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「書かれなかった寓話」第一回 日居月諸

 こんにちは。突然のメッセージ、失礼します。twitter文芸部についてお話したいことがございます。スカイプのユーザーIDをお知らせしますので、お時間頂けますか?

 

 Twitterでフォローを交わして間もない、面識の薄い人物から送られてきたダイレクトメッセージの末尾には、英数字が並んでいた。陸山が返事をしたのは数分後のことで、休日で自宅にいた彼はすぐに会合の場を持とうとした。

 

  そちらがよろしければ今すぐにでも話せます。ただいま連絡先追加のリクエストを送りましたので、認証をお願いします。

 

一連の手続きを終えた陸山は浮き浮きとした心境で返事を待った。普段関わりの薄い人間が声をかけてくる理由といえば、ほとんど彼がtwitter文芸部の窓口めいた役割を務めているからにほかならない。これまで何人もの新入部員を招いてきたが、そのたびに彼は特権意識を感じてきた。見知らぬ者と会話をする億劫さも確かにあったが、それよりも他の部員に先んじて新しき仲間の人となりを知り、後になって訳知り顔で皆に紹介できる喜悦に比べれば些細なものだった。

スカイプのコンタクトが認証されるまでの間、陸山はメッセージの送り主のツイートを調べることにした。紗江、と名付けられたプロフィールには文学に多少興味があると書いてあり、Twitterのアカウントは作ったばかりのようで、まだフォローもフォロワーも少ない。

手持ちのカードが少ないまま会話に臨むという、わずかばかりの不安を抱きはじめていた頃、スカイプの通知音が鳴った。いつのまにか認証が済んでいたようだ。

 ――こんにちは。申し訳ありませんがマイクを持っていないので、チャットで失礼します。

 ――大丈夫ですよ。はじめまして、陸山と言います。

 ――はじめて、というわけでもないのでしょうけれど……だって小説の中でお会いしているのですから。

 小説の中? と首をかしげつつも、冗談の上手い人だ、と笑い飛ばすつもりだった。しかし、相手はそれより早く、

 ――新田、という方がそちらに在籍していますよね?

 確かに新田という部員はいる。一年ほど前に入部し、何作か小説を書いている男だ。

 ――私は彼の小説のモデルなのです。「横を向いたまま」、覚えていらっしゃいますか? 娼婦だった祖母が亡くなった、あの小説の語り手である紗江は、私なんです。

 映しだされた文章を前にして陸山は困惑した。確かに覚えている。娼婦だった大伯母を持つ女を語り手とした小説は覚えている。それについて困ることは何もない。困惑は、これから先にやってくるだろう厄介事を予見したことに因っていた。

 ――別にプライバシーについて訴えたい案件があるわけではないのです。それならば彼に直接言えば済む話ですから。むしろ私は、小説に出てくる人々が言っているように、大伯母を誇りに思っています。それについて包み隠すことは何一つありませんし、何かデタラメを書いたというわけでもない。

 すぐさま打ちだされた文章からは偽りのなさがうかがえた。それを見て少し余裕を取り戻した陸山は、文章を相手にしていることの安易さを活かして、twitter文芸部のホームページを開いた。二月に発行したウェブ雑誌に、話題にのぼった小説が載っているのだ。

 語り手である女性、紗江は、大伯母の訃報が入ってきたのをきっかけに、幼少時の記憶をめぐっていく。戦後娼婦として、親を失った一家の生計を立てていた大伯母の後ろ指を差す者はいないし、本人もまた、臆面もなく昔語りをしてやまなかった。そんな小説の露骨さと比例するように、目の前には正面を切ってモデルであると告白する女性が存在している。

 ――それはわかりました。でも、なぜ僕に?

 ――あの小説を皆さんはどう読んだかを知りたくて……というより、あの小説を書いている新田のことをどう思っているかを知りたくて、と言った方が正しいですね。

 ――新田さんのこと?

