芥川賞読書会 第3回 西村賢太「苦役列車」
日時 平成24年7月10日
場所 Skypeチャット
ホスト 小野寺
参加者 イコ、緑川、神崎、フランツ
小野寺:では、時間になりましたので、芥川賞読書会第三回「苦役列車」始めたいと思います
イコぴょん:よろしくお願いしまーす
緑川:よろしくお願いします
神崎:はい。お願いします。
小野寺:まず感想にしますか 。それぞれに合評会のように感想を書いていく
イコぴょん:はい
小野寺:緑川さん、フランツ君、よろしいでしょうか
緑川:読みやすい文章で、ストーリーの流れも悪くなかった
神崎:文体がやたら説明的で好みではない。貫多の卑屈さがよい
緑川:「私小説」にこだわる必要がどこまであるのかなというのはあった
イコぴょん:面白いけどつまらない。仰々しい言い方が、だいぽん君に似てる
緑川:これも、一つの青春物として読んだ
神崎:良いというのはこのストーリーの中に貫多がいるからよいのであって、実際に目の前にいれば殴りたくなるのだけど
イコぴょん:カイジの地下帝国を思い出した
小野寺:「小野寺、感想 典型的な私小説作品と思った、この作者はつまるところ肉体労働も女性嗜好も中途半端な描き方に留まってて、書きたいのは自分の性格だったのではないかと思う。しかるに性格もまた昭和初期の私小説作家の性格をなぞっているにすぎないから読後感はあまり良くはない。ただそれなりに真実味があるので言葉遊びの小説に比較すると重量感はある」
小野寺:私はホストなので皆さんフリーに語って下さいね
緑川:岡田由希子が自殺した年なんですね
イコぴょん:誰ですか?
緑川:あと、初代ドラクエが発売になった年
小野寺:時代設定狂いまくりじゃないですか?
緑川:アイドルですよ
神崎:アイドル
緑川:菊池桃子と並ぶ当時トップクラスのアイドル
フランツ:「フランツ、感想 読みにくさみたいなものは、そんなに感じませんでした(短いですし)。主人公の性格は見ていてキツかったですが(苦笑)、そう思わせるだけすごいのかな、と思ったり。あと映画化するらしいと帯で見たんだけど、大丈夫なの? とあまり関係のないことを考えていた(苦笑)。どんだけ沈黙するんだろうとw(が、映像にする際、ストーリーを増やしたことが判明して納得)」
イコぴょん:菊池桃子っていわれて、とっさに某真理教の爆弾娘を思い出した自分は疎いです
神崎:直子だねそれw
緑川:スタローンの「コブラ」からぐぐってみたんですけどね
緑川:ちょっと、当時の世相を知りたいと思って
小野寺:いえこの作品は当時の世相はあまり関係なく思います
緑川:ニューアカの走りの時代なのかな
イコぴょん:(田中慎也の)「共喰い」だったら、昭和年には、すごく意味があると思うんですよね
小野寺:それだったら日当5,500円はありえない数字でしょう
イコぴょん:自分も小野寺さんと同じで、この作品に、当時の世相は関係なく思える
神崎:日雇いで日銭を稼ぐ底辺従業員を描いてることに意味がある
緑川:貫多は世相からは離れまくりだけど
小野寺:この作品、根本的におかしいんですよ
緑川:作者本人も全くそうなのかどうか
緑川:バブルの頃?
