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第8回「乳と卵」

芥川賞読書会「乳と卵」

 annaendo: 時間ですが、どなたかいらっしゃいますかー

 6: いらっしゃいます。

 牧村拓: はいさ

 annaendo: あ、6さんもいらっしゃった!

 6: どうもです。。

 annaendo: では、ぼちぼち始めます。途中離脱も可ということで。。

 牧村拓: 一応あれですが、僕は一行も読んでいないけどさも知っている風に進めることにします

 6: らじゃです

 annaendo: 了解です。

 annaendo: では、実際に読んでいるのは私と6さん?

 6: 小野寺さんも読んでいるみたいです。

 小野寺: こんばんは

 annaendo: では各々とりあえず簡単な感想をお願いします。

 annaendo: こんばんは

 牧村拓: こんばんはー

 小野寺: だいぶ前の読書経験なんですが、

 牧村拓: 逃れられない恐怖と向き合った結果できた小説だなと思います

たとえばそれは時折挟まれるノートの文章であったり

自らの女性性が表出した身体の欠落あるいは膨張

そういうものをいかにも昼ドラめいた筋に載せる

それだけではもちろんうすら寒いのだけど、用いられる言葉がそうはさせない

そこが最大の魅力だと思います

 6: 川上未映子さんのデビューは衝撃でした。まず文体から、すごいユニークで存在感のある作家だった。小説とか詩の世界ににわかに光がともったようなそんな当時の状況をおもいだすばかり。この小説も初期川上の非常に魅力的な大阪弁に貫かれており、いまよんでもなにか当時の熱がまだそこにあるような印象を受けました。

 小野寺: 年齢不詳、時代不詳の世界が広がっていると思いました。そして、これは水商売系の話なんだろうか、論理が一般人ぽくなくて、平和な家庭を築こうとかそういう意思のない世界やなと思いました

 annaendo: まず語り手と作家が限りなく近いのでは、と思わせる文体。それが、嫌みでもなくさらさらと気持ちよく読み進められるところが魅力だと思います。作家の触覚と直接繋がっているような感覚って言ったらいいんでしょうか。

 annaendo: 6さんと同じように私も衝撃を受けた一人なんですが、今改めて読み返してみても勢いはあるんですが、なんとなくちょっともう古いのかなぁ、っていう昔の懐メロ聴いてるみたいな気分になったんですよねぇ

 牧村拓: そこは小野寺さんの言う時代不詳という雰囲気と相反するものでしょうか

 annaendo: 時代不詳とかはわからなかったんですが、それだけ今活躍している作家が色々な小説を書いてるっていう印象があったんだな、と思いました。

 小野寺: さきほど少し読み返してみてあんなさんの言われることわかります。

 6: 『乳と卵』という小説がもっていたものが―なんだろう―たしかに「過去」となってしまった妙な感慨は僕も受けていました。

 小野寺: 当時の新鮮さはやや他の作家によって薄められたかも

 牧村拓: 僕の勝手なイメージですけど純文よりの女性作家はそういう時代観で書くことが比較的多いのではないかなと思います

 6: 端的にいうと、本当におもしろいのか、という問題に揺れています。

 annaendo: 時代観、たしかに

 小野寺: でも

 小野寺: 中沢けいは70年代ですが今でも通用しそうな感覚があります

 牧村拓: 時流によって消えることのない価値を有しているかという点においては僕はこの作品に関して言えばあるんじゃないかなと思いますね

 annaendo: たとえばどういう部分ですか>牧村さん

 6: あんなさんの感じられた古さというのは、この作品における時代不詳の点ではなく、ひとつの作品としてそれがいつまでも新鮮さをたもっているかどうかという点だとおもったのですが・・・

 6: ちがうかな

 牧村拓: 日本語ってこういうふうにも使えるんだという発見を我々に与えてくれたという要素を持っていると思います。それはひとつの点として固有の価値を持つんじゃないかな

 牧村拓: たとえば擬声語・理屈の使い方・方言・会話文の雰囲気

 annaendo: 新鮮さ、という点はあると思います。自分でもそれがどこから来ているのか、いまいち把握しきれてないんですが、小野寺さんの言うようにその時の先端、というのがやはり何年か経つと変わってくるっていうのもあるのかもしれません。

 annaendo: それが、時代観?

