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A.H.マズローの自己実現理論について:しろくま

 僕には業績書に載せられない論文がある。

 研究者の道に進もうとすると、履歴書と共にそれまでどういった論文や著書を書いてきたという研究業績をまとめる機会がある。学部から日本語学の先生の下で勉強をしてきたけれど、学部の卒業論文は自己実現についてだった。心理学の分野である。

 四年生の時に卒業論文を書き、学部の紀要に初めて寄稿した論文がある。これが僕の業績書に載せられない論文である。今その論文が載っている紀要を傍らに置きながらこれを書いている。

 学部卒業後にやっと本腰を入れて言語学の道に進む気になり、そのために度々研究業績として今まで書いた論文について業績書を作るのだけど、この紀要の論文は自分の研究業績として載せることができない。憚ってしまう。分野が違うからということもあるが、学部生時代の論文を自分の業績として人に示すのが恥ずかしいという気持ちもある。ただ、当時は本気で自己実現について考えていた。 

欲求階層説の教科書的な図示
欲求階層説の教科書的な図示

 自己実現という言葉を知っている人は多いと思う。「なりたい自分になる」と言い換えればいいだろうか。ただ実際にそうなれた人はもとより、そうなるための方法を知っている人はこの世界にどれだけいるだろう。論理的な話を求めるが、なかなか満足できるものがなかった。

 アメリカの心理学者にアブラハム・H・マズロー(1908-1970)という研究者がいた。自己実現を調べていく中でたどり着いた研究者の一人だった。きょうはこのマズローの説いた自己実現理論について話をする。

 自己実現したい、なりたい自分になりたいという気持ちは人間の持つ欲求の一つである。これを自己実現欲求と言う。この欲求が満たされた時に、人はなりたい自分になれたと感じることができる。

 人間は五つの欲求とそれぞれの欲求段階を持っている。

 

1.生理欲求

 動物が生きるために必要な睡眠欲、食欲、排泄欲といった欲求

2.安全欲求

 安全、安定、依存、保護など、生理的欲求と並んで生きる上での根源的な欲求

3.所属欲求

 家族、友達、仲間と一緒に居たい、他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団所属の欲求

4.承認欲求

 周りの人間に愛されたい、尊敬されたい、自分が集団に価値ある存在として認められていると感じたいといった認知欲求

5.自己実現欲求

 自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求

 

 生理欲求を満たしたいと思う段階を生理欲求段階、安全欲求を満たしたいと思う段階を安全欲求段階、所属欲求を満たしたいと思う段階を所属欲求段階、承認欲求を満たしたいと思う段階を承認欲求段階、そして自己実現欲求を満たしたいと思う段階を自己実現欲求段階と言う。 自己実現欲求段階に入り、自己実現欲求を満たすことで自己実現となる。

 自己実現欲求以外の1から4までの欲求を欠乏欲求と言う。対して自己実現欲求は成長欲求と言う。欠乏欲求は心の穴を埋めたいと思う欲求である。成長欲求は穴を埋める欠乏欲求に対し、より高く積み上げたいと思う欲求である。

 欠乏欲求があっては自己実現欲求段階に至ることはできない。人は自己実現欲求段階に至るまでに、1から4までの欲求を順に満たしていかなければならない。ご飯を食べ、住む場所が確保され、集団に所属し、そこで個性を認められる。その後にやっと人は自分の個性を活かして人の役に立ちたいと思うようになる。

 所属欲求を満たすためには、その集団の中でのルールを身につけなくてはならない。それを僕は社会的価値と呼んでいる。社会的価値を身につけて集団に溶け込むことで所属欲求を満たす。次の承認欲求段階に進んだらその集団の中で自分のアイデンティティー、個性といったものを生み出していかなくてはならない。それを僕は個人的価値と呼んでいる。個人的価値に基づいて自分の個性を磨く。個人的価値を身につけて集団で自分の個性を認められ、承認欲求を満たせば、自分の力で皆の役に立ちたいと考える自己実現欲求段階に進むことができる。社会的価値とは所属する集団や社会のルール、個人的価値とは簡単に言えばその人のこだわりだ。

 マズローの自己実現理論は極めて当たり前のことを言っている。集団の中に入り、そこで個として認められ、自己実現に至る。ただ、マズローの自己実現理論の真の価値は、欲求段階の階層性を示したことと、欠乏欲求を満たさずに自己実現に至ることはないとしたことだろう。つまり、社会的価値と個人的価値を身につけていない者は自己実現に至ることができない。

 マズローの研究は机上でまとめられた研究者の言葉に留まらない。魅力的な人間へのインタビューを繰り返し、真摯な態度で彼らの共通項を見出そうとしている。 

 自己実現理論は、自分がなりたい自分になるためにどうすればいいかと考えるとき、自分を客観的に分析するためだけでなく対人関係でも使えることがある。集団の中で個性が発揮できていないと思う人物がいれば、まずその人を輪の中に入れ所属欲求を満たし、個性と集団の中におけるその人の価値を認め承認欲求を満たさせる。僕は学生など子供相手によく使う。輪の中に入れ、集団で認められた子供は、生き生きと個性を発揮しつつ周りの皆のために力を尽くす。

 マズローは、研究者として曖昧なものではなく道筋のはっきりしたものを模索しようとした。精神論や宗教の類とは一線を画す。マズローだけでなく、ほかにもためになる研究を幾つか見つけ、今も時々それらに助けられている。ただ、こういったものは自分のこととして受け入れないことには忘れてしまうものだから、マズローの自己実現理論の紹介までにとどめる。

 当時の卒業論文や、今傍らにある紀要の論文は、これからも僕の業績として名前を載せることはない。ただ、これらの論文を制作する上で費やした学生時代の情熱と得たものは、今も僕の中で生き続けている。