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第17回芥川賞読書会「穴」小山田浩子

   『穴』小山田浩子
   『穴』小山田浩子

課題図書:「穴」小山田浩子

日時:2014223日(日)20時から(約2時間)

参加者:小野寺那仁Pさんイコ

 

面白かった?

 

イコ20時です。こんばんは。

Pさん: こんばんは!

イコ: 読書会を始めます! 課題図書は小山田浩子さんの「穴」。第150回の芥川賞受賞作です。まずうかがってみたいんですけど、この小説、面白かったですか?

Pさん: 単純に面白いと思う箇所はありました。

イコ: どのへんですか。

Pさん: どことは言われないですが、まずは口語体の、押しつけがましくはないがリアルなところです。

イコ: リアルですね、気取りがなくて、自分らの使う言葉で書こうとしている感があります。自分はこの小説をけっこう面白く読みました。なめらかで、すーっと入って来る文章にところどころまじる異物感が、おお小山田節や、と思って楽しくなりました。さらっと書かれているのに、冷静に考えると変な文章がいっぱいあるのもいいですね。

Pさん: その結実とも言える場面が、義兄の登場する場面なんでしょうね。

イコ: 義兄が登場してから、がらっと景色がかわりますね。

Pさん: そこにおいては、まるでおかしなことがけっこう起きているのに、この文体、この感じ方であれば、通過できるという安心感が確立されているというか。

イコ: うん、ぎりぎりのところでこの小説は、アサッテの方向に逸脱しきらず、読者を世界につなぎとめている感があります。それを物足りないと思った選考委員もいたようですけど。

 

 

個に埋没する瞬間をとらえる

 

Pさん: 口語文のことに戻りますけど、人は、喋っている時に、その伝えたいことよりも先に、個に埋没してしまうような瞬間がポツポツ現れてしまうものだと思うのですが、この人はそれをよく理解していると思いました。

イコ: 個に埋没するとは?

Pさん: たとえば一番最初のページ(新潮社版『穴』/以下頁数や引用が出てくるときは、すべて新潮社版のことです)の6-9行目。

『ちょうど今年の四月にね。四人家族でさ、お父さんが頑張っておうち建てたんだって引っ越してったの……』

ここで、「お父さん」や「頑張って」など、実はその人の主観に立たなければなぜそういう言葉を選んだのかわからないという言葉。これは、発話する人の関心圏をまず設定しなければ書けないセリフ回しだと思います。

イコ: そうですね、人って、内輪でしゃべるときはとくにそうですけど、外から聞いているとなんのことやら分からないことを平気で言いますね。主観的な情報がまじって、ときには聞いている人も、聞き返さないといけないような。

Pさん: そういう言葉遣いは、発する側はものすごく安易だけれども、それを再現するのはけっこう難しい。

イコ: 作家がその人のことをきちんと想像して、立たせていなければできないことですね。

Pさん: そして、特に「個に埋没」しているような箇所。52ページの10行目から先あたり、話し相手の「奥さん」が、急に何かと勘違いして、「タカちゃん」のエピソードについて語り始めてしまう。ただ、そのことは殊更何の意味も生まずに、通り過ぎられます。

イコ: そうですね、この小説は主観に満ちていて、語り手の私の歪んだ意識がそのまま描かれているような感がある。そこに他者の歪んだ意識が急にさしはさまれる。客観的で情報伝達的な、作者から読者への説明の文章みたいなものがなく、語り手の信用ならなさを、あやしく浮かび上がらせるようなものになっている。

Pさん: 僕はそこはどうだろう。主人公である私はゆがんでいるとしても、語り手の語りは、それほどゆがんでいない、どころか、出来得る限り、言葉で語れるものを正確に語ろうとしているものであるように思います。

イコ: 語ろうとしているとは思います。そして限りなくわたしたちの言葉に近い言葉で書かれているようにも思う。だからリアルに見えます。冒頭の、非正規雇用のシーンなどは、こう言ってはあれだけど、読者の「共感」をよぶように書かれているとも思う。でもこの語り手の体験はどこか危うくて、目が偏っているように思う。本当にそうなのか分からないような事柄がたくさん出てくる。そもそも「本当」っていう言葉自体が失われたところにこの小説があるんだと思うので、否定的な意見ではないですけど。

 

 

想像力の欠如している現代人像/「穴」とは

 

小野寺那仁:遠慮なく言わせてもらいますが、ちょっと教科書的な部分があるんじゃないかと思いますね。

Pさん: なんの教科書ですか?