小野寺:当時はバブルで首都圏の日雇いなら2、3万はいけるはずです
イコぴょん:私小説というのは、作者の「記憶」が頼りだと思うんですが
緑川:なるほど >小野寺さん
イコぴょん:土台、20年以上前の記憶というのはあやふやになるものだし
イコぴょん:私小説というもの自体が、真実の積み重ねとは限りませんからね
イコぴょん:基本的に卑怯で嘘つきなんですよね、作家って。
小野寺:それに知り合った大学生がいるということはさほど底辺でもないといえる
フランツ:20年以上前の金銭感覚はきちんと思い出せそうもない(苦笑
緑川:知り合いは大学生じゃなくて、専門学校生かと
小野寺:あ、そうでした
緑川:バブルは1987年だから、その直前なんですね
小野寺:でもですよ。風俗は今と値段はあまり変わっていない。行きますか5000円代で。まず行かないですよ
緑川:ということは、どういうことなんでしょ
小野寺:西村が
緑川:作者が曖昧な記憶のまま書いたのか
緑川:それとも中卒労働者で騙されて働かされてたのか
小野寺:日当を現代の基準に合わせているのでしょう
緑川:そうなのか・・・
小野寺:でないと悲惨さ、読者の共感が得られないと思いました
イコぴょん:うまく金がなくなって、主人公のダメっぷりが強調されるように、帳尻をあわせていたんじゃないかという推測。
緑川:つまり、意図的な虚構だったのか・・・5,500円
小野寺:そりゃありえない
イコぴょん:あやふやな部分は虚構で補う。あやふやじゃない部分にも、虚構をまぜこむ。
小野寺:私は一時日雇いで宅急便の仕分けやってましたが、何もしなくても13,000円でしたよ
神崎:確かに今なら悲惨すぎますね
小野寺:そこはホームレスみたいな人もたくさんいた
イコぴょん:現代人の感覚で、こらこいつあかんな、っていう、納得のいくレベルに設定したということで、その当時の事情を描きたいわけではないと思う
緑川:友人のアパートの家賃が6万とか、その辺りも、読者を意識した設定なんでしょうか
イコぴょん:こういう仕事だったら、今でもやってる人いるだろうしな
緑川:貫多の部屋が極端に安いし
イコぴょん:でしょうね、6万>緑川さん
フランツ アパート6万には現実味を感じた。やっぱり読者を意識してるんですねー
神崎:時代通りならもっと安いですか?
小野寺:西村という人は他の作品では真実みがあるのでこの作品は粗雑に見えるんです
緑川:貫多の部屋は15,000円、もっと安くて月額8,000円とか9,000円とかも鵜呑みにできない?
小野寺:場所によるでしょうけど、ちょっと苦しいですね
イコぴょん:「きことわ」はもっと重層的な時間を意識してたけど、この作品には、局所的な時間の一方的な進行しかない。この時代設定は、青春小説を私小説の、いわゆる作家が作家の人生を語る類の作品として成功させるための、設定にすぎないと思いました。
小野寺:学歴コンプレックスを描くなら専門学校生と慶応のカップルもうさんくさい
緑川:事実に即した私小説というよりは、虚構を織り交ぜて作品世界が作られてるということなのかな
緑川:こういうこと、いわゆる私小説でもよくあることなのか
イコぴょん:私小説作家は、事実をねじまげて書くこと、大いにありますよね。
イコぴょん:志賀直哉も、虚構ふんだんです
緑川:花袋の「蒲団」なんかでもそうですね
緑川:べたべたの私小説のようで、構成なんか考えて作られてる節もけっこうあるし
イコぴょん:より事象が際立つように、作家は真実らしい顔をして嘘をついている。
神崎:私小説は事実をもとにしたフィクションと考えればいいのですね。
緑川:つまり、日下部君と彼女も、ただ事実が書かれてるわけじゃなくて、作家の計算の元に作られていると
小野寺:でも他にもバイトがフォークリフトをミスして大怪我したのに労災が下りなかったってありますよね
小野寺:あれは大間違いです
イコぴょん:計算はしてるだろうなあ、したたかって感じではないけどw >緑川さん
緑川:なるほど。鈍重な感じの計算か
小野寺:労災隠しで逮捕されますよ
緑川:悲惨さの強調? >小野寺さん
イコぴょん:そのへんカイジっぽいw
小野寺:強調というより西村の無知なんじゃないのかな
緑川:底辺の労働をあまり知らないと
小野寺:いや、思い込みなんじゃないかと
緑川:底辺というか、日雇いの現場作業の現実を経験はしてるけど、詳しく調べて書いてるわけじゃないのかな
イコぴょん:たしかに働いてたんでしょうね。でも、あまり正確に書くような、科学的な性格をもちあわせていないんだと思います
イコぴょん:枝葉末節は、それらしく見えればどうでもいい、というような
小野寺:底辺とは思わないですね(笑)
緑川:なるほど >小野寺さん
緑川:計算ということでいえば、もう一つ
神崎:東電が死んでもいい人間を集めろといったけど、貫多や高橋はそれに入りその中に足を踏み入れてるのが日下部だけど、彼女という突破口がある
緑川:冒頭辺りのエピソードで、ロケ隊から貫多が追い払われる場面がありましたよね
小野寺:リアリズム小説ならばこういう部分って致命的欠陥になりかねないけど選考委員は指摘しないのかなあ
緑川:日下部は、まともな両親とか生活といった背景がありますね
イコぴょん:ロケのくだり、笑えたなぁ
小野寺:ロケのあたりは良かったですね
緑川:あそこって、終盤近くの日下部と彼女の会話と繋がってますよね
イコぴょん:お、そうなんですか(忘れた
小野寺:気が付きませんでした
緑川:ニューアカがどうとか、セリフの中にもありますけど
小野寺:インテリ嫌いってこと?
