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「マイ・フーリッシュ・ハート」(第一回):る

 部屋だった。

 それは紛れもなく部屋だった。バウムクーヘンを一口に平らげようとして大きく開かれた少女の口の中ではなかった。当たり前だ。それは部屋だったのだ。部屋を一望すると、家具と呼べるものは一切配置されておらず、窓から覗くビルの群によってここが地上何メートルに位置しているかが知れた。斜めから差し込む西日が夕暮れであることを告げていた。僕はそこまで知ると手持無沙汰になってしまい、部屋の壁紙を見つめていた。キャラメル色のダイヤ型の模様が全体に施されていて、見る角度によってひとつひとつのダイヤは拉げたり増幅したりとその姿を変えた。そうして部屋を一周したのだ。30秒もかからなかった。

 一面に施されたダイヤの模様の中にひとつの傷を見つけた。それほど深い傷ではなかったが、整然と立ち並ぶダイヤの中でその傷はひどく特異な存在に思われた。赤ちゃんのつるんとした肌に五十を越えた中年女のシミが浮き出ているのと同じ道理だった。僕は、そのダイヤと傷の関係性を考えていた。それはミックジャガーとキースリチャーズの関係とは少し似ていたが、ピラミッドとアメフラシの関係とはかなり違っていた。僕は腕を組んでその関係性に名を与えようと脳を濡れ雑巾のように絞っていた。西日が傾きを増して部屋はさらにオレンジに満たされていった。こんな話を聞いたことがある。ある人物が無人島にいきつき、そこに打ち捨てられた自転車を見てペダルと車輪の関係性を考えることから詩は始まるのだ、と。

 そう、僕は詩人なのだ。

 パイナップルとわさび醤油だ。

 

 タンカストン

 タンカストン

 

 部屋に唯一取り付けられたドアの向こう、おそらく構造上そこには廊下が続いているのだろう、そこから、

 

 タンカストン

 タンカストン

 

 と足音のするのが聞こえている。僕は恐ろしく複雑な靴を履いた人物のことを想像した。その靴というのはとてつもなくつま先の底が高くて、ハイヒールとは全く逆の構造をした代物なのだ。そんな靴を履く人間なんて気がふれているに決まっている。僕はその靴を履いたつもりになって、つま先をきゅっと足の脛の方向に引き寄せてみた。ひどい緊張を感じた。おそらくこんな緊張を自身に課す人間というのは恐ろしく高貴な身分に違いない。ヨーロッパの貴族がコルセットだなんてよくわからない服飾を着ていたのと同じ道理だ。やつらは絶えず自らに緊張を強いていないとどうにかなってしまうのだろう。

 

 タンカストンスタタン

 

 足音が部屋の前に止まるのを確認すると、僕は彼、或いは彼女をどうやって出迎えようか、と思いを巡らせた挙句、ひどくシンプルな方法でそれをすることにした。つまりただ立ち竦んでいた。そしてドアが開く音がした。

 彼――それは一目で男だと分かった――はやはり恐ろしく複雑な靴を履いていたが、僕が想像した代物とは少し違っていた。しかしもしその靴の出来様を描写するとなると百科辞典一冊分の記述がなされなければならないだろう。その靴の成り立ちから、歴史、機能性、いや反機能性、まわりに与える影響、などなど、その靴が纏っている様々な価値、ないし無価値は膨大であった。

「靴に興味があるようで」彼の声はひどくマイルドな調子で響いた。最初僕は靴から声が出ているかのような錯覚を受けた、それほどその靴が纏っているものが膨大だったのだ。話ができるくらい予想の範疇だ。

「靴に興味があるようで」今度はすこし硬質な声音で聞こえてきた。僕はようやく靴から目を離し彼の顔を見た。顔が長く、趣味のいい口髭を蓄えた紳士であった。

「靴が喋っていると思ったんです」僕はそういうとまた靴の口と思われる部分――それほどにこの靴は多くを纏っているのだ――に再び視線を落とした。

「でしたら靴と喋っていただいても一向にかまいません。私のほうでも私の口が喋っているのか、それとも靴が喋っているのか、あなたに首尾よく理解していただくことはできませんから」

 彼は続けた

「おそらくこの二つの仮説、私の口が喋っているのか、それとも靴が喋っているのか、というこの二つの仮説というのは、ある意味において両立しているものだと思いますから」 それでは、と僕は靴が纏う目的――これは「もくてき」ではなく「めてき」と読む――な部分を凝視しつつ聞こえてくる声に耳を澄ました。

