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第5回「終の住処」

日:平成24年8月2日

ホスト:6

参加者:イコぴょん、フランツ、緑川、Rain坊、小野寺、6

 

6:今回、ホストをつとめます僕は作者磯崎憲一郎の作品が好きで、とてもファンです。

しかしこの芥川賞受賞作品についてはネガティブな評価を一貫してあたえつづけてきた。。。

ところが今日、読み返してみると興奮がとまらないほど、おもしろくて息ができないくらい文章の魅力にやられてしまったところがあります。 みなさんは、どうでしたか?

小野寺: 前半と後半ではだいぶ違うような気がしました

6: なるほど・・

小野寺: 前半は高度経済成長にありがちな日活ロマンポルノのような世界。後半は主人公も出世してビッグになってもともと壊れかけていた家族が完全にいなくなりそうな、でもなんとなくいるような現在性がある。

6: 全体を通してみて、どうでしたか?

小野寺: まあ、ざっと再読した印象ですが、あるあるの小説です

6: あるあるの小説?

小野寺: 読者が、ああ、あるあると納得できるような(おっさんに限る)事象のつみ重ねですね。これおっさんじゃないと共感しにくいかも

フランツ: (やたらとあるある、と思った俺の正体はおっさんだったのか……)

6: わかります。それでいて僕はこの小説にかかれている自分より未来の部分については、まだ当然経験していないのですが、「きっとそうだろうな」というのが・・・周りの大人たちの話などをきいておもいます。

6: 他の方はどうでしょうか?

小野寺: 一時の不倫が異常に長く続く()

6: (そこもまたすごく重大な要素な気がする>不倫)

フランツ: 「人生ってこんなモンなんだろうな、あとで思い返したら。」と思った。でもこういう淡白な見せ方って結構好きかもしれないです。

登場する人物には名前すらないし、具体的に外見が描かれるわけではない。

そう考えるとやっぱり作者の目線は具体的な今にあるわけではなくて、

人生を俯瞰する、ってところにあるのかと思った。

だから時間の書き方が独特で伸びたり縮んだり(過去だったり未来だったり)するんだろう。「時間」というものが個人の記憶においてどのように現れてくるのか、

そういう点でとても面白かった。あと「内側」と「外側」が混ざり合ったような(内側を風景に混ぜ込むような)書き方は勉強になった。勉強になったと言えば、繰り返し出てくるモチーフの使い方も。二読目に「おおw」ってなったw

ただ、後半に過去を失うことを恐れるほど、彼の過去に意味があったのか謎だったw

(過去の記憶が生の積み重ねなら当然なのかなぁ……)

さらっと読めたけど、こういう書き方をする理由はあると思えた。

が、好みは分かれるだろうなぁ……(苦笑)と。

なんか感想まとめた後に、他の人の感想とか評判とか読んでたら、恐ろしく女性ウケが悪くてなんか爆笑してしまった。

6: すごく面白い読みです。とくに「時間」の伸縮については自分も考えたいとおもいます。女性受けは悪そうだと僕もおもっていました。でも男たちはこういうことを考えて人生を過ごしていると、すごく思います。共感できる個所とか場面は僕も沢山ありました。

小野寺: 戦後日本の平均的な男性像ですね

6: そう!平均的なんですよ。

小野寺: サラリーマン島耕作みたいだなあ

6: ただしこの小説に置いてそれが、平凡な小説をつくっているのかというとそうではない。

ときおり「小説は事実より、奇なり」とでもいいたくなるような小説の面白さ・魅力にせまるしかけがみられて、どきっとしました!

フランツ: 遠くから見ると、この男は勝ち組だよなーと思う。モテすぎ。

小野寺: 説教や感傷や愚痴や反省がない

6: うーん、若い時は勝ち組みでしたね。。理由なく女の人が近づいてくるし・・・

小野寺: ロマンポルノのようにストーリーに無関係に濡れ場がやってくる(濡れ場はないけど)

6: ロマンポルノと同じようなことを書いているかもしれませんが、書き方はすごい独特だとおもうんですよね。だからロマンポルノと同列にされるのはファンとしては凄く悔しいw

イコさんはどうでしたか?