イコ: 教科書的とは?

小野寺那仁: だいたいイコさんと同じ感覚なんですが、なんていうかマジックリアリズムとか、カフカとかそういうものが見え隠れするんですよ。別に隠れてはいないか。

Pさん: カフカ的要素が、これだけわかりやすく出てしまうのは、まずいですね。

イコ: 出てしまった、カフカという言葉が……(笑)

小野寺那仁: むろん日本の現状、ニートとか非正規とか過疎や老化による認知的な要素などは盛りだくさんにあってそれらをうまくまとめているとは思います。ただ、それぞれの問題が淡々と語られていて、重さは抜け落ちてしまっています。

イコ: そうですね。

小野寺那仁: なんとなく共感はするんですがその世界に入り込みたいとはあまり思わないです。むしろ私は逃げたい。

Pさん: 現代的な諸問題を、現代文学の文体で料理しました、どうぞ、という感じがするということですね。

小野寺那仁: Pさんのおっしゃる通りです。

イコ: この小説はそのあたりがとてもリアルで、現代のおそろしさをあらわしているように思います。主人公はきわめて受け身な人で、その世界にきちんと立とうとしていないように見えます。状況を観察はするけれども、それに対して何かの感慨をもらすことはあまりなく、深く考えないところで、流してしまう。

小野寺那仁: イコさんのおっしゃること実によくわかりますね。

イコ: 想像力の欠如している現代人像があると思いました。

小野寺那仁: それは私小説作家的な感覚なのではないのでしょうか?

イコ: 私小説作家は、人にもよりますが、自分の悩みや葛藤に対して、けっこう向き合おうとしていると思うんですけどね。

小野寺那仁: ふむふむ。非正規がそんなにいやなら何としても正社員になるでしょうし、あのあたりやや説得力に欠けるようにも思います。

イコ: この人は穴に落ちて、ああ穴に落ちてしまった、と考えるけれども、その先に思いがいたらない。穴自体が、思考のエアポケットのような気がします。

小野寺那仁: 穴や動物は不安の具体的な徴(しるし)のように思います。

Pさん: 僕は単に小説としての機構の一部という以外に考えなかったですけどね。穴や動物に関しては。

小野寺那仁: 義祖父が穴に落ちて間もなくして亡くなってしまうというのは、穴と言うのは死に至る病かとも思いましたが……。

イコ: 穴はふだん働いて生活しているとなかなか近づかないところにある。草むらに隠れているから、見えにくいものでもある。ところが仕事から解き放たれて、何も考えなくてもよい、思考のエアポケットにハマリこんでしまった主人公の目には、見えないものが見えるようになってくる。そこは自由な子どもの世界であり、現実(らしきもの)からこぼれおちた義兄の世界でもある。子どものころ、なんの意味もなく落とし穴を掘ったりしましたけど、そういう感覚で、穴を理解しました。なんの意味もない、ただ落ちるとたいへん滑稽な、穴がそこにあるんです。

 

 

姑や子どもたちに悪意はあるのか?

 

小野寺那仁: もうひとつ感じたのはこの作者は同情したり共感したりしない人だなあということですが、これは若さではなく、登場するほとんどすべての人物が、他人に迷惑をかけているのに無自覚なんじゃないかと。でもこれはリアルですね、確かに。ホントこういう部分は良く描けていると思います。夫も変なネットのコミュ二テイに属しているし。

イコ: 変なネットのコミュニティ(笑)この夫、気をつけないと、他人事じゃないですわ(笑)

小野寺那仁: イコさんも奥さんに観察されてますよ。

イコ: 姑もけっこういやな人物ですよね。

Pさん: でも悪意はないですよね。

イコ: どうかなぁ。

小野寺那仁: そう、でも確かに二万円もまちがっていては困る。

イコ: 姑はけっこう嫁をいびってるように見えましたよ。

Pさん: それは、そういうステロな見方がかぶさっているからじゃ……。

小野寺那仁: 田舎では普通の光景なのか。

イコ: 二万円違うのは、普通じゃないですよ(笑)

小野寺那仁: いえ、そこじゃないです(笑)嫁いびりが普通なんでしょうか? という意味です。

イコ: ステロな見方というのは?

