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創作企画第3回「絵画から創作する」(前)

【第3回】(前)

日時:9月9日(日)19:00~22:30

場所:skypeチャット(通話なし)

参加者:Rain坊、イコぴょん、安部孝作、小野寺(途中退出)、6(途中参加)、牧村(途中参加、発言なし)

 

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イコぴょん: 大変失礼しました。遅くなりました。

KOUSAKU Abe: こんばんはー。

小野寺: こんばんは

Rain坊: こんばんは

イコぴょん: 今日は、創作企画第三回「絵画から創作する」です。よろしくお願いします。

KOUSAKU Abe: お願いします

 

【第3回】

順番を決めて、お題となる絵画を提示。

その絵画から受けたインスピレーションをもとに、10~20分で小説の一部を創作する。

(どのように設定しようが自由で、作品は何段落でもよいが、とにかく自分の作品の一部とよべるものを示すこと。)

意見交換

 

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ムンク「思春期」
ムンク「思春期」

イコのお題:ムンク「思春期」

 

イコぴょん:

 女は男を見ている。男は女の子を見ている。

 男が何度もからだを横たえてきたベッドには今、裸の女が座っている。女が座るとき、ベッドがひくく、小さく軋んだ。そのとき微弱な電流のような女の子の緊張を男は読み取り、いつも無造作にからだを横たえるベッドの、あたらしい音を聞いたようにも思われ、より下腹に力が集まって来るのが感じられた。

 女の乳房、陰部が、前で組み合わされた両腕になかば隠れている。女の子の小さな乳房すら隠しきれない、ほそい、それでいて不釣り合いに長い両腕を、男は見る。男が腕をのばせば、あっけなく女の子の腕はほどかれるだろう、女の子の未発達な乳房や、陰毛が、あっさりとあらわになるだろう。男は文句も言わせず、唇を押しつけて、女の子を組み敷くことができるだろう。

 女がどんな目をして男を見ているか、男は知らない。その目が、男の目線の動き、肉体の蠕動、血の流れを、まばたきすらせず、とらえようとしていることに。女の子は女の子ではなく、すでにたっぷりと女であることに、男は気付かない。

 男はひとりの女の思春期をあまさずに味わっている気でいる。

 

Rain坊:

 遠慮のない不躾な複数の視線に私は吐気を覚えつつもぐっと我慢していた。今の私は何も身に付けてはいない、いわゆる生まれたままの状態。そんな私を男たちは下品な笑みを浮かべながら眺めている。男たちの中にはお父様が交じっている。さすがに男たちのように堂々と私を見てはいないがそれでも私の裸をしっかりと目に入れている。それがなによりも私の助けになる。下種な人達にいくら裸を見られようとお父様が見ていらっしゃるのならば私はそれだけで幸せだ。幸せだ、幸せだ。だからもう少し待っていてください。あと少しでお父様を苦しめているこの男たちから解放させてあげますから。たとえ消えない罪を背負おうとも……。愛してます、お父様。

 

小野寺:

 彼女はまだまだ少女のあどけなさをたたえていたが、いつのまにか身体はすっかり大人びていた。腰のあたりの肉付きは成人した女性とさほど変わらず四肢も長く発達していた。これから何が始まるのか、何をするのかは予想もしていなかった。それが、彼女が少女たる所以だった。もし彼女が背中から伸びている真っ黒な霊気を振り向いて確認することさえできれば、これから彼女の身の上に起きるだろうことはおそらく忌まわしい出来事になることは容易に想像できる。それくらい黒々とした大きな影だったのだ。彼女が少女でいられるという安心の徴しはその貧弱な乳房にあったかもしれない。だから女であることの責任や不安は回避できるであろうと。だが、いまこの瞬間にもこうした安心は崩れ落ちてしまうに違いない。そう影は物語っている。

 

KOUSAKU Abe:

 素朴な外見からは少し意外に思える絹の下着をゆっくりと脱ぎ終わり、少女はベッドの隅に座ったきり、一言も口を聞こうとはしなかった。雨戸が閉められ真っ暗となった部屋に、融けて短くなった蝋燭が三つともされると、古い木目の壁に二人の影が映る。彼女のまるみをかんじる肩甲骨まで延びた亜麻色の髪は、潮風と日光に曝されて毛糸のように太くぼさぼさになり、すっかり艶を失っていた。街にはたくさんいる貧しい少女であった。黙りこくる少女を傍目に、画家も音を立てる事に神経質となって、慎重に下地の塗り終わったカンヴァスをとり、絵具を整えていた。そして、一頻り終わると少女の脇に腰かけて、これが無邪気に浜辺で遊んだ結果だとしたらなんと愛おしいことだろうか、画家はそう思いながら憐憫の情を堪え、その苦労の感じられるごつごつとした手で、彼女の髪へ繊細に香油を塗りつけた。いい香りがするのね、彼女は眼を溌剌とさせ、少女を忘れた声でそう言った。気に入ったのなら、あとで壺一つあげてもいいんだよ、画家は少女が漸く口を開いてくれてほっとしていた。少女の口元は一旦弛緩し、不安を漏らすように唇を震わせた。画家はそっとまだ温かい紅茶のはいったコップを差し出す。

 デッサンを始めた画家は、少し気まずさを感じて、一度部屋から出た。彼は一瞬だが、とても毒を持った目つきに寒気を覚えたのであった。毒はしかし、求める者にしか効かない。..

