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浜辺の童:しろくま

 ファインダーを覗く、波打ち際で遊ぶ子供たちを捉える、ホワイトバランスは晴天で、露出を下げて色を引き出す、空と海、六対四で空を大目に、ピントは無限遠。ゆっくりとシャッターボタンを沈めた。潮風を小さく弾くシャッター音が、余韻を残して風の中に消えた。

 低い雲の群れが西日を纏って横滑りしている。目の前の風景が四角く切り取られて、子供たちを捉えて液晶に表示された。遊ぶ子供たちの姿が、影法師になって写っている。これまでも、毎日同じように遊んできたのだろう。

 砂浜はもう冷えていた。つま先で冷たい土の中を探ると、白く小さい、綺麗な貝とサンゴ礁の化石が出てきた。手に取ると、浜辺の冷たさをそのまま感じた。

 今まで、自分がここに来る以前も流れていた時間の流れが、速さが、島の外とは違っているようだ。街から予約したワゴン車で山道を走り、五時間進んだ所にある船着場から、四人乗りの小型ボートで四十分、真っ直ぐ沖へ出た所にある島だった。数百メートルもの水深を持ちながら、島に着くまでの海面は、まるで銀板のようにその上を歩けそうだった。

 無数の星を仰ぐ、一面に広がる海も何一つ音を立てない、走るボートのエンジン音だけが響くような、ある種幻想的な世界の中で、星空の下の影から島が現れた。その島に近づくと、ボートは水上に並ぶロッジの間の桟橋に着けられた。ボートの運転手と、同伴したエージェントと、迎えに現れた何人かの島の男達に、カメラや財布、何もかも入った鞄をそのまま任せ、体一つでロッジの一つに転がり込んだ。今学期、休みなく働いていたことと、旅の疲れを、気付けば翌日の太陽が昇って島の全貌を露わにしてからも、薄汚れた、使い古されたベッドの上で癒していた。昼をとうに過ぎ、夕方近くになってから、ようやく身を起こして、カメラを持って外に出た。

 人口は百人といったところ。小学校低学年か、それより下の歳の子供たちが多い。島の住民以外は、数少ない観光客以外に学者も時折訪れて、何日かロッジに泊まっていくらしい。彼らはウミガメの調査が目的で、産卵に来たウミガメにタグを付け、卵を保護し、卵が孵り海へ行くのを見守る。

 赤道に近い所にある孤島の、素晴らしいマジックアワーは淡白に過ぎ去っていき、波に小さく揺れるボートの脇、影になった水面の下で、群れになって舞う小魚が見える。散って、また集まって、一つの生き物のように動く。その周りを、体長一メートル程の、天狗のように鼻の骨の伸びた魚が、「我関せず」といった体でゆっくりと周回している。一人、他の魚たちと異なる彼が、腹を空かした時に小魚たちを襲うのかどうか、そのために今、小魚たちの警戒を薄めるために、少しずつ小魚に近づこうとしているのか、私には分からない。一人だけ不揃いな鼻の長い魚は、ただ不気味に、その長い体を横にして漂っていた。

 島の中には五軒のレストランがあった。観光客向けのヨーロッパ風の外装をした店には、体の大きな白人の老人たちが何組か、テーブルを囲んでビールを飲んでいる。向かいにある、現地の人たちが利用するこじんまりとした食堂で、黄のポロシャツを着た男がテーブルで一人、右手を使ってご飯と魚を食べていた。こちらを見ると、テーブルの上にメニューを放り投げて寄越し、私は薄汚れた写真の中の一つの、魚とえびの炒め物を注文した。

