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わたしの愛する作家たち best5

「わたしの愛する作家たち」という特集にちなみ、部員のみなさんから「わたしの愛する作家たち best5」というアンケートを取りました。

部員それぞれ、「わたし」の愛する作家を上位5名に絞り、その作家各々への思いをひと言ずつ書いていただきました。順位を付けている人、そうでない人、5人以上は挙げていない人、それ以上挙げていただいた人、いろんな角度/尺度からのアンケートが集まり、とても興味深いものになりました。みなさん、ありがとうございました。

以下、名前(文字コード)順で回答結果を載せていきます。(P)

夏目漱石

書かれている内容も政治的であり、書き方も政治的だと感じます。小説の方法の源泉のような書き手だと思っています。ロマンティックなところも大好きです。

ル・クレジオ

荒々しい風景描写に強く惹かれます。胸ぐらをつかまれてよろめくような海と光の描写。 いつまでも読んでいたい書き手です。

イタロ・カルヴィーノ

やはり『木のぼり男爵』が大好き過ぎます。古典のような説話的物語を現代において書き直すという姿勢に憧れています。

多和田葉子

世界を生きていくうえで言葉について考えることがどういう意味を持っているのかを小説の中で示しているように読めます。ユニークかつ斬新、こんな書き手になりたいです。

磯崎憲一郎

時間と風景を交叉させて新しい風景描写の意味を提示した書き手として尊敬しています。文体も密度があり、読んでいてとても興奮します。
(順不同)

Pさん

1 佐々木中 書くことは筆が擦れることであり話す時のしわぶきでありフォントの最小単位であるベクター曲線であり紙の味でありスペルを憶い出す時の指の動きであるというそのことを教わっただけでも幸いだと思って 2 保坂和志 いるが、その人への通路を作ってくれたのがこの人で、言語芸術である小説も身の振舞い方によっては他の芸術、音楽や絵画に近付くことが出来る、特に音楽はこの人の中では小説よりも重要だというフシ 3 Aphex Twin もあり、その音楽家の中で僕が一番尊敬しているのはこの人で、音が発生する淵源としてのモノとモノがこすれる瞬間に一番沿うているのがこの人の音楽で、これ以上のフェティシズムを持っ 4 青木淳悟 ている人はいないのではないかとすら思えるがそれを持っているのがこの人で、まるで雨の日に皮膚に張りついてくる衣服のようだ、パンフレットの一文や英会話の場面などを引用する際そのヒリつく空気 5 模造クリスタル 感まで引用してくるのだが最後に一人だけプロではない同人漫画家を応援する気持ちでここに挙げる、プロにはならないと断言していたそうだが、いずれ否が応でも市場に引きずり出されるだろう!

あんな

私の愛する作家ベスト5、考えてみたけれど、すごく難しい。ということで勝手に作品名で、順位なしで答えさせてもらいました。

アントニオ・タブッキ「インド夜想曲」

タブッキの小説がなんで好きか色々考えてみたけどやっぱり死について常に考えているところだと思う。

堀江敏幸「河岸忘日抄」

コーヒー飲みながら音楽聴きながらひたすらぼけーとしているような気分になれる小説。こんなに何もないのに心地よい小説あまりない。

山尾悠子「ラピスラズリ」

何もないところから美しいガラス細工のような世界を作り上げる山尾悠子さん。職人だ。

多和田葉子「文字移植」

言葉について考える時必ず読み返す本。

芥川龍之介「歯車」

小説書き始めの頃に読んで衝撃受けて何度も何度も読み返している小説。

新嶋樹(イコ)

辻邦生

宮内勝典

三木卓

小川国夫

岡松和夫

(順不同)

古書店に行くと思わぬ出会いをすることがある。今でも版を重ねる有名な本の横にひっそりとならんでいる、今ではめったに名前を聞くことのなくなってしまった本である。

たいていはほとんど手に取られることもないか、人から人へ回されているので、ぱりぱりにかわいているか、黄ばんでしまい、本として過ごしてきた年月を思わせる様子である。辻邦生の『サラマンカの手帖から』や宮内勝典の『グリニッジの光りを離れて』、三木卓の『われらアジアの子』、小川国夫の『リラの頃、カサブランカへ』、岡松和夫の『志賀島』などにはそうして出会った。以前は多くの人に読まれていたから今こうして手に取れるのだろうが、どれも書棚で発見したときは耳馴染みがなかった。あとで芥川賞を獲った作品が入っていると知っておどろいたものもある。

