思いました。
感想って言うより自分の話ばっかですね!すみません!
あと、知人が、泉鏡花を「擬古典主義と、浪漫主義の特徴を両方持つ特筆すべき作家」と言っていたので、そのへんも絡めてちゃんと読んでみたいと思いました。
日居月諸: 以前ある小説を読んでいて、いかに複雑な内面を抱えていようと、他人に伝えるには行動に拠るしかない、と思い知ったことがある(確か漱石だったと思うけれど、もう出典は思い起こせない)。現実で生活していて、なんでこんなにも思索しているのに伝わらないのだろう、と思うことは多いのだけれど、やっぱり人の内面はみえないのである。人間には表層しか見えない。
るさんの「行動描写とは花びらの一欠けら」との言を読んで、そんなことをチラチラと考えていた。これは的を射た比喩だと思う。我々は欠片だけを頼りに生きなければいけない。その奥底に花の全容があるのか、それとも枯れた姿しかないのか、そんなことはどうでもいい、手の内にわずかにある欠片こそ大事なのである。これを発展させていけば、ひょっとしたら鏡花を読むにはうってつけのキーワードにもなりうるのではないか。..
とーい(10011040): 「浄化」へのあこがれを描きながら、「横たわる深い悲しみ」に理解をしめす、るさんの心もように、なにより惹かれました。
批評という形を取りながら、るさんの漂泊の旅路の軌跡を読者は辿ることができる。
「より純粋なもの、美しいものへの憧れは文学に限らず芸術における最大のテーマの一つである」
という指摘は、あるいはるさんの決意そのものかもしれず、孤高の旅路の行き着く先をわたしは見たいと思いました。
小野寺: 「高野聖」十年くらい前に三島由紀夫が褒めていて読んでみたと思うが内容を失念してしまい今回読み返そうとしたが果たせず残念です。るさんの心理と行動の関係については直接に伺ったことが何度もあるのでわかります。「浄化」のくだりは初めてお聞きしたので面白く思いました
る(shiroyama): 思ったよりいいように読んでいただけたみたいでありがたいです。鏡花、読もうと思ってくれれば何より、です。
カヅヤ: (ちょい前に読んだ、中上健次の「不死」が、高野聖のオマージュだったって今気付きました…)
日居月諸: 個人的には鏡花には心理描写がほとんど書かれていない、という指摘が驚きでした。何作か読んでいるのに、怪奇譚としか読んでこなかった
日居月諸: そして、言われてみれば心理描写が書かれてないな、と思い当る
る(shiroyama): オマージュが多い作品でもありますね>高野聖
KOUSAKU Abe: 鏡花は小説それ自体が一つの心理体ってイメージがあります。観念というか。
る(shiroyama): わたしの好きな漫画家も高野聖(無頼編)というのを書いてた 笑
とーい(10011040): 漫画の題材にもされているのですか!?
日居月諸: 心理体といいますと・・・>安部さん
る(shiroyama): 鏡花自体、影響を受けた海外の作家がメリメだったり、ハウプトマンだったり、心理描写が少ない作家だったりしますね。
カヅヤ: >怪奇譚
同じくです。怪奇ものとか、文体の独特な感じとか、そういうものばかりに意識が向いていて、そもそも「心理」がどうこう、といった「文学」という視点で読むことをしていませんでした。すっごい初歩的なレベルの話なんですが、「そうやって読めるんだ!」というレベルでびっくり。
KOUSAKU Abe: 肉体と心理が入れ替わっているイメージですね。書かれているのは、文章=bodyでも、それ自体心理の塊って感じがして。小説全体が一つの心理を表現している、ということです。
日居月諸: なるほど
る(shiroyama): 迷走王 ボーダー という漫画でパロってました~>とーいさん
KOUSAKU Abe: るさんは、行動と心理の境界を、どのように感じとりますか?
KOUSAKU Abe: (行動主義者のような話はさておき)
る(shiroyama): ~~~と思った。 は心理描写で
る(shiroyama): ~~~した。は 行動描写、および状況説明、
とーい(10011040): 迷走王ボーダーの絵におどろきました。かなりロックですねw>るさん
る(shiroyama): 行動描写は、心理描写としての側面が強い状況説明ということで、論を進めました、今回
KOUSAKU Abe: たとえば、怪奇小説なんかではよくあると思うのですが、『ねじの回転』なんかは、行動描写だけど、それは心理描写でしかない、っていう個所がいくつもあるんですよ。狂気の問題というか。
る(shiroyama): たなかあきおですよね。軍鶏の
KOUSAKU Abe: ですよね
とーい(10011040): なるほど!>るさん
る(shiroyama): 具体的に行動描写でもあり心理描写でもある、ような描写ってどんなのですか?