Pさん: お金の場面に関して、たしかに姑に悪意がある/ないという二つの見方が出来ると思います。悪意がある、というのは、文脈のどこにも書いていないことを、こちらがいわゆる姑という語感や常識を利用して推測する時に生まれる見方だと思います。ここに悪意がないとして読むことも出来、僕にはそういう読み方の方が、単に自分にとって有用でした。

イコ: 自分は語感や常識からそういう見方をしたわけじゃないですよ。別に自分は、悪意のあるなし、どちらでもいいんですけど、たとえばお金の場面だけじゃなく、スリッパを置いて行こうとしたり、自分好みに家具をセットしようとしたり、自分色に染めようとしたりしているのを、悪意の発露として読んでもいいと思う。自分はそう読んでしっくりきたんです。ただ、どちらか一方に決めつけられないように書いていることが、実はけっこうおそろしいことかと思います。

小野寺那仁: 微妙ですね。

Pさん: そういうことを、自然とやってしまう人って、めっちゃ多くないですか?

小野寺那仁: 少し認知症が入っていればむしろ当然のことかもしれません。

イコ: いや、自然とやってもいいですけど、決めつけるのは、それこそステロだと思う。

小野寺那仁: 私も最近の人って多いように思いますよ。無自覚的な悪意。子どもたちもからかいますよね。あれもそうした部類のものじゃないかと。

Pさん: この辺は、個々人の感覚や経験がモロに出るのかもしれない。

イコ: 子どもたちのからかいは、ちょっとやりすぎかなあ。田舎の子は、あそこまでしない気がする。ふだん田舎の子と接している身には、説得力が感じられませんでした。

小野寺那仁: 排他的なんじゃない。実際はどうかはわからないですが、読み手として作者の感覚を考えると、悪意が存在するという風に読めましたよ。

イコ: そうだなあ、語り手の意識もあいまいなので、悪意のあるなしは証明しかねるように思います。ただ、主人公はうっすら埃が積もるみたいに、ストレスを感じているように見えます。

小野寺那仁: 知らない土地に来た人の単なる思い過ごしかもしれませんが、夫も夜遅いですしね。

イコ: なんかけっこうおれだ……と思いました、夫。

 

 

ラストシーンをどうとらえるか?

 

Pさん: みなさん最後の方の場面はどういう風に読みましたかね?

イコ: 最後の場面は納得いかんです!

小野寺那仁: 最後の二行はですね。少し気に入らなかったですね。

イコ: 最後の二行は恣意的ですね。ああいうことをやるのは、編集部の指示なのか。

小野寺那仁: 結論として性急! ムリに纏めようとしている。

イコ: いやほんとその通り。ちゃんと積み重ねてないんです。祖父が死んで主人公はコンビニに勤めるのが決まったというだけで、あのエアポケット状態は抜け出せないと思う。変化が伝わらないんですよね。その状態で獣や穴や子どもを消してしまっても、説得力はないです。選考委員の誰かが、消すことで作者は「逃げた」と言ったけれど、その通りやと思います。

小野寺那仁: 時間の経過からしておかしいでしょ、みたいに感じた。なに、あれ幻だったの? というんではちょっとがっかりしますよ。それに非正規から逃れるならまだしもコンビニ店員では何にも変わってないじゃん、ですよ。義兄はどうなったの? それに夫を問い詰める場面があってしかるべきですよね、と言いたくもなります。

イコ: ほぼ同意です。夫を問い詰めるのは、なくてもいいと思うんだけど(笑)

小野寺那仁: あんまり言いたくはなかったんですが(笑)

イコ: 「工場」でも「いこぼれのむし」でもそうだったんですけど、小山田さんは、状態を描くのはすごくうまいけれど、変化はきちんと伝わらないように思うんです。

小野寺那仁: Pさんはどうなんですか?

Pさん: 別にいいと思います。

イコ: 小野寺さんがおっしゃるとおり何も変わってないんです。「いこぼれのむし」は最後の場面から、主人公が何も変わってない感を読みとることができ、作者自身にもそういう意識があったように思うんですけど、「穴」は変化を描こうとしているように見えてしまう……そしてそれが失敗しているように。

Pさん: 職場の変化という、人間の内部に埋没してしまう循環を中断させるようなことが起きた時、普通幻覚は消失するものです。

イコ: ふーむ。

Pさん: 全部の悩みやいら立たしさや解決可能かもしれない問題に、向き合いすらしないというのが、それこそ現代的人間のあり方だ、とイコさんの言い方を借りれば、そうなるでしょうか。

イコ: なるほど、そう考えると、この小説の変化のしなさ、あっけないラストは納得できます。

小野寺那仁: 変わらなければいけないとは思わないですが……。

Pさん: もしくは、幻覚に対してわかりやすい解釈や解答を与えるということ? 僕はすみませんが僕にとって有用な読み方しかしないので、今はこれが幻覚だと断じるのが楽しいです。

イコ: 最後の一文の中の、『私の顔は既にどこか姑に似ていた。』ですけど、これはPさん、どう思われますか?