 ――まわりくどくても仕方がありませんね。実はあの小説には新田が出てこないのですよ。本当は私や、他の孫二人と同様に、大伯母の話を聞いていたはずなのに。あの土地で、かつて色街だった土地で生まれ育ったはずなのに。先程デタラメはない、と言ったけれど、一つだけデタラメは残っているんです。新田という存在が消えているデタラメが。

そこで一度区切られた。おそらく、陸山が読みやすいように配慮してくれたのだろう。ややあって、ですから、と文章は書きはじめられた。

 ――そんな風に隠し事をしている人間を、皆さんがどう思っているか、彼の預かり知らぬところで調べたいと思ったのです。いわば、しっぺ返しですね、私の預かり知らぬところで小説を書いて、しかも自らを消すなんて真似をしたことへの……。

 あからさまに自らの意図を開陳する態度に、陸山は眉をひそめた。とはいえ文章の上のやり取りだからこちらの態度など伝わりはしない、と気付いた時、少しだけ冷静さが戻ってきた。

 ――あまり好ましくない話だな。大体、新田さんに今日の出来事を話すことだって出来る。そうなると、預かり知らぬ話ではなくなりますよね。

 ――別に話してくれても構いません。むしろ話してくれた方が好都合です。彼が隠し立てしていることが、自分の預かり知らぬところで露見してしまった、という事実が伝えられれば動揺するでしょうから。

 つまり、こうして会合を持ってしまった時点で失敗なのだろうか、と陸山は自分の迂闊さを指差された気分になった。

 ――そこまで言うなら、やっぱりあなたは小説のモデルにされたことを怒っているのでは?

 ――先程も申しあげましたが、彼があの小説の中から消えていることこそ怒っています。実際に大伯母は亡くなって、去年の冬に葬式が執り行われました。彼は来なかった。それはまあ、血族でもないから仕方がない。その報せをきっかけに小説を書くのもまた、元々が耳目を惹く話ですから当然でしょう。しかし、あたかも私達一族とは関係のない他人であるかのごとく書いた作者の態度については、納得が行かなかった。葬式に参列しなかったのを口実にするように、自分を消すような横着を見逃してはいられなかった。

 そこまで書き出されると、陸山はすぐさま反論した。

 ――小説は実際の出来事を書くにしても、ある程度フィクション性を持たせないと話が進められないものです。だから、新田さんは自分を消すというフィクションを導入することで、あなたの一族の真実を端的に、客観的に書くようにしたんじゃないのかな。

 文章を打ち出して相手に送った時、これがあくまで専門分野の話に過ぎず、一般論としては通らないのではないかとのおそれが萌しはじめた。もっとも、間もなくしてやってきた返答には、専門分野の土俵に乗ってくれるという意思が示されていた。

 ――それは重々承知しております。作家は往々にして自分の経験を語りますし、そこに多少の脚色を交えるというのも知っています。自己防衛を目的にするにせよ、作品の統一を図るにせよ。

 一度区切られた文章を見て、多少文学に興味がある、というTwitterのプロフィールを思い出したが、それにしても、これでは多少興味があるどころの話ではないように思われた。

 ――しかし、彼らは自分を消すような真似はしなかったのではないでしょうか? 漱石は『道草』で自らの分身である健三を登場させているし、志賀直哉は大津順吉を自らの代理として多くの小説を書いている、そのほかにも……人物として登場させないようなものがあるにせよ、作者の思惑が如実に出ている作品は多数存在しているのに、なぜ新田は、あんな風に自分を消す必要があったのか。

 さらに文章は区切られる。それこそ新田に真実を訊ねればいい、と口を挟もうと思えば挟めたのだろうが、薄々好奇心が湧き出しているのを感じ、書きあぐねているフリをして次に来るメッセージを待つことにした。

 ――新田は嘘をついている。嘘をつくというのは、それこそ作家が脚色を交えることで作品を面白い物にするように、自分の思惑通りに事を運ぶための行為です。嘘をつくことで部員の皆さんの目に新田はどう映っているのか、新田はどういう風に演出されているのか、それを知りたくて私は陸山さんに声をかけたのです。

 一通り読み終えても、陸山は返答しなかった。目の前に並べられている材料を整理する時間が必要だった。それを察してくれたのか、メッセージはひとまず中断されている。

作者は嘘をつき、その嘘は登場人物のモデルになった人物によって暴かれている。いまだモデルの魂胆を測りかねるところはあるにせよ、ともすれば復讐とでもいえそうな話に加担するのは陸山としても気が引けた。出来れば内々で話をつけておいてほしい、と無関係を装いたかった。しかし、事が小説に関わってくるとなると一考の余地が生まれてくる。陸山とてアマチュアながら筆を執っているのだから、小説については一家言ある。そしてこれまたアマチュアが書いたものとはいえ、一つの作品がいかなる過程を伴って出来上がったのか、という事実関係を明らかにする探索作業には興味があった。それが普段から付き合いのある人間にまつわる探索であれば尚更だ。

――実際、陸山さんはあの作品をどう思いましたか?