 

 

【イコの作品について】

KOUSAKU Abe: イコさんのは性的な描写がすこし動的すぎる気もしますが、少女の内心とシンクロしてる気がします。

 

【Rain坊の作品について】

KOUSAKU Abe: Rain坊さんが少女の視点から書いていますね。少女を外から見ている他の三人とは対照的な感じがします。絵のモデルっていうと、その視点の獲得はなるほどと思ってしまいました。

イコぴょん: Rain坊さんのは、いつも思うけど、状況がとらえやすい。分かりやすいんだけど、いわゆる「少女」の類型的なキャラクター小説だな、と思い、自分の好きな小説ではありませんでした。彼女のとらえる「罪」がもっとはっきりするように書いて行くと、おもしろくなる予感がある。

小野寺: 想像力を発揮してるのはRain坊さんですね

KOUSAKU Abe: そうですね。「思春期の少女=無垢」からさらに踏み込んで、Rain坊さんが書いた、見世物にされている少女の心情が凄く興味深いなと思いました。

 

【小野寺の作品について】

KOUSAKU Abe: 小野寺さんはまず肉体の描写から少女の様相を浮かび上がらせようとしてますね。

イコぴょん: 小野寺さんのは、エロいオッサンの香りがする。

小野寺: そう?

イコぴょん: おじさんが少女を書いてるなぁ、とw

小野寺: いやムンクがおっさんなんですよ

KOUSAKU Abe: 小野寺さんも絵の中でも印象的な影を用いていますね。無垢なんだけど、その裏にあるものを、画家は既に知っていますね。やはり。

KOUSAKU Abe: 小野寺さんは肉体が大人となって、そういう行為を行うことについて、大人の男の視点から少女の無自覚を見ている感じがします。

 

【安部の作品について】

小野寺: 見たものそのままでも安部さんは細かい描写ですね。そうだなあ、安部さんくらい細かくした方がいいのかな。

Rain坊: 安部さんのように画家を出す発想は逆にありませんでした。無意識に画家は創作の中で除外していたので。

イコぴょん: 安部さんのは、描写力は確かだと思うけれども、いかにも作られている感じがして、安部さんの作品なんだろうか? と思った。

KOUSAKU Abe: なるほど、いかにもつくられている感じ、ですか。

イコぴょん: 安部さんのは、最後の三行に、小説の瞬間があるような気がする。

KOUSAKU Abe: ありがとうございます。それにしても小説の瞬間って、良い言葉ですね。

 

【その他】

Rain坊: その絵のタイトル通り、思春期の少女の描写が多いですね。肉体的に。

KOUSAKU Abe: なんか、思春期の少女=無垢からの、みたいなイメージがある程度共通している気が。

イコぴょん: そうですね、自分は「思春期の少女=無垢」を男の目でとらえなおすと「女の子」という表現になると考え、一方的な表現にならないように「女」と対照化させて書いたりしてみました。

イコぴょん: 一方的に見て、価値づける存在である登場人物に対して、作者が外側にいる必要があると思う

KOUSAKU Abe: 確かに、絵画というと、小説における描写の手法にも通じて来るところはあると思うのですが、その距離感って、とても難しいですね。Rain坊さんのについていえば、イコさんの言う通りではありますね。

Rain坊: 皆さんは絵のどこに注目、もしくは印象的でしたか? 自分は少女の眼だったのですが。あの何を考えているのか分かりにくいといいますか絶望していそうな眼が印象的でした。

イコぴょん: 組み合わされた腕と、視線ですね。絵を見る者を告発するような視線だと思いました。なんか後ろ暗い気持ちにさせられてしまった。

KOUSAKU Abe: 僕も眼でした。

 

 

ダリ「内乱の予感」
ダリ「内乱の予感」

小野寺のお題:ダリ「内乱の予感」

 

小野寺:

 戦いは果てしなかった。明らかに古代から続いていた。悠久に耐えられるように彼らの創造主はかれらの肉体に大理石を用いたのだが…自然の浸食ならば十分に耐えられるの筈だったが創造主はかれら、もちろん一組の人間なのだがまさか争闘することになるとは思いもよらなかった。早々に女の首はもぎ取られてしまい腕もへし折られてしまった。女は生殖のための交わりを拒んでいるのか、男の自我の拡張を拒んでいるのか、両方なのかとにかく下半身は猛烈に反抗して首から上を失っているのに男の下半身をあらかた破壊しつくしてしまった。ゆえに憎悪から激しい苦悶の表情に男の顏は変貌した。いま女の肉体はまだみずみずしく男の身体は細い細い骨で支えられている。ようやく拮抗点が見いだされたようだ。だが、おそらく健康な下半身のみの女は男の理性を打ち砕くであろうと容易に想像はつく。創造主はどうしたらいいものだろうか?

