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電話と言えば……

 自分が電話ときいて、思い出すもの。それは携帯電話ですね。自分が携帯電話を持ったのは高校生の時。そのときはEメールなんか使えなかったし、電話代も無料じゃなかった。そもそも携帯電話はちょっと高いものでした。PHSという小型の電話が今より普及していました。何が違うのかというと、厳密には答えられないですが電波の周波数とか強弱とかそんな違いだったと思います。

 さて、自分の年代は携帯電話が文化として受け入れられた過渡期にいました。携帯電話も先に書いたようにPHSと二分していたし、携帯電話でもD社では周波数の違うもの(片方をシティフォンと言った記憶がある)などなんか当時は複雑な未開発的なところがあった。Eメールではなく、半角カタカナで二十文字しか送れないPメールなどがあった。あれで会話をしていたんだから、現在では考えられないです。

 とにかく、青春時代にそういう便利なものが入ってきたわけだから、自分より年が上の人が苦労していたことがなくなるわけで。たとえば、好きな子に電話するためには持ってる携帯にかければいい。ちょっと前の年代だと、好きな子の自宅にかけて、お父さんが出てそこで気まずい雰囲気になるという、物語になりそうな甘酸っぱい思い出が一つ消滅しました。

 小説においても携帯電話というのは、革新的でした。ミステリー小説だとクローズドサークルを作るのが難しくなった。孤島や吹雪の山荘とか「電波の通じない」ということを読者に提示しなければいけなくなった。他にも村上春樹の小説の世界に携帯電話が存在したらすべてが簡単に解決するように思います。最近だったら、多崎つくるは携帯電話一つで、みんなと電話で会話して誤解がとけると思います。

 自分の下の世代はそんなことなくて、物心ついてるときに携帯電話があって、普通に友達と話してたりメールをしていたと思います。高校生のときの自分もしていましたが、生活の中にちゃんと組み込まれてはいませんでした。ツイッターもフェスブックなどがなかったから、メールが唯一他人と繋がる手段でした。

 夜中に好きな先輩と電話をする。なんかやるせない気持ちになって、携帯電話の電源を切ったり、遠くにやったり、時には二つ折りのものを真っ二つに壊してみたり。当時小さくて軽いと言われた細長い携帯電話の先には好きな人の影があった気がします。

 そういえば、携帯電話の電池パックや電池のふたにプリクラを貼るのが流行りましたね。何だったんでしょうね。たしか何かしらの意味があったはず。思い出せない。思い出した人は教えてください(笑)。

 こうやって語っている自分が、当時の自分からみればあきらかに年をとっているような気がします。それに携帯電話を持つことによって携帯を中心に生活が回って、それに縛られているような気がします。電話って、自分と相手があって初めて成立しているもので、それがスマートフォンになるころにプライベートスペースが広がったような縮んだような気がします。インターネットやSNSの存在のおかげで、他人と繋がる手段は増えたけど、その分「他人からの目」に晒されるようになりました。人との距離や境界線が曖昧になったような気がします。

 昔がよかったのか、今が幸せなのか、わかりません。そしてこの語りのオチもぼんやりした感じで終わりたいと思います。