芥川賞読書会 第2回補講 朝吹真理子「きことわ」
日時 平成24年7月16日
場所 Skypeチャット
ホスト 6 → 緑川
参加者 6、あんな、イコ、小野寺、小山内(途中退出)、緑川(途中参加)
6:「きことわ」読書会の会場です。
6:みなさん、こんばんは。
イコぴょん:こんばんは。「カインの末裔」に続いて、楽しい夜です。
小野寺:俺は毎晩文学ナイト
6:本来は緑川さんがホストなのですが、少し遅れられるとのことで、それまでは僕がホストをさせてもらいます。
あんな:読めなかったので見てます
小山内 豊:こんばんは! 読んでないですが、拝聴させていただきます。
小野寺:もう始めますか
6:では回芥川賞受賞作「きことわ」(朝吹真理子)を始めたいと思います!
6:よろしくお願いしまーす
イコぴょん:よろしくお願いしまーす
6:大まかなあらすじを確認すると、この作品は、永遠子と貴子という女性が、葉山の別荘で、1984年にいろんな時間を共有したという過去のエピーソードを、さまざまな登場人物が回想したり、夢にみたりするおはなしです。そして葉山の家をひきはらう段になって25 年ぶりに永遠子と貴子が再会する。
6:25年という歳月があったにもかかわらず、ふたりはあっけないほど過去の関係のまま再会をはたしてしまう。そして過去のことを思い出しながら、ふたりのやりとりをある種、覗き見るような形で読み進めていくといった感じでしょうか
6:何か補足するべき点とかありますか?
6 :イコぴょん うまいあらすじですね!
6:なんかこの作品は好きなので
6:てれ
イコぴょん:自分も好きですね~
イコぴょん:初めて読んだときは、最後の方、ちょっと涙出るくらい
6:涙! 分かります……。簡単にざっくばらんに皆さんの感想が訊きたいです!
6:ひとことでもいいので、お願いします。
小山内 豊:ごめんなさい、二人の関係はどうなんでしょう?
6:ふたりの関係って親戚? でしたっけ?
イコぴょん:親戚じゃないですね。別荘の管理人の娘→永遠子。別荘を借りてた人の娘→貴子
小山内 豊:なるほど。ありがとうございます
イコぴょん:永遠子が15歳のとき、貴子が8歳で
6:なるほど、細かい点は覚えていないです
イコぴょん:7歳年が離れているんだけれども、仲が良い
イコぴょん:でも、ある年を境に、会わなくなってしまって25年を経て、別荘を取り壊すという連絡をもって、再会するのです
イコぴょん:永遠子40歳、貴子33歳。永遠子は既婚で、小学三年生(歳)の娘がいる。貴子は未婚、ただし恋愛遍歴はドロドロ
6:貴子は背が高い女の子だったので、8歳にして15歳の永遠子と同じくらいの背でした。 永遠子はある種、子守的に貴子と接していたと書いてあったような
イコぴょん 娘が8歳っていうのも、作為を感じるけど、これくらい分かりやすい方がいいのかもしれないなぁ
イコぴょん:うん、子守なんだけど、記憶の中では、とっても仲良しの友達なんだよね
6:永遠子は15歳も40歳も、どちらかというと貴子の前ではお姉さんのような役割で大人っぽく振る舞います。貴子は8歳はもちろんなんですが、33歳になってもなんだかあどけない感じが残っているようでした
イコぴょん:けれど今では、貴子の方がずっと背が高くなっている。そして永遠子の長かった髪は、ばっさり切られている
イコぴょん:6さんは先ほど、あっけなく元の関係のままで再会すると言っていたけれども、まずこの作品は、25年の断絶を描くと思う
イコぴょん:お互いの記憶の違い
6:そうですね。僕があっけなくといったのはふたりの関係に気まずさとかはなくという意味でです。
イコぴょん:うん、それはそうですね。けれど、なんだか読んでいて、この二人って、本当に仲良かったんかいな、と思ってしまったんですね
6:なるほど……
小野寺:ざっくばらんな感想を書きますと、現代の感覚をうまく文章にまとめたと思います
6:あ、大事なことで「永遠子は夢をみる」のにたいして「貴子は夢をみない」というのがあります。後ほど話に上がるとおもいます。
6:現代の感覚、というと?
小野寺:ふたつの意味で。新鮮さと時間感覚のなさです
イコぴょん:後者について、詳しく伺いたいなぁ
6:あんなさんはどの辺りまで読まれましたか?