出会いはいつも偶然に過ぎなかったが、「文学」の引力を感じずにはいられなかった。10代、20代の自分は書店をさまよっていた。飢えたように本を探していた。新しい本よりも古い本を。みんなが読む名作よりも、自分のための一作を。

先に挙げた作品には、いずれも燃える太陽の下を歩き続けるような、熱く濃い青春があった。飛び散る汗のような言葉の粒は、10代、20代前半の自分を撃ち抜いた。たとえ多くの人から忘れられても、こんな青春の痕跡を一つでも残せたら、それはすばらしいことだと思った。

うさぎ

私の好きな作家は現代の作家です。

いとうせいこう、本谷有希子、阿部和重、川上未映子、舞城王太郎、村上春樹、長嶋有、松田青子、円城塔、山下澄人、綿矢りさ、金原ひとみ、佐藤友哉、町田康、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松尾スズキ、宮藤官九郎、野田秀樹、古川日出男、伊藤計劃、中村文則、絲山秋子、小山田浩子、山崎ナオコーラ、朝井リョウ、木爾チレン、山内マリコ、村上春樹、伊坂幸太郎、保坂和志、田中慎弥、西尾維新、有栖川有栖、綾辻行人、法月倫太郎、宮内悠介、津村記久子、藤野可織、青崎有吾、古野まほろ、朝吹真理子、青木淳悟、岡田利規、福永信、平野啓一郎、村田沙耶香、古屋兎丸、山本直樹、黒田夏子、向井豊昭、万城目学、窪美澄、高橋源一郎、江本純子、大人計画、劇団☆新感線、ナイロン100℃、劇団、本谷有希子、凛として時雨、アーバンギャルド、モーニング娘。14‘、椎名林檎、サカナクション、ももいろクローバーZ、東京事変、THE YELLOW MONKEY、ミッシェルガンエレファント、ブランキージェットシティ、吉井和哉、EGO-WRAPPIN、ユニコーン、奥田民生、ケラ&ザ・シンセサイザーズ、9mm Parabellum Bullet、GO! GO! 7188、岩城けい、大江健三郎、村上龍、村上春樹。

以上五名です。

だいぽむ

愛する5人の作家ということで、なかなか迷うところではあるけども、以下の5人に触れてみる。

深沢七郎

当時エンタメ脳だった大学生の僕は、突如深沢七郎という不細工な穴ぼこに落ち込んだ。

彼の作品には救いも、美しさも、同情もない。人間たちは貪欲に生活し、交尾し、孕み、産み、時が来れば虫ケラのように死ぬ。深沢はそれを一切飾り気のない単純な文章で淡々と描く。

当時漠然と人間は神聖なものだと思っていた僕は、いきなり現実を見せつけられたようで、しばらく凹んで立ち直れなかった。

立松和平

文学に傾倒し始めた頃、代表作である遠雷四部作にすっかり惚れ込み、作品を買い集めた。

彼の作品はどれも似通っている。

時代の流れという見えない敵にヤケクソで抗うが、金も知恵もないため、破滅をたどるしかない人たちが多く描かれる。

よくある作り物めいた「文学臭い台詞」「キザったらしい行動」は、彼の登場人物たちにはない。

人間味に溢れた身近な言葉で話し、どこまでも愚直に、みっともなく足掻いたり泣いたりする。

そういう人間らしさに僕は惹かれたのだと思う。

スタンダール

文学というと、最近ではもはや一部のマニア・オタクだけの世界になってしまっている感が否めない。

理由は単純、文学好きのための文学ばかりで、一般人が読んでもつまらないから。

しかし名作と言われるものは、文学にあまり縁がない人すらも巻き込み、圧倒する力があると思う。

スタンダールはまさにそういう作家で、当時まだ文学作品の楽しみ方がよく分かっていなかった僕を夢中にさせた。

「赤と黒」「パルムの僧院」などは、まるで異国の地の一つの人生を追体験したかのような感覚を覚え、読後もずいぶん長い間その世界から抜け出せずにいた。

ジャン・ジュネ

何よりも文章に面食らう。

他のどの作家にも似ていない独特の文体。

彼自身様々な犯罪に手を染め、刑務所で人生の多くを過ごした作家だからか、殺人、窃盗、詐欺、麻薬、同性愛などの非倫理的で汚いとされるものが、比喩の力で神聖な気高い行為に高められている。

