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「書かれなかった寓話」(第四回):日居月諸

 紗江からチャットで声をかけられた時、陸山の手は空いていた。彼女はTwitter文芸部の実務にまつわる忙しさを気にかけてくれているが――部外者に似つかわしくない律義さに、彼は気後れを覚えた――、雑誌作成にあたって編集長がするべき職務は少ない。雑誌の方針の決定、寄稿の依頼、職務の割り振り、進捗状況の確認、発刊のアナウンス……編集長とは実務をこなす部員を統括し、そこでの成果を外部に報告する役割を持った人間を指すのであって、部員が各々の仕事を全うしてくれれば煩わしさを感じることなどほとんどない。

 スカイプにログインしていたのも、部員から声がかかった時すぐ応答できるようにするためだった。何事もなければ、部外者とだって話せる。

 ――お気遣いありがとうございます。今は手が空いているので大丈夫ですよ。

 だが、と彼は返事をしながら思った。仮に手が空いておらずとも、一旦仕事を放りだして紗江と話そうという気になったかもしれない、と。紗江からのメッセージに目を通した時、陸山は気後れを覚えた。それほど忙しくもないのに、不相応な律義さでもって声をかけられて戸惑ってしまった。同時に、新田の案件を忘れかけていた自分に気付いてしまったのだ。

 文学のことでお話ししませんか。そう書き連ねられたメッセージに改めて目を通しながら、紗江は新田の話題を持ち出すために声を掛けたのではないと確かめる。しかし、相手の意向とは別に、咎められているような気分を覚えた。雑誌を何事もなく発刊させて、新田という部員がいなかったかの如く済まそうとしているのではないか、それと同時に私という存在も忘れようとしているのではないか、それこそ、新田が自らの出自をモデルにした小説から自分の影を消したかのように、全ての事どもをなかったかのように振る舞おうとしているのではないか、と。

 それらを踏まえればこれから行う会話は、いかに時間的余裕があろうと、精神的には負い目を伴ったものとなってしまう。

 ――ありがとうございます。それでは、通話いたしますね。

 ヘッドセットを準備しながら、陸山は一呼吸を置いた。考えすぎる必要はない。向こうに咎めるような態度は今のところ見られないし、久しく交流を持っていないのにこちらの忘却が読まれるわけはない。これからの会話はあくまでも共通の趣味をめぐって行われるのであって、共通の知人をめぐって行われるのではない。仮に知人の話題が出たところで、忘却を認めざるをえないならば認めた上で、余計な気負いを覚えることなく、これからの対策をともに考えればいい。

「こんばんは、お久しぶりです」

 通りのいい澄んだ声が聞こえてきた。愛想の良い口振りに裏がないことを確かめつつ、陸山はその明快さに一度身をゆだねることにした。

「こちらこそ」

「本当に大丈夫だったのでしょうか?」

「いえ、実のところ編集長のやる仕事はあまりないんですよ。ほとんどの仕事は他の部員がやってくれて、僕がやることと言えばスポークスマンの役目くらいなものです」

 それならよかったです、と安堵を表す声を聞きながら、陸山は先ほどの自分の口振りが自慢めいた調子を帯びていなかったことを確かめた。

「ところで、近々『百年の孤独』の読書会が行われるとうかがったのですが」

「ああ、目を通していただけましたか」

 言いながら、手元にある大部の書籍を見やった。渦を巻くような一本の道が、両端を煉瓦で出来ていると思しき城壁によって囲まれている。城壁には夥しいまでの黒い三角屋根が設えられ、それらは霧の降りた曇り空へと伸び、ところどころに葉の落ちた針葉樹が植わっている。城壁が建っているのは砂漠だ。砂の地面には風の跡と思しき縞模様が刻まれ、城壁の内側には白いオブジェとも思しき舟に乗った者どもが、螺旋の中心に向かって進んでいるのだか立ち止まっているのだかわからない姿で佇んでいた。

「やはりレメディオス・バロをトリミングした表紙をお持ちなのですね。学生時代は旧版で読んでいたせいで、『作品集』版の表紙では読んだ気にはならないのですよ」

「まさに砂上楼閣という感じで、とてもいい表紙だと思います。マコンドの行く末を暗示している。かといってネタバレではない。本を開く前は表紙に描かれている事にあまり目を向けないけれども、しっかりとした印象は残る。そして本を読んだ後に、表紙に描かれている細部が鮮明に浮かび上がってくる。装丁と内容が噛み合った著作というのは、芸術品としてあるべき姿じゃないかな。芸術というのは、たとえば絵画は絵画、小説は小説、といった具合にジャンル分けされるべきではなく、もっと複合的に出来上がるべきだと、『百年の孤独』の装丁は教えてくれる」

