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I believe your brave heart

二・苛烈
 試合中はもっぱら望を見ている。だからクラスの何人かは私と望をくっつけたがる。それが最初の頃は面倒でうざったらしくて嫌だったが、別段何とも思わなくなるのもあっという間だった。慣れというものは恐ろしいもので、便利なものだ。
 卓球の申し子。望についてそんなことを書き付ける雑誌の文面を見て、あぁなるほどと私は思った。けど、それと同じ所で私は、違う、と確かに思っていた。
 望は卓球の申し子なんて綺麗なものじゃない。そんな神々しいものじゃない。公式戦で面と向かって立つことがない私が、見ているだけでわかること。きっとそれが記者にはわからないのだろう。
 あれは神様とか、そんなものじゃない。もっと傲慢で、最低最悪で、それなのに見ている人を惹き付ける。
 望はまるで傲岸な獣だ。対戦する全ての相手が、倒すべき障壁。壁は越えるものじゃなく、叩き崩し、穴を穿つべきもの。
 小学生の時に大人を何人も吹っ飛ばしながら、薄ら笑いを浮かべていたあいつの顔が思い出される。
 勝つことを諦めた人間に興味などない。大人の面子とか、そういうくだらないものに執着して、散々に粘り抗う人もいたけれど、そういう人の戦い方こそ、望が喜んで破壊したがるものだ。望の打球の鋭さは相手のレベルに合わせて変化する。より絶望するように。より苦しみが持続するように。
 擦り上げられる球が短い悲鳴を上げて、突き刺さる。そういう苦しさを相手に味合わせている時の望の顔は、とてつもなく安定している。おぞましい笑み。
 望という人間に、きっと魅力を感じる人なんていない。何を話しかけてもまともな返事は得られない。聞こえているのかどうかも悟らせないような微動だにしない顔。一日中同じクラスにいても一声たりとも聞く事が無い、なんていうことはざら。というより、声を聞く日の方が珍しい。話をする人間の方を向くこともなく、ただ一つ興味を持つとすれば卓球の強い人間、それか強制的、つまり力ずくで意識を引っ張っていく力を持つ人――例えば父――のみ。
 つかみ所が無い、何を考えているのかわからない。他人の事をバカにしている。大抵の人が望に対して抱く印象。それはしょうがない話だと思う。
 幼稚園の頃だったか、もう一年生になっていたか、それはおぼろげなのに、望の打つ球と、その顔だけは妙に印象に残っている。
 パァン! かぁん! こんこん。床で跳ねる球の音がする方向に私は球を拾いに行き、そして望に文句を言う。もう何度この方向に球を拾いに行ったのか数えきれなくなっていた。
「ねぇ、のぞみ。はやいよ。それに、なんでこっちにうつの」
「…………」
「のぞみ。きいてる?」
 望が我が家でプレイする卓球、というものの何に興味を抱いたのか、今ではもう思い出せない。けど、私は望が始めてすぐに追う様にして卓球を始めた。最初は父や日向さんや猛さんに相手をしてもらっていたけれど、いつの間にか私たちは二人でラリーを続けられるようになっていた。
 だが、望は私が当時取ることのできなかった方向――バックの深いコース――に意図してドライブやスマッシュを打ち込んでくるようになった。続けることを目的に相手の打ち易い所へ打ち返す、という基本を、望はまるで理解していないようだった。何回説明しても、聞く耳を持っていないようで、知らん顔をする。それを誰に言っても、そして誰から言われても、望は変わらなかった。日向さんの前でも、猛さんの前でも、父の前でも。
「どうしてのぞみはバックにうつの? わたしをこまらせるのがたのしいの?」
 二人きりの時に、一度だけ怒って私も望に詰め寄ったことがある。珍しく、望はこう言ったのだ。
「なぜあれがとれない?」
 怒り返すでもなく、謝るとかでもなく。本当に、単純に、純粋に、望は望が思う通りにならないことへの疑問だけしか抱いていないようだった。
「のぞみ。こわいよ」
 あの時の望は、
「ねぇ。どうして、わらっているの? のぞみ?」
 まぁ、そういうことだ。と私は思っている。
 それから数年後の、とある日の大会の応援席で、
「目にゴミが入っちゃってね」
 と言って目を拭う日向さんが、私に笑ってみせた。だからどうしたと聞かれても、ただそれだけのこと。日向さんが泣いていることが物珍しいものだから、記憶に留まり続けている。ただ、それだけのこと。
 家が近所で幼馴染。こういう関係は学校では実に便利だ。お互いどちらかが休めば片方がプリントなり連絡事項なり明日の時間割なりを渡しにいける。望がそういう時に役に立つかどうかは微妙な扱いだが、そういう時は兄か弟が違うクラスにいるのだから、そちらに頼めば良い。似通ってはいないが三つ子である私たちは三クラスのそれぞれに振り分けられていて、望とも確実に誰かが一緒のクラスになっていた。
 今年からはそこに豪が追加された。望は役に立たない。仕事をすっぽかしたりしたこともあるし、何より学年中で噂になってしまっている騒ぎのせいで、クラスの人間全て――そう。担任まで含めて――が望をプリント渡しの役割にすることを避けた結果、私がそれを押し付けられる羽目になった。
