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対談 日居×小野寺 「突然な女たち」(日本小説技術史第三回)



 

日居月諸: まず著者は「襯染」を話題にします。

小野寺: 「しんせん」

小野寺: 「したぞめ」と読みます

これは前章から引き継がれる馬琴の稗史七則中の小説技術のひとつ

作品の読ませどころに先立って、その事件なり人物の言動なりの背景や由来                              などを効率的に書きこんでおく技法

日居月諸: 言ってしまえば広い意味での伏線と取れるものですね

著者は馬琴の言などを引用しながら、この「襯染」を作者にとっては苦の種だとしています。

日居月諸: 小説において中心となるのは行動や会話です。ただ、行動や会話にいたらしめた理由を読者に納得させるため、背景を説明をしなければならない。しかし、説明をすれば話が進まなくなり、冗長とも取られかねません。だからこそ、苦の種だとしている。

小野寺: 「後説法」(前に起こっていたことを後から語る倒叙形式)これが近代化(下染の)

日居月諸: しかし、こうした近代化は襯染自体の活性化は生んだものの、襯染への懐疑は生まなかった。馬琴の「偸聞(たちぎき)」をうたがえなかった馬琴以降の作家のように。第二章で扱った四迷や鴎外はいうまでもなく、襯染の影響力は鏡花にも及びます。

日居月諸: たとえば「外科室」で鏡花は手術のシーンから書き起こします。その後、外科室で起こった事件を説明するために、執刀医と患者である伯爵夫人の出会いを描く(これが襯染となる)。外科室でのシーンを説明するには、この出会いのシーン(原因)は説明不足とも呼べるものですが、鏡花にとっては結果(外科室でのシーン)が鮮やかになれば問題なかった。小野寺: ざっくり言うとどんでん返しみたいなものなんですね

男性作家、露伴、鏡花、いずれも下染の影響下にあり、近代化(後説)はしているものの不十分であったということです。

日居月諸: 続いて、男性作家が成し得なかった襯染の克服として、作者は樋口一葉を持ち出しますね。

小野寺: 一葉作品に現れる女性が突飛な行動や狂気じみた印象を与えるけれども作者は作品の流れを断ち切ったり、下染のような来歴を書き込んだりしない

日居月諸: もともと一葉作品の草稿には来歴などが書き込まれていました。ただ、完成稿においてはそれがバッサリと省かれている事が多い。一葉が襯染を意図的に排していることは疑いありません

日居月諸: 基本的に一葉作品は過去を説明することが少ないと作者は言います。仮に過去を持ち出すことがあっても、現在の出来事によって想起されている場合が多い。同様に、登場人物の心情も、性格や気質ではなく、出来事が作り出すことが多い。

日居月諸: ただ、それが「にごりえ」では崩れていきます。襯染を強いる、「男性」が登場してくる。

小野寺: 結城朝之助

小野寺: が男性的な下染の世界に一葉作品を導く

小野寺: (結城=一葉の師匠半井の影がうかがえるのではと思います)

日居月諸: ただ、ここで一葉の作品世界は新たな広がりを見せていきます。

日居月諸: 「われから」では離れ離れになる母娘のことが描かれています。一葉は例のごとく切断的な叙述を使って、襯染を排していきます。どうして母が去って行ったかはわからない。しかも、(主人公である)娘は以降母と出会うこともない。

日居月諸: 同時代の匿名合評ではこの点は非難されています。要するに、男性は襯染を要求した。

日居月諸: ただ、母と娘のつながりがとぼしいのはあくまで表面上の事です。実際のテクストは、母のたどった人生を娘が追っているという仕立てになっている(特にこれといった説明もないまま)。

日居月諸: つまり、母の人生が娘の行動を裏書きしている。とても巧妙な技術を使いながら。

小野寺: 有機化に反応する読者の分身としての作中人物(リカルドゥー)

小野寺: つまり縫合するのは読者ということですね

日居月諸: 読者は母親のことを読んでいる。母親の行動があるから、娘の行動もわかるだろうと一葉は見込んでいる。裏側では、実は高度な襯染が行われていたと著者は指摘します(区別をつけるために「縫合」と記していますが)

日居月諸: あらすじはこんなところでしょうか

小野寺: はい。ご苦労様です

日居月諸: 3章は実際のテキストからの引用、および検証が多かったのでいくらかはしょった感がありますね

小野寺: けっこう細かい論証や反駁が多くて作者の意図したところを読み解くのに骨が折れました

小野寺: それと今までの章はあらすじを知っていたり讀んだことのある作品(鴎外、四迷)が多かったのですが、一葉は自分が数作しか読んでいなかった。秋成、露伴、鏡花も読んでいない作品への言及でした。

日居月諸: とはいえ書き手としては中々実践に使える話でした。はじめのほうで、襯染を読者に納得させるための技法と言いましたが、一方で作者自身が納得するために使う技法でもあるかもしれない。自分が書いているものがどんなものであるか確かめながら、狂気に呑まれないようにするための。

小野寺: まさにそうですね。推敲で下染めいた部分は裁断していった一葉の方法は小説技術としてごくごく基本的なことなのかもしれません。

小野寺: そういう意味で読者がどの程度まで理解するだろうかという自意識は多いに活用しなければならないと思いました

日居月諸: 勇気がいることですよ、文と文のつながりが取れないままのものを完成稿として出していくっていうのは。(第三回終わり。つづく)