 

KOUSAKU Abe:

 砂煙を豪快にあげて一台のジープが荒野を走っていた。エンジンが熱を上げ、疲弊し始めたのか少し軋んだ音を立て始めたかと思ったら、太鼓を叩いたような衝撃を放ち始めた。サングラスを掛け、咥え煙草で悠々と運転していた男は、爽やかな風に金髪をそよがせていたが、途端に吹きあがった煤煙をまともに吸ってしまい、眼の痛みと喉の焼けるような感覚に思わずハンドルを誤って切ってしまった。その向きには嫌味なほどに大きく育ったサボテンがあったが、勢い付いたジープはそれを押し倒して暴走を続けた。眼からは涙が溢れ続け、前方が見えなかった男はブレーキを慌てて踏んだが、間に合わずに小屋に衝突した。電話ボックスか倉庫か判らないが、小屋に衝突したようだった。サングラスを外して涙を拭うと、男は思わず見上げ、唖然とした。眼の前には、巨怪な岩石とも彫像とも――いや、それは柔らかな表面を持ち、限りなく生物の質感を帯びていた――とれない物体が聳えていた。エンジンが叩く太鼓はリズムを速め、男の額からは汗が幾滴も垂れ落ち、萎えかけた両足の間にあるそのものは奇妙な情感に強固になろうとしていた。眼前の巨大な物体が押さえつけている腕は、醜い女のそれだと思ったが、同時にその腐ったニンジンのような指に、男は口を許そうと思いだらしなく開き、舌は喉までの道を譲ろうと小さく委縮した。..

 

イコぴょん:

 女に歴史というものが必要だろうか。男は煙草を吸う。

 ある肉体が男のそばにある。女は男に敷かれ、ぐっと首をもちあげて止まる。女は時間の連続に耐えなければならない。

 女の時間は止められる。みずみずしく水をたくさん含んだ果実のような肉体の瞬間と、かわききった砂漠に置かれたひとつの岩肌のような肉体の瞬間。いずれも同じ肉体で、いずれも同じ時間である。

 指がねじまがる。乳房がひっぱられる。臓器は引っぱりだされ、一瞬一瞬に口から飛び出す。

 果てたばかりの男がくゆらす煙草の煙は、女の肉体の臭いを鼻から消し去るためかもしれない。男は女に歴史を求めない。女は若やいだ一瞬のうちに、既に老いている。

 男が立ち上がる。女はまだ寝ている。

 

Rain坊:

 奇妙というにはあまりに僕等人間に近い形を成している部分があるが、しかしそれはやはり一部分であり、頭部、腕部、脚部の三つだけで構成されている人類。いや、人類に限りなく近しいだけのただの化物。それが今回の僕のターゲット。僕は勇者として名を馳せている自信があって、それは自信以上に結果として現われていたまぎれもない事実。村人に頼まれた無理難題を解決してきて、これからもそれは同じだと思っていた。けれどそれはこれで終わりだ。勝てるわけがない。いや、勝つとか以前に勝負を挑もうとしているスタンスそのものが間違っている。多分、僕はこれで勇者としては廃業するだろう。失敗をしない英雄。それが勇者が勇者たる所以なのだから。だから僕は言っておく。あれには近づくな、見るな、話をするな、関わるな。それが精一杯の僕の助言だ。それでは僕は今から大失敗をしてくるとしよう。それではこれを読んでいる勇者諸君、さようなら。

 

 後日、これを記した勇者は腕と足と頭を残してあれに殺されました。

 勇者各位はどうかこれを見て気を付けてください。

 腕と足と、頭だけにならないよう。

 

 

【小野寺の作品について】

6: まだ、しっかりと読めていないのですが、小野寺さんのが何か肉迫している感じがしました。神話のような何かの因果・秩序をもりこみ、一見、外部からは理解しにくいメカニズムで動く世界と言うのが、何かこのぎこちない文体から漂ってきた気がします。

イコぴょん: ぎこちないですよね、でも小野寺さんのは、このリズムが、なんか活きるような気がする。

6: やっぱりこの絵画から生まれた小説はどれか、と問われたら小野寺さんをあげちゃうとおもいます。

 

【安部の作品について】

6: 安部さんのはこの絵をモチーフにしてひとつの映画的な場面を作り上げた感じでしょうか。描写が寸断されることなく続いており、フィルムのような印象を受けました。

Rain坊: あ、確かに。それは思いました↑

6: もともとこの絵画を描写するという試みが絵画により近づくというのが成功だとすると安部さんのは近づいたと言うより、それから着想をえて、自らの世界観に引き寄せた感じですね。

イコぴょん: 安部さんの世界なんだろうか? というのはまだちょっと疑問があるなぁ……。さっきのムンクでも述べたけれど。

6: 寸断されることない文章が、砂塵がはるかかなたまで舞っていること、砂漠が果てしなく続いている様子を想起させてよいとおもいました。

 