 ええ、という声が返ってくる。ともに『百年の孤独』を読み終えていることは明らかだった。

「もしかしてこちらのアナウンスを見て、読もうと思い立たれたんですか?」

 これにも肯定してくれて、こういったところでも律義な人なのか、と相手を見上げるとともに、陸山は心置きなく文学の話が出来るだろうという予感に心が沸き立った。

「小説もとても複合的に成り立っていますよね。同じような名前によって続いていく家系が、同じような出来事を繰り返しつつ、繁栄と滅亡を迎えていく。しかもそれらはあくまでも偶然のように継起していって、後から見ていけば必然であったのかもしれない、という具合にとにかくすべての事が複雑に絡み合っていく」

「それこそ、小説の本来あるべき姿、といったところでしょうか」

「まったくもって」

 そう言うと、向こうから微かな笑い声が聞こえてきた。そこで彼は自らの声が勢い込んでいたことを知り、苦笑した。

「でも、改めて読んでよかったですよ。昔読んだ時は物語の筋を追うのに精一杯だったけれど、実際に書き手として読んでみると、あまりに参考になるところが多かった」

「私も昔読んでいた頃はとにかく圧倒されるばかりだったのですが、実際は何も読んでいなかったと思い知らされてしまいました」

「描写の鋭さもそうなんですが、物語の組み立て方についても同様で、序盤を読み進めている間は手垢のついた感じが否めなかったんだけれど、実のところそれは、日本文学があまりにガルシア=マルケスを模倣しすぎたせいなのではないか、という印象を持ちました」

「そうかもしれないですね。安部公房や中上健次はいわずもがな、影響を明言していない作家達も、知らず知らずガルシア=マルケスが作り出した型を踏襲しているのかもしれない」

 落ち着いた口調に接しながら、それに引き換え自分の声がなんと浮き足立っていることだろう、と陸山は自嘲した。会話をしようとしているのだかわからない一方的な言葉を投げているのに、向こうは当意即妙な言葉で応じてくれる。

「いやはや……」

 溜息をつきながら、普段使わない言葉を使ってまで感に堪えぬ様子を表そうとした。それは『百年の孤独』もさることながら、音声だけでしかやり取りができない文学の知識に長じた女にも向けられていた。会話を行う前に覚えた緊張は、最早ほぐれきってしまっている。

「打ち明けると、僕はガルシア=マルケスに対して好ましくない思いを抱いていたんです。『百年の孤独』はまだ小説を書いていない頃に読んだ。小説を書くようになってから、『予告された殺人の記録』を読んで、この徹頭徹尾計算されたような小説は、はたして小説のあるべき姿だろうか、という疑問を抱いた。勢い込んで、ガルシア=マルケス、いやマジック・リアリズムは葬らなければいけない、とさえ思い込んでしまった。でも、この小説を読んで、そんな考えは浅はかだった、と思い直しました」

「けれど、そう言いたくなる気持ちはわからないでもありません」

 そうした応対の仕方に気配りを感じた陸山は、いや、と差し出された手を断りかけた。しかし、

「『百年の孤独』もあくまで計算によって成り立っている小説でしょう」

 と強い口調で言われたので、思わず口をつぐんでしまった。そこで生まれた空白がかつて覚えた感触と同じものだと意識しつつ、ややあって、それはどういう点で、と訊ねると、

「まず、ブエンディア一族が歩んだ歴史は言うまでもないですね。最初に、始祖といってもいいホセ・アルカディオ・ブエンディアが、又従妹のウルスラ・イグアランと結婚する。そして、彼らから四代下って生まれたアマランタ・ウルスラが、甥のアウレリャノ・バビロニアと結婚する。最初の血のつながった者同士から産まれた子供は、健常な姿で現れましたが、次の血のつながった者同士から産まれた子供は、奇形児として現れてしまった。繁栄の起点となった出来事と、滅亡の起点となった出来事が対照になっているのですね」

