インターネット登場以前、コミュニケーションの基本は対面だった。場所を決めて会い、身ぶり手ぶりをまじえ、顔を見て話す。それが当たり前だった。
ところが今、twitter文芸部の活動は、skypeやtwitterといったコミュニケーションツールに依存している。ここではお互いの顔を見ることはできないし、身ぶり手ぶりも伝わらない。相手の表情は認識できない。話し言葉、書き言葉によってしか、我々はお互いを判断できない。オフ会が散発的に開かれてもいるようだが、大半の部員はお互いの顔を知らない。
これはかなり現代的な事象のように感じる。以前にも電話があった、と言う人もいるだろうが、さすがに「電話文芸部」は存在しなかったに違いない。
インターネット登場後、情報の伝達スピードは上がったはずなのに、判断材料が限定されているために、その情報を誤解なく受け取ることはきわめて難しくなっている。言葉を専門に扱っていると言ってもいいtwitter文芸部にとっても、それは例外ではない。
春号では、あくまでも我々が追い続けている「言葉」を駆使することによって関係作りのできる雑誌を目指したかった。
新入部員であったPさんはその意図を十分に汲んでくださった。Pさんが提案されたアンケートに、たくさんの方の協力をいただいて、とても嬉しかった。みんな書き方はばらばらだ。常識や定型といったものにとらわれない、そこが素敵だ。
うさぎさんには、twitter文芸部の部員と近代現代文学の最前線で活躍してきた作家がクロス(関係)する表紙を作ってもらった。ここには「やってやろう」という意気ごみと、作家への愛が感じられる。
小野寺さんには今回も文庫版『Li-tweet』を作っていただいた。これはたいへんな労力のもとに出来上がっているけれど、おかげで誰にでも手に取りやすい、読者とコミュニケーションができる雑誌になったと感じる。
6さんは今回原稿を出しておられないけれども、かれの存在なくしては春号は完成しなかった。部員への丁寧な連絡や、綿密なスケジューリング、冷静な判断など、困ったときに頼りになるベテラン編集部員だ。
今回、たいへん多くの原稿が部員から寄せられたのも嬉しかった。twitter文芸部は春号によって、また新たなステージに入ってきたように思う。この充実したコンテンツをどれから読もうか。文芸誌を眺めながらそんなことを考える時間は、とても楽しい。
春号が部員同士や、部外の「文芸」好きの皆さんにとって、関係をさらに広げ、深めていくようなものであればいいと思っている。ネット時代のコミュニケーションを一歩先へ進められるなら、それは大きな喜びだ。
(春号編集長/イコ)
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ちなみに春号の最初の編集会議(確か1月だった)で、編集部が1人ずつ、こんな雑誌にしたい、という目標を出している。さて、これらの目標が達成できていると、さらに素晴らしいのだけれど……。
【みんなの作りたい雑誌】
イコ:つながりのできる雑誌
6:子供のような感性で作る雑誌
うさぎ:ゴツゴツしていない雑誌
Pさん:カラフルな雑誌
小野寺:あんまり専門的でなく敷居の低い雑誌