「あなたのことは随分綿密に調査させていただきました。私の申していることはおわかりでしょうか?」

 僕はこの言葉を聞いたとき、ある事柄を確信した。彼もまた詩人なのである。僕が調査される必要があるとするならば、それは僕が詩人であるという一点に限る。問題はその調査というものが、ネガティブな、つまり詩人であることの不道徳性を暴くためのものなのか、それとも、このご時勢において詩人の地下組織なるものが存在して、僕をその仲間に加えるための資格を僕が有しているかを調べるためなのか、ということである。僕は、彼の靴が極めて詩人的であることだけに頼って彼もまた詩人であると確信した。彼は僕の味方だ、と。普通の人間、つまり夏目漱石や森鴎外を至高の存在と考え、小説こそ全てと考えている人間はたいていつまらない靴を履いているのだ。

「大体のことは。あなたたちは詩人であり、僕を仲間に加えようとしている」

「察しがよくて助かりますね」

「あなたの靴を見れば分かります」そう言うと彼はホッとしたのか、入室時から漂わせていた緊張感を少し和らげた。靴もまたリラックスしたようだった。そういう風に見えた。それを感じて僕も幾分か寛いだ気分になって話を続けた。

「でもどうして私なんかを調査したりしたのでしょうか?」

「そこには深い理由はありません。詩と同じです。この世にはおよそ深い理由なんてない、というのが我々のスタンスでは無いでしょうか?」

「まあ、確かに」そう僕が受け答えしてる時、彼はポケットから――それもまた詩的なポケットであり、特徴をひとつあげるとしたら穴が7つも8つも開いていた――何かを取り出そうとしていた。僕はそこから取り出されるだろうものに色々思いをめぐらせた。拳銃、それは少しギャング的すぎた。名刺、これではあまりにもサラリーマン的だし、同時に退屈な小説的でもある。現金、これはハードボイルドの類だろう。アポロチョコ、これでは無垢な少年的すぎる。などとあれこれ考えを巡らしているとついに彼はあるものを手の上に載せて僕の目の前に差し出した。

「これをあなたに託します」

 それはフジツボだった。紛れも無くフジツボだった。

「でもこれは、フジツボですよね?」そう僕は彼に問うた。

「ええ、フジツボです、あなたがそう考える限りにおいて」男は意味ありげな顔をして答えた。

「そこにはおよそ深い理由なんてない」

「そこにはおよそ深い理由なんてない」

 二人は確かめるように同じ台詞を繰り返ししばらくの間虚空を見つめていた。僕の手にはフジツボがぽつんと置かれていた。

 

 部屋から解放され、戸外へ出ると、空は色彩を無くし、世界は空気に満ちていた。お手本通りの曇り空だった。僕は行くあてもなく街をふらつきながら先ほど起きた出来事について思いをめぐらせた。思い返すと、それは奇妙な出来事であった。まず、僕たちは一切自己紹介めいたこともしていない。彼は僕のことを調査したと話したが、調査をしたわりには、主な出来事としてはフジツボを渡されただけなのだ。そして僕は彼が詩人であることに思い至った、「そこにはおよそ深い理由なんてない」結局のところそれに尽きるのだ。

 スーツのポケットにいれたフジツボを右手でいじくりながらデパートの屋上でアイスクリームを買った。どんよりとした曇り空の下でメリーゴーラウンドが動いていた。小さな女の子らが夢中になって前の木馬を追いかけている、けれどいつまでもたっても追いつくことなどできなかった。その中に混じって中年の男性が上下する木馬に揺られていた。彼もまた詩人なのだろうか。彼は一心不乱に中空を見つめていて、僕もまた彼の視線を追いかけるように中空を見つめた。そこには暮れ初める世界の一端に色とりどりのアドバルーンが浮かんでいた。視線を戻すと彼はもういなかった。彼の座っていた木馬だけが取り残されたように虚しく上下していた。そこだけとてもスローな時間が取り残されていた。彼もまた詩人なのだろうか? 「あなたがそう考える限りにおいて」と先ほどの男の台詞が脳裏に響いた。

 でたらめに脚を動かしていたらいつのまにか家に着いていた。もう7時を回っていた。道中で買った今日二つ目のアイスクリームに舌を這わせながら扉を開けると、そこにあるのはいつも通りの部屋で、本やCDがいたずらに散らかっていた。安心した。午後に訪れたあの不思議な部屋がまだ脳裏にこびりついていたのだ。安心して、晩飯と風呂の準備をして、出来るだけ今日起きたことを思い出さないように努めた。しかし本格的な夜が訪れるとそれは無理な相談だった。夜は自然とカーテンの隙間から忍び込み、部屋の明かりと混ざり合いながら消滅しつつ、それでもその痕跡は蓄積され、夜特有の追憶の気分を僕の中に形成していった。眠れなくなった。