小野寺:細かいところですが母親と同じ仕草をするというところがありませんでしたっけ
あんな:二人が再会して百足殺して甘いもの食べてる辺りです
6:なるほど
小野寺:母親が娘の髪を櫛で梳かす場面
6:あった気がします。
小野寺:反復感です
イコぴょん:一瞬と永遠を描いてますよね
イコぴょん:デボン紀から繋げてきてるんですよ、この小説
イコぴょん:3億5000万年前と、25年前と、現在を同一平面上に配置している
イコぴょん:同じことを繰り返している。同じ地面に立っている、というような認識
小野寺:ただ高度経済成長のストップしたままの今だから言える認識のような気がしたんですよ
イコぴょん:ふむふむ
小野寺:終戦直後ならそういうことは言わないでしょう
イコぴょん:社会的な情勢に、目立った変化がない?
小野寺:少なくともこの年はあまり大差ないのではと思います
イコぴょん:でも、女性の皮膚感覚は、社会や経済とは切り離して考えられる気がします
イコぴょん:やはり、髪を梳かすと思います。そこに、同一平面を見ると思う
6:「髪をとかす」って特別な意味がありましたっけ? なんか、あんまりその辺り覚えていないです。
イコぴょん:髪は重要ですね、この小説。髪を梳かす、髪がからまる。髪をひっぱられる
イコぴょん:女性は、髪に触れたがる、という表現があります
6:髪って存在の輪郭みたいな扱いだったような
小野寺:髪を引っ張られるという場面はよくわからなかったですね
イコぴょん:あれは、「後ろ髪をひかれる」ということだと思います
小野寺:脳梗塞かと思いました
イコぴょん:二度、引っ張られるんですけど、あの場面は幻想に踏みこんでいる。でも、そもそも、永遠子の叙述はあてにならないものなんです
イコぴょん:作品の冒頭から、夢なのか現実なのか多重構造になっていて、分からないように設計されており、記憶の補完や、歪曲のし放題
イコぴょん:だから、朝吹真理子のように日本語(とくに古語のような古い表現)を大事にする人にとっての、「後ろ髪をひかれる」の婉曲表現なのだと思います
6:そうですね、ただ覚束ない記憶の永遠子に対して何か文句が言いたいわけでもなく、その永遠子の曖昧な記憶や語りがこの小説の魅力だったりしました
小野寺:この作品は川端康成の「古都」を想起しました
6:そうか「言葉」がもともと持っていた動作的な意味を再現するようなことだったのか >後ろ髪
イコぴょん:デボン紀だって同じですよね。3億5千万年前のことなんて、今の人が言ったって、あてにならないもので
イコぴょん:古代魚の名前も、昔と今ではかわっている。そういう信頼感みたいなものの崩れたところにある、曖昧さ、茫洋としたものを、描いている小説だと思うんですよね
小野寺:きことわ→こと。何か匂う
イコぴょん:匂う?
小野寺:川端の匂いが!
6:駄洒落か
イコぴょん:川端の匂い!w 分かんなかったなーw
イコぴょん:どういう点が共通しますか?
