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「書かれなかった寓話」(第三回):日居月諸

 新田からの返事は来なかった。一週間、二週間と待っても音沙汰はない。返信を待つ間、部員と話をするたびに新田の消息を訊ねることは欠かさなかった。しかし、誰もオンラインになったところを見ていないという。DMを送る以前から音沙汰がなかったのだから、当然の結果かもしれない。それにしても、これほど音信が途絶えることはこれまでなかった。お互いに私生活があるのだから多少連絡のやり取りが遅れるのは今まであったものの、後々になれば当人が姿を見せることで事情は明らかになったのだ。

 twitter文芸部にはかつて、ある時ふと姿を消した部員がいた。それまで事もなげにTwitterやスカイプでやり取りを交わしていたのに、なんの断りもなくアカウントを削除し、こちらからの連絡を一切遮断してしまったのだ。当時は、突然の事に対する戸惑いと、彼に対して信頼を寄せていた故の憤懣があったが、今となっては無事かどうかだけが気がかりとなっている。あるいは、それなりの悩みがあってそうした手段を採ったのだろうから、相談に乗れなかった悔いも残っている。

 新田に対しても頭に浮かぶのは心配だった。もっとも、頭の片隅では彼の本性への疑いも兆し始めている。この男は紗江が文芸部にコンタクトを取ってきたのを知り、追及の手を逃れるために一時姿を消しているのではないか、と。

とはいえ、状況証拠を材料に考えを巡らせれば、すぐに有り得ないとわかる話だった。突然現れた女のことを話したのは、大瀬良一人である。頻繁にオンラインになっている彼には真っ先に新田の消息を訊ねた。この年長の部員は、わだかまりがあると思しき二人が直接会って話すべきだというスタンスを取っている。これが変わらない限りは、諍いの当事者と会ったのならばその旨を陸山にも話してくれるだろう。そして、今後の対応を協議しようとしてくるはずだ。仮に詳しい事情を知ったためにそのスタンスが変わったところで、やはり一旦は第三者に話を持ちかける案が頭にのぼるだろう。人間のスタンスを変えてしまうほどの大掛かりな事情は、一人で受け止めるには手に余るものだ。それこそ、陸山が大瀬良に相談した時のように。

紗江とコンタクトを取った他の部員が、内密に新田に事情を知らせたという可能性もある。が、ツイッターを見る限り部員と紗江はフォローを交わし合っていない。スカイプの交友リストを見ることは出来ないが、こちらも疑う必要はないだろう。まず、隠し立てをするメリットがない。訊ね人が現れなくなったところで、紗江は追及の手を止めないだろう。それを耐えてまで、ネット上の親交があるとはいえ私生活については他人も同様の人間を守る義理がない。

そして、追及の手から逃れたところでメリットがないのは、新田自身が一番わかっているはずだ。そもそも、顔を合わせたくない人間をモデルにした小説を書いておいて、何故今更逃げるというのか。

DMの送受信履歴を見ながら、陸山は一通りの反証を終えた。新田に送ったメッセージの下には、紗江とのやり取りが記されている。気付けば、一か月近くの時間が経過している。反証を終えたところで、疑問は消えない。新田は何故、姿を消しているのか。

じれったささえ覚える拮抗状態の中で、半ば投げだすように思った。ただの偶然かもしれないじゃないか、と。つまり、新田はネットに顔を出す暇もないほど私生活で多忙に見舞われており、そこにたまたま紗江がやってきただけであって、失踪と来訪の間に関連はないのだ。それこそ、現在二人が現実で出会っている様子は見られないように。現実で出会っているなら、こちらに話かけては来ないだろう。

にもかかわらず、なぜそこには必然性があるように思えてしまうのだろうか? 確証がないにもかかわらず、部員が姿を消した理由を部外者に求めてしまうのだろうか? 陸山は暗闇の中にある原因を探り続けていた。原因などないのかもしれないが、原因がなければ安心しないのが人間と言うものである。なぜ新田はtwitter文芸部にやってきて、昔なじみの女をモデルにした小説を書いたのか。なぜ紗江はそれを見つけてしまったのか。なぜ新田はあたかも小説で採用した手法をなぞるように自分を消すという態度を採り続けているのか。そして、なぜ自分は彼らに巻き込まれてしまったのか。

