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「天使のはしご」 Rain坊

教会で日課の祈りをささげていると、おいぼれの私の前に希望の光が立っていた。

私の前にいたのは一人の小さな女の子。彼女が着ている絹の衣はまばゆいほど白く、まるで白百合を纏っているかのようだった。しかしそれ以上に印象的だったのは彼女の肌。透き通るほど純白な彼女の肌は、触れるにはあまりにも美しく、そして儚く見えた。私と同じでくるりとした髪をしているが、おいぼれの私と違ってその髪は実に艶やかで見事な金髪だった。一方、私は艶と色をとうの昔に失ってしまい、肌だって一度刻まれたしわやシミを受け入れてしまっている。

それにしても見かけない子だ、と私は思った。

「あなたは何を望むの?」

 口を開いたかと思うと、少女は唐突にそう言った。私を覗き込んでくる女の子の瞳から目を離せなくなっていた。

「……の、望み、とな?」

 彼女が何を言っているのか理解できず、言葉を繰り返してしまった。それに呆れることなく、彼女はこう言い直した。

「あなたをずっと見ていました。あなたは毎夜、熱心に教会に来ては祈りをささげています。けれど、見ている限りあなたはどうも神に祈りをささげているわけではないみたいです」

 私の手が震え始めた。彼女の言ったことが当たっているからだ。彼女は続けた。

「ですので、何かあなたには叶えたいこと、つまり望みがあるのではないかと思いましてね。だから私はあなたに問うたのです。『あなたは何を望むの?』、と」

 持っていた本とペンを落してしまった。

 震える手を私は力いっぱい握り締めた。痛みが走ったがそんなことお構いなしにぎゅっと握った。そうしなければ私の双眸から涙があふれてしまいそうだからだ。おいぼれとなった私がこんな小さな女の子がかける言葉によって、長年胸中に秘めていた想いを奮い起こされたと知られるのが我慢ならなかった。何より――何より一番嫌だったのは目の前の彼女にそんな醜態を見せることだった。彼女にはそのようなものを見せるのはいけないことだと私の何かがささやいているのだ。穢してはいけないと切に訴えてくるのだ。私は揺れそうになる声を必死に整えて叫んだ。

「私の望みは、偉大な小説家になることです!」

 静かな教会に私の声が隅々までわたっていく。彼女は、

「ほぅ」

 と、興味深そうにうなずいた。だから私は言葉を続けた。

「私は妄想をするのが好きな子どもでした。貧乏だった我が家には玩具など買う余裕もなかったものですから、その影響もあるのでしょう。しかし一番の理由は、自分がどんな立場や境遇であろうと色んなことを体験できるからです。経験できるからです。とある事情で貧乏暮らしをしていた私が王様になって国を治めることになったり、勇者となってモンスターや悪党を軽快になぎ倒していく、はたまた水の中を自由自在に駆け回り、休息の場として利用していた湖で出くわした妖精と恋に落ちたり――等々。本当にそれは多種多様で、現実では無理だと諦めてしまうことも私の頭の中では不可能ではないのです。無限大なのです。なんなら空を飛ぶことだって可能なはずです。私の妄想においては」

 彼女がクスッっと笑っているのを目の端で捉えた。何がおかしかったのか分からなかったが、興が乗ってしまった口を閉じることはできなかった。

「妄想する時間は私の中で最も至高な時間でした。こんなすばらしいことはないでしょう。こんな輝かしい特技は他にはないでしょう。皆も私と同じように妄想ができれば幸せになれるのに。当時の私はそのように思っておりました。そんな幼少期を過ごした私ですから当然、そのような妄想を活かせる職業として作家を目指すのは必然と言えるでしょう!」

 ここで私は言葉を区切った。自分でも気づかぬうちに熱くなっていたようだ。息が上がっている。ここまで熱くなったのはいつ以来だろうか。私はしばらく息を整える。そして、

「……けれど、やはり現実から逃げることは叶わなかった」

 続けた言葉は先ほどまでの熱はなくなっていた。私は喉から言葉を捻った。

「私の書いた話は面白くないのです! これっぽっちも!! 妄想であれほど輝いていたお話も、いざ書いてみるとどれもこれもちんけな話へと変貌を遂げるのです。あれほど勇敢で格好良かった妄想の中の私が、現実と同じように惨めで醜い奴へと変わり果ててしまうのです。どうしてもそれが嫌で嫌で……」

 喉が詰まり、言葉が止まる。何か得体のしれない大きなものが喉に引っかかっているようでとても苦しかった。私は顔を引きつらせながらゆっくりと正体不明のそれを嚥下する。

「……これは私の勘違いなのでは、と思い友人たちに見せたこともありました。しかし一様に眉間にしわを寄せ困った顔をするばかりで何も言ってはくれませんでした。これほど我が胸中を苦しませるものはありませんでした。しかし、これで確信しました。私の話は面白くないのだ、と」