小野寺:内容的にも、女性が二人別々に育てられていて再会する。特にドラマは生じないなど
イコぴょん:この小説、けっこうドラマがあると思うんだけどなあ
6:『古都』ってそういう話なんだ。
小野寺:カインの末裔ほどにはです
イコぴょん:あー。ああいうはっきりした筋はないですね
小野寺:それが川端もそうですから
6:ドラマというか印象的なシーンはよくありましたね。
6:洗濯物を夢で取り入れてたんだから、しれっとソファの上に置いておいてよ! みたいな
6:(緑川さんこんばんは、臨時ホストはさがりますので、あとお願いしますw)
緑川:(あ、ごめんなさい。シャワー浴びてきます)
6:(ラジャ)
イコぴょん:何が夢で、何が現実か、あそこで分からなくなるんですよね
6:あの夢と現実の交錯する文章、すごかったー
イコぴょん:夢の中で、クルマに乗ってるでしょう。んで、現実感のない雨が降ってる。
6:音がしないんですよね、たしか。
イコぴょん:あれ、実家の外で降っている雨の音を、永遠子の耳が聞き取っていて、それが夢に反映した、と考えられませんか
6:そうかもしれませんね。
イコぴょん:そうすると、夢の信頼性は一気に崩れる
あんな:流跡を最初に読んでたので、すごく丁寧に一語一語選んで書いてるな~という印象だった。流跡は、なんというか読まれることを想定していない感じだったので
イコぴょん:そうなんですか
6:「流跡」の良さはよくわかりませんでした。。
イコぴょん:朝吹真理子は、作品を、読者である「あなた」に届ける手紙、と言っていましたが、流跡は手紙にしては、「きことわ」とくらべて他者意識のない手紙だったということか
小野寺:貴子は過去を次々に忘れていく性格なのではないのですか
annaendo:流跡はどちらかというと宛名のない手紙を何枚も繋ぎあわせてみたって感じがしました
イコぴょん:貴子は記憶を改竄しまくってる永遠子と比べると、たしかだと思いますよ>小野寺さん
あんな:時間がうまく書かれていると選評で確か言っていた気がしたので、時間の描かれ方が極端で最初とまどった~(全部読んでないのでわからないけど)
イコぴょん:紅ショウガばっかり食ってたり、命を救われたってのを覚えてたり。実際に傷が残ってるのも、貴子の記憶が(わりと)たしかである証明かな
6:あれ、貴子も周りから言われたことを自分が見たことなくても、何回も言われることによって自らの記憶のように感じてしまう女の子だった気が
イコぴょん:どっちもどっちなんですけどね>6さん
6:時間については金井美恵子も褒めていましたね。
あんな:あの対談面白かった!
6:若い作家で珍しく時間の問題を描いていると。
イコぴょん:日本の若い作家にはいませんよね、こういう大きいスパンで時間を扱う人。
小野寺:やっぱり老人にも受ける作品なんだろうか
6:朝吹さんは本当に小説を愛していて、口をついて出る言葉もなんだか小説に対しての畏怖をもち、そして敬愛のまなざしを向けてお話されている姿が印象的で……
6:それはこの「きことわ」という小説もなんだか「うたう」ように書きあげられたことと何だか関係している気がします。
6:イコぴょん 老人に受ける作品とはあまり……w
あんな:小さい時から家に本いっぱいで羨ましい
イコぴょん:サラブレッドですからねえ
小野寺:なんとなく若さが感じられないんですよね。夢とか忘れるとか認知症っぽく感じてしまう
6:文章におとしどころをつけなくて、空中で手をだしたり足をだしたりして、さいごに綺麗に軟着陸するような感じ。行き先を見つけず、言葉や概念と空中で戯れる感じ。この文章ですきなところはそういう「うたっている」ところでした
イコぴょん:あー、空中で戯れてますよね。
あんな:本人もあらゆる所で小説の声について語ってますよね>6さん
6:ボイスって言葉をつかっておっしゃっていますね>あんなさん
イコぴょん:自分の好きなところは、でも、6さんと違って、それを地学のロマンや、別荘の解体、永遠子や貴子の変質という、現実的側面に依って描いているところですね。ただ「うたっている」だけなら、こんないい作品にはならなかった
6:しかも言葉と戯れつつも描く情景はめちゃくちゃ印象的で想像しやすかったりする。それが幻想的でもあるんだけど、しっかりと生活感のある小道具をもってその幻想的な情景に立ち入っていく様がお見事としか言えなくて、なんだかもうなんだかもうって感じでした。
イコぴょん:生活感のある、ってところは似てるかも。
あんな:歌舞伎とか将棋が好きなこととかも関係しているような。興味の向くところがたぶん古臭いので若さが感じられないと思うんじゃないでしょうか
小野寺:イコさんの言われてることは「不安」という現実的側面に思います
6:現実をただ現実として描くんじゃなくて、現実と言う障害をなんだろう上手く言えないけど想像力でまたぐような感じ(飛び越えるってほど飛躍していなくて)地に足が付きながらも、現実を前にして別のことを考えているこの感じ、大好きです
イコぴょん:うん、自分の言葉でいうと、「信頼のゆらぎ」ですね
小野寺:この一家だんだん没落しているように思う
イコぴょん:どっちの一家ですか?