緑川:××劇場のスタッフがどうとか、マスコミが云々
緑川:貫多との対比かなと。対比のために、洗練されてはないけど、計算ずくで入れてる感じ
イコぴょん:なるほど
小野寺:それはそうなんでしょうけど、僻みもありきたりに思えます
緑川:だけど、その辺り、三人で野球観戦に行って、一緒に吞みに行くところが
小野寺 私の周囲にはこの貫多っぽい人は5万人くらいいますよ
緑川:この作品のキモだと思うので
緑川:いますねえ、貫多っぽい人、けっこういい年したオッサン達の中にも
イコぴょん:5万人w
小野寺:発想から何からすべてありきたり
緑川:小野寺さん、周囲にひとを何万人集めてるんだ^^;
イコぴょん:そういうおじさまたちには、親近感をもって受け止められる主人公なんじゃw
フランツ:(5万人もいれば僻みだらけのデモとかできますね・苦笑)
小野寺:だけど悲しいかなそういう人たちは間違っても芥川賞作品は讀みません
緑川:えと、それで
イコぴょん:ちょいちょい原発がらみの話題が出る芥川賞読書会w
小野寺:1円でも読まないでしょう
緑川:作品タイトルの苦役列車の「苦役」って、底辺の労働を指して書かれてるわけじゃないんですよ。なんか、そっちの方に目がいっちゃいますけどね。世相の反映もあるとは思いますが
イコぴょん:青春が苦役だってことじゃないですかねえ
小野寺:列車はどこに出てくるんだあ
緑川:そうそう >イコさん
緑川:出てきますよ
緑川:えっと、何頁かな
緑川:「そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の・・・」以降
神崎:列車はバスなんじゃ」
緑川:「この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多は・・・」
小野寺:苦役バス
緑川:つまり、底辺労働の苦役じゃなくて、生き方の問題
小野寺:なるほど
緑川:だから、現場作業の場面が甘いのも、そこが主題ではなくて、作家の自我の問題なので、だから、さっき、三人で吞みにいって、貫多が大変見苦しいふるまいをしますが
小野寺:後ろ盾がないことから生じる僻みなんですね
緑川:そこが、この作品のキモなんですよ
イコぴょん:ですね、これはプロレタリア文学とか、そういうのじゃない。「不当だ。団結せよ!労働者たち」みたいなことを謳っているわけじゃない
緑川:そういう意味での、そんな厄介な性格を抱えていることが「苦役」
フランツ:なんかつながった。ものすごく個人的なこととして読んでいた。(まったく共感はしなかった)
緑川:ですです >イコさん
イコぴょん:共感はしねえー
神崎:そういう意味なのか
小野寺:そうですフランツ君、これは個人的なことでもあります
緑川:プロ文とか、そういった類の作品じゃない。そこが世間では勘違いされている
イコぴょん:この作品、ある意味すごい作品ですよ
小野寺:私も性格なんだと思う
イコぴょん:貫多のこと、バカにしながら読めますからね
緑川:さっき、小野寺さんが、こういう性格の人間はたくさんいますよ、って言われましたが
緑川:つまり、そういう「典型」を描いてるんですよ、この作品で評価すべきは、そこなんじゃないかと
イコぴょん:「こいつバカだなぁ、あはは」と思いながら読める作品
小野寺:けどね、これは西村が発見した自我ではなくて過去に何度も登場した私小説作家の自我と同一に思いますね
フランツ:自分は日下部の目線でしか読めないと思った。どう考えても貫多はめんどくさいやつだし関わりたくない(苦笑)
緑川:だから、労働現場の描かれ方が甘々でも、選考からは評価されたと
イコぴょん:自虐的、告白型私小説作家の系譜ですね