【イコの作品について】

6: イコさんの小説は、何かとんちのような哲学的思索のような印象を受けます。それはこの絵画が「難解」な、何か考えることをみているひとに強いろうとする、絵画自身がもつ・・・思想のようなものを、この短さで、誕生させようとしている気がしました。この絵画は全体でとらえようとした視線が空中分解をおこして、部分=細部にうつろうとする。けれどその細部にもめくらましがほどこされてあって、部分から全体を読むこともかなわない。れはイコさんの小説においてもそうじゃないかと思いました。

 

【Rain坊の作品について】

イコぴょん: Rain坊さんの、オチがきちんとついてるw

Rain坊: ですね。自分はこの絵はもう「こういうもの」としか捉えようがなかったのでこういう化物として登場させるしかありませんでした。

6: rain坊さんの小説は書き出しがおもしろく、読ませます。そして、ひっぱられていくのですが、この絵画からはじまった物語がいつしか英雄譚のようなものにすり替えられている。その企みもまたおもしろいと思いました。主観的なものがじょじょに浮き彫りになっていくのもよいと思います。

 

【その他】

6: みんなうまいなぁ。食らいついていってますね

イコぴょん: むずかしすぎて脳みそもげそうだった

KOUSAKU Abe: とけるんじゃなくてもげるんですかww

イコぴょん: 暴力的な何かにもがれてる感じ。「考えろ」「無理!無理!やめて、引っ張らないで!」

KOUSAKU Abe: わかりますww

KOUSAKU Abe: イコさん、Rain坊さん、小野寺さんは、これに描かれている物体を生きてるもの、あるいは、生きている者のメタファーとして扱われたんですね。

KOUSAKU Abe: ムンクの思春期以上に、小説がお互い全く異なったものになりましたね。

Rain坊: お二人はきちんとインスピレーションを得てきちんと違うモノに変換できてますよね

KOUSAKU Abe: ですねー、イコさんと小野寺さんは、ちゃんと変換できている。僕はRain坊さんに近くて、そのもの、しかも化け物でもなくて、ただ突然現れたものとしてしか扱っていませんからね。

KOUSAKU Abe: 各々これだけ短くても、モチーフを限定しても、やはり色が出るんですね。

イコぴょん: ですね。

 


ディエゴ・リベラ「スペイン人による搾取の一場面」
ディエゴ・リベラ「スペイン人による搾取の一場面」

安部孝作のお題:ディエゴ・リベラ「スペイン人による搾取の一場面」

 

6:

 章魚をクレメルタ人が口にした時に、咀嚼できずそれをサーベルで八つ裂きにしたと聞く。はじめてその聖堂で<あの絵画>をみたときに、思い出したのは高校の地理の授業で担任が教えてくれた章魚とクレメルタ人のはなし。クレメルタ人は<外>に対して容赦をしない。わたしたちの神―メレオラ―は楡の樹の梢に宿る神様なのだけど、クレメルタ人たちは楡の枝を薄く引き延ばしてわたしたちを縛ったり、鞭にしたりして神様でわたしたちをこらしめた。海岸にまでガレオン船の通行路をつくるという身勝手な計画がわたしたちの祖母や祖父をどれだけ苦しめたのか、わたしたちは学校の授業で習うだけだ。その時ながれた血が楡の枝を黒く染めあげて、やがてこの土地の楡が一本残らず真っ黒になってしまったと聞いても俄かに信じることはできない。

 地理の授業で担任は言う。

「お前たちのなかにクレメルタ人に対して憎しみを抱くものがいるに違いない。けれどそれはクレメルタ人たちがわたしたちの神様―メレオラ―でわたしたちをぶったりしばったりしたのと同等の感情でしかないんだよ。そんな感情は家畜のえさにでもまぜて畑の肥やしにするのが一番さ」

 チャイムが鳴る。授業がおわる。みんなの顔にどよめきとあせりが生まれ、なにか罪人にでもなったかのようにおろおろとし始める。

 真っ黒い血がどこかからか、教室の床にながれているような気がしてならない。

 

KOUSAKU Abe:

 皮を剥かれた大木が肩に食い込み、厚くなった皮膚から透明の液体が滲む。監視の男が白い馬に跨って、鞭を片手にこちらを見る。ポケットから清潔な赤いハンカチを取り出すと、集る蠅を追いやって、顎に大きな雫となった汗を拭った。そして毎日毎日、空高く出燦然と輝く太陽に――わたしたちにとってもっとも崇高な存在に――、丁寧に整えられた軍人髭の下から呪詛を堂々と吐きだすのだった。

 ここはとにかく熱い。しかしわたしの故郷はこの糞熱い世界だ。刺々しい赤土の上では、あっという間に渇き、焼き尽くされる一方で、鬱蒼とした密林は何もかも腐らせて、やすらぎの世界へ連れて行ってくれる。しかしわたしは密林を切り、木々を運び出す。足跡までも焼けてしまう赤土の上、素足で作業を続ける。わたしは口の渇きにすっかり慣れて、割れた舌はもう唾液を吸いこむことすらしない。

 遠く海岸が見える。黒く大きな蝶が一頭翻り、綻び、金色の鱗粉がまかれるのを見て、夜星は動かず、鳥の啼く木々の合間、わたしは薪の傍で語らう老人の皺よりも深い闇が覆う千夜を思い出した。だが、今や密林は小さくなり、わたしの先祖の土地には、白い豚野郎の造った石造りの修道院がある。その傍らには、やつらの祖先の墓地がある。..