子どものような問答を繰り返しながら、陸山の念頭には偶然が連鎖すればいつしか必然になってしまうのではないか、という考えが浮かび始めていた。また、ネットさえなければこんなことは有り得なかったのではないか、とも考えていた。ネットさえなければ二人とは出会わなかっただろう。もしかしたら何らかのきっかけで会っていた可能性もありうるが、ここまでの抵抗は感じなかっただろう。自分と無関係ないざこざに巻き込まれるのは面倒ではあるが、ある程度仕方がない事である、なぜなら彼らと関係を持つことを選びとったのは自分であるのだから、ちょうど契約書に書かれている注意事項のように、初めから折り込まなくてはならない責任だったのである、と。

現実の人間関係は、その解決に尽力しなければ最悪自らの命さえ断念しかねない。それに対して、ネットでの人間関係のいざこざは、最悪一切を遮断してしまっても命までは取られない。心に呵責が残るとはいえ、他のコミュニティに移ることも可能であるし、何より現実世界には影響が残らないという保証が付いている。

本来なら繋ぎえなかった関係を、ネットは容易くつなぎ合わせてしまう。それはつまり、偶然を必然に仕立て上げてしまうということではないだろうか? もちろん、そうした考えは思いつきに過ぎなかった。その推論は明確な裏付けがないゆえに、仮説どころか駄々をこねているようなものだ。

しかし、目の前で起きているいざこざならともかく、遠い場所で起こったいざこざをわざわざこちらの目の前にまで差し出されて、お前にも責任はあるのだ、と言われても手に余るとしか答えようのない現状に至ってみれば、何度でも全てのつながりはこじつけに過ぎなかったのだという可能性にすがってしまわざるを得ない。新田の失踪と、紗江の来訪の間には因果関係がない。新田が文芸部にやってきたことも気まぐれであり、自分の姿を消滅させた小説を書いたことには何の意味付けもされていない。ましてや小説で採った手法と、現在陸山に対して取っている態度との間には相似性があるだけで必然性はない……。

……作者と小説の登場人物の間には、執筆している間だけ紐帯が存在するだけであって、完成しまえばその紐帯はすっかり無くなってしまう。

 

 

編集部の皆様に連絡です。締め切りまで十日となりました。滞りなく運営を進めるために、編集会議を開こうと思います。日時は今度の日曜日の二十二時からにしようと思いますが、いかがでしょうか。

 

三カ月に一度発刊される雑誌『Li-tweet』の締め切りが迫る中、編集長を担当する陸山は会合の場を設けようとしていた。もちろん、編集委員が決まってからというもの、定期的に会議は開いてはいたが、寄稿予定者の原稿の進捗状況や作業の準備状況を確認しなくてはならない。

原稿回収を担当する大瀬良からはすぐさま参加のリプライが送られてきた。続いて表紙やデザインを担当する雨野も参加してくれるという。最後に、原稿依頼や進捗状況の確認など、部員へのコンタクト全般を担当する流川からの参加の表明があった。

「では、これから編集会議を始めます。まず流川さん、寄稿予定者のリストに変更はないですか?」

「今のところは。たぶん、これからも変更はないかと」

 他の部員に比べればやや低めの、落ち着いた声が聞こえて、続いてチャットに寄稿予定者のリストが映し出された。

「チャットにも貼ったけど、特集は小説が陸山さんと生駒さん、詩を出すのが浅村と私。自由投稿が雨野さんと聖澤さん、それから上総さんに椿さん、全員小説を寄稿してくれる予定。で、連載が大瀬良さんと榊さん。以上です」

「となると俺のメールアドレスは全員知っとるね。原稿回収は問題なく済みそうだ」訛りの利いた、大瀬良の声が聞えた。

「馴染みのメンツですね。悪く言えば、代わり映えがしない」

 流川の一言をきっかけに苦笑が交わされて、それぞれが笑いを堪えたまま会話が進められた。

「波瀬君は結局ダメだったの?」

「大学はテストの時期だしね」

「近井さんや半田さんも忙しいみたいでした。大隈さんからも、連絡が来なかった」雨野の高めの声が響く。

「海外に行ってるからね、あの人は。間もなく帰ってくるなんて話もしてたけど」

おおむね、これまでに重ねられた会議で確認されたことと変わりはない。誰かの原稿が滞っているという話もなく、このままいけば何事もなく締め切りを迎えられそうだ。

「で、新田さんとは連絡が取れたの?」

流川が言った。安堵の境地に差し掛かりかけていた陸山の心が、その一言でざわついた。

「毎号出してたし、いなくなるならいなくなるで断ってたのに、どうしたんでしょうね」

雨野も追随する。もちろん、彼らが陸山を脅しつけるつもりでもって物を言っているわけではないのはわかっている。新田の消息は二人にも訊ねており、その後何の連絡もしないまま時間が過ぎたのだから、彼らにとっても少なからぬ気がかりではあったはずで、事後報告を求めてしかるべきだった。