「ええ、しかし、それは仕組まれた展開という感じは受けません。蛇行に蛇行を続けつつ、似ているようで似ていない出来事が継起しつつ、四代に渡ってブエンディアの系譜が重なっていき、そのうちに、禁忌とされていた出来事が起こってしまうから、あくまでも偶然の末に一家の秘密に出会ってしまった、という印象を覚える」

「小説としてはありがちな手法ですが、そのありがちな手法をよく咀嚼できているのですね」

 ありがちな、という言葉に少し引っかかりを覚えた。確かに訳者も指摘しているように、『百年の孤独』は伝統的な手法によって成り立っている小説だ。全ては予告されており、偶然に継起していると思われる出来事はいずれも必然のものだった……そんな小説はありがちである。だが、訳者に指摘されるのと、紗江に指摘されるのとでは、少しばかりニュアンスの相違を感じた。その相違がどのようなものかは測れなかったが、読書における仲間から聞こえた声は、彼をわずかにムッとさせた。

「まあ、そのあたりは表立って明らかにされているので、計算とさえ呼べないものだと思います」陸山の気掛かりをよそに話は続けられる。「問題は、表立って明らかにされていない部分……」

「明らかにされていない部分?」

 中途半端なところで声が途切れてしまったため、思わず相手の言葉をそのままに発してしまった。

「本当は明らかにされているのですけれどね。ただ、読者は本筋を追うばかりで、脇に続く筋は読み飛ばしてしまいかねないと思うのです。ブエンディア一族が一心不乱に生きている傍らで斃れていった無数の人々を」

 それまで明快に発せられていた声が、トーンがそのままであるにもかかわらず、曇りがかっているような雰囲気を帯びた。それまでは全ての言葉が聞き手に向かって届けられていたにもかかわらず、途端に話し手の内側にこもりだした。

「確かに、この小説ではよく人が亡くなる。二代目のアウレリャノ・ブエンディアは革命軍の大佐になって、無数の人々を戦乱に巻き込んでしまった。四代目のホセ・アルカディオ・セグンドも労務者たちと結託してストライキを起こして、鎮圧されてしまう」

 ひとまず、投げ出されてしまった言葉を引き取ることにした。これまで好き勝手に喋っていたにもかかわらず、会話を会話として成立させてくれたことへの返礼でもあった。果たして相手からは、そう、という頷きが聞こえてくる。が、

「ただ、こう言ってしまうと語弊がありますが、それらはあるべき犠牲のようなものですから。アウレリャノ・ブエンディアは、義憤によって革命を企てた。ホセ・アルカディオ・セグンドも、経緯はどうあれ義憤によってストライキを企てた。彼らに従った者も、同じ志を戴いていたわけですから、死ぬことは本望だったと思います。死ぬことを本望としないままに、ブエンディア一族によって殺された者もいた」

 そう言われるとようやく思い当たる節が浮かび、陸山は手元の本を開き始めた。しかし、ただでさえ大部の書籍をめくるのは一苦労である上に、万事がめまぐるしく流転する小説の、本筋から逸脱した出来事に行き当たるには一層の苦労を必要とした。このページでもない、この名前でもない、とシラミ潰しに小説のエピソードを当たっていく間、忘却していた出来事を不意に思い起こさせられ、後ろめたさに急き立てられながら記憶を掘り起こすような感覚が陸山を包んでいた。

「たとえば、プルデンシオ・アギラル」聞き覚えのある名前が、澄んだ声によってあっさりと発せられた。「初めの血のつながった夫婦を嗤った男ですね。奇形児が生まれることを嫌って性交せずに暮らしていた夫婦は、噂の的となってしまい、その中でも特にプルデンシオの取った態度は夫の気に障った。闘鶏に負けた腹いせに、これでお前の不能は慰められるだろう、と嘲ったために、彼はホセ・アルカディオ・ブエンディアの放つ投槍に突かれて死んでしまう。憤りの収まらない夫は妻を焚き付けいよいよ性交に及び子を宿すのですが、彼らが改めて愛を確かめ合うきっかけを作った男は、怨霊となって夫婦の下に現れ続ける。自業自得であり、逆恨みといえばそれまでですが、怨霊の影におびえた夫婦がそれまでの町を離れて旅に出たと考えると、歴史の立役者ともいえるわけです。プルデンシオ・アギラルは、マコンドの繁栄と滅亡の、きっかけとなった人物なのです」