 

イコぴょん:

 電車を降りると、人々がいっせいに前を向いて歩き始める。ふりむくと人の頭の奥で山手線はもう動いていた。誰に指示されたわけでもなく、まっすぐ顔をあげ、同じ方へ向かっていく人々の、靴のひびく音や、さざめきのような会話、空気のふるえに呑みこまれ、ただ流されていくように、どちらとも分からず、歩いていた。

 <ハチ公前改札>という見慣れた名前の標識が出ており、安堵するように駈け出した。電車のなかでも背負ったままだった荷物が、肩に食い込んで重たかった。出ようとするとすぐに前をさえぎられ、見えなくなるような小さな改札の、せまい差し込み口に、やっと切符をさしこむ。みんながピッ、ピッ、とカードや札入れをかざして抜けていくなか、切符を改札に入れようとする自分を、つよく意識する。

 ハチ公はどこにもいなかった。

 携帯を使っている人、待っている人、話している人、ただそこに佇んでいる人、すべての人の見えない目的が、見えない光の線となって、自分のからだを次々に、刺し貫いては消えていった。スクランブル交差点が奥にあるらしかった。

 

Rain坊:

 私は呪います。遠くに見える優雅な催しを行っている貴族共を。

 私は呪います。私と同じ奴隷たちをこき使う兵士どもを。

 私は呪います。私たちの不幸の上で成り立っているこの国の民どもを。

 どうしてこうなるんだ。位が違うだけで、人種が違うだけで、私たち奴隷は不幸を強いられる。倒れても倒れても鞭で叩かれ無理矢理働かせられる。それを見て、私たちより偉いと勘違いしているこの国の奴等は嘲笑っている。見世物のように、人が傷つくさまを楽しんでいる。人が死んでも彼らにとってはどうでもいいのだ。いや、もしかしたら私たち奴隷は人としてではなく家畜と同等、それ以下なのかもしれない。

許せない、許せない、許せない。私はあいつらが許せない。復讐してやる。復讐してやる。復讐してやる。復讐して――。

 

「どうした?」同期の兵士が私に声を掛けた「い、いや。さっき処罰された奴隷がいただろう」「ああ、首吊りになった奴だろ。それがどうした? 別に珍しいことではないだろ」「そ、そうなんだけど」確かに首吊りで処刑される奴隷は数えきれない。だけど私は忘れられない。あの奴隷の眼を。首を吊って死んでいるというのに大きく眼を見開いて、今にも恨みを晴らそうとでもして動き出そうとするあの奴隷の眼を私は忘れられない。

 

 数日後、この国は滅んだ。

 皆、どこかしらに首を吊って死んでいたそうだ。

 

 

【6の作品について】

イコぴょん: 6さんの出だしは、参考になるな……。

イコぴょん: 着想がとてもおもしろいと思った。こういう挿話をたった十分で考えられるのもすごい。現実味があって、迫って来るような文章だとも思った。しかしその文体と事実の緊張感に比して、教室で授業をうけている学生たちの思いはというと、どうなんだろうか。教室の床下に真黒い血が流れているような景色を思い描くほど、没入して話を聞くだろうか?

6: 学生たちの心理がうまく描けていなかったということですね。

Rain坊: 確かに。昔のことを習ったとしても恨むかどうかは別だったりしますよね。昔こんなことがあった、ふーんぐらいの人だっていると思います

イコぴょん: 自分だったら、事実は事実のまま、しかし教室ではすっかりそれを忘れて生きている学生を描きそうだ。それって日本的な考え方なんだろうと思うけれども。きわめて日本的にしか、自分は小説を書けず、また読めないってことなのかもしれません。

KOUSAKU Abe: 確かに、そこに微妙な差を感じます。無論、だから主人公の深刻さって大事なんだって思います。主人公がネイティブの子孫で、クレメルタ人たちのしてきたことを習うという、非常に深刻な場面。しかし、歴史と言うものが、そして教室と言う環境がどこかぼやけさせてしまう。でも、授業を振り返る形となると、振り返るべき場面に直面しているわけで、それだけに小説内のメッセージが凄く演出されて重みを増して現れていると思います。

6: なるほど。。

KOUSAKU Abe:

『真っ黒い血がどこかからか、教室の床にながれているような気がしてならない。』

この部分は、主人公が絵を見た時に、授業を思い出しながら新たにその時思った事ではないでしょうか?