Pさん: ここにおいて、この小説内で、徐々に徐々に進行していた、粘性の強い液体のような時間の変化が、ようやく可視化されたなと思いました。

イコ: なるほど。それを最後の一行で可視化するということについてはどうだろう?

Pさん: 別にいいと思います……。すごく良いとまでは思わないですが……。

イコ: 小野寺さんはどうですか?

小野寺那仁: いややっぱりよくないです。さっぱり関連がわからない。分断されていると思う。田舎になじんだとか、金銭感覚がいい加減になったとかなにか足がかりがほしい。

イコ: 田舎のコミュニティのなかで異質な存在だった主人公が、異界体験を通して同質化するということなのかな、と思いました。

Pさん: そう思います。

イコ: けどなぁ……。まあ葬式の場面のように、異界と現実がごちゃまぜになるような、分かりやすいエピソードを入れてはいるけれど。だから田舎になじむ、顔が似るっていうのは、短絡に過ぎる気がするんです。

Pさん:僕が欲しかった飛躍は、地の文全体においてなんですよね。この文体はタイト過ぎます。

小野寺那仁: たしかにPさんのおっしゃるような文章の飛躍や何らかの要素も欲しいですね。前半30ページくらいまでは、リアリズムを追求しているのかと思いました。

Pさん:人が徹底的に現実につきそい続けられるというのも幻想ですからね。

 

 

田舎のコミュニティについて

 

Pさん: あの種の葬式は一般的なんだろうか。

小野寺那仁: 葬式の箇所は一般的に思いました。

Pさん: 誰ともわからない、つながりもない老人達がいつの間にか蝟集し、起源のわからない念仏を斉唱しはじめるというのが、おそろしい。

小野寺那仁: いろんなパターンがありますから、葬式は。

イコ: 葬式どうなんでしょうね。「一般的」の一般がどこにあるか分からないんですけど、一般的とは思わないです。小山田さんには「うらぎゅう」や「いたちなく」のような、土着の風習を描いた作品もありますけど、これもそうだと思う。土着って、一般とはかけ離れていて、異界と現実の接点でもある。

Pさん: これは単にみなさんの感覚に問うたのですけど。

小野寺那仁: 私の周りでは、葬式のときは、知らない老人たちがいつでも集まってきますよ。でも私が知らないだけなんですよ。それは普通のことじゃないのかな。

Pさん: じゃあやっぱり、ある種のリアリズムは透徹していると思います。

イコ: 感覚的に言うと、まああり得るかなっていう感じでした。

小野寺那仁: 老人だってコミュニテイはあるのだし、同級生もいれば戦争仲間もいる。

Pさん: 僕のイメージだと、老人達の認知症とかもあり、本当に全くつながりのない人までもが、わけ知り顔で入ってくるような感じを抱きました。

小野寺那仁: 田舎ではまったくつながりがないということはあまりないんじゃないかと。

Pさん: なるほど……。

小野寺那仁: 田舎の集落はほとんど血縁です。

イコ: 主人公の目から見ると、よく分からん人たちですけどね。

Pさん: その辺の感覚の相違はとても空想を刺激されました。

小野寺那仁: 現在では老人でさえも変わってしまった。昔はいくら年を取ろうが自己紹介をきちんとしたものです。若者につなげていこうとした。今の老人は若者に関心がない。

イコ: 主人公の目を通すと、あのじいさんばあさんの入りこんでくる感じは、異様にも見えるんですよね。土着的な葬式の雰囲気が、余計にそう思わせる。でも実際のところは、そうそう実際をはなれているわけでもないかもしれない。そのへんも証明は不可能ですね。証明不可能なものは、前にも述べたけれど、けっこうおそろしい気がします。

小野寺那仁: 私は逆に現代的に思えますよ。

Pさん: 現代と土着は対義ではないですよね。

イコ: 対義ではないですね。「今の老人は若者に関心がない」これは面白いですね。あんまり考えたことがなかったです。

小野寺那仁: 土着は自分たちで終わらせようみたいな感覚がありますね。

Pさん: そうなんだろうか……。

小野寺那仁: もう親戚づきあいやめましょうみたいなことをこの頃は身内から言われています。

Pさん: どういうニュアンスでしょう? サークルをどんどんちぢめていこうという意味ですかね?