――正直なところ細かな部分はよく覚えていないんですよ。半年ほど前に一度読んだだけだし、それにかなり特徴的な文体を使っているし……でも、あなたの話を聞いて、感想を変える必要があるのかな、とは思っている。たとえば、特徴的な文体はあなたの言うように作者の痕跡を隠すためのものだったのではないか、とかね。

いまだ専門分野に留まっている感想だったが、どっちつかずの態度を取るにはうってつけの言葉だとも思った。都合のいいことに、相手からの反応もこちらが設けたテリトリーからはみ出さないものだった。

――嘘偽りなく語るために晦渋になろうともあえて多くの言葉を用いて表現する、という作家もいますけど、この場合は逆なのですね。自分が作品に入り込まないようにするために、あえて聞き慣れない言葉を用いる。

 事実、発行後に行われた合評会の記録を見ても、聞き慣れない言葉につまずいている部員は多い。もっとも晦渋さが拒絶されているわけではないし、参加者のいずれもが書き手であるせいか、意匠として許されている節はある。とはいえ、そうした許容はそれこそ専門分野に留まるものであり、文学は芸術にカテゴライズされる営みなのだから世間的な言葉遣いから外れても仕方ない、という特権視も透けて見える。あたかも新田の施した装飾は作家としてのものだけに留まると見做しているかのように。つまり、誰もが作者・新田の意匠しか捉えられておらず、人間・新田の意匠は捉えられていない……だが、その程度の掘り下げでも問題はないはずだ。作品を見せ合うという気の置けない付き合いをしていようとも、他人同士であることに違いはないのだから。しかし、陸山はここで一歩、そのタテマエを越えてみたくなった。

 ――小説の作者であるなら、誰もが目指している地点があると思うんです。作者の痕跡を一通り消して、単純に登場人物だけで成り立っている小説を書くという地点が。人物が作者の操り人形にならず、文章も透明で、装飾なく、あたかも現実をそのまま体験しているかのような印象を読者に与える小説。

 今度は陸山が一つ区切りを作った。向こうは言葉を待ってくれている。

 ――もちろんそれは理想ですから、たどりついた人はきっといない。多かれ少なかれ、作者は作品に自らの痕跡を残してしまう。開き直って痕跡を濃密に残そうとする人もいますが、僕はあくまで理想を追求する方に賭けてみたいと思っています。でも……自分が濃密に関わった出来事を書きながら、同時に自らの痕跡を消そうとする人は、浅学ながら聞いたことがない。それこそかえって、自らの痕跡を消そうとする努力が浮かび上がってくるだろうに。そうした矛盾は、興味を覚えます。

 そしてそうした興味は、あなたの抱いている復讐じみたものとは違う、という思いが脳裏によぎった。面と向かっていたら表情に出ていたかもしれないと思うと、大分剣呑なやり取りをしているのだな、と陸山は実感した。

 ――相当、文学について知見を積んでいらっしゃるのですね。初めにお会いするのが陸山さんで良かった。

 ――いえ、僕は自分の興味に基づいて動いているだけですし……そもそも、あなたはどういうきっかけでtwitter文芸部に?

 ――偶然、興味のある作家を検索していたら行きつきまして。

 ――それはもしかして、古井由吉?

 ――新田の「杳子」に関する評論を見て、どんな小説を書く人なのだろうと思ったら、驚いたことに……。

 ――もしかしてあなたは、新田さんを通じて古井由吉を知った?