イコぴょん: メッセージ……んー。学生であるかれらが自分を振り返るには、何か身体的な表現が必要なのかも、と思うんですよね。自分たちと、その事実を、つよく結びつける何か、っていうんでしょうか。具体的な身体表現となってあらわれているなら……。

KOUSAKU Abe:

『はじめてその聖堂で<あの絵画>をみたとき』

それはこの場面だと思いますね。結びつけてると思います。

イコぴょん: かれらが罪人になったような思いにとらわれるのは、昔起きたそういう事実を、知らずに生きてきたということなのではないでしょうか? だとしたら、最後の文章は、どこかちぐはぐなものになってしまっている気がする。

KOUSAKU Abe: なるほど……。確かにそうですね。

6: たぶん、ここでは僕の考えだと「通底器」を使えばよかったんだと思います。というのは担任から自民族の歴史を習っていくのと同時進行で生徒間の間に「呪いの手紙」(たとえば)などがまわされていて、その手紙にはある生徒の一族の血ぬられた歴史が詳述されてあり、のほほんとした授業にもそういう「個人」のなにか絶対的にあばかれてはならない秘密のようなものが媒介されていたら面白く、現実味をませたんじゃないでしょうか。

6: イコさん>なるほど、身体に刻んだ記憶のようなものがあればよかったですね。

 

【安部の作品について】

6: ひじょうにこの絵画にせまって書けているのではないかとおもいました。マイノリティの側から、豚野郎たちをみて怨んでいる心情と言うのが伝わってきます。

6:

『遠く海岸が見える。黒く大きな蝶が一頭翻り、綻び、金色の鱗粉がまかれるのを見て、夜星は動かず、鳥の啼く木々の合間、わたしは薪の傍で語らう老人の皺よりも深い闇が覆う千夜を思い出した。』

このあたりは南米の小説をよんでいるような、その土地の言葉で描かれたものを読むような「外部」の感じがすごくでていて好きですね。僕たちにない論理で動いているひとたちをどう描くかというポイントを得ている。

イコぴょん: 前二作でもそう思いましたが、安部さんのゆたかな読書経験が分かりますね。でも、その土地の言葉で描かれたものを読む感じは……しなかったな。アウトプットする作業で、安部さんの場合は、インプットしてきたもの、蓄えのようなものを、濾過作業してしまっているような気がする

KOUSAKU Abe: なるほど! なんか無意識的なことだけれど、図星な気がします。

Rain坊: それは自分の言葉に、文章にできていないってことですか?

イコぴょん: そうですね、それともつながると思うんですが、きちんと肉感をもって、伝わってこない、ということなんだろうと思います。異国の風景が描かれていて、語彙も豊か。だけれども、真に迫る感じはなくて。異国の環境に、どっぷり浸からせるかっていうと、そうじゃない。

KOUSAKU Abe: とても核心に迫る意見だと思います。ありがとうございます。

Rain坊: 丁寧な書かれ方の割に、伝わるものが少ないような印象でした

KOUSAKU Abe: なるほど。確かに、よく空虚だと言われます。

6: たしかに安部さんの「日曜日」とかも空虚さを感じた。。その空虚さにのることが実は楽しかったりしない?>安部さん

KOUSAKU Abe: たしかに書いてる時は、空虚さって楽しいですよね。ただ、読んでる人にとって、それがしかもメッセージを含む文章だったり、現実面においては障壁のようになりかねないとは思います。

6: いや、僕は楽しくないんだよw ただ安部さんの空虚さって何かある種、わかっててやっているんじゃないかなって感じたんだ。

KOUSAKU Abe: ああ、実際は、意識したことはないです。慢性的ですねww

イコぴょん: 意識してるのかと思っていた

KOUSAKU Abe: 書く文章全部勝手に空虚になりますww

6: ひとつひとつの言葉を選んで置きながら、執着はない。ながれさっていくイメージのかずかずって感じがするんだ。僕は、ひとつのイメージをけっこう何度もつかったりする。

 

【イコの作品について】

6: 南米らしき海岸が日本の渋谷に舞台を移し替えているというおもむきの小説ですね。これは変則的な試みだとおもう。そして非常に難易度がたかいことにチャレンジしているとおもう。こういう試みの場合、南米らしき絵からどう日本に転化させるのかがすごく熟考されてほしいとおもう。

Rain坊: あの絵からどう思って書いたのかがすごく気になります

6: しかし一読をしてみて、どういう点があの絵からこの文章に影響を与えているのかは読めなかったのです。

KOUSAKU Abe: 確かに、この場面の置換はとても意表をつかれながら、今一つ、その置換の意図が読みきれませんでした。

イコぴょん: そうでしょうね、そこを評価のポイントにされると、すごく痛いです

6: 雑踏とか、路とかひじょうにわかりやすいポイントでは共通点はあるんだけど、この試みをする以上はもっと何か深層的なもので共通する何かを表現してほしかった!

