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孤独の音

 空っぽになった電話ボックスを見かけて、荒野に立っているような孤絶を感じさせるな、と戯言が口をついた。昔、テレビで見た怪談か何かが影響しているらしい。町はずれのゴミ捨て場にぽつりと立っている公衆電話でおかしなダイヤルを回してみると、低い声が聞こえてきて、呪いにかかってしまうという。幼い頃の記憶だから、不安とともに頭に残ってしまったのだろう。
 しかしあれは、声を発したいのに口を塞がれている、というこの世ならぬ者の切羽詰まった状況を表す暗喩か何かではないだろうか。現世の者たちが怪談を語りだしたのも、押し込めてしまったことへの後ろめたさを感じているからこそではないか。
 そう考えてみると、人波が流れる中でぽつりと佇んでいる方が、押し込められている様子はうかがえる。まるで路地裏でうずくまっている人のような、関わりはないはずなのに、疾しさを感じさせる存在と似たものがある。
 歩いていると、立ち止まっている姿はやけに目につくものだ。急いでいるならば、暢気に座りくつろいでいるような格好は見るだけでも苛立たしい。今の自分が忘れたがっている事柄に出くわすと、人は目を背けたがる。たとえば、日々の暮らしに汲々としているならば、野垂れているみすぼらしい有様は、明日は我が身との焦燥さえ覚えさせるものだろう。ひょっとしたら電話ボックスを見かけなくなっていったのは、人々がその姿を見ると忌わしさを覚えるようになったからではないか、と携帯電話の普及を見過ごしながら濫りな考えは広がっていく。

 まだ携帯を持たなかった頃、緑の電話機には随分助けられた。雪国の登下校は徒歩がもっぱらで、しかし部活が終われば足は棒になっているから、楽をして家から車を出してもらう。そのくせ、家とは反対の方向にある商店へと歩いていくだけの体力はなぜか残っている。
 それにしても、ボタンを押すと受話器から聞こえてくる、機械特有の耳障りな音は堪えがたかった。子機から聞こえてくる小気味いい音に慣れていたから尚更で、耳に押し当てなければダイヤルが出来ているかわからないから抗いも出来ない。おまけに、番号が表示されなかったから自分の行いが正しいかどうかもわからない。冷えた空気によってかじかんだ手をこわごわと伸ばして、間違えぬようにボタンを押しながら、耳は金属の音に浸されている。今にしてみればよく堪えていた。
 あれは子供の横着だったから相応の仕打ちとして捉えられもするが、濫りに広がっていく空想に身を任せて、荒野に設えられている緑の受話器から、あの音が聞こえてきたと考えたらどうだ。索漠とした眺めに目を晒していた者が、電話ボックスという外部との交通の手段を与えられたとしたら。
 さびしさは鳴る、と綿矢りさは出世作である『蹴りたい背中』で書いていた。

  さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつ

 けるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、

 細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれた

 りもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。
                             (『蹴りたい背中』)

 おおよそ、所在なさでもって周囲に妙な態度を取ってしまわぬように我慢して、この音を封じ込めてしまうと言ったところだろう。胸が締め付けられるのも、無意識に体がこうした意図を汲んでくれているからだと思われる。しかし、繰り返しを避けるために書き出された、孤独の音、というのはまずい。さびしさは周囲に人がいるからこそ感じられる。気怠げに見せてくれたりもするしね、とは語りかけである。他人に語りかけているからこそ、声が届かないことにさびしさを覚える。孤独は時に、人さえいなくなる。語りかける相手もなく、ただただ自分と向き合わざるを得なくなる。
 電話ボックスは隔絶された空間を作る。ただでさえ何もない荒野に、さらなる荒涼を生み出す。試みに、知り合いに電話をかけてみるとしようか。おぼろな記憶に基づく惰性で動く指にダイヤルを任せながら、耳はボタンとボタンのつなぎ目を切るような音を聞いている。仮に記憶が間違っていたならという不安と、つながってくれればという期待のもとに、点々とした音を聞いている。気付けばダイヤルよりも、途絶え途絶えに鳴っている、金を切るような音に全てを賭けている。孤独の音というのならば、こちらに賭けてみたい。もっとも、空想による提案ではあるが。

 東日本大震災において公衆電話は重宝したという。互いの安否が知れない中、人々は電話ボックスに長蛇の列を作ったそうだ。
 宮城の内陸にて地震に遭った私は、三日ほど誰とも口を利かないで過ごしていた。携帯は充電の手段が絶たれ、大学の人間との交友もほとんど絶っていたから、沿岸で何が起こっているかさえ知らないまま、太陽を頼りに本を読んで眠るための疲労を蓄えていた。
 食料が尽き、バスタブの貯水も切れそうになったので、買い出しに行くしかないかと外に出てみると、電話ボックスで受話器を取っている年配の婦人が目に入った。その時はまだ停電にあっても機能すると知らなかったから、口が動いているのを見て、思わず立ちすくんでしまった。実家のある山形に助けの手を伸べられるだけの余裕があるかは分からなかったが、受話器を取ることにした。
 結果、その日の内に宮城を離れる事が叶ったのだが、向こうは番号通知に表示される見知らぬ数字を、はじめはどう受け取っただろう。続けて話しだされるあの時の声を、どう聞いていただろう。何も知らなかったくせに、誰かと話せたという事実に昂ぶって、軽々しく声をかすれさせていた記憶はある。はじめに息子であると告げなかったら、母親はまともに応対してくれていただろうか。
 迎えを待っている間に電気の供給が戻り、災害の全容は知れた。母親の車に乗って山形に向かっている間、三日の内に起きた事をそこで全て話し尽くすつもりのような、はしゃぐ口調を抑えられなかったのを覚えている。

                                    〈了〉