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どこへいくの、みかちゃん:尾崎枕


「大丈夫よ。どこへだっていける」

 高らかに叫んだその瞬間、彼女は銃に撃たれて死んだ。彼女の初舞台はそれで終わるはずだった。

 しかし孤児Bは事切れるまでに三十秒を要した。長々とした彼女のうめき声に観客はうんざりしていた。

 客席でみかちゃんが死んでいくのを私はじっと見つめていた。他の孤児は打たれるたび舞台袖へ消えていった。しかし彼女は何故か舞台からはけずにうつ伏せのままずっとそこに留まっていた。

 

 幼いころにミュージカルに出演してから、みかちゃんは舞台の虜だった。私の住む地域では小中学生を対象にした大がかりな演劇祭を毎年開催していて、家なき子やアニーなんかを大々的に上演している。彼女も小さいころに出演した口だ。孤児Bとかいう大して目立たない役だったけど、彼女はその舞台がスターへの第一歩だったのだと信じこんでいる。

 東京にいったら舞台やテレビに出れる。少なくともチャンスは与えられる。彼女の漠然とした夢は私にとって居心地が良かった。

 みかちゃんの口ぶりは明日にも東京へ駆け出しそうな勢いがあった。でも実行に移すわけがない。どこにもいけない彼女のことを私は内心馬鹿にしていた。

 彼女の家は代々続く漁師の家系だ。彼女は弟達に比べて冷遇されている。みかちゃんの両親はお金持ちだけど、そのお金を彼女に注ごうとは思っていない。

 彼女の口から、「近所のおじさんと結婚しろと言われた。高校を出てはたらけ。短大なら出してやる」こういった愚痴が溢れるたびに私の心は満たされていく。

 彼女はお金があるけど、夢が見れない。私はお金がなくて夢を見れない。みかちゃんが気づいているかは分からないが、私と彼女は同じように不幸せだった。

 数年に一回夢を見た子供が黙って上京したり、まれに失踪したりするらしい。大体の子供が戻ってくるらしいけど、まれに帰ってこない子もいるらしいよ。みかちゃんの言葉に私は黙って頷いた。

 家庭や周囲の環境が満たされていない子は、みんな都会に憧れる。本当は何もかもが大っ嫌いだけど、自分の親や兄弟を嫌いになるのは難しい。学校の友人や先生にしてもそうだ。人を憎むのが難しいから、代わりにこの町が嫌いになる。

 みかちゃんも私もこの町が大嫌い。

 みかちゃんは割と勉強はできるのに、俳優の学校にいきますなんて言ってしょっちゅう親に殴られてる。彼女は今日も父親と口論になったらしく、ぶすっとした面持ちで窓の外を見ている。砂で黄色く汚れた窓には灰色の空が広がっていた。

「気分悪いから踊ろう」と、彼女が立ち上がる。ラジカセを押すと、聞きなれないアイドルグループの音楽が流れる。「一緒に踊る?」彼女の問いかけに私は曖昧に首を振った。

「踊らない」

「踊れない?」

「そう」

 私は外を見るのをやめてみかちゃんを見つめた。みかちゃんは私の目線に恥じることなく楽しげに歌に合わせて踊っている。私にはそれがうまいとか、下手とかは全く分からなかった。私も彼女に誘われて舞台のセリフを読んだり、踊ってみようとしたことがあったけれども、全くうまくいかなかった。その時分かったのは、私は人の前に立つのが大っ嫌いで彼女は人に見られるのがとっても好きだということ。

 制服姿でアイドルソングを踊っているのは分かりやすく可愛らしいけど、自分と同じ制服を着ている。確かに歌もうまいけど、もう何の感慨もない。毎日同じものばかり見ているのだ、飽きがきても仕方ないだろう。

私は再度窓の外に目をやった。彼女も私も十七歳。灰色の町に閉じ込められている。

 

 私たちが住んでいる場所は日本海に面した小さな町だ。黄砂で空気は淀んでいて、空はどんよりと雲がかかっていた。青空は灰色がかった小汚い青空で、田舎のくせに自然の美しさとかそういったものとは無縁だった。

 物心ついた時にはバブルの面影などなく、大人はいつもお金の話をしていた。テレビや新聞も税金やリストラの話ばかりしていた。繁華街といわれる場所は閑散としていて、道路には郊外型の店舗が立ち並んでいた。憩いの場所はショッピングモール。チェーン店が進出するたび、私たちは諸手を上げて歓迎し、個人店はどんどんつぶれていった。地元で稼いだお金を、こうやって都会の企業へ送金しているのだ。