 陸山がようやくプルデンシオ・アギラルの名前を見つけた時、一旦話は区切られた。紗江の話すあらすじに間違いはなかった。全体のあらすじを述べるだけでも容易ではない小説にもかかわらず、二度読んだ者でも思い出すのに時間がかかった細部のエピソードを滔々と述べてみせる様子に、この女の不気味ともいえるまくしたてるような口調が再び現れた、と陸山は身構えた。

「この小説はプルデンシオ・アギラルのエピソードが示すように、一族だけの歴史を書き連ねたものではないのです。私はむしろ、叙述の数こそ劣るとはいえ、一族以外の者たちにこそ重きが置かれた小説ではないかと思っています。他に例を挙げるなら、一族の滅亡のきっかけとなったアウレリャノ・バビロニアの父である、マウリシオ・バビロニアですね」

 ああ、そうか、と陸山は納得の行った口振りを示した。見当は外れているかもしれないが、それ以前に一度紗江の口調に歯止めをかけておくべきだと感じた。

「マウリシオ・バビロニアは、四代目の子孫であるメメが想いを寄せた人だったね。だけど、母親のフェルナンダは娘の想い人を快く思わない。そして、夜這いに来たマウリシオを、仕向けた夜警達の手で殺してしまう。けれど、彼らの子供は産まれてしまった。後に奇形児を産むこととなる、ブエンディア家の血を絶やすこととなる子供を産んでしまった」

 そうですね、という相槌が、自らの話す梗概に間違いのないことを認めてくれる承諾であると解釈しながら、彼は話を進める。

「一族の外部にいる人間を退けることによって、最初は繁栄のきっかけを得るんだけど、二度目は滅亡のきっかけを得てしまう、というわけか。そこにこそ計算がある、なるほどな……」

「さすがですね。私の言いたいことを見事に汲み取ってくださった」

 またまた、と照れ隠しに賛辞を払いのける口振りを表しながら、すべての解釈が紗江の口から放たれなかったことに、陸山は安堵を覚えた。これは一種の抵抗でもある。陸山から口が挟まれることのないまま話が続いていれば、ありがちだ、と指摘した紗江の解釈は揺るぎないものなってしまっていたかもしれない。『百年の孤独』に相応の価値を見出している自分さえも、ありがちな人間であると烙印を押されてしまうかもしれない。

 たとえそちらから与えられたヒントを駆使しながら述べた言葉であろうと、先読みが出来るからにはそれもまたありがちなのだ、と言外に主張することで陸山は抵抗を示そうとした。あなたは誰にでもわかる一般的な解釈をしているだけであって、『百年の孤独』そのものに宿る固有性を汲み取っているわけではない。どれだけ読もうと読みとりきれない魅力が、この書物にはある。

「ただ、計算はそれだけには留まらないのです」一息つきかけた瞬間に、また澄んだ声が発せられた。「そうした細かな出来事の反復と同様に、大きな出来事の反復がある。枠組みの反復、と申し上げてもいいですが……」

「枠組みの反復?」またも陸山は相手の言葉を繰り返した。

「先程陸山さんが挙げておられた革命のための戦争とストライキ。ブエンディア一族の歴史は、そうした支配への抵抗の歴史ともいえます。中心と周縁の対立、と言うと有り体でしょうか」

 有り体、という言葉は言わずもがな陸山の意識を過敏にさせた。だが、稼働速度を高めた頭脳は一方で紗江の述べるだろうことを、おぼろげながらに予測し始めていた。

「結局のところ、マコンドとともにブエンディア一族は滅びてしまい、歴史の忘却に晒されてしまうわけですが、同様に、ブエンディア一族から忘却された歴史もある」

「プルデンシオ・アギラルや、マウリシオ・バビロニアのような、ブエンディア一族から排除された者たちの歴史」

「そう」肯定が返ってきた。「アウレリャノ・バビロニアの闘争は、和平という形で終焉した。ホセ・アルカディオ・セグンドの闘争は、弾圧という形で終焉した。そういった具合に、ブエンディア一族の反抗は国家によって鎮圧されてしまう。同様に、ブエンディア一族も外部の者たちを排除し続けてきたのです。プルデンシオ・アギラルは、夫婦の誇りを取り戻すために殺された。マウリシオ・バビロニアは、世間体を気にする恐妻によって殺された」