描写があまりにも濃密で、血や汗の匂いでむせ返りそうになるので、数ページおきに現実に戻って息継ぎしなければならない。

あまりに凄すぎて、結局一作品も読み切れなかった。

サン=テグジュペリ

星の王子様が有名だが、個人的には夜間飛行も好きだ。

彼は飛行機乗りとして空を飛び回っていたわけだが、夜、世界はまだ圧倒的に闇の領域が多く、飛行は常に死と隣り合わせだ。

暗黒の中、計器だけを頼りに空を飛ぶ彼にとって、たまに見える人間たちの生活の光は、オアシスのようなものとして映ったのではないかと思う。

彼は人間の営みを、そのような闇の中に浮かぶ光のようなものとして、非常に美しく描写している。

フランス人は大概文章を美しく飾り立てたがるらしいが、彼の文章はその中でも情景を喚起させる力が強い。

どこまでも人間を突き放す深沢七郎も好きだが、どこまでも人間を信頼するサン=テグジュペリも好きだ。

しかしサン=テグジュペリはその人間達の戦争で若くして死んでしまった。
(順不同)

光枝ういろう

1 江國香織

何と言っても作品数が多く、初期の純粋恋愛作品、中期の不倫文学、そして現在の発展系とひとまずまとめた上で、中期たる『がらくた』『神様のボート』『スウィートリトルライズ』などを読んでみるのは如何か。『抱擁、あるいはライスには塩を』は私的に最高傑作。

2 村上春樹

『羊三部作』『ノルウェイの森』『スプートニクの恋人』『ねじまき鳥クロニクル』はオススメ。
 最初に読むことをおすすめできないのは『海辺のカフカ』『1Q84』等。

3 吉本ばなな

『アムリタ』という作品に注目していただきたい。第一部メランコリアの颯爽とした記述から始まり、第二部では主人公たちはサイパンに赴く。生きることの重さ、軽さ、そして悲しみを乗り越える喜び。エッセイも素晴らしいです。

4 田口ランディ

なんといっても3部作『コンセント』『モザイク』『アンテナ』を読むに尽きる。その奔放な表現と怪しい世界観は、人間の暗部への開口をあっという間に切り開く。個人的には『キュア』などもオススメ。

5 川上未映子

川上さんについては説明が容易い。『乳と卵』『ヘヴン』『愛の夢とか』の3作を読み比べ、いかに文体が違うかというのを味わうのが手っ取り早い。エッセイも多数。夫は阿部和重だが、それにしても川上さんの素敵美人さはやばい。

1 泉鏡花

2 高橋源一郎

3 W. G. ゼーバルト

4 アルフレート・デーブリーン

5 中上健次

安部孝作

安部公房

思春期に『箱男』と出会って震撼し今に至る。都市化(モダニズム)、バロックを根底に『砂の女』『燃えつきた地図』『密会』を著した。街中のゴミなどを撮影した写真は全集30巻の付録で見ることができる。

J. W. ゲーテ

『ファウスト』は生命を注いでくれる。『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスター』『ノヴェレ』詩劇の数々はどれも面白い。『色彩論』や形態学などの自然科学研究も重要な側面、その思想にも愛着がある。

ゼーバルト

『アウステルリッツ』『空襲と文学』『土星の環』他、白水社から出ているコレクションは全て読むべきと思う。戦略爆撃による焦土化、ナチス・ホロコーストによる心身の虐殺という経験を根とする破壊の博物誌的作品。

ガルシア=マルケス

説話や神話が僕は好きなので、このような小説を書くことができるのかと衝撃を受けた。『エレンディラ』の経験は今でも焼印のように皮膚感覚に残っている。『百年の孤独』も腹の底を疼かせ、血の汗をかきつつ読んだ。

マンディアルグ

この作家の作品はとにかく美しいと思う。遺跡や庭園建築に迷い込んだような、あるいは万華鏡の内部に落とされたような感覚がある。物が物によって映し出されて明晰に展開される。短編集『熾火』や『余白の街』など。

1 佐藤亜紀

単純に上手いから。日本が世界に誇るべき作家。もうどこに出しても恥ずかしくありません。読んでみて、としか言えません。

2 酒見賢一

文体が軽いのに、読んだ後、ほんの少し切なくなってしまうのが好きです。あと、文学賞に左右されない、固定ファンが動かない個人的に羨ましい作家。

3 山尾悠子

とにかく文体が綺麗。ステンドグラスみたい。硬質で強度のある文体なのに、生き物みたいに自然。唯一無二だと思います。

4 伊藤計劃

非常に繊細で美しい文体が好きでした。プロットも申し分なし。粗は確かにありましたが、それを差し引いても期待できる作家さんでした。亡くなってしまって残念。

5 イアン・マキューアン

外国の作家をひとり。面白いですね。村上春樹と同世代だと思いますが、彼のほうがずっとうまいと思います。

小野寺那仁

アルベール・カミュ

異邦人は完成度は高いけれどもその主張するところはやや偽悪的でカミュの正義感が伝わっているとは思わない。カミュは多くの作品を読まないと人柄を見誤る。彼は自由と幸福を謳う作家でありそれは悪と呼ばれるものになりうる。