 ――ええ、ですから彼とはそれなりに長い付き合いになります。もっとも、彼が仙台に残って、私が山形に帰ってからは、ほとんど疎遠になっていますが。学部こそ違うものの私達は同じ大学に通っていました。昔からの仲というのは難しいもので、そこでも特別深い関わりはなかったのですが、顔を合わせればお互いの近況を教え合うくらいの話はしていましたね。その中でも一番話が弾むのは文学の話だった。いえ、彼は文学のことしか話してくれなかった、と言うべきでしょうか。

 おおよそ陸山の知っている新田と変わったところはない。そもそも新田とは文学でしかつながっていないし、彼について知っていることと言えば、年下であること、山形で生まれて現在は仙台に住んでいること、作家を目指していること、それくらいだった。

新田が文芸部に入部するために声をかけてきた時、彼のTwitterのプロフィールには「古井由吉、夏目漱石、小島信夫などの日本文学を祈るように読みたい」と掲げられてあった。陸山はそこにアマチュア特有の気負いを嗅ぎつけ、祈るようにして読むとはどういうことかと問いただしてみたが、要領を得ない答えが返ってきた覚えがある。部員のそれぞれもまた、果たしてこの新入りは大丈夫なのだろうか、と言葉にしないまでも思い合ってきたところに、アマチュアが書くにしては大部の「杳子」評論が送られてきた。そうして部員の皆がいつしか新田を、とりあえず文学に関しては一家言持った人間だとほったらかしにしていたのがこれまでの経緯だった。

もっとも、それが文芸部で付き合う上で当たり前の態度だった。文学に関するサークルなのだから文学に少しでも興味があるならばそれで良い、多少人間性に疑わしいところがあろうと文学について話せればそれで構わない、なぜならば我々はネットでしか交流しないのだから。現実の交流とは違って、部員の人となりをよく表すのが小説や詩という文章だけで成り立った作品と言うことも、そうしたスタンスを取る一助になっていただろう。作品によって人柄を知れればそれでいいのだ。

――じゃあ新田さんが大学時代に書いたものを読んだこともあるんですか?

――いえ、文学に興味があると言うだけで、書いているかどうかはまるで。

陸山の知る限りでは新田は大学時代から小説を書いていたという。その頃から「横を向いたまま」で採ったような方法を使っていたとわかれば、あくまで作風として片づけられるかもしれない。しかし、そこが不明瞭であるからには、さらなる過去にまで遡る必要が出てくる。陸山は瞼のあたりに重苦しいものがのしかかってくるのを感じた。

――となると本格的に新田さんの過去を、あなたから聞かなくてはいけないのかもしれないな……でも、少し時間をください。あまりに突然の事だから、少し整理する時間が欲しいんです。もしくは、本人とコンタクトしたら話が早いかもしれないから、新田さんにどう話をすればいいか考える時間が欲しい。あなたとしては早く話を付けたいでしょうけど。

――小説を読むという行為はある意味、現実で付き合うよりも人間性をよく踏まえることが出来ると思いまして伺ったのですが、やはり不躾でした。

――それは間違っていないですよ。ある作家の特徴を知る時、僕らは読者に対して訊くことがありますからね。でも、私生活にまで踏み込んでくるとなると……。

――私はいつでもスカイプなりTwitterなりで対応出来ます。そちらの御都合に合わせていただいてかまいません。

あたかも新田と紗江の間を仲介するような運びになっているが、未だに内々で話を付けておいてほしい、という思いは拭えなかった。なぜこの見知らぬ女は、新田に直接真相を問いたださないのだろう。第一、古い付き合いのある人間にわからないことが、どうして一年やそこらの付き合いをしただけの人間にわかるというのだろうか?

もしかしたら、この女は新田を陥れようとするためにこんな話をしてきたのかもしれない、と思いつつ、形だけでもこれからもやり取りを続ける約束を取り付けておいて、陸山は会話を打ち切ることにした。

――わかりました。それではまた。

向こうがオフラインにしてから一息入れると、いつもなら新しい仲間が加わった知らせを他の部員に伝えていたことを思いだした。関わりのなかった人間と交流を持つのは気を張ることで、これまでならその緊張を皆と分かち合うという発散の機会があったが、今回は秘密を守らなければならない。ネット上の交友は、現実の事情を持ちこまないがゆえに成り立っている面もあるから、新田の面目のためにも沈黙は必須だ。しかし、一人で背負い込むには事情が込み入っていた。

先程のチャットを振り返りつつ、これからどうするべきかと案じていると、スカイプのポップが開いた。まだ話し足りないことがあるのか、と紗江のことを思い浮かべてしまったが、オンラインになったのは部員の大瀬良だった。

改めて自分の問題にふけりこもうと目を反らしかけたが、まもなく、大瀬良になら事情を説明してもいいのではないかという考えが浮かんだ。別にイの一番に現れたからというわけではない。年長で古参の部員に当たるこの男なら、首尾よく振る舞う方法を教えてくれるだろうと思ったのだ。

――ちょっと話したいことがあるんですが、いいですか?