イコぴょん: 自分は、たとえば絵ありきの作品にするつもりはまるでなくて。絵を借りて、思い浮かんできたキーワードで、自分に何が作れるか、を考えましたね。

KOUSAKU Abe: それでも、行為とか情景において、何となくシンクロを感じたりもしました。なんだろう、凄く密集していて、乱雑で、重々しい雰囲気、それから消えてしまったもの(ハチ公)などから、感じたりしました。

イコぴょん: 絵は、小説を成立させるための、発想の、ひとつの手段に過ぎないとさえ思っています。一目みて、自分には、異国を書くのは無理だと思った

6: なるほど。

KOUSAKU Abe: 見定めていますね。確かに異国を書くという不利なことをあえて行うことには、どういう意義があるのか、ちゃんと考えた方がいいかもしれません。カフカなんかもいちども入ったことのないアメリカを舞台に小説を書いていますが。そして、それが出来ないと思った時、それをしなくてもいいと、言える気もします。

イコぴょん: スクランブルする集団のなかでの、ひとりの己を、日本的に、実感を伴う形で描こうとした。まあそういうことです

KOUSAKU Abe: 実感ですね。それは確かにしっかり伝わってきました。スクランブルというのも一つの象徴性を持っている気もします。特にこの絵において。

イコぴょん: 自分が何をどう改善すればいいのかが見えないなw困った

6: あ、そうですね。もうちょっと考えましょう。

KOUSAKU Abe: 場面の置換自体にもっと意味を持たせてほしい気がします。

6: そうですね。

イコぴょん: ふむ、というと?

6: この絵画ともっと格闘してほしい。

KOUSAKU Abe: そうですね。絵と向き合ったというより、絵を見た、って感じしかないような気もします。

イコぴょん: それって、そんなに大事なこと?

6: 大事なことだとおもいますよ>イコさん

6: じつは日本で描くと言うのは異国を描くと言うのよりも難しい行為だと思います。そしてそれをするならば、異国として描いている僕たちよりももっと絵画をよく観察して、微細なところにまで注目をして、何かを表現してほしいと思います。

イコぴょん: インスピレーションでしょう?

6: もちろん、そうですよ

イコぴょん: 絵画と格闘する、なんて、一言も

6: しかし、一瞬見てそれから生まれるものならば、わざわざこの絵画でする必要がないとおもうんです。この絵画という芸術作品にある種の敬意をはらい、そしてそれを小説でなにかするには、どこまでできるのかーそういうのを挑戦する試みだとおもっています。

Rain坊: そのインスピレーションが今回の場合は、この絵から読み手には感じられなかったんじゃないんでしょうか。

KOUSAKU Abe: 意義的には6さんに一理あるし、実感としてはRain坊さんの言うとおりだと思います。

イコぴょん: そういうのを挑戦する試み、とは、とらえていなかったです。そして6さんが求めるようなインスピレーションは、感じられなかった。そういうことかもしれません。

6: もし絵画がスタート地点でしかないならば、僕の描いた絵でもいいはずですよね。でもそれぞれが何かおもうところあって選んだ絵画をもってきている。それは受ける印象が普通の絵画よりも何かもっと僕たちに影響をあたえてくれるような可能性をもっているからだと思っていました。

イコぴょん: それはもちろんそうです。でも自分にとって集団の中の自己が重要なテーマであり、それが絵画から咀嚼できるひとつのものだと考えたとき、自分には、このような形にしかならなかった。わざわざ血なまぐさい表現にしたり、異国の歴史を描いたりというようなやり方では、自分は書きたくなかった。別にそれが書いてあっていいとは思うけど小説が絵に従属する必要などないし。

6: 僕はイコさんに何かを描くときにもっと<凝視>してほしいとおもっているのです。血なまぐささにいってほしいわけじゃなくて、つぶさに何かを観察して、そこから生まれる言葉をとらえてほしかった。これは描写のはずです。描写とは何かを観察してそれを描く行為であるはずです。だとするなら、もっと観察対象とまみれるというのは必要なことだと強く感じていたんです。

イコぴょん: それを言うならむしろ、作品のなかでの、「まみれてなさ」をこそ、あげていただきたいのです。

6: 「まみれてなさ」・・・。

Rain坊: 根本は一緒だけど、それを飾るものはまったく別にしたかった、と?

イコぴょん: だって小説家は、作品がすべてでしょう。作品について具体例をあげていただかなければ、納得できない。(自分はハナからとても望みの薄いお願いをしているんですけど、作品についてどうこう、っていうより、態度についてあんまり言われるものだからw)

6: ちょっとおまちを・・。

KOUSAKU Abe: 途中から態度へと移行したかもしれませんが、初め言ったように、僕としては、場面置換の意味が今一つ感じられませんでした。土地が変わったという事は、土地に注目してしまいます。つい。

イコぴょん: 場面置換、というのは、外国→日本ってことですか?

KOUSAKU Abe: そうです、この絵画の土地から、日本、しかも渋谷、というところです。渋谷と明白に判るだけに、余計。

イコぴょん: 渋谷にしたのは、象徴的なスクランブル交差点があったからです。しかし渋谷にした意味を伝えられていないのです。頑張ります。

6: 具体例をあげると自分ならこうする。みたいなことしかあげられなく極めて主観的になってくるのですが、「集団のなかの自己」を描くとして、そしてこの小説から何かを活かすとしたら、この絵画自体はさまざまな人種、ひとびとの、交わらない視線で溢れていると思います。たとえばイコさんの書いた小説はカメラのようにスクランブル交差点にながれていくのですが、それまでに幾多の群衆をえがいていますが、たとえば視線の交錯や、さまざまな物体に目をむけていく視点人物などを描いていってもよかったんじゃないかと思います。

イコぴょん: さまざまな人種、ひとびとの交わらない視線で描く必要があると?