イコぴょん:嘉村磯多とか
小野寺:完全に嘉村入ってますね
緑川:その辺り、私、ほとんど読んでないからなあ
イコぴょん:文章の、硬質な感じも似てますね
神崎:その中で新しい試みなど見えましたか?私は見えなかった
緑川:古めかしい文体
緑川:あえて言えば、現代社会にそれらを復活させたと
小野寺:嘉村は努力してますが貫多には同情できないな
イコぴょん:新しい試みはないんだけど、いつの時代も、こういうものは需要があることを証明しましたね
神崎:ふむ。古めかしいか
緑川:文章が、ですね
イコぴょん:古めかしさが逆に、バカっぽさを助長してるんですよね
緑川:寄りかかってるのかな、古いタイプの私小説に文章も、人物造形も
小野寺:現代の作家志望者は西村ほどに裸になれないということかもですね
イコぴょん:そのとおりだと思います>小野寺さん
緑川:そういう意味では評価できる? 小野寺さん
小野寺:渋谷をフル珍で歩くようなものです
イコぴょん:田中慎弥は、西村賢太に、「もっと自分のことを書けばいい」といわれて「無理です。私にはとてもできません」と返していた。
緑川:ふむふむ
イコぴょん:今の作家は、田中みたいにえげつないことを書いていても、所詮は他人事、作りごとで勝負しているところがある
イコぴょん:対して、西村の態度は、一種すがすがしいですよね
緑川:ああいうバカを見ても、「やれやれ」とか溜息をついて終わりとか
小野寺:おまけの小説はさらにひどいですからね
緑川:なんか、妙なユーモアを感じる
小野寺:川端賞の話
緑川:作家がどこまで意識してるか分からないけど、ギャグになりかねない
緑川:おまけの小説……
フランツ:おまけの小説は途中まで読んだけど、あれは……うーん、小説? ってなってしまった。
イコぴょん:「私小説の逆襲」とか、そんなことを帯でいわれること自体が、なんかもう、笑えるじゃないですか。帯まで含めて、すごいユーモアです。
小野寺:あれ嘉村の「神前結婚」の真似だなあ
イコぴょん:何を逆襲してんねんってw
神崎:その心性には辟易する読者もいるに違いないが、しかし有無を言わさずこれが人間の最低限の真実だと言い切っているのがえも言えぬ魅力なのだと、石原慎太郎が述べてますがそこにつながるのね
緑川:最低限の真実、という名の虚構なんですけどね
イコぴょん:「言い切っている」これがポイントですね
イコぴょん:正確に言うなら、「言い張っている」だろうけど
小野寺:だからこそばれない様に日当5,500円なんとかして欲しかった
緑川:なるほど >小野寺さん
イコぴょん:そこは小野寺さんは気づくけど、他の人は違和感なかったかも?
緑川:もっと、リアルだと、もっと良かったということか
緑川:ちょっと引っかかったですけど、そうなのかなと
緑川:その時代、私はまだ働いてなかったし
小野寺:でも西村読むのは年配だろうからすぐにばれると思うけど
イコぴょん:小野寺さんは、西村と同年代……
フランツ:俺も分からんかった。(その時代、私たぶんまだ生きてなかったし)
緑川:もっと、引っかかったのは、当時、ニューアカって言葉がふつうに使われてたのか、っていうことです
神崎:僕も生まれてすらなさそうだ
小野寺:あー使われていないですね。中卒が専門と遊ぶ設定も苦しいな
緑川:これも意図的なのか、調べたりせずに作者自身の曖昧な記憶に頼って書いたのか
小野寺:たぶんに現代と入りまじっていますね
緑川:しかも専門学校生が、けっこう良い男だったり
小野寺:慶応のインテリでしかも美人でない人が専門とつきあうのか疑問
緑川:現代と入り混じるか・・・なるほど
緑川:日下部って何の専門学校に通ってるんでしたっけ?