少し間があって、いいですよ、と返答が来たので、陸山は通話のボタンをクリックした。装着したインターカムの向こうから空気の擦れる音が聞こえてきて、あいさつを送るとようやく訛りの効いた声がやってくる。

「どうされました?」

「一から話すと面倒なんですが……実は新田さんの知りあいが現れたんですよ。さっきまでチャットで話していました。本人の話すところによると、「横を向いたまま」の語り手のモデルらしい」

 意味を捉え兼ねたのか、戸惑ったような声が聞こえてきた。ここでしっかりと説明しないと、そもそも先程までの紗江との会話は幻となってしまうのではないかと思われた。どうして、得体の知れない人間の信憑性を他人が保証しなければならないのだろう。

「……で、その人は何でまた陸山さんの許に?」

「それがよくわからない。ただ告発されただけなんです。彼女と新田さんは幼馴染だそうで。小説のモデルにされたとはいえ嘘を書かれたわけではないんだけど、ならばなぜ作者である新田さんは自分の分身を登場させなかったのか、それが気になっているとだけ言ってきた」

 うぅん、という唸り声が聞こえてくる。疑われている感じはしない。むしろ、自分の想像を下回る事実を扱いかねている様子だった。

「まぁ、あの小説は確かにあけっぴろげに書いている小説ですからね。モデルがいたとしたら怒ってもおかしくない……いや、怒ってはいないんだったか。それにしても、あんな風に爛れた土地が実際にあるとはねえ。大伯母の武勇伝めいたところに、ちょっとついていけないところもあったな。官憲の男を籠絡してただとか、娼婦だと知らずに抱いた男と結婚しただとか……」

「そうした事実があけすけに書かれている割には、文章は入り組んでいるんです。現在の出来事を語っていると思えば、何かのきっかけに過去が混入される。おまけに文法もねじれている。一族を支えていた大伯母という大きな存在の死をきっかけに、あらゆるものがタガを外したようになだれ込んでくる、意図したところがあるとすれば、そんなところかな」

「それを紹介していく語り手の印象は薄いな。語り手のエピソードはほとんどなかったのでしょう、きっと。他人のエピソードばかりでね」

「だけど、今僕達の前にはその語り手がいる」

「……自分のことは語りつくされていないとでも言いに来たのかな」

 そういって大瀬良は一笑に付そうとしたが、実際のところ新田の秘密と共に、彼女の秘密もまた語られたようなものだった。現状ではほのめかし程度にとどまっているが、これから先、更に多くの事が紗江の口から語られるだろう。陸山は自分が言い放った、なだれ込む、という言葉を思い返しながら果たしてそれを受け止めきれるか不安になった。

 新田は血族ではない、と紗江は言っていた。血族でもない人間でも知りうるほどだから、喧伝とは言わぬまでも語り継ぐこと自体に抵抗はないのだろう。彼女達一族は自らの歴史に誇りを抱いている。度外れた歴史をフィクションだと思い込んでいた余所者に真実を伝えるくらいに。一度真実を知ってしまったからにはお前も同じ穴のムジナなのだと引きずりこんでくるくらいに。

「しかし、新田さんには話さん方がいいと思うけれどね。俺らが判断する事案でもないけれど、他人に相談するってことは並大抵じゃない経緯があるんでしょう。それを第三者が解決するというのもおかしなもんで、結局してあげられるのは、本人同士話し合う方向に持って行ってやるくらいのものだと思うな」

 大瀬良が提示した方針には反対のしようがないし、陸山自身もそれが一番穏便だろうと思っていた。しかし、紗江が携えてきた謎、なぜ新田は小説から己を消したのか、という問題を明らかにしたい心も拭いがたく存在していた。

「大瀬良さんは新田さんの昔の小説を読んだことがありますか? 入部する以前の、学生時代に書いたものを。ひょっとしたら、彼女を説得するための糸口になるかもしれないんです」

「入部して間もない頃に読ましてもらったな。ちょっと待ってください」マウスをクリックする音が聞こえるので、おそらくファイルを探しているのだろう。しかし、「あれ、おかしいな……」