「DMを送ってみたけれど、反応はありませんでした。スカイプでオンラインになったところも、誰も見ていないらしい」

 部分的な回答をしていると、あたかも失踪の理由を知っているにもかかわらず、隠し立てをしているような気分になった。部員の間に波風を立てないためとはいえ、これ以上新田を守る必要があるのだろうか? そもそも、隠し立てをするのは新田を守ることなのか?

「陸山さん、この二人には経緯を話しても良いんじゃないの」

 陸山の胸中を推し量ったかのような大瀬良の一声が掛かった。やはり、この年長者も紗江の来訪が原因ではないかと疑っている。とはいえ、その口調があくまでも何らかのメリットを得るために二人に話すのであって、決して新田に疑いの目を向けるためではない、とでも言いたげな穏やかなものだったため、陸山は後押しを受けた気分になった。

「わかりました。ちょっと込み入った話になるんですが、まず、新田さんの幼馴染の女性が、僕にコンタクトを取ってきたんです。彼女、紗江さんは、新田さんの小説「横を向いたまま」の主人公は、自分がモデルであるという。けれど、決してモデルに選択された事実そのものを恨んでいるわけではない。むしろ、小説の中で書かれた出来事に、新田さんも深くかかわったはずなのに、彼の影がそこにないことを、あたかも作者である自分には関わりのない世界であるかのように書いていることを、恨んでいる。なぜ恨んでいるのかは教えてくれていませんが、おそらく、過去に何らかの因縁があって、その責任を新田さんが放棄しようとしている、と彼女は解釈しているのかもしれません。

 新田さんが姿を見せないのは、おそらくこれと関連があるのではないかと思うんです。ちょうど紗江さんからコンタクトがあったのと、時期が被るから」

 相槌を打ちながら聞いてくれている二人を相手にしながら、陸山は自分の語りが、初めて大瀬良に対して事情を話した時よりも明瞭になっていると気付いた。どころか、足りない部分を補強しながら、降りかかった事どもを紗江の狂言ではなく、根の深い“事件”として取り扱っている。

あたかも物語の粗筋を喋るような自分の言葉に乗せられて、新田が姿を見せないのは、紗江の来訪と関連がある、という思いつきに過ぎなかった考えが確かな疑惑になったのを、陸山は感じ取った。

「その人から以降コンタクトはあったの?」

「一度ありました。だけど、詳しい事情はやはり聞けないままでいます」

「本当に恨んでいるなら新田さんが何をやったのか、ちゃんと教えてくれるんじゃないでしょうか?」

「いや、なにもかも伝えてしまったら、陸山さんが引いてしまうと思ってしまって小出しにしているんですよ。策略家だな」

 大瀬良の勘ぐるような言葉が聞えてきたが、あながち否定は出来なかった。

「けれど、新田さんの高校時代に彼女となにがあったのか、ほのめかすくらいには教えてもらいました。ある時、彼女が高校の男子に対して誘いを掛けている、という噂が立ったんだそうです。もちろん根も葉もない噂でした。そんななか新田さんから声を掛けられて、こんな噂があったが、本当なのか、と訊かれたんだそうです」

「じゃあ、あの小説も実話だったということか」

 大瀬良に合わせて、雨野も、なるほど、と相槌を打った。流川だけが知らないことなので、その補足は大瀬良が担ってくれた。

「いやね、新田さんが入部当初、大学時代に書いた小説を見てくれということで、私と雨野さんが読んだんです。主人公が通う高校には、誰とでも寝る女の子がおった。その女の子が例のごとく主人公を毒牙に掛けようとしたんだけれど、そんなのはまっぴら御免だって言うので断ったんだ。でも、友達にはなった。誰とでも寝る女の子と、寝ない男の子、なんて取り合わせは好奇心を煽るからね……あれ、雨野さん、確か主人公に対して女の子を紹介する奴がいたんじゃなかったかな?」