緑川:作中には書かれてませんけど、映像とかマスコミに近いジャンルかなと私は想像してました
緑川:だから、こういう女子大生と付き合うのもありなのかなと
小野寺:でもそんなちゃらい人が苦役やるかなと
小野寺:バイトならいくらでもあります
緑川:この程度の苦役なら、体育会系みたいですし、やるんじゃないのかなと
小野寺:そうそう。この体育会系というのは真実味があった
小野寺:私がバイトしてたとき体育会系が多かった
イコぴょん:水泳をやっていたんですね、日下部は
緑川:ですね
小野寺:でも専門って体育会とかないよ
イコぴょん:「部活の練習のハードさに比べりゃ、全然ぬるい」
緑川:高校生まででしょ、体育会は
イコぴょん:って言ってる
緑川:あと、現場労働だと、けっこうやばいとこもありますけどね
緑川:監督がいかにもヤクザっぽいとことか
緑川:私の知り合いは、そればで平和に働いてたとこに、ヤクザみたいなオッサン達が数人入ってきて場を仕切りだして
小野寺:監督は不自然ではないです
緑川:怖くなって辞めたって言ってました
小野寺:あとですね。大変言いにくいけど デリヘル、マンヘルって使っているがこれおかしい
小野寺:風俗
緑川:そうなんですか?
小野寺:当時はヘルス自体がまだないと思う
神崎:(そもそもデリヘルとか何かよくわからない)
緑川:そうなのか……
緑川:いや、小野寺さん、これ削除しちゃダメ
緑川:けっこう重要
小野寺:なんでデリと書いてあとでマンと書くのか(内容同じ)
小野寺:そもそも存在しない
緑川:デリバリーヘルス自体がけっこう最近ってことですかね
小野寺:そう最近でもないけれども2000年以降だと思います
緑川:へえ
緑川:この作品って、けっこう時空を超えたフィクションなのかな
小野寺:当時はホテトルだったんです
緑川:何の略か知らない^^;
小野寺:おれはいい加減なだけだと思いますね
緑川:あぁ、昔の作品読むと、ホテトル嬢って言葉が出てきますね
イコぴょん:そのいい加減さが、作品を、作品たらしめている
緑川:そっかあ
緑川:時代背景を考えてみるのも、意味あったかな
イコぴょん:作者の人柄まで、透けて見えるような小説。
小野寺:むしろそれを訂正できない編集に問題あり
イコぴょん:読み手にとっては、本当に、やさしいですよね。
緑川:二重写しになりますよ、作者の人柄と主人公の人柄 >イコさん
イコぴょん:うんうん、そこがいいんじゃないですか >緑川さん
緑川:なるほどね
イコぴょん:作家って、かっこつけてる風に見えるでしょう
小野寺:他の作品ではきっちりしてるように思うんですが
緑川:なんか、今から小野寺さんが何を言いたいのか、分かった気がする
イコぴょん:「文学者」「作家」ってだけで、なんか、いっぱしの人物を気取ってるようなね、印象ってあると思うんだけど
イコぴょん:西村は、「電話来なかったら風俗行こうと思ってました」と言った。
イコぴょん:記者会見で。
緑川:なるほど、ベタですね
イコぴょん:素晴らしいですよね、ぜんぜん気取ってない
緑川:良くも悪くもですね
イコぴょん:いや難しい漢字を使って気取ってる風なんだけど、すっごくあほみたいな言葉も使いますよね
イコぴょん:「ブルった」とか
小野寺:前半はわりに文章は好きですよ
イコぴょん:そういうところは、非常に(読者に向けた)戦略的に、理にかなっているというか、儲けたい出版社の利害と一致してるんですよね
イコぴょん:だから「面白い」んだけど
イコぴょん:逆に、じゃあそこから何を読みとれるんだよっていう行間みたいなものは、一切ない
イコぴょん:だから最初に面白いけどつまらない、と評したわけでした
小野寺:動物の咆哮みたいなものですね
イコぴょん:動物的ですね
緑川:えっと、さっき小野寺さんが言いかけたこと、続きが聴きたいですけど
小野寺:ええっとなんでしたっけ
小野寺:他の作品ではつまらないけど破たんが少なくこの作品は面白いけど瑕疵が目立つと思いました
小野寺:西村けっこう裏をとるんです
緑川:裏を取る?