小野寺:別荘は売るんですよね
イコぴょん:壊すんですよね
小野寺:永遠子ですか
あんな:小道具の使い方は確かにすごい。なんだかもう、だった
6:蛸に熱湯をかけるシーンは、すごいですよね
あんな:はい、滅多に書けないと思うし、めっちゃ印象に残る
小野寺:リサイクルショップにいろいろ売ってるから
6:書斎で小説を書いていないんですよ。この人は……。なんだか生活が小説になっていて、小説が生活になっていて、それが淡く混じり合ってこのような想像力に到達できている気がするなぁ(べたぼめ)
イコぴょん:んー、自然に出てくるんですよね。でも朝吹さんが特別ではなくて、日常系現代文学者の、小道具の使い方と変わるところはなかったように思って、特筆はしなかったな
イコぴょん:長嶋有とか青山七恵、角田光代みたいな、小道具の使い方だと思います。だから現代文学の流れを、きちんと知っていて、その流れに乗っている人なんだなあ、と思った。
あんな:流れを意識してると?
イコぴょん:そうですね
あんな:そうなんですかー。上記の人の作家は読んでないのでわからないなぁ
イコぴょん:この小説が、ただ、ひとつ頭出てるのは、構造的な意識があるところです。 時間を描いて、重層的にすることで、小説が立体になっている
イコぴょん:前三者は、そういう目線はあまりないんですよね
イコぴょん:一瞬を地面(日常)に定着させるために、小道具を使うんだけれども、それを重層化する。2010年代の作家は、ここが違います
イコぴょん:流れを意識する、というと、ブームに乗っているみたいに見えるけれども、現代日本文学の書き手が得た、ある種の長所を、目的に則って、きちんと小説に落とし込んでいる、と言えばいいかな
6:P6「もしうまれていたら、貴子と同年にあたると淑子は言った。同じ時期に妊娠した春子に、淑子は横須賀で拾った子産石を渡していた。それを撫でると安産になるという伝承がある。永遠子も百花をうむときにてのひらくらいのおおきさの石を母親からもらった。自分はうまないことを選んだ人が、なぜ春子に石を渡したのか。永遠子は問うことができなかった。」
6:このあたりの子産石の使い方とかもめちゃ好きです。引用するだけで恍惚な感じ
あんな:恍惚w
あんな:立体的な書き方を意識している人だというのは前から感じていました。音、時間、感触、色、などなど
緑川:「空間」については如何でしょ? (ふぅ。ようやく参加)
イコぴょん:空間は、あえて同じ場所で会わせることによって、時間による変化がきわだつようにしていると思います
緑川:疑問に思う箇所があって……、永遠子の踏切の場面。102頁「なにかにつよく髪の毛がひきつかまれ」ってところ
緑川:それとおそらく対応する、貴子の、ええと、何頁だったっけ? 76頁か
イコぴょん:(みなさんの出すページ数が、新潮で読んでいる自分には、あてはまらないので必死にめくっている)
緑川:踏切の場面、分かりますよね
6:(永遠子が別荘の食器棚の硝子にみずからの歳の姿をうつしたときに、それを歳のときにもみたような気がして、ならば歳の自分がのぞけば歳の永遠子に出会えるんじゃないかって期待をこめて硝子だなをみつめるシーンとかも、時間や空間に厚みをあたえる小道具として機能していましたね。)
緑川:永遠子が携帯で夫と子供と話していたところ
イコぴょん:新潮145ページですw
緑川:けっこう切迫した感じの一連の文章の後の箇所。それと貴子は、別荘で一人でいるとき「「貴子の頭髪はなにかに引き掴まれ、」って箇所
あんな:(15分くらい離れます…)
小野寺:ちょっと勘違いしていた
緑川:(いてらです、あんなさん)
小野寺:別荘は貴子一家で、永遠子は管理人のむすめ
緑川:ですね >小野寺さん
緑川:で、今上げた二か所、おそらく対応すると思うんですけど
イコぴょん:あれ、上に書いたの、間違ってましたか?>小野寺さん
緑川:ちょっと不思議な場面
小野寺:売却したら管理人も失業か
緑川:どう解釈すればいいんでしょ?