「いましたね。ぼかしてはいるけれど、多分その女の子と寝たと思われる、主人公の友人が」

「じゃあ、それが新田さんなんかな……」

 これまで明らかにならなかった小説のエピソードを聞かされた陸山は、紗江から教えられた事柄がやはり真実ではなかったのか、と思い始めた。

「その流れで話を戻しますが、振り返ってみると、噂の中には彼女の出自、つまり売春をして生計を立てていた女の血筋を引いている、という事実を知っていなければ流し得ない話も含まれていた。だから、実は噂を流したのは新田さんではないか、と。念のために言っておきますが、これは彼女の推測です」

 一度偶然を必然に仕立て上げておきながら、今度は偶然を強調しておく。矛盾した態度には陸山も気付いていた。しかし、このままでは完全に新田が疑惑ありきで語られてしまうと懸念して、二の足を踏んでしまった。まだ、新田を信じている節は残っている。

「大瀬良さんと雨野さんが読んだ小説ってさ、友達になるだけで終わり?」

「まだ続きはあるよ。女の子が、他の男子と寝るんだ。それを主人公に逐一メールで知らせる。今からホテルに行くよ、っていう具合に。主人公はそれに対して冷淡な態度を取るんだけど、女の子から叱責されちゃうんだ。逃げてるだけじゃないか、って。

でも、俺からしてみればイチャイチャしてるだけにしか思えないんだわ、それが。だからダメだって言ったのよ。書き慣れてるは書き慣れてるけど、まだ甘えがある。本当なら友達になっちゃったらダメなんだよ。微妙な距離感で、女の子と対峙すべきだってね」

「新田さんはなんて言ってた?」

「昔書いたものだから、とは言ってたかなあ」

「思いきり村上春樹や島田雅彦に影響を受けてしまっている、とも言ってた気がします」

「ああ、二人ともそういう小説は書く気がするね……それにしても、暗示的だな。誰とでも寝る女の子に対して、寝ない男の子が、逃げてる、って言われちゃうのが。今の新田さんと、紗江さんじゃん」

「いやあ、しかしまだ向こうが狂言を使ってる可能性もある。というか、大学時代からつけまわされてたんじゃないの? それを書いた小説かもしれない」

 半ば冗談めいた口調で話してはいるが、大瀬良も新田を信じているらしい。会話を傍で聞きながら、陸山は少し安心した。しかし、流川が、いや、と否定の言葉から始めて、

「ただね、これ新田さん本人には言ったことがあるんだけれど、あの人の書く小説って、調和的な終わり方をするでしょ。「風が吹くたび春が来る」だったか。あれを読んだ時に、ちょっと願望が混じってると思った。主人公が別れた女の子と再会するんだけど、お互いに幸せに暮らしているのを見て、安心する、っていう終わり方をしてて、そんな簡単なものかな、と引っかかったんだ。誰とでも寝る女の子じゃないけど、過去に何かしらの出来事があって、そこから逃げるためにああいうラストを選んだんじゃないか、って思ったんだよ」

「それは人格と小説を混同してるよ」大瀬良が強い口調になった。「小説でそうだからって、幼馴染の女の人に取った態度がそうとは限らない」

「そこまで言いきるつもりはないんだけどさ、「横を向いたまま」って、調和的な終わり方じゃないじゃん。あの人の中では唯一と言っていいほど。あの終わり方はどうなんだっていう意見はあったけれど、その前の雪が降り始めたところを見るシーンがあったよね。通夜の席を離れて、イトコと窓を見るシーン。あそこで終わっても良かったし、それで十分調和的だった。けれど、そうしなかったってことは、やっぱり何かしらの因縁があるんじゃないかな、モデルとの間に。それが妨げになって、調和的にならなかったんだと思うよ」