「そんなに学校行くのが嫌か。ガキか」
 と、私は朝っぱらから電話口で非難したが、その向こうから聞こえる、
「けほっ。バカ、そこまでガキじゃねぇよ。俺だってな、げほっ。休みたい訳じゃねぇし、ごほっごほっ。熱まであるんだから、さ、げふっ。……わかんだろ? 頼むわ」
 という声には確かな苦しさを感じ取る事ができた。
 舌打ち一つ。部活を終えて望の家の隣、豪の家のインターホンを押して、さっさと終わらせてしまおう。そう思った時に、
「椿お姉ちゃんこんばんは」
 と声をかけられる。黄色の髪の毛をポニーテールにして、緑色の大怪獣、ガーゴンの形そのままにデザインされたリュックサックを背負った背の小さな女の子、真由実だった。
 彼女の父親である猛さんがドイツ人とのクォーターである関係からか、その娘である真由実にもその形質が遺伝したようだ――つまり、望の妹だ。望の見た目からは信じ難いが――。
「豪兄さんに連絡の紙を渡すんですか?」
 その問いに私は無言で頷いた。笑顔を向けるでも無く、視線くらいしか合わせない私のこういう態度が周囲には生意気に見えたり、もしくは望とそっくりに見えたりしてあまり良い印象は受けていない。
 だが、兄の所為で慣れっこになってしまっている部分もあるのだろう。真由実は私のそういう素振りについて何も言わず、自分の気持ちを述べ続けた。
「豪兄さんに渡すんなら、お兄ちゃんが行けば良いんです。一人だけ何食わぬ顔で帰って来てまた走りに出かけたんですよ。自分勝手過ぎです」
 その顔を見ると、十中八九、望と言い争いを繰り広げてしまったのだろう。そしてその伝わらなさに本気で憤慨している顔――真由実は望とは真逆で非常に分かり易い――をしていた。
「…………」
 私が小声で呟いた声は、憤慨した真由実に伝わっているだろうか。そう思って真由実を見るが、
「昨日も、ちゃんと謝ったらどうなのって言ったら、何を? ですよ? 信じられない! あんなに殴り合っておいて! 二日連続でですよ? 男の子って理解できない! いや、年上だから男の人、ですか? どっちでも良いですけど。そもそもナンセンスなんですよ。原因は誰も教えてくれないからわかんないんですけど。でもどうしてそうやって暴力に訴えて……」
 伝わっていないのは確実だったし、止まりそうにもなかった。だから、
「先に暴力に訴えたのは豪だ」
 という事実だけを伝えた。
「……え?」
 一気に冷静さを取り戻したように見えたのだが、
「じゃあ何で豪兄さんはお兄ちゃんに謝ってないんですか? いや、もう謝ってるんですか? お兄ちゃんそこも全然答えないし、皆もう終わった事だから〜とか言って全然教えてくれないし、というかそもそもの原因とか何だったんですか。試合に関係していることくらいは想像付くけど、やっぱりお兄ちゃん何かしたんじゃないんですか……」
 また止まらなくなる。子どもだからしょうがないと言えばしょうがないが、溜め息が出る。
「……あ」
 溜め息を吐いた私を見て自分が喋り過ぎていた事を悟った真由実はここでようやく黙った。
「……怒ってます?」
 と律儀に確認までしてくる。私はこれくらいのことで怒る程短気ではない。部屋でテストの勉強中、とかいう状況なら話は別だけど。
「何も考えていないし感じてない」
 そう端的に答える私の顔を、真由実はじっと見つめ続ける。本当に怒ってないですか? そう尋ねたそうな顔をして。
「何も私の顔から読み取れないんだから本当に何も考えてないし感じてない」
「本当……ですか?」
「強いて言うなら」
「言うなら……?」
「いや、何でも無い」
 私はそう言いながら自宅の門扉を指差して、
「真由実は早く帰りなさい。そうしないと、そこで隠れて人の話を盗み聞こうとしているオヤジに攫われちゃう」
 話を一方的に打ち切る。
「何その犯罪者超怖い」
 門扉に隠れていた車椅子がひょこっと現れる。
「またもー。おじちゃんは女の子の話をコソコソ聞いちゃダメって何回言ったらわかるのかなー?」
 真由実が父親のところにぱたぱたと走っていく。それを良い機と捉えて私はさっさと豪の家のインターホンを鳴らして豪の母親にプリントと連絡事項の簡単な説明を済ませてしまう。望でなく私であることをそれとなく聞かれたが、そこに何ら意味なんかないということを説明するのは、退屈だった。
 家に帰って夕食を摂ろうとした時に弟、勇邁が道場から帰って来た。
「いつも通りだな。それじゃ、いただきます、と」
 父が両手を合わせ言うのと、
「まだ手ぇ洗ってねぇだろうが。ちっとは待とうって気にならねぇのかよ!」
 という勇邁のツッコミ。まさしくいつも通りというか、繰り返し過ぎて何も感じないやり取り。その食事中だった。
「なぁ。望のことなんだけど、さ」
 勇邁が口を開いた。
 望は何も感じちゃいない。予想でしかないけど、多分当たっている。あの時小声で呟いた事。それがわかる私としては、気が重い時間の訪れに鼻で笑うような溜め息が漏れるばかりだった。

〈続〉