イコぴょん: 語り手の気持ち悪さに言及したいと思いました。

6: 語り手の気持ち悪さとは・・・?

小野寺: イコさん。無口

イコぴょん: 女を徹底的に無視し続ける、男の自我の目を意識的に書いているということです。これは事実をそのまま書いているのではなく、ある事象を、語り手である男≒主人公の解釈によって、再構成して語っている

6: そうですね。僕もそう思います。

イコぴょん: 妻はときどき何かを言うけれども、きっと男には、ほとんど聞いてもらえていないのです

6: それが語られてはいないのは、語り手である男がそれをねじふせてしまっているようなことでしょうか。

イコぴょん: そうですね、男には妻が何を考えているのか、見えていないのでしょうね

6: そういう意味での無視を11年間してきたのかもしれない・・・

イコぴょん: しかしその気持ち悪さは、ある種のリアル(人間を描いている)だと思いますから、自分はこの作品を、評価しています。

フランツ: 記憶の再構成みたいな印象を持ちました。だから、男のことは書いてあっても周りがどう思っているとか全然書いてない。11年間口を利かないとかきっとありえないと思っている。全部男の中で完結してしまって、外に開かれていないのかなと)

6: そうですね、この小説だと原因は観覧車に乗った日の翌日の妻の態度からということになってしまっているけれど・・・それらはすべて男の中での激しい思いこみによるものなのかもしれない。 むしろその可能性の方が高いなぁ

イコぴょん: 一見突拍子もない、あり得ないことなのだけれど、この語りそのものがある意識の下に歪んでいると考えれば、「マジック」はほどけると思います。

小野寺: 最後の方で終の住処をつくるのはそれなり覚悟と諦念と罪滅ぼしなのかな

6: 雲よりも月が手前にある風景描写とかは、印象的なマジックでした。

小野寺: 月がいつも満月とかだんだん大きく見えるというのは自分も最近はそう感じるから違和感がなかった。

6:そういったなんだろう・・・とうとつな風景・光景を眺めることにより、ふいに男は人生観に思い込みを重ねて行く、「きっとこうにちがいない」でも何の因果関係もないことが、読んでいる僕たちにとっても「そうだ、そうだ」と思えるような妙な説得力をもっているのです。 風景・光景が人生の中で象徴的なものになり「過去にもどることはできないよ」というふうに何度も断ち切られていくことから、強烈な時間の印象がたちあがっていく!

イコぴょん: 何度も断ち切られていく、というのは?

6: 「俺も若かった!いまでは辛かったあの日々が懐かしい。もう決してあの場所にもどることはできない」というのを何度も繰り返しているようにおもえるのです。

小野寺: それは感じますね。で、仕方なく未来を見据える

6: そう、でも未来には予測もしなかった残酷な出来事が待っている。

【フランツ:勉強になったと言えば、繰り返し出てくるモチーフの使い方も。二読目に「おおw」ってなったw】これってなんでしょう?気になります。

緑川: (こんばんは、とりあえずログ追います)

小野寺: こんばんは

6: こんばんわ!

フランツ: あっちこっちに結構同じようなモチーフ使ってませんかね?例えば沼の巨大生物みたいの。イグアナ(だっけ?)後ろの方で爬虫類出てくる話ありましたし。

小野寺: 観覧車に乗るというのが妻にとっては幸福のイメージだったのにそれに気が付かない男が哀しい

6: ああ、そういうのですね!