小野寺:いえ私が勘違い
イコぴょん:上にも書いたんですけど、「後ろ髪をひかれる」んだと思いますよ
緑川:まあ、私も、それを最初は考えたんですけど。この二つの場面、ふつうにオカルトなんじゃないかと
緑川:奇を衒って言ってるわけじゃなくて
イコぴょん:ノイズまじりの幻想(夢)のなかの表現じゃないでしょうか。
小野寺: 私は病気なんかと思いました
イコぴょん:この小説では、語り手が嘘をついても、なんらおかしくない
小野寺:40歳くらいになると脳梗塞の前兆はあらわれるものです
イコぴょん:なんて現実的な解釈なんだ、小野寺さんw
緑川:貴子も髪引っ張られてるんですよ
緑川:永遠子の娘も友達の幽霊がどうとか言ってますし
小野寺:貴子も歳ですから
緑川:では、この作品でこの場所に、「脳梗塞の前兆」を書き込む意味はありますかね
小野寺:不安という側面がなにかしらつきまとう気がするんですよ
緑川:なるほど、それが小野寺さんの解釈ですね
緑川:では、私の解釈を……。この作品、いろいろと境界線が曖昧でして、時間もそうですし、人の意識(記憶、夢)、
小野寺:退職とか売却とか後ろ向きな言葉が多いし
緑川:人そのもの・・・手足が貴子のものか永遠子のものか分からなくなるとか、 髪の毛が、どっちのか分からなくなるとか。境界が明確でない世界
6:なるほど
小野寺:そういうとこが病気っぽいんです
緑川:それで、オカルトって言ったのも、もしかすると、この現実の境界も曖昧で、異世界が侵入してる部分なのかなと
緑川:それが、さらっと書かれている。そう思いました
6:灰谷君のくだりとかはパラレルワールドを予感させてくれる記述でした。
イコぴょん:オカルト……んんー、SF的世界観になってきますね、そうすると
緑川 まあ、SF的に描いてないところが優れたところだと思いますけどね。緑川 あくまで、ごく普通の中年女性二人の関わりを描いているようで、ちょっと不思議な場面が、ちらほらと出てきて、読む側に解放感のようなものを与える
イコぴょん:ちょっと不思議な場面については、自分も、初めに読んだときは、悩んだんですよね
イコぴょん:貴子が髪をひっぱられるくだりも、「こわっ」と思った
緑川:人間存在って、ふつうに考えられているように、がちがちにリアルで固められたものじゃない
イコぴょん:けど、3回読んで、この作品は、ひょっとして語り手の「自我」が物語に食いこんでいる作品なんじゃないかと思い
緑川:ふむふむ
イコぴょん ここでいう視点人物は、永遠子なんですけど、永遠子は、この作品の語りを、初めから、ぼかしている。それが真実なのか、夢なのか、まったく分からないようにしている
緑川:「記憶」もそうですね
イコぴょん:そういう夢が、貴子に作用を起こしはじめる
緑川 うーん……
イコぴょん:貴子は、最後に夢を見るじゃないですか
緑川 あぁ、なるほど
6:面白い読みですね。
緑川:作品の構造そのものが、そうなのかなという気もしますけどね
イコぴょん:だんだん、からがっていくんですよね
緑川:貴子が、永遠子に会っていたと思っていた場面とか、ドッペルゲンガ―みたいな
6:二人は通じ合っている。貴子が永遠子と再会する前に、Bunkamuraだったかな、エスカレーターで永遠子を見るシーンですね
緑川:ですね
イコぴょん:断絶、すれ違いから、信頼を回復するまでの作品
イコぴょん:あ、でも、あれはすれ違いをあらわすシーンでしょう
6:永遠子はそこに行ったのはもっと後なのに、その浴衣はちゃんと持っていると応えている。
緑川:かな
緑川:やはり、異世界の場面だと思いましたけどね
6:平安文学の生き霊のように思いました……
イコぴょん:異世界、とまではっきり言っちゃうと、都市伝説みたいになっちゃうんですけど
緑川:どういう言葉を使えばいいのかな
イコぴょん:そういう、後ろ髪をひかれるようなこと、その人を思うこと、あると思うんですよ
小野寺:異世界っていい
緑川:もともと、人のアイデンティティって、そんなに確固としたものではない。って言い方をすれば良いのか
イコぴょん:あれ? あの人、まさか、みたいな。でもたぶん、絶対違うんです
緑川:リアルに考えれば全く違うんですけどね
小野寺:やっぱりそういうのも不安のあらわれなんじゃないのですかね
緑川:人間の意識そのものって、もともとそんなにリアルに徹しているわけじゃない
イコぴょん:うん
緑川:これもまた、現代文学の成果かと
イコぴょん:現実じゃないものを、見てしまうことはある。この作品ではそれが、「夢」に託されている
緑川:「夢」は、読者にとって分かりやすいので、その象徴として取り上げられてますけど
6:(小山内さんがいつのまにか落ちている)
緑川:いろいろと、境界が曖昧……。まあ、そんなふうに私は思いました
緑川:(あんなさんは、お帰りだろうか・・・)
あんな:(戻りました!)