アンドレ・ジッド

ジッドは文学を諦めかけた時に呼び戻してくれた作家、文章は極めて心理的であるが、クリアであり通俗的な内容でもある。彼は道徳を疑うが反道徳にはすれすれに陥っていない。そういう危うさが好きでもある。

大江健三郎

初期に限ってであるが思想的なものよりもサルトルから受け継いだ倫理観、反倫理観の表現が画期的であると思う。リアリズム小説は数少ないがそれは群を抜いている。たとえば「セヴンティーン」など。「個人的な体験」「万延元年のフットボール」までは熱狂した。

椎名麟三

この作家はキリスト教との関連を教えてくれたという意味で特別な存在でもある。今は表現面から自分の中での反発がひどいのであるが彼が書くことのできなかった経験が非常に惜しまれる。戦前と戦後を通じて同じ視線で描く可能性を持つほぼ唯一の存在でありながら戦後文学のブームに甘んじてしまって表現をなおざりにしてしまったのはあまりに残念で仕方ない。私は彼を卒業論文にした。

ヘンリー・ミラー

彼は詩的散文を長大にしたためる怪物である。怒涛のようなボキャブラリーと社会的な視点が融合されていて批判が単に批判に留まっていなくて彼によって生の讃歌を教えられた思いがする。彼の作品は何度でも読みたい、そういう意味ではもっとも愛しているのかもしれないがふだんは忘れてしまっている。


以上です。総論としてわたしの愛すると言うよりも私の愛したという過去形になっています。今読みたいと思ってる作家は読んだ本の数が少なく書けませんでした。そういう作家を挙げるとロレンス・ダレル、トマス・ピンチョン、ベケット、ヴァレリー、堀辰雄などがあります。
(順不同)

深街ゆか

わたしが好きな作家

つげ義春

十代なかばのころに「無能の人」を読んだときもっとはやく出会えてればなと思った。「退屈な部屋」の奥さんがマンガ描く道具持ってきてといった後のコマが綺麗で大好き。

しりあがり寿

弥次喜多みたいなナイスな漫画に出合えて幸せだと思った。「真夜中の水戸黄門」の一年生になったらを唄いながら悪代官の死体が川を流れていくシーンはとてもかわいくてお気に入り。
(順不同)

日居月諸

1 古井由吉

2 フリードリッヒ・ニーチェ

3 夏目漱石

4 ウィリアム・フォークナー

5 柄谷行人

今回古井の評論を書いたのは「家」の問題を取り上げるためだった。古井が愛読しているという漱石もまた「家」の問題、特に明治期になって現れるようになった、伝統から切り離された個人と個人が作る「家」の問題に取り組んだ人だ。そこへ行くとフォークナーは、南北戦争の終結という「近代化」が成し遂げられた後でも燻り続ける家系の呪縛を描いた人と言えよう。

今回は取り上げられなかったが、「家」の問題は実際の家庭に例を取らずとも現れてくることがあり、同時に「家ならざるもの」はネガティブだけでなくポジティブな概念としても現れることができる。ニーチェはポジティブな、キリスト教の呪縛に捉われない「家ならざるもの」の探究に精を出していた。近年になって遊動性の可能性を掘り出している柄谷もまたその一人だろう。そして他の三人もまた「家」の向こう側にある「家ならざるもの」を追求していた。

以上のように共通点を取り出してはみたが、特別「家」の問題について探究するためにこの五人を読んだというわけではない。第一この五人はそれぞれを掛け合わせることなく無関係に読み始めた作家達だし、「家」の問題が頭に浮かんだのも偶然だった。しかし、私の問題意識はほとんどこの五人を読めば炙り出せる。私の思考は、ほとんどこの五人によって規定されていると言っていいくらいに。