「見当たりませんか」

「うん。他の部員の習作も仰山見とるもんでね。定期的に消さんといかんのですよ。もしかしたら何かの拍子に削除したかもしれない。でも、筋は大体覚えてますよ。原稿用紙四十枚くらいで、ある程度ストーリーはありましたから。

 主人公の通う高校に、のべつまくなしに男を誘惑する女子がいるんです。噂だけで存在を知っていた主人公は、ある時その娘に声を掛けられた。まぁ、お誘いですね。けれど彼はそれを断ってしまう。童貞をそんな女を相手に捨てるのはまっぴら御免というわけで。とはいえ向こうも口は達者ですから、とりあえず連絡先を交換する運びになってしまった。いや、彼女が勝手にアドレスを書いたメモをポケットに入れたんだったかな……体を交えるのはともかく、主人公は好奇心旺盛ですから、友達くらいにならなってもいいと思う。そんな話でした」

「それはまたあけすけな話ですね」

「でも文章は普通ですよ。童貞がアバズレにどうやって逆襲するか、というテーマが書かれていたと思うな」

「それは新田さんの実体験ですか?」

「まさか」大瀬良は苦笑した。「いやあ、事態がこうなったからにはわからんし、性的なものを書く事で自らの胸の内を暴露する、というのは若い内にはよくあるしね。もしかしたら今回やってきた人と、この女の子は同一人物かもしれない。でも、あれが実話だとしたら、なんで「横を向いたまま」では自分を消すようなことをしたのか、ますます説明がつかなくなるでしょう」

「まぁ、確かに」

「それに、昔の小説では二人は仲良くなってしまうし、そこがまずいところなんですよ。最初の方は未知の人物と出会う緊張感を描こうとしていたんだけど、それがお互いに連絡先を交換し合ってから、急に失速してしまう。普通の、ありふれた仲の良い男女になってしまうんです。確か、娼婦的な女のアイデンティティを奪う、つまり、体を交えるのを拒絶することで童貞が優位になる、と書いてあったけれど、その割に二人の会話は馴れ馴れしい」

 いかに筋道を立てて説明してくれても、やはり実際の原稿を見ていないだけに陸山には大瀬良の示すところがイメージ出来なかった。加えて、どのみち新田の過去を明らかにする手がかりにはなりそうもなかったからと聞き流す体勢になっていたのも、イメージの欠如に拍車をかけていた。

 持て余した想像力は、大瀬良の言う娼婦的な女を紗江と重ね合わせる方へと費やされる。小説という、作者の視点によって現実を抽出する表現形態では人物を完全に捉えきることはできない。信憑性の大小があるとはいえ、噂話と変わるところはないのだ。

そして、噂でしか知れなかった人間が急に実体を伴って目の前に現れてくる。彼女は自分が噂の的となっているのを知っている。噂を流した者が誰かも知っているし、彼が嘘をついているのも知っている。彼女は真実を知れと誘い掛けてくる。嘘をあたかも真実であるかのように書き連ねた作者への復讐を共に成し遂げようではないかと、手を差し出してくる。

「その小説を読んだ人は大瀬良さんだけですか?」

「いや、雨野さんもおったよ」そう言って、大瀬良は年少の部員の名前を挙げた。「一年ほど前のものだから、彼も持っているかどうかはわからないけれどね。原稿を受け取るなら作者自身に訊けばいいんだろうけど……まあ、当面は俺らだけが知っている話にしたほうがいいでしょうね。それにしても、腑に落ちないところはあるな。向こうがぼんやりとした言葉を投げかけるだけなのに、こっちもそれを秘密にしないといかんというのは」

「おそらく、追々明らかになっていくんだと思います」

「向こうが事情を明らかにしない限りは、こちらも受け取りかねるという態度を示した方がいいかもしれませんね」

 交渉術としては上策なのかもしれないが、陸山としては気が進まなかった。

「大瀬良さんのように私生活をほじくりたがる人なら耐えられるのかもしれないけれど、僕は正直なところ面倒で仕方がないな」

「人聞きの悪いことを」大瀬良は苦笑する。「でも、そうしない限り話は進まんでしょう。こちらから情報を出してほしいというのなら、そちらもそれなりの対価を出せというわけです」

