芥川賞読書会第7回
作品:楊逸「時が滲む朝」
日時:平成24年8月20日(月) 22:30~24:30
場所:skypeチャット
ホスト:緑川
参加者:イコ、小野寺、6(途中参加)
緑川:では、始めます
緑川:さて、どこから入りましょうか? 切り口としてはいくつかありますが。お二人とも、この作品の評価は如何ですか?
緑川:じつは私は、正直なところ、それほど高くないんですよ
イコぴょん:とても好きです。良い、悪い、というような評価言以前に、感動しながら読んだことを、この場でお伝えしたかったです。
緑川:なるほど
小野寺:どうも不満が残りました。試みとしては面白いんですが。
緑川:好きというのは、人物に好感が持てたとか、そういうところでしょうか? それとも、試みとして
イコぴょん:ええ、人物にも好感がもてましたし、時間の流れと、背景としての社会を描いたところに、自分の好みを感じました。
緑川:身辺雑記にとどまらない。はい。そこは、私も同感です
小野寺:中国の体制というとてつもなく大きなものに立ち向かい歴史に参加しながらも結局は流されてしまったという感が否めません
緑川:「流され」って、うーん・・・、流れの中を精一杯泳いでいる印象でしたけど
イコぴょん:自分も、「流され」に同意なんですけど、かれらはかれらなりに、生活と愛国心を天秤にかけられつつ、必死に生きている。けれど一度家族を作り、生活に天秤が傾くと、もう甘ったれた学生ではいられない。たくみな青春小説だと思いました。
緑川:若さに加えて、人生そのものをテーマに捉えようとしている
イコぴょん:そうですね、人生の苦みが、とくにこめられていると思います。
小野寺:どうしてそう思うのかと言うとですね、自由と民主という共産主義体制にはない世界を求めて嫌っていた日本に来て、じゃあ日本には自由と民主が体現されていたのかと言うことが書かれていないことが不満なんです
緑川:書ききれてない部分が多かったということですかね、小野寺さん
小野寺:テーマがはじめと終わりではずれているんじゃないかと、それは文章や人物描写にもいえます
緑川:いや、それは思わなかったです。大きな夢を抱いた純な青年が、挫折を経験し、だけど捨て鉢になることなく、人生を自分の足で歩もうとしている。そこは、一貫した流れではないかと
イコぴょん:はい、一貫していますね。青年の考え方・生き方には変化が生じているけれども、作者の手つきはぶれない。
小野寺:そうですかね?
イコぴょん:小野寺さんが、テーマをどのようにとらえ、どうずれていると感じられたのかを、詳しくうかがいたいです。
小野寺:ですから中国という抑圧的な体制に反抗していたグループがいたわけですよね。その人たちは自由を求めていたし中国を愛そうとしていた。日本には一時的な避難のように滞在して活動は続けていた。けれどもだんだんと生活に追われてメンバーも減っていった。じゃあ何が言いたいのと思うわけです
緑川:社会制度といった大きなものと、個人という小さなものとの距離感は最初から最後まで変わってないかと
小野寺:日本にあったのは自由ではなくて生活苦なのか。それは、もちろん最初から最後まで無力だったのは否めません
緑川:無力というか・・・大状況の中で頑張ってるという様相が描かれていると私は読んだのですが
イコぴょん:↑の小野寺さんの読み方の、どこにずれがあるのかが自分には分かりません……
小野寺:ですから、自由をテーマに置くのなら日本はどうだったのという問題に答えてほしいということです。自由というのが経済的自由というのなら私はなにもいいませんけどね
緑川:作品のテーマと、主人公のテーマとで違うと思うんですけどね
イコぴょん:まだ分かりません……んー。
緑川:主人公は自由とか民主主義とかに憧れて活動しますが、それが作品のテーマかというと、どうなのかな
イコぴょん:自分も、そこにはそれほど重きを置いていない、と思いました
小野寺:ただ、作中人物は経済的には成功してるから挫折の人生とは言えないんじゃないかと思います
緑川:挫折の人生ではなくて、ごく普通に挫折も経験したという意味です。私がさっき言ったのは
