タケシは夜とは暗いものだと思っていた。黒く垂れ込める空がいつか自分のことも真っ黒にしてしまうのではないかと怖かった。タケシはその恐怖にぎりぎりのところまで耐えて、もうだめだとなると決まって母に泣きついた。そうすると母は空がよく見えるところまでタケシを連れて行って、夜空と星のことについて優しく語ってくれた。
「ほら、よく見てごらん。夜の空ってのは暗いばかりじゃない。こんなに綺麗な星が散らばっているじゃないの」
もっと幼い頃のタケシは星を綺麗だなんて思わなかった。ただちかちかと点灯する模様みたいなものがあるなと思って、やはりその周囲にある黒い空に目がいってしまった。けれど、今は違う。タケシにはこれまで母が語ってくれた物語があった。夜空に見える星にはそれぞれの物語があり、そこでは勇者が怪物を倒したり、男が女を真摯に愛したりしていた。そんな物語を聞いてからのタケシは夜が少しだけ怖くなくなった。相変わらず真っ黒な闇を見つめると恐怖に囚われはするものの、共にある星の物語を思うだけで心が強くなれるような気がしていたのだ。だからこの頃のタケシが母に泣きつくのは、ただ夜が怖いからだけでなく、母が語ってくれる物語を聞きたいからでもあった。
「見て、北の空のずっと上のほう。小さな星がいっぱい見えるでしょ」
「うん、でももやもやしててよく分かんないや」
「そう、あれが星座なの」
「ああいう星座もあるんだね、なんていうんだろう」
「かみのけ座っていうんだよ」
かみのけ座。タケシにはその名前はその星座にとてもふさわしいもののように思えた。
小さな星がもやもやと集まって、ひとつの塊をなしている様は、女性の髪の毛を後ろから 見ていように感じられたからだ。しかし、タケシは同時に不思議だった。今まで母が教えてくれた星座には多かれ少なかれ、胸が躍るような物語があった。けれど、かみのけという言葉からその気配は感じられない。
「ねえねえ、あの星座はどうしてかみのけ座っていうの」
「そうだねえ、その説明をしなくちゃいけないね。まずかみのけ座はね、昔は星座として認められていなかったの。それが後になって星座になったんだよ」
「ふうん、どうしてそんなことになったの」
「どうしてだろうね、私にもそれはわからないよ。ただもしかしたら今から話すことと関係あるのかもしれない。あの星座にまつわる物語はね、本当のことだったんだよ」
タケシは感心した。星座に関しての物語をいくつも聞いてきたが、それがつくり話だと いうことがわからないほどに彼は幼くなかった。だが、かみのけ座の物語は本当のことだという。それは母が自分の成長を少しだけ認めてくれたようにも思えて、胸が高鳴った。
「昔どこかの国の王様がべつの国に攻め込んでいったの。そのとき王女様は、王様が無事に戻れることがあれば、美しいことで有名だった自分の髪の毛を美の女神さまに捧げると誓ったんだ。」
女性にとって髪の毛が大切なものだということはタケシにもわかることだ。さらにそれ が美しくて有名な王女様のものともなればなおさらだろう。それだけ王女様が王様を愛していて、深く心配していたのだなと思った。タケシにはまだ愛のことなんてわからないけれど、それが並たいていの覚悟ではないのだろうということは察しがついた。
「それで結局、王様は無事に戻ってきたんだね。そして王女様は髪の毛を切り落として、祭壇に捧げたの。けれど、翌朝になると髪の毛は消えてしまった。王様と王女様は家来のせいだと思って、大変に怒ってしまったんだ。」
家来たちは怖かっただろうとタケシは思う。もし僕が家来だったら王様に殺されちゃうかもしれないと怯えていた、と考えた。
「でもそのとき王様に仕えていた偉い学者さんが言ったんだって。女神様は王女様が髪を捧げたことを大変気に入って、またその髪の毛もとても美しかったので、その髪の毛を空に召し上げて星座になさったんだって。それがあのかみのけ座だよ」