小野寺那仁: そうですねえ。たとえば葬式にしたって戒名をつけるだけで100万単位でしょう。

Pさん: どんどん現実的な話に……。

小野寺那仁: 親戚が亡くなるたびに葬式に行っていたらみんな破産ですよ。親戚がくるから葬式を立派にしなければならない、墓を作らねばならない、戒名をつけなければならない、そういうお金がどんどんなくなっていくんですよね。ことに過疎の村では。土着も金がかかるんですよ。

イコ: それと対照的に、わらわら集まって来るのは、現代的だということでしょうか?

Pさん: いや、本来はそういう姿になりうるものだということですよね。

小野寺那仁: いえいえ、説明がされないということが現代的なんですよ。嫁なのに。

Pさん: 「わからない立場にいる」ということがですよね。

小野寺那仁: そうです。なじまない、とりこまない。

Pさん: 昔は、それが通じるように、お互いにすすんでいったが、という。

小野寺那仁: まあ押しつけなんですけどね。

イコ: ああ、コミュニケーションがないということですね。

Pさん: 昔だったらコミュニケーションと呼ばれうるものが、今は押しつけと呼ばれてしまう。

小野寺那仁: 過去に齟齬があったという経験が老人をそうしてしまったし、自分たちもそうされて気分がよくなかったんでしょうね。

Pさん: 姑の態度も、そういう意味でのコミュニケーションの試みの一つだったんだと思ったんですけど。

イコ: ふむふむ。

Pさん: だから、そうすると、完全に悪意がないと思います。基本的に僕は可能な限り悪意というものを前提として考えたくないんですよね。

小野寺那仁: 近所のおばさんもそうですね。でも試みてもダメみたいだからと情報が村中を駆け巡ったのかもしれませんね。

Pさん: 情報って、なんでしたっけ……。いつの間にか、世羅さんが知っていたりということですかね。

小野寺那仁: 世羅さんがあまり溶け込める人ではないという判断を下したという意味です。

Pさん: なるほど。世羅さんが、そういう判断を下したという箇所はあるでしょうか。

小野寺那仁: それはちょっと見当たらなかったです。憶測なんですけどね。

小野寺那仁: 「みょうが」を貰って派手に喜ばなかったとか、お返しがなかったとか。

Pさん: 夫なんて、「じゃりじゃりする」ですからね。

小野寺那仁: 私も農家の人からいろいろ貰ったりするんですよ。でも不義理を重ねている……。

イコ: 田舎の人はモノのやりとりが多いですね(実感)

小野寺那仁: (笑)

或る日、多くの大根が持ち込まれたり、多くのスイカが来たり、冬瓜とか(これ迷惑)

Pさん: なるほど。ともかく、世羅さんがまずお嫁さんのことを知っていた、というのが、情報網の早さとして、驚きましたね。

小野寺那仁: まあそれはありますね。ネットなみのスピード感はあります。

Pさん: 唐突ですけど、こういう類いの早さって、インターネットとかよりもよっぽど早いのではないかと思います……。

イコ: 島根に来たとき、一日で顔と名前を覚えられましたね。まったく知らない人が、クルマを見ただけで声をかけてくる。

小野寺那仁: 私は夫よりも義兄にイコさんを感じました

イコ: ええっ(笑)

小野寺那仁: いやコンビニのシーン限定ですよ(笑)

イコ: 物置で暮らしてないですよ(笑)

小野寺那仁: だからそこではなく。

イコ: (笑)

 

 

文体のミクスチャー

 

Pさん: 義兄の話になりましたけど、義兄の喋り方って、なんかドストエフスキーの登場人物の喋り方と似てないですか。

イコ: やたら饒舌な感じですか。

小野寺那仁: ああ、モノローグが長い。

Pさん: それに、言いたいことが半分自己完結している感じ。変にものものしい言い回しをするところとか。とすると、いよいよこれは文体のミクスチャーだなあと思って。そんなに良い意味ではなく。

小野寺那仁: 若干ありますね。

イコ: 義兄の言葉は浮いていて、この小説が幻想に踏みこんでいるのをハッキリさせているように思いました。これまでの登場人物の語りがやけに生々しいので、とくに。

小野寺那仁: はじめから幻想でもいいのに。なぜリアリズムからはじめてそうなるのかちょっと疑問だなあ。

Pさん: その感性が、マジックリアリズムからの転用なんでしょうね。

イコ: まあ分かりやすい例で言うと千と千尋……。

小野寺那仁: それ見てないから分からないですよ。

イコ: 分かりやすくなかった!(ガーン)