 言葉の最後の方は自らを嘲笑するかのように喋っていた。まるで己の過去を軽蔑するかのように。

「これでは売り物にならないだろうとそれら駄作全てを葬りました。書いては友人たちに見せ、芳しくない反応をとられ、己の不甲斐なさに嘆き、葬る。そしてまた書き始めるのです。これらをおいぼれとなる今の今まで続けてきました。けれど歳を重ねるにつれ、私の書いたものを見てくれる友人もめっきり少なくなってきました。一人、また一人と。今となっては私が何をやっているのか知る者はいません。それほどまでの時が経ってしまった。あっという間に経ってしまった。私がやっていることは何も変わらない。故に私は町の者たちに嫌われていることでしょう。偏屈な、気味の悪い爺とでも罵っていることでしょう。面と向かってそういう態度を取るものはいないが、恐らくそう思っているに違いありません。歳だけは無駄に取っていますからな。町の最年長者として気遣ってくれているだけ。本当に偉いものです。私だったらこんなじいさんに近付こうとは思わないですからな。夢に現を抜かす大人など、迷惑なことこの上ない。まあ、ですがそれはいいのです。私がやりたいようにやって、なりたいようになれるよう奮闘した結果がこれならば甘んじて受け入れましょう。まったく、我を通すというのはそういうことでもあるのでしょうな。だからせめて私は良きことも悪きことも分別なく自分の内に抱え込むぐらいはしておかないと、あまりにも振り回された人たちが可哀相すぎる」

 ここで私は一息つく。そしてため息交じりに、

「……それにしても時というのは真に残酷ですなぁ」

 と、しみじみとした気持ちで言った。

「変わらないつもりでいても変化を余儀なくされる。ほら、見てください、この我がみすぼらしい身体を。私も若い頃は二日三日徹夜で軽く書いていたものですが、段々と身体の自由が利かなくなってきています。自分の書いている字も見えづらく、筆を執るのもやっとの日も出てきました」

 私はしわくちゃになった自分の手を俯きながら眺める。そして改めて彼女の方を向き、

「ですが、私は諦めたくないのです!!

 目の前にいた彼女の姿がぼやけて滲んだように見えた。私は泣いていたのだ。あれほど見せたくない、いやだと思っていた姿を彼女に晒しているのだ。あまりにも歯痒くて、下唇を噛んで必死にこれ以上の痴態だけは避けるように我慢した。おいぼれになってもこれほど恥ずかしくて悔しくて惨めなことがあるのかと思った。

「あれほどまばゆい私の妄想を、現実などに冒されたままにしておけるほど私が私の妄想に対して抱く愛情とも恋慕とも呼べるような感情は軽くはない。それらの言葉にはできない『何か』がおいぼれた私の胸を、頭を、腕を、指を、そして筆を突き動かすのです! あんなに美しく楽しいものを現実に出せないなんてこと、私はそれがとても悲しいのです。そして悔しいのです。これでは私は死ぬこともできません。いや、私の妄想を完璧に書ききるまで私は死ぬわけにはいかないのです。ですから私が私にできるうるかぎりのことをしておきたいのです。祈りを毎夜ささげておりますのもそれ故にです。私は神にすがりついてでも誰もが唸るような、誰もが魅了されるような、誰もが目を輝かせるような、誰もがふと思わずため息をつきたくなるような、そして誰もがつらい現実から身軽に旅立てていられるような――それほど完璧な私の妄想を書きたいのです!!

自分を語っている内にどうやら涙も流れ切ったのか、ぼやけた視界は元どおりになっている。彼女はいつの間にか足を組んで、説教台に座っていた。そして人差し指を唇に当てて何か思案しているようだった。小柄な彼女がどうやって説教台に座ったのかも謎だったが、それよりも彼女の様子がまるで講壇に立っているようで奇妙に感じていた。罰当たりな行為であるはずなのに、どうしてか私はこれから彼女から説教を受けるのではないのかとふと思った。座っているというのに、講壇に立たれている気がするとは我ながら本当に奇妙な感覚だ。

「なるほど、ね」

 彼女はそう呟き、口元をゆるめた。

「いいでしょう。あなたの願い、私が叶えてあげましょう」

そう言って彼女は説教台から勢いよく飛び降りた。不思議なことに着地音がまるでしない――彼女の足は地についていなかった。万物の法則に縛られている私たちには到底叶うことができない現象が目の前で起きていた。

彼女は宙に浮いていたのだ。

「だって私は――」

小さな背には絹の衣より彼女自身のまばゆい肌よりも艶やかに、そして教会の窓から漏れ出る月光に照らされて白銀に輝く羽根がそこにはひろがっていた。

そう。これではまるで――、

「天使なのだから」

 私は彼女が悠々と飛んでいる姿を、阿呆みたいに口をあんぐりと開けてただただ見惚れることしかできなかった。教会内の煌びやかな装飾たち。その中でも特に彩強いステンドグラスと十字架を背景に、月明かりがスポットライトのようで、中心にいる彼女をさらに引き立たせている。その光景はまるで現実味を帯びておらず、実に華々しいものだった。教会の静粛な空気がより引き締まった――ような気がする。澄んだ水辺にでもいるかのようなどこか清々しい心地になる。彼女の存在がこの場の空間を浄化しているような錯覚さえ覚える。いや、実際にそうなのかもしれない。彼女曰く、私の目の前にいるのは小さな天使なのだから。

神に使えし、天からの光。

それがおいぼれた私の現実に降り立っているのだ。

教会は静寂に包まれている。お互い無言で、清廉な空気を漂わせるこの場、この瞬間ではそれがある種の緊張感を感じさせる。ただそれで私が委縮しているかというとそれは間違いで、緊張は確かにしていても長年内に秘めていたものを吐露したからなのか、それとも理解してくれるものがいたからなのか。どちらにしても、どちらであろうと今ほど良き時はなかなか見つけられないことだろう。

これから何かが始まる。

外に出した分を取り戻すかのように、そんな期待感が私の胸には詰まっていたのだった。

 


(続きはPDFをダウンロードして4ページからご覧ください。総計19P)

 

 

 

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