 ならば交渉役を代わって欲しい、と言いそうになったが、どうやっても愚痴にしかなりそうになかったので止めた。もしかしたら紗江は新たな第三者が話題に加わってくるのを歓迎するかもしれないし、進んで自らの情報を提供してくれるかもしれない。しかし、そうなると新田の立場が危うくなる方向に舵が取られる可能性だってあるのだ。

「とりあえず彼女に当たるのは僕の役目ということにしておきます。彼女が大瀬良さんや他の部員にコンタクトを求めるなら話は別ですが、おそらく彼女の興味はtwitter文芸部自体には向かっていないと思うので、このことはあくまでも内密に」

「なんだか陰謀を企ててるみたいだね、こんな風に話してると」

 気楽に言ってくれる、とは思ったが、実際に紗江と会談していないからには他人事としてしか話せないのは当然な話で、むしろその気楽さはありがたいものなのだろうかと思えてきた。今まで一対一で向かい合うことにばかり意識が向いていたが、それがさしたる問題でないかのように笑い飛ばしてくれたおかげで緊張感が和らいできたのがわかる。

「また何かあったら声を掛けてください。頼りになれるかどうかは別として、その女性に興味は湧いてきているんでね」

「その際はお願いします。正直なところ、一人では抱えきれそうにもなかったから、助かりました」

 いえいえ、という声を残して通話は打ち切られた。

 通話が終わった後ようやく一息ついた陸山は、先程までの大瀬良との会話がずいぶんと楽なものだったと振り返っていた。やはり部員としゃべるのは緊張感がいらない。陸山とて社会人であるから人間関係に苦労することは多いのだが、この文芸部と接している間はそうした厄介事から解放されている。もちろん、人間関係のトラブルは幾度となく起こったが、部員達はおおむね、文学に基づいた関係である以上お互いの性格を云々するという面倒な地点に踏み入ることはせず、穏やかな交流を続けているように思える。お互いの顔が見えないというのは、お互いのパーソナルな部分に踏み込みようがないことを意味する。答えの出ない問いを解こうとしても意味がないのだから、一線を引いた上で交流を続ければいい。仮にパーソナルな部分が出てきたところで、演じられたものである可能性も否定できないのだから、受け入れればいい。そういう風にしてこの文芸部は成り立ってきた。

 紗江との会話が緊張感に満ちたものであるのも、そうしたことが一因になっていただろう。紗江はネットの弱点であり利点でもある隠されたパーソナリティを無効化しようとしている。何なら話を思い切り拡張して、文学を語る上で御法度とされつつある人格攻撃を行おうとしている、と言っても良い。そこを守りきることで無駄な摩擦を食い止め、精神を健康的に保つための防衛線をこの女は踏み越えようとしている。その点で陸山や大瀬良は、この防衛線をどうにかして守りきろうとしているといってもいいだろう……しかし、そんな義理が元々あるのだろうか? 新田のプライベートを守る義理が。インターネットの秘匿性を守る義理が。文学の匿名性を守る義理が。

正答の出ない問いかけになりかけたのを察して、陸山はデスクから立ち上がった。まあ、なるようになるだろう、とパソコンの電源を落としかけた時、再びスカイプの通知音が鳴った。大瀬良からだった。

 ――もしかして、だけど……今回の件は新田さんのイタズラではないかな。そんなことをするような人には見えないかもしれないけれど、こちらの思い込みを利用してこそイタズラは成り立つものなので、ついそう思ってしまいます。

 これまで一度も頭に浮かんでこなかった推測だったが、十分ありうる話だとは思った。それならば文学に精通しているのも納得が行くし、新田の来歴に詳しいのも当然だ。なにより、自分が書いた小説なのだから設定などいくらでも組み立てられる。問題は、目的がなんなのか、という点だが……いずれにせよ、目的がわからないのが同じならば、一時の遊び心に付き合う方がよっぽど楽ではある。それもまた精神を健康的にする方法かと思いながら、ともかく様子を見てみましょう、とだけ返信して、シャットダウンのアイコンをクリックした。

 

 それから陸山は機会があるごとにTwitterおよびスカイプを利用していたが、紗江は姿を見せなかった。ツイートもしないし、オンラインにもならない。あれほどの打ち明け話をした後にしては大人しいようにも思えた。陸山から声を掛けると約束したのだからコンタクトがないのは当然として、ネット上に何の足跡も残さないのは意外だった。同時に、何事もないのだからそれでもいいだろうとなおざりにしておきたい心も片隅にあった。