白熊

宮沢賢治

「銀河鉄道の夜」「オツベルと象」の世界観が好きだった。名前しか知らなかった「注文の多い料理店」を読んだらとても怖い思いをした。

志賀直哉

筆不精なのに小説の神様と呼ばれた。モチーフも身近なものばかりで文章も着飾らない。

司馬遼太郎

「燃えよ剣」などの幕末物が好きでよく読んだ。人物の捉え方が好きで、細かな描写や逸話が個性を感じさせておもしろかった。

夏目漱石

久々に読んだら懐かしかった。今でも読みやすく感じた。

芥川龍之介

一番最初に好きになった小説が「河童」だった。童話も好きになった。
(順不同)

藍野実

5 村上春樹

英語的な文章で時に大胆な表現をしているのが面白味があって登場人物の主観というより彼の主観を登場人物に乗せて書いているのがところどころ伝わってきます。

4 湊かなえ

読みやすくて展開が意外なものだったりして薄々結末がわかって飽きるということがないです。

様々な問題を物語に添えて訴えかけているものがあって面白いです。

3 宮部みゆき

賢い行動力のある少年が出てきて問題解決したりしていて、少年・少女が主人公なことが多いため躍動感をだすために柔らかい文体で、その中に主人公の力強さを表現しています。

2 越谷オサム

彼の青春小説は何回読んでも読み手を飽きさせない書き方をしていて、むしろ何回も読んだほうがおもしろくなっていく気がします。

いろいろな視点で読めて登場人物の思いがスッと心に染みていきます。

1 貴志祐介

彼は登場人物の設定よりトリックや登場人物の行動を重視して書いているので登場人物の思考の変化は少なく感じます。

ミステリーを純粋に楽しみたい時によく読みます。

緑川

ドストエフスキー

好きな作家を5人ですね、少々悩ましい設問ですが、まずドストエフスキー。

宗教的な側面では、日本人には追えないくらい濃厚です。この作家自身がほとんど中世の人かと思えるほどです。構成というか小説としてのスタイルについて言えば、ある程度小説を読みなれた人にとっては物足りないくらい通俗的だったり、いわゆる小説作法からみれば、しばしば破綻しかかっていたりします。

よく言われる難解さは、この作家の冗長癖にそう思わされているところもあるかな。

だけど、それらを補って余りあるのは、人間性への洞察の深さです。

人間にとって、人間ほど面白いものが他にあるでしょうか。

カフカ

そして人間性のある側面に強烈なスポットを当てたのがカフカかと。

光が強すぎてほとんどハレーションを起こしているかのようにさえ見えます。これ、「不条理」なんてよく言われますね。いわゆる普通の人が、カフカ的な状況(少々手垢のついた言葉ですけど)をどれくらい意識して生活してるのかはよく分かりませんが、大なり小なり誰でもが経験しているのかも知れません。

日常に潜むちょっとした不条理なんて少しも珍しくありませんし。

現代社会におけるカフカ人気も頷ける気がします。

エドガー・ポー

ここでエドガー・ポーを挙げてみます。

かなり不思議な作家です。推理小説の祖とか、恐怖、グロテクス、いや、他にもいろいろあるんです、この作家。深刻なものからユーモラス、さらにはなんとも名付け得ないはちゃめちゃな作品とか。

いや、素材に関しては、もともとジャーナリスティックな要素は強いですし、多種多様というのはいかにも有り得るはなしですけど、その見かけの多様さに通底している、神経症的な、どうしようもない恐怖心、そこが見えてくれば、この作家への興味が深まります。

チェーホフ

あと、やはりこの人には世の中や、人間そのものがどう見えていたんだろう? とさえ思わせる作家がチェーホフです。いや、たぶん作家本人は、先にあげた三人同様、普通に生きていたと思います。問題なのは、その、世の中や人間を描く手つきです。

技術、といえばたしかにそうなんでしょうけど、その距離の置き方。突き放し方、寄り添い方。おそらく、この作家より前には存在しなかった在り方なのではないかと。

そしてそれは今でも新しい。

夏目漱石

5人目。だいぶ悩みましたが、夏目漱石とか。

すでに日本文学の世界では語られすぎていて、これ以上何を言えばよいのか……、と言うしかありませんが、私なりに押さえておきたいのは、その試みの繰り返し、というスタンスです。既知の枠組みの中で立派な仕事を残す作家もいますが、漱石はそうではなくて、そんな規範のない場所で自由と苦難を共に味わいつつ何かを成し遂げた、さらに言えば、もっと成長し続けた作家であったのではないか、と思います。


以上、近代と現代の狭間で作品を残した作家たち、ということで、別に意識してたわけではないのですが、結果としてこうなりました。いわゆる古典でも現代でも好きな作家はいますけど、少々言葉にしにくいですね。機会があれば、取り組んでみたいですけどね。

(順不同)