KOUSAKU Abe: 幻視、幻覚、感覚描写、などですかね。
[KOUSAKU Abe: 「痛い」っていう感覚を描写するにあたって、それは行動か心理かっていうと、その断絶部分に位置してると思いますね。
日居月諸: 「驚いた」「目を丸くした」「眉をひそめる」、こういうものは状況を説明した文章ですが、同時に心理をも描いていますね
る(shiroyama): すみません、ちょっと整理できてないかも
る(shiroyama): 慣用句はたしかに判別しがたいですね>ニッキョさん
KOUSAKU Abe: (今回の鏡花論は、その二元的なもので解決できそうなのですが、女性の質感の表現などにおいては、この感覚の問題が横たわっていると思います。視線の問題とでも呼びましょうか)
KOUSAKU Abe: 見ているけど、心理的な動きがその視線に従って働く。
日居月諸: 描写によって僧侶の心理が浮き彫りになる、ということですね
KOUSAKU Abe: まあ、それはるさんが言った通りだと思いますよ。
る(shiroyama): 行為者の行為が嘘をうく場合もありますね、よく考えたら
KOUSAKU Abe: そうですよ。だから幻覚とか言ってるじゃないですか。
る(shiroyama): コクトーの「恐るべき子供たち」でエリザベートがポールを愛しているだなんて
る(shiroyama): いわれないと気付かない。
KOUSAKU Abe: うん。そここそ批評の仕事と思いますよ。
KOUSAKU Abe: 今回の「高野聖」論は、「浄化」に注目したから、うまくいっていると思いますが。
日居月諸: そういえば「高野聖」は僧侶が旅の道中で出会った青年(?)に、昔話をするという前提がありますね。つまり、物語の叙述者が僧侶だと明確に定まっています
KOUSAKU Abe: そうそう、日居さんいいこと言う・
日居月諸: 視線を向けるのも僧侶だし、それを説明するのも僧侶であるという、二重の語り手がいる
KOUSAKU Abe: そうそう。
KOUSAKU Abe: だから、行動、心理の境はどこかって聞いてたんです。
KOUSAKU Abe: というか、
KOUSAKU Abe: だから行動が前面に出ていると思うんですけどね。で、るさんはあっていると。
日居月諸: ふむ
日居月諸: 僧侶が自分の心理を隠している・・・?
KOUSAKU Abe: いや、隠してるんじゃなくて、過去のものとなって、オートマティックに見える自分の動きを、自分で振り返っているんですよ。
日居月諸: あぁ、なるほど
KOUSAKU Abe: 心理より先行する。思い出はいつも雨です、悲しいじゃなくて。
日居月諸: そうなるとこれが自然主義と相克のなか生まれた作品だということが際立ってくる気がしますね。自然主義も過去を告白する文学です。内実がどうなのか、私の掘りこみが浅いから深入りはできませんが
る(shiroyama): (鏡花は戯曲も多いのでその影響もあるかもしれませんね、行動描写が多い)
KOUSAKU Abe: (なるほど!それはある、あるでしょうね、)
る(shiroyama): 時間かな?
日居月諸: 時間ではありますが・・・
日居月諸: 皆さん他に語り足りないことはございますか?
KOUSAKU Abe: 最後に一つ。これは、心理小説って呼んでいいんでしょうか。
る(shiroyama): わたしですか?
KOUSAKU Abe: はい
る(shiroyama): それはおのおのが思ったように呼んでいただければと思います。
KOUSAKU Abe: なるほど。今となってみれば、ヘンリー・ジェームズっぽいなっとも思ったので。
日居月諸: ではこのへんで・・・
る(shiroyama): ありがとうございました。
日居月諸: 次の対象へと移ろうと思います
日居月諸: 次は私の「杳子試文」を23:10まで論じていただきます。あらかじめ感想を用意している方は貼り付けてください
KOUSAKU Abe: 『杳子』を読んだことないまま拝読したが、それでも読み進めるのが苦になることはなかった。
それは評者が逐一引用して分析してくれているからだろうが、なおかつ、通常なら陥りそうな読み方を提示し、
それを否定しながら評者が自己の考えを提示するため、文脈がつかみやすいのだ。
これは意図的な演出かどうかはわからないが、非常にうまくいっていると思う。
その疑問→否定→応えという流れは、評者の軽妙な口調によって、飽きさせることもないし、
100枚にしてはサクサク読めた。とはいえ、やはり原文を読んでいたかった、という思いはある。
でなければ、評論の内実に迫ることは難しいからだ。
これは自分が悪いのでどちらでもいいけど……。
る(shiroyama): 長さがあったが長いと感じさせないものがあった。それぞれの論考に関しては、うまくかかれていると思うが、最後の最後で、それぞれの着眼点が星図のように展開したらこの論文はもっとよくなるだろうなと感じた。もちろん最後のところで総括しようとする著者の意図は感じるのだが、結論部は書いてる本人が鬱陶しくなるくらい書かないと、読者には伝わらないのだな、と感じるところがあった。
作品論としては、作品から理念を取り出すように書かれているが、それぞれの形式(例えば「印象の空白」や「視線の入れ子構造」)は他作品との比較を通したほうが読者に伝わるような気がした(例えばプラトンの『国家』をからめたら面白そうだなーとか)。全体理念に関しても筆者のモノローグ以上のものになっていないのが面白かった分少し残念に思った。他の文章他のジャンル他の思考形式とのアナロジカルな出し入れの妙を覚えたらこの文章は格段に面白くなるように思う。
カヅヤ: 最初の一ページで一気に惹きつけられました。
ちょうど前日(この感想を書く前)恋愛特集でなんたらかんたら、と言っていたので
「そうだよねーそういうこと悩むよねー」と思いながら読んだ。
そしたら二ページ目で「子供じみた愚図つきに過ぎない」とばっさりやられて絶叫した。
そのあとに救いのような文章があって、最初の二ページでジェットコースターが上がって落ちてまた登る!みたいな状態になってしまって3頁目からガクブルしながら読み進めました…。
ら、面白かったです!