6: だからそれは絶対じゃなくて、ここはこうしたら?っていう提案でしかありません。必要などないのです。

イコぴょん: ありがとうございます。必要がない、とおっしゃっていただいたことで安心しました。視線の交錯、視点人物、そうですね。いちおう主人公はいるのですが、一人称を排したために、見えにくかったかもしれません。

 

【Rain坊の作品について】

6: rain坊さんは短文で、反復という手段を良く使うように思います。そして、今回の作品でそれがうまくいっていると僕は読みました。

KOUSAKU Abe: Rain坊さんのは、心情が赤裸々に、且つ、重ねた表現によって印象強く語られ、先の作品でも思ったのですが、凄く語りに近いと思いました。登場人物の心情の描写、意志の描写と言う意味では上手くいっていると思います。ただ、物語性がすこし弱く感じ、内面に過ぎて外観が掴みにくく思いました。

6: 「復習してー復習してー」で挟み込まれる会話も唐突ですが、何か味があって僕はよかったと思います。課題としては安部さんのおっしゃるように、物語性の部分で。rain坊さんは小説に落ちをもとめているのではないかと思う。

Rain坊: オチですか、そういうつもりはなかったのですが。でもきりがよく終わらせたいなとは思っています

6: 何か自分がひっかかったのは皆首をつって死んでいったというのが小説らしさに近づこうとして、強引な気がしました。

イコぴょん: オチっぽいですね。小説の一部というより、これで小説全体という感じ。

イコぴょん: 奴隷の愚痴めいた呪詛っていうんでしょうか。とても分かりやすく伝わって来る。そのひとりよがりな独白を、あっけなくなかったことにしてしまうような裏返しの視線があるのもいい。けれどもこういう作品って、2ページくらいの短くて皮肉のきいた話を集めたアンソロジーみたいな本に載っているにはいいと思うんですが、奴隷の心情を真に迫って書くには、足りないと思う。自分はどうしても、「真に迫る」というのが評価のポイントになるようで。

6: たしかに心情にまでせまっているかというとそうではないけど、……うーんどうかなぁ。もっと書いたほうがいいかなぁ。

イコぴょん: もっと書く、というより、その奴隷にしか出せない言葉を出してほしいですね

6: なるほど。

イコぴょん: そこが、自分が異国を描くのを避ける理由でもあるんですが、想像力が、その奴隷の内面に至っていないんじゃないかと。奴隷はどの程度の知能の奴隷なのか、字は読めるのか、どこでどういう暮らしを送ってきたのか。そういうのが、ぼんやりとしか分からない。読者の分からない固有名詞を使えば、ごまかすだけならごまかせますが、それもなんかなぁ、と思います。自分はそれができないので、結局、この絵から外国を表現するのはしませんでした。

Rain坊: どうも自分が書く人は、うすっぺらいようですね。創作の練習場でも言われました

イコぴょん: そういうものが好きな人もいるので、結局好みかもしれませんね

6: 僕は最後の二文をのぞいてはこの小説はすごい評価したいなぁと、おもっています。たしかにイコさんのおっしゃる心情・背景までは感じさせないけど、それでもこの短い時間で、世界観としてはまとまって描けていたとおもっています。

イコぴょん: 世界観……んー。まとまりはいいんですよ、Rain坊さんの小説。短い時間で、意図を明らかにする力がある。でも自分は、人間や世界を真に迫って描く、そればかりがどうしても評価のポイントになり、そういう面では、この小説は、説得を忘れたファンタジーとしか思えないのです。それがいいという人もいる(し、それが大勢だと思う)ので、やはり好みなのかもしれません。

6:

『確かに首吊りで処刑される奴隷は数えきれない。だけど私は忘れられない。あの奴隷の眼を。首を吊って死んでいるというのに大きく眼を見開いて、今にも恨みを晴らそうとでもして動き出そうとするあの奴隷の眼を私は忘れられない。』

ここが特に好きかな。磯崎憲一郎も印象的な光景を物語のフックにするんですが、おすすめした身として、もしこういう部分で活かしてもらってたらすごく嬉しいなぁ。

 

【その他】

6: みんなすごいですね。なんか肉厚ですよ。

KOUSAKU Abe: 凄い、たしかに、すごい。

6: ひと通り読みました。正直一行イベントは、小手先でごまかすことができた気がしたけどこの試みはがちで自分の限界がなんか見えた気がしました。非常に苦労した割には何か自信ない一本です。

イコぴょん: なんか重いものを読まされたな。

 

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創作企画③、後半は9月30日。今からの参加表明でも十分間に合います。

(文責:イコ)