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『タイマ』嶽本野ばら:小野寺邦仁

  小説が風俗を描写するのを忘れて久しい気がする。嶽本野ばらは年齢不詳の「乙女のカリスマ」と称される現代風俗に明るい作家で「ロリヰタ」ではファッション雑誌の彷彿とさせる語彙が散りばめられる。けれども彼はいわゆる文学にも詳しい作家で、ボルヘスや澁澤などがよく現れる。だが、古典の知識もまたファッションなのではなかろうか。彼の作品は「告白」であり「現実」から離れられず、多少の誇張の域を出ていない。悪く言えば想像力の小説ではなく「私小説」の範疇に属する。ストーリーもあり人物の性格も書かれている。言ってみれば時代に逆行するような近代小説を書こうとしているのだ。彼の好むファッションや音楽はポストモダン的であるかも知れないが、あるいは彼の根なし草的な発想や登場する人物もまたすぐに自殺を企てそうな脆弱性や環境の不幸を携えている。けれども彼の小説があくまでも近代小説であることに私は多少、驚きを感じているのだ。 最近では「破産」という作品が上梓されている。大麻不法所持で逮捕された事件を題材にしたのがこの「タイマ」である。この題材からも彼は現実を少しアレンジしたものを書いているといえよう。

 その逮捕された後の刑事とのやりとり。

 

「今、インターネットで検索して貰ったものをざっと読んでるんだけど、お前、本当に小説家なんだ」

「……」

「それも結構、有名らしいじゃん。有名人がこんなことしちゃ、一般人よりマズいだろう。影響力ってものがあるから。どんなのを書いてるんだ? 推理ものとか時代ものとか、いろいろあるよな」

「普通の小説です」

「普通って? 司馬遼太郎みたいなのか」

「否、そうではなく」

「普通じゃぁ、解らないよ。この資料には、三島由紀夫賞にノミネートって書いてあるけど、三島由紀夫って……あれだよな、確か、右翼で、腹切って自殺した作家だよな」

「ええ」

「お前も、そういうのか?」

 僕は面倒臭くなって「はい」と応えます。

 

 「普通」の小説は一般人なら「司馬遼太郎」なのだが、嶽本の「普通」は三島由紀夫なのだろう。ここにこの作家の自己紹介めいたものを感ずる。『タイマ』は大麻に対しての考えなどはほとんど語られていない。大麻所持による逮捕の経緯と留置所生活などほぼ現代の獄中記といえる。少しあらすじを書くと「私」はふとしたことからデリヘル嬢と知り合いになり樹脂大麻を吸引することになる。そのデリヘル嬢は失踪するが彼女の友人の「あい」とたまたまストリップ劇場で知り合う。あいは踊り子であるが嶽本の愛読者である。嶽本が魅かれるのはカート・コパーンの曲をバックにストリップを演じていたからであり、二人ともカートを愛し、崇拝している。長く語り合うがこの部分は音楽評論めいている。嶽本はこの真実を権力に隠し隠ぺいするのに成功し保釈される。デリヘル嬢があいと知人という部分を黙っていたのだった。だが、あいは嶽本にさらに同一化するために覚醒剤に手を染めてしまう。嶽本は過去につきあった三人の女性が自殺乃至失踪したことからあいを全力で庇いたくなるという筋である。(嶽本とはいうものの「僕」であってこの挿話が事実であるとは思われないが)

「僕」はカートが早く死んだことを最後には否定しようとする。彼は生を望む。年老いても根なしのままで生きていくのを望むというテーマであって、これはやはりあまりに近大小説っぽいのであるが扱っているのは現代的でもある。だが、私は彼のリアリズムを貴重にさえ思うし、いとおしくも感じるのだ。彼は、現代の安吾や太宰なのかもしれないとさえ思う。そして近代の亡霊に取り憑かれているのは図らずも現代日本の精神構造の縮図になっているのではなかろうか。