後半、批評とは何か、というところまで踏み込んで論じていますが、こういう論文はよくあるんでしょうか。
面白いと思いつつ、評論として読む上でちと違和感を感じてしまい…。私が読み慣れてないだけなのか。
「恋愛感情」という言葉を多様しているのはわざとかもしれないのですが、そもそもどういう感情を恋愛感情と呼ぶのか、ということが引っかかり。
一応明確にはされているのだけれど、「それ、恋愛感情…?」と、私個人はひっかかってしまったので(もともとこういう点で躓きやすいもので…)、
他の言葉で書けなかったのだろうか、と思いました。恋愛感情という言葉はあまりにもブラックボックスすぎるように思う。
評論を読む限りでは、私は、この二人の関係をさほど病的とか異常とは感じられず…。
原作を読むと納得できるのかな、と、ちょっともやもやしました。
私個人の感覚の問題なのか、それとも男女差みたいなものもあるのか。
評論は書けないけれど、この評論を足がかりに、小説を読んで、自分なりの解釈をしてみたいと思いました。
小野寺: 以前にもおりに触れて直接間接に日居さんに感想を書きましたが、非常に慎重に論を進めている態度は誠実で論文らしいと思いました。ともすれば、結論や主張を急ぎがちになりますが。それで初めの部分がやや奇抜に感じます。この部分と本文がどのように関係しているのかは少し疑問が残りました
とーい(10011040): 批評とは可能性を提示すること、ということばを思い出さずにはいられなかった。
語弊を恐れずにいうなら、作品として一つの芸になっているとおもう。自分は、この芸になにより惹かれた。
「杳子は『彼』の視線を繰りいれることで自分の感情を確かにするとともに、『彼』の輪郭をも確かにしようとしている」という指摘は、共依存とはちがう、恋愛のより始原的なものを指摘しているとおもう。
日居さんが「かけがえのなさ」に言及されるのが、うれしかった。
杳子もまた、日居さんにとってかけがえのない存在であるのが伝わってきた。ラブレターを読んだ気持ちになった。
日居月諸: 多くの指摘ありがとうございます
日居月諸: 一応一つだけ、るさんが他の作品と対比させてはどうか、とありましたが、第二部では他の批評などを引用しながら杳子を論じていくつもりでいます
る(shiroyama): やはり続きが・・! 笑
KOUSAKU Abe: 杳子愛を感じますね(笑)
る(shiroyama): 期待します。
日居月諸: 構想としては「彼」の杳子への愛と、私が「杳子」へと向ける愛が重なり合う、といった構造にしたいと思っているんです
小野寺: カヅヤさんの言われる恋愛感情…私も多少ひっかかりました
KOUSAKU Abe: それありますね
日居月諸: ご指摘頂いて気付きました。矛盾がある
カヅヤ: (はわ、矛盾とはあまり感じなかったのですが、「俺の知ってるれんあいかんじょうと違う!」程度の感覚でした)
日居月諸: 恋愛の位置づけが、多分ブレているんだとおもいます。二人の関係を書こうとするあまり、そっちには目がいっていない
日居月諸: とりあえず二人には関係ないものだよ、としておいて、棚上げしてる
る(shiroyama): むしろ恋愛一般についての論に繋がっていくのかなぁと(作品からそういう理念を取り出すのかなぁって)読んでました。
小野寺: 「杳子」を読んでいると違和感はないんですが。棚上げも。
日居月諸: そうか、途中まではそういう身振りがあるから尚の事引っかかるのか・・・
る(shiroyama): 一般というか普遍、でした
カヅヤ: あえて「恋愛」という語を多用しなくても、「関係性」に限定して書くことも可能なのかな、とは思いました。
小野寺: 病者を労わっているのか、恋愛なのか漠然としてるので
とーい(10011040): わたしは恋愛感情、というか、恋愛へのあこがれを感じました
カヅヤ: あ、だから前半は「日居さんの恋愛論だ!」と思ってドキドキしながら読んで…あ、だからジェットコースター状態に…
とーい(10011040): そうそう、日居さんの恋愛論!>カヅヤさん
る(shiroyama): それわたしも感じました 笑 <ジェットコースター感
カヅヤ: わあい仲間が!