イコぴょん:自由とか民主主義って、若者の、一時の熱狂だと思うんですよね。主人公たちは、巻き込まれタイプだった。甘先生につられていったのも、元は甘先生の授業に感動していたからです。けれど、かれらは民主主義についても詳しく知らない。自分が何を言っているのか、分かっていないんですよ
小野寺:それは時間がたつにつれて中国自体が変化してしまったことにもよるのでしょうね
イコぴょん:だからあくまで、社会は、彼らの青春をかたちづくる「背景」にすぎない。日本の立場を、そこまで描く必要はないと感じます。(あの、OLがお弁当を食べているくだりなどは、牧歌的で、あ、自由だな、なんか主人公たちが吠えてるのがばからしくなる感じもあるな、というほどに、日本の、ユートピアめいたところを強調しているようにも見えましたが)
小野寺:どうもそういうのが伝わってこなかったですね。書いてはいるんでしょうが
緑川:日本の社会を見ている主人公のまなざし。ところどころに、育毛剤の看板の場面とか
イコぴょん:日本って、政治的な話をするのが、なんとなく馬鹿らしくなるような雰囲気って、あるんですよ。
イコぴょん:「発毛力」に、いい感じに集約されてましたね
小野寺:それは同感です。
緑川:ここのところ、ちょっと話を戻しますとイコさんは、日本の立場をそこまで描く必要なないと言われてます。
小野寺:つまりは前半部分がやたらに政治的なモノや近代的なモノへの執着が描かれ過ぎていたということですかね
イコぴょん:そうそう、そうですね、小野寺さん
緑川:小野寺さんは、主人公の自国に対する言及が多いのに、その割に日本に対しては少なすぎると
小野寺:魯迅や文学サークルなども出てきたし。
イコぴょん:中国があまりに熱いし日本人からすると外国的なので、その立場が目立ちます。日本はさらっと書いても、日本人には分かる。
緑川:この場合、どうなんでしょうね。若くして外国に住まうことになった青年が、その外国をどういうふうに見てるか
小野寺:日本は得体のしれない国ですから仕方ないかとも思いました
緑川:そういう感想とか意見というのはたくさん出てくるものなんでしょうか? 主人公が、日本観察日記みたいな感じで、中国との比較をいろいろやるとか。そういう場面はたしかに少なかったかな
イコぴょん:なるほど。日本に来てからの場面は、駆け足でしたね
緑川:小野寺さんの言われることは、テーマ云々というより、そういうことなのかなという気もしますが。如何でしょ、小野寺さん
小野寺:いやあ、文学と言う以上は一度、自由や民主という切り口で始めたのなら決着をつけて欲しかったです
イコぴょん:前にも言ったことですが、やはり小野寺さんは、twi文では社会派ですね。
緑川:決着・・・、うーん、つけれるものだろうか
小野寺:いえ、一度口にしたからは、ですよ
小野寺:途中から情緒に移行してもそれは無理です
イコぴょん:もしそれを作者が描く気だったなら、もっともっと社会を書き込んだでしょうね。
緑川:けっこう、最初から情緒も濃厚ですよ、主人公が思想に引かれたのも情緒からといった意味合いが大きいし
イコぴょん:青年が大人になっていく話、と読めた自分には、天安門事件なども、あれくらいの書き込み量で心地よかったし、日本に来てからも、中国と日本との対照や比較など、考えずに読みました。(ただ、上の文脈で自分が言った「日本らしさ」も、書かれてあるから述べたまでで、やはり天安門事件の様子と同じで、背景として、うるさくならない程度の心地よさを感じながら読めました)
イコぴょん:情緒といえば、よく涙をこらえるんですよね。
緑川:多いですね。とても純朴な感じがします
イコぴょん:甘先生の、情緒的な読み方が、引き金ですからね。>運動
小野寺:たぶん中編だから納得ができなくて長編ならば納得するかもしれません
緑川:あと、私は小野寺さんの言われるように大状況と切り結ぶ主人公というよりは、自分の足で歩んでいる、この主人公の方がいいかなと。ただ、やっぱり日本のことももう少し書いて欲しかったというのはあります
小野寺:アメリカにいった女の子がモデルにされたっていう話があったのですが、自分も大差ないだろうって思わないでもない
緑川:自分、って、主人公のことですか?