 牧村拓: 僕の使った文脈では6さんの言う前者の意味ですね

 小野寺: 何年か前に読んだときでもわりにすんなり入っていけました。

 牧村拓: 先端、という言葉を使うなら作者のデビューがゼロ年代初頭じゃないですか。だからいかにもこの人が先端をもって時代をガリガリ削っていくんじゃないか、みたいな期待を当時はあったのではないかと思いますね

 annaendo: 日本語の面白さ、愉快さ、は全然色あせてないですね

 小野寺: わたくし率イン歯ーは前衛に思えましたが

 annaendo: ガリガリ、ありましたね、かわいいしね。表紙にばんって顔出たりして

 annaendo: 乳と卵読んで、その後わたくし率読んで衝撃受けたんですよねー

 牧村拓: 今の作家自身に注目して芥川・直樹賞の作品を売るというのもこの頃からだったように思います

 牧村拓: それはどういう意味での衝撃だったんでしょうか

 annaendo: わけがわからないのに読めるし面白いし、読んでるうちに頭がすこーんって違う次元に飛ぶ感じ?よく町田康と比べられてたけど、私は川上未映子のがそれは感じたんだよなぁ

 小野寺: 町田もそうですが川上も大阪の匂いが濃厚に思いますが6さんいかがでしょう

 牧村拓: それはやはり言葉の選び方や文体から来る色気みたいなものに突き動かされているのかなと

 6: え、そりゃ大阪弁なので大阪のにおいはあるんじゃないでしょうか。

 6: ただしこの作品の舞台は東京ですよね。

 6: 大阪弁で東京を描いている。

 牧村拓: んー、僕の勝手なイメージなんですけど東京は都市に人がいるけれど大阪は人が都市を作っている。そういうとこがもしかしたらこの作品内の強烈な自我の匂いに通じるのかなと思いました

 小野寺: なんか大阪ってその日いちにちが暮れればまあいいみたいな無計画的で過去や未来がないような気がするんです

 小野寺: 毎日、お祭りみたいな

 annaendo: 自我っていうと、豊胸と緑子の思春期の心情がうまくからみあっててすごくよかった。

 6: まっきーの都市に対する感じ、おもしろく思いましたがそれがなぜ自我とつながるのか

 6: ちょっとよくわからないです。

 牧村拓: 大阪弁を用いることで大阪の雰囲気が感じられるようになって、その大阪の雰囲気が自我ありきのもののように僕には感じられたので?と説明になっているかな

 annaendo:<<< 自我っていうと、豊胸と緑子の思春期の心情がうまくからみあっててすごくよかった。川上さんは感性で一息に書くように感じてしまうところが文体のユニークさからあるのですが

 6: ちゃんと構造を考えて書いていますよね

 小野寺: 牧村さんの言われることもわかるなあ

 6: なるほど>まっきー

 牧村拓: すごく書くのに体力を使う作品だと思いますよ、禁欲的なまでの奔放さというか

 小野寺: 都市の風景みたいなものには大阪人は無感覚で人間中心的に思える

 6: 女性性を求める巻子と女性性にとまどう緑子の物語ですね

 牧村拓: うん、その人間中止的な雰囲気を漂わせているからこそ自我に取り組めるのかなと

 牧村拓: 女性性というのも大きなポイントですよね

 annaendo: 巻子が豊胸に対して結構あっけらかんとしてる態度が大阪の人っぽいなっておもった

 小野寺: そうですよね

 6: そうですね。

 小野寺: 私はお水っぽいとも感じました

 6: あと銭湯で乳首の批評するのも大阪人ぽいです。

 牧村拓: 僕もお水派

 annaendo: 巻子がお水だから???