Pさん: この門をくぐったところから、夢とか神とかの世界がはじまる、ということですか? トンネルだったっけ。

イコ: そうですね。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」って、冒頭はすごく生々しくて、お父さんやお母さんの喋り方はすごく現実的ですが、トンネルくぐって温泉に着いてからは、カエルとか、カオナシみたいな、特徴的な喋り方をする人物がたくさん出てくるんですね。

小野寺那仁: 若い書き手ってアニメの影響は看過できないんですかね。

Pさん: 少なくともこの人においては、あんまり現れていないように思えたんですけどね。それこそ、タイトな「小説でなくちゃ」観があるように見えました。イコさんがおっしゃったのは、例えとして、ですよね。

イコ: そうです、異界体験談として類似が認められるというだけで、千と千尋から影響を受けているとは言わないです。

Pさん: それにしても、僕はこのタイトな「小説でなくちゃ」観には反対なんですよね。

小野寺那仁: 私もむろん反対ですね。

Pさん: それこそ、優秀な小説家の要素をかき集めれば、良い小説が生まれるという観点につながる気がして。

イコ: 「小説でなくちゃ」観か、気になります。もう少し詳しく教えてもらってもいいですか?

小野寺那仁: 現実的なものなら津村記久子さんみたいに自分の感覚でのみ書いてほしく思います。

Pさん: 僕らの断片から単に推測すると、この人はマジックリアリズムと言われている作家と、カフカと、ドストエフスキーとを基にしている。文体として、その人たちはみんないわゆるトップレベルの世界的な小説家じゃないですか。結果として、それ以外の文化や違う芸術形態や、その他小説にとって異物である方法や見方などを排除している。というようなことです。

小野寺那仁: なるほど。

イコ: ふーむ、小説からあらわれた小説……。

Pさん: 実はそのそれぞれの作家が、どれだけの異文化や違う芸術形態や宗教観を接収しつつ成立したか、そのへんが抜け落ちると思います。

イコ: 津村記久子さんは、小山田さんと比較するわけではないですけど、自分の切実なテーマに向き合って、どうやって生きていこうか悩む人物を丁寧に書こうとしている感がありますね。生活に根ざした文学というのか。

小野寺那仁: 幻想とかないですね。

Pさん: でも、そういう人との比較は必要に思われます。文体というのが、一体何で必要なのかというところに関わってきますから。

イコ: 「実はそのそれぞれの作家が、どれだけの異文化や違う芸術形態や宗教観を接収しつつ成立したか」そうですね、なぜその方法を選ぶのか、というところにもかかわってきますね。

Pさん: なんか良いことを言い切った気がしたので満足です。

イコ: 最近の新人の作品はマジックリアリズムがとても多いんだそうですが、カルペンティエルが『この世の王国』の冒頭で、なぜそんな珍奇なことをするのか、その必要がどこにあるんだと述べていたように思います。方法の必然性ですね。小山田さんが過去の小説の文体をミクスチャーして書く理由が、どのようにハッキリしてくるか、読者として、今後に期待したいなあと思います。

Pさん: そうですね、自分自身の動機と、有機的につながっていくとしたら、それが望ましいと思います。

イコ: では、このあたりで読書会をしめたいと思いますが、何かほかに言いたいことがある方はおられますか?

Pさん: 僕はわりかしそんなに反感みたいのはこの小説にはなかったはずなのですが、この会の後半で急に気持ちが変わりました。自分で話しながら、改めて小説について考える機会があるのは良かったなあと思いました。

小野寺那仁: この三人の絆は深まった。

イコ: (笑)

小野寺那仁: (笑)

Pさん: それが、大いなる落とし穴だとも知らずに……。

Pさん: ~fin

イコ: 落とし穴の中に獣がいますよ。

Pさん: ダサいオチをつけて申し訳ない。

 

 

【後日談】

 

224日(土)に、小野寺とイコがチャットで話していると、また小山田浩子氏の作品の話になりました。前日の読書会のテンションからまだ抜け出せなかったようです。二人とも前日に言い足りなかったことを思う存分に語り、これは読書会の続きとして掲載すべきだろうと思ったので、まとめました。

 