 どうにもならないことに直面するたび、私はすべてをこの町のせいにした。お金、お金、お金、お金が欲しい。

 私の父は長いこと定職についていない。以前は小さなラーメン屋を営んでいたがすぐに潰れてしまった。今は祖母の年金と、小さな駐車場の経営で生計を立てている。まずいラーメンを作ることしかできない父親、要介護の祖母、疲れきった母親。

 高校に進学した私は学生生活を送るのに意外とお金がかかることを知った。必要なのは教科書だけじゃなかった。副教材が買えず教師に事情を話し授業に合わせてコピーをもらい始めたあたりでようやく私は我が家の経済状況について真剣に考え始めた。

 ないものはないのだ、と授業料が滞り始めた時私は職員室へ呼び出され一枚の書類を渡された。そこには高校生用の奨学金について記されていた。奨学金で滞納している授業料を払い、おつりがくる。借金だからもちろん数年は返し続けなければいけないが、この心労に比べたらそんなことは問題じゃなかった。購買で飲み物を買ったり、化粧品を買ったり、人並みの学生生活が送れるだろうと私の心は浮足立った。

 みかちゃんと仲良くなったのもそのあたりの時期だった。クラスで一人浮いた彼女は、時々担任に呼び出されていたようだ。「部活動では楽しそうに話しているのに、どうしてクラスには打ち解けない」と問い詰められている彼女を見て、私は同情心から声をかけた。「私、彼女とは友人ですけど」勿論そんな事実はなかった。その時のみかちゃんの表情は覚えていない。怒っていただろうなと思う時もあるし、単純に担任から解放されてほっとしていたような気もする。その一軒以来、私と彼女は会話を交わすようになった。

 

「おはようございます」

 後輩の声にみかちゃんは踊るのを止めた。次々に部員が教室へ入ってくる。「先輩も、おはようございます」窓の外を眺めていた私にユイがはなしかける。「先輩、このところ毎日来てますね」「なんで演劇部はおつかれさまじゃなくておはようなの? 業界挨拶?」「知らないです」

 女の子たちが丸くなってストレッチをしているのを、やっぱり私はぼんやりと見つめていた。部員は九人、男は一人もいなかった。一年生で一人だけ入部希望者がいたそうだがそのうち来なくなったと、ユイが言っていたのを覚えている。

「トキヤ様やってください!」

 発声が終わると、あとはみかちゃんのオンステージだ。トキヤ様は最近はやりのアニメ番組のキャラクターで、彼女は声優の物まねがやけにうまかった。先ほどまでアイドルの歌を歌っていたのに、今は少年の真似をして歓声を浴びようとしている。

 新入生歓迎会の時、みかちゃんはウィッグをつけて青年の役を演じた。部員のほとんどがみかちゃんの演じる青年のファンで、皆ヒロインの座を狙っている。唯一の男性部員は、そんな空気に嫌気がさして辞めてしまったのだろう。

 別に私はみかちゃんが演じる青年が好きでここにいるというわけじゃない。私は、彼女がアニメの物まねや青年の役を演じていても何も思わない。確かに彼女のハスキーな声は少年のように聞こえる。でも、私には彼女は制服をきた女の子にしか見えない。

「エチュード入る?」

 みかちゃんの言葉に私は首を振る。課題に合わせて即興で役を演じきる。一度だけ参加したが、棒立ちのまま一言も言葉を発せなかった。電信柱の役以外、演じきる自信が私にはない。

 エチュードは各々がやりたいよう役を演じていくので、一向に結末が見えなかった。起承転結ではなく、起起起起起。十分のアラームをワンセットに、次々役が入れ替わっていく。唯一面白かったのはユイが男性を演じる時で、女性らしさが抜けず絵にかいたおかまのような語り口になっていたことだった。

 

 特に何をするでもなく、ぼんやりと演劇部の部室にいる。みかちゃんが私を拒まない限り、私はここで邪険されることはないだろう。「大会とか出ないの?」と、尋ねる私に、今年は出ないかもねとみかちゃんは笑った。

 数か月前まで私は時間なんて持て余したことがなかった。幼いころから町のスポーツクラブに通っていた。県の強化選手にも選ばれていた。

 私が何かをはじめると、三つ下の妹も同じようにそれをしたがった。私は妹のことが好きだったから、同じことを同じようにすることに何の抵抗もなかった。休日のたびに家族ぐるみで大会に出かけるのも、なんだか旅行みたいでとても楽しかった。