小野寺:そうです
緑川:いや、それは違うと、いや……、ああ、そっか、下着モデルにされた女の子の事情とか内実は全く描かれてないので、そこは比較のしようがないかと思います
緑川:えっと、ちょっとここで角度を変えて、この作品、やっぱり長編だった方がよかったんですかね? いろいろと書き込まれていた方が
小野寺:そう思いますね
イコぴょん:今の尺で、何枚くらいでしょうか。長めの中編、という感じですよね。
小野寺:時間がかなり流れている
緑川:小野寺さんが、最初に、試みとしては面白いと言われたのも、そういうことですかね
小野寺:私は思想が解体される行程というのはとても興味があります
緑川:思想というほどのものだったんだろうかと私は思いますけどね
小野寺:でも先生は頑張っていたじゃないですか? 馬先輩とか
イコぴょん:180枚くらいですね、この作品。
小野寺:あれ、そんなにあるんですね
緑川:思想云々よりも、日本での生活、日本で主人公がどのように考えたのかとか、そこはもう少し欲しかったかな
イコぴょん:数えました
小野寺:雑誌の初出を読んだから多少異なるかもしれません
イコぴょん:日本についての書き込みが中国の書き込みほどでないのは、たしかにもったいないですね。もっと日本について勉強して、日本語で、日本の雑誌に発表することを自覚した作品を書いてほしい感があります。
小野寺:中国パートは古臭いし大袈裟だけどそれなり面白い、日本パートはありきたりな感じがしました
小野寺:日本パートで事件を起こして欲しかった。中国からのスパイと戦うとか
イコぴょん:これが選ばれたのは、ヤンイーさんが中国人だという単純な事実よりも、この国を越境する文学の方向に、委員が可能性を感じたからだと思うんですけどね……。今の日本人にとっては、すごく新鮮に読める作品だと思うんです
小野寺:前半の中国パートがどのくらいのリアリティがあるのかが分からないです
イコぴょん:学生運動をやっていた頃の人からすれば、なんか懐かしい感覚を覚えるかもしれないけれど、若い人にとっては、こういう中国人のすがたって、なかなか周囲の人間関係では分からない。
小野寺:そうですね。中国人インテリの屈折みたいなものですね
イコぴょん:三田誠広や、柴田翔を読むと、その屈折具合は、なんとなく分かるんだけれども、今の日本人は、OLがランチタイムですから。
緑川:これから変わってくるのかもしれないですけど、日本の状況。でも、この作品が受賞した時期に
小野寺:もうだいぶ変わってます
イコぴょん:そうですね、アクチュアリティという言葉で、言えると思います
イコぴょん:そうは変わってないと思うけれど。「発毛力」なんて、今でもありそうだ。
緑川:しかし、中国からのスパイと戦うってw たとえば、差別を受けたとか、中国と日本の男女関係がずいぶん違っててとまどったとか
小野寺:実は二狼はカンフーの使い手でスパイをなぎ倒すとか
緑川:そういう場面は、どうなんだろ。無駄ゴマなのかな
小野寺:差別は出してもよかったと思いますね
イコぴょん:遠く時間をこえて読まれる、ということを念頭に置いたうえで、この作者は、一回限りの、過去になる社会を描くよりもむしろ、青年が屈折しつつ、大人になっていく姿を、普遍的な姿として提示したいという思いで、描いたんじゃないですかね
イコぴょん:やはり自分には、そっちに力点が置かれているように思うんです。
イコぴょん:差別や、男女関係を描きすぎると、なんだか、別の問題が大きくなってきて、小説を壊しかねないんじゃないでしょうか
緑川:なるほど。そこのところが、分かりかねた
小野寺:私も分かりかねた
緑川:駆け足すぎる気もしたし、ただ、書きすぎると消化しきれないかとも思った。どうなんだろうと
