常磐とtwitter文芸部の出会いは、とある小説サイトでお互いの名前を見聞きしていて、twitterでやり取りをさせていただいていたとある元部員の方から声をかけていただいた時点にまで遡る。
当時旗揚げされてまだ日の浅かったtwitter文芸部という場所に籍を置くということを決意して初代部長であったイコさんに声をかけ、フォローした。
『おれは作者が血を吐いてやっと書いた小説が読みたいです。おれからも血を吐いてやっと書いた小説を読んでもらいます』
この言葉に感動した。「刺激」という言葉は常磐の胸を確かに刺し貫いていた。だから、全く文学していないのにも関わらず入ってしまったのだ。もしかしたら、
「こいつ文学に関して無知すぎる。一体ここに何しに来たんだ!?」
そう思われた方だって、きっといたことだろう。実際、常磐は入部してからしばらくの間ものの見事に幽霊部員だった。文学に対する無知だけは、本当にどうしようもなく、不安だった。
それを打ち破ってくださったのもやっぱりイコさんだった。小説サイトに感想がつかない。読者の数が伸びないことに不安を感じて愚痴を言う常磐に、
「常磐はわかっていない!」
と真っ向からぶつかってくださり、そして引っ張り込んでくださった。常磐が作品をtwitter文芸部に寄稿するようになったきっかけだった。
あまり常磐という人間は器用な存在ではなく、本当にバカみたいに毎月、寄稿することだけを続けて来た。本当にこれは合評だとか、月刊誌に出すに値するだけの作品なのか? そんな自問自答などすることすらなかった。
出してみなよ。出したら話し合うよ。もっと良くしてやるよ! イコさんのみならず、頼りがいのある部員の皆様それぞれの言葉に常磐は支えられて来た。
文学がどうの、名作がどうの。それも必要かもしれないけれど、それだけじゃない。常磐の最初の不安は、何て事はない。壁、いや、ハードルですらなかったのだと。
ここは、文字を、それぞれの文学を受け入れてもらえる場所なのだ。置いておかれるのではなくて、手に取ってもらって、それぞれが目指す高みに歩き出せるようになる場所なのだと。そう思える様になっていた。twitter文芸部という場所は、そういう場所だと、当たり前のことだけを常磐はこの場を借りて言おう。
最後に謝辞を。
編集部の経験すらない中で編集長を任され、きょろきょろと辺りを見回してばかりであった私を支えてくださったるさんと6さん。「もう二人が編集長で良いよ」と思う場面が何度もありながらも、何度でも私に編集長としての役目と責任を思い出させてくださり、そして支えてくださった事に深く感謝を。
分かり辛い特集でありながらもたくさんの作品が集まり、表紙を作成していただいたり、自由投稿に寄稿していただいたり。部員の皆様には感謝してもし尽くせない思いだ。
初代の部長であったイコさんにとっては一部員として復帰後初の寄稿、しかも巻頭紀行文での参加となり、また、常磐に校正というものを改めて教えていただいた。常磐の作品が一面赤く染まったこともここに追記しつつ(笑)、感謝したい。
編集長としては些か頼りない人物であったかも知れないが、編集長として関わる事ができたことを心より嬉しく思う。
そして、この月刊誌を手に取り、お読みいただいたすべての読者に、心よりの感謝を。
ここは、全ての作者と読者が文字を通じて生きている世界。内部、外部という区切りをも超越して優しくも、厳しく受け入れ合い、高め合う。
きっとこの世界はもっと良くなれる。読者の為に血を吐いてやっと書いた作品を、作者の為に血を吐いて読み込む。お互いを思い合うこの世界がこれからも続き、発展していくことを願って、常磐の編集後記としたい。