フランツ: PC不調。AMDの動作停止とかまた出たwいきなり無言になったらPCの問題です。すみません)

イコぴょん: 家を建てることに同意したことから、また会話が始まるのは、妻のもっている「幸福」のイメージと男の言葉が重なったのかもしれませんね>小野寺さん

小野寺: そうですね

小野寺: とにかく、あるあるなんですよ、不思議なまでに

6: 妻は結婚してからも急に、変な空気をだすことはあった。それを男は何が原因かきづくことがずっとできないでいた。「あきらめたような顔」で結婚したという何とも皮肉な夫婦がそれでも、何かお互いを分かり会おうとしているところに、ぐっとくるものがあります。

イコぴょん: 最前から「共感」という言葉が使われていたけれども、たとえば結婚など、それを体験したことのない人間にも、「あるある」「ああそうだね」と思わせるというのは、小説の力だと思います

小野寺: 妻は自分の理想的な結婚イメージがあってそれを押さえつけられていたんでしょうね

6: そうですね>イコさん。妻がずっと結婚してから、遠くをみつめていたのは、この観覧車に違いないとか。妻が話をしてくれなくなったのは、あの観覧車から何かをみたにちがいない、とか。そういうふうに語り手はずっと自分ではなく外に原因をもとめていきますね。

イコぴょん: そうですね、自分が悪かったのだとは考えない。

小野寺: どう考えても外には何もなさそう

イコぴょん: 女子社員のスカートの裾が触れた、ってだけで浮気を予感するというのは、どう考えても傲慢ですね

6: そうですね!

緑川: 内省による支えがないから、不思議な因果関係を頭の中で作ってしまうのかな

フランツ: 自意識過剰を感じた。(30ページのあたりの妄想っぷりが半端ない)

小野寺: この男って石原慎太郎の匂いがする

緑川: 「妄想」っていえば、妄想めいた場面とか多い気がします。もっと普通に周囲を見回せばよいのに不思議な因果律の中に、この主人公は立っているような

6: うむ!はげしく同意します>フランツ君。でも女の人がみたら、こういうのってすごくヒクとおもうんだけど、男はついついこういうことを考えがちだとおもう。

イコぴょん: 磯崎のすぐれたところは、自意識過剰の妄想好きな人間を、社会状況と照らし合わせながら語るなどして、作者自身と切り離しているところ。こういう人間がいるよ、というのが提示されているけれども、決して、おれ(作者)を見て、とはなっていない。

緑川: カフカに似ています

緑川: 主人公を突き放しているということですかね、>イコさん

イコぴょん: そうですね>6さん

6: 女性社員がじつは「太っている」という秘密をみつけて、それを自分しか知らない情報として握って優越感にひたるというのは、もうほんとよくある。

イコぴょん: 歪みが相対化されている。

緑川: まあ、甘やかしてないかな

イコぴょん: この作品からまだデビューできぬ書き手が学ぶべきことは、マジックリアリスムというのは、単なる思いつきで生まれるものではないということ。こんな風にしたら面白いんじゃないの、じゃなくて、それを立たせるための説得力をもたせる語りが必要であるということ。

6: その意味で男の欲望は一貫して書けている。でもあるときそれが、性欲とかじゃなくて家庭のことを考えたり、娘のことを考えたり、もう取り戻せない過去になったりと、男の欲望は人生の中でつぎつぎと変っていく。

イコぴょん: 思い付きに説得力をもたせる作業→相対化です

6: 磯崎さんの小説の書き方は・・・設計図を一切もたずに、小説を書き始めて一文ごとに次にどんな文章が連なったら面白いかを徹底的に考える方法だとききます。

緑川: 欲望・・・う~ん

6: 一文を書くのに何時間も考えることもあるそうです。そうした積み重ねがすごく、説得力のある語りを生んでいると思います。

イコぴょん: その一文をなぜ出すのかを徹底的に考えるのでしょうね

6: そうですね、ときにすごく飛躍する一文がさしこまれる。

緑川: 現代詩の書き方ですね、それは

6: え、そんなところまでとんじゃっていいの?っておもうぐらい・・・でもそのあとにはちゃんとそれを繋ぐような風景とか感情が記述されていて、そういう冒険的な書き方に僕はうっとりしてしまうのです!!

