twitter文芸部のつぶやき

フォロワー募集中!

オフィシャルアカウント

部員のつぶやきはこちら

現在の閲覧者数:

「The new day」:崎本 智(6)

〇紋章の竜

 

トーマス・エミリオンテは復活祭の朝に翼竜を見た。生まれて初めて見る翼竜はとても大きく、トーマスが想像していたスケールをはるかにしのぐものだった。翼竜と言ってもプテラノドンのような実在の生物ではなく、いまそこにあるのは1066年ノルマンディ公ウィリアムによるイングランド征服の物語に象徴として出てくるワイバーンのことである。

「バイユーのタペストリーに刺繍されてあったね」と父が言った。

「イングランド軍の軍旗として描かれていたわ」と母が言った。

翼竜の体には無数の〝しわ〟が刻まれており、星霜を重ねて生きてきたことがわかった。リヴァプールにある海岸沿いの曇り空の草原で僕たちはピクニックのようなことをしていた。家具屋がしまっていたから僕の新しい机を買うことができず、僕は浮かない顔をしていた。そんな顔をざらざらした舌でべろりとワイバーンはなめてくれた。

母は冷蔵庫のような無表情な顔をしていた。父は母のご機嫌をとるように昔訪れたさまざまな外国の話をはじめた。それらの目的のない旅に母も同行していたようで、母は灰色の荒れた海を瞳に映しながら、表情を崩して「懐かしいわね」と一言いった。

僕は置いてけぼりにされたようだったが気が楽だった。白いフリスビーをクルマの中からとってきて、僕はワイバーンにじっくりと見せた。ワイバーンの瞳も母と同じくらい生彩をなくしたガラス玉のように虚無に支配されていた。瞼にはやはり年輪のような〝しわ〟が刻まれている。歳をとるということはこうやって灰色になっていくことを受けとめていくことなのだろうかと僕は薄墨色の雲に気分を圧迫されながらため息をついた。

ワイバーンがコウモリのような翼をばたばたさせて草原に塵芥が飛び散る。風を正面から受けた僕は面食らって仰向けに倒れこんでしまう。どこかで鈍いホルンの音が聞こえている。演奏者は音の調節をしているのだろうか。メロディを遠ざけたまま、ブオオオンと物質的な音だけが風にのって響きわたる。ワイバーンは不意に空へ飛び去ってしまう。

 

灰色の海に向かって白いフリスビーを投げた。ワイバーンが炎をふいてフリスビーを灼きつくしてしまうことを期待した。でもフリスビーは王冠のような水しぶきをわずかに立てただけだった。僕は風にのった塵芥を吸い込んで長い咳をした。

 

(続きはPDFでお読みください)

The new day.pdf
PDFファイル 409.8 KB