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お砂糖はいくつ?:七夜月尚

 なんの模様も無い、初雪のように真っ白なティーカップを三客、丁寧に食卓に並べる。

庭が正面に臨める台所に近い席に母、朝の連続テレビ小説がよく見える、母の正面の席に祖母。

二人に挟まれ、ちょこんと、愛情を独り占めせんと、巻き毛をふりふり愛想を振りまいている幼子は、あれは、私だ。

父は既に出勤していて、弟はまだ、母の胎内から出ていない。

幸福というものに形があるとしたら、あの日々の光景をそのまま切り取って、あなた方に差し出す準備がある。

 

我が家の女三人だけでゆっくりと摂る朝食は、メニュウがきっちりと決まっていた。

まずトースト。歩いて半時間ほどの洋菓子店で購入する山型の五枚切。祖母はもっちりとした食感がなにしろ嫌いだった。

噛めばさっくりと、そしてほろ苦さが残るくらいまでトースターでカリカリに焼き上げる。もちろん、焼く前には、バタをたっぷりと塗る。

バタ入れは私が生まれる前の年に食道癌で亡くなった祖父がとりわけ大事にしていた品で、分厚い硝子の本体には飾り彫りが施され、木で出来た蓋がついている。

トーストには更に苺ジャムを塗ることもあれば、そのまま食べることもあった。

次に野菜サラダ。サラダというほどの大したものではない。スーパーで念入りに選ってきた胡瓜とトマト。良く洗って荒塩をたっぷりと振り、板擂りした胡瓜を細く斜め切りにする。トマトは湯剥きして種をとり、クシ切りに。

たったこれだけの野菜に、いつも同じ玉ねぎと醤油のドレッシングをかけたもの。

お次は、玉子。これは、祖母の気まぐれで、ゆで卵になることもあれば、目玉焼きになることもあった。あまり料理をしない祖母であったが玉子料理は得意だった。

何しろ「たまごやきの君へ」という書き出しで始まる戦地の祖父からの恋文を後生大事に持っていた人である。

祖母の作る目玉焼きはとても美しい様子をしていた。薄いオレンジがかった桃色の黄身部分をフォークでつつけば、プツっという瑞々しい音と共にトロリと卵液が流れ出る半熟仕様。

そして、なんと言っても主役は紅茶なのだった。

しゅんしゅん音をたてて湧いたかんかんの熱湯を、茶葉を多い目に入れたポットに注ぐ。

たいていは百貨店のお買い得品のLIPTONレストラン缶。ブレックファストブレンド。気が向けば頂き物のアップルティ。

濃く淹れた琥珀色の液体を、それぞれの茶碗に注ぎ分け、私は祖母に尋ねる。

「お砂糖はいくつ?」

「ふたつ半」

と祖母は答える。

そこで私は、ぽってりとした、黄土色とチョコレエト色で塗り分けられたシュガーポットに、息を止めてシュガースプンを入れる。砂糖をこぼすと必ず父に非道く叱られるので。たっぷりと甘い紅茶が祖母のお好みだった。茶碗に銀色のティースプンを入れて十回ほどかき混ぜ、砂糖が完全に溶けてからミルクを注ぎ、さらに混ぜる。

こぼしてしまわないように注意深く、手渡す。

滑らかな紅茶を愛おしむように、

「ありがとう」

と祖母は受け取る。

祖母の右手の小指はいびつに曲がっている。手のひら側にくの字に。

神戸大空襲の後遺症だ。

親友と手をつないでB二九の絨毯爆撃のなか走り、白い光が目の前ではじけて、気が付くと親友は全身血まみれで即死しており、自分は腕と腹をやられたものの、側溝にはまって助かったのだ、と祖母は小声で教えてくれたことがある。

完璧だ。完璧な朝食。

黄金色のトースト、やさしい色のミルクティ、青臭い胡瓜の匂い、嫌いで嫌いで仕方なかったのに毎朝供されるトマト。

そして、目玉焼き。

 

食堂はずっと在るのだと確信し、朝食はずっと供され続けるのだと確信していた。

連続テレビ小説のあとの気怠いラジオ放送もNHK‐FMと決まっていた。

BGMもメニュウもメンバーも固定された、呪われたといっても過言ではない時間。

その中で退屈し、倦み疲れながらも、こどものままでいられた時間。

 

今となってはもう再現が叶わない景色。

祖母は存命だし、施設に行けば会える。

しかし彼女の脳に、孫娘と過ごした朝食の風景はもう遺されていないのだ。

家族はばらばらに住居を構え、食堂だった部屋は母の寝室になった。

私のことを若くして亡くなった従妹だと信じ込んでいる祖母。

お洒落で活発だった祖母と腕を組んで散歩に行き、喫茶店でケーキを食べることも、もうないだろう。

 

それでも、こっそりと保温水筒に作ってきた濃い紅茶を紙コップに注ぎ、

「お砂糖はいくつ?」

と尋ねれば

「ふたつ半」

と答えが返ってくる。

 




 

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