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 瑠璃色の記憶

 その夜、サトルは都会の空に光が爆発するのを見た。閃光は激しく、思わず瞼を閉じてしまうほどの光の粒子が彼の網膜に降り注いだ。不意の光は眩暈を誘い、サトルは立ち尽くすしかなかった。
 昨夜、テレビのニュースは地球に接近する隕石の存在を伝えていた。まさか落下したのか。サトルは恐る恐る瞼を開けたが、夜の街に浮かぶ電波塔や高層ビル、幹線道路に連なるテールランプや帰路につく人々、すべてが何事もなかったかのように変わらない営みを続けていた。
 光は幻であり、ただの眩暈だったのだろうか。しかし、目の奥に残る気怠い重みは、光の刺激によるものとしか考えられなかった。携帯を取り出し、掲示板やミニブログ、ニュースサイトを検索するものの、都会の空に炸裂した光に言及したものは“発生した”という事実確認は勿論、手掛かりすら見つからない。
 自分の見た光は何だったのか、なぜ誰も光を感じなかったのか。理解出来ないが、この場にいても何も始まらない。サトルはハイカットのスニーカーの紐を結び直し、再び歩き出す。
 近くの駅から電車に乗らず、次の駅まで歩くことにしたのは光の手掛かりを求めてであり、もし光が幻であったなら、幻であったことを自分自身に証明する現実を探すためでもあった。