緑川:(おかえりです!)
イコぴょん:この作品の面白いところ、もうひとつ言っていいですか?
緑川:どうぞ
イコぴょん:水のイメージを埋め込んでいる
緑川:(と、私が言っていいものかどうか)
緑川:ですね。それ、私も言おうと思ってた
イコぴょん:とにかく水が出まくり
緑川:なんて湿度の高い
緑川:そうそう
イコぴょん:永遠子の体が冷たいのも、水を想起させるし、雨が降りまくっているし
緑川:水族館に行くし
イコぴょん:別荘の室内は、水の底にいるようにゆらいでいる
緑川:とにかく、やたらに雨が降る
イコぴょん:流れる水と、時間をかけてるところもあるんでしょう
緑川:はい。で、それって何なのかなとは考えてみましたが、うまく解釈できてない
イコぴょん:面白いのが、「油壺マリンパーク」で、水と油かよって。
緑川: この濃密な水のイメージって一体何なんでしょ
イコぴょ: デボン紀ともかけてるんでしょう
緑川:古代魚の世界
イコぴょん:3億5千万年前は海だった
緑川:実際に、魚の時代でした、デボン期
イコぴょん 時間の流れを、水の流れと対応させることによって、なめらかにしています
緑川:女性的ってことは、あるのかなと一応考えてはみたんですけどね
イコぴょん:25年前の夢の中で、車外に雨が降っているのと、現在、外に雨が降っていることを、ぼやかしながらリンクさせることで25年前と現在が、すっと繋がります
緑川:この作品における「水」の使い方の、ひとつのバリエーションですね
イコぴょん:別荘が水の底っていうのは、また面白くて、記憶の中に沈んだ世界って感じですよね
イコぴょん:やっぱり時間や記憶のイメージと、呼応させやすいんじゃないかな
緑川:いわゆる時間や記憶のイメージではなくて、この作品における時間や記憶のイメージと、ですね
イコぴょん:そうですね。最後に貴子が夢を見るのは、浴槽のなか、とかね
緑川:女性性、って言ってしまうと、安易な感じがするので、あんまり言いたくはないですけど。そんな感じは、読みながらずっとありました
イコぴょん:話は戻るけど、貴子が夢を見たことを忘れるっていうのも面白いな。本当は見てるけど、忘れてるんじゃないかな、この人。だから「後ろ髪を引かれる」描写に夢がまじるのもおかしくないんじゃ。
イコぴょん:女性性、感じますね。すごくやわらかい感触がある。
緑川:食べ物が頻繁に出てくるのも、女性性でしょうか
イコぴょん:しかし地学の知識は、男性性のようにも思えるw
緑川:川上弘美の作品とか、食べ物が重要なように見える
イコぴょん:勝手なイメージですね、ダメダコリャ
緑川:理系ですね、永遠子
イコぴょん:あまり6さんが喋らない
6:すいません、なるほどなぁって思ってましたw
6:とにかく朝吹真理子を倒さないといけない気がしてきましたよ
イコぴょん:倒すwww
小野寺:同じく
緑川:小野寺さんも喋らない・・・
6:この人、同世代の中ではピカ一だもの
緑川:理系ってほんと、星を見てロマンを語るんじゃなくて
6:くやしいわくやしいわ! って今日も嫉妬していました。読みながら、そして恍惚!
小野寺:やっぱり自分の得意領域じゃないですから
イコぴょん www
緑川:数千万年後には、別の星が北極星になってるとか
あんな:6さんなら倒せそう
緑川:月を見ても、和歌をそらんじるわけじゃなくて少しずつ遠ざかってるとか
イコぴょん:ちょっと文学クサすぎて、鼻白むんだけどなぁ、この小説w
小野寺:夢をもう何十年も見ないですからね
6:あんなさんありがとうございます。でもなんかレベルの違いを感じました。マリアナ海溝ぐらい大きな
小野寺:そういえばフーコーの狂気の歴史の中に、夢と現実の境目がなくなりそれが繰り返される状態、それが狂気なんだと書かれていました
イコぴょん:面白い
緑川:それを特殊な狂気ではなくて、日常を逸脱しない程度に普通に描いた作品なのかな
小野寺:私は経験がないんでよくは分からない
あんな:正直夢の小説辛い。うますぎて辛い。
緑川:上手過ぎますね、ほんと
6:今は「上からマリコ」だけど、でも何とかなりますよ! きっと!