 牧村拓: そうでしょうね、作者もその辺りは自覚的というか意図的というか

 annaendo: (ちょいと飲み物を。。。)

 牧村拓: 豊胸に対してあっけらかんとしているのはそれだけ巻子の自我が強いからなのかなとも思えます

 小野寺: 若いころはスナックなどにけっこう行ってたのでお水の女性と話していてあっけらかんとしていた人多いですね

 牧村拓: あるいはそう見えるように振る舞っているか

 annaendo: 川上マニア情報、以前ホステスしてたんですよね、たしか

 牧村拓: ではその辺りの体験も活きているのか

 6: そうなんですね。知らなかった。

 annaendo: マニアなんで、ふふ。でも初期の作品はほんと経験を存分に使ってると思える箇所がたくさんありますね。

 小野寺: へええ

 牧村拓: 言葉についてもそうですけど自分というものに対して切り込んでいける人だな、という印象はあります

 小野寺: 歌手だと思っていました

 牧村拓: 歌手もやってましたね

 annaendo: 私的には乳と卵、までは半分まだ歌手っぽいんですよ

 小野寺: いろいろやる人だなあ

 牧村拓: どの職業もやはり自分ときっちり付き合う必要があるように感じますね

 annaendo: 話を戻すと、何年経っても色褪せない作品ってありますが、何がこの小説にそう感じさせない何かを作ってしまったんだろうと考えた時に、

 小野寺: (実はあんまり内容面に突っ込めないもどかしさがあります)内容をほとんど忘れていて印象しか残っていない

 annaendo: 作家と作品との距離って重要なんじゃないのか、と思ったんです。

 6: なるほど

 牧村拓: そのことについては大いに考えさせられる作家ですね

 annaendo: ほとんど内容には触れずに進みますよ>小野寺さん

 小野寺: 距離ってすごく重要ですね

 6: 作家と作品との距離が近かったために、作品を独立してみることが難しくなりついつい作家の顔が浮かんでしまうと言うことですよね

 annaendo: そうとも言えるのかもしれません。なんというか乳と卵は作家と作品がくっついたり離れたりしているような印象があって、そういうんじゃなくて正座して握手するみたいな距離がいいのかなーって(すいませんわかりづらくて)

 6: 適度な距離を保つと言うことですね

 小野寺: ()うんわかりにくい

 annaendo: 距離は保ちつつも情熱を感じる作品かな。

 小野寺: きことわって距離がずっと一定だったような気がします

 牧村拓: その方向で語っていくならば永井均に影響を受けていることも見逃したくない

 6: 距離をたもちつつ情熱を感じると言うのは、なんだろう。情熱もそうだし、私小説でありながら小説的な企みとしかけに満ちていれば、じょじょに作者から離れて行く。私小説ってそういった私率てきなものからいかに逃げられるかというのを試されている気がする。。。

 6: 小説にしかできないことを、一応のモデルがある私小説でもやってごらんよ、という命題があってそれへの挑戦。

 6: この作品の弱いところは、、

 小野寺: 詩人から散文作家への道筋でしょうかね

 6: さきほどの小野寺さんのおっしゃったこととも重なるのですが、あくまで人間中心的な何かで構成されていて、ボイスがあまりないモノローグ的な小説だからかなぁと

 6: おもいます。

 牧村拓: 何というか「自分には自分しかないのだ」という喪失するかしないかを超越した態度が見えてきます。それは6さんのいう弱いところに通じるかな

 小野寺: 対男から自立していくみたいなところがあります

 6: 緑子の手記も、地の文も、途中はさまれる「ひとひらの記憶」としての二人の女の会話(一方は胸を大きくしたくて、一方はそれを男性主義的な世界観に毒されていると口論する場面)あまり文体の使い分けが感じられず、大阪弁的なものがずっと貫かれていた

 annaendo: 大阪弁であるが故に、そういった文体とかがぼやけて見えるところはあるなぁ、と今回再読して思ったんですよね。これが方言じゃなかったらただの説明じゃんってところとか。