 炸裂した光の手掛かりを探すことは感傷を伴う戯れであったのかもしれない。サトル自身は光を浴びた感覚があるものの街に形跡はなく、手掛かりすら掴めなかった。からだを休めることも無く時間を消費し、発生したか分からないものを探すとき、最早、探すという手段そのものが目的となり、普段は立ち入ることのない危うい光と色と欲に彩られた一画の深部、光の届かない路地へと迷い込んだ。
 ふと、サトルは空を見上げた。狭い空は異様に澄み、視線を落とせば、大企業の消費を喚起するネオンサインが明滅していた。何も変わっていない、サトルは呟き、短い煙草に火を点け、この場を去ろうとする。そのとき、暗闇に順応した瞳に矩形の小さな扉が映った。
 サトルは、ゆっくりと扉へ近づく。扉は木製で、ガラスが嵌め込まれていた。覗くと、暗い建物の中に雑貨のようなものが見える。店だろうか、扉に付いていた郵便受けを見ると、木製のプレートが取り付けられていた。手書きのような文字で「青黒」と彫られている。どう読めばいいのだろう。「あおくろ」、「せいこく」、サトルは呟きながら、どれもしっくりしないと考えていると不意に扉の開く音がして、女性が現れた。
「お客さまですか」
 若く、背の高い、痩身の女性である。静かな声だったが、サトルには初めて聞いた声のように感じられないほど、自然な音に感じた。
「実は道に迷って、ここに。お店と聞きましたが、雑貨屋さんですか」
 初対面の人に、まさか都会に炸裂した光を見つけるためとは言えなかった。
「はい、お店です。文房具屋ですが、雑貨屋さんに似ていますよね」
 女性はくすりと笑い、続ける。
「こんな人目の付かないところにある文房具屋なんておかしいですよね。よろしければ、少しだけ覗いて行かれますか」
 一瞬迷ったが、女性の正直で飾り気のない言葉に好感を持ち、サトルは扉の向こうへ歩いていく。間もなく、店に明かりが灯った。
 店の中は二人も入れば身動きが取れないほどの広さであった。狭い、というより、それ以上に商品が溢れていた、というのが正しかった。飾り気は無いが丈夫で美しい木目のアンティークのショーケースは幾多の所有者それぞれが深い愛情をかけなければ出せない艶をたたえ、並べられた鉛筆や万年筆、舶来物のノートやインク瓶、鋏などを、白熱球がやわらかく照らしている。商品は溢れていたが雑然としているわけではなく、まるでそのものがそこにあることが必然であるかのように置かれていたから、サトルは初めてこの店に入った気がせず、不思議な懐かしさを感じていた。
「こんなお店です」
 女性は静かに言った。白熱球の温かな光に照らされ、暗闇では分からなかった女性の顔が見える。ショートボブの黒い髪に、一重瞼で黒目がちな瞳。口角の上がった薄い唇が格好良い。
「どれも綺麗でびっくりしました。この鉛筆ホルダーも素敵で」
 サトルは鉛筆ホルダーのひとつを指し示す。赤色と白色の混ざった、まるで大理石で出来たような軸である。女性は微笑み、
「こちらは今日、お店に並べたばかりの鉛筆ホルダーです。四十年前ぐらいのアンティークで、セルロイドで出来ています。セルロイドは直射日光があたると劣化しひびが入ったりしますが、このホルダーは保管がよくて、発色も昔の物とは思えないほど美しいですよね」
「セルロイドのホルダーなんて、初めて見ました。良い物がたくさんありますね。もう少し、お店の中を見させていただいてもいいですか」
「ぜひ」
 サトルは表情を少し緩ませ女性に小さく会釈し、店内をあらためて見回す。真鍮で出来た小さな鉛筆削り、革のメモカバーやペントレー、クリーム色の原稿用紙、ガラスペン、プロッターなど、文房具が好きでなければ手にしない品々で溢れている。
 その中に、瑠璃色のガラスの置物のようなものがあった。大きなおはじきのような形をしていて、原稿用紙の上に三つ載っている。薄く、透き通った瑠璃色が原稿用紙の白色に合っていた。サトルがしばらく見とれていると、
「これはこういう使い方をするために作られたか分かりませんが、ペーパーウェイトとして置かせていただいています。青色が綺麗で、私も大好きなんです」
 女性の言葉に、
「とても綺麗です。こんなに綺麗な瑠璃色を見たことはありません。本来の使い方は分からないと言われたけれど、紙の上に置くととっても引き立っていて、きっとペーパーウェイトとして作られたと思います」
 サトルは素直に感想を伝えると、
「ありがとうございます。もしよろしければ、手に取ってみてください」  
 女性に勧められ、サトルは瑠璃色のペーパーウェイトを手にした。透明感のある、少し明るい青色が美しい。なめらかな手触りが心地良く、ふと、子供の頃にプラスチックで出来た宝石の模造品を集めていたことを思い出し、懐かしくなった。このペーパーウェイトには人の記憶に寄り添う何かがあるのかもしれない、と思った。
 気づいたときには、ペーパーウェイトをしばらく握り締めていた。
「そんなにお気に召していただいて、うれしいです。もしよろしければ、ひとつお持ちください。売り物ではないので、遠慮なさらずに」
 不意の女性の言葉に、サトルは顔を赤くした。
「商品をすみません。とてもいいなと思って。このペーパーウェイトを持っていたら、何だか子供の頃のことを思い出してしまって」
「そう言っていただけて、本当にうれしいです。子供の頃を思い出されたという気持ち、私も何だか分かります」
 女性は優しく微笑んだ。サトルは受け取るか迷ったが、彼女の気持ちを素直に受け入れた。そして、貰うだけでは悪いし、何より瑠璃色のペーパーウェイトを使いたかったので、便箋のセットを女性に選んで貰った。彼女は飾り気の無い乳白色の便箋のセットをサトルに差し出す。
「やさしい瑠璃色に、クリーム色の紙がとても合うと思います。紙質もいいので万年筆などで書かれても、ひっかかりや字の滲むことはありません」
 紙質については分からなかったが、サトルもこの便箋は瑠璃色のペーパーウェイトに合うと思った。
「ありがとうございます。便箋、いただきます。何だか遅くに長居してしまい、すみません」
 サトルは言うと、
「いえいえ、私の方からお誘いしたのですよ。それに、この店は私が自由にやらせていただいているので、営業時間はあって無いようなものです。お客様がいらっしゃればずっと開けていますし、休むときは勝手に休むので、お客様から時々叱られる時もあります」
 女性は便箋とペーパーウェイトを包む手を休めることなく言い、笑った。そして包装した商品をサトルへ手渡し、
「もしよろしければ、またいらしてください。日中は夜と雰囲気が違って、意外と清々しいんですよ。名刺もよろしければどうぞ」
 と、微笑みながら、名刺もサトルへ渡した。名刺には「黒青」という店名が書かれ、下に「ブルーブラック」と振り仮名があった。
「黒青と書いて、ブルーブラックというのですね。何て店名を読むのか悩んでいました。そうか、万年筆のインクでブルーブラックってありますものね」
「そうです。お詳しいですね」
 女性は微笑み、
「ぜひまたいらしてください 。営業しているかいないかブログに上げておりますので、いらしていただけるまえに名刺のアドレスにアクセスしていただけましたらうれしいです」
 必ず伺います。サトルは言い、一礼して店を出た。

 スマートフォンでサトルが時刻を見ると、すでに二十一時を過ぎていた。いつの間にこんな時間までいたのだろう、と思う。
 サトルはマフラーを締め直し、家に向かう。途中、コンビニへ寄り、発泡酒を一本買い、家へ戻った。ただいまを言う相手はいない 。
 すぐに、サトルは窓際の棚へ便箋と瑠璃色のペーパーウェイトを置いた。
 朝になれば光が差し込み、ペーパーウェイトは瑠璃色に輝くだろう、とサトルは思う。