 確かに、流川の言う通り「横を向いたまま」の幕切れは、部員の間でも議論になった。告別式に参列した後、紗江は恋人からメールを受け取る。それは逢引の誘いだったが、葬式に出たからという理由で断りつつ、一週間後に二人は顔を合わせた。そこで二人は体を交えるが、互いにどことなく違和感を覚えながらの営みで、事が終わって抱き合っても、紗江の背中には冷たい空気が撫でるばかりだった……スカイプでの通話と並行しながら、陸山はホームページに掲載されている合評会のログを見直していた。いわゆる本筋、大叔母の昔語りのエピソードに比べて、このラストは断絶が感じられるという意見が確認できる。

「あのラストはフィクションなんですかね?」

「わからないけれど、本人が必要だった、というのだから、何かしらの意味は持っていると思う」

 雨野に対して陸山が答えた。まぎれもなく、新田自身が構想の段階でこのラストにしようと決めていた、と言っている。では、必要だと思った理由は、いったいなんなのだろうか。

「ううん」不意に大瀬良が唸ってみせた。「流川さんの言うこともわかるけれど、あの人がウチに出した小説はわずかだからね。即断は出来ないと思うよ」

「大瀬良さんが初めに言い出したんじゃん、誰とでも寝る女の子と対峙しきれてないって」

 揚げ足を取るような言い方ではあるが、笑いながら言う流川自身には悪気はないだろう。しかし、

「いや、そういう意味で言ったんじゃない。対峙しきれてはいないけれど、小説と作者の性格にはつながりは、あるにしても薄いでしょう。少なくとも読み手は深入りしちゃいけないよ。そうした前提がないと、書けるもんも書けん」

 一息に反論したところをみると、いくらか誤解が生まれてしまっているらしい。

「大体、新田さんと普段付き合ってみたらわかるでしょう。そんな大それたことを出来るような人じゃないって」

「それって、臆病とも取れる言い方だけど」流川の口調も、それにつられて挑発めいた響きを帯び始めた。

「だから違うと言ってるでしょうが。完全にあの人の性格を分かりきってるわけじゃないけれど、物事をすっぱりと割り切れるのがうかがえるでしょ。本当に紗江さんとの間に何かがあったとしたら、卑屈になると俺は思うね」

「無理して割り切っているっていう可能性もあるんじゃ……」

 雨野がおそるおそる声を出した。これも揚げ足を取っていると思われかねない。

「まあ、快活だよね。ウチのメンツに比べれば。ただ、私はやっぱりウチに来るだけの理由はあったと思うな。ある種の後ろ暗さを抱えつつ文芸活動やってるってところがあるじゃん。その中に混じってこれまでやってこれたってことは、シンパシーは感じてると思うんだよね」

「まるで新田さんが虚勢を張ってるみたいな言い方だね」

「別にそんなことは言ってないって」

 一見、大瀬良が強い口調で理に合わないことを述べ立てているようにも見えるが、その言い分も理解は出来た。文学に片足を突っ込んでいる身としては認めたくない事だが、昨今の出版業界は不振で、文壇も活況であるとは言い難い。そんななか新田がTwitterのプロフィールで、日本の文学を祈るように読みたい、と公言していることは、無邪気としか思えない。普段の彼の言葉を聞いていても、業界の事情を頭に入れながら、そこで自分がどう振舞っていくべきか、ということは考慮に入れていないように思える。ただただ、自分の文学観を貫いていけばいいと思っている節がある。

 その裏には、これまでの人生がおおむね上手く行っていたのだから、これからも上手く行くだろうという帰納的な見通しがあるのではないか……とはいえ、それも推測にすぎない。本人がいない中であれこれと言ってみても、各々の印象を語っているだけでまさしくフィクションを展開しているようなものだ。それは事態が進展しない事を意味する。虚実が入り混じった、無限の推論のドツボに嵌りこんでしまうことを意味する。

「落ち着いてください。本筋からズレ始めていますから。大体、今は新田さんの個人攻撃をしている場合じゃないでしょう。どうしたら新田さんと連絡を取れるか、方法を講じるのが先です」

 陸山がそう言うと、ああ、そうだったね、と大瀬良が言って、ひとまず場は落ち着き、流川や雨野もそれに続いて詫びの言葉を述べた。結局のところ、全ては新田が事情を明かしてくれること、つまり正真正銘のノンフィクションを陳述してくれることにかかっている。

 それにしても、ある程度パーソナルな部分を捨象してもコミュニケーションが成り立つはずのネットで交流しているのに、一度疑惑が降りかかれば本人が逐一パーソナルな部分でもって誤解を訂正しない限り信頼を取り戻すことが出来ないというのは、撞着していないだろうか、と陸山の頭に疑問が掠めた。