 牧村拓: けれどそれが方言であるからこそある種の強度がある

 6: 難しいところですがそうかもしれません。でもいっぽうでそれはこの作品を強固なものにしている要素でもあるんじゃないかとおもいます>まっきー

 小野寺: そうですよね

 小野寺: 大阪弁抜きでは成立しないような感はある

 6: 『きことわ』との比較がありましたが、あの小説はすごく多面的にいろんな要素を小説にとりこんでいて、いろんな味をひとつの小説で試せる気がする。

 牧村拓: 「ああ、巻子も緑子もいま現在、言葉が足りん、言葉が足りん、ほいでこれをここで見ているわたしも言葉が足りん……」

 小野寺: 大阪人って抽象的な議論好きな気がする

 annaendo: 川上マニアック情報だと、このころひたすら女性であることの嫌悪感を自分でも言い放ってた時期で、単行本に入ってるあなたたちの恋愛も溺死っていう短編もひたすらそこに言及してて、

 6: 『乳と卵』ははまるひとは一気にはまるけど、最初にはいれなかったひとは最後まではいれない面白さだとおもう。

 牧村拓: たとえばこういうシーンがありますが、これが「足りない」だと説明ですが「足りん」だとうめきとして零れだした内的な感情になりますね

 annaendo: そういう反骨精神みたいなものも作品を強固にしている要因かと。

 6: パンク・・・

 牧村拓: それは創作という大きな括りの中でも活きるテーマですね

 annaendo: 牧村さんが引用した箇所改めて見るとすげえw

 牧村拓: 一方で、夫は「孕むということは人為的でない」と「嘘くさい標準語」で言った。という箇所もあります。この辺りかなり作為が渦巻いているなと感じる

 小野寺: パンク…なんとなくだが理解できる

 annaendo: 嘘くさい標準語っていうのが、ですね

 6: たしかに冒頭で「嫌」と「厭」について考えることから嫌悪感的なもので小説がつくられている感はありますね。

 牧村拓: ひとつの形を取ったアンチテーゼというか、そういったものが通底しているのかな

 6: 川上さんの小説作法ってそういう、自分がふだん何げなく接しているものについて

 6: じっくりと向きあったり考えたりすることだとおもっています。

 6: 『情熱大陸』だれかみました?

 annaendo: みましたよー

 6: あのとき『ヘブン』をかいていたのですが

 6: 『ヘブン』を書こうとしているきっかけみたいなひとつとして

 6: なぜ「男性」という名称は逮捕されると「男」という言葉に

 6: おきかわるのかー

 annaendo: ありましたねぇ

 6: みたいな疑問を小説にぶつけようとしていたりしていました

 6: 初期川上さんはそういう世界の嘘クササとか変なルールみたいなものに

 6: 積極的だったと思います。言葉に言葉をぶつけてやる!みたいな

 annaendo: 哲学専攻っていうのもそこに繋がってくるのかも

 6: あまり今の川上さんを知らないんでそういう川上哲学がいまも小説で試されているのか

 小野寺: 女性も逮捕されると女になりますね

 6: どうかわかりませんが。。。

annaendo: では、一時間経ったので(これって何分やるんだっけ?)一旦締めます?

annaendo: 最新の川上文学について語りたくなったりもしますが

 牧村拓: (初めてなのでなんとも)締めますか。結構きれいに落ちた気もする

 小野寺: ヘブンまだ読めてない!

 annaendo: では、ここらで乳と卵についてはお開きということで!

 annaendo: お疲れです

 6: ありがとうございましたーす!