あんな:夢リベンジ放棄したくなった
緑川:あぁ、あと、この作品の下敷きの一部
あんな:修行僧の気持ちで頑張ります。滝にでも打たれましょうか、一緒に>6さん
緑川:おそらく萩尾望都『銀の三画』、『バルバラ異界』といったあたりのコミックだと思う
6:夢リベンジ考えてたんですね>あんなさん
6:読みたいです。
あんな:宣言しちゃったので、いつかは>6さん
6:真理子様に勝つには、小説をこの人より愛さなくちゃいけないなと思います
6 緑川 夢を繰り返す場面とか、そっくりな部分があるし
イコぴょん:んー、自分はなんかなぁ、勝つとか負けるとか、そういうのはなぁ……
小野寺:なるほど。緑川さん
6:ああ、勝ち負けではないですね……。でもこのような作品フンキします! その点では朝吹さんに感謝です
緑川:妙に理系だったり、夢と現実が入り混じってたり
イコぴょん:萩尾望都が、ですよね?
緑川:< 妙に理系だったり、夢と現実が入り混じってたり> こことか、ですね。萩尾都望の作品でよく描かれます
あんな:萩尾望都読んでみようかな
緑川:エンタメとしても面白いのでお奨めです
イコぴょん:「きことわ」に戻ると、最後に、かげのなかで髪がからまるシーンは、ちょっと泣けました
小野寺:読み返すと既視感が萩尾望都はするんですよ
イコぴょん:お互いに記憶の中の貴子ちゃん永遠ちゃんを求め合ってて、「後ろ髪をひかれ」ていて、けれどどこかズレがあったんだけど、最後に、からまる(合意する)。あ、信頼を取り戻してるな、と。
6:泣けますね。なんか全体的に泣ける。
イコぴょん:だから時間がそれぞれ瞬間で止まっている小説じゃなくて、ちゃんと水のように流れているんですよ
イコぴょん:別荘は壊れても、二人の関係は、これからまた始まるだろうっていう希望のもてる終わり方で
6:髪をひっぱられるって超常現象はお互いの存在を頭のどこかで気にしていたから、それが身体的な感覚にまで降りたのかも知れませんね
小野寺 ああ、そういうことか。やっと分かった
イコぴょん:直前に、「おぼえている」ことが、やっと二人とも合致するんですよ
イコぴょん:ずっと、片方しか覚えてないことが続いていたのに。
6:「蓮根」とか「きんきだい」、「カップラーメン」まで含めて、なんだか美味しそうに描けているなぁ。
6:この小説って、ちょっとした「血」の問題とか、「一族」の問題とかにも立ち入るそぶりを見せるじゃないですか。でもそこでどっぷりはまってしまうと「昼ドラ」になっちゃうと思うんだけど、軽さをもってそこから何か離れている。そういった血縁関係のことよりも、読者の興味対象は美味しそうなごはんだったり、何千年も前の地層だったり、アカナマコの水鉄砲のような印象的な風景だったりする
6:でも「親族の問題」とかを配置することによって、現実と地続きの空間をうまく描いていてバランス感覚のようなものがめちゃくちゃ優れている。
イコぴょん:そうですねー、現実と地続き、大事だと思う。
6:そうですね!