日居月諸: ジェットコースターは書いてる自分でも思ってました(笑)
日居月諸: ずいぶんとブレるんですね、論旨がw
小野寺: おそらく次回以降に書かれるのだと思いました。前文とのつながり。
カヅヤ: >とーいさん 「あこがれ」というのは、二人の関係性の理想形、ないし「本来の男女のあるべき関係性」としての「恋愛関係」というような解釈ですかね…?
日居月諸: 一応、完全に恋愛ではない、としているんです。世間一般からみたら恋愛だし、当人達もそれを意識している
とーい(10011040): (蓮實重彦さん、お好きなのかな。。)
日居月諸: ただ、どっぷりと浸かりこめないんです
日居月諸: 大好きですよ>蓮實
日居月諸: 彼らが漂っているのは間なんですね。固有と一般の。一応、最初の三ページに描いたエピグラフ的な文章も、そういう意図があって書いてます。もちろん、今の段階では浮いてるものでしかないんです
とーい(10011040): るさんが浄化を求めながら異を認めるのと逆で、日居さんは異を求めながら純粋であろうとされている>カヅヤさん
小野寺: 前文はテキストから離れていた。本文はテキストの奥深くに入っていき検証していた、そういう印象です
KOUSAKU Abe:
<<< 病者を労わっているのか、恋愛なのか漠然としてるのでこれ結構大事な話ですね。。。
日居月諸: そうそう>安部さん
とーい(10011040): 文体や言い回しに、にやっとするところがありました♪>日居さん
日居月諸: 原作を読んでいると確固とした解釈が浮かびあがってこないんです。作品自体徹底的に、そういうものを拒み続けるんです
KOUSAKU Abe: 解釈を拒む小説はありますね。それはきっと、日居さんも開けられなかった恋愛感情というブラックボックス内で、スライドしているメタファーがあるんだと思います。
とーい(10011040): 恋愛そのものへの日居さんのあこがれを感じ、自分は胸を打たれたのです>カヅヤさん
カヅヤ: あ、原作からしてそういうきらいがあるんですね。
カヅヤ: あ、なるほどです!>とーいさん
日居月諸: 憧れか・・・
とーい(10011040): わたしはだから、杳子試論が好きです
日居月諸: ありがたいお言葉です
日居月諸: まぁ、とにかくかなり安心しました。皆さん違和感を感じたところはありつつも、論旨はわかっていただけたようなので
日居月諸: 小説もそうなんですけど、批評を書いていると自分の書いていることが明快なのかどうかわからなくなることが多かったんで、これだけ感想いただけるだけでも嬉しいです
カヅヤ: 「恋愛感情」の論点でひっかかりはしたのですが、読んでいて嫌な感覚は全然受けなかったので
カヅヤ: というと、なんか上から目線ぽくなってしまうのですが、自分はこの手の文章を読みながら「うあああああ!!」ってパニックを起こすことがままあるのです…。そういうことは、全然なくて。
カヅヤ: とても読みやすかったし、もとの小説に対する興味も湧きました。
とーい(10011040): 文体そのものも好きです。
日居月諸: はい、古井由吉を読んでください。そしてもっと文庫で読める古井を増やしてください(笑)
る(shiroyama): 古井はLSDとかやってたんでしょうかね??
とーい(10011040): 古井さんって、パイプ吸われているんですね
日居月諸: 薬物はどうでしょう。わかりませんが、ムージルの研究者なんですよ、彼は
る(shiroyama): そうだったのか!!