イコぴょん:でもずいぶん慎重に、書くことを選んでますよ
緑川:ふむふむ
イコぴょん:いじめを受けたっていうのが、何度も出ているのに、そこから枝葉を一切伸ばさなかった
イコぴょん:これはやはり、作者の意図だと思うんですよね
緑川:完成度の方を優先させたということですかね
イコぴょん:そうですね、ただ、前半の密度に比べて、後半、密度が落ちたきらいはあるので、小野寺さんもおっしゃるように、これを長編にすれば、もっと良くなったかもしれない
緑川:受賞理由のことを、さっきイコさんが言われてましたけど、他に、もしかすると、この作者はこの作品をもっと充実させて大長編を書くかもと思った選者もいたのかなと。 じつは私はそう思った
小野寺:中国人ならできるはずだ
イコぴょん:今、選評読んでます。池澤夏樹が、やはり密度の違いを指摘している。
緑川:ふむふむ
イコぴょん:『書きたいことは中国と日本、中国語と日本語を越えたところから生まれたものだ。ここには書きたいという意欲がある。』
イコぴょん:いつもながら、すてきなことを言っています。大長編について、言及している人がいるか調べています。
イコぴょん:黒井千次が言っていました
緑川:うぅむ
イコぴょん 『ただ、激動する時代を生きる人間の歳月をこのような書き方で描くとしたら、それは長編小説がふさわしかったろう。その素材を中篇といった長さに押し込んでしまったところに構成上の無理がある。』
イコぴょん:基本的には肯定していますね、みんな。否定している人も、一定の評価はしている。
緑川:なるほど
イコぴょん:村上龍は手厳しい。けれど否定の文脈が、「関心をもてなかった」だからなあ……。
緑川:主人公がまじめすぎて嫌だったとか
小野寺:この作品から学ぶべき点というのはありますかね?
イコぴょん:それについては話したかったところでした。>学ぶべきところ。自分は、「時間」の描き方と、無理なく過不足ない説明に、大いに触発されました。詩を挟む方法もなかなか効いている。
緑川:早朝の場面がずいぶん多い、その使い方が上手い。作品に一定の雰囲気を与えている
小野寺:私は、よく理解したとは言い難いのですが、多くの漢詩が引用されていてそれが彼らの激情の代弁なのかと思いました。日本パートではそれが尾崎豊なんですけど。
イコぴょん:尾崎を思わず歌ってしまいました
緑川:そこ、繋がってますよね。情緒ってとこで。テレサテンもそうだし
イコぴょん:そうですね
小野寺:民衆の気持ちは詩や歌謡曲にあるということでしょうか
緑川:技術って言っていいのかな、そういう部分
イコぴょん:それあると思いますね>小野寺さん。技術ですね、というか、日本人も昔はよく歌を挟んでいたのに。源氏物語とか。
緑川:今の日本の小説って少ないのかな。著作権の関係なのか
イコぴょん:あまり見ませんね。ヤンイーさんもちゃんと許諾をとっている
緑川:月並みな印象を与えかねないので難しいというのもあるのかな。通俗的な印象、か
小野寺:けれど、テレサテンや尾崎はちょっと使えん
イコぴょん:風俗小説の域を出ない、と選者も言っていますが、こういう風俗は、庶民を描く上では大いにアリだと思うんですよね
緑川:映画とかテレビドラマとかでは多くても、純文学だとけっこう冒険になりそう
イコぴょん:自分も小説に、尾崎豊の歌詞をトイレの壁に落書きした男の挿話を入れました
緑川:あぁ、そうでした
小野寺:そんなに違和感なかったですね
緑川:ミスチルとかシャ乱Qのグループ名を入れたことはあります。自作に
イコぴょん:風俗を、ろくに描くつもりもないのに使うと、逆に浮くんですけど