 ある日、妹が私のリザルドを更新した。何度も何度も挑戦したが、私はその日以来妹に勝てなくなった。割とあっさり私は事実を受け入れた。スプリントを完全に諦め、長距離へと種目を変更した。花型の競技で歓声を浴びたい。そういった未練はあったけれど、妹に勝てるとは思えなかった。

 妹の調子が良くなっていくのと比例して、何もかもがうまくいかなくなっていった。目標にしていた全国大会への予選で、私はあっさりと敗退し、妹は優勝し日本代表の座を手に入れた。誰にも惜しまれることなく、私は引退を決めた。

 練習以外に時間の潰し方を知らない私はここにいるしかなかった。大して面白く無い素人の劇をぼんやりと眺める。時々誰かが思い出したように私に話しかける。

 

 トロイメライが流れ、帰宅を促される。運動部は閉門まで粘るように練習を続けるが、演劇部はあっさりと解散してしまう。帰ろうとしていた矢先、私はみかちゃんに呼び止められファミレスへと向かった。

 いちごのパフェを頬張る彼女は女の子にしか見えない。それなのに、彼女は部活の時だけ男の子になりたがる。私にはそれも分からなかった。

「あのさ、私アイドルになろうと思って」

「え?」

 どういうこと、と尋ねる私に彼女は携帯の写真を見せた。そこには赤のチェックの衣装をきたみかちゃんの姿があった。みかちゃんの隣には、なんとなくみかちゃんみたいな雰囲気の女の子が並んでいた。端にはでっぷりと太った中年の男が写っている。

「なんかね、ご当地アイドルにならないかって誘われちゃって」

 みかちゃんのはなしを要約すると、一番端太った男は自称プロデューサーらしい。音大出身で、地方テレビ局にコネがあり、この町でご当地アイドルを立ち上げようとしている。

ミュージカルに出てたの覚えててくれたんだって、と弾んだ声を上げる彼女に私はどう返せばいいのか分からなかった。

「なんかね、コネとかいっぱいあるから、もし頑張ったら劇団とか映画監督とか紹介してくれるんだって」

「え?アイドルなのに、劇団なの?」

「要は東京とかのテレビとかに出れるかもしれないってことだよ」

 机の上に置かれた携帯電話を私は再度覗き込んだ。

「もうコスチュームもあるの」

 お揃いのミニスカートはどうみても、ドン・キホーテに売ってるそれだった。この町にドン・キホーテはないから隣の県に買いにいったのかもしれない。とても、芸能人やアイドルが着るようなきらびやかなものには見えなかった。

「危ない人とかじゃないの?」

 純粋な親切心からでた言葉だった。彼女は一瞬不愉快そうな顔をしたが、すまし声ではなしを続けた。

「大丈夫だよ。音楽の非常勤してるらしいし、危ない人じゃないよ。

自宅に防音室があってレッスンしてくれるんだって」

「自宅?怖くないの?」

「お父さんもそう言って反対してるけど、危なくないし」

「でも」

 テーブルがごとんと鳴った。みかちゃんがテーブルの足を蹴飛ばした音だった。

 彼女の態度に、私は萎縮してしまう。

「夢とかないから分かんないかもしれないけど、これすごいことなんだからね」

 みかちゃんは苛つきながら、溶けたパフェをかき混ぜている。私は慌てて、「いいじゃんがんばってね」と、その場を取り繕った。

 

 帰宅しても、家には誰も居なかった。郵便受けから郵便物を取り出し、ソファーに身体を投げ出す。家族が帰ってくる前に自分の部屋に引っ込んでしまいたいが、億劫でなかなか身体が動かない。みかちゃんの捨て台詞が相当堪えていた。