小野寺: たぶん古井は薬物はやってないと思う(笑)
とーい(10011040): きょう、パイプ片手の写真見て、とっても絵になっていました
日居月諸: ムージルを翻訳していて、その文体を自家薬籠中にしている
日居月諸: まぁ、やってるとしたらムージルという劇薬です
る(shiroyama): 杳子の心理描写がバッド入ったときのダウナーとかアシッド系ドラッグの症状とほとんど一緒だなぁと思った
日居月諸: 薬物は経験がないからわからないけど、自分は深酒をはじめて古井の感覚が微妙にわかったことがあります。喋れなくなるけれど、周りのことは明快にみえる
とーい(10011040): 表現者にクスリは必需なのでしょうか
日居月諸: というか、外部のことしか入ってこない。それを押しかえせないんです
とーい(10011040): と、どうしても聞いてみたくなる
る(shiroyama): ダメ・絶対。
とーい(10011040): クスリへのあこがれはあります。自分
日居月諸: 憧れは持ってもいいと思います。ただ憧れでとどめて(笑)
小野寺: 村上龍は薬っぽい文章ですね
小野寺: 「限りなく」は
カヅヤ: 「たばこが百害あって一利なしとか、ねーよ。無いと生まれなかった作品は絶対あるよ」という話をよく弟と。
とーい(10011040): 中島らものリリックな文体はドラッグなければ生まれなかったのかな、と想像したり
る(shiroyama): ただ古井はケミケミしてないなーと思いました。純正ドラッグの香り、、うふふん☆☆
とーい(10011040): 卑近な例ですが、お酒飲むとふだんよりたのしくなるしな
とーい(10011040): けれど、それが自分の真のちからなのかな、とおもったりもして
日居月諸: それにしても、とーいさんの言うとおりパイプを吸っている古井さんは絵になりますけれど、タバコを吸うシーンはなかった覚えがあるな・・・
日居月諸: おっと、時間だ・・・
とーい(10011040): それは興味深い<タバコを吸うシーンがない
小野寺: パイプやる人は紙巻はやらないかもです
カヅヤ: (自分はチョコレートガリガリ食べながら書いちゃうことがよくあるけど多分関係ない)
とーい(10011040): それはよくいいますね>小野寺さん
カヅヤ: (お値段的な意味でパイプないし煙管欲しいとずっと言ってるけど買ってない…)
とーい(10011040): むかし吸っていましたが、たしかにパイプの濃厚なうまさはたまりません
る(shiroyama): ここで昔のタバコにはTHCが入っていたのではないかという仮説が誕生する、明治の文豪はみんなデイドリームビリーバー!いえあーほー!
小野寺: キセル…因業な感じがする
小野寺: 高利貸しみたい
とーい(10011040): パイプも煙管もやりましたが、道具代がばかになりませんww
とーい(10011040): パイプや煙管を何本も欲しくなるw
日居月諸: 喫煙談義に花が咲きはじめましたがそろそろ時間なので・・・
る(shiroyama): キセルはどっちかっていうとがんばれゴエモンな世代。。
日居月諸: まぁ、また後で話しましょう
とーい(10011040): たしかにww<がんばれゴエモン
日居月諸: 次の作品にうつります
KOUSAKU Abe: ええ
日居月諸: 次はとーいさんの「私たちの旅は、いま、はじまったばかりのところなのだ」です。時間は55分まで。それでは、あらかじめ感想を用意している方は貼り付けてください
とーい(10011040): よろしくおねがいいたします
KOUSAKU Abe: これまた吉行を読んだことない、と思ったが、こちらは吉行の作品評というより、
吉行評であり、吉行淳之助という作家がどのような「内面」を持っていたのかを作品から浮き彫りにしつつ、
その主観的趣向(思春期的な)、かつ時代的な位置づけ(第三の新人の中での比較)がなされ、面白かった。
吉行淳之助を読ませたいと思わせたのだから、成功している。
しかし敢えて言うなら、やはりもう少し作品の内実に触れていくところが欲しかった。
そうでなければ吉行という作家が、すこし簡易に思えてならないのだ。
日居月諸: 昨日とーいさんを含めた数人とスカイプで話していると、いつしか話題が吉行に移っていた。そこで私は「手品師」という短編を持ち出して、吉行は童貞の屈折した心を書くのが上手い、とゲスの口調で紹介したのだが、夜が明けてみるとそれにしても若い頃から美男子として名を馳せ、赤線にも立ち寄り(本人曰く入り浸りはしていないらしい)、幾人もの女性と不倫を結んだ色男が、なぜ童貞にそこまで視線を注げるのかと疑わしく思われてきた。
その時あらかじめ読んでいたとーいさんのエッセイが浮かんだ。吉行は「コンプレックスにそのひとらしさを感じる」。なるほど、と膝を打った。吉行にも空白がある。父エイスケは早世し、青春時代は戦争によって塗り固められ、おまけに病も患った。その空白が、他人のかかえる空白へと引き寄せられていく。とすると、吉行の浮気な心も説明がつくし、やたらと文壇の人と付き合いが良かったことも納得がいく気がする。しかし自身が空白を持っているとはいえ、それだけで他人の空白を慈しむというのも中々むずかしい。吉行の小説に登場する多くのコンプレックスを抱えた者たちのように、大概卑屈になってしまう。そんな中、どうして吉行は強さを保てたのか。そういう好奇心を沸かせる、視線の鋭いエッセイ。
る(shiroyama): 平易な言葉でそつなく書かれていると思う、その点吉行への案内として読めばかなり楽しめるのだが、一方で表層をなぞっているだけと言う印象が否めない、例えばだがダンディズムならばオダサクのそれとどう違うのか、思春期を追及したのならセカチューとどう違うのか、吉行の持つある種のグロテスクでもってそれを説明しようとしているように思えたが、吉行が真に古典足りうる作家であるということが表現しきれてないように思えた。
カヅヤ: 実はついさっきブクオフで吉行をパラパラと見てきたのですが、とーいさんの取り上げている作品は見当たらず…。
他の作品やエッセイをパラパラ見てみたところ「あかん、苦手だ!この手の色男苦手だー!!」とパニクってしまいました!