「だけど、話を吹っかけてきた陸山さんが場を収めるって言うのは、なんだか釈然としないなあ」

 大瀬良の口調にはなるたけ冗談めいた色を伝えようとしているのがうかがえたので、こちらも、どういうこと、と苦笑しながら返すことが出来た。

「いやね、まるで陸山さんが紗江さんの役割をしているみたいだな、と今思ったんだよ。たぶん、陸山さんは少なからず紗江さんに揺さぶりを掛けられた。で、我々も陸山さんによってちょっとした諍いが起きるまでになった。その中には陸山さんがおらず、遠くで見守って、肝心な時にまあまあ、と言いながらおいしいどこ取りをする。これはちょっと、紗江さんに揺さぶられた時の心境を我々に体験してもらいたかったがための演出じゃないかと思ってしまった」

「それは言いすぎじゃないの?」

「ちょっと意地悪な見方が過ぎるような……」

 あくまで苦笑で会話が進んでいるため、大瀬良自身も本気では話していないだろう。しかし、陸山には少なからず心当たりがあった。大瀬良の誘いに乗って事情を話したとはいえ、あたかも新田の方に問題があるような話し方をしたのは事実だった。極力言葉には気を付けたとはいえ、どこかで新田に対する不信感を共有して、それが自分だけのものでないと安心したかった気持ちは、なかっただろうか。

「ともかく、いざとなったらまた相談してください。あんまり自分で抱え込むようなことはしないで。そういや、新田さんと電話番号を交換しとったっけな。掛けてみますよ」

 そう言うと、大瀬良からの音声が遮断された。大瀬良からの報告を待つために沈黙が続き、空気が擦れる音が流れた。あたかも電話の応答を待つ様子を追体験させられているようだった。

「ダメでした。留守電だ。まあ、遅いから出ないのかもしれないな。後日改めて掛けてみますよ」

 気付けば二十三時を回ろうとしている。『Li-tweet』のための会合だったが、これでは新田のための会合だ。

「よろしくお願いします。もし通じたら、僕が会って話したい事があると言っていた、と伝えておいてください」

「指名手配しているみたいだね」

 流川が言うと、一同は軽く笑った

「話題を戻しましょう。今は『Li-tweet』のための会合です」

 

 締め切りを迎えても、新田と連絡は取れなかった。大瀬良が電話をしようとしても、依然として留守電、ないしは電源を切っている際に流れるアナウンスが流れるのみだという。番号の使用が停止されている旨のアナウンスが流れないからには携帯は引き続き使われているわけで、命に別条はないとは思う、と大瀬良は言っていたが、何らかのトラブルに巻き込まれている可能性は依然として否定できない。ここまで来ると、単なる私生活の滞りでは説明できなくなる。

 『Li-tweet』に寄せられた原稿の校正期間が過ぎていく中、打ち合わせのために編集部、あるいはその他の部員が集まるたびに、新田の話題は上がり続けた。とはいえ、誰かがうってつけの解決策を持ち出せるというわけでもなく、指をくわえて不在を眺めつづける状態が続いた。

それでも滞りなくTwitter文芸部は活動し続けている。新田がいなくなったところで、何かが変わるわけでもない。ただ原稿を寄せてくれる部員が一人いなくなっただけで、引き続き文学に関する話は出来るし、あるいは私生活でのフラストレーションを発散するための世間話を交わすことも出来る。『Li-tweet』の誌面の色調も特別の変化を見せるわけでもない。そうして一人の部員が居なくなった分の穴はいつしか補填されて、もっとも必ずしも埋められるわけではないから忘れた頃に誰かが継ぎ接ぎのほつれに気付き、あの人はどうしたのだろうか、と話題に上るはものの、大方どこかで元気にやっているのだろう、と皆が自分を納得させるような曖昧な結論を出し一切は済むことになるかもしれない。そうして、継ぎ接ぎが継ぎ接ぎでなくなり、穴が穴でなくなるかもしれない。

 

こんばんは、雑誌の発刊作業、お疲れ様です。お忙しいでしょうか? もしお手すきでしたら、また文学のことで話しませんか?

 

そんな頃、紗江がスカイプのチャットに現れた。

 

〈次号に続く〉