緑川:あの時代を入れたかったですね、私は
イコぴょん:開き直ると、いい感じに使えますね
緑川:ちなみに、テレサテンは作中の時代、中国ではほんとに、あの時代の象徴と言えるくらいすごい存在だったらしいですね
小野寺:暗殺説ありますね
イコぴょん:へぇ
緑川:らしいですね
緑川:楊逸さんと同世代の、中国人のインテリ女性、個人的に知ってまして、そう聞きました、テレサテンの存在の大きさ
イコぴょん:ふむふむ。ヤンイーさんは、歌を、覚悟決めて、取り入れてますよね。勘所に、必ず入れている。尾崎が今も聞かれていて、あの曲は時代のずれた自分も歌えるくらい好きな曲で、日本人の心を、間違いなくくすぐりまくった曲だと思うんですけど、そういう曲を選びとって、きちんと大事なところで、思いをこめて使っている。
緑川:入れたくなってきたな、自分も作中に歌詞を
イコぴょん:そういう覚悟が要るのかな、と思いますね。なぜ使うのか?がよく分かるように。
緑川:あぁ、絲山秋子さんは、海外のロックを入れますね
イコぴょん:絲山さんも、ハンパでは決して使わないですからね。作品の雰囲気作りに、すごく寄与している。
緑川:花村萬月氏もそうか。考えてみれば、あることはあるんだ
イコぴょん:少し前だと深沢七郎みたいな、自分で作って歌うパターンもあるな……。
小野寺:歌と言うよりは詩のほうに関心があるのですけど
緑川:詩も、人口に膾炙したようなものなら、同じような効果、あるかな
イコぴょん:詩をうたいあげるように読んだ甘先生からもわかるとおり、詩と歌は、ほとんど同じニュアンスで使われていますよね。まじめな詩しか知らなかった中国の若者には、テレサテンは劇薬だったようだけどw
*** 緑川がを追加しました ***
緑川:こんばんは!
イコぴょん:こんばんは
6:こんばんはスイマセン、読んでいないので見学させて頂きます……って、もう終わりかな。
緑川:あぁ、劇薬っていえば、自国の民主化ってことへの盛り上がりも、当時はすごいものがあったらしいです。民主化要求か
イコぴょん:ふむふむ、重ねられているのかもしれませんね。歌と、自由への熱狂。どちらも一時の流行、ということで。
緑川:ほんとに、全土の学生が興奮してたらしいですね。リアル知人が言ってました。そして、天安門事件がショックだったと
イコぴょん:あの事件のショック、というか影響は、よく描かれていましたね。退学させられたくだりは、自分も読んでいて、けっこうショックだった
緑川:あと、父親が良い味出してた
イコぴょん:1ページ目が最高ですね。いきなり父親のカゲがちらつく
緑川:はい。それが、退学の場面であのセリフ
イコぴょん:あらっ、と思いますね
緑川:それと、単行本の180頁
イコぴょん:文藝春秋だと何ページだろうw
小野寺:こっちは文学界
緑川:香港返還の直後、父親に電話をかけたとこです
緑川 「父さんも若い頃に何度泣いただろうか」って辺り
イコぴょん:ああ、把握しました。あそこ、ちょっとイイです。ほんで詩を読むくだりになって、ほんと泣けてくる
緑川:で、翌朝が、また早朝の場面
イコぴょん:けっこう泣かせますよ、まったくもう
緑川:さっきも言いましたけど、朝の使い方が良いですね
イコぴょん:時が滲んでますよね
6:(母国語で外国を描くよりも、外国語で母国を描く方が難しい気がする・・・まだ読んでいない単行本ちらちら)
緑川:作品全体にわたって上手く使われている
イコぴょん:そうですね。ふぅ、小野寺さんは、お休みかなw あ、3分前に発言されてた
イコぴょん そろそろ、失礼しようかと思います。今日はありがとうございました
緑川:では、私も落ちるかな。そろそろ限界かも
緑川 ありがとうございました