イコ: 今、小山田さんの「ゆきの宿」を読んでました。

小野寺那仁: おお、「穴」の後の短編ですか。

イコ: ですね。ちょいちょい不気味な感じがして、いいです。

小野寺那仁: そうですか。

イコ: 見えるものと見えないものをきちんと描き分けているので、一人称の認識下の世界のおそろしさが、よく描けている気がします。

小野寺那仁: 私は昨日言わなかったのですが田中慎弥と通じるものがあるかなとも思います。イコさんの今の意見でも思ったのですが。

イコ: そうかもしれませんね。自我の歪みがあります。けれどそれは決して精神的に幼い者の歪みではなくて、一見して落ち着いた大人の世界にも、歪みがあることをあらわしているように思います。

小野寺那仁: ええ、それは田中のようにニートだからという意味ではなくってことですね。

イコ: 田中慎弥の歪みは、自己主張の強い、排他的な歪みですけど、小山田さんは勤め人の歪みですね。

小野寺那仁: ああ、なるほど。

イコ: 社会の中に生きるすべを知っている人間の意識にも、歪みがあるということですかね。

小野寺那仁: 勤め人であっても病んでいる。まさにいまの日本。

イコ: 病んでいるとまでは(笑)でも小山田作品のいいところは、他者の目で書けるところですね。「ゆきの宿」では「僕」の目線で。女性である小山田さん自身が主体ではないので、押しつけがましさがないんです。

小野寺那仁: そうですか。あんまりひとりよがり感はないですね。まあそれが重要なんでしょうね。

イコ: そうですね、だから実力を感じます。

小野寺那仁: それに安定感はすごいですよ、ぐらぐらしてない。

イコ: 文章がゆれないですよね。

小野寺那仁: ええ。ツイ文との違いだなあ(苦笑)

イコ: 圧倒的な差がありますね(笑)この作者はこの文章でいくらでも書き続けられるだろう、みたいな安心感がある……。

小野寺那仁:そうですそうです。でも、陰で褒めてる私たちってなんなのだろう。

イコ: そうですね、でもハッキリ言ってよかったと思いますよ。いけないと思ったものをよいと言ってもしょうがないです(笑)

小野寺那仁: 夫を美化するなとか言えばよかったかな。

イコ: 美化してました?

小野寺那仁: うーん、多少は感じましたね。頼るのは夫という感じがしました。

イコ: あの妻はちょっと頼りない感じがしますね。

小野寺那仁: それはまあ。

イコ: うちの妻を見ても思うんですけど、女性って、結婚するとつよいです。

小野寺那仁: 書き手ってどうしてもそうなってしまう。そう思いませんか。作家は見るから。例えばバイトの小説なんかでも私や僕で書くと決まって「仕事のできない奴」みたいな姿で描かれて、自己卑下されてるじゃないですか。

イコ: あー、そうですね。

小野寺那仁: これは自分が青春ものを書いていてそう思いましたよ。緑川さんによく指摘される。

イコ: そこに小山田さんの自意識が絡んでいるように思うんですよ。これは邪推ですけど、「穴」の女性は、小山田さんの自己観察の結果に近いと思うんです。

小野寺那仁: おそらく実際は違っているんでしょうが。

イコ: 外から見ればつよく見えるんだけど、実際はこうなのよっていうのが、示されている気がするんですよね。でもちょっとベクトルが一方向すぎていて、カフカ的世界をよびこんでしまう。

小野寺那仁: どうしてもテンションの低い方が観察しやすいのでそうなってしまうんじゃないのかと。

イコ: ああ、テンションか、そうかもしれませんね。

小野寺那仁: 自分が充実しているときは内省的にはなりにくいんですね。

イコ: ただ、テンションの高い状態、低い状態、どちらも描ければ、もっと世界が広がる気がします。われわれもですけど。「ゆきの宿」は、主人公が男なので、そういう高低がバランスよく示されるんです。「穴」の弱点はそこかな。

小野寺那仁: もちろんわれわれも、です。女流の人は「僕」という手を使えるけど、男の書き手はむずかしい。

イコ: 男は女を描くのが下手ですからね(笑)

小野寺那仁: 「穴」はストーリー性が一応あるんで、やや弱くなっているんじゃないのでしょうか。もし感覚のみを書けば、他者を外せばもっとカフカ的に暴走できる作家だと思います。

イコ: ストーリーが、ぼんやりとした輪郭を保ったまま、ゆっくり下方に進んでいく感じですね。そうですね、もっと暴走できると思います。なんであの尺だったんだろう。後半が、ほんとにもったいなくないですか。