イコぴょん: 6さんの熱さが見られて楽しいです

6: 僕の理想の小説家です、ほんと。。あと、語り手がこの小説にかかわらずなんだけども小さく揺らぐことがままあります。 たとえば長いかぎかっこ文とか長い手紙とか

緑川: (Rain坊さん、呼びますね)

6: この小説だと「高校の生物教師のイグアナの話」や「会社の上司からの手紙」など

そういう場面で非常に、グロテスクな感情をよぶものだったり、はっとするような光景だったりがまたでてきたりして、非常によいスパイスとなっているとおもいます。

イコぴょん: いくつかの挿話についてなのですが、この作品は、流れるように書かれているために、さほど印象に残らず、クールダウンの場として読み流していたところがあります

6: おろ。そうでしたか。僕は、なんだろうそう言う部分こそ美味しくいただいちゃう。

Rain: (こんばんは、軽くでいいのでどなたかおおまかなあらすじだけでも教えてもらえないでしょうか?

緑川: 「揺らぎ」なんですかね、>6さん (製薬会社の会社員である一人の男が結婚して、初老を迎えるまでが淡々と描かれます)

フランツ: (すいません。そろそろ離脱します。)

6: もちろんおおざっぱな捉え方でそれは、偶然的な顔をよそおっておきながら、しっかりと語りに担保されて整備された挿話としてでてきます。>緑川さん

Rain: (ありがとうございます)

緑川: (おつかれさまです、フランツ君)

フランツ: (おつかれさまでした)

6: おつかれさまです>フランツ君

イコぴょん: おつかれさま

Rain: (おつかれさまです)

小野寺: この小説を読むとつくづく日本には神話がないという気がしました

6: 神話がないとは?

小野寺: 海外文学だと救いのない状況では宗教などを持ち出してくるのですが、家をつくるという行為なんですよね。でもこれがまた当たっている。夫婦仲が悪くて家を建てることでつなぎとめる人って多いです

緑川: そんな挿話の部分が、生きているように思ってました。作品の肝かと

さっき、イコさんが言われた、マジックリアリズムって、そういう場面のことかなと

イコぴょん: ちょっと違いますね、自分が指したマジックリアリズムは、たとえば月がずっと満月であったり、妻が11年間口をきかなかったりするというもので、その言葉を疑わないのであれば、「ありえない」と思われてしまうような事柄です。>緑川さん

緑川: ああ、だから私もそのことを言ってますけどね

イコぴょん: 生物教師の話や上司からの長い手紙は、ありえる話です

緑川: 冒頭の池の場面とか、上司からの手紙とか。 あり得合い話です

イコぴょん: いえ、イグアナの話や上司からの手紙などは、さして考えずとも納得のいくところでしょう。自分はそれを挿話と呼びました。

緑川: そもそも、明確に区別はできないのではないですか、あり得る話と、あり得ない話いくつか挿話を拾って整理してもよいのですが。

イコぴょん: 自分が読む中で、マジックリアリスムが機能しているように感じられたのは、主に、妻との関係に対してで、そのエピソードは挿話という言葉で語っていません。

イコぴょん: ですから、「挿話」という言葉のとらえ方が違うのです

緑川: いや、妻との関係(とその周辺)だけが、そうであるのなら作品の魅力は減殺されます

Rain: あり得なさそうなことが現実で起きたりしますしね。それこそ小説のような出来事が

小野寺: マジックリアリズムを目指したけどけっこう現実にある話に近くなっていると思いました

イコぴょん: もちろん前述のように、歪んだ目によって語られるものですので、あり得る、あり得ないなどは、読者の解釈にゆだねるしかないものです。そこを突き詰めていくことはできませんが、自分には、この小説において「マジック」がうまく機能するのは、妻との関係において、だったということです。そもそも主題を、夫婦生活に据えて、それを軸に回転する人生ととらえましたので。

