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暴力論(第二回):光枝初郎

 第二回からいきなり主テーマの「暴力」とは離れることをお詫びしたい。今回は、ドゥルーズの哲学についての話題である。


器官なき身体と存立平面 準備考察


 問題設定―器官なき身体―両者の関係―存立平面―結論


第一節 問題設定

 本論では、「器官なき身体と存立平面はどのような関係にあるのか」を明らかにする。「器官なき身体」も「存立平面」も、共にドゥルーズ(=ガタリ)が示した著名な概念である。しかしその両者が具体的にどのような関係で位置づけられているかということについては、必ずしも理解されていないように思われる。その理由としては、そもそもこの二つの概念の把握そのものが難しいということが挙げられる。「器官なき身体」という言葉は『意味の論理学』 において初めて登場し、その後フェリックス・ガタリとともに書かれた『アンチ・オイディプス』 と『千のプラトー』 で内実が広大に語られた。後にも述べるように彼らは決してこの言葉を一義的には使用していないため、現在に至っても論者によってその意味するところはまちまちである。「存立平面」は「内在平面」や「構成平面」とも言いかえられ、『千のプラトー』において登場し、『哲学とは何か』 でも引き続き内容が語られている。「存立平面」はドゥルーズ哲学を体系的に理解しようとする時の一番の重要ワードであるように私には思われるが、その理解が難しいのは『哲学とは何か』への参照がまだ十分にされているとは言い難い現在の研究状況も影響している。

 「器官なき身体」と「存立平面」の内実をそれぞれ明らかにしたうえで両者の関係を浮かび上がらせる方法が一つには考えられるが、本論では第二節で『アンチ・オイディプス』期の「器官なき身体」を先に確認し、それから両者の関係が述べられる『千のプラトー』を第三節において確認したうえではじめて、第四節で後期ドゥルーズが切り開いた「(存立)平面」の論理を述べる。結論においてその記述順序の理由が明らかにされるだろう。


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「暴力論」(第二回)光枝初郎.pdf
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