「家もまた国家と同じように共同体であるわけですね。共同体であるからには、外枠めいたものを作って、内側を守らなければいけない。そして、外部の者を排除しなければいけない。ブエンディア一族の歴史は、あたかも国家の縮図でさえありうる……」

 なるほど、と陸山は感嘆をもらした。

「鋭い解釈だと思います」

「いえ、これもまた他所から借りてきた言葉を当てはめただけの話ですから」

 陸山の賛辞に偽りはなかった。ありがち、という言葉に気を取られて侮蔑するような口調を読み取ってしまったが、考えてみれば現代において小説を書くということは、出揃ったアイディアの中でいかに独自の色を見せていくかが重要なのである。同時に、読者もまた出揃ったアイディアを踏まえた上で、先行する作品との差異を読み取ることが重要となる。

 そうした前提を踏まえてみれば、ありがち、という言葉の解釈の仕方に誤りがあったのだ。初めはその言葉に何もかもお見通しである、と豪語するようなニュアンスを読み取った。いっそ、作者の苦労を知らない読者の思い上がった態度であるとさえ思った。訳者の書く、ありがち、という言葉に抵抗を覚えなかったのも、ひとえに訳者は作者の苦労をわかった上でそう書いているのだろう、という予測があるからに過ぎなかった。

 今となっては、紗江の発する、ありがち、という言葉は作品の魅力を最大限に取り出すための言葉であったと振り返られる。ガルシア=マルケスが自らの蓄積してきた知識と照らし合わせながら、それでもなお新しいものは生まれないかと葛藤を続けた、その現場を照らし出すための言葉。

「本当に色んな文学を読まれていらっしゃるのですね」

「好みに任せて読んでいるだけですよ」

「それでも大したものですよ」

 陸山は一通りのことを理解した。もっとも、理解したのは『百年の孤独』の解釈に限った話ではない。『抱擁家族』の時もそうだったが、作品を内部から見るのではなく外部から見ていく女の思考はどのような出自を持っているのか、話を聞きながらずっと気にかけていた。そして、ようやく思考の出自が見えてきた。

「紗江さんは自分の体験に基づいて読書をなさっているのですね」

「そうですね。知識はたかが知れていますから、自分の経験に基づいて、これまで読んできた本に頼って読むしかない」

「そういうことではなくて」言いながら、思わず声色が固くなってしまったのを感じた。「あなたは、自らが歩んできた人生に基づいて読書をなさっている」

「と言いますと?」

 そうした返事がこちらの癖を真似しているように思われて、陸山は眉をひそめた。同時に、これまで膨大なる言葉を表出させておきながら、今更とぼけることがあるのだろうか、とも思った。

「『百年の孤独』を読んでいる間は思い浮かばなかったんだけど、あなたとこうして感想を交換している内に、この小説は新田さんの『横を向いたまま』と似ているところがあると思ったんです」

「あの小説と?」

 次にやってきた疑問には、とぼけるニュアンスは含まれていないどころか、明確な侮蔑が現れていた。

「もちろん、プロとアマの差はある。ただ、小説の出来のことは一旦脇に置きましょう。その上で、ブエンディア一族の歴史と、あなたの一族の歴史には、どこか似通うところがある。あなたは自らの一族の歴史を、ブエンディア一族に重ね合わせながら『百年の孤独』を読んだんではないですか?」

 一息に言い切ると、続いて沈黙がやってきた。きっとまた強く言い返されると予感していたので、陸山は前のめりになるような困惑を覚えた。しばらく喋り通しであったため、久しく訪れた沈黙は居心地が悪く、何かしらの配慮を用意しなければならないと頭をめぐらしてはみたが、それまで考えていたことを吐き出してしまったがために容易くは言葉が浮かんでこなかった。そうして手をこまねいていると、

「……なるほど、だから新田は私にこれを読ませたのですね」と、ようやく声が聞こえてきた。「学生時代に彼がこう言ってきたのですよ、これだけは読まないとモグリだ、と」

 久しく頭に思い浮かべていなかった声が呼び起こされた。アマチュアにありがちな血気に逸った口調、聞き手の心象も構いなしに物事を軽々と断定してしまう口調は、確かにここのところ聞いていない、姿を見せなくなった者のそれだった。

 

(続きはPDFの8ページからご覧ください。総20ページ)

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