でも評論に書かれた「鳥獣中魚」は、すごく面白そうで、好きになりそうな気がしていて、果たして実際に読んで自分がどう受け取るのか…と、ドキドキしております。
「性」や、「存在」のボーダーラインを描くような作品はもともと大好きで…。
女性が描いたものはいくつか見てきたのですが、色男が描く作品てどんなのだろうと。
自分とはまったく違う視点で描かれる、自分の好きなものに、とても興味が湧きました。
遠藤周作と阿川弘之との対比を書いた一文に、おおっ!と思ってしまいました。(一般的に言われてるのかな?)
この時代の作家に疎い自分としては、それぞれの人物の立ち位置が面白くて、当時の「文壇」そのものにも興味を引かれました。
小野寺: とーいさんが挙げられていた二つの短編「寝台の舟」「鳥獣虫魚」は大好きな作品でもうかなり以前に読んだので内容は定かではないが苦しみの中の優しさを感じた。とーいさんの好きな小説の傾向がよくわかりました
とーい(10011040): みなさま、ありがとうございます!
とーい(10011040): 作品の内実、表層をなぞっているだけ、という指摘は自分でもわかっていて
とーい(10011040): それはわたしのコンプレックスでもあるのです
る(shiroyama): あ、でも文章自体楽しめました。
とーい(10011040): 自分は大学生になるまで、ロクに本を読んだことがありませんでした
とーい(10011040): おそれおおいです>るさん
小野寺: いえ、よかったですよ本当に
とーい(10011040): 文学の知識はまったくなくて、そうですね、はじめてはまった作家は田口ランディさんという
日居月諸: 視点は鋭いですよ。吉行の本質にあと一歩まで迫れている
KOUSAKU Abe: 嗅覚で攻めてやってください。文章は楽しめたし、それ自体は訓練だし。
とーい(10011040): 吉行さんぐらいなのです、全集をよんだのは>日居さん
る(shiroyama): 作品に切り込む時って、皆さんどうしてますか?
とーい(10011040): 嗅覚、大事ですよね!!>あべさん
日居月諸: そうそう、エッセイは嗅覚でいいんです
とーい(10011040): 田口さんは、きっと後で振り返ったとき、読んでいた自分が恥ずかしくなるところが持ち味と思って、早々に辞めてしまい
KOUSAKU Abe: 作品に切り込むときは、部分から入ります。で、中心性をもったロゴスを探します。
カヅヤ: 日居さんの仰る「吉行は童貞の屈折した心を書くのが上手い」という点もすごく気になっていてるので明日手品師探してこよう…。
る(shiroyama): わたしは「ある程度間違っててもいいや~、いつかこっちが本当になるんだし~」くらいの居直りがあると逆に面白いと思うんです!
とーい(10011040): おっと、自分の小説遍歴はひとまずおいておいてw
とーい(10011040): 作品に切り込むときは、自分がもっとも感じたただ一点で、一点突破します
カヅヤ: 作品を論じるのは、大学のレポートでやっただけなので、切りこんだことがなく…。
KOUSAKU Abe: 居直りは、ある種必要ですよね。作品を一つ仕上げる感覚で書きます。でもそれは書くときであって、なにか作品から引き出してくれる僕の中のロゴスを捕えています。
とーい(10011040): 自分のしんじるものを、さいごまで信じ続ける
る(shiroyama): 今回のとーいさんのエッセイは良くも悪くも吉行の先行するイメージを大事になさっているなぁ、という印象を受けたのでした。
小野寺: 卒業論文は文体論から攻めました
小野寺: ただ、いろんな作家を論ずることをしていない(笑)
とーい(10011040): 先行するイメージは尊重しました。自分がみた限りですが、吉行さんについて書かれているものの多くは、吉行さんのイメージを尊重しているように感じています>るさん
る(shiroyama): たとえばわたしはベンヤミンという批評家が好きなんですが。
とーい(10011040): 遠藤さん、阿川さん、吉行さんは悪友ですよね♪>カヅヤさん
る(shiroyama): ベンヤミンの場合、先行するイメージを無理くり裏切ってみせて、そのあと仕立て上げるのが上手。ロマン主義を「醒めた人たち」と評して、読者を「あっ」っと言わせたそばから、着実な文献研究で固めてしまう。
KOUSAKU Abe: なるほど
る(shiroyama): いまでは、ロマン主義=醒めた人たち、は定説になっちゃってますし。
とーい(10011040): ちからがあってこそですね<ベンヤミン
とーい(10011040): 今回、るさん、日居さんの評論を読ませていただいて、わたしには論ずるに値する知識が圧倒的に足りないことに気付かされました
カヅヤ: 悪友だったんですか!?俄然興味が…!>とーいさん
とーい(10011040): 勉強しなければと
とーい(10011040): と、伝聞されておりますw>カヅヤさん
