参加者3名の紹介作品(下記1~3)については、当日の発表順に掲載します。( )内は作品のジャンルです。
このページでは“紹介者が文学を感じている部分”の紹介を中心とし、紹介者の言葉にできるだけ依りながら、私(プミシール)なりにまとめてみました。
より詳細な作品の紹介は、skypeログおよび紹介者レジュメにありますので、ぜひ、あわせてお読みください。
レジュメ提出による参加者2名の紹介作品(下記4~6)は、レジュメをそのまま掲載しますのでご覧ください。
ただレジュメだけでは何なので、蛇足ではありますが、私が各作品を視聴し寸評を加えました。レジュメの後ろにありますので、よければお読みいただき“議論の呼び水”などにしていただけたらありがたいです(ご意見・ご批判謹んでお受けいたしますw)。
それでは、どうぞご覧ください。
1.「穴」(映画) 紹介者:プミシール
ジャック・ベッケル監督の遺作(1960年)。脱獄を描いた映画である。
全編を通し“途切れることのない圧倒的な緊張感”が持続している。そして登場人物より“脱獄という行為そのもの”が、映画の主人公であるかのような印象を抱かせる。
それを可能にしたのは、本作に用いられた数々の演出法であり、具体的には①「モノクロ撮影であること」②「登場人物の背景描写(人間ドラマ)をほぼ排除していること」③「効果音の強調」④「手元の動作・物体へのクロースアップ」などである。
そして、これらの演出がかみあった、本作を最も象徴するシーンが、脱獄囚たちが、自らが入っている房の床に穴をあけるシーンである。
方法が的確に内容を表している(つまり本作では、演出方法と内容が合致している)点に、紹介者は文学を感じている。この点と、紹介者の考える“優れた文学の条件”とが、一致しているからである。
※skypeログでは、ストーリーの説明や、上記「穴あけシーン」の会話での再現、そしてなぜか、他の映画もすすめていたりします。
2.「Sound Horizon(の作品)」(音楽) 紹介者:タキートン
Sound Horizonのメンバーは作詩・作編曲を手掛けるRevo一人。それ以外のメンバーは各楽曲ごとに集められる。楽曲の特徴は“音楽で物語を語る”こと。既存の音楽のように、音楽に物語を導入したのではなく、“物語を語るために音楽を導入した”のである。
アルバム「Roman」を例に構造を見ると、まず一曲目に物語全体を統括するような「横断的視点の楽曲」(具体的には、主人公が己の物語を求める楽曲)が語られる。主人公が物語を求める行為は、我々聴衆が楽曲を聴き、解釈する行為と一致する。
一曲目以降に収録された、複数の人物の視点で語られる様々な物語を(主人公が求めた物語として)聴衆が関連付けようとすると、細部で矛盾(幻想)が生じてしまう。これは、物語が人々の想像力によって生まれること、そしてそれぞれの物語が、それぞれの幻想によって紡がれる平行世界である、という“物語の本質”を表している。
一つの物語を解釈、共有しようとする(=想像力を働かせる=ここでは楽曲を解釈する)ことは、それぞれ矛盾を孕みながらも(根幹で)人々が繋がり合っているということなのである。この繋がりはさらに、過去と現在の物語が、互いに影響を及ぼし合う(輪廻する)ように、歴史にも当てはまるものだとも言える。
ポストモダンの進行著しい現代においても、物語(そしてそれを生み出す想像力)によって、すべての人々は繋がっているのである。
紹介者の物語(=文学)に対する想いを、感じることができる他メディア作品である。
※skypeログでは、作品の内容の詳細や、Revo氏の発言の数々、そしてSound
Horizonのライブについてなど、興味深い会話が繰り広げられています。
※紹介者の論旨の詳細は、ぜひ紹介者レジュメをご覧ください。
3.「交響詩篇エウレカセブン」(アニメ) 紹介者:イコ
株式会社ボンズ製作の、日本のSFロボットアニメ(2005)。とはいえ、勧善懲悪型の作品ではない。主人公が美少女に会い、反政府組織と行動を共にすることになるのをきっかけに、世界と対峙し選択していく(そして成長していく)、その過程を丁寧に描いた作品なのである。
主人公は“14歳”の少年。自己のアイデンティティを強く求める年代であり、「エヴァンゲリオン」「耳をすませば」など、多くの作品で描かれてきた年齢ではある。しかし、本作は少年が否応なく世界に対峙させられ、選択を強いられることの重みを描ききっている点で、優れている。
“14歳”の前に立ちはだかる世界。少年には最初その姿すら見えていないが、その壁は次々に現れては選択を強いる。自分自身、大人、宗教、異性…。彼は壁を前にして選択をするが、世界に対する無力さを痛感させられ、何もできない自分を知り、ついには精神を崩す寸前にまで至る。
しかし本作はそこに留まらず、少年が肉体性を取り戻して再び戦いに挑んでいくところまでを、全50話という、通常のアニメ作品よりもかなりの長尺を用いて、描ききっているのである。
アニメは、本作のようなSF的な、突飛な設定をうまく表現するのに適しており、また主人公と同年代の視聴者に伝わりやすいメディアと言える。しかし、「ひとりの少年に“現実の錘”がくっついていて、その少年が境界(マージナル)をこえて成長していく姿」を描いた、本作の内容は極めて文学的であり、あらゆる年代にとり、学び、感じるところのある作品なのである。
そして、物語の最終話に少年が行った選択、紹介者が極めて文学的と感じるその選択を、実際に観、確かめてみようではないか。
※skypeログは、作品世界のより詳しい説明や、参加者たちの14歳についての会話、現在のアニメの状況や、世代間の認識の違いについての会話など、多岐に渡る内容となっています。
※紹介者の論旨の詳細は、ぜひ紹介者レジュメをご覧ください。
4.「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」(漫画)
紹介者:ちぇまざき
5.「Program music I 」(音楽) 紹介者:ちぇまざき
6.「ほしのこえ」(アニメ) 紹介者:緋雪
※こちらの3作品は紹介者レジュメをご覧ください(プミシールの寸評つきです)。
あるいは、第1部のskypeログを読む