 男は食事をしながら、沈めた怒りを込めた上目使いで、白目がやたらと強調された目をこちらに向けて覗いてきた。

「どこへ行っていたんだ」

「ちょっと散歩をしてきただけだ」

「勝手に消えてはいけない」

「海を見てきたんだ」

「もしお前が消えてしまうと、俺の問題になるからな」

 腰の大きい、花柄の黄色いワンピースを着た、黒い肌の女が皿を持ってきた。表面の曇ったスプーンと取り皿をティッシュで拭い、出てきた料理をご飯の上に移して食べた。食事中、料理を持ってきた女は、近くの椅子を引いて腰掛け、日に焼けた顔をこちらに向けて、最初は英語で、こちらが現地語を操れることが分かれば現地語で話し掛けてきた。どこから来たんだ、何をしているんだ、彼女はいるのかといったことを訊いてきた。曖昧な返事を返しながら料理を食べていると、黙々と食べていたエージェントが会話に入ってきた。

「奥さん、息子は何人いるんだ? 日本語は勉強しないかい?」

「息子はいないが娘が三人いるよ、日本語だって? その人が教えてくれるのかい?」

「あぁそうだ、ここでは日本語を学べないだろ? 日本語を教えたかったら俺に言いなよ。日本に連れて行ってやるから」

「それはいいねえ、私も連れて行ってくれるかい?」

 女は笑ってエージェントの話に乗っていた。

「俺が連れて行けるのは生徒だけだが、この男に連れて行ってもらえばいい」

「本当かい?」

 そうやって四つの瞳が向けられてきた。笑っているが、エージェントの目はいやらしくも見える。目が合ってしまったが、無理に聞こえていない振りをした。

 エージェントはこちらに体を向き直した。

「お前の社長に留学できる生徒を五人送ると言った。行けそうな生徒を集めて紹介しろ」

「まだまだ、彼らはこれからの生徒たちだ」

「三ヵ月後に五人送りたい。コミッションは一人五パーセント、社長に伝えてくれ」

「あんたが送りたくても、時間が掛かるんだ」

 女に値段を聞き、ポケットから取り出した紙幣と、無理を言うエージェントを置いて一人で店の外に出た。店の前では砂浜から戻ってきた子供たちが遊んでいた。子供たちはゴムボールを追い掛けて、砂の道を右へ左へと走り回っていた。

 手にしたカメラのファインダーを覗いて、遊ぶ子供たちを撮ろうとしていると、それに気付いた子供たちが、興味を持って恥ずかしがりながら、少しずつこちらに近づいてきた。僕を撮れ、私を撮れと、カメラの前で入れ代わり立ち代わり、はしゃいだり踊ったりして見せた。赤ん坊を抱えていた母親が、子供たちが集まっているのを見て、笑顔で近寄ってきて自分の子供を見せて来た。親馬鹿に嫌みはない。この島は子供ばかりだ。極端な少子化に陥っている日本が問題なのか。ここにもいつか、少子化の波が来るのだろうか。

 無垢な彼らに、見たことないものを見せてあげたい、彼らを日本に連れて行きたいという思いが頭を過ぎる。彼らを連れて行く方法が頭の中で巡る。しかし、今も無邪気に跳ねている彼らを前にして、頭皮一枚、頭蓋骨を隔てた頭の中で、道筋を企てて、そのために必要な経費のことを、エージェントと同じようにして考えている自分が嫌になった。

 夜が更けても、まだ元気に遊ぶ子供たちを後に、一度ロッジに戻ってからすぐまた外へ出た。夕方に浜辺の写真を撮った時と同じ場所で、三脚の脚を伸ばして立てた。

 日本では過ぎ去った波が、今別世界の孤島に押し寄せてきている。気付けばおかしな世界に足を踏み入れたものだ。夜の浜辺は月明かりでかなり遠くまで見える。潮が引いていて、黒い砂浜がずっと先まで続いている。

 長時間露光を試みた。液晶に表示された画像には、黒い砂浜の上に丸い影が幾つか写り込んでいた。一、二、三、四……、拡大していくと影が無数に写っているのが確認できた。それは遠い海からこの砂浜へ卵を産みにやってきた、ウミガメたちの姿だった。