る(shiroyama): 作家とか作品の纏うイメージを、どう扱うかによって、その批評家さんの性格というのがわかるなぁ、と思ったのでした、とーいさんはもっと吉行を裏切るかたちで愛してもいいんじゃないかな、とかも思ったのでした。
小野寺: ああ、なるほどね>るさん
日居月諸: でも、反面敬意がありますよ。とーいさんの吉行評。大事に大事に扱っている
KOUSAKU Abe: なるほど。裏切る、ってのは大事ですね。
とーい(10011040): なるほどなるほど<裏切るかたち
る(shiroyama): はい、吉行がすきなんだなぁというのは物凄く感じました。
日居月諸: 僕が一番ガンダムを上手く使えるんだ、じゃないですもん。ガンダムに乗せていただけるですから
る(shiroyama): すごく個人的なことなんですが、わたし物凄く吉行が苦手でして。
KOUSAKU Abe: まあ、裏切るのは読者ですからね。というかパブリック。
る(shiroyama): それは先行するイメージとも相まってですが、だからこそ裏切って欲しかったなぁという個人的な願望も多分に含まれてまする。。
KOUSAKU Abe: 吉行読んでみたいな。
KOUSAKU Abe: 作家を一皮むいちゃうのが批評家の仕事かもしれませんね。
とーい(10011040): 敬意、抱いています。自分が小説家として好きな文体は吉行さんです>日居さん
る(shiroyama): だから逆に鏡花のイメージを裏切る評論とかは受け付けないかも 笑 勝手ですなw
とーい(10011040): 作家をひとかわむくのが批評家の仕事、たしかに!>あべさん
カヅヤ: 批評というより感想になりますが、「この作品が大好きです!!」って勢いだけで書かれたとんでもない読み方なんかも、一読者としては大好きです…。
KOUSAKU Abe: 出てきたものが予想を裏切るものか、予想通りかっていうのは、二の次で、真実の姿をむき出しにしてやればいいんじゃないでしょうか。 >るさん
とーい(10011040): 自分の理想とするエッセイは、阿川弘之さんと吉行さんを足して2で割ったような感じです
とーい(10011040): いつか、そのような文体を得たい
とーい(10011040): 自分がこれは勝てないなあ、と思ったエッセイがあって
る(shiroyama): 作品の理念を導き出すのが批評であり、作品の事実を導き出すのは注釈である、とベンヤミンが言ってたのを思い出しました。>あべくん
KOUSAKU Abe: ベンヤミン信奉者として、そこ、徹底していきましょう!>るさん
とーい(10011040): それは阿川弘之さんの「故園黄葉」という随筆に収められた「わが友 吉行東尋坊」という追悼文なのです
る(shiroyama): ただベンヤミンはそういうけど多分に政治的なんだよね 笑 大衆のイメージを裏切ったり守ったり、そういう操作にも長けている
とーい(10011040): 批評とは可能性を提示すること、という蓮實重彦さんのことばがわたしは好きです。もちろん、蓮實さん一流のエンターテイメントというかサービス精神でもあるのですが
日居月諸: 吉行への追悼文は読んだことがなかったな。遠藤周作への追悼文は名文と読みましたが
KOUSAKU Abe: まあ、彼の生きた時代がそうさせたと思います(笑)>るさん
とーい(10011040): 遠藤さんへの追悼文は名文ですね!!
とーい(10011040): 阿川さんの随筆はわたしの理想のひとつです
る(shiroyama): そうですね、ナチスからニーチェを護るために、ヤスパースとかトーマスマンが色々策を弄したのを思い出しました
とーい(10011040): 機会がありましたら、ぜひお読みください。感動しましたし、わたしの理想でもあるのです>日居さん
日居月諸: 志賀直哉に師事しただけあって名文家ですよ、阿川
る(shiroyama): 青空で読めますか?追悼文
とーい(10011040): いつか哀惜や愛惜のある文章を書きたいとおもっています
とーい(10011040): 阿川さんをよんでいると、体力がちがうなあ、とおもいます
KOUSAKU Abe: 文学と政治はやっぱり切り離せませんね。今日のブレヒトもそうだったし。そう言う意味で、吉行とかは洒脱でダンディなのかも(笑)読んだことないけど >るさん
とーい(10011040): ざんねんながら読めません。。>るさん
日居月諸: 阿川はまだ存命なんで著作権切れ以前の問題ですねw
とーい(10011040): 故園黄葉という阿川さんの随筆集にあります
KOUSAKU Abe: 文学はシーニュでしかありえないだろう、っていうヴェイユの言葉を思い出しました。 >るさん
とーい(10011040): 吉行さんは洒脱でダンディとおもいます。見た目でも得してますしw
とーい(10011040): しかし、吉行さんの知的で、合理的な面にあまりスポットライトがあたらないのはさみしいところです
る(shiroyama): 残念! 追悼文だと、鏡花→芥川とかおすすめっす。青空で読める!