小野寺:他の作品、自分のことばっかり
小野寺:苦役列車は珍しく客観視している
緑川:ふむふむ
小野寺:労働もそれなりに描いている
緑川:あぁ、そうなんだ
イコぴょん:芥川賞狙いだと思うな、この作品
小野寺:裏をとるというのは嘉村や清造について述べるときはやたら細かい
小野寺:そう思いますね、イコさん
イコぴょん:他の作品はもっともっと狭いですよね
イコぴょん:そしてマニアックな話題が多い
小野寺:他の作品はめちゃ私小説
緑川:客観視という言葉が出ましたが成功してますかね
小野寺:ま、わたしよりは
イコぴょん:西村は芥川賞の記者会見で「こんなダメなやつがいると笑って下さい」という風に言っていました
イコぴょん:そういう意味でのメタ認知は、ある程度、成功しているんじゃないでしょうか
緑川:語り手と主人公がきちんと分けられてるかどうか
緑川:なんか、混ざってるようにも見えます
小野寺:客観視してるかどうかは他の作品読むとよく分かります
緑川:ふむふむ
イコぴょん:まざってるんだけど、自分がどう書けばどう見えるのかも、ある程度分かっていると思いますよ
緑川:つまり、作中人物と作者の二重写し
緑川:さっき、イコさんが言われたようなこと
小野寺:他の作品はくだらないのに気付いていないみたい
緑川:それが、語り手と主人公の間にも起こっている
小野寺:に感情を書きなぐる
緑川:へえ
イコぴょん:そうですね、あまり抑制がきいていない
緑川:たとえば、日下部の恋人の描写とか
緑川:あれ、貫多の主観なのか、語り手による客観描写なのか
小野寺:そして自分を正当化するために清造を出してくる
小野寺:おお、ちょっと暴走ぎみでしたか
緑川:そろそろ、締めますか?
小野寺:そうですね。ではこの辺で終わりにしたいと思います
緑川:最後に一言いいですか?
小野寺:どうぞ
イコぴょん:どうぞ
緑川:人物造形に関してですが、こういう書き方、主人公だけではなくて、こういうえぐるような書き方、他の登場人物にまで広げられれば、西村作品はもっと面白くなると思う
緑川:なんか、周囲に、主人公との対比のためなのか、それなりにまともな人というか、まともな描かれ方がされていることが多いように思います
小野寺:そうですね。でも西村には無理な気もします
緑川:安岡章太郎の私小説は、主人公もですが例えば、父親も母親もなんか変ですし、自分を見る目で、周囲の人たちも見ている
小野寺:他者を認識できないんですよ、西村は
緑川:それも、ひとつの「型」なんですかね
イコぴょん:認識できないところにも、良さがあるんですけどね
小野寺:認識できていたならブスとか書けないですよ
イコぴょん:芸術としての完成度をどうこうは、決して言えませんが、誰かしらに何か思わせる作品ではあると思うなあ
小野寺:少なくとも現代の作家はとりあえずの彼女とか慶応の美心でない女性をああいうふうには書かないですよ
緑川:やっぱり、ひとつの型なのか
小野寺:女性を自分の欲望を満たすだけの道具ととらえている
イコぴょん:安岡のようには決して書けないけれど、安岡は西村のようにも書けないだろう。視野狭窄の自我の芸も、まあちゃんと人様をよろこばせる芸であるということで、そうでない作品と比べると、もう、ぜんぜん挌が違うのではないかと
緑川:なるほど
小野寺:そうですね、芸術と言うよりは芸です
イコぴょん:うん、芸w、芸人ですね
小野寺:漫才が差別的発言をしても咎められないようなものだ
イコぴょん:んではこのへんで締めますか?