タケシはなんて気の利いた言葉なのだろうと思った。今まで聞いてきた物語とちょっと違うけれど、なんだか自分の頭までよくなったような気がした。普通ならば王様に罰を受けるかもしれないところを学者が機転を働かせて、美談にしたてあげた。胸がわくわくするような冒険ではないけれど、タケシの心はきらきらと輝いていた。
「かみのけ座ってきれいだね」
タケシは胸がいっぱいになって、それしか言葉が出てこなかった。
「うん、そうだねえ」
けれど、母が微笑みながら頷いてくれたので十分に満足だった。
「ねえ、タケシ。この空にはたくさんの星があって、それが星座になっていることはわかっているね。」
「うん、星座にはいろんなお話があって、とっても素敵だと思うな」
「そうだよ。だからお前にも夜が怖いだけのものじゃないってことはわかったね。それでね、今日はもうひとつ別の話をしよう」
タケシには不思議に思われた。母はまだ小さな自分を気遣ってか、一日にひとつ以上の話をしたことがなかったし、星座の話が終わるとすぐ寝るようにと仕向けるものだった。
それが今夜はもうひとつの話をするという。それがとても大事なことのように思われて、タケシは耳をそばだてた。
「夜空にはたくさんの星があるね。星たちはひとつひとつの光は小さくても集まることで綺麗な星座になる。それは私たち人間も同じなんだよ。私たちも一人じゃたいしたことはできやしない。それが集まることで綺麗な星座にもなるし、ずっと大きくなるとこの夜の空みたいな星空になるんだよ」
母が難しいことを話しているようにタケシには思われた。言っていることはなんとなくわかるのだが、タケシはまだ少年だ。自分と母が家族でそれが星座のようなものだとはわかるけれど、その集まりが大きくなるというのはどういうことだか実感がなかったのだ。学校の友達や先生、近所のおじいさんやおばあさんがそうなのだろうとは思っても、実際に母との間にあるような繋がりは感じられない。もっと大きくなればわかるのだろうか。
「タケシにはまだ難しいかもしれないね。けれどね、覚えておいてほしいことがあるんだ。私たちは一人じゃ生きていけない。星がひとつでは夜の暗がりに隠れてしまうようにね。けれど、たくさん繋がれば夜空を照らす光にもなれるんだよ」
「うん、覚えておくよ。今日はたくさんお話をしてくれてありがとう」
相変わらずタケシにはよくわからなかったけれど、星の集まりみたいに、自分も大きくなっていくうちに自然と周りの人たちと繋がっていくのだろうなとは考えた。それまできっと母はやさしく光る月みたいに自分のことを守ってくれるのだろう。今はそれでいいと思う。けれどいつか自分も誰かと繋がって星座になったり、誰かを照らし出すことができたりするのかと思うと、じんわりと胸が熱くなった。
「ねえ、母さん。僕はやく大きくなれるように頑張るね」
「ああ、頑張りなさい。タケシなら大丈夫だよ」
〈了〉
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崎本智(6) (月曜日, 21 5月 2012 15:13)
「夜、お話」について
平易な語り口、小うるさくない丁度よい教訓も織り交ぜており、これこそが童話かと思った。タケシと母との会話が時間・空間においても広がりをみせていく流れはよくできている。この作品は童話的な面ではクリアしているところは大きいが、果たしてこれが優れた小説なのかというと疑問符が付けられる。
一流の童話は、おそらく一流の小説に足り得ているだろう。たとえば会話と地の文のテンポが同じようにだらだらしている印象を受けた。平易な言葉で語る文、言葉を厳選して特に会話文の中ではハっとするようなセリフの連続を期待する。なくても良い指示語などをとるだけでもすっきりすると思う。
時間(昔話)・空間(星空)に広がりを持たせていることは素晴らしいと思うが、この小説に「奥行き」のようなものがあればさらに良い作品になっていたのではないだろうか。タケシ・母とはどういう人物か。
二人の背後にはどのような世界があるのかが描写されていればよいと思う。もちろんそれは童話的要素が崩壊して行くせめぎ合いを道連れにしながら、小説における葛藤を造り出していくことになると思うのだけど。