KOUSAKU Abe: なにそれよみたい >るさん
とーい(10011040): どうしても男女の関係ばかりに落とし込まれてしまう。。<よしゆきさん
とーい(10011040): 追悼文の特集なんか、やりたいですね!
る(shiroyama): http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/33223_12175.html
KOUSAKU Abe: 洒脱でダンディって、計算づくでしょうからね、合理的だろうなあ >とーいさん
日居月諸: じゃあ、そこを掘りこんでいましょうよ、twi文で、とーいさん自身が>知的で合理的な面
とーい(10011040): 人工水晶体というエッセイは、そんないちめんをまざまざと感じさせます
とーい(10011040): 阿川さんの追悼文は、愛惜があって好きです
KOUSAKU Abe: すげえ、すげえ追悼文だ……るさん、僕の時はこんな感じでお願いしますね >るさん
る(shiroyama): 鏡花の全集出た時の芥川→鏡花もアツイ! http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/93_14953.html なにこの両思い! っていうw
とーい(10011040): 小説というものに、表現というものにもっとも大切なもののひとつは愛惜かなと
る(shiroyama): うほっ
とーい(10011040): 相手がいてくれて、一緒に過ごすことができてよかったという、尽くせぬよろこびと感謝が
とーい(10011040): ありがとう、を伝えるために、ことばがあるのかもしれないと
とーい(10011040): 抽象的なのですが
とーい(10011040): わたしはずっとそれを求めてます
とーい(10011040): 愛とか恋とかラブとかでなくて、ありがとう
日居月諸: それを吉行に向けていきましょうよ、掘り下げていけますよ、今回のエッセイ
KOUSAKU Abe: 頑張ってください
る(shiroyama): ですね!もっと読みたいっす! 吉行論
る(shiroyama): そして吉行アレルギーを脱却したい! 笑
カヅヤ: (作家間のやりとりにニヤニヤが止まらんです…全然関係ないけど、芥川が谷崎潤一郎について書いた文章も好きです。仲良過ぎだろこの人達…!!)
カヅヤ: http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4276_6757.html
とーい(10011040): みなさん、ありがとうございます(泣
る(shiroyama): カヅヤさんがホモぉ・・・・!w
とーい(10011040): アレルギーはなおさなくてもいいかとw>るさん
KOUSAKU Abe: (今日はそろそろやることがあるので、ちょっと抜けます。すみません。お疲れ様です)
日居月諸: (僕は安吾の「不良少年とキリスト」がすきです)
カヅヤ: そ、そんなことはないです!純粋に!純粋にニヨニヨニヨニヨしてるんですニヨニヨ!
る(shiroyama): 不良少年とキリストは最高ですね!
とーい(10011040): お疲れ様です! ありがとうございました!!>あべさん
る(shiroyama): カヅヤさんの挙動が怪しいなり!
る(shiroyama): お疲れ様です!
日居月諸: お疲れさまでした>安部さん
る(shiroyama): おださく→安吾 もたまらんですよ!
とーい(10011040): 芥川→谷崎さんは、これ、映像を思い浮かべるだけでおもしろいw
[ 小野寺: お疲れ様です
カヅヤ: 不良少年とキリスト、読み始めちゃいましたが早々に噴き出しました。奥さん楽しい…!
日居月諸: ただでさえ乱脈な文章を書く安吾がこれ以上なく乱脈なんですよね、「不良少年」。でもそれがとてつもなく面白い
る(shiroyama): オダサク→安吾 http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/46170_22339.html ページの中盤上部くらいから
日居月諸: さてまぁ時間ですか・・・
る(shiroyama): 二次会の時間か・・・
日居月諸: 一応追悼文の話題を持ち越したまま、合評会は終わりということにしましょう
カヅヤ: お疲れ様でした!
とーい(10011040): お疲れさまでした!
る(shiroyama): おつかれーす!
小野寺: お疲れ様です
日居月諸: お疲れさまでした
とーい(10011040): はー、はじめて合評されましたが、手に汗にぎりますねえw
る(shiroyama): twi文復帰後はじめての合評でしたが、やっぱ楽しいです!
とーい(10011040): というか、自分の書いたものを読まれる経験があまりなくて、ドキドキしました(笑)
とーい(10011040): たのしかったです!>るさん
る(shiroyama): モチベーションにもなりますよねー
とーい(10011040): 自分のつたない感想でも、るさん、日居さんはじめ、みなさん聞いていただけたのがうれしいです
る(shiroyama): やっぱり自分とは違う人の感想っておもしろいっす
とーい(10011040): すみません、きょうは落ちますです><
カヅヤ: お疲れ様でした>とーいさん
る(shiroyama): お疲れ様です!
日居月諸: お疲れさまでした