【資料1】
三島の「月」をどう読むか?
文責:イコ
テーマ:三島由紀夫「月」 初出「世界」(昭和37・8)
<論考の手掛かり/視点>
1.三島由紀夫の作家性から「月」を読む
①三島由紀夫にとって、なぜ「月」が描かれなければならなかったのか。
②三島由紀夫が目指す文学
③他作品から見られる作家性
→「憂国」「詩を書く少年」「仮面の告白」などに見られる作家性から、本作品を解釈できないだろうか?
2.時代から「月」を読む
①「ビート族」とはなんであるか。
②この作品が描かれた1960年ごろとはいったいどんな時代か。
3.「月」を「月」として読む
①ピータア、ハイミナーラ、キー子の人物造型。
→『合成樹脂の、冷たい野蛮な、無関心の生存の状態』とは?
→3人の「ビート族」の性格の違い。
②「藷」とはどのような人間のことか。かれらはどう藷とちがうのか。
③タイトルの「月」とはなにか。
→最後まで月の出てこない物語。
④「地下室」「教会」という場面設定。
→なぜ地下室なのか。なぜ教会なのか。
→象徴的ないくつもの表現。
(「教会を飛び交う天使」「コカ・コーラの壜」など)
⑤最後につぶやかれる「嘘」とは何か。
→なぜピータアは尖塔の上にのぼったか。
→ハイミナーラとキー子の反応について。
4.三島の「テクニック」を見る
①会話から書きだす手法
→いきなりセリフからはじめることの効果とは。
②カタカナを多用する表現
③レトリックの力
④作家の視点
→作家はどこに立っているか?
【資料2】
(以下は、ちぇまざき氏からイコ宛てに送られてきたメールの文面を、そのまま転載したものです)
部のみなさんはSkypeで集まるという事でしたが、私はその日参加できませんのでこうして感想文を書きます。
まず初めに。
キツめな題材の小説なのでみなさんはストーリー重視で話が進むと思い、自分は別の切り口で文を進めよう、と思いました。
ですが、別の切り口でやろうと思ってもなかなかに困難なのです。
どうしても、主人公たちや語り手と同じ目線に立ってしまう。
そこがなかなかによく出来ている所でもあり、物語が「主人公たちのたわむれ」と「その周りに存在する世界(観)の描写」を交互に書いている。
それが読み手に客観させない工夫なのか、それとも彼らの繰り返す空疎さに近づけるためなのかはわかりませんが、スタイルと内容がちゃんと一体している。
というとバロウズの作品へ書いたような書評になるけれども、概ね目指しているのは近いのかもしれません。
ダラダラと反復する、酔う、時系列が飛ぶ、自発的に捨て鉢な姿勢である……。
行間にはあまり意味がないと、個人的には思っています。
それこそ、ただ字面を楽しめばいい種類なのかもしれません。
(文・ちぇまざき)