緑川: イコさんと近いことを言ってるとは思うんですけどね

イコぴょん: 言葉のとらえ方が違うだけではないでしょうか

緑川: 「歪んだ目」を、私は因果律がどこかおかしいと捉えました。イコさんは、夫婦生活を軸に置いて読まれているようですが。 たしかに、私もそこが一番目につきますがたとえば他の場面でもしばしば、いや、ちょっと待てよと考え込まざるを得ないことがけっこうあったのでそこは拾っていきたいかなと

イコぴょん: 自分はそこが印象に残らなかった、ということです。もちろん拾ってくださってもかまいませんけどね

緑川: なるほど

6: マジックリアリズムというのはリョサの本を読んでから、南アメリカに古くから伝わる神話や伝承などを説得力の材料としながら、あるまじきファンタジックな光景を描くと言う風に僕は捉えています。そしてこの小説はやはりマジックリアリズムを輸入している。しかし、そこには小野寺さんがおっしゃるように現代において神話など無価値。宗教がひろく共有できるものでもないばらばらの社会でこのような非日常化を起こせる文章郡を連ねて行く筆致と言うのは物凄く難しいと思うのです。さらに言えばおこっていることは・・・非日常でもなんでもない、日常的なことの連続・・・それを非日常的に「語り」が昇華させている!そのような描写は容易になせるわざではありません。みなさんがマジックリアリズムに対して深く言及して行きたいとおもうのはそうした磯崎さんの書き手により幻惑されつつもそれぞれの驚いたポイントをあげようとされていて磯崎さんの試みは非常に成功されているなぁと(ベタホメになってしまうのですがw)ついついおもってしまいます。。。

イコぴょん: 日本において、マジックリアリスムを成功させるにはどうすればいいかというのを、丁寧に考えて、日本人の「自意識」をメタ的にとらえた作品だと思ってみると、成功しているのだと自分も思いますが前述したように、あまりにも流れるように読めてしまい、6さんや小野寺さんがおっしゃるまでの、時間に対する強烈な意識や、「過去にはもどれない」というような強い認識を、感じられなかったのです。

小野寺: 後半部分の再読み込みが時間なくてできなかったのでまた読みたいです

イコぴょん: 時間への意識をさらに強めるならば、リョサのような方法が可能であると思います。すなわち、時間の進行方向を、ばらばらにする。通底器を盛り込む。この作品には、そこまでの構造的な意識が無くやや物足りなさがありました。

6: なるほど。。

イコぴょん: 読み流されてしまうおそれ、というのは、あるのではないでしょうか?リョサはそんなこと許しません。読者の首根っこをつかんで、「読め」「考えながら読み進め」と冷静に観察するのです。

小野寺: 確かに1回目を昨年読んで、それでこの読書会には参加できないと思いました

イコぴょん: 自分もです。

6: うーん・・・僕も初めて読んだ時は読み流してしまいました。。やはり書かれている内容が夫婦生活という地味な主題で、もっと他の磯崎作品を知っている身からするとやや退屈な印象をうけたのですが、二読目をしてみて、文章の一文一文のおもしろさに、はた!と肩をたたかれたような心地がしました。

イコぴょん: そこまで付き合ってもらえれば、恩の字なのですよね。昨日文学についての座談会で言わせてもらったことなのですがすぐれた作品と言うのは、新しい「おもしろさ」を読者に投げかける

6: 非常にいい言葉ですね!深く同意します。

イコぴょん: たとえば今までは「笑える」「泣ける」ものがおもしろいもののすべてだと思っていた人が今、目の前にあるなんだかよくわからない作品を読んではじめは「??」だったのがその「おもしろい」は、「笑える」でも「泣ける」でもない、読者にとってまったく新種の「おもしろい」なのです

イコぴょん: 読み進めるにつれて、「おいおい、これおもしろいぞ」となってくる

6: うむうむ

イコぴょん: そういう視点で見たときに、磯崎は、「おもしろさ」への果敢な挑戦を行っていると思うのですが「終の住処」でそれを成功させたとは思えません。

6: そうかもしれませんね。

緑川: まあ、他の作品も読んでみます

6: それでは、読書会は一旦おわりにしたいと思います。