 ウイスキーを一口飲んで、眠れない夜に、気泡のように浮かんでは消える記憶を手慰みにもてあそんでいた。僕はその当時まだ19歳だった。日本政府は文部科学省に捜査権と逮捕権を与えた。もちろん、詩人を取り締まるためだ。社会は常にターゲットを探しているのだ。時に同性愛者であったり、時に精神異常者であったり。それがたまたま詩人に順番が回ってきたのだ。僕はその時テレビを見ていた。見せしめとして詩壇の長であった谷川俊太郎が逮捕される瞬間に、だ。彼が逮捕される瞬間に吐いた台詞は、「そんなのってないよ」だった。とても詩的な言葉だ。その台詞が日本における最後の詩となった(少なくとも公的には)。「そんなのってないよ」僕は寂寥とした部屋で独り言のようにそれを呟いてみた。すると、切り分けられたメロンの一番甘いところをスプーンですくう様な爽やかなムードが夜に寄り添い、僕はいつのまにか眠りについていた。

 夢を見た。いくつかの夢を。

 僕は記憶をなくした少女と海岸を歩いていた。そこにはわずかなわだかまりも、ぎくしゃくしたところも存在せず、ごく自然に僕たちはさらさらとした砂をふみしめていた。海岸は閑散とし、波打つ水の音がとてもシャープに響いていた。少女は白っぽいワンピースに麦藁帽子を被っていた、中学生くらいに見えた。僕に先立って彼女は歩いていた。時折海から訪れる海風に帽子を押さえながら、肩甲骨まですらっと伸びた髪を風に靡かせていた。僕は彼女がおそらく記憶をなくしていることを知っていた。どう知ったかはわからない。そこにはおよそ深い理由なんてないのだ。彼女は波打ち際まで行って、わずかばかり白くなった波頭を足首で粉砕していた。眩いばかりの夕暮れだった。

「かなしいってどういうことなんだろう」彼女は振り向いて僕に聞いた。

「何か大切なものを失う時、人はかなしむのだと思うよ。君だってとてもラディカルに何かを失っているじゃないか」

「私にはそれがわからないの。失ったことすら失ってしまったの」

「ラディカルに」

「そう。ラディカルに」

 少女はそう言うと波打ち際から浜辺に戻ってきて、僕の目の前に立った。

「あなたは大切なものを失ったの?」

「僕もまた失ったことすら失ってしまったのかもしれない」

「あなたがそう考える限りにおいて」

「そう。僕がそう考える限りにおいて」

 水平線が綺麗だった。

 仕事場は家から二駅離れたところにあった。それは小さな出版社であり、僕はそこの翻訳課で仕事をしていた。とはいえ、僕がするのは翻訳ではなく、出来上がった原稿が日本語として間違っていないかチェックするのだ。時に文章というものはねじくれて腸捻転を起こし最初と最後では全く違うことを言っていたり、脱臼して何かが欠落していたりした。僕の仕事はそれぞれ一文一文を読み込んで、ちゃんとした日本語に整えることだった。僕はこの仕事を一種のアイロニーだと感じていた。腸捻転を起こした文章や脱臼した文章というのはある意味で詩だった。僕はそいつらの肩をとんとんと叩いて、冷静になれよ、と呟くのだった。そうすることによって、言葉は退屈な小説や論文の形式を取り戻すのだ。翻訳課で扱う仕事は、哲学書や小説から犬の躾け方の本まで様々であったが、詩だけはそこに含まれなかった。そこまで文部科学省のプレッシャーがかかっているのだ。

 僕は午後の最後の仕事に取り掛かった。それはビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デヴィー』というアルバムの楽曲リストの和訳だった。簡単な仕事であるはずであったが、僕はそこで驚くべきものを目にした。『マイ・フーリッシュ・ハート』という楽曲があるのだがその楽曲名の翻訳には不躾に「不整脈」と書き込まれていた。僕はこの仕事を担当した当人のことを思い出した。頭の禿げかかった、中年の男性だった。専門的な英語の仕事はこなさないにしても瑣末な仕事をよくこなした。二人の娘がいて、どこそこの紛争地で爆弾が炸裂した、なんてニュースよりもその娘の入学式や成績表をより重大な事柄として受け止めるような人物だった。つまり彼は愛すべき人間なのだ。僕は彼の頭に巣作った散文的な考えに思いをめぐらし、「不整脈」と書かれた箇所はそのまま直さないでおくことに決めて、何に言うでもなしに呟いた。

(僕の愚かな心よ。)

 街へ出ると様々な人が実に様々な方向へ帰路を求めていた。そこかしこに花売りの少女たちが片手を差し出すようにして帰路につこうとしている人たちの視線に名前も知らない花を手向けている。ほとんどの通行人はそんな花売りの少女たちの健気さに答えることも無く無下に歩きさってしまうのだったが、少女たちは一人の通行人に通り過ぎられる度に「タタラン」と足でステップを踏んだ。最初の一歩は自らの背後に、半ばお辞儀をするが如く後ずさり、すぐにでも次の客に相対するためにそのステップを踏むのだ。街は少女たちの踏むステップで満たされていた。

 

 タタラン タタラン