 同時に、新田も顔を出さなくなった。しかし、あくまで紗江が姿を見せないことのついでに思い当たっただけで、特に心配はしていなかった。元々ツイートは少なく他人と関わりを持っている姿も見かけないし、スカイプでも大瀬良のような率先してコミュニケーションを取ってくる部員とばかり話している印象がある。大瀬良や他の部員にも音信があるかどうか訊ねてみたが、いずれも特別な根拠がないまま私生活が忙しいのだろうと返してくるばかりだ。皆が皆、無関心に触れかかりそうな態度でもって新田の不在を受け止めていた。しかし、その無関心にもある種の信頼は混じっている。向こうもまた立派な大人なのだから、ネット上の知人を頼りにするような真似はしないだろうという願望を込めた信頼が――陸山もまた、新田が現れてくれない方が紗江も声を掛けてくる機会を逸したままでいるだろうと、むしろ安心しながら構えていた。

 新田の動向を訊ねる過程で、年少の部員である雨野に声を掛けた。新田の昔の小説を持っているかどうかを確かめるためだったが、こちらもファイルを消してしまったようだった。覚えている限りのあらすじを教えてもらったものの、大瀬良の話すところと変わりはない。一つだけ、性的な言葉を露骨に用いているので少なからず違和感を覚えた、とは言っていたが、予測出来る範囲だった。「横を向いたまま」で見せたように、娼婦によって系譜をつないでいった一族のことも平然と描けるのだから、娼婦的な少女だって書けるだろうし、露骨な淫語だって書けるのだろう。そこまであからさまに筆を執れるにもかかわらず、なぜ自分を書く事を避けたのか。紗江が、そして陸山が探し求めているのはそこだった。

――でも、いったい何故今頃になって? 大体、僕じゃなくても本人が持っているだろうし……。

小説の所在を訊ねた時、雨野はこう訊いてきたがそれにはもっともらしい理由をつけて答えておいた。

 ――初めは新田さんに催促したんだけど、昔の小説だから見せたくない、って言うんだよ。

 

 何事もないまま日々が過ぎていく中、陸山はこんなツイートを残した。

 

小島信夫の『抱擁家族』を読み始めている……「三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れている、と」……違和感の残る書き出しだ。日本語として成立するかどうかのギリギリのラインで文章を連ねている。

 

 家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れ始めた、の方が収まりは良い。そもそも、三人称を使っていながらこれは読者への説明のための文章にはなっておらず、人物の視界を重視した文章になっている。

 

普通なら、読者にもわかりやすいように具体的な家の汚れを見つけたシーンを描いてから、みちよの責任だと説明するはずだ。けれど、『抱擁家族』は最初から主人公の日常を描いている。読者は何のクッションもなく登場人物の私生活を目撃する羽目になる……!

 

となると、汚れ始めた、ではなく汚れている、としているのは一定の妥当性を帯び始める。正しい日本語が読者と作中世界をつなぐものなら、正しさからズレている日本語は作中世界独自の言語となるはずだ。小島信夫は、一般項にくくられることのない登場人物の固有性を描こうとしている。

 

 陸山にとって、こうしたツイートはメモ代わりだった。小説を読んで頭の中にくすぶっている断片を形にすることで、意識を明確にする。明確にすることが出来れば残ったページを読む上で指針が作れるし、読み終わってからでも記憶として定着させられるのだ。

公開する以上は最低限整った文章を書こうと心がけているが、特別、他人に見せるためのものではないと思っている。誰かに宛てるわけではなく、自分の揺らいでいる意識を矯正するために書いている。

とはいえ、公開しているからには稀にリプライがやってくる。同じ本を読んで似たように不確かな思いを抱えた者が、共に意識の矯正作業をするように文章を送ってくる。他人に見せるためのものではないと思っていながら、頭の片隅ではそうした突然の来訪をアテにしている部分もあった。一人で楽しむ読書の醍醐味もあるが、大勢で楽しむ読書の醍醐味も捨てがたいと思っていた。

紗江がリプライを送ってきたのは、陸山がツイートしてから一時間ほど経った時だった。

 

 陸山さんも『抱擁家族』を読んでいるんですね。私も最近ひもとき始めたので、この偶然に驚いています。

 

〈次号に続く〉