 小さいころの夢はスポーツで活躍することだったけど、その夢は妹に踏んづけられてしまった。退屈を持て余している私にはなんにもない。空っぽ。

 親戚も、友達も、学校の先生も私が躓いたのを知っている。ここにいるのは恥ずかしくて辛い。でも、どこにもいけない。

 ダイレクトメールに目を通していくと、ふと学校からの郵便物に気がついた。父親宛になっているが、構わず封を開ける。封書には授業料の督促の旨が記されていた。

「私の奨学金で払うんじゃないの? どういうこと」

 帰ってきた父親に手紙を見せると、人の郵便物を開けるなとやんわりとたしなめられた。

「そうじゃなくて、なんで払ってないの」

「仕方がないだろ、あいつが海外いったんだから。遠征費も必要だったし」

「使ったの?」

 嫌がる両親から、ひったくるように通帳を取り上げた。二百円ほどの残高が残っているだけで、数カ月分の授業料は全く残っていなかった。

「どういうこと?」

「だってほら、あいつは日本の代表に選ばれたんだ。しゃあないだろ」

「見てよコレ、退学の可能性もあるって書いてある」

「仕方ないだろ。なんとかなる。それにお前は学校行ってるだけだろ。妹は頑張ってるのに、協力できないのか」

 父親の言葉に頭に血が上った。自分が蔑ろにされているのは気がついていた。でも、そうだとは思いたくなかった。思いたくなかったから、両親は気を使って干渉してこないのだと信じ込もうとしていた。

 でも、それは嘘だ。もしかしたら、私は高校も出れないかもしれない。そうしたら、どこにもいけずずっとここで働かなくちゃいけない。働いたお金はどうなる。自分の生活を守れるだろうか。それともずっと妹に踏み台にされるのだろうか。

 私はリビングを飛び出した。自分の部屋を通り過ぎ、妹の元へと向かう。「あんたのせいで!」私の剣幕に妹が飛び起きる。彼女が困惑しているのも構わず、私は妹に詰め寄った。「あんたが外国行ったお金、私が借りたお金だったんだって。授業料。どうしてくれんの?私、学校のお金なくなっちゃったんだけど。退学かもだって。ねぇ!返してよ」

 妹は子供みたいに鳴き声をあげた。思わず妹の頬を張る。一発、二発。後ろから髪を引っ張られ後ろへのけぞった。

「なにしてるんだ!」

 顔を真っ赤にした父は謝るどころか、私の髪を掴み部屋から引きずりだした。「しかたがないだろ、ないもんはないんだから」

 私はようやくこの家での立ち位置を自覚することができた。このままだと私は家族のせいで駄目になる、呆然としたままふらふらと部屋にこもる。

 ボストンバッグにありったけの衣類を詰め込み、少し気分が落ち着いた。でも、どこにもいけなかった。時折母親や妹が部屋の外から私の名前を呼んだ。決してドアをあける気にはならなかった。

 スポーツで負けたのは私が悪いし、海外遠征だっていけばいい。妹は何も知らなかった、私の借りたお金で海外にいっていたなんて知るなかった。彼女も被害者なのだと割り切ってしまうことが私にはできなかった。

 このまま妹のことを嫌いになるのは嫌だった。家族のことも憎みたくなかった。こんな町にいるから、私の家にはお金がない。こんな場所にいるから、私は窮屈で空っぽ、新しい夢も見れない。

 どうにもならないことに直面するたび、私はこの町のせいにする。この町にはなんにもない。洋服屋も、雑貨屋もなければ、明るい話題も仕事もない。お金がないのもみんなこの町のせい。この町で夢を見たり、何かを目指すことはたくさんのものを犠牲にする。きっとこの町にそんな贅沢なものは与えられていないのだ。私は早々に諦めたのに、なんで馬鹿にされたり割りを食わなきゃいけないのだろう。

「夢ばっか見やがって」

 

 部屋を出ていくこともできず、いつの間にか私は眠ってしまっていた。部屋の戸を叩く音に、私は顔を上げる。

「ねぇ、みかちゃんのお母さんから電話があったの!」

 ドアの外から母親の声がした。

「みかちゃん、あんたと遊んでくるって言って家を出て帰ってこないらしいけど……あんた、知らない?」

 どきん、と私の心が傷んだ。部屋の時計は三時を回っていた。

 あの男の家に行ったんだ。私は分かっていたけど、母親にそれをつたえようとは思わなかった。

「知らない!」

「そう……心配ねぇ」

 私の心がほんの少しほころんだ気がした。「犯されてればいい……!」小さな声でつぶやく。写真の男はあの町の化身だ。今度こそ彼女は舞台から引きずり降ろされるだろう。夢なんか見れないくらい傷ついてしまえ。

「なんか言った?」「何も言ってない。連絡来たら教えてよ」

 諦めと安心の中で、私は久々にゆっくり眠ることができるだろう。

 

 その晩、みかちゃんのお母さんから連絡は来なかった。彼女は一週間学校を休み、何事もなかったかのように登校してきた。悲しい事件の噂が静かに漂っていた。

 数カ月後、私はあの町を捨て一人逃げ出した。それっきり家族とは会っていない。

 

 みかちゃんはまだあの町にいるだろう。時々、彼女がくるりくるりと踊っていたのを思い出す。


 【了】