6:これが美味いもん食ってナマコぴゅーぴゅーの世界だったら、なんか深刻みがゼロですものね
イコぴょん:まだ、でもね、この作者、発展途上だと思います。別荘の取り壊しが、「文学的素材」すぎるもの。あと地学のくだりも、作為が見える
6:僕はこの作品の弱点を見出せない
イコぴょん:瞬間と永遠を、ちょっとあからさまに出し過ぎだろうって
6:ですかねぇ……、僕は巧みにだまされてしまいましたw
イコぴょん:この人の記者会見を見て、「文学の香水、かけまくってるなぁ」って、失礼ながら、俗から離れてしまったような印象を受けたんです
6:金井美恵子の対談はそんなしゃっちこばった印象もなく、そのへんのお姉さんな感じがしていましたよ。
イコぴょん:作品も、なんか、文学的にすぐれて見えるものを、彼女の嗅覚で、探しだしてきているんだけど、それが、たとえば非文学好きには、ほんとにクサク見えるだろうなって
イコぴょん:阿部和重との対談では、あー、これは文学お嬢様だなぁって思いましたよ
6:うむぅ、文学好きの作品。
イコぴょん:そうそう、その辺りは、6さんの小説の読後感と近い
イコぴょん:それでもいいっちゃいいのかも、だけど
小野寺:それでもいいんじゃないかと思います
6:僕は何か理想的な気がした。「きことわ」……。僕が書いたらイタい意味でもっとブンガクくさくなりそう……
イコぴょん 芥川賞を受賞した折、14万部これが売れて。店に行ったとき、女子中学生が、「きことわ」を買っていた。
イコぴょん:それを見たとき、こう思った。「この子は、最後まで楽しく読めるんだろうか」って。
イコぴょん:勝手な憶測だけどさ
6:表紙がかわいいですもの。
イコぴょん:ちなみにその子は、ケータイ小説といっしょに、「きことわ」を買っていた
6:でもその子はあと10年ぐらいして再読してみたりして、急に文学に目覚めるかもしれない。そして20年後ぐらいに作家になっているかもしれない
イコぴょん:そうかもしれません。ただ自分は、なんか、これを読んで、三島とか、川端とか、大江とか、ああいう作家とは、違う「文学クサさ」を嗅ぎ取った。
イコぴょん:三島は読めなくても、「すごい」のは分かる
6:「ブンガクファンのブンガクくささ」みたいなものでしょうか。
イコぴょん:そうですね。三島や川端の評価っていうのは、そこにおさまらないでしょう
6:そうですね、三島とか川端とかはブンガク全開!でしょうね。
イコぴょん:それを読めない自分が未熟なんだ、またアタックしようっていうような、そういうことを思わせてくれるんですけど、たとえば「きことわ」を読んで、同じことを感じるだろうかっていうと
小野寺:全開すると全壊しそうだ
イコぴょん:「えー、なに、つまんない!」になる可能性が大きいんじゃないかと。イコぴょん ほんと、勝手な憶測ですけどね
あんな:未だ三島読めない
イコぴょん:(自分は川端の「雪国」に何度もアタックかけて、そのたびに挫折しています)
6:うむぅ、僕は朝吹さんの作品は決してそこにとどまらず、ある種の結晶を作ることに成功したとおもうんですけどね。でもまだ二作なので朝吹さんの評価はまだまだ定まっていない。
小野寺:え、二人とも信じられない
6:いやー僕も三島(喰わずぎらい)川端(ほぼ喰わずぎらい)です。
イコぴょん:これは、印象論でしかありませんから、話半分にしといてくださいw
小野寺:「雪国」は30分で読んだ
イコぴょん:朝吹さんは、発展途上ってことが言いたいんです。もっと不自然さ(作為)を感じさせない、完璧な舞台を用意できると
小野寺:イコさんの解釈はすごくいいと思います
イコぴょん:ありがとうございますw
イコぴょん:川端はリズムつかめば、読めるんですけどねw 「雪国」は、誰が喋ってんねんって、中学、高校と二度アタックかけて拒否され、なんかゴミまみれになって、くたくたの本が、書棚にぶっささったまま今に至る
あんな: (雪国も積読だな。開かずの扉みたいになってるw)
6:開かずの扉w
小野寺:別にそう面白くもないですよ
6雪国は面白かったですよ。僕的には。
小野寺:「伊豆の踊子」は好きだけど
イコぴょん:「伊豆の踊子」の呆気なさには笑った。こんだけの作品かよってw
6:シンプルで美しい文体。あの瞳の描写とか参考になります。
小野寺:「古都」は高校生の時に読んで苦しんだ
イコぴょん:シンプルで美しい、ですよね
小野寺:行間が志賀直哉の倍くらいある
イコぴょん:川端は、ものすごい作家であると思います。うん、行間の支配者
6:列車に乗っていて、田舎の民家のひかりが窓越しに瞳のなかに映るんです。そしてそれが後の物語の異様な伏線になっている
小野寺:「十六歳の日記」は読みたい
イコぴょん:あ、あれ面白かったす
小野寺:文庫にありますか?
イコぴょん:岩波に入ってますよ
イコぴょん:「きことわ」からだいぶ離れた
小野寺 ああ
イコぴょん:緑川さんは落ちたんだろうかw
小野寺:ホストが落ちた
イコぴょん:「きことわ」については、このくらいでしょうか
小野寺:はい
あんな:はい、お腹がぐーぐーいってきました