小野寺那仁: いろいろ制約があったんでしょうね。でもそのうち書くと思いますよ。

イコ: 義兄のセリフ長すぎやし。あれ削っても、もっと色々書ける気がする。

小野寺那仁: (笑)義兄はどうなったんや。

イコ: あんたしゃべりすぎやろ、小説終わるで(笑)みたいなことを感じながら読んでいました。義兄は、姑サイドの人間になったら、もう見えないんでしょうね。

小野寺那仁: あそこで暴走するようにみせて、変な終わり方になってしまった。

イコ: でも見えないんじゃなくて、見ないっていう風にしたらもっといいと思うんですよ。

小野寺那仁: もしピンチョンなら途中から義兄の話になっているような気がする。なるほど姑サイドになったというわけか。

イコtwitter文芸部でいえば、うさぎさんもそうしますね。>義兄の話

小野寺那仁: 狂気から目をそむけたわけですね。義兄は狂気でしょう。

イコ: かっこつきの「狂気」ですね。

小野寺那仁: うんうん。

イコ: でも物置小屋に見に行くシーン。世界が変化して、主人公に飛び込んでくる。ああいうのは、なんか弱い気がします。

小野寺那仁: あのあたりの描写はやや物足りないですよ。

イコ: そうですよね。

小野寺那仁: う、また一致してしまった。私はね、穴に義祖父と落ち込むじゃないですか。あれが書きたかった全てじゃないかと思うんですよ。そのために他の場面を犠牲にした。

イコ: なるほど、あの場面はいいですね。

小野寺那仁: あえて細かくは書かなかった。そういうテクニックだと思いますね。これはある程度プロじゃないとできないと思いました。あの場面は絲山っぽく思いましたよ。

イコ: ふーむ。

小野寺那仁: つながりみたいなもの。

イコ: 義祖父と主人公の?

小野寺那仁: ええ。ともに穴に落ちた連帯感みたいなもの。

イコ: ああ、なるほど。人間の言葉でコミュニケーションしないんですよね、ふたりは。

小野寺那仁: そうですね。

イコ: 見えない世界の穴に落ちたという連帯感か。

小野寺那仁: ええ、絲山さんぽくないですかね。

イコ: それって面白いですね、そういう関係性は、たしかに絲山さんの問題意識にも通じる気がします。

小野寺那仁: 昨日言おうと思っていて考えていたけどうまく言葉にできなかった。

イコ: 絲山さんは、家族でも恋人でもない、奇妙な連帯を描きますからね。

小野寺那仁: ええ。そうなんですよね。

イコ: 穴に落ちた、あそこまではよかったと思うんです。でもそこからがなぁ……。

小野寺那仁: 「穴」といえば西村も田中も絲山も穴みたいな場所にいるんですよね。

イコ: ほう、穴みたいな場所にいるとは?

小野寺那仁: 社会から抜け落ちているという。鬱病とかニートとか性格破綻、DVとか。ただ小山田さんはやや地面から穴を見ていて落ちても抜け出せる。

イコ: なるほど。鋭い指摘ですね。小山田さんは抜け出せるんだな。

小野寺那仁: 穴に落ちても引っ張りだしてもらえたり。自力で脱け出せたり。

イコ: 記事に書いてあったんですけど、小山田さんって、学校になじめなかったそうですね。でも本があったから学校に通えたと。

小野寺那仁: あ、これ昨日言えばよかったな(笑)

イコ: 新潮新人賞を受賞した頃のインタビューでも、「労働との間に、深い溝を感じている」というようなことが書かれていた覚えがあります。だから社会との接点がとりづらい人間を描く作家であることは間違いないと思います……。ただそれが、致命的なところまでは落ち込まなくて、わずか1メートルの穴ぼこに落ちこむに過ぎない。

小野寺那仁: いちおう、結婚して家庭はあるんですね。

イコ: でもその1メートルの穴ぼこが、妙にリアルですね。そういう人って多い気がする。

小野寺那仁: リアルですね、多そうです。

イコ: いやあ、しかしこうして考えてくると、小山田さんは、やっぱりなかなかすごい作家かもしれませんね。

小野寺那仁: よく勉強してますよね。昨日は悪くいったけど。

イコ: 一部分だけクローズアップすると悪いとこも見えますが(笑)

小野寺那仁: そうですね、手間かもしれませんが、読書会翌日みたいな感じでこのチャットも載せてー。

イコ: そうですね、載せましょう。話が分かりやすくなった気がする。

小野寺那仁: すみませんがお願いします。

イコ: 了解です。まとめておきます。

 

(文責:イコ)